昔は、江戸というところ、利根川も渡良瀬川も、荒川も全部江戸湾に注いでいたので、洪水は年中行事のごとく頻繁だった。
徳川家康が江戸に入部すると、早速、利根川と渡良瀬川を江戸に流れ下るのでなく、銚子に向けるよう、付け替え工事を始めた。
およそ60年後、四代将軍家綱の頃の承応3年(1654)、付け替えが完成し、江戸は、相当、洪水の危険を少なくしたのである。
これを利根川の東遷という。
いまでこそ、洪水は殆ど考えられないが、付け替え完成後でも、この川や、荒川はしばしば暴れて、江戸は洪水に悩まされたのであった。
そんなこともあってか、この川、明治に至るまでもとのまま、利根川と呼ばれ続けてきたのである。
初冬のある日、午後から夕刻にかけての江戸川の静かな流れをキャッチした。
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もと国府台城のあった岡の裾から上流を望む。
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同所から西の対岸を望む。
本当はこの方向に富士山が見えると思う。
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京成電鉄 国府台駅から彼方に沈む夕日を見る。
前の橋は、国道の市川橋。