左心低形成症候群ってご存知ですか?

お腹の中の赤ちゃんが先天性心疾患の左心低形成症候群という指定難病なので、ブログを始めた新米パパ

齟齬

2024-11-11 12:29:24 | 日記
この3日間はめちゃくちゃ時間の経過が早く感じた。

思いが理解されるかはわからないけど早く伝えたいとさえ思っていた。

吐き出すことで、自分が軽くなれると本当に思っていた。

そしてXday。

妻の個室に面会に向かい、少し話をした。

気持ちはお互いに何も変わっておらず、なんならより強固な気持ちになっていた。

産まれてからの「普通」を思うと…。
うん。

私は以前も書いたが、介護の仕事をしている。

色んな介護の分野があるが、私は高齢者介護をしている。

お金を貰ってお仕事をしていて、ご家族さんから見ればプロと思われる存在かもしれないが、それ以前に仕事をしていても人なのである。

私も利用者さんも。

時々思うことがあるのだ。

寝たきりで、本当に言葉を発すること無く、ご飯を食べる事は出来て、排泄する事が出来て、眠ることが出来て、声掛けに反応はほとんどない利用者さんも世の中にはいるわけで、そういった方々に思ってはいけないが思ってしまう事がある。

何が楽しみなのだろうかと。

これは普通が行えていないからこそ抱く感情だと思う。

別にこの思いで、私自身が叩かれるとしても、それは仕方ないなと思っているから自由に怒ってもらっても大丈夫です!

ただ、私ほど毎日利用者さん全員が1回でも笑ってくれるように関わるぞ!という思いを10年以上抱いてる人がいるなら是非、手を挙げて頂きたいくらい自分の中では、楽しさと笑顔を引き出すことが、自分の介護という仕事の矜持だと感じている。

その中で、自分の力不足で、笑顔を作ってあげられない。

その虚無感もとても悲しい物だ。

仕事だけでは無い。

自分が笑って利用者さんが笑って家族さんが笑ってっていうのが、1番綺麗じゃないですか?

それが叶うかどうかは別として、目指すのは勝手でしょ!?ってのは、常日頃意識している。

話を戻します。

上記の様に、関わる皆が笑っているかどうかが、自分の価値観なのである。

この子は産まれて、常に笑えているだろうか?
私達夫婦も、笑顔になれるように、子供に関わり続けれるだろうか?
そんな事を考えると絶対大丈夫!と思う理想はあれど、現実は。

福祉で働いているからこそリアルを見てきたからこそバカ正直に現実的に考えてしまっていた。

その点は妻の方がリアルで、妻は幼少期に入院生活も長く、病院で約1年ほど過ごしている期間があったそうだ。

そして、仕事は放課後デイサービスで、障害のある子供達に関わる仕事をしている。

私よりよっぽど、今後の我が子の事を想像を現実的にしていただろうと思う。

その中での思いなのだ。
強いし固い意志なのだ。
ずんだもんなのだ。

すいません。
なのだ。が続いたのでつい笑

そして、程なくして産科の担当医さんが来てくれた。

そこで、手術と入院は、今のままここでお願いしたい事を伝えた。

そして。

「生まれてから積極的に治療しない選択肢はありますか?」と伝えた。

一瞬、担当医の方の顔も驚いた様な表情を見せていた。

「なる…ほどですね。ちょっとそれに関しては、私1人での判断はできないです。上の人や他の科の先生方にも聞いてみないと…。でも一旦、そういう考えもお持ちという事は、わかりました。返事はすぐじゃないかもしれないですけど、聞いてみますね!」

怒って何か言われるんじゃないかと思っていた。
伝えられたことにほっと安堵した。

2人して「言ったね…。」という空気があった。

返事はどうなるかわからないけど待とう。

と思っていた。

10分程したら、担当医の先生が、部屋に来てこう告げられた。

「産科の上の人に聞きましたが、それは難しいようです。治療法が全くないわけではなく、絶対大丈夫とは言えないものの、治療法が確立されつつあります。また、こういう部分はとても難しく、医療ネグレクトと言われたりする部分もあります。ましてや中絶が出来る21週と6日を過ぎているので、胎児にも人権があります。なので、お2人の考えが通ることは、難しいと思うんです」と。

やっぱりそうかー。と思える自分と、産まれた後のリアルを見るのはこっちだぞ。
この子が普通の幸せを送れない場合の責任はどうなるんだなど、行き場のない怒りが脳内を駆け巡る。

