竜飛海底駅から歩いてようやく体験坑道駅に着いた。ここからはケーブルカーで地上に出る。ケーブルカーはわれわれ見学客を乗せるとすぐに出発し、斜坑を登り始めた。
このケーブルカーの正式な路線名は「青函トンネル竜飛斜坑線」といい、地上駅のある青函トンネル記念館が運営している(wikipedia当該項)。
一般的なケーブルカーでは、2両の車両が1本のケーブルにつながれ、両端から交差して走行するが、ここでは「もぐら号」と名づけられた車両が1両のみで行き来している。
もともと工事用の路線で、車両も旅客営業を想定して作られていなかったのか、乗り心地がいいとは言い難い。レールの継ぎ目ではガタンという音とともに大きく振動するため、腰が悪い人にはあまりすすめられない。
何より、車窓の風景がないので、どこまで登っているのか、まるで感覚がつかめない。時計を見ながら、そろそろ中間点か、もう少しで着くはずだがなどと考えていると、前振りもなしにケーブルカーは速度を緩め、停車した。
地上の青函トンネル記念館駅に着くと、ホームの階段を降りて駅を出る。すると、このように大きなゲートがあるのが分かった。
ケーブルカーの車内からは予想もつかなかったが、考えてみたら以前くぐった風門(第5回参照)と同じ理屈で、地上とトンネル内との気圧の違いに対処する必要があったのだ。
「もぐら号」。観光用のケーブルカーとは似ても似つかない、実に武骨な車両だ。
隣を見ると、平行四辺形の客車があった。乗客が多いときに連結するのだろうか。わずかな時間で写真を撮り、すぐさま駅を出た。この後青函トンネル記念館に入り、そこからはしばし自由時間となる。
自由時間中は、記念館を見るもよし、付近には展望台もあるし、周辺を散策しても構わない。竜飛崎も見えているが、さすがにそこまで行く時間はないだろう、とのガイド氏の説明を聞いた後、いったん解散した。
ほぼ1時間ぶり、それにしてはあまりに久しぶりに感じられてしまう地上の空気。この空気を感じていると、室内にいるのがもったいなく思えてくる。記念館に興味はあったが、外を歩き回ることにした。
ケーブルの駅舎。お世辞にも愛想があるとはいえないが、風雪に耐えようと思えば、このぐらいがむしろ適切なのかも知れない。
青函トンネル記念館の石碑。これも屋根のないところに置くことはできないようだ。
記念館正面のゲート。東北新幹線延伸記念の垂れ幕が今も掲げられている。
青函トンネルの本州側基地の所在を知らせる掲示。この下に何本ものトンネルと配線が張り巡らされ、幾多の機材が置かれているのだ。
記念館の近くには展望台があるので、まずはそこまで歩いてみる。付近のあちこちでアジサイが咲いている。この辺りだと、今がちょうど見頃なのかも知れない。
展望台。天気が悪いのは残念だが、ぜいたくを言っても始まらないので登ることにしよう。
竜飛崎灯台方面。確かに距離はありそうだ。戻って来られなければ困るので、灯台行は断念。
手前の建物が竜飛ホテル。その奥には、うっすらと島影が見える。方角で言えば函館の東ぐらいだろうか。
展望台を降りた先に三角点とその案内板があった。ここが青函トンネル竜飛側の基準点となるらしい。
さらに降りると、トンネル工事での殉職者の慰霊碑があった。
傍らにはトンネル工事の略歴がある。敗戦間もない1946年の地質調査開始から、バブルに突入せんとする1988年の竣工まで、実に42年もの歳月がかかっている。
とりあえず展望台からふもとまで下りてみたが、まだまだ時間はありそうだ。それなら、もう少し歩き回ってみたい。
このケーブルカーの正式な路線名は「青函トンネル竜飛斜坑線」といい、地上駅のある青函トンネル記念館が運営している(wikipedia当該項)。
一般的なケーブルカーでは、2両の車両が1本のケーブルにつながれ、両端から交差して走行するが、ここでは「もぐら号」と名づけられた車両が1両のみで行き来している。
もともと工事用の路線で、車両も旅客営業を想定して作られていなかったのか、乗り心地がいいとは言い難い。レールの継ぎ目ではガタンという音とともに大きく振動するため、腰が悪い人にはあまりすすめられない。
何より、車窓の風景がないので、どこまで登っているのか、まるで感覚がつかめない。時計を見ながら、そろそろ中間点か、もう少しで着くはずだがなどと考えていると、前振りもなしにケーブルカーは速度を緩め、停車した。
地上の青函トンネル記念館駅に着くと、ホームの階段を降りて駅を出る。すると、このように大きなゲートがあるのが分かった。
ケーブルカーの車内からは予想もつかなかったが、考えてみたら以前くぐった風門(第5回参照)と同じ理屈で、地上とトンネル内との気圧の違いに対処する必要があったのだ。
「もぐら号」。観光用のケーブルカーとは似ても似つかない、実に武骨な車両だ。
隣を見ると、平行四辺形の客車があった。乗客が多いときに連結するのだろうか。わずかな時間で写真を撮り、すぐさま駅を出た。この後青函トンネル記念館に入り、そこからはしばし自由時間となる。
自由時間中は、記念館を見るもよし、付近には展望台もあるし、周辺を散策しても構わない。竜飛崎も見えているが、さすがにそこまで行く時間はないだろう、とのガイド氏の説明を聞いた後、いったん解散した。
ほぼ1時間ぶり、それにしてはあまりに久しぶりに感じられてしまう地上の空気。この空気を感じていると、室内にいるのがもったいなく思えてくる。記念館に興味はあったが、外を歩き回ることにした。
ケーブルの駅舎。お世辞にも愛想があるとはいえないが、風雪に耐えようと思えば、このぐらいがむしろ適切なのかも知れない。
青函トンネル記念館の石碑。これも屋根のないところに置くことはできないようだ。
記念館正面のゲート。東北新幹線延伸記念の垂れ幕が今も掲げられている。
青函トンネルの本州側基地の所在を知らせる掲示。この下に何本ものトンネルと配線が張り巡らされ、幾多の機材が置かれているのだ。
記念館の近くには展望台があるので、まずはそこまで歩いてみる。付近のあちこちでアジサイが咲いている。この辺りだと、今がちょうど見頃なのかも知れない。
展望台。天気が悪いのは残念だが、ぜいたくを言っても始まらないので登ることにしよう。
竜飛崎灯台方面。確かに距離はありそうだ。戻って来られなければ困るので、灯台行は断念。
手前の建物が竜飛ホテル。その奥には、うっすらと島影が見える。方角で言えば函館の東ぐらいだろうか。
展望台を降りた先に三角点とその案内板があった。ここが青函トンネル竜飛側の基準点となるらしい。
さらに降りると、トンネル工事での殉職者の慰霊碑があった。
傍らにはトンネル工事の略歴がある。敗戦間もない1946年の地質調査開始から、バブルに突入せんとする1988年の竣工まで、実に42年もの歳月がかかっている。
とりあえず展望台からふもとまで下りてみたが、まだまだ時間はありそうだ。それなら、もう少し歩き回ってみたい。