サンズ・トーク

建国記念日について

昔、紀元節というた。
神武天皇が即位した日というのだ。おとぎ話のようだが、国が始まった日というなら、そうなのかとも思うのである。

ちなみに、アメリカなら、独立記念日、インデペンデンスデイ、7月4日だそうだ。
中国は、国慶節、10月1日。毛沢東が、この日に天安門で建国宣言をした日である。

私、小学校は、東京、神田の芳林小学校に行っていた。今、その場所を訪れると、芳林公園と昌平小学校があった。家は、母の実家で、2階の物干しから神田明神さんの石の垣根が見えたものだ。神田末広町20番地という住所だった。電話番号も20だった。
今、外神田が地名になっていて、末広町というのはなくなっているが、地下鉄の駅名に末広町が残っている。

芳林小学校を調べると、安政4年に芳林堂という塾があって、明治にはいり芳林小学校になり、平成になってから淡路小学校と統合して昌平小学校になったとのこと。古いんだ。
徳川幕府時代には、ここらに昌平校とか、蕃書調所とか、幕府お抱えの学問所があった由緒ある一帯なのだ。神田明神さんの向こうには、今でも湯島聖堂が学問の史跡のようになっていて、御茶ノ水の川を見下ろしている。

昔の紀元節の唱歌。オルガンの判奏で唄った。

  雲にそびゆる 高千穂の
  高嶺おろしに 草も木も
  なびき 伏しけん 大御世を
  仰ぐ今日こそ 楽しけれ

太平洋戦争末期には、神奈川県平塚市の第一国民学校に通っていた。
校庭に、二宮金次郎の薪を背負って本を読んでる像があり、天皇のお写真を収めてあるご真影奉安殿があり、旗日には校長先生が教育勅語を奉読した。

その学校は、空襲で焼け、私の居た家も焼け、もっと遠い平塚第四国民学校で二部教授を受けたことが記憶に残っている。

終戦は、我が家の焼け跡の野天に、近隣の人々が整列し、ラジオの玉音放送を拝聴した。音がよく聞こえず、説明されて始めて負けたと訳がわかった。
かんかん照りの暑い昼だった。

昔のことを思えば、父母の労苦のさまが、今更ながらじんと蘇るのである。

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