その後は、担当医の先生が、何故そういう思いに辿り着いたかを聞いてこられたので、素直に話をした。

予後があまり良くないこと。
普通とは違うこと。
走ることは難しいでしょうということは、夢や未来の選択肢を狭めて生きていくこと。
など、あげればキリが無いほどの不安要素を伝えた。

その思いも聞いてもらって、

また産科だけではなく、関わる小児循環器の先生方とも時間を合わせて、また後日話をする時間を設けてもらえるようになった。

しかし、売り言葉に買い言葉ではないが、医療と福祉の対立を心の底で感じており、ふつふつと怒りを抱いていくのであった。

朝は来るから

2024-11-07 16:58:54 | 日記
誰にだってどんな場所でだって平等な事がある。

それは時間だろう。

時の流れだけは体感が早いか遅いかだけで皆同じ時に息をしている。

その日の夜は不思議なことに、よく眠れた。

妻とラインでやり取りをする。

お互いに「思ったより眠れた」

そんな感想だった。

私は告げられた翌日に夜勤だった。

正直こんな気持ちで、仕事が手につくわけもないのだが、世の中生きていくにはなんにせよお金という物が必要なものである。

生きるのにもお金が要り、死ぬのにもお金が要る。

とある漫画で「金は命よりも重い 」という言葉があるが、あながち間違いではないのかもしれない。

人が通貨というものを作ったが為にその価値は無限大にある。

いっその事、大根3本と豚肉200グラムと交換の様に物々交換のようにすれば、日本の自給率も上がるだろうに。

石のお金作った人に今を見てもらいたいものである。

しかし、ボヤいていても時間は過ぎる。

本当によく眠れる。

頭が疲れていたのかな?

夜勤までこんなに寝れる事も珍しいなと思いつつ、夜勤に向かう。

夜の間に自分の部署の皆が自分の現状を知ってもらった方が良いだろうと思い、皆が閲覧するファイルへ紙を綴じる。

夜勤中は凄く情緒が不安定だった。

今後、職場の皆さんに急に休みを貰ったりなど迷惑をかけてしまうのも目に見えていた。

何よりこれは本当に現実なのか?とまだ若干疑っている自分もいた。

私は介護の仕事をしていて、入居者の中には「昨日、どうだったの?」と聞いてくれる優しい入居者もいた。

その度に嘘偽りなく説明し、流しても流しても枯れることのない涙が流れた。

そして入居者の何名かも共に泣いてくれた。

私自身が私自身を客観的に見れていた部分もあった。

妻に左心低形成症候群の疑惑を持ちかけられた時から、あまり笑えなくなっていた。

そして話すこと笑うことが大好きな私の声が、部署からほとんど消えていた事にも気付いていた。

ありがたい事に、他のスタッフは優しく、私の置かれている状況を理解して、どう声をかけていいやら…と思いつつも暖かい声をかけてくれていた。

とてもありがたい。

その度に、何か自分の中の違和感を感じていた。

とてもありがたいのだが、声をかけて欲しくない自分と人と関わって少しでも気を紛れさせたい自分がこの時はいたのを、はっきりと覚えている。

上手く笑えず、顔の筋肉が固くなり、声を出さず家でも静寂の中で数日過ごしていた。

仕事が終わると18:30。

家に帰ると19:00頃。

幸い食事と睡眠だけは欠かさずに!と思っていたのでそこだけはなんとか大丈夫だった。

こんな時にも、食欲あるなんて大したもんだななんて時折、心の中で自分自身を褒めた。

そしてシャワーを浴びて21:00頃には、眠る。

そんな、生活をしていた。

起きているとろくな事を考えないと思っていた。

その間も、妻とのやり取りをしていた。

もう病院は今のところにという、話で纏まっていた。

3日後に決断を言うのはここの部分だけなのだが、私達はその先を想像していた。

今となってはとても、恥ずべき感覚だったかもしれないが、本当に当たり前と幸せを考えて考えて考えて考えた末に辿り着いた疑問点。

「積極的な治療をしないという選択肢はありますか?」と。

そう。
愛しいまだ姿を見ぬ我が子。

病気のことを調べて書いてある物を見る。

あまりにも切なく、あまりにも残酷で、あまりにも現実的な文章の羅列を見て、胸が張り裂ける思いであった。

私達夫婦はその選択肢が選べるなら、我が子の命を守らず、この子が自分の心臓で、自分の呼吸で、自分だけの力で生きている。
まだ自分が何者かもわからず、親の顔もわからず、ギリギリは苦しむかもしれないけれど、生き長らえて、他の人とは違う自分。
当たり前が当たり前じゃない世界に住まう住人。
そこから生まれる葛藤と苛立ちなど、色々なことを思うと、自分たち夫婦だけが、この命を見届けて、業を背負って生きようと本当に思った。

