「最近の若い者は・・・」って言葉を否定したい訳ではないし、かと言って若者世代を否定したい訳でもない。
何が言いたいかというと、若者って羨ましいんだよね。
最近、駅のホームでエッチの様なただ抱き合っている様な写真が撮られたようだが・・・
こんなのただ若者が羨ましいだけでは?
性に対してとか公然道徳に対してとか言う前に、言動や行動の裏には羨ましい気持ちがあるはずと思う。
私も高校3年生の時に初めて「最近の若い者は・・・」って言葉を発してしまった経験がある。
それは部活動の後輩の行動を揶揄したものだったが、言ってしまった自分に気付いて恥じた・・・
数年前はその言葉を言われる立場の人間で、言われる身としてあまり面白くない言葉なのは重々承知していた。
もし、自分が大人になったらその時の若者に対して口にするまいと思っていたんだが・・・
ただ単に当時高3の自分は純粋に高2以下の後輩が羨ましかっただけなのに、奴等は反省や自粛、先輩への敬意
とかが足りないからあんなに伸び伸びしすぎているんだ、なんてダメな奴等なんだ、って思った。
今考えると、ただ自分も伸び伸び自分だけの事を考え部活していたら、もっと戦績があがったろうに、
ああ、奴等は自分勝手出来ていいよなぁっという羨望からの言葉だったんだなっと思う。
公然についてだって、自分が若い時は自分の事ばかり考えていたし、駅前で抱き合っていたり、電車内で
抱き合っている事もあったし・・・
第一、あの頃の大人はもっと寛容だった様な・・・・
若い頃は自分が見えないと言われればそうなんだが、公然で抱き合うという迷惑行為を咎められた事はない。
写真を撮られて、ツイッタ―やブログにあげられるという心配もなかったからかもしれないが・・・・
今の若者を揶揄するのに、「草食系」とか「草食男子」とかいう言葉がある。
「ゆとり世代」というのも羨ましい若者達を揶揄するのに大人達が使う使い勝手の良い言葉だ。
根底には羨ましい気持ちが隠れている、相手(若者達)を揶揄する言葉だ。
ただ、可愛い甥っ子を持つオジサンとして、甥っ子達の性格が確かに昔に比べて大人しいのに若干の心配
もあるので、草食男子についての記述を調べてみた。
マズローの欲求5段階説
人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されていて、低階層の欲求が充たされると、より高次の階層の欲求を欲するというもの。
第一階層の「生理的欲求」は、生きていくための基本的・本能的な欲求(食べたい、寝たいなど)で、この欲求を充たせれば、次の階層「安全欲求」を求めます。
「安全欲求」には、危機を回避したい、安全・安心な暮らしがしたい(雨風をしのぐ家・健康など)という欲求が含まれます。
「安全欲求」を充たすと「社会的欲求」(集団に属したり、仲間が欲しくなったり)を求めます。この欲求が満たされない時、人は孤独感や社会的不安を感じやすくなります。
ここまでの欲求は、外的に充たされたいという思いから出てくる欲求です。
そして次に「尊厳欲求(承認欲求)」(他者から認められたい、尊敬されたい)という欲求が芽生えます。ここからは外的なモノではなく、内的な心を充たしたいという欲求に変わります。
そして、最後に「自己実現欲求」(自分の能力を引き出し創造的活動がしたいなど)の欲求が生まれます。
マズローの欲求5段階説
※ちなみに、マズローは晩年、5段階の欲求階層の上に、さらにもう一つの段階があると発表しました。それは「自己超越」という段階。
「目的の遂行・達成『だけ』を純粋に求める」という領域で、見返りも求めずエゴもなく、自我を忘れてただ目的のみに没頭するという領域のようです。
以上が精神的に今の若者がなんであんなに優しいのかを調べた結果、欲求についての考察がしっくりきた。
確かに、私の若い時は低次元の欲求を満たす事でいっぱいだったのかも?
甥っ子達は既に低次元の欲求は満たされているから、あんなに優しいのかも?
格差社会を産み出してしまった我々世代は物欲が激しいからなのかもしれない。
甥っ子達世代は変な欲が無いし、精神がより高尚だから、我々が作ってしまった格差社会を作り変えてくれる
かもしれない。
最近の若者は・・・素晴らしい社会を作ってくれる素晴らしい存在なのかもね♪
物欲が少なければ、俺はこんなに富はいらないや、みんなに分けよう、そんな人達が社会を作れるのかもしれない。
彼等が現代資本主義のどうしようもない点を直そうとしてくれる希望なのかもしれない。
実際、若い人達のボランティア精神は凄いっていうし・・・・・
何が言いたいかというと、若者って羨ましいんだよね。
最近、駅のホームでエッチの様なただ抱き合っている様な写真が撮られたようだが・・・
こんなのただ若者が羨ましいだけでは?
