左心低形成症候群ってご存知ですか?

お腹の中の赤ちゃんが先天性心疾患の左心低形成症候群という指定難病なので、ブログを始めた新米パパ

データ

2024-12-02 20:50:39 | 日記
マイペース更新ですいません。
あとめちゃくちゃ個人的な報告ですが、スマホの機種変更して速度がめちゃくちゃ上がって嬉しいです。
その結果、貧乏になりました笑

さてと。
続きを書いていきます。
また今回も朧気な記憶でありますので、具体的な数字とかが違っていたりするかもしれませんがお許しください。

部「えっとですねぇ。前回も伝えましたがこの症例は今まで救えなかった命でしたが、今は治療法が確立されつつあります。しかし、まだその歴史は浅く、確立されて30年ほどです。そして、ここに色々なデータを用意しました。まず手術の成功率のお話をさせて頂きます。」

固唾を飲む。

部「この症例では、手術を合計4回行います。うちは過去に、この症例の1番難しいノーウッド手術を1番最初にしていました。その時の成功率は…7割ほどでした。」

俺の心「いやいやいやいや…キツイってその現実…。」

部「そして10年ほど前から1番最初にしていたノーウッド手術を2番目に回して、過去の1番目と2番目を入れ替えたんですね。そしたらそうですねぇ…人数の比率と計算して…94%ですね。うちは今現状そうです。隣の県の病院ですと94%を越えているという形ですね」

妻と俺「思ったより数字いいじゃん」
と2人で小声で話していると

部「でも6%亡くなるんですよ。この確率ってすっごく高いんです。例えばですいませんが、帝王切開だと0.0数%です。それに対して6%です。非常に高い死亡率であると言えます。」
と真剣な表情で話をされた。

自分達が少し期待出来るのか…な…?と思っていた所に突き付けられる現実。

考えて見てほしい。

6%で死ぬのである。

他人事だと「でも94%成功するなら」と言われるし思える事だろう。

当事者の心理で言えば「6%」に賭ける事は、どうでしょうか?

少し喉に何かが詰まる感覚になりました。

スーパーロボット大戦の命中率94%
パワフルプロ野球のサクセスのケガ率6%

やった事ある人ならその重さが少しでも伝わるのではないでしょうか。

わからない人はすいません笑
置いてけぼりにしていきます笑

ここからはすいません。
年齢等は伏せての話をさせて頂きます。
具体的なデータを教えて頂いたわけですが、そのデータに名前や個人情報は無くとも、相手がある事なので、ご容赦ください。

妻「やっぱり学業の遅れとかはありますよね?」

部「うーん。そこは個人によるとしか言えないです。今現在、お元気で全ての手術を終えて過ごされている患者さんをパッと見る限り本当にそんな病気があるのかな?という感じです。30人横1列に並んでもらって、この中で同じ症例の方がいます。と言われても判断つかないほど、見た感じは普通ですよ。1例ですけど、普通のクラスとそうではないクラスの割合で言うと…普通が3人。そうではないクラスは2名ですが、この2名の内、1名は普通クラスの行ったり来たりという形ですね。」

俺「今、現状この病院にかかっている人の最高齢はいくつなんですか?」

部「うちで予後を診させて頂いている方ですと…です。」(ここは伏せさせて頂きます)

俺「ずっと通院と言いますか…手術が全て終わられた方はどれくらいの頻度での通院なんでしょうか?」

部「1番長くて3ヶ月に1度。これより長くなる事はありません。2ヶ月の方もいれば1ヶ月の方もいます。」

俺「平均寿命までは生きれないんですよね?きっと…。

部「先程もお伝えしたのですが、この治療法が確立して30年なので、まだそこはなんともと言うしかないのですが、平均余命が80と仮定するならば…おそらく難しいと思います。」

妻「すいません。現実的な話で申し訳ないんですけど、治療費や医療費はどれくらいなんですか?

