青函トンネル殉職者慰霊碑から国道339号線に出て、さらに北に歩く。さすがに灯台までは無理としても、他に見られるものがあれば見ておきたい。
そう思いながら歩いていくと、気がつけば展望台も記念館もはるか遠くになってしまった。
そしてさらに歩いていくと、なにやら記念碑のようなものが立っている。
その傍らにあったのは、石川さゆり「津軽海峡冬景色」の歌碑だった。
竜飛岬に立てられただけあって、2番の歌詞が大きく扱われている。真ん中のボタンを押せば音楽が鳴るらしいが、さすがにそこまでする勇気はなかったので止めておいた。
ちなみに、歌詞では「たっぴみさき」となっているが、本来は「たっぴさき(ざき)」である。この辺は地元民ならずとも、東北楽天の球団歌か70年代フォークに詳しい人なら分かるはず。
さらに先を見ると、「階段国道」の大きな看板がある。今まで映像では見たことがあるが、ついに実際にこの目で見る日が来たのだ。
「階段国道」とは国道339号線の一部区間で、その名の通り、階段が国道に指定されているのである。
なぜこの階段が国道になったのかについては、国道を指定する段階で関係者が地図上のみで路線を決定したら、その一部に階段が含まれていたという説がある。
ただ、国土交通省や青森県の説明では、国道指定の時点ではこの階段が整備されていなかったという。とすれば、ある程度意図的に階段を国道として整備した可能性が出てくる。
いずれにせよぶっ飛んだ話だが、国としては自動車の通れる付近の道路を指定しなおそうと検討したこともあるらしい。ただ「この方が観光名所になる」という地元の声があり、そのままになったそうだ(wikipedia当該項)。
段数と標高差を見て、あらためて階段国道のただならなさを実感。しかし怯むことはない。せっかくここまで来たのだ、次いつ来られるか分からない、ならばいっとけ!思い切り足を踏み出す。
国道と言われなければ、こぎれいなハイキングコースといった趣の階段。今からここをひたすら下るのだ。
勢いに任せて階段を下り、中間点辺りの休憩所に来た。わざわざ国道の標識を建てる辺りが心憎いし、いいぞもっとやれと思う。どうせ維持費で使う税金など、年1人当たり1円にも満たないだろうし。
竜飛の海を見ながらさらに下る。冬はどんな荒涼とした光景なのだろう。1月の青森行きから考えるとぞっとする。
ついに階段の終わりにたどり着いた。それはいいが、この道の細さは何だろう。
階段が終われば道路らしい道路に出るかと思っていたら完全に外れ。国道感のなさでは階段部分に負けず劣らずな路地が目の前に続いている。
しかも路地は民家と民家に挟まれ、もはや道路の体を成してない。
さらに民家に挟まれる国道。国道としてのアイデンティティをどこに求めればいいのであろうか。
この光景はぜひとも国内のみならず、外国からの観光客に見てもらいたい気がしてくる。これがジャパニーズ・ナショナル・ロードだといったら、世界の人々がどれだけ驚愕するか、是非とも見てみたいものだ。
そんな与太はさておき、路地国道は一本道ながら何度も折れ曲がり、もういいだろうと思ったところで急に視界が開け、本来あるべき「道路」に出た。
階段国道から路地国道の終点……なのか起点なのかは分からないが、とりあえず三叉路。階段の段数が段数だっただけに、ここまで下りてきたことへの充実感は並ではない。
そして、その充実感が落ち着き、冷静な判断ができる状況になった時、ふと思った。
「これを上がらなければ戻れないんだよな……」
あれだけあったはずの自由時間は、残り10分程になっていた。
そう思いながら歩いていくと、気がつけば展望台も記念館もはるか遠くになってしまった。
そしてさらに歩いていくと、なにやら記念碑のようなものが立っている。
その傍らにあったのは、石川さゆり「津軽海峡冬景色」の歌碑だった。
