川湯温泉を後にした列車は、山林の中を分け入っていく。ゆうに10キロ以上続く無人の地を走り、ようやく現れた家並と駅が現れ、ふたたび風景が開けたかと思ったら、日が傾き始めた。まだ昼の4時前というのに。
そんなことは関係なく列車は走り続け、知床斜里を過ぎると、オホーツク沿岸に出た。
8月も後半ではあるが、夏の海。ここに流氷が押し寄せる姿を、これだけで想像するのは難しい。
ただ草が拡がる海辺を、列車はただ走る。振り返っても、無人の海辺。
浜小清水の駅を出ると、左手に涛沸湖が見えてきた。
原生花園付近を走っているはずだが、見えるのは草原と湖、そしてオホーツク。とはいえ、道路と車の姿があるだけに、原野を走るほどの寂寥感はない。
遠くに見えるは能取岬か。網走が近づいてきたようだ。
釧路から150キロ以上、4時間近くかけて、終点の網走に到着。
跨線橋には駅ができて100年になるのを記念した看板が掲げられていた。オホーツクの鉄道がほぼすべて姿を消す中で、ただ一つ生き残った拠点への寿ぎである。
跨線橋を降りると、この日最終の札幌行特急が発車直前となっていた。特急で網走から札幌までは1日数本、所要時間は5時間以上。気がつけば、本当に遠くまで来てしまった。ただ、さらにこれから果てを目指すのだ。
網走駅。木の駅名板に、迫力を感じる。
木彫りのクマの木登り。
観光地にありがちな記念写真のボードも、監獄の仕様に温度計がついている。流氷の時期に来ると、話のタネにはなるのだろう。
根室に続いて網走にも応援大使のポスターがあった。とかく顔つきが話題になる谷口だが、こうして中田と方が並ぶのを見ると、やはりそれなりの身長があったのだとあらためて知らされる。
かと思えば、東北楽天田中のポスターも。まぁ、いろいろあるのだろう。
網走から石北本線の鈍行で、右手に網走湖を見ながら走る。発車直後は高校生でそこそこ混んでいたが、三々五々降りていき、しだいに静けさを取り戻す。
4時前から長く続いた黄昏時も、西に走るうちに流石に終わり、北見に着いた時には既に日は暮れていた。そしてここで本日の旅程は終了。
【1日目】たんちょう釧路空港→大楽毛→釧路→網走→北見
そんなことは関係なく列車は走り続け、知床斜里を過ぎると、オホーツク沿岸に出た。
8月も後半ではあるが、夏の海。ここに流氷が押し寄せる姿を、これだけで想像するのは難しい。
ただ草が拡がる海辺を、列車はただ走る。振り返っても、無人の海辺。
浜小清水の駅を出ると、左手に涛沸湖が見えてきた。
原生花園付近を走っているはずだが、見えるのは草原と湖、そしてオホーツク。とはいえ、道路と車の姿があるだけに、原野を走るほどの寂寥感はない。
遠くに見えるは能取岬か。網走が近づいてきたようだ。
釧路から150キロ以上、4時間近くかけて、終点の網走に到着。
跨線橋には駅ができて100年になるのを記念した看板が掲げられていた。オホーツクの鉄道がほぼすべて姿を消す中で、ただ一つ生き残った拠点への寿ぎである。
跨線橋を降りると、この日最終の札幌行特急が発車直前となっていた。特急で網走から札幌までは1日数本、所要時間は5時間以上。気がつけば、本当に遠くまで来てしまった。ただ、さらにこれから果てを目指すのだ。
網走駅。木の駅名板に、迫力を感じる。
木彫りのクマの木登り。
観光地にありがちな記念写真のボードも、監獄の仕様に温度計がついている。流氷の時期に来ると、話のタネにはなるのだろう。
根室に続いて網走にも応援大使のポスターがあった。とかく顔つきが話題になる谷口だが、こうして中田と方が並ぶのを見ると、やはりそれなりの身長があったのだとあらためて知らされる。
かと思えば、東北楽天田中のポスターも。まぁ、いろいろあるのだろう。
網走から石北本線の鈍行で、右手に網走湖を見ながら走る。発車直後は高校生でそこそこ混んでいたが、三々五々降りていき、しだいに静けさを取り戻す。
4時前から長く続いた黄昏時も、西に走るうちに流石に終わり、北見に着いた時には既に日は暮れていた。そしてここで本日の旅程は終了。
【1日目】たんちょう釧路空港→大楽毛→釧路→網走→北見