羚英的随想日記

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■GW 平泉 江刺 鹿踊り情報■

2017-05-01 11:38:07 | 風の吹くまま
ゴールデンウィークが始まりましたね

是非にとお誘いいただき観に行く予定ではいましたが、諸事情により岩手入りが叶わず。
その代わりと言っては何ですが、ここで演舞の詳細をご紹介したいと思います。
SNSなどで既出の情報ではありますが、改めまして。

(情報提供ありがとうございました)



【 春の藤原まつり 2017 鹿踊り公演 @平泉 】 

5/1(月) 行山流舞川鹿子躍
     (11:00~毛越寺、12:30~平泉駅前、14:30~中尊寺本堂前)

5/2(火) 行山流角懸鹿躍
     (10:30~平泉駅前、12:30~毛越寺、14:30~中尊寺本堂前)

5/4(木・祝) 行山流都鳥鹿踊
     (10:30~毛越寺、12:30~平泉駅前、15:00~中尊寺本堂前)



【 江刺甚句まつり 百鹿大群舞 と 礼庭一斉披露 @江刺 】

5/4(木・祝) 百鹿大群舞
     (14:40~おまつり広場前→中町→川原町→六日町)

      礼庭一斉披露
     (16:20~ 各団体が指定場所で演舞)


当日は、それぞれ好い鹿踊り日和になりますように
時間等は前後することもあるそうです。
雨天時など、詳しくは関係各所にご確認下さい。


#鹿踊り #ししおどり
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■横須賀の海へ 春■

2017-03-08 11:11:06 | 風の吹くまま
先月の22日(水)、海も穏やかなようだったので獅子丸に前から誘われていた横須賀に行ってきました。
時々日が差す曇り空。
まだまだ寒さが残る一日でした。

まずは…







海軍カレーで有名なお店でお昼をご馳走してくれました!
なぜか牛乳が付いています…?


調べてみたところ。

明治初期、海軍ではビタミン不足による脚気で命を落とす兵士が多く、それをどうにかしなければと予防する方法が検討され、軍医の高木兼寛(たかぎかねひろ)が当時イギリス海軍で提供されていたカレー風味のビーフシチューに着目。肉や野菜・多くの香辛料が入り栄養に富み脚気防止に効果的と考え、日本の主食の米に会うように小麦粉でとろみをつけて提供。それ以降は脚気が激減したといいます。
その時高木兼寛は、栄養をさらに摂るようにサラダと牛乳を一緒に出すよう推奨していたそうです。


その慣わしなんですね。

今でも海上自衛隊の金曜日のカレーには副菜としてサラダと牛乳もつくそうな。

当時まだ長期保存する技術が発達していなかったために、イギリス海軍は長い航海の間シチューに不可欠な牛乳を保存することが出来ず、インドで香辛料に防腐効果があることを知り、牛乳が入るシチューの代わりに同じ材料で作れるカレー風味のシチュー(ビーフシチューだとのこと)を提供していたそうです。

そうそう!
肝心なカレーの味は…コクがあって美味しかったですよ





横須賀に到着し、まだ時間があったのでヴェルニー公園を少しだけ散策しました。
陸上自衛隊の横須賀地方総監部に停泊している船が見えます。
艦番号101、護衛艦むらさめが見えます。






ここには多くの石碑が並んでいます。
装飾石が剥がされているものもあったけど…。
もしもイデオロギーの相違でされたことだったら何だかなぁと思いますね。






YOKOSUKA軍港めぐり、の遊覧船。
これから乗船します。
獅子丸の招待です!


米軍の空母ロナルド・レーガンはしばらくすると横須賀から離れるとかで、その前に一緒に見に行かない?と獅子丸が言っていたんですが、そのレーガンを遊覧船から眺めるのだとは知らなかったんです(笑)
てっきり地上から遠くのを見るのだとばかり。
平日でしたがツアー客も含めて多くの人が集っていました。





だから海の様子を気にしていたんだーっ(笑)
荒れていたら乗れないものね、そりゃ。
寒いけど画像が撮れるように2階のデッキを陣取りました。






こちらはアメリカ海軍横須賀基地(正式名:横須賀海軍施設)。
艦番号63、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦ステザム。
イージスシステムを搭載した、いわゆるイージス艦です。


ツアーガイドからイージス艦の見分け方を教わりました。
世界共通で、上部構造物?の窓が並んでいる部分の下に八角形の色の薄い板が付いているのがイージス艦。
この画像だと前面にふたつありますね。
これはフェーズドアレイ・レーダーと呼ばれるレーダーだそうで、船体の4面に配置されているそうです。
世界中のイージス艦にこのレーダーが搭載されているのだとか。





潜水艦。
これは日本の海上自衛隊のものだったと思います。
目に見える大きさよりももっともっと大きいそうです。
(当たり前か…笑)






艦番号56、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦ジョン・エス・マッケイン
艦番号54、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦カーチス・ウィルバー
二隻のイージス艦の向うには…






原子力空母ロナルド・レーガン。
赤と白の大きなクレーンがある空母専用埠頭に停泊しています。
全長333m、東京タワーと一緒の長さだけど、その大きさが実感できない!






