リューブログ

雑感 193

村おこしとか

地方創生とか古くは村おこしとか言われているが、村おこしの時はまだしも地方創生と言いながらも人口減少に転じた現在ではどこか虚しく感じてしまう。
住んでいる田舎の町も小学生が減少していっている現状で、近隣の住宅街の小学校は子供であふれている。この町が活気に溢れているとは思わないが、昔からそうだったという気もする。出張所はいつの間にか連絡所になり、バスの運行本数も減り、その維持も難しいようだ。

では地方創生とはどういうことだろうか。
減り続ける人口に歯止めをかけ、産業を作り出し、地方都市として生活できるという事だろうか。
しかし、それをあちらこちらで行ったとして、人が分散するだけではないだろうか?必要なのは人材という質よりも数ではないかな?
全てが右上がりの昭和なら村おこしも良かっただろう。UターンやIターンも可能だろう。しかし下がらい始めた現状ではそもそもの拡大志向の考え方が違うのではないか。もっと集約しコンパクトな思考に変換するべきではないだろうか。もちろんそれだけではダメだろうだから、拡大できるようなアプローチも他方ですべきだとは思う。

しかし、それは地方でも県市レベルの話でそれ以下の区町村でどうこうできる話ではないと思う。それこそ村おこしなんて事は一つの村だけでどうこうできるものではないと思う。
今住む町も衰退の一途だ。しかし一部の地区はスーパーなどが集まる小さいながらも商業施設があり、その地区の予算は町全体の予算よりも多いと聞く。では、他の地区も「わが地区も」と同じように商業施設を作って同じように栄えるだろうか?そんなことはあり得ない。そんな近くに誰も誘致できないし誰も出さない。

個人的には今の町の名前がどこかと合併して変わっても、今の日々の生活に特に何も変わらないからいっこうに構わないと考える。住所の表記が変わったりするだろうが慣れるだろう。ましてや母校が合併でなくなるとなっても、わが子が通っている訳でもないのに反対する理由もない。寂しいとかは感情論でしかない。感情だけでは学校は維持できない。地元の消防団もここ何年も新人団員が入らず平均年齢は昔なら退団していた年齢になった。ここもまた再編成の必要があるだろう。

かたや村おこしに必死な地域もある。が、その中身を見ても旗振りの人間を見てみると、その地元で自営業を営んでいる人間が多く、サラリーマンとしてその町の外へ市外県外へ働いている人は少ない。それはそうだろう。みんな仕事や生活で忙しい。多くは自分と同じく、今の自分の生活に直接関係あることではないから興味も少なく、休日に呼び出されることも疎ましく思う面もあるだろう。
わが町の商業施設も誰がどういう過程で誘致したのかわからないが、きっと得する人間がいたのだろう。
もしかしたら、村おこしや地方創生はそれを言い出した人が自分の為に言い出したんじゃないだろうか?それは自分が商売している拠点に人が増えるという事はビジネスチャンスが増えるという事でもあるからな。いや!そんなことない!俺は自分の村の事を第一に考えてる!なんて言い出すなら、それこそ市議会議員にでもなって政治的に動くべきではないだろうか。

先日近隣のイオンモールで近くの村の祭りの催しものが行われたらしい。
イオンモールの隣の村なのだが、今敢えて村の祭りを、しかも祭り自体は終わった後に、イオンモールで見せる理由はどこにあるのだろうか。参加した人はすでにのその村を離れ別の市で家庭を持ち生活基盤があるのだが、彼の実家があるという事で祭りにも参加しそのような企画にも参加している。その姿勢には敬服するが、村を出た人にまで参加してもらわねば成り立たない祭りはすでに体をなしていない。

近所のコンビニに外国人アルバイトがいる。この町では外国人を見かける事すら日常ではまず無い。そんなところに外国人が働きだしたのは、差別的観点ではなく、驚きだ。こんな街ですらそうなのだから、変化を受け入れていく必要があるのだろう。
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