らば~そうる “IN MY LIFE”

旅、音楽、そしてスポーツのこと。過去、現在、そして未来のこと・・・「考えるブログ」。

90.最後の記者会見(#4)

2006-01-27 | 12.THE BEATLES
【ALBUM "OLDIES"('Double' REVERSE)】

 ビートルズの1966年アメリカ・ツアーの、いや、彼らのツアーにお
ける文字通りの「ラスト・ナンバー」は「のっぽのサリー」('Long
Tall Sally ')であった。'I'm Down'ではなく・・・である。これが
意味するものは、何だったのであろうか。

 「ラスト・ナンバー」を歌い終えた後、彼らは装甲車に乗り込んで
去っていった。ステージを降りる間際にジョンが奏でた'In My Life'
の「余韻」を残して・・・。

 さて。インタビューの完結編である。

◇◆◇

16.ビートルズ排斥運動

記者:ビートルズに関するものが焼かれたり燃やされたりしたことを
ご存知だと思いますが?

J:知らないな。

記者:アメリカの女の子は気まぐれだと思いますか?

R:女の子はみんな気まぐれだろ~。(笑い声)

J:ああ。ボクらが見た写真では、中年のDJと12歳の子供たちが
レコード・ジャケットの山を燃やしていたよ。

17.厳重な警備

記者:みなさん、もし装甲トラックと警察官なしで(コンサートのス
テージに)現れたら、あなたがた4人はどうなると思いますか?

R:もっと簡単に(コンサート会場に)入れるだろうね。(笑い声)

J:それはできないな。

P:場合によるね。ときどきは装甲トラックがないほうがうまくいく
ときもあると思うよ。でも、今日はたぶん無理だったろうね。

記者:ケガをすると思いますか?

P:ああ。たぶんね。

J:(記者へ)あなたは、どう思う?

記者:ええ、そう思います。

P:そうだね。

18.『イン・ヒズ・オウン・ライト』

記者:どんな状況で『イン・ヒズ・オウン・ライト』を書いたのか、
知りたいのですが。ある種、ワイルドで・・・きわどい表現、え~と
どのようにまとめたのですか?

J:さあ? 答えられないよ。だって、たまたまあんな風になっただ
けだからね。考えなかったよ。さて、どうしようか?

記者:ですから、作家みたいにすわって、その・・・。

J:作家みたいだったよ。(笑い声)

19.記者会見

記者:ええと。これが最後の質問ですか? あなた方の記者会見は、
いつもこんな感じですか?

J:いや。

P:(笑)それは最後の質問じゃないよね。

記者:ええと・・・。私は集まっているレポーターとか、自称レポー
ターとか、レポーターらしき人とかのことを言っているのです。アメ
リカをまわるツアーの間、いつもこういう人たちに取り囲まれている
のですか?

J:自称と本物はいつも見分けがつかないんだよ。(笑い声)

記者:ヨーロッパをまわるときも、こんな感じですか?

J:そう。

P:でも、なにかマズいの? この集団が変なの?

記者:いいえ、べつに。ただ、どこへ行くのにもこんな大勢のレポー
ターを抱えているのかと、不思議に思ったものですから。

P:いいや。

R:いつもこんなんじゃないよ。

G:ただの見物人もいるしね。

20.「トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ」

記者:'Tomorrow Never Comes'は、B面の最後の曲ですよね?

G:いいや、'Tomorrow Never Knows'だよ。

記者:ああ、'Tomorrow Never Knows'ですね。ありがとう。ジョン、
あの曲で自分の声をレコーディングしたときのテープの操作について
少し教えてくれませんか? もしかして、逆から歌って、アタマから
レコーディングしたんですか?

P:いいや、逆からは歌っていないよ。あれは単にえ~と、そのまま
レコーディングしたんだよ。テープ・ループ(筆者註:「カモメの鳴
き声のような音」)っていう操作をしていて、それがちょっと新しい
んだ。歌詞は『チベットの死者の書』からとったんだ。

◇◆◇

 ビートルズはその後9ヶ月間、マスコミの前に現れなかった。長い
沈黙を破って彼らが再び登場したのは、"SGT.PEPPER"発売2週間前の
1967年 5月19日のことであった。

                            おわり

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