正面の方から見るロナルド・レーガン。
6000人を収容出来るそうで、中には郵便局、床屋、銀行ATM、教会、病院、スタバなどあり、もうひとつの町ですね。


6年前、この空母は米韓合同演習に向かう途中だった1300キロ離れた太平洋上から仙台沖に向かいました。
正式命令前の艦長と司令官の独断だったといいます。
そして、この原子力空母と乗組員たちが福島第一の放射線に被爆したことは人々の知るところです。

あのとき東北で人道支援にあたったこの艦を、私は1度しっかりと見てみたいと思っていました。
感慨深いです。
あれからもうすぐ6年になります。


ここ横須賀湾本港地区から航路を進み東京湾に出るあたりになると、帽子が飛ばされそうになるほどの冷たい風が強く吹きつけ、空も暗い雲に覆われ、海上はそれはそれは寒かったです
暗くて画像は諦めましたが、東京湾には行き交う船があちらこちらに。
対岸は千葉の富津です。

そして、後述の吾妻島をぐるりと回り込むように長浦地区へ入りました。





海底観測艦にちなん。






艦番号・船名を塗り潰されて静かに廃船の時を待つ船。
これは機雷除去のための木造の掃海艇です。
水圧や金属(磁気)に反応して爆発する機雷に対応出来るように木造で造られたそうです。
機密が詰まっているこの船を、膨大で厳重なマニュアルに従って解体を担える業者が現れるまで、ここに静かに停泊されるのだそうです…。






新井掘割。
両側の陸地はもともと繋がっていた半島でした。
明治の頃に旧陸軍が開削し近道になる水路を作りました。
現在左側の吾妻島は米軍に属しているので一般人の立ち入りは禁止だそうです。
燃料が貯蓄されているとかいないとか。






8月に来たときは陸地からでしたが今回は海側から。
5隻の海上自衛隊の船が停泊しています。






右から艦番号
423、補給艦ときわ
171、ミサイル護衛艦はたかぜ
107、護衛艦いかづち
116、護衛艦てるづき
101、護衛艦むらさめ

「いかづち」 と 「むらさめ」 は同型の姉妹艦だそうです。



所要時間は45分ぐらい?だったかな…。
寒くて凍えて大変だったけど、久し振りに船に乗って、空母も見られて、日本の防衛を改めて考える機会を得て、とっても有意義な時間でした。


次に獅子丸が私を連れて行ったのは三笠公園。
しばらく横須賀の街を歩いて移動しました。





記念艦みかさ。
日露戦争の勝利に貢献したみかさは大正14年にここ横須賀に記念艦として保存されました。
大戦後にみかさは荒廃し、その惨状に慨嘆したイギリス人の貿易商がジャパンタイムスに投稿。
内外に大きな反響を呼びその3年後に全国的規模の復元運動が始まり、みかさは往時の姿に復元されたそうです。






みかさの船首は皇居の方向を向いているそうです。
船首のすぐ先には米軍基地があります。
バカと煙は高いところが好きといいますが…(笑)
足元がスースーしましたが、気持ちよかったです!






みかさの船内から。
横須賀の海はとても綺麗です。
船内見学も獅子丸の招待で!


みかさは、今から100年以上も前にイギリスで造船されました。
明治35年(1902年)に竣工だそうです。
日本ではサムライの時代が終わってまだほんの数十年、この造船技術の高さに文明の格差を思い知らされます。

近代史をもっとちゃんと教わって勉強していたら良かったと思う、充実した内容の展示物や資料ばかりでした。





帰る頃になって、雲間から夕陽が差し込んできました。






シャトレーゼがあったので、大好きないそべ餅等を買って帰りました。
これ、甘じょっぱくてモチモチで美味しいんです!



この日のことは、とてもいい思い出になりました。
あと少しで巣立つ獅子丸が、私にくれた贈り物です。

連れて行ってくれて、ありがとう!

コメント (2)
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■金津流丹内獅子躍・新井薬師本堂 2017 礼庭■

2017-02-21 15:35:52 | 風の吹くまま



2月3日(金)、中野サンプラザ前広場での演舞を終え、お練りの行列のしんがりを務めて中野の街をゆっくり移動した金津流丹内獅子躍さんは、再び新井薬師梅照院に戻ってきました。

今度は本堂の特設舞台での演舞です。
豆まきまでの短い時間でやむなく短縮した演舞になりますが、ここで最後に 『礼庭』 を踊ります。





最後の演舞は本堂の舞台で踊ります。






舞台の中央はスロープ状になっています^^;






大学生が扮する鬼さんたちも舞台の端に。






豆まきに集まった参拝客に、金津流丹内獅子躍の説明を。
お隣のご年配の方たちが鹿踊りが見えないからとお願いし、鬼さん達は場所を空けてくれました。






もう時刻は午後四時前。
斜陽が鹿踊りを鮮やかに照らします。






蒼い蒼い空に白いササラの穂が揺れて。
境内に響き渡る太鼓の音!






『太鼓の調べを きりりと締めて ササラを揃え』




 





『京で九貫の唐絵の屏風 一重に廻し合わせろ』






『南風…』






『そよりそよりと吹くならば…』






『今年の稲穂は八穂で八石』
豊作を、ひいては世の安寧を願うこの唄は牧歌的で叙情的。
緑色から黄金色にと変わる稲穂が広がる平和な情景が目に浮かび、大好きなフレーズです。






丹内さんの中立さんは長身の方。
ただでさえササラが当たる本堂の屋根や桜の枝を上手く避けて踊っています。






三人狂いも大変ですね^^;
踊るには狭い場所のうえ、中央がスロープですから。






でも、こういう場所でも踊ってみせるのが鹿踊り!






足元に注意しながら、体が斜めになりながらの踊り。
勝手が違うところを三人がしっかりと踊り切っています。
小脇の踊り手さんが離れた定位置にきちんとザコンコで戻ったのが素敵だった!






