禅と薔薇

高島市 曹洞宗 保寿院 禅の話と寺族の薔薇のブログ

ことば

2014年11月25日 | 小さな法話
好いことがあった人には、「よかったですね」
好くないことがあった人には、「たいへんでしたね」
久しぶりの人には、「お変わりありませんでしたか」
別れ際には、「お元気で」

たとえ、一言でも構いません。

人への思いやりを持った言葉をかける
これを「愛語」と言います。
何の見返りをも、期待しない言葉がけです。

あなたの愛語は、自分のことより人のことを思っての「ことば」

歳を経れば経るほど、よりたくさんの愛語がいるのです。


気候の変化とともに薔薇の花が少なくなってきました。オレンジ色の薔薇「チンチン」がよく咲いています。







いのち

2014年11月24日 | 小さな法話
私のいのちは、父母の命を生きている
私のいのちは、祖父祖母の命を生きている
私のいのちは、先祖の命を生きている
私のいのちは、食べ物となっていただいた、たくさんの命を生きている

私のいのちは、水のおかげで生きている
私のいのちは、空気のおかげで生きている
私のいのちは、太陽のおかげで生きている

私のいのちは、声をかけてくださった人のおかげで生きている
私のいのちは、家を作ってくださった人のおかげで生きている
私のいのちは、衣服を作ってくださった人のおかげで生きている
私のいのちは、ものをわけてくださった人のおかげで生きている

私のいのちは、過去を背負って生きている
私のいのちは、未来に向かって生きている
私のいのちは、この瞬間を生きている
私のいのちは、わたしだけの命ではない



きょうは先住忌です。ミニバラの「マジックキャローセル」が小さな花を咲かせています。

法界定印

2014年11月23日 | 小さな法話
お寺などの仏像は、いろいろな手の形をしています。
右手をあげ左手をさげる形、胸の前で人差し指を握る形、人差し指と親指で輪をつくる形などいろいろな形があります。
この両手で表現する形を「印相」と言います。
古いインドでは手の形で意志を現す習慣がありました。これが発展して印相ができたと言われています。印相は、サンスクリット語の「身振り」を意味するムドラーをもとにしたもので、お釈迦さまの身振りから生まれたものです。
様々な印相には、それぞれの仏像の誓願や功徳を表わすものとされています。
その印相のひとつに「法界定印」があります。坐像で、両手の手のひらを上にして腹部の下で上下に重ね合わせた形です。
これはお釈迦様が悟りを開いた時の形で、仏が思惟に入っていることを示す印相で、左手の上に右手を重ね、両手の親指の先を合わせて他の指は伸ばしています。


私たちが座禅を組むときは、右手を下に左手を上にして、「法界定印」をくみます。
東福寺の聖一国師は「一時坐禅すれば一時の佛なり、一日坐禅すれば一日の佛なり、一生坐禅すれば一生の佛なり」と説かれています。

毎月1日は、坐禅会です。
初めての方も、ご一緒に坐ってみませんか。

長く楽しませてくれる「ベルデスピヌーズ」ですが、花びらは開いていくのですが、余り変化を感じないように思います。

而今

2014年11月22日 | 小さな法話
もうすぐ12月です。
今年もあますところあとひと月余りとなりました。
光陰矢の如しといいますが、月日の経つのは早いものです。
この一年を、どのような過ごし方をしたでしょうか。
怠惰に過ごしてはいなかったでしょうか。

「而今」(にこん)という禅語があります。
「ただ今」「今この瞬間」という意味です。

「今」という瞬間は、その言葉を発した瞬間から過去になります。
生きてきた過去を担い、これからの未来に向けての「今」を、しっかり生きていくことが大切です。

「ベルデスピヌーズ」の寒くなった中で新しい花を咲かせようとしています。

選択

2014年11月21日 | 小さな法話
私たちは、つねに選択をしています。
数年に一度の場合もありますし、年に数回の場合もあります。
毎月のこともあれば毎週のこともあります。
もっと身近な選択は。毎日たくさん行われます。

きょうは、どんな服を着ようか。
どんなバッグを持っていこうか。
誰とごはんを食べようか。
なにを食べようか。

選択の結果が、望むものであることもあれば、望むものではないこともあります。
必ず思い通りとは限りません。
たとえ望まない結果でも、時間が経てば、好ましい結果になることもあります。
そして、その逆もあります。
私が望まない結果でも、ほかの誰かから見たら望ましい結果かもしれません。

そのような結果に一喜一憂してばかりいると、「こころ」が定まらなくなります。


「ジャスト ジョイ」が花瓶の中で咲いています。花の命がさらに生かされています。