左心低形成症候群ってご存知ですか?

お腹の中の赤ちゃんが先天性心疾患の左心低形成症候群という指定難病なので、ブログを始めた新米パパ

新しい役割

2024-12-24 21:19:14 | 日記
その日を迎えた。

この日は、全てが終わるのが何時になるから分からないとの事で、公共交通機関を使い、最寄りの駅に8:00過ぎには着いていた。

妻も子供も緊急帝王をするでは無く、無事に当日を迎えてくれた事がひとまず良かった。

8:30前には病院に着いて、妻の病室へ。

スケジュールは

9時から分娩。

帝王切開なので1時間ほどで終わるとのこと。

分娩されてからは、子供がどうなのか。

すぐに、手術が必要なのか等を含めて、検査をする事になる。

そこからは、時間は伝えてもらっていなかった。

思ったより、いつも通りの妻と自分がいた。

妻は、昔のトラウマで手術室に行くのが、怖いと言っていたが、全てを受け入れているようだった。

代われるものなら代わってあげたいがそうはいかないのが、人体の不思議であり、代替のきかないとこである。

8:45になると、ご主人も一緒に降りましょう!と看護師さん達に言われ、手術室へ。

その間には、月並みな言葉ではあるが、「頑張ってね」と「しんどい思いをそっちにだけさせてしまってすまない」と伝えた。

そして、私を置き去りにする形で、手術室へ。

大きな扉が閉まると不安と孤独感が一気に襲ってきたが、仕方ない。

少しだけ見えた手術室の中に多くのドクターがいた気がした。

当日は、産まれた瞬間に何かあっても対応出来るように、ドクターも時間も隣の手術室も空けて、待機してくれるとの事で、うちの子供の重度さをひしひしと感じた。

その後は、妻の居なくなった病室で、1人で待機。

看護師さんが、呼びに来てくれるまで。

1人でいると

妻の安否。

子供の安否。

ずっとグルグルと思考する。

順序的にいえば、まずは妻だ。

妻がまずは無事であることを強く願っていた。

そして、思ったよりも、早く呼ばれた。

9:40に看護師さんが来て、「産まれましたよ!NICUに赤ちゃんが来られますので、見に行きましょう!!!」と言われ、カメラを持って、エレベーター前に。

思ったより、早くてこちらの心の準備が出来ていなかったし、どういう感情でいればいいのかわからなかった。

誘導されるままにエレベーター前に、エレベーターが、開いて、NICUに行くまでの通路の時間のみ見れます。との事で、それだけで圧倒的に短い時間だと言うことが、想像出来た。