女獅子の踊り。






いつもは庭をいっぱい使って踊るところをコンパクトにまとめて。
こちらも上部も足元も気をつけなくてはならない中での踊り、大変






ザンチキの場面。
そのあとに白鷺の唄が続きます。
『立ちかねて 跡を濁さず』 ではなく 『跡を濁す』 と歌うそうです。






クライマックスの鹿の子の場面。
ザンチキで獅子たちが勇壮に踊ります。






『差し傘の心棒の轆轤 駒かけて…』 と歌ったところで四時の鐘が鳴りました。
途中ですが、演舞を終了しなければなりません。
納めに入ります。






本堂での礼庭を終え、この日のすべての奉納演舞が終了しました。






この後に行われる豆まきに向けて急いで退場する丹内さん。






境内の蕾がふくらむ桜の枝にあくせくしながら、退場します。




毎年節分に、ここ東京中野区・新井薬師梅照院で演舞を奉納するために遥々来られてる、岩手県花巻市東和町谷内の金津流丹内獅子躍さん。
この日一日の流れは、三光の儀・礼庭・道行き・霧返し・島霧・道行き・礼庭でした。

ここ何年かお天気には比較的恵まれている節分の日ですが、この日はとにかく風が強く踊り手さんにとっては厳しい状況だったと思います。
サンプラザ前で霧返しと島霧を踊ることに、『いや、短縮した踊りだから』 と仰っていましたが、ただでさえ体力を使う踊りに加え暴風に煽られて大変だったことでしょう。

丹内さんの東京の奉納演舞はどのような様子なのか、今回は思うところあって全部を動画に納めブログに書こうと思いました。
そのお陰で、私も初めて奉納を終始見届けることが出来ました。
稚拙な内容ではありますが、節分会の丹内さんの一日を少しでも感じて頂けたら幸いです



鹿踊りに故郷・岩手への思いを馳せる人、鹿踊りが楽しみで毎年ここに観に来られている人、鹿踊りのことを聞き及んで初めて来てみた人、何人もの方たちが誰ともなしに声を掛け合い、鹿踊りを語っていました。
ここに居合わせる人たちはみな、鹿踊りに魅了されているんですね。


この日も丹内獅子躍の皆さまにはお気遣い頂きいろいろとお話をお聞かせ下さいまして、また、今年も勇壮な金津の鹿踊りを魅せて頂きまして本当にありがとうございました
また来年、ここでお会い出来ることを楽しみにしております
(そうそう!来年の節分は土曜日(大安)ですので、沢山の人たちが観に来られることでしょうね!)


■おまけ■
今まで一度も鹿踊りのシシと一緒に画像に収まったことのなかった私でしたが、元踊り手の世話役のO氏にお言葉を掛けて頂き、それではとお願いして一緒に写って頂きました
金津流の獅子は大きい!(163cmの私と比較しても!)




動画をYouTubeにアップロードしています。 
よろしければ合わせてご覧になって下さい。


2017 新井薬師 礼庭 丹内獅子躍5





#鹿踊り #ししおどり
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■金津流丹内獅子躍・中野サンプラザ 2017 島霧■

2017-02-16 13:13:50 | 風の吹くまま






2月3日(金)、中野サンプラザ前広場での最初の演舞 『霧返し』 に続き、殺陣のパフォーマンスが披露され、そのあとに再び金津流丹内獅子躍さんが登場。
演目 『島霧』 を披露しました。

冒頭の画像は準備を終えて待機する獅子たち。
鹿踊りは鹿頭を着けると背丈がとても高くなるのでそもそも姿は大きいものですが、金津流の装束を着けた獅子たちは本当に圧倒的な存在感です。
大きい!
鹿頭の形状に装束の色合いも手伝ってか、威圧感のような、そういうものを感じます。

この重い装束を着けてあの激しい勇壮な踊りに唄。
体力・スタミナ・肺活量…大変な踊りですね。
私なんかザコンコの真似事をちょっとやるだけでハーハー息切れ・筋肉痛い!です(笑)





きちんと装束を着けることも踊りのひとつですね。
踊っていて万一鹿頭がずれてしまった時は、観ている人には普通の位置に見えるように自分の頭を傾けて踊ると踊り手さんが!






太鼓を叩きながら入場します。
会場サイドがやっぱり元に戻そうとのことになったようで、いつも通りの正面向きでの演舞です。






ギャラリーの輪に待機していなかったので、端の方からの観覧。
全体は見えるけど、中立ちや大脇サイド(中立の左側)が見えづらくなってしまいました^^;


















狂いの場面。
最初は二匹の獅子が踊ります。






もう一匹の獅子が勢いよく飛び出し踊りに加わります。








仲良く戯れていたのですが…。






2対1で、小競り合い(笑)






後で遊びに交ぜてもらった獅子が劣勢に!








しかし戦況?逆転。負けじと頑張ります!








とうとう一匹が降参、もう片方の獅子にも果敢に挑みます。








後から交ざった獅子がぴょんぴょんと飛び跳ねて迫る力比べの場面。
以前に一度、ここの場面で交互に飛び跳ねるアレンジを観ましたが、今回のも勢いがあって面白い!






参った!降参!
そして、ササラでお尻をペンと叩く可愛い場面。






力比べに勝った獅子の心の高揚を表現した場面。






女獅子の跳躍。






パフォーマンスの後での演舞でお練の時間の関係もあり、ずい分省略された踊りになりました。
本当は、かつてのようなほぼ省略なしの演舞が観たいなと思いますが…。
霧返しに島霧を普通のバージョンで続けて踊るのは、それはそれは大変ですね。












この日4回目となる演舞 『島霧』 が終了しました。
演舞を息を呑んで観ていた観客からは、満場の拍手が!






