9月10日(土)の花巻まつり・鹿踊りパレードの時に初めてお会いしてお話を聞かせて頂いた、
行山流都鳥鹿踊(ぎょうざんりゅう とどりししおどり)さん。
当日お話を伺った時に是非に!と手渡して頂いたリーフレットにあった 『全日本獅子舞フェスティバル白岡』 に行って参りました。
(その時に持ち帰ったリーフレット)
11月27日(日)、埼玉県白岡市で開催の 『全日本獅子舞フェスティバル白岡'16』 を観るため、最寄り駅のひとつの武蔵小杉から湘南新宿ラインで白岡駅に向かいました。
既存の武蔵小杉駅から地下通路で繋がり近くに通っていた別路線に駅が新設されたお陰で小杉がとても便利な駅になり、初めての場所である白岡駅にも(時間を選んで)乗り換えなしの一本で行けました!
東北新幹線でしか通ったことの無い大宮を在来線で通り過ぎて、白岡駅へ。
そして、急いで駅の近くにある中央公民館の講堂へ。
受付で講堂内での撮影可を確認し、すでに開場時間になっていましたがどうにか最前列の(来賓席の隣の)端っこを確保
舞台袖で準備をされていた、この日の中立を務められる、SNSで繋がって頂いている“すたてぃっくさん”が私を見つけてわざわざ下りてきて下さり、ご挨拶とこの日来られなかった中立のnontanさんからのお心遣いを頂きました
ありがとうございました
さて、会場には後援されている全日本郷土芸能協会の鹿馬鹿氏たちもお出でになっていて、いよいよ開会式です。
開獅子博物館の館長による挨拶・来賓の祝辞に続き、沖縄・名護市の青年団によるエイサーで幕開けとなりました。
エイサーは何度も観たことがありますが、本場のエイサーを初めて観て聴いて、心にその向うにある沖縄の情景を感じ、やはり、その地に伝わる芸能をその地のゆかりの人たち・携わる人たちが演じるものこそ郷土芸能と言えるのだと、個人の見解ではありますがそう感じました。
そして、上演の最初を飾ったのが 行山流都鳥鹿踊のみなさん!
動画では観たことがあっても、実際に演舞を拝見するのはこれが初めてです。
行山流都鳥鹿踊
岩手県奥州市胆沢区南都田に伝わる行山流都鳥鹿踊(ぎょうざんりゅう とどりししおどり)の由来は、資料等によると、行山流中興の祖と云われる本吉郡水戸辺村(現在の宮城県本吉郡南三陸町)の仙台藩士・伊藤伴内持遠から入谷四郎兵衛を経て、平泉の千葉清左衛門へと相伝、その三代目・行水軒中津川清左衛門義胤から寛永5(1793)に都鳥に行山躍りとして伝承されたと伝えられている、平泉の達谷窟経由の鹿踊り。その後富士麓行山流の影響も受けたという。
中立、女鹿、側鹿で構成される8人踊り。
装束の幕には 「九曜紋」、春日並びに日月の四季を略した 「十二揩子」、36の神々を象徴した 「チドリ」 を染めている。
ながしには、中立は 「五穀成就」、女鹿は 「豊年踊」 の文字が染められ、祖霊を供養する盆の踊りのほか、五穀豊穣、家内安全等を祈願して踊られる。
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この日の演舞は 『一番庭』 と 『唐金』。
そして、表彰式の後には 『御礼の唄』。
一番庭は“お呼ばれした場所で最初に踊る又踊りの基本とされている”もので、唐金は“役踊りで、一頭の狂い鹿から女鹿を守ろうとする二頭の牡鹿との三つ巴の闘い、女鹿隠しの踊り”だそうです。
この日の演舞の構成は…
「露払い(入れ込みとも言う)」→「入り掛け 一番庭」→「庭廻り」→「余興 唐金」→「鹿の子」。
そして 「御礼歌詞」。
鹿の子の後には本来 「引き波」 が続くそうですが、この日は省略されたようです。
(※ 同じ“ひきは”の言葉でも、団体によって字が異なるのも興味深いです。引き波、引き羽、引き端などなど…)
装束は…
頭は行山流らしく小さめ。
ザイの付け根の部分が露わになっていて、かつては鹿の角を使用していたそうですが現在の角は金属の鋳物。
角の角度は、行山流らしく本物の鹿のそれに近い角度。
ながしの頭頂(かしらの頭頂)には華鬘結びとそれに続くながしの縁飾りの部分が無く、ながしの縁は畳縁のような有職の布のような紋様の縁取りが。
中立は、赤の九曜紋に 「富士麓行山躍 五穀成就」 の文字。
女鹿は、赤の九曜紋に 「豊年躍」 の文字と鹿ともみじの図柄。
側鹿は、赤の九曜紋に 「行山」 の文字、豊臣秀吉と加藤清正だと云われている武者の図柄。
ササラは鹿島の御幣(五色の御幣)を表し、背に対して垂直の角度、武者の指物のように八の字に斜め後ろに向かう腰差しで、宮城にある鹿踊りと類似。
3メートル近いササラの元には飾りの五色布(五色乗れ)が。
幕は…(中立のnontanさんにご教示頂き加筆訂正しました)
中立と女鹿の喉印は、井桁継ぎの無い赤の九曜紋。
側鹿は、井桁継ぎに九曜紋。(八階子/正式十二階子(かいこ)は春日並びに日月の四季を略した…階子は井桁継ぎのことだったんですね!)
紋様は、赤の大きな九曜紋、三色の三つ巴紋(仏法僧の三宝を表す)、五色の剣梅鉢紋、鶴丸紋、日の丸扇紋(開いて悪魔不浄を祓う心を表す)、波に兎紋様(波は平穏を表すという)、赤と黄の線模様。
他に、上り藤紋、竹に雀紋、菊水紋、毛車紋、が施されていているそうです。(提供頂いた記述情報は郷土史からの抄出だそうです。今の装束とは使われている紋様が少し異なるのかも知れません。)
幕には千鳥掛け(千鳥縫い)が施されていますが、これは36の神々を象徴しているのだそう。
そして、幕は後ろで結ばずに踊ります。
大口袴の紋様は…
中立と女鹿の表側は、五色の市松模様で裾が稲穂を表しているそう。
側鹿は、源氏車。
中立の背面は、池に咲く蓮華の模様(仏陀の教えを描いたもの)。
女鹿の背面は、山姥金時の絵柄。
側鹿は、茨城童子と渡辺綱。
バチは…
うつぎ(うつぎの木は彎曲が強いので曲がりをまっすぐに直すために2本の木を麻紐でぐるぐる巻き一年以上日陰で吊るしておく)を使用し、ささくれや劣化を防ぐ意味で先の部分に焼きを入れて、それによってその部分が堅く丈夫にもなるそうです。
手甲は…
中立と女鹿は、白地に赤の九曜紋。
側鹿は、黒字に赤の九曜紋。
36の神々を表す意味で千鳥掛け(千鳥縫い)を施しています。
この日残念ながら来られなかった中立のnontan氏、この日中立をされたすたてぃっく氏からご提供頂いた情報を含め、分る範囲で記しました。
都鳥さんの演舞の様子は、次の記事でご紹介します
■都鳥鹿踊・全日本獅子舞フェスティバル白岡'16 後編■につづく
#鹿踊り #ししおどり