左心低形成症候群ってご存知ですか?

お腹の中の赤ちゃんが先天性心疾患の左心低形成症候群という指定難病なので、ブログを始めた新米パパ

まちぼうけ

2025-01-06 17:06:37 | 日記
その日は、手術も朝イチと言われていたので、公共交通機関を使って9:00までに病院へ。

子供のいるNICUの待合室に通される。

1人でソワソワと待つというのもそうだが、我が子の事となると「代われるなら代わってあげたい」という気持ちにより一層なる。

前日に手術の内容やリスク等の説明もされ、同意書にサインはしている。

説明の段階でパーセンテージを出してくれたりしてるが、不安は拭い切れない物である。

9時前になると、担当のドクターから

「あっ!すいません!急患が入りまして…1時間ほど遅れての開始にさせて下さい!」と言われた。

まさにドラマでしか中々聞かないような「急患」というワード。

早く終わらせてくれぇ!という気持ちと処置すればリスクあるから少しでもゆっくりと!という気持ちのせめぎ合いが起こる。

この1時間は思ったよりあっという間に過ぎるものだ。

10:00になり、看護師さんから「お待たせしました。お父さん一緒にお願いします!」と言われ、保育器に入れられ、意識があるならないやら分からない我が子の横に、付き添ってあるいて、カテーテル処置を行う部屋に向かう。

カテーテル処置の部屋に着くと

中にいる看護師さんに

患者の名前

手術の内容

どこからカテーテルを入れるか

という質問をされた。

ちゃんと説明されているかの確認だったのだろう。

看護師さんに「お名前は?」と聞かれた時に「私の名前ですか?」とナチュラルポンをカマしたのは、ご愛嬌。

待合室で2時間半ほど待ったであろうか。

この階の待合室は、照明もやや薄暗く、まるで取り調べでもされるのだろうか?といった感じの待合室であった。

2時間半が経過したくらいに看護師さんに呼ばれ、ドクターの元へ。

処置は上手くいったとの事。

「ありがとうございます」と感謝を述べ、安心する。

穴を開けた所は、かなり壁が分厚く、感じたことないくらい「あっ。開いたな。」という手応えを感じたそうだ。

とりあえず、本命の両側肺動脈絞扼術に向けて、繋ぎという意味で言えば、しっかりと出来たと思います。

の言葉に安堵したが、「今回はあくまで繋ぎなんだもんな…」とも思った。

逆に言えば、そこが分厚かったので、循環が上手く回らずに体のサイズであったり、心臓の事に繋がったことも考えれますよね。

とも言われた。

しかし症例の少ない病気なので、そういうパターンもあるのか、こういうパターンが多いのかもまだまだわからない。

説明を受けた後は、また待合室で少し待ち、子供と一緒にNICUへ戻る。

この日は、妻と子供の面会も程々にしていたが、本命の第1回目の手術の日程も決まっていた。

金曜だと。

この子が産まれたのは月曜日。

水曜日にカテーテルして、金曜日に両側肺動脈絞扼術。

なんてハードスケジュール。

普通に暮らしている成人でもこんなに短期スパンで手術なりを受けることもないだろう。

覚悟をしていたから、すんなりと受け入れられるし、なんなら本命2回目の手術が1番難しいと言われているから

「大丈夫。大丈夫。」と自分と妻に言い聞かせ、当日を待つことにした。

翌日も面会に行き、手術当日は朝イチの9時からと告げられた。

そして、結構時間もかかると。

ソワソワなのかザワザワなのかとにかく、良いメンタルでは、過ごせないけれど、私達は医療を。ドクターを。そして子供本人を信じる他ないが、項垂れている時間もなく、その日を迎える。

乱高下

2025-01-04 17:10:16 | 日記
遅くなってごめんなさい。

息子が産まれて、妻が無事に手術が終わり、一夜が明けた。

出産が終わってからは、妻は自分の体のダメージと向き合いながら、退院に向けても短い時間の間で整えていく。

退院まで6日間。

女性って…母親ってすげぇなぁ…。

6日で整うわけも、完全に回復する訳もないのだから、こうなれば夫の出番ですな!!!

子供の面会時間はご時世柄・季節柄13:00~15:00の間と言われた。

しかし妻は入院しているので朝から夜の8時まで自由に来れますとのこと。

子供に関わりたいと思う私は、「パパにも優しぃしてくれぇ」と千鳥のノブばりの心の声。

でも、大事なのは我が子が元気かどうか。

そして、最初の手術に向けての準備ですね。

出産の翌日に、子供の面会へ。

NICUに行くとちょうどドクターが子供を診てくれていた。

両目にガーゼをしていて芸人みたいな姿の子供がいてびっくりした。

ドクターが「あっ!お父さん!改めましてご出産おめでとうございます。今ですね黄疸が朝から出てましてその治療で紫外線を当てさせて貰ってました。」との事。

俺「あぁ!そうなんですね!びっくりしました笑 ありがとうございます

ド「それとですね。昨日産まれて1日経過したんですけど、肺の方が普通の赤ちゃんでしたら産まれてくると自分の呼吸で徐々に広がっていくって説明を受けられましたよね?」

俺「はい。聞いてました。」

ド「それで1日観させて頂いてたんですけど、左の肺がペチャっと潰れてて広がってこないんですね。なので、口から呼吸器を入れて、呼吸をアシストする形をとらせてもらってます」との事。