新井薬師梅照院へのお練の列のしんがりを務め、中野の街を行きます。



私は最後まで動画を撮るので、場所を確保せねばならない!
お練りについて歩きたいところを我慢して、お薬師様へ急ぎ移動しました。
勝手知ったる中野の街を、美味しそうな匂いや興味をそそるお店を尻目に、一途目的地への道をただただ進みました(笑)


動画をYouTubeにアップロードしています。 
よろしければ合わせてご覧になって下さい。


2017 中野サンプラザ前広場 島霧 丹内獅子躍4



■金津流丹内獅子躍・新井薬師本堂 2017 礼庭■につづく 




#鹿踊り #ししおどり
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■金津流丹内獅子躍・中野サンプラザ 2017 霧返し■

2017-02-13 14:02:55 | 風の吹くまま



2月3日(金)、東京都中野区・新井薬師梅照院の節分会。
新井薬師本堂前での奉納を終えて、金津流丹内獅子躍さんの道行きが始まりました。

本堂横の門から出て、中野の住宅街を抜け大通りへ。
前記事に貼り付けた2番目の動画の最後に、この道行きの様子が少しだけ収録されています。









ビルに太鼓の音を反響させながら、中野サンプラザへ到着。
この反響する音を聞くと、ああ今年もここに観に来たんだなと思います(笑)
もうすでに私の中で刷り込まれています。

中野の街を疾走して鹿踊りを先回り。
何だよ、またいるよー(~_~;)と思われてますなぁ(笑)






到着後、組み合わせてある頭とササラを下ろしてまずは休憩。
あいも変わらず風が強く、サンプラザのビルに横風が吹き付けます。
立て掛けていたササラが倒れてくるほどの風!






お一人、ゴムジ(ゴム製の草鞋)をはいていなかったので尋ねたら…。
藁製だと思ったら荷物などを束ねるビニール紐?で編んだ手作りのもので、いい具合に滑りにくいそうです。
金津流野手崎獅子躍さんからの助っ人の踊り手さんです。




随行の保存会のみなさんや踊り手さんたちと色々お話させて頂きましたが、その間にも人々が三々五々集まってきて、遠慮がちに皆さんに質問しておられました。
岩手出身だという方も何人か。
鹿踊りに、懐かしく愛おしい故郷への思いを重ねておられる様子でした。

去年の9月に花巻でお会いしてから5ヶ月振りの丹内さん。
谷内で行われた金津流公演の時も是非行きたかったけれど、やっぱり岩手は遠い。
せめて仙台あたりにでも住んでいれば鹿踊りを観に通えるのにと、首都圏住まいの恩恵を享受しない性質の私は思ってしまいます。


そろそろ演舞の時間が近づきました。
今回強風やサンプラザ側の諸事情で、演舞の向きが変更されました。
私が知る限り初めてのことです。
いつもは正面を向いて踊りますが、時計の方向を向くように横向きでの演舞です。

さてさて困った、これでは順光では撮れず斜光になってしまいます^^;
遮光フードがないので場所を考えなければ…。





こちらの純朴な埼玉の大学の鬼さんは暗く写ってしまいました。






そして横風が吹く中…
太鼓の音が轟き、金津流丹内獅子躍が入場です。










踊り組・演目等の説明のあと、演目 『霧返し』 が始まりました。
風は一向に止む気配がありません。








隊形が広がるところの場面。
ササラを地に打ちつけながら。


















三人狂いの場面へ。








突風に煽られて…。






煽られて煽られて!
ササラが強風を受けて踊り手さんたちも大変です
私の持つスマホさえも煽られます。








ながしがゆらゆらと。
ながしの裏の紋様で金津の団体差が分る人は、もう殿堂入りレベル!










これだけ激しい踊りをするのに…
金津流の装束は特に目に見えるような軽量化はしてはいないような。


装束と言えば…、いつもは装束を着けるところをあまりジロジロ見るのも失礼と注視することはなかったのですが、今回(何度も金津流は見ているのに…汗)初めてササラに巻かれている“ショイナ、背負い、ササラ巻き”等と呼ばれているという布(金津流では青い布)が、実は装束の着付けに必要な、ササラを背負って体に括りつけるための装着用部位としても在ることを知りました。
単なる飾り布ではないんですね!

『背負いと言います』 と野手崎さんの踊り手さんが教えて下さいました。
春日流さんも同様ですね!









女獅子が躍ります。
金津流ではとの表記が正しいのかな?女鹿?女獅子?牝鹿?






自転しながらササラを打って。
体幹がしっかりしてないと出来ないなぁといつも思う場面!




 



ザンチキ!
足の上げ方、踏み位置(角度)、体のひねりや頭の振り方などなど。
基本の所作の中に沢山の要素が入っていますね。






鹿の子の場面に入りました。






中立の太鼓、あえて抑えた堂々たる踊りで庭を廻り清めます。










鹿の子の唄をふたつ歌います。
ザンチキを踊りながら歌う、最後にもの凄く体力消耗するだろう場面!






隊形が元に戻っていきます。






『きりりと締めて ササラを揃え』








『霧返し』 が終了しました。










一列に並びなおし最後に一礼して、踊りが終了です。
強風吹きつける中での演舞、お疲れ様でした!



演舞と演舞の合間に殺陣のアトラクションが行われ、次の演目 『島霧』 の時間まで丹内獅子躍さんはしばしの休憩に入ります。


動画をYouTubeにアップロードしています。 
よろしければ合わせてご覧になって下さい。


2017 中野サンプラザ前広場 霧返し 丹内獅子躍3



■金津流丹内獅子躍・中野サンプラザ 2017 島霧■につづく 




#鹿踊り #ししおどり
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■金津流丹内獅子躍・新井薬師 2017 三光の儀・礼庭■

2017-02-08 23:27:01 | 風の吹くまま



2月3日(金)、東京都中野区・新井薬師梅照院の節分会。
金津流丹内獅子躍さんの奉納演舞がいよいよ始まりました。

レンズフードがないのでレンズに光が当たり白飛びをしてしまっています


新井薬師梅照院、正式名・新井山梅照院薬王寺の如来正門から獅子が入場します。
入場するときの太鼓は、神社仏閣など奉納時の入場時に叩かれる特別な拍子と思われますが、単調でありながら重厚さ漂う音です。
如来正門からまっすぐに進み、本堂前で鹿踊りの奉納演舞は始まります。








