サンズ・トーク

伊藤左千夫の酪農事業

明治30年代以降、短歌に、小説に積極的な活躍をし、多大の足跡を残した伊藤左千夫であるが、当時、東京は本所区茅場町(今の錦糸町駅あたり)で、乳牛を飼い、牛乳を生産して生活の糧としていたのだ。

千葉は成東の豪農に生まれた左千夫は、政治を目指して明治法律学校に入学したが、すぐ眼病にかかって退学した。
その後、実業につくことを考え、牛を飼って牛乳を生産して売れば、人々の欧風な食生活の流れに乗れるとの目論見で、今のJR錦糸町駅あたりで、4畳半と土間だけの建物を造り、乳牛3頭を飼って、これは結構仕事になったらしい。

そうするうち、和歌と茶道に明るい同業者と出会い、のち、正岡子規の歌論を崇拝するようになって、次第に和歌、小説、茶の湯に傾倒することとなったのである。

今の錦糸町駅南口のバスターミナルに、左千夫を記念する歌碑があるので、雨天だったが写真を写してきた。
雨滴がフラッシュに光って写っている。



「よき日には庭にゆさぶり雨の日は 家とよもして児等が遊ぶも」



錦糸町南口

昔は、ここらで、牛が草を喰っていたらしいが、今、このあたりは、そんな昔が信じられないぐらいの繁華街になっている。

写真を写すんなら、もっといい日に行けばと思われるだろうが、この日は東京で、忘年会の走りがあったのだ。
わしだって、予定はあるのだ。
20年来以上の盟友であり畏友であるS会長、K社長、N長老と酒を酌む。
盛り上がった話題は、タイガーウッズの不倫だかの事故、毎月1500万下さるママのありがたさ、などであった。
そして、カラオケ。

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