春夏秋冬

春夏秋冬のお出かけと日記を載せたいと思います。
時々、過去記事を過去の日付でアップすることがあります。

そうだったのか・・・

2013-11-05 01:43:21 | 日記
たまたま目にした
毒母
の文字

何かと思い調べてみたら・・・
なんとまぁタイムリーな

母のせいだけとは言い難いが
どうやら私の精神的不安定に
少なからず母の影響があるらしい事が分かった

私は小さな頃
「何で?どうして?」
が好きな子だった

だから
分からない事があると
それが何であれ親に聞いていた

今でも鮮明に覚えているのは・・・

小学校の低学年の頃
宿題が分からず母に聞いたら
始めは教えてくれていたけれど
母の答えに対して私が
「何でそうなるの?」
の質問を繰り返していたら
最終的に母に
「なるものはなるの!そう覚えなさい!」
と言われて叩かれた記憶がある

あれから勉強を誰かに聞くことはなくなりました


小学生の頃
母が近所の家庭の事情を
父と話しているのを聞いたことがある

友達との話題に出た時に
その内容を言ってしまったことがある

私は母に散々嫌みを言われ
罵倒された思い出がある

ハッキリは覚えていないが
今にして思えば
口外してはいけなかった内容だと思う

でも私は
その話題を他人に言って良いか悪いかの分別もつかない年齢だったので
落ち度は親にあったのだとは思うけど・・・

あれから
親の話を聞くのが嫌になった

トドメは
小さな頃から高校生位まで
ずっと言われ続けた事

①お兄ちゃんは運動神経良いのに
あなたは運動は何やってもダメだね
(小学生の時に水泳は市の大会に出るレベルでしたけど認めては貰えず。運動神経=足の速さとしか思っていなかったようです)

②お兄ちゃんは勉強出来るのにしないだけだけど
あなたは勉強しなきゃ出来ないから
(100点でも誉められた事は一度たりともありません。それ以外の点数だと怒られました。)

③近所の人との井戸端会議で私の話題が出ると
いつも
家の娘は太ってるから
と言っていた
私に対しても
あなたは太ってるから
と言い続けていました
(162cm・50kgは太ってるんでしょうか?BMI値は何の指標?)

④親に対して私が意見を言うと全く相手にされず
子供が何言ってるんだと言う感じでした
(社会人になるまでそれは続きました)


他にも小さな傷つくことは沢山ありました

30才位まで
私は他人に意見出来ませんでした

例え友達であっても
特に反対意見は言えませんでした

学生の頃は
本当に心の許せる仲の良い友達はいませんでした

他愛のない話以外
私が何をどう思っているかを伝えることは出来ませんでした

どう思われるか怖かったから

離れていってしまうんじゃないかと
そう思っていたから

今にして思うと
かなり病んでたと思います

親と離れて
今は昔よりかなりマシになってます

一時期
環境適応障害になったりと大変でしたが
その時
親は帰って来いとは言いませんでした

精神が病んでる娘なんて
手に負えないと思ったんでしょうし
近所の手前
恥ずかしかったようです

私が離婚した時は
帰って来い
とは言いましたが
近所には何故帰って来ているのかは
内緒にしていたようです

母は
父が知り合いに話した事を
恥ずかしい
とひどく怒っていましたから

親と離れる事が
私には一番自由で自分らしく居られる環境だと
最近は気づきました

とは言え・・・
時々自分でもどうにも出来ない程
メンタルがダウンします

小さな頃についた心の傷や呪縛は
そうそう簡単には消えないようです