心肺機能と1つの言葉であるように、心臓だけじゃなくて肺にもそういう弱さが出ちゃうのかーと思いつつ

俺「そうなんですね…。ありがとうございます。これは年齢とともに治ったりとかするもんですか?」と聞く。

ド「年齢によって改善される事もあります。ただ現状の呼吸がしんどいと心臓にも負担が来てしまいます。心臓にフォーカスを当てつつになりますが、しんどくなっちゃう要因は回避して来るべき手術に備えて行くのが良いかなと判断させて頂きました。」

正直、この時に話した先生めちゃくちゃええんですよ。

話し方も丁寧で、なんというか雰囲気的に子供好きそうなものがあって個人的に話がしやすい方です。

俺「そうなんですね。ありがとうございます。」

とは言え、心臓がまともではない状態で、肺もちゃんと現状きっちりとは機能していないと聞くとショックがあった。

しかしそれは、普通に元気をプラスマイナスで0とすると、心臓の事で気持ちはマイナス10になってる所に肺の事でマイナス値が少し増えて、マイナス15になった感じなので、めちゃくちゃ落ち込むとかよりも、じんわりと理解して噛み砕いて受け入れる他なかった。

その後は、妻にも同様の説明がされた。

次に、メイン手術1回目に向けての説明…となる前に、1つ壁が立ち塞がった。

それは、心房中隔に普通は空いていて、血液の循環を回しているその空間が極めて小さいとの事だった。

簡単に言うと、

ペットボトルを想像してください。

ペットボトルの飲み口を開けて、常に蛇口から水を入れます。

ペットボトルのおしりに小さな穴を開けるとします。

その時、ペットボトルのおしりの穴が小さいとそこから出る水は少ししか出なくて、飲み口から溢れますよね?

という状態が心臓で起きてます。

良いことでは無いことは想像出来ると思います。

良くないんです〜笑

だから、敢えて心臓に穴を開けます。

血液循環のために。

赤ちゃんでたまに、心房中隔欠損症という、心臓に穴が空いて産まれてしまう子がいます。

それの逆パターンですね。

何が悪いって、欠損症は経過観察で、成長の過程で治る事もあること。

うちの子は、穴を造る。

これは成長で穴が広がるのを待ったりする時間がないと言うこと。

産まれて2日目で、分かっていたことだが、本当に普通じゃない。

我が子が、うちの子と同じ病気だった親達はこんなに辛く、虚しく、なんとも言えない喪失感と戦いながら、子供に愛情と希望を注いでいるのかと思うと、本当に頭が上がらないと思った。

そして、ドクターからカテーテル手術をします。と話を受ける。

何がすごいってこのカテーテル手術がメイン手術ではなく、メイン手術に向けての準備の1つなのだからすごい。

もはや壮絶である。

産まれながらに、色んなチューブが繋がれ、口に呼吸がされている。

顔の半分が見えないと言っても過言では無い。

手や足にももちろんテープがされ、上半身と下半身でそれぞれ、spo2が常時測定されている。

動くと正常に測定されないから、足も固定されている。

産まれているが、尊厳とは…と少し考えてしまう事もあったが、私達はこの子に賭けると決めたから。

そして、親のエゴを押し付けられたこの子は、辛いことが沢山待ち受けているんだよなぁ。と思わない日は、10月中頃から今日に至るまで、無かった。

自分が死ぬまで、思い続けるだろう。

でも、それを凌駕するくらい自分で自分の存在意義や幸せを作って感じてくれたらいいなと思うし願うばかり。

そして、その穴を開けるべくところの心臓の壁がどうもぶ厚い様に思います。

カテーテルで開かなければ、最初の開胸術の時に開けて、メイン手術に同時に臨むかもしれないですとの事。

重い。

ドラマやテレビで聞くような言葉が、こんなに連日で畳み掛けるように、耳に届くことがあるのだろうか。

事実は小説よりも奇なり。

本当にこれに尽きる。

俺「そのカテーテルはいつするんですか?」

ド「明日の10:00に行います。」

との事だった。

妻は出産が済んですぐなので、当日は、自分が1人で、カテーテル手術の待合や説明を聞いたりとをする様になった。

その日は、子供の面会の時に、普通よりも小さく産まれたその体躯を見ながら、触れてもいい部分の手を掴み、エールを送るしか出来なかった。

まだ、自分が産まれたことも気付かす。

自分が人であるかもわからず。

自分の自我を持つまでにいっていない存在。

でも、その存在に意味を持たせて感じるのが親。

私も、親になったのだなと改めて感じ、「落ち着く日は来るのだろうか…」と一抹の不安を抱えて、その日は、病院を後にするのであった。