印旛沼を散歩すると、池の脇にある小さな溜まりに鮒を釣る人影があったりして、立ち止まって様子を見ることがある。
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ここは、画面奥から細い流れが導水路に流入している。細い流れは、右奥の小山から流れてくるのだろう。
そうだ、右奥の丘陵は、臼井城跡があるのだ。
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ここは、釣り師がよくいう「ワンド」 なのだ。
この日は寒さも小緩んで、魚でも食欲があるのか、15センチぐらいの小鮒が次々揚がっていた。
活性が高いみたいだが、へらぶなじゃない、真ぶなのようだった。
ふなつりは、昔はやったものだが、今は遠ざかっている。
いろいろちょっと、厳しいのだ。
装束や、仕掛けが物々しい。手先が冷たい。餌の匂いが手につく。足元が泥でぬかるむ。同じ姿勢でじっとしていると辛くなる。
そういう始末なので、今は、人の釣りをみているだけ。
そして、中学のころ、ガキの時分、友と連れ立って簡単な仕掛けを垂らして池釣りをしたはるかな想い出に浸れるのだった。
カイパンを用意していて、飽きたら泳いだりした、そんないい昔だった。
こんなとき、心はすっかり昔の少年。
昨年は、そんな旧友のひとりの家から、喪中はがきが来たんだった。