そして、エレベーターの扉が開いた。

看護師さん3名とドクターが、付き添いながら、「「おめでとうございます」」と言ってくれた。

「産まれた瞬間に産声も上げてくれまして、元気な男の子ですよ」と言われた。

私はカメラを構えていたが、「え…まじか…」と感動なのか驚きなのかまだ信じれてないのか感情がわからなかった。

そしてドクターから「今から心臓や肺の動きなど、血液も含めて検査を色々とさせてもらいますので、よろしくお願いします」と子供を乗せた保育器は、NICUへ。

時間にして30秒あったかどうかくらいだろうか。

あまりにも短く、産まれて来てくれてありがたいが、これから待ち受ける壁を思うと複雑な気持ちでもあった。

その後は、妻のいる手術控室へ。

執刀医から手術の時の状況と説明をされて、また妻の居ない病室へ案内される。

そこから程なくして、妻が戻ってきた。

お疲れ様とありがとうを伝える。

まさに男には出来ない大偉業を成し遂げてくれた瞬間であった。

トラウマもあっただろうに。

強い人である。

話を聞くと、息子の産声を少しだけ聞けた様子だった。

労をねぎらいつつ、NICUで、診てもらっていることを伝えた。

術後なので、お腹の痛みもあったり、看護師さんがパットを交換してくれたりと、ずっと一緒にいるわけには、いなかった。

ここまでで、11:00頃。

妻は大丈夫だった。

あとは、子供だ。

どうなのだろうか…と不安がよぎる。

こんなに産まれた瞬間の感動が一瞬で過ぎ去って、不安にかられることも中々人生の中で無いだろう。

12:00。

まだ連絡は無い。

13:00。

まだ連絡は無い。

途方も無く長い…。

待つしかない。

待つしかないのだが、何も出来ないのが辛い。

14:00。

まだ連絡は無…

14:00過ぎに、連絡は来た。

看護師さんに呼ばれて、NICUの控え室へ。

そこでは、NICUでの説明と、家族の状況や、同意書などの書類を書きながら、NICUのDVDを見ていた。

そして、控え室で1時間ほど待つ。

今日だけで痔になりそうであった。

15:00。

控え室にて待ってる。

16:00にさしかかろうとしていた時に、ドクターが現れた。

「お父さんですかね?この度は改めておめでとうございます。少し説明も含めて会って頂こうと思います」と言われ、ついに対面へ。

そこには、保育器に入ってはいるが、なんとも小さな体躯の息子がいた。

「産まれて検査をさせて頂きました。ここからは、いつどうなるかを様子見させて頂きながらになります。それで、泣いたりすると呼吸がしんどくなってしまうので、今は麻酔で眠ってもらっている状態です。ここからは、心臓の動きと、肺の動きを観ながらですね」との事。

面会がどうなのかとかも含めて色々と質問をさせてもらった。

NICUではスマホは使えないので、ビデオカメラをこの為に買っておいた。

事前に、産まれたらすぐにNICUと聞いていたからね!
準備が出来たね!

そこで少しの間、面会と撮影をさせてもらった。

直接的に子供に関わっている時間もあまりなく、声も聞いてなければ、抱っこもしていない。

本当に自分の子供なのか?という疑問もあるが、これはどの家庭でも思うものなのだろうか?

普通よりも関われないので、親になるまで、時間もかかりそうだなぁとも感じた。

その後に、妻の病室へ戻り、説明した。

おそらく17:00過ぎに、病院を出た記憶である。

嬉しさと切なさが、同じくらいで込み上げてくるが、今日ついに自分は父親になったのだと徐々に時間と共に噛み締めながら、実家へ帰った。

なんにせよ。

妻と子供に大感謝。

幸せを増やしてくれて、ありがとう。

命の理由

2024-12-19 19:15:06 | 日記
更新して参ります。

そこからの日々は、帝王切開の日まで、緊急帝王にならない様にただただ祈るばかりの日々であった。

妻の面会と仕事。

という感じだったが、前回のような病院からのお呼び出し等もあり、育休最終日も潰れてしまったので11月10日から有給を消化しつつ、育休に移行するという形であった。

妻の帝王切開の時間も決まり2024年11月18日の朝9時に決まった。

私は少しでも病院から呼ばれたら行けるように、実家に少しの間、帰省するようにした。

今の家よりは実家の方が、自分の生活的には不便だが、病院から近いので非常にありがたかった。

帝王切開の2日前には、妻の母親や妹さんも、来て下さり、何かあれば、バックアップが出来る体制も固まった。

刻一刻と時間は、進む。

その間に、自分の命もだが、産まれてくる子の命の時間はとても貴重なものだと思っていた。

まず、うちを選んでくれたこと。

越えられる試練しか与えられないなんて言われるが、時間が経てば本当にそうなのかもしれない。

ここに詳しくは書いてない部分だろうと思うが、心の整理は早かったと思う。

他の家族なら引きずる所は引きずったと思う。

次に、子供好きな夫婦であること。

昨今は近所の公園での声がうるさいと閉鎖する公園があったり、子供も遊びにくくなり、身体機能が低下しているなんてニュース等もある。

皆が子供の時代を過ごして、色んな家庭はあると思うが、育ててもらって、大きくなっている。

でも、どこかで自分だけで大きくなった気になってる奴らもいる。

非常に不愉快である。

今の自分に不都合だからと、子供に負荷をかけるのは、子供以下のワガママだなと思う。

子供はどんな子でもまずは優しい。

それを環境でねじ曲げるのはこちら側の責任だと私は昔から思っている。

家庭の環境・対人環境など様々だろうが、後天的な環境因子は取り除いてあげないといけないと思う。

私は、ずっと子供が産まれたら「こんな言葉をかけてあげたい」「こんな子になって欲しい」「でも厳しくしたい」と思っている。

いやいや主さんよー。
子供は思い通りにいきませんよ?
まぁ育ててから言うてくださいやー!