部「そこはご安心ください。日本はその点の制度や保障は、手厚いですよ!なので、そこまで金額については、お考えにならなくても大丈夫かな?と思っておいてください。」



部長さんは、淡々と。
しかし、嘘偽りないなとこちらが、感じれる程に伝えてくれた。

私達がネットや難病情報センターで調べた物よりも、現実は数字や様子もかなり良い印象のものだった。

部「今の話を踏まえて、どちらで治療を受けられますか?」

妻「もうそこに関しては、こちらでお願いしたいと思っていました。」

部「わかりました。他に質問等ございますか?」

この時、自分の母は私達の顔を見ていたらしいが、2人とも覚悟が決まった様な。
少し気持ちが晴れた様な。
そんな雰囲気があったそうです。

妻・俺「いえ大丈夫です。ご迷惑をおかけしました。よろしくお願いします。」

これにて、閉幕。

ドクターや看護師さん達は退室し、家族だけ少し残された。

母「え?納得出来んところはどうしてもあるけど2人の顔見たら、凄い理解しとる雰囲気があって、私だけモヤモヤしたわー笑 でもそうね。2人が決めることじゃもんね」

俺「いやほんまに母さんを殺人者に出来るかーい笑 でも俺達が腹に据えとる事を代わりに言うてくれてありがとう」
母「私が1番よく分かってないけよく分かってないからこそ、ガンガン言えるんかなって思った。妻ちゃん!今度先生に会ったら「あの時は感情的になってすいませんでした!」って言うといて!笑」

妻「分かりました。言うときます笑 でも、お義母さんが色々と言ってくれてありがたいですけどちょっと怖かったですよー笑」

母「ほんま?ごめんねぇ笑」

俺「でも…そうねぇ。賭けるしかないね。この子に。」

妻「そうねぇ」

とお腹をさする。

私達は積極的な治療を望んでいなかった。

しかし、現実問題で法律が許さず。

言い方はとても悪いですが、

「産まざるを得ない」

そして

「治療せざるを得ない」

という結論でした。

加えて、更にひどい言い方をするならば

「生かされなくてはならない」という事である。

しかも、多くの時間関わる我らの思いは…。

と親として有るまじき部分まで堕ちて、考えた。

それほどまでに生きた心地がせず、鬱になってるのが、自覚出来るほど、指摘されるほどに、心を病んだ。

しかし、改めさせてください。

親とは愛とは凄いということを。

逆に私は選択肢が1つになって、凄く安心したのを覚えています。

私を子供を助けない選択肢を心に決めていた。

それは、無理となれば、親にならざるを得ない。

その人殺しの業を背負って生きていくと思っていた。

しかし、我が子が。

法律が。

心を救ってくれた。

我が子が大きくなったとて、「君は仕方なく産まれたんだよ」なんて思わないし言えない事だろう。

本当は、我が子に会いたくて会いたくて仕方なかったのだから。

そんな根底にある気持ちを拾い上げて、業を背負わずに済んだ。

気持ちが180度ひっくり返り、今まで思っていた感情が凄く恥ずかしく、自己嫌悪であったが、本当に救われた。

ここからは気持ち切り替えて、本当はあった「望んで産まれて来てくれる子」となった。

何を今更!
でも結局、子供を見限ろうとしていたくせに!