本当に罪深い話だと思う。

結論から言えば、それは出来なかった話なのだが、それは後日書くとして、この時は本当に思っていた。

本当に愛のある親御さんなら「最低だよ!なんで我が子にそんな事思えるんだ!」と言われるだろう。

この選択肢を考えるだけで後ろ指指される事もあるだろう。

しかし、これは紛うことなき現実なのだ。

救ってもらって育てて幸せな景色を見せたいし自分達も見たいと本気で思った。

こういう事を言ってはいけないが、メリット・デメリットはどっちがどうだろうかと。

生きてくれたパターン。

治療を望まなかったパターン。

あまりにも不安要素が多すぎて大きすぎた。

それならいっそ…と思ってしまった。

命はそんなに軽いものでは無いのは、重々承知だが、今この瞬間に、命の重さや普通に生きているその当たり前を自分達夫婦以上に考えている人がいるのか?くらいの気持ちだった。

自分達が当たり前に生きているこの時間、この世界は奇跡なんだと思わされた。

「そんなことあるわけない」は普通にある。

起こります。

だから皆にここで言いたいのは、当たり前や普通に慣れないで欲しい。

自分達で自分達を傷付けたり、愚かなことはしないで欲しいと本当に思う。

自分を含めて、今生きているこの瞬間はきっと誰かが生きたくても生きれなかった時間だと思うから。

私達夫婦は「3日後に自分達の思いを聞いてもらおう」と意志を固めていくのであった。

長い夜

2024-11-03 11:30:45 | 日記
そこからは病室に案内される。

看護師さん達からの勧めもあり、個室で入院をすることとなった。

面会時間はとっくに過ぎていた。
今のご時世柄、感染症のリスクや新生児がいる病棟と言うこともあり、面会時間は13:00-15:00の間で15分と決まってきた。

しかし私達家族は時間が無いのだ。

ましてや産まれてくる子供はレアケース。

週明けまでにここでの出産にするのか隣県に行くのか。

猶予は3日であった。

留まるか動くかだけなら3日もあれば簡単に結論は着くだろう。

しかし、ことが事なのだ。

余りにも大きすぎる話。

次のステップに気持ちがなかなか進まない。

妻と自分の母と自分。

皆が

「なんでうちを選んだのだろう」と前向きには、考えてあげられなかった。
今となってはこれを、申し訳ない感情だと思っています。

病室に案内される前に、何点かの同意書をお願いされた。

その中に「出産後の胎盤を調べても良いか」と言うものがあった。

私は男で初めての出産の経験なので、普通のことだと思っていたのだが、

母が「こんな事聞かれたことないよ〜」と言っていた。

この症例の事について、調べて今後に繋げるという事なのだろうと思った。

病室に案内されてからは、思ったより和やかなムードに、3人がなった。

「いや〜まさかね〜笑」

「思ってた通りになるなんて笑」

といった具合に重い空気をまといながらも、軽妙なトークのラリーは続く。

その中で私が

「どうする?病院を」と聞くと

妻は

「ここにするよ。隣県は現実的ではない。遠くなるしそれだけ子供に会う時間も短くなるし、何かあった時に自分がそこまで行ける気がしない」との事。

妻は私のとこに嫁いできてくれて免許を取ったという形なので、運転初心者だったのだ。

そこには本人も一抹の不安があったのだろう。

しかし、遠くなると自分達の負担が大きくなるのは一目瞭然。

3日という期限どころか3時間もかからない位で結論は出た。

そこからは、ただただ、色々と会話する中での話の消化作業である。

心の準備をさせてくれていた妻には本当に今となっては感謝である。

あの時は、不安を煽られる形になったが笑

想像してたことは簡単に現実にならないと思っていたがなったんだな〜と思っていた。

そこからは少し、気を利かせてくれて、夫婦2人にしてくれた。

