【武候嗣・諸葛亮像】
『三国志』に登場する「諸葛亮」「孔明」。その人物をもって理想
の軍師と尊敬するビジネスマンは多い。私もなにを隠そう、諸葛孔明
から学びたいと思っている一人である。しかし気をつけていることが
ある。それは、「文学作品やドラマを楽しむ」ことと「史実から現在
及び、今後のありかたについて学ぶ」ことは違うということである。
もちろん、優れた文学作品を読んだり、素晴らしいドラマを観て、
壮大なロマンを感じたり、感動するのは、それでよいと思う。この点
三国志ブームや昨今の大長今ブームはまったく同じことが言えよう。
しかし、諸葛孔明から「何か」を学ぶためには、史実を確認した上
で、客観的に考察する必要があると思うのである。
補佐役の必要性(腹心・耳目・爪牙)
私は、諸葛孔明から学びたいと思っている。『孔明の兵法』として
伝承されてきたものは、「将苑」(将帥論・参謀論)や「便宜十六策」
(戦争論・政治論)がある。その中で私が学びたい点とは、彼の生涯
において果たした役割から導き出された「参謀・補佐役としての考え
かたや振舞いかた」なのである。
では、将帥論や参謀論の中で私がいちばん感銘したものは何なので
あるか。
故によく将たる者は、必ず博聞にして多智なる者を腹心とし、沈着
にして謹密なる者を耳目とし、勇悍にしてよく敵する者を爪牙とす。
これである。
劉備玄徳の部下で、趙雲子龍という人物がいた。彼は無口でいつも
劉備の傍らに侍し、孔明の施策を忠実に実行したため「唯上是従的人
(イエスマン)」と評価されていた。しかし、史実は異なる。
孔明は趙雲を評価していた。それは彼の愚直なまでに一貫した見識
であった。
いちばん有名なのは、以下のエピソードである。関羽雲長が、重大
軍事エリアの荊州麦城にて呉の孫権に殺害されたとき、劉備は「呉と
和し、魏にあたる」という蜀の国家重大戦略を忘れてしまった。私怨
で呉に「勝てる道理のない戦い(夷陵の戦い)」を挑もうとしたので
ある。頭に完全に血がのぼった劉備に「われらの敵は曹操の建国した
魏であり、呉の孫権ではありません。」と冷静にそして諄々に諌めた
のが趙雲なのである。
結局、趙雲の諫言は、劉備を動かす(この場合は意味の無い戦いを
中止するという意味)ことにはつながらず、蜀は敗戦した。
趙雲が素晴らしいのは、主張すべきは主張し、たとえそれが受け入
れられなかったとしても、その後主君の命に従う道を貫いていること
である。
私は今の「環境」状況から、この趙雲の生き方に憧れを感じている。
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