なんて言われても一向に構わない。

それは、良い判断・悪い判断だったとして、本気で24時間大切な我が子の事を考えて考えて考えた結果だからだ。

普通に産まれて普通に幸せな家庭には、すいませんが、わからない感覚だと思います。

推し量る事は、出来ても同じ環境でない限り、この壁を超えることも、同じ領域で考えることは難しいと思います。

だから叩かれたとしても、その時、私は本当にそう思っていたのは事実です。

でも、神は壁は越えられる人にしか与えられない。

なんて言葉がありますが、僕と妻のこの大きな心の壁を乗り越えさせてくれたのは

神でも無ければ、仏でも無く

親でも無ければ、ドクターでも無く

我が子でした。

両親に業を背負わせない選択を与えてくれてありがとう。

君は産まれる前から、親孝行な息子だよ。

気持ちと法律と現実

2024-11-26 20:12:35 | 日記
更新が遅くなってしまい、申し訳ございません。
また追々書いていきますのでのんびりペースで頑張らせてください。

私たちはそれぞれの家族にその話をして、皆はどう思うか?を聞いてみた。

皆が「2人がそう思うなら」という結論であったが、概ね皆私たち2人が大変になる未来が見えるからそれを選べるならそれがいいのでは無いか?という事だった。

そこから、出産とその後の産まれた我が子の手術に関わる担当の科の先生方との話し合いがあり、2日か3日後に私達とのお話をという流れになった。

その時に、自分の母親も最初の症例の名前を聞いて説明を聞いていたので同席されますか?と聞かれ、母親に聞くと「行きたい」と即答してくれ、休みを取ってくれた。

自分達もそうだが、母親は自分の孫が産まれるのも凄い楽しみだが、今は息子である自分。そして妻が可愛いからこの2人が苦労する姿が見たくない。それに「この子の未来は当たり前が当たり前に出来ないならそれは…ねぇ?」と言葉を詰まらせていた。

そして説明をされる当日を迎えた。

来てくれたのは

小児循環器の部長さん
産科の部長さん
助産師さん
看護師さん

という面々であった。

部長さんが直々に来てくれたんやなとまずは思い、普通ではないと改めて思わされる。

そして小児循環器の部長さんが口を開く。

ここからは私自身も朧気な記憶なので、一言一句同じでは無いことをご容赦ください。

部「話は聞きました。何故そう思われたかまずはお話聞かせて頂いてもよろしいでしょうか?」

妻「色々な情報を調べる中で、この子の未来がなかなか普通では無いと思っています。助けてあげたいし助けて頂きたい気持ちもたくさんあります。しかし、自分が小さい頃に長期入院していた事もあり、その時のストレスも凄かった。院内学級とかだと普通の学校との進行具合等も変わってくるからこそ、それもゆくゆくは、本人にとってストレスだろうし、理解出来る時には苦しむと思います。色々と情報を見てしまうとどうしても良い方向には考えにくく、目の前の事ではなく、先を思うと中絶という選択肢があるならそれを望みたい。」

部「なるほど…。ご主人は?」

俺「そうですね。同じ思いです。そしてこの子が僕達以上に苦労をするのではないかという所をどうしても重く考えてしまいます。親なら子供の思いや夢や希望を叶えてあげたいと思います。しかし先生が以前言われていた「普通に走ることも難しいでしょう」という言葉。仮に野球選手なりたい。サッカー選手になりたい。と夢を持つのは自由ですし素晴らしい事ですが、病気のせいでその夢すら見れない。諦めざるを得ない。という夢の選択肢を狭めている現状は親として心苦しい限りです。まだ自分の意思がなく、まだ自分が人間なのかわからない段階で、自分達だけが業を背負えば…と思っているのが現状です。」

部「なるほど…。お母様は?」

母「同じですね。2人が苦労する姿は見たくないです。お腹に命を宿してますが、それが良いと思ってます。」

と3人の思いは1つだった。

部「なるほどですね。わかりました。単刀直入に申し上げます。それは不可能です。何故ならお腹の中の赤ちゃんには既に「人権」が存在しています。そして助かる命なのに、助けないというのは、医療ネグレクトにあたります。これを家族さんが選んだら家族さんが「殺人罪」にあたる場合もあります。そして私達はその同意を受け入れて、治療をしないとなると「殺人罪の幇助」となってしまい、私たちも罪にあたる可能性があります。法律で決まっていて、それは無理です。」

