【ALBUM "OLDIES"('Double' REVERSE)】
ビートルズの1966年アメリカ・ツアーの、いや、彼らのツアーにお
ける文字通りの「ラスト・ナンバー」は「のっぽのサリー」('Long
Tall Sally ')であった。'I'm Down'ではなく・・・である。これが
意味するものは、何だったのであろうか。
「ラスト・ナンバー」を歌い終えた後、彼らは装甲車に乗り込んで
去っていった。ステージを降りる間際にジョンが奏でた'In My Life'
の「余韻」を残して・・・。
さて。インタビューの完結編である。
◇◆◇
16.ビートルズ排斥運動
記者:ビートルズに関するものが焼かれたり燃やされたりしたことを
ご存知だと思いますが?
J:知らないな。
記者:アメリカの女の子は気まぐれだと思いますか?
R:女の子はみんな気まぐれだろ~。(笑い声)
J:ああ。ボクらが見た写真では、中年のDJと12歳の子供たちが
レコード・ジャケットの山を燃やしていたよ。
17.厳重な警備
記者:みなさん、もし装甲トラックと警察官なしで(コンサートのス
テージに)現れたら、あなたがた4人はどうなると思いますか?
R:もっと簡単に(コンサート会場に)入れるだろうね。(笑い声)
J:それはできないな。
P:場合によるね。ときどきは装甲トラックがないほうがうまくいく
ときもあると思うよ。でも、今日はたぶん無理だったろうね。
記者:ケガをすると思いますか?
P:ああ。たぶんね。
J:(記者へ)あなたは、どう思う?
記者:ええ、そう思います。
P:そうだね。
18.『イン・ヒズ・オウン・ライト』
記者:どんな状況で『イン・ヒズ・オウン・ライト』を書いたのか、
知りたいのですが。ある種、ワイルドで・・・きわどい表現、え~と
どのようにまとめたのですか?
J:さあ? 答えられないよ。だって、たまたまあんな風になっただ
けだからね。考えなかったよ。さて、どうしようか?
記者:ですから、作家みたいにすわって、その・・・。
J:作家みたいだったよ。(笑い声)
19.記者会見
記者:ええと。これが最後の質問ですか? あなた方の記者会見は、
いつもこんな感じですか?
J:いや。
P:(笑)それは最後の質問じゃないよね。
記者:ええと・・・。私は集まっているレポーターとか、自称レポー
ターとか、レポーターらしき人とかのことを言っているのです。アメ
リカをまわるツアーの間、いつもこういう人たちに取り囲まれている
のですか?
J:自称と本物はいつも見分けがつかないんだよ。(笑い声)
記者:ヨーロッパをまわるときも、こんな感じですか?
J:そう。
P:でも、なにかマズいの? この集団が変なの?
記者:いいえ、べつに。ただ、どこへ行くのにもこんな大勢のレポー
ターを抱えているのかと、不思議に思ったものですから。
P:いいや。
R:いつもこんなんじゃないよ。
G:ただの見物人もいるしね。
20.「トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ」
記者:'Tomorrow Never Comes'は、B面の最後の曲ですよね?
G:いいや、'Tomorrow Never Knows'だよ。
記者:ああ、'Tomorrow Never Knows'ですね。ありがとう。ジョン、
あの曲で自分の声をレコーディングしたときのテープの操作について
少し教えてくれませんか? もしかして、逆から歌って、アタマから
レコーディングしたんですか?
P:いいや、逆からは歌っていないよ。あれは単にえ~と、そのまま
レコーディングしたんだよ。テープ・ループ(筆者註:「カモメの鳴
き声のような音」)っていう操作をしていて、それがちょっと新しい
んだ。歌詞は『チベットの死者の書』からとったんだ。
◇◆◇
ビートルズはその後9ヶ月間、マスコミの前に現れなかった。長い
沈黙を破って彼らが再び登場したのは、"SGT.PEPPER"発売2週間前の
1967年 5月19日のことであった。
おわり
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