それそれ、私も気になってチェックしてみたのです。
今の巣鴨から見ると、相当遠いところに昔の巣鴨拘置所はありました。そして、今はない。
地名で豊島区東池袋というところに、昭和45年まで、東京拘置所という名称で残っていました。
今では、再開発されてサンシャインシティというビルやプリンスホテルに変っていました。JR池袋駅から歩いて10分ぐらいかな。
だから、東池袋は、その昔は西巣鴨といわれていたようだ。
今の巣鴨からは、相当遠いのです。駅にして、駒込、巣鴨、大塚、池袋と並んでいます。
さて、巣鴨拘置所は、戦後、戦犯を裁判にかけた「東京裁判」の被告が収監され、死刑などが執行された、日本人にとって痛恨の思いを秘めた場所だったのです。
当時、戦争をおこしたことに関する法律は、なかったのです。
日本は、ポツダム宣言を受諾して無条件降伏、日本の主権が否定されて仕方のない状況。
裁判では、戦争を行った罪、平和を損ねた罪が問われたのです。
戦争は、自衛戦争だったか、侵略戦争だったかを、戦勝国の11人の裁判官が裁いたのです。
戦犯にも弁護士はつきました。
とある外人の弁護士は、「戦勝国の米国は、2発の原爆を行使して、多くの人々を無差別に殺戮した。かかる国が原告となり、法律根拠のない問題で戦犯を裁くのは人道上承認することはできない」と主張しました。
また、戦勝国の中のインドの判事は、判決に際し、法の根拠がない裁判であるから、全員無罪と主張しました。
だが、結果は、7人が死刑、16人が終身禁固と判決され、執行されたのです。
今、その因縁の場所は、60階のビルが建ち、ホテルやオフイス、プラネタリウムから水族館もある近代施設になっています。
だが、処刑が行われたところは、公園になって、空閑地のまま保存されているのです。
東京拘置所はどこへいったって、荒川の東岸、葛飾区の小菅に大きな拘置所になっていました。
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