すると
可動性の 流動性の 変わりやすい 気まぐれな 活動的な
と解説されてあった。
通勤途中や、旅行中、旅先などでスマホや携帯型情報機器を操作するのが、今、最も普通に認識されているモバイルという言葉ですね。
通勤電車の車内とか、通勤でなくても普通の時間の主婦とかおじさんだってそうだが、皆、スマホを操作している。
皆という言い方はオーバーとしても、大多数の乗客はスマホの画面とにらめっこしていますよね。
あれが「モバイル」なわけ。
昔、高度成長の時代、私はサラリーマンだったけれど、電車に乗ったら新聞をよく読んだもんだ。
朝なら朝刊、帰宅時なら夕刊を家とか会社とか、駅売店で買うとかして、電車で読んだもんだ。
読み終わって、下車するときには、網棚に放り上げて下車する。
あるいは、電車にのったら網棚に遺棄された新聞を失敬して読んだりしたのだった。
昔と今と、車内での情報へのアクセスというか、乗客の生態は随分様変わりしているのです。
そういうふうに変化しているのだから、新聞が売れなくなったのも無理はないと思う。
昔、私は、大阪でサラリーマンしていたので、あの頃、夕刊専門誌がありました。
大阪新聞、大阪日日新聞、新大阪なんていう夕刊専門誌がせっせと売られ、読まれていたのだ。
おかげで、電車がターミナル駅に到着すると、車掌さんや、清掃員は網棚の新聞を集めて廃棄するのに追われていたほどだったのだ。
それが、今はスマホ一代。
ありとあらゆる情報が伝達してもらえるし、ラインもできる、知人とも語り合うことも出来る、将棋やゲームもできる、写真も写せるしそれの鑑賞も出来る。
三種の神器を全部引き受けたようなスマホが普及しましたが、昔と比べて、人間が賢くなったのか、偉くなったのか?
そういう話は、全然聞かないのです。
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