と眉ひとつ動かさずに涼し気に伝える。

部長さんに怒りに近いものを覚えたが、それ以上に食ってかかったのが母であった。

母「じゃあ仮にですけど私が罪を被れば、望みは叶うんですか?」

部「いやいやお母さん。法で決まってますし、そんな1人が被るからどうにかなる問題ではないです。」

母「わかりますよ。でもまだ見ぬ孫より今は見れている2人が可愛いです。どうしても無理なんですか?」

部「赤ちゃんにも人権があります。法がある以上、仮にですけど、ご家族さんが手術や治療に同意しなくても私達は助けなくてはならないんです。」

母「同意しなくても…?なんか矛盾してますねそれ…」

母は涙しながら怒りを露わにしていた。

私達はその姿に愛の大きさをそこはかとなく感じた。

しかし、それと同時に、母親を罪人にするわけにもいかないという思いが逆に冷静にさせてくれた。

そこから少しの無言があり、

俺「やっぱり予後とか悪いんですよね?」

と聞く。

すると、とある紙を見つつ、部長さんが話し始めるのであった。

見て下さってる皆様へ

2024-11-17 11:58:49 | 日記
このブログを見て下さってる皆様へ。

いつも見て頂き、ありがとうございます。

また拡散やいいねなど、反応を下さる方々も本当にありがとうございます。

今日はこのブログの私なりの意味や今後の話を少し聞いて頂けたらなと思っております。

このブログは病名の発覚前の感情の機微なども含めたところを思い出して書いております。

なので、私の記憶違いがあれば、申し訳ないなと思いますけど、タイムリーに書ける所と書けない所もあるというところをご理解頂けたらなと思います。

このブログを始めたきっかけは、産まれてくる子供が「左心低形成症候群」という指定難病の先天性心疾患を抱えている事がきっかけでした。

日本でも件数は少なく、治療法が確立されて30年という日もまだまだ浅く、確実に大丈夫だよと言える症例でもございません。

このブログは、その数少ない症例を持った親の心境やどういうやり取りがあったのかを記録して、今後の人に「私達も経験したよ」という安心材料にして頂きたいから始めました。

実際に、左心低形成症候群が疑惑の時に調べるとあるのは手術の内容やどんな病気なのかなどがほとんど。

あとは数名の方々の実際の声があるブログと、圧倒的に少ない数でした。

色んな先生や病院のホームページもとても大切な情報ですが、リアルな声が私はその時、必要でした。

なにより「なんでうちだけ…」と思っていたので、他にも仲間が欲しいという気持ちにもなりました。

本当に聞いた時は絶望の一言。

でも今は、1回目の手術の内容も聞けて、同意書にもサイン出来るほど私達夫婦なりに覚悟を決めて臨めています。

それはひとえに、このブログ上で。
そしてX等のSNSで、反応を頂ける皆様のおかげでもあると思っております。

本当にありがとうございます。

個人的な思いとしては、この症例は20週になるとわかると調べた時に知りました。

そして良くも悪くもですが、中絶出来る期間は21週と6日です。

実際に、守る方は両親であり、家族です。

見守り続けることは、その中で、様々な感情が生まれると想像出来ます。

今後、またブログで続きを書いていきますが、私達がこの症例が見つかった時は、中絶期間は過ぎており、子供に人権が発生しておりました。

その時に思いました。

もっと早く適切な時期に知れたらどうだったのだろうか?と。

なので、小さな事ですが、こういうブログを続けて、発信し続けてゆくゆくは

これからのお父さん・お母さんが20週になった時に、最寄りの産婦人科ではなく、分娩施設があるしっかりとした病院でしっかり診てもらって、仮に同じ症例なら選択肢を選べる様になれたらいいなと思っています。