と思われる方もいると思われます。
確かにその通りです。

子供を育てたことが無いので、本当に机上の空論ですし、絵空事の綺麗事だと思います。

でも、一瞬でも子供の明るい未来を願わない親はほとんどいないんじゃないでしょうか?

願われていない身勝手な親の元に産まれた子も世の中にはいるとは思いますが、私は、そう思っています。

ならば、親になる身として、プロセスや様々なタイミングを想定して、その子の未来を少しでも苦労なく過ごして貰うように、舵取りをしていくのが親なのではないでしょうか?

子供は何をするかわかりません。

世の中、生きにくいですよね。

心配事もたくさんあると思います。

でも、心配ではなく、信頼で子育てをしたいと思ってます。

危ないから。
心配だから。

と失敗という経験を積ませない事は、良くないと思います。

それは、愛ではなく、過保護かなと思ってます。

うちの子はどうでしょう。

すでに普通ではないです。

なにせ産まれたら死が隣にベッタリと付いて離れない子です。

でも私は、いずれは親元を離したいと思っています。

これは、1人で沢山見て欲しい。1人で生活する力を身につけて欲しい。1人で迷惑をかけて謝る事の大切さを感じて欲しい。などなど。

となると、小さい頃からここを見据えて、子育てしないといけないのではないでしょうか?というのが、私の持論です。

人は1人では生きてはいけません。

家族や友人やまだ見ぬこれから知り合う方々に救われ、支えられて生きていきます。

1人で生きてるなんて驕り高ぶる人は、1人でスーパーを作って仕入れから棚卸しまでしてレジ打ちしてください。

買い物だけで、どれだけの人の仕事ですが、優しさに触れているか考えた方がいいと思います。

なので、自分の子供が今後どのような子になるのか。

色々としてやれるのかすらわかりません。

普通と同じなのかそれ以下なのか。

その中でらそれ以上にするには私達夫婦のマインドとやり方次第だと思っています。

でも答え合わせが、出来るわけではないです。

だから、毎日を漫然とではなく、その日その日きっちり生きていこう。

と私は子供が産まれるというイベントに近付くにつれて、思うようになりました。

命の燃やし方は、人それぞれだと思います。

私が、ブログを続ける理由は

・病気のことを知って欲しい
・同じ病気なら、経験談として残したい
・胎児検診で20週1日~21週6日は、必ず大きな病院でしっかり検査をして欲しい
・お金がどうなのかも知っておいて欲しい

というのが、大きな部分であり、子供の成長記録だけでは無いです。

特別なケースなら、今後も産まれる特別なケースの人々に、何か伝えないと!って思いました。

何もかもが、思い通りになることはないです。

でも、理想を追い求める事は、いいでしょうよ。

これから、たくさんの大変なことがあって、たくさんの幸せなことがあると思います。

無償の愛を子供からもらって、こっちも与えていけたらなと、産まれる前に思っていました。

そして、当日をゆっくりと迎えるのでした。

オーラ

2024-12-16 21:01:14 | 日記
マイペース投稿して参ります。

11月半ばに「直前になりましたので、改めて手術と方針の話をさせて欲しい」との事で、病院へ。

11月の予定日前に公休や有給を使ってそのまま育休に行くつもりだったが、10月の半ばからは、呼び出されては、有給を頂いて休むという日も多く、自分の子供は普通では無いんだなと思わされていたが、人間とは慣れる生き物である。

