5月の連休、我々一行は、信貴山にある料亭旅館、みよしに1泊しました。
私はかつて東生駒に住んでいましたが、信貴山へ来たのは初めてなのです。
信貴山には朝護孫子寺という古刹があります。
1400年前、聖徳太子がこの地に毘沙門天を感得なされ、朝護孫子寺と名をつけられたというのです。
ご本堂のほか、千手院などいくつかの堂塔伽藍があり、見渡せば大きな地蔵尊が見えています。
一角には、千体地蔵が賑やかに祀られています。
戦国時代には、この山に信貴山城が築かれていました。
最近、兵庫の竹田城が天空の城といわれて人気がありますが、信貴山城も斑鳩の西にあって大和盆地を一望できます。
信貴山の標高は433メートルで竹田城より80メートルも高いといわれ、天空の城として整備するのだそうです。
泊まった旅館からも、こういう眺望が見下ろせました。
大きな溜池があって、自生している藤が花咲いていました。
信貴山城の命運は、すこぶる曰くがあります。
松永久秀は、三好長慶の配下として河内から大和へ攻め込み、信貴山城に拠って力を蓄えた。
そして、三好らと謀って将軍足利義輝を暗殺した。
そののち、主の三好に戦いを挑み、この戦で奈良の大仏殿を焼き尽くした。
そのあと、織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、いち早く降伏して信貴山を根城に信長配下の武将として摂津、河内方面に戦った。
松永久秀はそののち、信長にも反旗を翻して天正5年(1577)、ついに信貴山城に討ち死にしてしまった。
そんな武将だったため、彼は戦国時代の悪人とされている。
将軍を謀殺した。主の三好を滅ぼした。大仏殿を焼いた。二度にわたって信長を裏切った。そういう油断ならぬ反逆者だったとされる。
私たち一行は、この前日、東大寺に詣って大仏さんを仰いできたのでした。
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