お前は何を言ってるんだ?と思われるかもしれませんが、これはこの症例の子供を抱えた親にしか分からない部分もあると思います。

ただ世の中的に全然知られていない症例です。

まずはそういった部分から知ってもらえたらいいなと思います。

これが、私個人がブログを始めた理由です。

次に、プライバシーの部分です。

このブログは、知って欲しいと言っておきながら、身元の分かりそうな画像を添付しておりません。

おいおい。
それは本当に思っているのかい?
リアルを伝えるなら写真は必要だろぉ?
これって本当に事実なのかい??
と言われても仕方ないなと思います。

でも、ご理解頂きたいのが、ネットリテラシーです。

子供はもしかしたら産まれてすぐに亡くなるかもしれません。
長く生きてくれるかもしれません。

でもネットは生き続けます。
私は多くの人に真実を知って欲しいとも思いますが、家族を守る責任もとてもあると思います。

なので顔や名前を出すことは今後もないと思っておいてもらいたいです。

その分、状況や状態を文字でしっかりとお伝え出来たらなという考えです。

百聞は一見にしかずなのは重々承知ではございますが、顔写真がこのブログ及び、SNSに載る事は無い事をご容赦ください。

ただでさえ、レアケースの家族であり、子供なのです。

なので、ハッシュタグで地名だけになっております。

ドクターの名前等も伏せているのは、その為です。

もしかしたら、顔が見えない部分で、載せる事もあるかも知れませんが、頻度は高くないと思いますのでご理解下さい。


さて。

本日令和6年11月17日です。

ありがたい話で、明日の帝王切開で、妻にとても大きな負担をかけてしまいますが、子供が産まれてきます。

産まれてすぐ手術なのか様子を見て2~3日経過して手術なのかなどは、産まれてからの子供の反応や状態によってわからない所です。

多くの先生方も携わってくれて、それでも流動的なものになっています。

この1週間は常に若干のソワソワ感と熟睡もなかなかできてないです。

子供に会える喜びもありますが、その後の事への不安もあります。

妻に万が一がないだろうか?等、常に付きまとっています。

皆さんに考えて頂きたいです。

明日、貴方は絶対に生きてますか?

絶対なんて言い切れること世の中に無いですよね。

この1ヶ月で本当に私の人生は変わりました。

もちろんいい意味で。

でも、ここまでガラリと変わる家庭も珍しいと思います。

色んな思いや感情を抱えて、明日お父さんになってきます。

今後もブログをゆっくりで申し訳ないですが、書いていきます。

写真や画像がないと信じれない方もいるかもしれませんが、それはすいません。

でも事実ですとしか言えないです。

このブログを目にしたら、拡散したり反応頂けたら励みになります。

今後も宜しくお願い致します。

齟齬

2024-11-11 12:29:24 | 日記
この3日間はめちゃくちゃ時間の経過が早く感じた。

思いが理解されるかはわからないけど早く伝えたいとさえ思っていた。

吐き出すことで、自分が軽くなれると本当に思っていた。

そしてXday。

妻の個室に面会に向かい、少し話をした。

気持ちはお互いに何も変わっておらず、なんならより強固な気持ちになっていた。

産まれてからの「普通」を思うと…。
うん。

私は以前も書いたが、介護の仕事をしている。

色んな介護の分野があるが、私は高齢者介護をしている。

お金を貰ってお仕事をしていて、ご家族さんから見ればプロと思われる存在かもしれないが、それ以前に仕事をしていても人なのである。

私も利用者さんも。

時々思うことがあるのだ。

寝たきりで、本当に言葉を発すること無く、ご飯を食べる事は出来て、排泄する事が出来て、眠ることが出来て、声掛けに反応はほとんどない利用者さんも世の中にはいるわけで、そういった方々に思ってはいけないが思ってしまう事がある。

何が楽しみなのだろうかと。

これは普通が行えていないからこそ抱く感情だと思う。

別にこの思いで、私自身が叩かれるとしても、それは仕方ないなと思っているから自由に怒ってもらっても大丈夫です!

ただ、私ほど毎日利用者さん全員が1回でも笑ってくれるように関わるぞ!という思いを10年以上抱いてる人がいるなら是非、手を挙げて頂きたいくらい自分の中では、楽しさと笑顔を引き出すことが、自分の介護という仕事の矜持だと感じている。

その中で、自分の力不足で、笑顔を作ってあげられない。

その虚無感もとても悲しい物だ。

仕事だけでは無い。

自分が笑って利用者さんが笑って家族さんが笑ってっていうのが、1番綺麗じゃないですか?