非日常が日常に落とし込まれるものである。

病院へ着くと一室へ案内された。

そこには、
小児循環器の部長さんと副部長さん
産科の部長さん
助産師さん
今日の担当の看護師さん
がいた。

もう子供の状態は大きな変動はなく、少しでも予定日まではお腹にいてもらって、大きくなってもらえたらという状態である。

なので、方針や手術の事も何度も聞いたことを、改めて詳しく話をされていくというものであった。

簡単に言えば、両者の共通認識の擦り合わせに近いものだった。

妻も自分も、この運命を受け入れているので、存外穏やかなものであった。

説明を受けて、頷いては、改めて咀嚼して、理解していく。

心臓については普通の人よりは詳しくなったのではなかろうかと思うほどである。

ずっと小児循環器の部長さんが説明してくれて、副部長さんが記録していく。

その中で、遅れて1人現れた。

説明の途中だったので、チラッとしか見えなかったが中年の男性だ。

いや、そんなことよりは今は説明をしっかり聞こう。

昔から自分は集中力がないと小学生の時代から今日に至るまで言われていたし、自分もそうだと思っていたが、我が子の事となるとしっかりと聞くもんだなぁなんて思っていた。

こんなことを思っているから集中力がないじゃないか?って?
私もそう思います。すいません。

そして、説明等含めて、20分くらいであろうか。

小児循環器の部長さんの説明が終わった。
そして、たくさんの説明や、手術の方針やその過程で必要な同意書にサインをしていく。

まだ産まれていないし、出生届は出ていない。

しかし、患者氏名の所には、子供の名前を書かなければならない。

これ書いていいものなのかどうか?を聞くと

「〇〇(苗字)にBBでお願いします」との事。
BABYという事か。

何故に英語なのだ?と思ったがカルテはそもそもドイツ語だったっけ?なんて思いつつ患者氏名には1年でもこんなに書くことはないだろうと思うくらい「B」を書いた。

そしてその下には、自分達の名前と続柄を。

これから、うちの子は、大変な試練が。

そして死線をくぐり抜けて行かなければならない。

それを、物語る用紙の数である。

すると、サインをしているところに、途中から入ってきた中年の男性の人と小児循環器部長の方が話している。

妻も私も思った。

「「誰だこの人???」」

そして、小児循環器部長さんが言う。

「次は心臓外科の先生からお話がありますので」

私は思った。

「え?まさかこのおじさんが?!」

すると、私達の席とは90°の角度に位置する席に座り、

「え〜心臓外科医の〇〇です。最初に言うときます。絶対に助かるなんて思わんでくださいね?」
空気がピリッと張り詰めるのを皮膚で感じた。

「それくらい難しい手術です。しかも、新生児。身体が小さく、心臓ももちろん小さい。私が今まで経験した状態の悪い赤ちゃん。1キロあるかないかくらいの子達の手術もさせて頂きました。生存確率は50%くらいですかねぇ。今回の赤ちゃんよりもっと状態が悪い子達の確率だとこれくらいでした。それは、ご理解してくださいね」

ドクターという仕事の大変さを垣間見た瞬間だった。

現実と経験。

たくさんの赤ちゃんの。

そしてたくさんの人々の大切な臓器である心臓を手術したからこそなのであろう。

見た目は50代かなと思われるその男性医師からは、今まで感じたことないオーラを感じた。

今までたくさんの人々の死にも直面して、救えた命・救えなかった命。

その全てを背負って、この場に来ているのだろうとこっちに思わせるほどの雰囲気を醸し出している。

私達より更に奥を・先を見ている様な目線に、尊敬より、何より恐怖を感じた。

そして、その言葉が、穏やかな気持ちを、現実へと引き戻した。

大変だと思っていたが、それは子供の事だけ。

それを救おうとしているお医者さん達も、ハチャメチャに大変なのだ。

医療は時に、融通が利かず、ムカつく事もあるだろう。

しかし、今はこの方々にすがるしかない。

溺れる者は藁をも摑むと言うが、一気にそんな心境にさせられた。

その後は、小児循環器の部長さんと同じ内容だが、観点が心臓外科の物で、手術の説明をされる。

チラッと名札を見る。

あー。

この人も部長さんだ。

色んな科の錚々たる面々がうちの子供を観てくれるのだなと思うと、ありがたさもあるが、少しの焦燥感を抱きつつ、また更に、同意書にサインをして行くのであった。

Time goes by

2024-12-10 14:45:46 | 日記
間が空いてしまって申し訳ないです。
ほぼ毎日のように病院にいる僕です。
これくらいしか今出来ないのがもどかしいですね。

