また、江戸時代、土地の名主、佐倉惣吾郎が、佐倉藩の過酷な年貢取立てに抗し、禁を破って上京して、農民の窮状を4代将軍家綱に直訴した。その咎により惣吾郎は4人の子とともに死罪となり、命を賭して農民の困窮を救った義民と謳われ、物語や芝居となって歴史に残っている。
惣吾郎を祀る宗吾霊堂を詣でた。
寺名を鳴鐘山東勝寺といい、千年以上前、桓武天皇の勅命により、坂上田村麻呂が創建したという古い寺院である。今から350年前、この地で惣吾郎が磔刑となり、以後、義民惣吾郎の菩提寺として、人々の信仰を集めている。
この寺は、成田市にあるが、昔は成田も佐倉藩のうちだったらしい。資料には、佐倉領内389か村の領民が長く宗吾の徳を慕ったとある。
山門 昭和53年築 安置仏 金剛仏阿吽両尊像 人間国宝香取正彦作 楼上安置仏 聖観音菩薩像 高村光雲作
本堂 大正10年再建
本堂内陣
鐘楼 昭和27年建立
このほか、薬師堂、大本坊、慈眼閣、聖天堂、奥の院、霊宝殿、水子地蔵などの諸堂があって、人々の崇敬による寄進が集まっている。
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