遅筆ですいません。
書いていきます。
11月22日AM9:00
子供が手術へと向かった。
今回はメインの手術の1回目。
まだここを乗り越えたとて3回手術が残っており、2回目の手術が成功率もメインの手術の中では難しい物となっている。
赤ちゃんは産まれてすぐは肌の色も肌色というよりも赤黒い感じだが、息子は心肺機能の関係もあり周りの子と比べても更に赤黒い様に思っていた。
この日の手術時間は2時間~3時間と聞いていた。
9時に手術室へ行ったので、昼頃には終わる計算になる。
私は妻の個室で、妻共々手術の結果を待つ事に。
妻も看護師さんから「もうそんなに動けるの!?」と驚かれるほど回復が早いようだった。
きっと子供の事を思って、自分はしっかりしなきゃという母としての自覚の芽生えと思いもあったと今は思っています。
時折、処置があるので、看護師さんから個室から出て待合で待っててくださいと言われることもあったりしたが、基本は妻と一緒にいられた。
手術に関しての話はあまり口にせず。
ただ、信じるしかないのである。
テレビを見て「退院したらこの店気になるね」などたわいない会話をしたり、朝も早かったりしたので、座ったまま少しウトウトしたりとして過ごしていた。
よく子供が大変な手術を受けてるのに寝れますね!?なんて思われるかもしれませんが、私としてはここは通過点であると思っています。
最悪死ぬことは重々承知の助。
ただ、親が信じてないと運なんて向いてくれないでしょうよ。
そう思ってるから過剰に不安にならずに信じるのみだったのです。
いつの間にやら12:00を過ぎていた。
妻から「遅いね〜?」と言われる。
「手術の前に麻酔とかの時間もあるけんさ。カテーテルの時でも前後1時間くらいは多めにみてください的なこと言うてたよ」と伝える。
そうだよね。
信じなきゃだけど、約束の時間を過ぎると「何かあったんじゃないかな!?」ってのはずっっと胸にあった。
そして時は進む。
13:00。
連絡なし。
14:00。
連絡なし。
いやいや。マジかよ。胸が締め付けられる思いとは正に今。
代わってあげれるなら本当に代わってあげたい。
全く連絡が無いのも怖い。
それでも待つしかない。
15:00。
連絡なし。
不思議とこの辺から夫婦間で「なんか大丈夫そう」という謎の共通認識があった。
16:00。
連絡なし。
17:15。
コンコン。
妻の個室をノックされた。
「失礼します」と心臓外科のドクターが手術着のまま入ってきた。
「えー。遅くなってすいません。麻酔の時間とあとは手術後の検査等でかなり時間を頂きました。手術の方はなんとかなりました。ただこれからが本番です。これからは身体を大きくしてもらって、今は2キロあるかないかくらいなので、少しでも大きくなってもらいましょう」と言い、ドクターは病室を後にした。
ドクターが出て行った後に妻と顔を見合わせて泣きながら抱き合った。
一抹の不安からの解放と安心感から本当にホッとした。
人間とはチョロいもので成功したから「大丈夫だと思ってた〜ww」みたいな事もいうもんだ。
言うたのは私ですがね。
今日からはICUにて、呼吸管理もしつつ胸が開きっぱなしなので管理されつつ治療をしてもらうそうだ。
2日間くらい胸を開きっぱなしにして、バンドが緩まないか締まりすぎてないかを見るらしい。
一旦閉じてやっぱりバンドの具合が悪くてまた開胸してだと感染症やリスクも上がるので、敢えて開きっぱなしにするとの事。
医療ってすげぇ。
報告を受けてから18:00を過ぎた時に少しだけ子供に会えるとの事だった。
薬で眠らされている。
痛みで声を出したりすると負担がかかるからである。
産まれてすぐ産声を上げる赤ちゃん。
それが当たり前だが、うちの子供はそれもリスクがあるのである。
改めて、色々と思わされる。
胸を見ると、痛々しい胸の傷があり、その中にガーゼの様な物が挟まってその上にテープで保護されている形。
写真は載せないしおそらく載せれないと思うので、伝われ俺の脳内!!!笑
おびただしい数の薬のチューブが繋がれ、尿管も繋がれ、言い方は凄く悪いが「生かされている」「管理されている」状態。
それでも、子供が呼吸器をしたままだが、呼吸して胸が動いている。
それだけで、凄く嬉しいのである。
親になると価値観が本当に変わるものだ。
いや変わらざるを得ないのである。
産まれて1週間足らず。
闘病が本格的に始まった気がした。
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