そこからの日々は
前日に妻に必要なものを聞いておく
↓↓↓
準備する(前日か当日か)
↓↓↓
面会に行ってあれば洗濯物回収
の繰り返しであった。

私は仕事もしながらなので、毎日は行けなかったが、夜勤明けと休みの日はほとんど欠かさずに妻の面会に行っていた。

自宅からは車で小一時間。

時々、身体が重くも感じた。

それでも夫として、父としてやれることはこれしかないのだから、するの一択なのである。

子供は逆子なので帝王切開が確定であった。

妻が入院した理由も切迫早産のリスクがあったからである。

しかし、早く産まれてしまうと子供が小さく産まれる。

そうなると体に比例して心臓も小さいのだ。

なので、早く産まれてしまうと、産まれてからの手術の難易度が高くなる。

という早く産まれて欲しい気持ちとまだしっかりといてくれー!の気持ちの両輪があった。

10月半ばで、お腹の子は1600gくらいだった。

色々な関連しているドクターに「なんとか2000に」と言われていた。

一ヶ月後に予定されている出産日まで、うちの子や妻は耐え凌げるのだろうか。

私は家で1人ドキドキと身を案ずる事しか出来なかった。

この頃から、好きだったお酒もとんと呑まなくなった。

何があるかわからないし、いつ呼ばれるかもわからないからである。

今後もイベントの時以外は子供が大きくなるまでは飲まないつもりでいます。

刻一刻と時間が進む中、11月の半ば。

出産日まであと2週間とない頃に、病院に呼び出された。

データ

2024-12-02 20:50:39 | 日記
マイペース更新ですいません。
あとめちゃくちゃ個人的な報告ですが、スマホの機種変更して速度がめちゃくちゃ上がって嬉しいです。
その結果、貧乏になりました笑

さてと。
続きを書いていきます。
また今回も朧気な記憶でありますので、具体的な数字とかが違っていたりするかもしれませんがお許しください。

部「えっとですねぇ。前回も伝えましたがこの症例は今まで救えなかった命でしたが、今は治療法が確立されつつあります。しかし、まだその歴史は浅く、確立されて30年ほどです。そして、ここに色々なデータを用意しました。まず手術の成功率のお話をさせて頂きます。」

固唾を飲む。

部「この症例では、手術を合計4回行います。うちは過去に、この症例の1番難しいノーウッド手術を1番最初にしていました。その時の成功率は…7割ほどでした。」

俺の心「いやいやいやいや…キツイってその現実…。」

部「そして10年ほど前から1番最初にしていたノーウッド手術を2番目に回して、過去の1番目と2番目を入れ替えたんですね。そしたらそうですねぇ…人数の比率と計算して…94%ですね。うちは今現状そうです。隣の県の病院ですと94%を越えているという形ですね」

妻と俺「思ったより数字いいじゃん」
と2人で小声で話していると

部「でも6%亡くなるんですよ。この確率ってすっごく高いんです。例えばですいませんが、帝王切開だと0.0数%です。それに対して6%です。非常に高い死亡率であると言えます。」
と真剣な表情で話をされた。

自分達が少し期待出来るのか…な…?と思っていた所に突き付けられる現実。

考えて見てほしい。

6%で死ぬのである。

他人事だと「でも94%成功するなら」と言われるし思える事だろう。

当事者の心理で言えば「6%」に賭ける事は、どうでしょうか?

少し喉に何かが詰まる感覚になりました。

スーパーロボット大戦の命中率94%
パワフルプロ野球のサクセスのケガ率6%

やった事ある人ならその重さが少しでも伝わるのではないでしょうか。

わからない人はすいません笑
置いてけぼりにしていきます笑

ここからはすいません。
年齢等は伏せての話をさせて頂きます。
具体的なデータを教えて頂いたわけですが、そのデータに名前や個人情報は無くとも、相手がある事なので、ご容赦ください。

妻「やっぱり学業の遅れとかはありますよね?」

部「うーん。そこは個人によるとしか言えないです。今現在、お元気で全ての手術を終えて過ごされている患者さんをパッと見る限り本当にそんな病気があるのかな?という感じです。30人横1列に並んでもらって、この中で同じ症例の方がいます。と言われても判断つかないほど、見た感じは普通ですよ。1例ですけど、普通のクラスとそうではないクラスの割合で言うと…普通が3人。そうではないクラスは2名ですが、この2名の内、1名は普通クラスの行ったり来たりという形ですね。」

俺「今、現状この病院にかかっている人の最高齢はいくつなんですか?」

部「うちで予後を診させて頂いている方ですと…です。」(ここは伏せさせて頂きます)

俺「ずっと通院と言いますか…手術が全て終わられた方はどれくらいの頻度での通院なんでしょうか?」

部「1番長くて3ヶ月に1度。これより長くなる事はありません。2ヶ月の方もいれば1ヶ月の方もいます。」

俺「平均寿命までは生きれないんですよね?きっと…。

部「先程もお伝えしたのですが、この治療法が確立して30年なので、まだそこはなんともと言うしかないのですが、平均余命が80と仮定するならば…おそらく難しいと思います。」

妻「すいません。現実的な話で申し訳ないんですけど、治療費や医療費はどれくらいなんですか?

