2022年1月16日(日)
新年を迎えても 寒~い日が続き、例年より初乗りが遅れてしまいました。 とはいっても、相模川の河原を数時間走っただけですけど
去年12月下旬にスターターリレーを交換し バッテリーを充電しておいたので、一発始動で今年も serowは絶好調。 と信じたい。
自宅から一番近いこの辺りの河原は、春になると草木が生い茂り 縦横無尽に走り回れるのは 寒~い この季節限定です。
雑木伐採のため立ち入り禁止となっていた場所は、またコースらしきものができつつあるようです。
でも、完璧に整地されてしまったので、以前のように大ジャンプができるコースが復活するには かなり時間がかかるかも(?)
皆さん、ご近所からクレームがこない範囲で楽しんでくださ~い。
そして、私の好きな場所へ。 ここは寒い季節限定ってことではありませんが、やっぱり冬枯れの季節が走りやすい。
こうして、相変わらず朝は寒かったものの 午後からは10℃を越える気温となり、快適な初乗りで身も心もスッキリ。
ちなみに、去年の12月から ほとんどバイクに乗らなかったのは、強力な寒気団が中国東北部に居座り、ほんとうに寒い日が続いたから。
年齢を重ねるごとに寒さに弱くなったり、バイクへの情熱が薄れてきたからではありませんので、そこのところ誤解がないようにお願いします。
さて、今年はどんなバイクライフになることでしょう。 早く春よ来い。
余談にはなりますが、寒い季節になると読みはじめるのが <その名は夕撃旅団-改> というサイト。 今回は、イギリスと日本編です。
スーパーマリン スピットファイアの全て、スピットファイアへの道1(歴史編)の「ロールス-ロイスという会社」を読んでいると...
ひょっとしたら 我らのHONDAと似ていることに気が付きました。 そして、さらに読み進めると
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だが、ロイスがその才能を発揮出来たのも、後にロールス-ロイスが設立された後 それらがキチンと運用されていったのも、
クレアモントの手腕によるところが大きいように見える。
あとで出てくる、ジョンソンが好き放題やれたのも、彼がしっかり本社を守ってたからだろうし。もう少し、評価されていい人物だと思う。
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ちなみに、ここら辺、ホンダの本田宗一郎と藤沢武夫の関係によく似ていて、なかなか興味深いものがある。
天才的技術者には、実務面をフォローしてくれるパートナーが必須なのかも知れない。
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との記述が。 これ、著者(サイトの管理人さん)より、私の方が先に気が付いたのですよね~。 ん(?)
余談の余談ですが
ホンダの本田宗一郎総司令官が戦時中、エンジン用ピストンリングを製造する会社を経営していたのはよく知られてますが、
実はプロペラの製造にも関わったことがありました。といってもプロペラを造ったのではなく、その製造装置です。
まずは木製プロペラの自動切削装置を造りヤマハに納入、それまで職人の手作りだったものを機械製造に切り替え、数十倍の製造効率を達成したとされます。
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ちなみに戦後にヤマハから独立したバイク屋さん、ヤマハ発動機の始まりは、このヤマハ社内のプロペラ製造部門です。
ヤマハのプロペラ工場は終戦後しばらく占領軍に押収されたものの、後に返還されます。磐田の疎開先だったので幸い、被害は少ないままでした。
ただし当時はちゃぶ台などの木製加工品で生き延びていたヤマハにはこの工場の機材の使い道がなく、これを活用するため、
自転車用エンジンのヒットで急成長したホンダに追随することにしたのが今のヤマハ発動機、二輪のヤマハの始まりとなります。
ちなみに、この時、ホンダは気前よくベンリーエンジン工場の見学をヤマハの関係者に許してました。
らしいです。 やっぱり、あなたは偉かった!
では、では、
・走行距離 : 数十kmぐらい(?)
・燃費 : ガソリンが腐らないように帰りに給油したけど、どれくらい入ったのか記憶にありませぬ。
スキーに行って、ゲレンデのマイナス10度は、苦になりませんが、日常のプラス5度は、活動停止温度です。
風呂温度を43°に設定しています。
これでも汗かかないんです・・・。
寒さに弱い。
因みに、私は大寒まじかの1月生まれです。 あ! ひょっとして電熱ベストに秘密があるのではないでしょうかね(?)