ポングリびっくりチンドンポン遊記

●絵描、裁縫、木工、廃材アーティスト、楽器弾き。

「忘却の作法」って???

2021年07月11日 01時52分00秒 | ポングリの個展
今月末から東京で開催する個展

「忘却の作法」

は、ある意味自分のここ最近行ってきた個展のひとまず最終章ではないかと思っている。(もう個展やらないって意味ではないです)

ここ3年で描いてきた絵は「記憶」の「覚え書き」であり、あった出来事や思い出した事を忘れないように描きとめている感覚でした。

忘れないようにするんだったら日記でいいやん。って思ったりもする矛盾も自分の中であったのですが、それは「記憶」しておくのではなくて「忘却」する為のメモだったのだと最近感じています。

おそらく自分にとっての「自分」と言うのは「記憶」の集合体?みたいなものやと思ってて、死ぬ時にそれが消えてなくなるんやと思う。(この肉体としては)
記憶が曖昧な時の不安ってすごく怖い。

脳の中に隙間が無くなっていくと、やっぱりここぞと言う時に出したい「記憶」が消えていたりしていくのではないかと色んな物事を見て感じてる事があります。

何かをやり始める時のワクワク感や意気込みは余計な本質と関係のない知識の枝葉がそれらを上書きしてしまい、本当に大事な事を忘れてしまうのではないでしょうか?

よく「あそこの会社は初めは良かったのに」とか耳にするのもその現象なんじゃないかと感じます。

そういう人間観察をしていくうちに本当に「記憶力」だけが大事な事なのか疑問をもつようになりました。

初心を忘れる事なく物事を進めていくのは難しい。難しいからって大事な事を忘れたくない。って思った時に「忘却力」と言う言葉に出会ったのです。

そんな色々知識を詰め込んで脳を動かしまくるのならほどよく「忘れる力」をつけた方がいいのではないか?と。

勘違いしがちなのは「忘却」と「損失」の違い。

「忘却」は、一度覚えた事を「損失」するのではなくどこか引き出しに入れておいていつでも出せるようにする。

パソコンで言えばcloudみたいな機能なのかな?

「知識」を「知恵」にかえて容量を減らす。
要らない記憶の枝葉は剪定しておく。

自分は、その行為をずっと絵に描いてやってたのだなって最近になってわかりました。

日記で字に残しておくのではなく、小さい頃に嗅いだニオイで思い出す風景や、懐かしい音楽を聴いて思い出す感情。のような思い出し方。

そうやって残すのが自分のやり方だったみたいです。

忘れないように書き残してたのではなく、忘れるように書き残してたとは!!!

それが自分なりの「忘却の作法」でございます。


忘れないように忘れる。
忘れるために忘れない。

もっともっと自分なりの忘却力をつけて脳に隙間をあけておいて、また新しい事が発見出来たら嬉しいなぁ。


と言う事で東京個展
「忘却の作法」







2021年7月26日〜8月7日から始まります!

場所は cafe nook

東京都渋谷区代々木1-37-3 岩崎ビルB1F

です!

コロナの事もあるし
「是非お越しください!」
と大きな声では言えませんが小さく言っておきます。

今回は
「忘却札」
と言うものを作っております。

これを見たら「忘却しないと!」って事を思い出させてくれると言う何とも辻褄の合わない原画でございます。

使っている紙は1950年代〜1960年代に使われてたハガキです。
いい味です。



チラッと。

ナンバー入り!



活字に書くとなんやらややこしい話なので、いつか誰かとラジオみたいなのやってみたいな。

終。