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お盆が終わりました ―仏事に関する考え方等々―

2021-08-18 11:50:28 | 日記

今年もお盆が終わりました。

どのお寺さんもみんな忙しくなるこの時期。常圓寺は各お檀家さんと「薄く広く」のお付き合いをせざるをえませんので、棚経廻りはお新盆のご家庭で申し込みをいただいた方のみとさせていただいております。それでも、各ご家庭を回るとお施主様やご家族の方がいらっしゃって、ご一緒にご供養していただける。ありがたいことです。

 

一般的に、若いころは仏事に興味がない。しょうがないことだと思います。自らの世界が日々広まっている子供たちや、幸か不幸か今まで何にも理不尽な出来事に遭遇したことのない方は、宗教の必要性がなく、興味もないことはしょうがないことです。

「最近の若い者は…」別に宗教離れが進んでいるとは思いません。但し、学校では宗教の具体的な部分は教育せず、家庭でも核家族化が進み、あるいは「子供に迷惑をかけたくない」という思い込みが強い方が増えた(?)ので、仏事や宗教に触れる機会が減ってしまっているのでは、と思います。(※注記:お子様たちと相互確認の上で行事を簡略化されていくのであれば、それはやむを得ないことと思います。しかし、行事を簡略化されていく方は、その全てが相互確認をされていらっしゃるのでしょうか。伝聞の範囲でも、周囲の事例を見ても、疑問に思わざるを得ません)

この浮世において、理不尽な出来事に全く遭遇しないことはありません。(最大の理不尽は、人は老化していずれは死ぬことです。(無病の人はもしかしたらいるかもしれない!))20代頃まではイケイケでも、徹夜で仕事ができなくなり、目が悪くなり…等々老化は着々と身に迫り、今まで広がっていた世界が縮小に転じる時があります。仏事や宗教に興味を持っていただくのは、そのような時でも構わないと思います。但し、そのような時に「誰に頼ってよいのか」の選択肢が無い方もいらっしゃるように見受けられます。

もしかしたら、困ったときに和尚さんに話を聞いてもらえるかもしれない。(これはお互いの相性の問題もあります。)もしかしたら、たまたま参加した坐禅会が趣味になるかもしれない。もしかしたら、たまたま聞いた法話に興味がひかれるかもしれない。もしかしたら…全く為にならないことかもしれない…

でも、このような「ほとんどが不必要」なことは世の常です。宗教も、法話も、学問も…学校の勉強なんて高校以上で学ぶことは、8割方人生に必要ではないことかと思います。しかし、必要でないことを学ぶことが意味のない、無駄なこととは思いません。学んだことのうち、一片でも人生のためになれば、それはその全てが無駄ではない学んだ意味があると思います。たとえ学問でも、当たりくじや当たり馬券だけを買うことはできないのです。中には偶然にも最初に学んだことが「当たり」で人生の糧になった人もいるでしょうし、中にはいつまで学んでも「当たり」に巡り合えない人もいるでしょう。でも、もしかしたら、今日(乗り気でなくても)参加した法事がその「当たり」に何かつながることになるかもしれない。

 

子供のころから仏事や宗教に(意味もよくわからないままでも)触れていただく必要性・利点の一つは、このような時に選択肢の一つとしてご理解いただけることだと思います。そして、それが自らの人生を豊かにしていく「当たり」になるかもしれない。そういう点で、法要の席に、若い方々がいらっしゃることを、大変うれしく思います。

 

…そろそろゲームネタも書こうかと思っておりましたが、持論を書いていたら分量が多くなってしまったので、今日はこの辺で。