それが叶うかどうかは別として、目指すのは勝手でしょ!?ってのは、常日頃意識している。

話を戻します。

上記の様に、関わる皆が笑っているかどうかが、自分の価値観なのである。

この子は産まれて、常に笑えているだろうか?
私達夫婦も、笑顔になれるように、子供に関わり続けれるだろうか?
そんな事を考えると絶対大丈夫!と思う理想はあれど、現実は。

福祉で働いているからこそリアルを見てきたからこそバカ正直に現実的に考えてしまっていた。

その点は妻の方がリアルで、妻は幼少期に入院生活も長く、病院で約1年ほど過ごしている期間があったそうだ。

そして、仕事は放課後デイサービスで、障害のある子供達に関わる仕事をしている。

私よりよっぽど、今後の我が子の事を想像を現実的にしていただろうと思う。

その中での思いなのだ。
強いし固い意志なのだ。
ずんだもんなのだ。

すいません。
なのだ。が続いたのでつい笑

そして、程なくして産科の担当医さんが来てくれた。

そこで、手術と入院は、今のままここでお願いしたい事を伝えた。

そして。

「生まれてから積極的に治療しない選択肢はありますか?」と伝えた。

一瞬、担当医の方の顔も驚いた様な表情を見せていた。

「なる…ほどですね。ちょっとそれに関しては、私1人での判断はできないです。上の人や他の科の先生方にも聞いてみないと…。でも一旦、そういう考えもお持ちという事は、わかりました。返事はすぐじゃないかもしれないですけど、聞いてみますね!」

怒って何か言われるんじゃないかと思っていた。
伝えられたことにほっと安堵した。

2人して「言ったね…。」という空気があった。

返事はどうなるかわからないけど待とう。

と思っていた。

10分程したら、担当医の先生が、部屋に来てこう告げられた。

「産科の上の人に聞きましたが、それは難しいようです。治療法が全くないわけではなく、絶対大丈夫とは言えないものの、治療法が確立されつつあります。また、こういう部分はとても難しく、医療ネグレクトと言われたりする部分もあります。ましてや中絶が出来る21週と6日を過ぎているので、胎児にも人権があります。なので、お2人の考えが通ることは、難しいと思うんです」と。

やっぱりそうかー。と思える自分と、産まれた後のリアルを見るのはこっちだぞ。
この子が普通の幸せを送れない場合の責任はどうなるんだなど、行き場のない怒りが脳内を駆け巡る。

その後は、担当医の先生が、何故そういう思いに辿り着いたかを聞いてこられたので、素直に話をした。

予後があまり良くないこと。
普通とは違うこと。
走ることは難しいでしょうということは、夢や未来の選択肢を狭めて生きていくこと。
など、あげればキリが無いほどの不安要素を伝えた。

その思いも聞いてもらって、

また産科だけではなく、関わる小児循環器の先生方とも時間を合わせて、また後日話をする時間を設けてもらえるようになった。

しかし、売り言葉に買い言葉ではないが、医療と福祉の対立を心の底で感じており、ふつふつと怒りを抱いていくのであった。

朝は来るから

2024-11-07 16:58:54 | 日記
誰にだってどんな場所でだって平等な事がある。

それは時間だろう。

時の流れだけは体感が早いか遅いかだけで皆同じ時に息をしている。

その日の夜は不思議なことに、よく眠れた。

妻とラインでやり取りをする。

お互いに「思ったより眠れた」

そんな感想だった。

私は告げられた翌日に夜勤だった。

正直こんな気持ちで、仕事が手につくわけもないのだが、世の中生きていくにはなんにせよお金という物が必要なものである。

生きるのにもお金が要り、死ぬのにもお金が要る。

とある漫画で「金は命よりも重い 」という言葉があるが、あながち間違いではないのかもしれない。

人が通貨というものを作ったが為にその価値は無限大にある。

いっその事、大根3本と豚肉200グラムと交換の様に物々交換のようにすれば、日本の自給率も上がるだろうに。

石のお金作った人に今を見てもらいたいものである。

しかし、ボヤいていても時間は過ぎる。

本当によく眠れる。

頭が疲れていたのかな?

