今日は 6月30日です。ビートルズ・ファンの方は「6.30」といえば
やはり1966年 6月30日を想起するのではないでしょうか。その日から
3日間「4人」がビートルズとして揃って日本でコンサートを行った
歴史上唯一の期間だからです。
1966年。昭和41年の日本、東京はどのような世界だったのでしょう
か。そのとき筆者は神奈川県横浜市の鶴見に住んでいました。父親が
務めていた運送会社から独立し自営で運送業を始めた翌年のことです。
共同トイレのアパートの小さな部屋で暮らし、夜になると部屋の中で
大きなゴキブリが乱舞していたり、大雨が降ると近くの鶴見川が氾濫
していたり・・・。そんな記憶があります。
都内では都電が走っていました。母親が集金によく東京へ出向いて
いたのについて行きましたが、鶴見駅から乗った京浜東北線はこげ茶
色で床が木造、ワックスの匂いが、今でも脳裏に焼き付いています。
国電の初乗りが30円、タクシーのワン・メーターが 100円。そんな時
代でした。
後から知ったことですが、1966年のビートルズは彼らのキャリアに
おけるまさに「転換期」で楽曲も複雑になってきました。このことを
換言すれば、今までと異なりレコーディングした曲をそのままライヴ
で同じように再生するのが困難になってきたことになります。今一度
1966.06.30のソング・リストを確認してみましょう。
01.ROCK AND ROLL MUSIC
02.SHE'S A WOMAN
03.IF I NEEDED SOMEONE
04.DAY TRIPPER
05.BABY'S IN BLACK
06.I FEEL FINE
07.YESTERDAY
08.I WANNA BE YOUR MAN
09.NOWHERE MAN
10.PAPERBACK WRITER
11.I'M DOWN
いかがでしょうか。#01,02,05,06,08,11 では、1965年のライヴで
演奏しており(#07.‘Yesterday ’はポールのソロの形態)、実績
がある選曲ですが、#03,04,07(4人がバンドとして演奏する形態)
09,10 の選曲は、当時の彼らの「音の革新」からすれば「かなりチャ
レンジャブル」といえます。中でも#09や10は、曲調からしてもコン
サートの曲としては「ポップ」ではなく、より「内省的」で「ヘビー」
な側面をもっているので、この選択は彼らの「アーティスト」(当時
は、まだそのように呼ばれていませんが)としてのプライド以外の何
ものでもないといえるでしょう。
しかし、4人は果敢にもチャレンジしました。オーバーダブを駆使
した厚いサウンドをライヴで再生するにはかなりハードルが高い2曲
ですが、「タネも仕掛けもない」状態で演じた4人にあらためて拍手
を贈りたいと思います。
HERE
↑If this article is quite good, will you please click?
やはり1966年 6月30日を想起するのではないでしょうか。その日から
3日間「4人」がビートルズとして揃って日本でコンサートを行った
歴史上唯一の期間だからです。
1966年。昭和41年の日本、東京はどのような世界だったのでしょう
か。そのとき筆者は神奈川県横浜市の鶴見に住んでいました。父親が
務めていた運送会社から独立し自営で運送業を始めた翌年のことです。
共同トイレのアパートの小さな部屋で暮らし、夜になると部屋の中で
大きなゴキブリが乱舞していたり、大雨が降ると近くの鶴見川が氾濫
していたり・・・。そんな記憶があります。
都内では都電が走っていました。母親が集金によく東京へ出向いて
いたのについて行きましたが、鶴見駅から乗った京浜東北線はこげ茶
色で床が木造、ワックスの匂いが、今でも脳裏に焼き付いています。
国電の初乗りが30円、タクシーのワン・メーターが 100円。そんな時
代でした。
後から知ったことですが、1966年のビートルズは彼らのキャリアに
おけるまさに「転換期」で楽曲も複雑になってきました。このことを
換言すれば、今までと異なりレコーディングした曲をそのままライヴ
で同じように再生するのが困難になってきたことになります。今一度
1966.06.30のソング・リストを確認してみましょう。
01.ROCK AND ROLL MUSIC
02.SHE'S A WOMAN
03.IF I NEEDED SOMEONE
04.DAY TRIPPER
05.BABY'S IN BLACK
06.I FEEL FINE
07.YESTERDAY
08.I WANNA BE YOUR MAN
09.NOWHERE MAN
10.PAPERBACK WRITER
11.I'M DOWN
いかがでしょうか。#01,02,05,06,08,11 では、1965年のライヴで
演奏しており(#07.‘Yesterday ’はポールのソロの形態)、実績
がある選曲ですが、#03,04,07(4人がバンドとして演奏する形態)
09,10 の選曲は、当時の彼らの「音の革新」からすれば「かなりチャ
レンジャブル」といえます。中でも#09や10は、曲調からしてもコン
サートの曲としては「ポップ」ではなく、より「内省的」で「ヘビー」
な側面をもっているので、この選択は彼らの「アーティスト」(当時
は、まだそのように呼ばれていませんが)としてのプライド以外の何
ものでもないといえるでしょう。
しかし、4人は果敢にもチャレンジしました。オーバーダブを駆使
した厚いサウンドをライヴで再生するにはかなりハードルが高い2曲
ですが、「タネも仕掛けもない」状態で演じた4人にあらためて拍手
を贈りたいと思います。
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>やはり1966年 6月30日を想起するのではないでしょうか。
↑
いやもう全くその通りです。
小生は現在都心(新宿区)在住ですが、もしこの時も
同様で且つ成人であれば是が非でも沿道に駆けつけたでしょう。
当時のフィルムで朝の4時なのに熱心なファンが映っている
シーンが思い出されますね。
「ミスター・ムーンライト」も日本のファンにとっては特別な曲となりました。
1966年とか昭和41年という響きに郷愁を感じます。
当時の東京の空はきっと今よりも広かったことでしょう。
そんな時代にビートルズの曲はいちばん似合いますね。