江戸時代、幕府の中でも、佐倉藩は「文明開化」の先鋒を競っていた。
津田梅子の父、津田仙は、佐倉藩の農学者であり、江戸幕府の訪米使節団の通訳として、アメリカへ旅行もされていた。
津田仙の二女、津田梅子も、6歳のときから訪米使節に同行して、渡米し、アメリカで英語などを学んだ。
二度目の訪米勉学の上、英語の塾などを創設、女子の学問の塾をつづけられた。
女子の英語教育、学問基盤の創設に努められたので、その偉業はいまでも、日本の学問文化のなかで燦然と輝いている。
津田塾大学の創始
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