竜飛岬に立てられただけあって、2番の歌詞が大きく扱われている。真ん中のボタンを押せば音楽が鳴るらしいが、さすがにそこまでする勇気はなかったので止めておいた。
ちなみに、歌詞では「たっぴみさき」となっているが、本来は「たっぴさき(ざき)」である。この辺は地元民ならずとも、東北楽天の球団歌か70年代フォークに詳しい人なら分かるはず。
さらに先を見ると、「階段国道」の大きな看板がある。今まで映像では見たことがあるが、ついに実際にこの目で見る日が来たのだ。
「階段国道」とは国道339号線の一部区間で、その名の通り、階段が国道に指定されているのである。
なぜこの階段が国道になったのかについては、国道を指定する段階で関係者が地図上のみで路線を決定したら、その一部に階段が含まれていたという説がある。
ただ、国土交通省や青森県の説明では、国道指定の時点ではこの階段が整備されていなかったという。とすれば、ある程度意図的に階段を国道として整備した可能性が出てくる。
いずれにせよぶっ飛んだ話だが、国としては自動車の通れる付近の道路を指定しなおそうと検討したこともあるらしい。ただ「この方が観光名所になる」という地元の声があり、そのままになったそうだ(wikipedia当該項)。
段数と標高差を見て、あらためて階段国道のただならなさを実感。しかし怯むことはない。せっかくここまで来たのだ、次いつ来られるか分からない、ならばいっとけ!思い切り足を踏み出す。
国道と言われなければ、こぎれいなハイキングコースといった趣の階段。今からここをひたすら下るのだ。
勢いに任せて階段を下り、中間点辺りの休憩所に来た。わざわざ国道の標識を建てる辺りが心憎いし、いいぞもっとやれと思う。どうせ維持費で使う税金など、年1人当たり1円にも満たないだろうし。
竜飛の海を見ながらさらに下る。冬はどんな荒涼とした光景なのだろう。1月の青森行きから考えるとぞっとする。
ついに階段の終わりにたどり着いた。それはいいが、この道の細さは何だろう。
階段が終われば道路らしい道路に出るかと思っていたら完全に外れ。国道感のなさでは階段部分に負けず劣らずな路地が目の前に続いている。
しかも路地は民家と民家に挟まれ、もはや道路の体を成してない。
さらに民家に挟まれる国道。国道としてのアイデンティティをどこに求めればいいのであろうか。
この光景はぜひとも国内のみならず、外国からの観光客に見てもらいたい気がしてくる。これがジャパニーズ・ナショナル・ロードだといったら、世界の人々がどれだけ驚愕するか、是非とも見てみたいものだ。
そんな与太はさておき、路地国道は一本道ながら何度も折れ曲がり、もういいだろうと思ったところで急に視界が開け、本来あるべき「道路」に出た。
階段国道から路地国道の終点……なのか起点なのかは分からないが、とりあえず三叉路。階段の段数が段数だっただけに、ここまで下りてきたことへの充実感は並ではない。
そして、その充実感が落ち着き、冷静な判断ができる状況になった時、ふと思った。
「これを上がらなければ戻れないんだよな……」
あれだけあったはずの自由時間は、残り10分程になっていた。
↓
未開通部分を国道指定するとき、「ちょうどその区間に通学路で人通りが多いのに未整備のままの道があるじゃないか。かなり狭いけど暫定ルートとして国道指定することで整備しよう」
(地元政治家からのプッシュとかあったかもねー)
↓
この傾斜では階段にしないと無理だわー!
↓
周囲の道路の整備も進んだのでわざわざ車両を通れるようにする必要がなくなった
出来れば路地の部分にも標識を立ててほしかったですね。
さておき、地形図を見れば傾斜は事前に分かりそうなものなのですが、
それでも指定したということは、まぁ、何かあったんでしょうね。
この際ですから付近の民家にお願いして、壁に標識を掲げてもらうのが良さそうです。
昔のカンコー学生服や殺虫剤の看板よろしく、壁に国道の標識(笑)