夜勤までこんなに寝れる事も珍しいなと思いつつ、夜勤に向かう。

夜の間に自分の部署の皆が自分の現状を知ってもらった方が良いだろうと思い、皆が閲覧するファイルへ紙を綴じる。

夜勤中は凄く情緒が不安定だった。

今後、職場の皆さんに急に休みを貰ったりなど迷惑をかけてしまうのも目に見えていた。

何よりこれは本当に現実なのか?とまだ若干疑っている自分もいた。

私は介護の仕事をしていて、入居者の中には「昨日、どうだったの?」と聞いてくれる優しい入居者もいた。

その度に嘘偽りなく説明し、流しても流しても枯れることのない涙が流れた。

そして入居者の何名かも共に泣いてくれた。

私自身が私自身を客観的に見れていた部分もあった。

妻に左心低形成症候群の疑惑を持ちかけられた時から、あまり笑えなくなっていた。

そして話すこと笑うことが大好きな私の声が、部署からほとんど消えていた事にも気付いていた。

ありがたい事に、他のスタッフは優しく、私の置かれている状況を理解して、どう声をかけていいやら…と思いつつも暖かい声をかけてくれていた。

とてもありがたい。

その度に、何か自分の中の違和感を感じていた。

とてもありがたいのだが、声をかけて欲しくない自分と人と関わって少しでも気を紛れさせたい自分がこの時はいたのを、はっきりと覚えている。

上手く笑えず、顔の筋肉が固くなり、声を出さず家でも静寂の中で数日過ごしていた。

仕事が終わると18:30。

家に帰ると19:00頃。

幸い食事と睡眠だけは欠かさずに!と思っていたのでそこだけはなんとか大丈夫だった。

こんな時にも、食欲あるなんて大したもんだななんて時折、心の中で自分自身を褒めた。

そしてシャワーを浴びて21:00頃には、眠る。

そんな、生活をしていた。

起きているとろくな事を考えないと思っていた。

その間も、妻とのやり取りをしていた。

もう病院は今のところにという、話で纏まっていた。

3日後に決断を言うのはここの部分だけなのだが、私達はその先を想像していた。

今となってはとても、恥ずべき感覚だったかもしれないが、本当に当たり前と幸せを考えて考えて考えて考えた末に辿り着いた疑問点。

「積極的な治療をしないという選択肢はありますか?」と。

そう。
愛しいまだ姿を見ぬ我が子。

病気のことを調べて書いてある物を見る。

あまりにも切なく、あまりにも残酷で、あまりにも現実的な文章の羅列を見て、胸が張り裂ける思いであった。

私達夫婦はその選択肢が選べるなら、我が子の命を守らず、この子が自分の心臓で、自分の呼吸で、自分だけの力で生きている。
まだ自分が何者かもわからず、親の顔もわからず、ギリギリは苦しむかもしれないけれど、生き長らえて、他の人とは違う自分。
当たり前が当たり前じゃない世界に住まう住人。
そこから生まれる葛藤と苛立ちなど、色々なことを思うと、自分たち夫婦だけが、この命を見届けて、業を背負って生きようと本当に思った。

本当に罪深い話だと思う。

結論から言えば、それは出来なかった話なのだが、それは後日書くとして、この時は本当に思っていた。

本当に愛のある親御さんなら「最低だよ!なんで我が子にそんな事思えるんだ!」と言われるだろう。

この選択肢を考えるだけで後ろ指指される事もあるだろう。

しかし、これは紛うことなき現実なのだ。

救ってもらって育てて幸せな景色を見せたいし自分達も見たいと本気で思った。

こういう事を言ってはいけないが、メリット・デメリットはどっちがどうだろうかと。

生きてくれたパターン。

治療を望まなかったパターン。

あまりにも不安要素が多すぎて大きすぎた。

それならいっそ…と思ってしまった。

命はそんなに軽いものでは無いのは、重々承知だが、今この瞬間に、命の重さや普通に生きているその当たり前を自分達夫婦以上に考えている人がいるのか?くらいの気持ちだった。

自分達が当たり前に生きているこの時間、この世界は奇跡なんだと思わされた。

「そんなことあるわけない」は普通にある。

起こります。

だから皆にここで言いたいのは、当たり前や普通に慣れないで欲しい。

自分達で自分達を傷付けたり、愚かなことはしないで欲しいと本当に思う。

自分を含めて、今生きているこの瞬間はきっと誰かが生きたくても生きれなかった時間だと思うから。

私達夫婦は「3日後に自分達の思いを聞いてもらおう」と意志を固めていくのであった。