『きりりと締めて ササラを揃え』


 

保存会より金津流丹内獅子躍についての説明があり、最も厳粛な踊りである 『三光の儀(礼)』 が始まりました。






中立がぴょんと跳ねてから太鼓を一つ叩く所作を三回、三角形を描くよう行います。
そして一礼を。
その一連の所作を三度繰り返します。




そのあとにお寺を賛する“誉め唄”が続きます。


 



『参り来て これのお寺を見申せば…
…一の枝より 二の枝に こがねさわりて お寺輝く お寺輝く』
 







烏跳ねの場面、誉め唄の場面、そして最後に中立が地を清める場面。
三つの場面で構成された厳粛なこの儀は、粛々と執り行われました。






つづいて、同じ場所で 『礼庭』 が始まりました。
『一番庭ともいわれ儀礼的な鹿踊りの演目…』 とあるように演目の中では一番格式高い踊りだそうです。
これも、動画から取り出した静止画像でご紹介を







ザイをひるがえし、ひるがえし。












こじんまりとした本堂前での演舞。
観覧する人々との距離がとても近いです。
動画モードは少し望遠気味になるので、なおのこと近くに。
 







中立が退き、三人の獅子が勢いよく躍り出ます。






三人狂いの場面。








三人狂いの最後の場面。
跳躍の時に両方のバチで太鼓の縁を叩くこの音が好きです!
↓つづいて、女鹿が登場。






打って!




跳んで!




ひねって!








金津流は、踊りに追随するザイ・ながし・ササラの動きも魅力です。








最後に輪になって。
『きりりと締めて ササラを揃え』




一礼で演舞が終了しました。




このあと鹿踊りは、新井薬師から中野サンプラザ前広場までの道行きで、お寺から続く住宅街の路地から大通りに出て、連なるビルに太鼓の音を反響させながら中野の街を移動します。

道行きの様子を動画で追ってみたいなと思いましたが、特に大通りは人の流れも多くいろいろと危ないので、大通りに入る前にひとり別路地へ曲がり、思いのほか移動速度の速い丹内獅子躍さんの道行きを追い抜き、息も絶え絶えになりながら中野の街を走り、今や遅しとサンプラザ前広場で待ち受けました。


動画をYouTubeにアップロードしています。 
よろしければ合わせてご覧になって下さい。

※1の動画の冒頭には奉納前の様子を少し、2の動画の最後には中野サンプラザまでの道行きの様子が少し収録されています。


2017 新井薬師 三光の儀 丹内獅子躍1


2017 新井薬師 礼庭 丹内獅子躍2



■金津流丹内獅子躍・中野サンプラザ 2017 霧返し■につづく




#鹿踊り #ししおどり
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■金津流丹内獅子躍・新井薬師節分会 2017■

2017-02-06 20:08:40 | 風の吹くまま



快晴で春の暖かい日差しがありながらも、冷たい風が吹きつけていた3月2日の節分の日。
毎年恒例の東京・中野へ、金津流丹内獅子躍 さんの奉納演舞を観に今年も出掛けて参りました。

丹内さんが毎年行う東京の奉納演舞はどのような様子なのか、今回はそれを紹介したいと思いまして1日の流れを追ってみました。
いつもどこかの演舞を観ずに帰路についていたので、始めから終わりまで追うのは何年振りだったか…いや、もしかしたら初めてだったかも知れません。

鹿踊りを観るときは動画を撮るのが常になりましたので、今回もスマホで撮り、一部の画像を除いてすべて動画から取り出した静止画像です。



朝、十分に間に合うようにと9時半過ぎには玄関を出ましたが、なぜかこの日はバスが遅れて何台も連なってくるわ、それで電車への乗り換えが予定通りにいかないわで^^;
いつも通りに遠回りでも東西線の九段下駅だけの乗り換えで行こうと思っていたところを、少しでも早く到着せねばと、苦手意識があって避けている新宿を使う山手線・中央線乗り換えで行きました。

スマホのお蔭でどうにか早めに到着。

駅から中野サンモール商店街(アーケード)を通り、いつもの恒例のお昼用恵方巻と飲み物を購入し、鹿踊りを観るために何度も行ったり来たりで勝手知ったる中野の街を急ぎ歩き、この日の節分会が執り行われる新井薬師梅照院へと向かいました。





お薬師様に近づいていくと…あれ?太鼓の音が聞こえる!?
でもまだ奉納には時間があります。
焦りながらも撮らねばならない動画を撮って、急いで正門をくぐりその太鼓の音の方をたどると…。
庫裏の前庭で、三人狂いのおさらいをしていました。

まだ人もまばらなお寺の境内に響く、岩手の鹿踊りの太鼓の音。
こういう光景を見るのもまた嬉しいものです。







『梅照院』 の名の通り、境内の枝垂れ梅が風情を醸しています。




私が背後にいることに気が付かれた世話役の方が(怪しい気を感じた?笑)、皆さんがいったん庫裏に戻られるときに、とても嬉しいことに庫裏の控えの部屋へ一緒にと誘って下さいました(*´▽`*)
でも、お寺の裏手にある公園で恵方巻のお昼を食べねばならないし(笑)、まだ本堂にお参りをしていなかったし、動画撮影に向けて場所のチェックもしなければならなかったので、せっかくのありがたいお言葉でしたが…ご遠慮させて頂きました
ご厚意に感謝いたします


冷たい風に煽られながら青空のもとで恵方巻を食べてお腹も満たされて、準備万端!
境内にはだんだんと人が集まってきました。
スマホを片手に今や遅しと待つ私に、(私以上に)ご年配の方々がいろいろと尋ねてこられます。
丹内獅子躍広報東京支部?として(笑)、丁寧にご説明申し上げました





