にわか日ハムファンのブログ記念館

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〔瀬戸内アヒル・うさぎ旅〕 (6)うさぎ島北部から展望台を巡る

2012-08-12 23:11:36 | さすらいブロガー旅情編
 長浦毒ガス貯蔵庫跡からさらに北へ進む。宿から離れたせいか、うさぎもあまり見かけなくなってくる。
 海岸沿いに北上していた道路は東向きに折れ、海岸線を少し離れて上り坂になっていく。登っていくと、戦時中の遺構とおぼしきものが現れた。



 大久野島にはかつて島の北部・中部・南部に砲台が置かれており、ここは北部砲台跡になる。



 砲台のそばには地下兵舎が置かれていた。これがその後である。



 北側にある石段を上がると、一部だけ見通しが開けた場所に出た。ここに砲台があったのだろうか。



 違った。すぐそばにあった案内板によると、ここにはかつて毒ガスのタンクが置かれていたらしい(フルサイズ画像はこちら)。
 毒ガスの入ったタンクが屋外に置かれていたというのはまったく意外であった。大戦末期は空襲もあっただろうに、爆撃でもされたらどうなっていたかと思うと背筋が寒くなる。



 とはいえ、そんな場所も今ではうさぎの棲み処となっている。
 この辺のうさぎは宿付近と比べて人間に会う機会が少ないせいか、警戒心が強そうだが、それでもカップを振ると、音でエサがあるのが分かるのか、こちらに寄ってくる。



 先ほどの遺構から少し離れたところに、別の砲台跡があった。こちらも北部砲台としてひとまとめになっている。



 砲台の案内板。砲台自体は毒ガス製造が始まる前から設置されていたらしい(フルサイズ版はこちら)。



 砲台跡で出会ったうさぎ。この辺まで来るとほとんど見かけなくなっていたが、砲台付近は島では珍しく水が流れているせいか、何羽か生息しているようだ。
 北部砲台跡からはさらに坂道を歩く。しばらくすると、展望台までの近道が見つかった。300メートルほどで展望台と、小さな表示が出ている。
 これ幸いと近道にはいると、これが上ったり下りたり、起伏の激しい山道。当然ながら足元が良いわけはなく、気をつけないと滑って転ぶかも知れない。
 夕方とはいえまだ暑い中、汗だくになりながら、もう300メートルぐらいは歩いたのに、と思っていたら、再び舗装道に出た。道の一方は下り坂、もう一方は上り坂、つまり展望台とは似ても似つかぬ三叉路である。
 一体全体何なのか、と考えてみて、ふと思いついた。あの表示は「展望台まで」ではなく、展望台への道まで300メートルぐらいということではなかったか。
 もしそうなら何も間違ってはいないが、それならそれでもう少し書き方がなかったのか。あるいは私が早合点してしまったのか。
 ともあれ、展望台まではまだ歩くよりほかない。近くにいたうさぎにエサを与えると、再び上り坂を歩きはじめる。



 近道を歩いたのと同じぐらいの時間を経て、ようやく展望台にたどり着いた。
 展望台のほとりではキャベツを食べているうさぎがいた。島で働く人が置いていったのか、キャベツはうさぎにとっては大量といえそうな量である。



 すでに満足げなうさぎたち。我々を警戒しない代わりに、関心も示さない。人が常時いる場所でないだけに、うさぎを見掛けたらエサを上げようかと思っていたのだが、この分なら必要なさそうだ。



 展望台から隣の大三島を眺める。送電線が島伝いにつながっている。大久野島では電気も水も、本土からの供給を受けている。



 宿の方角を眺める。手前の建物が宿で、その奥にプールが見える。泳ぎたい気温であるが、あいにく用意がない。何より、ここから下りないとプールどころか宿にも戻れない。
 とりあえず展望台を離れ、宿の方に向かう階段状の山道を降りていると、50メートルは離れたところにいた白いうさぎと目が合った。
 その途端、白うさぎは我々を目掛けて突進してきた。これまではエサを出さないと寄ってこない、下手をすれば出しても寄ってこないうさぎばかりだったのに、このうさぎは何の迷いもなくまっしぐらに走ってくる。
 その様子を写真に撮ってみようと思ったのだが、なにせスピードがスピードである。素人が使うコンデジではどうしようもなく、カメラを収めた次の瞬間、白うさぎがついに我々のもとにたどり着いた。
 言わずもがなであるが、私も妻もこの白うさぎとは初対面(のはず)である。まして相手は野生のうさぎ、人間になついているはずがない。
 にもかかわらず、何の迷いもなく我々に駆け寄ってきた理由は、これまた言うまでもない。エサだ。おそらく私の顔に「ごはんあります」とでも書いてあったのだろう。