部「そこはご安心ください。日本はその点の制度や保障は、手厚いですよ!なので、そこまで金額については、お考えにならなくても大丈夫かな?と思っておいてください。」



部長さんは、淡々と。
しかし、嘘偽りないなとこちらが、感じれる程に伝えてくれた。

私達がネットや難病情報センターで調べた物よりも、現実は数字や様子もかなり良い印象のものだった。

部「今の話を踏まえて、どちらで治療を受けられますか?」

妻「もうそこに関しては、こちらでお願いしたいと思っていました。」

部「わかりました。他に質問等ございますか?」

この時、自分の母は私達の顔を見ていたらしいが、2人とも覚悟が決まった様な。
少し気持ちが晴れた様な。
そんな雰囲気があったそうです。

妻・俺「いえ大丈夫です。ご迷惑をおかけしました。よろしくお願いします。」

これにて、閉幕。

ドクターや看護師さん達は退室し、家族だけ少し残された。

母「え?納得出来んところはどうしてもあるけど2人の顔見たら、凄い理解しとる雰囲気があって、私だけモヤモヤしたわー笑 でもそうね。2人が決めることじゃもんね」

俺「いやほんまに母さんを殺人者に出来るかーい笑 でも俺達が腹に据えとる事を代わりに言うてくれてありがとう」
母「私が1番よく分かってないけよく分かってないからこそ、ガンガン言えるんかなって思った。妻ちゃん!今度先生に会ったら「あの時は感情的になってすいませんでした!」って言うといて!笑」

妻「分かりました。言うときます笑 でも、お義母さんが色々と言ってくれてありがたいですけどちょっと怖かったですよー笑」

母「ほんま?ごめんねぇ笑」

俺「でも…そうねぇ。賭けるしかないね。この子に。」

妻「そうねぇ」

とお腹をさする。

私達は積極的な治療を望んでいなかった。

しかし、現実問題で法律が許さず。

言い方はとても悪いですが、

「産まざるを得ない」

そして

「治療せざるを得ない」

という結論でした。

加えて、更にひどい言い方をするならば

「生かされなくてはならない」という事である。

しかも、多くの時間関わる我らの思いは…。

と親として有るまじき部分まで堕ちて、考えた。

それほどまでに生きた心地がせず、鬱になってるのが、自覚出来るほど、指摘されるほどに、心を病んだ。

しかし、改めさせてください。

親とは愛とは凄いということを。

逆に私は選択肢が1つになって、凄く安心したのを覚えています。

私を子供を助けない選択肢を心に決めていた。

それは、無理となれば、親にならざるを得ない。

その人殺しの業を背負って生きていくと思っていた。

しかし、我が子が。

法律が。

心を救ってくれた。

我が子が大きくなったとて、「君は仕方なく産まれたんだよ」なんて思わないし言えない事だろう。

本当は、我が子に会いたくて会いたくて仕方なかったのだから。

そんな根底にある気持ちを拾い上げて、業を背負わずに済んだ。

気持ちが180度ひっくり返り、今まで思っていた感情が凄く恥ずかしく、自己嫌悪であったが、本当に救われた。

ここからは気持ち切り替えて、本当はあった「望んで産まれて来てくれる子」となった。

何を今更!
でも結局、子供を見限ろうとしていたくせに!

なんて言われても一向に構わない。

それは、良い判断・悪い判断だったとして、本気で24時間大切な我が子の事を考えて考えて考えた結果だからだ。

普通に産まれて普通に幸せな家庭には、すいませんが、わからない感覚だと思います。

推し量る事は、出来ても同じ環境でない限り、この壁を超えることも、同じ領域で考えることは難しいと思います。

だから叩かれたとしても、その時、私は本当にそう思っていたのは事実です。

でも、神は壁は越えられる人にしか与えられない。

なんて言葉がありますが、僕と妻のこの大きな心の壁を乗り越えさせてくれたのは

神でも無ければ、仏でも無く

親でも無ければ、ドクターでも無く

我が子でした。

両親に業を背負わせない選択を与えてくれてありがとう。

君は産まれる前から、親孝行な息子だよ。