そうこうしているうちに、丹内さんたちが装束を着けて準備を始めました。
境内のつぼみがまだ小さいソメイヨシノの枝を避けながら、純白に輝くササラの穂を揺らしつつ、威風堂々たる獅子たちが進みます。

正門を海老様(えびよう)で後ずさりながらくぐり、いったん門の外に進み、いよいよ岩手県花巻市東和町谷内の金津流丹内獅子躍による新井薬師梅照院節分会・奉納演舞が始まりました。

■金津流丹内獅子躍・新井薬師 2017 三光の儀・礼庭■につづく




#鹿踊り #ししおどり
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■年末年始 こもごも■

2017-01-06 14:45:28 | 風の吹くまま



さて、仕事始めも各々始まり、もうお正月気分も過ぎ去った今頃ではありますが、我家の年末年始の様子を遅ればせながら記したいと思います^^;

大晦日、日付の替わる頃に毎年恒例の地元の氏神様に元朝参りへ向かいました。
この夜の寒さはそれほどでもなく、真夜中に参拝の列に並ぶちびっ子たちも元気いっぱい!

希望する人が叩くことのできる除夜太鼓の音が響く中、神社の境内は賑やかさに包まれていました。






参拝後、去年はお神酒を頂きましたが今年は甘酒を。
『今年は甘酒がよく出来るなぁ~』 とのことでしたが、美味しい甘酒で温まりました







今年も娘の羊子からお年玉をもらいました…
『岩手に行く足しにしてネ』 と
どうもありがとう






二日に、明治神宮へ初詣へ。
今回は田園都市線で移動したので、渋谷でJR山手線に乗り換え。






原宿駅の神宮側の臨時改札から出て、第一鳥居へ。






いつもの所あたりで渋滞が始まる予感が…。
玉砂利を踏みしめる音が静かに響きます。
今年は外国人がとても多いような感じが。






手水舎でお清めして列に並びなおして。
巻雲の空に映える真新しい南玉垣鳥居(第三鳥居)。

昨年の10月26日に竣工式・くぐり始めを終えた新しい鳥居です。
明治神宮創建と同時に台湾産ヒノキで建立されたものが立て替えられ、国産ヒノキを使用した旧鳥居とほぼ同じ規模の鳥居だそうです。

 「明治神宮は二〇二〇年の鎮座百年に合わせ、社殿などの修復工事を進めている。創建時に建立された鳥居のうち唯一残る南参道鳥居(第一鳥居)も、鎮座百年を契機に建て替えを計画している」 そうですよ。






南神門。
いつもよりもずい分早めに列が動いたので、慌てて写したらこんなアングル!
もちろん、この画像の下は人の頭だらけです(笑)




今年は私にとって変動・変化のある年です。
この先どのような日々が待っているのか…。
平穏な年になるように願っています。


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■都鳥鹿踊・全日本獅子舞フェスティバル白岡'16 後編■

2016-12-08 14:23:20 | 風の吹くまま
11月27日(日)、全日本獅子舞フェスティバル白岡'16 で、岩手県奥州市胆沢区南都田の行山流都鳥鹿踊(ぎょうざんりゅう とどりししおどり)さんが演舞を披露しました。

前記事の冒頭の画像は舞台に登場したときにものです。





太鼓を叩きながら輪を描くように入場し、隊列になっていきます。
中立が後ろの女鹿の方を向き、背中のながしには誇らしげな 「五穀成就」 の文字が。

『太鼓の調べ きりりと締めて ササラにおさえ きりり納めろ』
この“太鼓の~”の台詞は、団体によって様々なんですね!






『一番庭』 声がよく出ています。
よく通る声で唄を歌っていますが…この唄、もしやと思い過去の記事を見てみると…。
やっぱりそうでした!都鳥さんのTシャツの背中に書かれていたあの唄でした。

『寿福には 地神皇神 御立会い 拝み申せや 我等連れづれ 我等連れづれ』
“片方のバチは太鼓を叩き、もう片方のバチは前方に掲げる”を交互に3回繰り返す、行山によく見られる所作がここにも。










緩急ある躍動的な踊り。
栗原の鹿踊り相通ずる、踊りに追随する独特な装束の美しい動きが見てとれます。
都鳥さんも 「シーッ」 という合図(警蹕/けいひつ)を使う踊り組なんですね。






踊り手が一斉に後ろを向いて。
伊達な色合いのながしの意匠がゆらゆらと、実に優美です。






くるりくるりと廻りながら。






中立の 「ハッ!」 という掛け声もあります。
掛け声のある踊り組は、多分初めて観るかも知れません。






『唐金』 の場面に入ったところでしょうか。
踊り手がくるりくるりと廻りながら位置に着きます。
画面一番右に女鹿が来ます。

唐金は、1頭の狂い鹿から女鹿を守ろうとする2頭の牡鹿との踊り(女鹿隠し)だそうですが…。
私が知っているのは、2頭(複数頭?)の牡鹿に女鹿が隠されて、1頭の牡鹿が懸命に探す…といったものだったと。
設定が逆で、これも面白いなと思いました!






中立が、守りを固める2頭の鹿(脇狂い)の真ん中に来て。
中立と女鹿が何度も会釈のような所作をします。
「危ないからここにいるんだよ」「はい、分りました」 とでも話しているような(笑)






中立と狂い鹿(中狂い)が踊ります。






中立が引き上げ、中狂いが果敢に?女鹿奪取に挑み始めます。
この画像にはありませんが、このとき 「角入れ」 の場面があったのかも知れません。
(後半の部分でもこの場面があるので、その画像を入れます)
何度も2頭の脇狂いに撃退されながらも、なおも諦めない中狂い!






脇からも女鹿を連れ去ろうと試みますが…。






何やってんだー!と撃退されます!