 ペレットを一心不乱に食べる白うさぎ。よほどお腹が空いていたのだろう。とはいえ、上り坂を駆け上がる体力が残っていたのは救いだったが。
 この後、急な下り坂を何とかふもとまで下りて、宿の前に戻った。それでもエサが少し残っていたので、近くのうさぎにあげることにした。



 宿周辺のうさぎは人間にすっかり慣れていて、エサがもらえるとなると集団で囲んでくる。うさぎとの触れ合いを楽しみたければ、しゃがんで手でエサを与えるところだが、そうなるとうさぎの本能に火がつく。
 後ろ足だけで立ち上がってエサをねだるのは序の口、しゃがんだ人間の膝に前足を乗せてエサを要求したり、妻に至っては膝の上に乗られすらした。
 かと思えば、目を離すとエサのカップに首を突っ込んだり、油断もスキもない。手でエサを与えると、数羽のうさぎが一気に顔を寄せてきて鼻息もあらくエサを奪い合う。もはや触れ合いではない。戦いである。
 いや、戦いというのは決して比喩ではない。うさぎは仲良くエサを分け合っているのではない。他を押しのけてエサを余計にもらえるうさぎもいれば、押しのけられるうさぎもいる。
 とくに体の小さなうさぎ、仲間外れのうさぎは、エサをもらっているうさぎの中に入ろうとしても、すぐに追い出されてしまう。子うさぎにとっては、大人になるだけでも大変なのだ。
 そればかりか、大人のうさぎの間でも争いは絶えないのか、うさぎの中には耳が切れていたり、身体や顔にケガをしたものも見かける。
 中には目の辺りに深手を負ったうさぎもいた。動き回っていたのできちんと確認はできていないが、あの分だと目自体も傷ついていたであろう。



 「うさぎの楽園」としばしば言われる大久野島。こうしてくつろぐうさぎたちを見ていると、確かに楽園のようにも思える。
 しかし、人間の下を離れて島で暮らすうさぎたちは、生きるための戦いや争いとは無縁ではいられないのだ。



 宿に戻ると夕立が降りはじめた。うさぎたちは気にせず外で過ごしている。気温が下がって好都合なぐらいなのだろうか。



 夕食の時間になった。通常の夕食はバイキング形式のもののみだが、我々には有無を言わせずステーキがついてくる。



 というわけで、決して最初から狙ったわけではないが、夕食は豪勢になった。
 ふと外を見ると、今年生まれた子うさぎだろうか、小さなうさぎが1羽、雨の中草に食べている。周りに他のうさぎがいないを幸いに、脇目もふらずに草を懸命に食べている。
 今のうちにしっかり食べて、大きくなってくれ。そう思わずにはいられなかった。 



 夕食が終わり、夜になると海ほたるの観察会があった。といっても海に行くわけではなく、宿の一室で、ワイングラスに入った海ほたるが発光するのを観察するのである。



 発光する海ほたる。さすがにフラッシュを焚くわけにはいかないので、どうしてもこの程度の写りになってしまう。



 観察会が終わり、外に出てみた。
 うさぎはもともと夜行性、さらに涼しくなったせいで、そこら中で飛び跳ねている。



 宿の前でもうさぎがしっかり待ち構えている。エサでも期待しているのか、単に気になるのかは分からないが、ともあれうさぎ島の夜は、うさぎに見守られながら更けていった。


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2 コメント

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海ほたる (アルビレオ)
2012-08-13 10:21:22
ホワイトボードの「カレーライス」が気になる…
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アルビレオさん (ルパート・ジョーンズ)
2012-08-13 10:23:32
確か「海ほたるのエサはなんでしょう?」というクイズだったと思います。
海ほたるがカレーライスに似ているというので、オチとしての選択肢になってます(笑)
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