性に対してとか公然道徳に対してとか言う前に、言動や行動の裏には羨ましい気持ちがあるはずと思う。
私も高校3年生の時に初めて「最近の若い者は・・・」って言葉を発してしまった経験がある。
それは部活動の後輩の行動を揶揄したものだったが、言ってしまった自分に気付いて恥じた・・・
数年前はその言葉を言われる立場の人間で、言われる身としてあまり面白くない言葉なのは重々承知していた。
もし、自分が大人になったらその時の若者に対して口にするまいと思っていたんだが・・・
ただ単に当時高3の自分は純粋に高2以下の後輩が羨ましかっただけなのに、奴等は反省や自粛、先輩への敬意
とかが足りないからあんなに伸び伸びしすぎているんだ、なんてダメな奴等なんだ、って思った。
今考えると、ただ自分も伸び伸び自分だけの事を考え部活していたら、もっと戦績があがったろうに、
ああ、奴等は自分勝手出来ていいよなぁっという羨望からの言葉だったんだなっと思う。
公然についてだって、自分が若い時は自分の事ばかり考えていたし、駅前で抱き合っていたり、電車内で
抱き合っている事もあったし・・・
第一、あの頃の大人はもっと寛容だった様な・・・・
若い頃は自分が見えないと言われればそうなんだが、公然で抱き合うという迷惑行為を咎められた事はない。
写真を撮られて、ツイッタ―やブログにあげられるという心配もなかったからかもしれないが・・・・
今の若者を揶揄するのに、「草食系」とか「草食男子」とかいう言葉がある。
「ゆとり世代」というのも羨ましい若者達を揶揄するのに大人達が使う使い勝手の良い言葉だ。
根底には羨ましい気持ちが隠れている、相手(若者達)を揶揄する言葉だ。
ただ、可愛い甥っ子を持つオジサンとして、甥っ子達の性格が確かに昔に比べて大人しいのに若干の心配
もあるので、草食男子についての記述を調べてみた。
マズローの欲求5段階説
人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されていて、低階層の欲求が充たされると、より高次の階層の欲求を欲するというもの。
第一階層の「生理的欲求」は、生きていくための基本的・本能的な欲求(食べたい、寝たいなど)で、この欲求を充たせれば、次の階層「安全欲求」を求めます。
「安全欲求」には、危機を回避したい、安全・安心な暮らしがしたい(雨風をしのぐ家・健康など)という欲求が含まれます。
「安全欲求」を充たすと「社会的欲求」(集団に属したり、仲間が欲しくなったり)を求めます。この欲求が満たされない時、人は孤独感や社会的不安を感じやすくなります。
ここまでの欲求は、外的に充たされたいという思いから出てくる欲求です。
そして次に「尊厳欲求(承認欲求)」(他者から認められたい、尊敬されたい)という欲求が芽生えます。ここからは外的なモノではなく、内的な心を充たしたいという欲求に変わります。
そして、最後に「自己実現欲求」(自分の能力を引き出し創造的活動がしたいなど)の欲求が生まれます。
マズローの欲求5段階説
※ちなみに、マズローは晩年、5段階の欲求階層の上に、さらにもう一つの段階があると発表しました。それは「自己超越」という段階。
「目的の遂行・達成『だけ』を純粋に求める」という領域で、見返りも求めずエゴもなく、自我を忘れてただ目的のみに没頭するという領域のようです。
以上が精神的に今の若者がなんであんなに優しいのかを調べた結果、欲求についての考察がしっくりきた。
確かに、私の若い時は低次元の欲求を満たす事でいっぱいだったのかも?
甥っ子達は既に低次元の欲求は満たされているから、あんなに優しいのかも?
格差社会を産み出してしまった我々世代は物欲が激しいからなのかもしれない。
甥っ子達世代は変な欲が無いし、精神がより高尚だから、我々が作ってしまった格差社会を作り変えてくれる
かもしれない。
最近の若者は・・・素晴らしい社会を作ってくれる素晴らしい存在なのかもね♪
物欲が少なければ、俺はこんなに富はいらないや、みんなに分けよう、そんな人達が社会を作れるのかもしれない。
彼等が現代資本主義のどうしようもない点を直そうとしてくれる希望なのかもしれない。
実際、若い人達のボランティア精神は凄いっていうし・・・・・