中狂いは中立のところにいって会釈のような所作を繰り返します。
その後でシーッの合図で太鼓の調子が変化し…。






中狂いが2頭の脇狂いの間から女鹿と会釈の所作をしたと思ったら…。
脇狂いの隙を突いて、女鹿を連れ出すことについに成功します!






脇狂い 「はっ い…いないっ






さあ大変!
中狂いはまた、2頭の脇狂いによる撃退に遭います。








都鳥さんも跳躍の鹿踊りでした!
脇狂い激怒の巻?
その間、女鹿はそろりそろりと後退りしています(笑)






脇狂いが1頭ずつに分かれて対処?します。





「ついて行っちゃ駄目だよ」→
←「何やってんだ!」






「危ないからって言われたでしょ!」→
←「今度やったらタダじゃおかないぞ、こるぁ」
(とは言ってませんが 笑)




脇狂いの踊りが良く揃っていますね!
このあと、中狂いが女鹿のところにいって何度も会釈の所作をし合ったり、脇狂いとの攻防のクライマックスがあり…。






中狂い(一番左の鹿)の 「角入れ」 の場面。
野生の牡鹿のしぐさを彷彿とさせる見どころある所作です! 
行山流を踊りを見ていると、野生の鹿の動きやしぐさを、踊りのふとした所で感じることがよくあります。






中狂いが一人で太鼓・唄・踊りをやりながら白鷺踊りをします。
『白鷺は 立つと思えば 立つかねて 後をめぐる 立てや白鷺』
“あとを濁さず、あとを濁す”など様々ありますが、“あとをめぐる”とは白鷺が立ち惜しむ様子を上手く表現してますね。






鹿の子の場面です。
こうして踊り手が両手を広げる所作は他所にもみられますが…
都鳥さんは幕を結ばないので後姿は一瞬蝶が羽を広げているような華やかさが。






「ハーッ」 の掛け声でバチを叩く所作。
バチの音と太鼓の縁・面を叩く音が小気味良いです。






中立の見せ場。
庭を廻り地を清め、太鼓の音で場を鎮め、踊りのクライマックスに向かいます。






中立の合図で側鹿たちが頭を上下に振りながら右に左に。
所作に意味があるのでしょう、ここも野生の鹿を見ているような感覚になります。





「太鼓の調べ きりりと締めて ササラにおさえ きりり納めろ」
一礼、退場からは大きな拍手が!






続いて、感謝状を贈呈された御礼の唄を歌いました。
感謝状を捧げ持つのは女鹿。






最後に太鼓を叩きながら一列になり、一礼。
これで都鳥鹿踊さんの演舞はすべて終了しました。




初めて観た胆沢に伝わる鹿踊り。
今まで観てきた踊り組とは異なる装束。

「地味な踊りで」 とnontanさんは謙遜されますが、太鼓や踊りに緩急と勢いあり、唄の意味も興味深く、踊り手の声も大らかで明朗、ストーリー性に溢れて観る者に様々な想像を与えてくれる、今回観る機会を頂いて本当に幸運だったと思える素晴らしい踊りでした!

花巻まつりでひょんなことから都鳥さんとのご縁を頂き、未知の世界だった?冨士麓行山の踊りを堪能することが出来ました。
この素晴らしいご縁に、心から感謝です



演舞のあとには、踊り終えたみなさんと鹿馬鹿氏やトーシカの踊り手さんY氏を交えて色々と会話を交わし、お疲れのところ楽しくお話を伺わせて頂きました、ありがとうございました

岩手への帰路では途中渋滞に捕まってしまったようですが、みなさん無事にご帰還されて何よりでございました!
行山流都鳥鹿踊のみなさん、お連れ様でした
見応えある踊りを、ありがとうございました


そして…



“例の手拭”!とお心遣いを、また記事を書くに当たって沢山の情報を教えて下さり、ありがとうございました


動画をYouTubeにアップロードしています。
よろしければご覧になって下さいね。

2016.11.27 全国獅子舞フェスティバル白岡'16 行山流都鳥鹿踊



(※ 間違いの箇所がありましたら、何卒ご指摘下さい)


#鹿踊り #ししおどり
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■都鳥鹿踊・全日本獅子舞フェスティバル白岡'16 前編■

2016-12-05 22:15:31 | 風の吹くまま



9月10日(土)の花巻まつり・鹿踊りパレードの時に初めてお会いしてお話を聞かせて頂いた、行山流都鳥鹿踊(ぎょうざんりゅう とどりししおどり)さん。
当日お話を伺った時に是非に!と手渡して頂いたリーフレットにあった 『全日本獅子舞フェスティバル白岡』 に行って参りました。


(その時に持ち帰ったリーフレット)



11月27日(日)、埼玉県白岡市で開催の 『全日本獅子舞フェスティバル白岡'16』 を観るため、最寄り駅のひとつの武蔵小杉から湘南新宿ラインで白岡駅に向かいました。
既存の武蔵小杉駅から地下通路で繋がり近くに通っていた別路線に駅が新設されたお陰で小杉がとても便利な駅になり、初めての場所である白岡駅にも(時間を選んで)乗り換えなしの一本で行けました!
東北新幹線でしか通ったことの無い大宮を在来線で通り過ぎて、白岡駅へ。
そして、急いで駅の近くにある中央公民館の講堂へ。
受付で講堂内での撮影可を確認し、すでに開場時間になっていましたがどうにか最前列の(来賓席の隣の)端っこを確保

舞台袖で準備をされていた、この日の中立を務められる、SNSで繋がって頂いている“すたてぃっくさん”が私を見つけてわざわざ下りてきて下さり、ご挨拶とこの日来られなかった中立のnontanさんからのお心遣いを頂きました
ありがとうございました