そこで思いが弾けた。

2人して今日何度目だろうか。涙するのは。

その中でも1番泣いた。

気丈に振舞っていた妻が。

私ももちろん泣いた。

しかし、私よりも自分のお腹にいた妻は耐え難き、忍び難き気持ちであろう。

私は近づいて背中を撫でることしか出来ず。

妻は、固く私のシャツを握りしめていた。

少しの時間を頂き、今日は一旦帰ろう。

各々の気持ちを整理するためにも。

皆がそれぞれ思い思いの夜を過ごす事になると思うが、

いい気持ちで朝を迎えることは無いことは容易く想像出来ていた。

ここから私達夫婦はどうなるのだろう。

そしてこの家族はどうなるのだろう。

子供が出来れば人生は変わるものだと思うが、あまりにも変わりすぎである。

そして、夜は更に更けていく。

夢と現

2024-10-26 23:25:30 | 日記
沈黙が続いた。

時間にして1分~2分あるかないかだったと思う。

言葉に表せないほど重い空気に晒されて、時間もどれほど経ったかわからない。

ドクターは沈黙を破った。

「手術の手順と言いますか、どの様な手術を行うか説明しますね。」

まずは二心室と単心室という2つの種類があると。

二心室の方がより心臓に近い。

単心室の方は読んで字の如く、心室を1つのみなので、本来の心臓の形とは違う。

しかし、両方ともに言えるのは、そもそも息子の心臓は普通の心臓に比べるとパワーがとても弱いのだ。

「これが非常に難しくて二心室を取りたいんです。でも二心室を目指すからと言ってやっぱり難しそうだ!ギリギリまで二心室を引っ張ったせいで単心室に切り替えようとした時には、単心室に切り替えた方がリスクが高いこともあります。なので非常に見極めが難しい手術でもあります。

ノーウッド手術の事。
人工の動脈みたいな物が入ること。
フォンタン手術のこと。
一定の年齢までに4回の手術を行うこと。
その手術にはそれぞれ条件があり、心臓のサイズやパワーなどクリアしないと出来ないこと。
4回の手術を全て行えずに亡くなる子供もいるのが現実であること。

言葉が出ない。

妻が口を開く。

「成功率とかはどうなんですか?」

私よりも冷静に現実をみていた。

ドクターは答える。

「そもそも症例数が少ない病気でうちでも1年に1件あるかどうかです。何件も連続で成功した時もありますが、さっきも言いました様に症例数の母数が少ないので、1件亡くなってしまうと成功確率という話になると一気に減少してしまいます。症例をたくさん扱っている病院だと成功確率が高いです。ただ平均すると70~80%ほどでしょうか。」

70~80%。
死ぬ確率が20~30%もあるのか。

自分の母が続ける。

「全部手術が成功したら普通に生活できるのか?」

ドクターは答える。

「普通をどう考えるかですが、それは難しいと思います。

妻は聞く。

「日常生活が普通に行えたりとかは?」

ドクターは答える。

「手術が4回成功しても走ることは難しいでしょう」

私も聞く。

「寿命はどれくらいなんですか?」

ドクターは答える。

「平均寿命よりはどうしても短いです。」

何を聞いていいのか。

何を聞けば良いのか。

頭が一気に脳みそではなく、スポンジに変わってしまったのかと思うくらい声が出ない。

ドクターは続ける。

「なので、選択をしてもらわないといけません。うちで手術をするのか。隣県にある病院だとうちよりも成功確率も高く、この症例も多く扱ったところがあります。どちらで手術と治療を受けられるかを選んでもらいたいです。」

思考が追い付かない。

妻は聞く。

「答えは早い方がいいんですか?」

ドクターは答える。

「早い方がいいです。週数が進んでいますし、遅くなればなるだけリスクも高くなる部分もあります。なので今週はしっかりとご家族さんで話し合ってもらって…そうですね。週明けとかに返事をもらえればと思います。」

