ここから遠くないところに里見公園という桜の名所もある。
弘法寺(ぐほうじ)は、天平9年(737年)僧行基が求法寺として創建、のち空海が訪れて弘法寺とし、鎌倉時代には、日蓮宗の寺になった。
この地に手児名伝説というのがある。
真間の手児名という絶世の美女があった。あまたの男性に想いをかけられ、身が持たなくなって、入水自殺したという。
行基はこの話をしのんで、求法寺を創建したとされる。
万葉集には、手児名を詠んだ山部赤人、高橋虫麻呂の短歌がいくつもある。
そして、弘法寺の門前には、手児名霊堂がある。私が行ったとき、霊堂にさしかけるように柳の大木があり、新芽の緑が鮮やかだった。
あたりを見回してみたが、美少女というのは、やはり昔がたりだったようだ。
弘法寺のうちに、人間宣言という修行の学堂のような別棟があり、浅はかなわれわれ凡人に教え、語りかけているごとくであった。
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