さて、会場には後援されている全日本郷土芸能協会の鹿馬鹿氏たちもお出でになっていて、いよいよ開会式です。
開獅子博物館の館長による挨拶・来賓の祝辞に続き、沖縄・名護市の青年団によるエイサーで幕開けとなりました。

エイサーは何度も観たことがありますが、本場のエイサーを初めて観て聴いて、心にその向うにある沖縄の情景を感じ、やはり、その地に伝わる芸能をその地のゆかりの人たち・携わる人たちが演じるものこそ郷土芸能と言えるのだと、個人の見解ではありますがそう感じました。





そして、上演の最初を飾ったのが 行山流都鳥鹿踊のみなさん!
動画では観たことがあっても、実際に演舞を拝見するのはこれが初めてです。



行山流都鳥鹿踊 

岩手県奥州市胆沢区南都田に伝わる行山流都鳥鹿踊(ぎょうざんりゅう とどりししおどり)の由来は、資料等によると、行山流中興の祖と云われる本吉郡水戸辺村(現在の宮城県本吉郡南三陸町)の仙台藩士・伊藤伴内持遠から入谷四郎兵衛を経て、平泉の千葉清左衛門へと相伝、その三代目・行水軒中津川清左衛門義胤から寛永5(1793)に都鳥に行山躍りとして伝承されたと伝えられている、平泉の達谷窟経由の鹿踊り。その後富士麓行山流の影響も受けたという。
中立、女鹿、側鹿で構成される8人踊り。

装束の幕には 「九曜紋」、春日並びに日月の四季を略した 「十二揩子」、36の神々を象徴した 「チドリ」 を染めている。
ながしには、中立は 「五穀成就」、女鹿は 「豊年踊」 の文字が染められ、祖霊を供養する盆の踊りのほか、五穀豊穣、家内安全等を祈願して踊られる。




この日の演舞は 『一番庭』 と 『唐金』。
そして、表彰式の後には 『御礼の唄』。

一番庭は“お呼ばれした場所で最初に踊る又踊りの基本とされている”もので、唐金は“役踊りで、一頭の狂い鹿から女鹿を守ろうとする二頭の牡鹿との三つ巴の闘い、女鹿隠しの踊り”だそうです。


この日の演舞の構成は…

「露払い(入れ込みとも言う)」→「入り掛け 一番庭」→「庭廻り」→「余興 唐金」→「鹿の子」。
そして 「御礼歌詞」。
鹿の子の後には本来 「引き波」 が続くそうですが、この日は省略されたようです。
(※ 同じ“ひきは”の言葉でも、団体によって字が異なるのも興味深いです。引き波、引き羽、引き端などなど…)


装束は…

は行山流らしく小さめ。
ザイの付け根の部分が露わになっていて、かつては鹿の角を使用していたそうですが現在の角は金属の鋳物。
角の角度は、行山流らしく本物の鹿のそれに近い角度。

がしの頭頂(かしらの頭頂)には華鬘結びとそれに続くながしの縁飾りの部分が無く、ながしの縁は畳縁のような有職の布のような紋様の縁取りが。
中立は、赤の九曜紋に 「富士麓行山躍 五穀成就」 の文字。
女鹿は、赤の九曜紋に 「豊年躍」 の文字と鹿ともみじの図柄。
側鹿は、赤の九曜紋に 「行山」 の文字、豊臣秀吉と加藤清正だと云われている武者の図柄。

サラは鹿島の御幣(五色の御幣)を表し、背に対して垂直の角度、武者の指物のように八の字に斜め後ろに向かう腰差しで、宮城にある鹿踊りと類似。
3メートル近いササラの元には飾りの五色布(五色乗れ)が。

は…(中立のnontanさんにご教示頂き加筆訂正しました)
中立と女鹿の喉印は、井桁継ぎの無い赤の九曜紋。
側鹿は、井桁継ぎに九曜紋。(八階子/正式十二階子(かいこ)は春日並びに日月の四季を略した…階子は井桁継ぎのことだったんですね!)
紋様は、赤の大きな九曜紋、三色の三つ巴紋(仏法僧の三宝を表す)、五色の剣梅鉢紋、鶴丸紋、日の丸扇紋(開いて悪魔不浄を祓う心を表す)、波に兎紋様(波は平穏を表すという)、赤と黄の線模様。
他に、上り藤紋、竹に雀紋、菊水紋、毛車紋、が施されていているそうです。(提供頂いた記述情報は郷土史からの抄出だそうです。今の装束とは使われている紋様が少し異なるのかも知れません。)
幕には千鳥掛け(千鳥縫い)が施されていますが、これは36の神々を象徴しているのだそう。
そして、幕は後ろで結ばずに踊ります。

口袴の紋様は…
中立と女鹿の表側は、五色の市松模様で裾が稲穂を表しているそう。
側鹿は、源氏車。
中立の背面は、池に咲く蓮華の模様(仏陀の教えを描いたもの)。
女鹿の背面は、山姥金時の絵柄。
側鹿は、茨城童子と渡辺綱。

チは…
うつぎ(うつぎの木は彎曲が強いので曲がりをまっすぐに直すために2本の木を麻紐でぐるぐる巻き一年以上日陰で吊るしておく)を使用し、ささくれや劣化を防ぐ意味で先の部分に焼きを入れて、それによってその部分が堅く丈夫にもなるそうです。

甲は…
中立と女鹿は、白地に赤の九曜紋。
側鹿は、黒字に赤の九曜紋。
36の神々を表す意味で千鳥掛け(千鳥縫い)を施しています。



この日残念ながら来られなかった中立のnontan氏、この日中立をされたすたてぃっく氏からご提供頂いた情報を含め、分る範囲で記しました。
都鳥さんの演舞の様子は、次の記事でご紹介します


■都鳥鹿踊・全日本獅子舞フェスティバル白岡'16 後編■につづく

#鹿踊り #ししおどり
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