まるで人の気持ちを考えてないかのように淡々と伝えてくる。

しかし、医者という仕事は激務なのは、想像は出来る。

このドクターにも私たち以外にもたくさん抱えている患者さんがいるのもわかる。

私達家族は私達家族を大切にして欲しいと思う。

しかし言い方を悪く言えば、ドクターからすれば症例に難しさ等はあれど、最善を尽くすだけ。

何人の内の1人の患者なのだ。

しかし怒りなどは出てこない。

今の現状を受け入れるので精一杯。

しかし、現状をすぐに受け入れるほど、簡単な話でもない。

両の手のひらで水をすくう形を作り、そこに水を上からかけられると、多少はすくえるが、多くが零れ落ちてしまう。

かろうじて涙は出なかったが、悲しみや悲痛と言った感情は、堪えきれず。

虚無感。
虚無感。
圧倒的な虚無感。

思考が止まる。

誰か分かるなら最適解を教えてくれよ。

何故。

よりによって。

うちの子なのだと。

色んなマイナス感情が湧き上がるばかりであった。




2024.10.10

2024-10-24 22:59:42 | 日記
ついに転院の日を迎えた。

一抹の不安を抱えたまま。

思ったよりも寝れたので良かった。

この日は自分の母も転院なので、荷物が多いとの事で、手伝ってくれる運びとなっていた。

まずは実家に母を迎えに行く。

母「寝れたー?」

俺「今日ありがとねー!思ったより寝れたー」

母「良かったじゃん!でも東広島からこっちの方の病院やけ遠くなるねー」

俺「そうなんよー。てかさ妻ちゃんが怖いこと言うてくるんよー笑

と言い、例の画像と病名を伝える。

母「なんか怖いねー。まぁ大丈夫よ!なんとなく!」

10月入ってからは天気もなかなかぐずついていたが、この日はめちゃくちゃ晴れてて気分も晴れやかでいい事が起こりそうな予感がしていた。

私自身も「まぁ無さそう!いけるいける」と楽観的だった。

お昼頃に着いて、妻の転院の準備や軽くご飯の調達などを済ます。

妻は救急車で運ばれる。

VIPかな????笑

私たちは自家用車で後ろを着いていくもルートが違ったので、別ルートで向かった。

転院先の病院に着くと、まずは胎児エコー。

何人の産科の先生が見るねん笑

おそらく東広島の病院から、情報も回っているからだろう。

産科の部長を始め、少なくとも6人は確認できた。

研修医らしき人もいた。

私の横の方で耳馴染みなさすぎる英語や英語の略称(ASMRみたいなやつ)が飛び交う。

なんのこっちゃわからん。

しかし、沈黙の中の診察ではなく、なんとも和やかな雰囲気である。

「お?大丈夫そうか?取り越し苦労か?」と少し安心した。

そこで30分ほど診てもらい、次は胎児の循環器のエコーだと言われる。

んんんん???

エコーと言うからこれで終わりなのかと思ったら!?

循環器のエコーとな!?!?

心臓をより詳しく見ます的な!?!?

最初からそこで良かったのでは!?と思いつつも、色々とあるのだろう。

うちの子は今の現段階で、逆子が直らずに帝王切開が濃厚であった。

そして成長曲線も見たりしていたのだ。

いわゆる産むまでは産科で仮に何かあれば、そこから先は産科ではなく、心臓とか循環器のドクターのお仕事なのだ。

私みたいにズブの素人で、妻ほどでは無いにしろ、毎日の仕事と洗濯物の持っていったり帰ったりとで、明らかにリズムを狂わされていた。

そこに加えて、不安要素も隠し味で追加しときました〜ってね!

やかましいわ。どんな料理研究家やねん。

そして心臓のエコーは妻のみで、20~30分ほど時間が経過しただろう。

私と私の母が呼ばれ、診察室の中へ。

そして、どうやら小児循環器の部長さんが説明してくれる様子だった。

診察室には
産科の部長
小児循環器の部長
そして記録をしてくれる循環器のドクター
と中々のメンツがそこにはいた。

小児循環器の部長さんが口を開く。

「週数がだいぶ進んでいたので、心臓を直接見る形ではなく、肋骨が出来てきつつあるので、その隙間から心臓を診させてもらいました。そして診断確定とは言い切れませんが、様々な角度から診て、総合的に判断させてもらいました。」

そして心臓のイラストが描いてある紙を用意され、

普通の血液や酸素の流れ。

それぞれの動脈や血管や心臓の4つの部屋のそれぞれの役割。

やめてくれ。

めちゃくちゃドキドキする。

もう頷くしか出来ねぇ。

人口密度のせいなのかめちゃくちゃ暑い。

通常の心臓の説明を一通り聞いた。

「次にですね。赤ちゃんの心臓の動きはですね」
と普通の心臓が描いてあるイラストに修正テープを施して、我が子の心臓の動きや何がどうなのか説明をされる。

修正テープが施されるということは、普通では無いというのは想像に難しくない。

そこで3つ言われた。

「大動脈縮搾」
「僧帽弁狭窄症」
「左心低形成」

ん????


左心低形成と言うたな????

後に調べて分かったことだが、左心低形成(心臓の左心室が通常と比べて小さい)だけでこの左心低形成症候群という名前では無いらしく、上記の3つないし2つが伴う事で症候群となり「左心低形成症候群」と名前になるそうです。

違ってたらごめんね❤

3つの状態を言われた時に

これが絶句なのだと生まれて初めて感じた。

声が喉から出てこないとかでは無い。

声や言葉そのものが、脳みそにすら浮かばないのだ。

頷くことが精一杯。

なんなら、事前に調べていた。

心の準備が出来ていた。

妻に感謝すべきなのだろうか。

私は、涙腺を締める為に、何も無い診察室の天井を一瞬見上げ、煌々と光る電灯すら恨めしくも感じた。

重苦しい空気。

すごい。

何だこの空気は。

えぐい。

えぐすぎる。

夢なら。

悪夢なら早く覚めてくれよ。