昨日7月6日、田中泯さんの踊りを見に行く。
午前中にも池之端・日暮里で踊ったようだが、8:30に出発して11:00に谷中のSCAI THE BATHHOUSE に戻るまで、ギャラリー待機のスタッフにも場所が掴めないとの事。で、見るられず。
午後は 15:00から、入谷南公園。時間を持て余す。昼過ぎに、1度 SCAIに立ち寄り、30分ほどノンビリする。風呂屋を改築したギャラリー。昨日、谷中の公園で行われた「場踊り」、どこか田舎(白州あたりか?)の風景をバックにした「場踊り」、2つの映像が流れている。18:00からのギャラリーでの踊りに備えて、ピアノの調律が行われている。片隅に泯さん。足を痛めている様子。映像で見るかぎり、裸足で踊っているようだ。昔みたいな、裸ではない。
結局 5時間ほど、上野・谷中・日暮里・根岸・入谷周辺を1人でウロウロ。なつかしい。
で、15:00。こんもり山があり、長い滑り台。他にも遊具が多い。街中にしては緑も多い、30×50m ほどの広い児童公園。
ゴムまりで遊ぶ子供たちの横で、踊りが始まる。
木の周りを巡る。地面に転がる。ゆっくり、ゴロゴロゴロ。目当ての客は、100人程いるだろうか。広場の周りを取り囲む。動きは舞踏的ではない。ブリッジしていた頃の泯さんの見せ方に近いと感じる。だがそれほど、微速ではない。結構、ちょこまか動く。
場の空気を感じて踊るというコンセプトなので、ちょこまかした空気なのだろう。
周りの観客が作り出す 場のパワーが、公園 本来の場の空気を乱しているようにも思う。
30分ぐらいで、あっけなく終わる。もっと公園全体を使う、観客を突き抜ける動きがあるかと思っていたが、収めてしまう。収まっちゃったんだろう、しかたない。
足の怪我のせいもあるか? 疲れもあるだろうな。・・・あえて、踏み越える必要がなかったのだろう。
後で聞くと この公園、 50年前の誘拐殺人事件、「ヨシノブちゃん事件」の現場との事。トイレから連れ去られたらしい。
18:00から SCAIにて、 高橋悠次氏のピアノ演奏(たぶんインプロ)とのコラボ。これも流れに身を任せる感じ。今これをやりたい衝動は、よく分かる。悪くはない。だが、物足りない。時空に楔を打つ、てな感じではない。
舞踏コンセプトへの決別か? 舞踏を捨てたってワケでもないだろうけど。それとも、リハビリか? 肩慣らしかな?
アホなコンテンポラリーの時代が終わり、賢いコンテンポラリーの時代が来たのかも。切羽詰ったコンテンポラリー状況とも言えるか?
新しい文脈探りが、大変なのだ。
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2008-07-07 16:23:10 up
午前中にも池之端・日暮里で踊ったようだが、8:30に出発して11:00に谷中のSCAI THE BATHHOUSE に戻るまで、ギャラリー待機のスタッフにも場所が掴めないとの事。で、見るられず。
午後は 15:00から、入谷南公園。時間を持て余す。昼過ぎに、1度 SCAIに立ち寄り、30分ほどノンビリする。風呂屋を改築したギャラリー。昨日、谷中の公園で行われた「場踊り」、どこか田舎(白州あたりか?)の風景をバックにした「場踊り」、2つの映像が流れている。18:00からのギャラリーでの踊りに備えて、ピアノの調律が行われている。片隅に泯さん。足を痛めている様子。映像で見るかぎり、裸足で踊っているようだ。昔みたいな、裸ではない。
結局 5時間ほど、上野・谷中・日暮里・根岸・入谷周辺を1人でウロウロ。なつかしい。
で、15:00。こんもり山があり、長い滑り台。他にも遊具が多い。街中にしては緑も多い、30×50m ほどの広い児童公園。
ゴムまりで遊ぶ子供たちの横で、踊りが始まる。
木の周りを巡る。地面に転がる。ゆっくり、ゴロゴロゴロ。目当ての客は、100人程いるだろうか。広場の周りを取り囲む。動きは舞踏的ではない。ブリッジしていた頃の泯さんの見せ方に近いと感じる。だがそれほど、微速ではない。結構、ちょこまか動く。
場の空気を感じて踊るというコンセプトなので、ちょこまかした空気なのだろう。
周りの観客が作り出す 場のパワーが、公園 本来の場の空気を乱しているようにも思う。
30分ぐらいで、あっけなく終わる。もっと公園全体を使う、観客を突き抜ける動きがあるかと思っていたが、収めてしまう。収まっちゃったんだろう、しかたない。
足の怪我のせいもあるか? 疲れもあるだろうな。・・・あえて、踏み越える必要がなかったのだろう。
後で聞くと この公園、 50年前の誘拐殺人事件、「ヨシノブちゃん事件」の現場との事。トイレから連れ去られたらしい。
18:00から SCAIにて、 高橋悠次氏のピアノ演奏(たぶんインプロ)とのコラボ。これも流れに身を任せる感じ。今これをやりたい衝動は、よく分かる。悪くはない。だが、物足りない。時空に楔を打つ、てな感じではない。
舞踏コンセプトへの決別か? 舞踏を捨てたってワケでもないだろうけど。それとも、リハビリか? 肩慣らしかな?
アホなコンテンポラリーの時代が終わり、賢いコンテンポラリーの時代が来たのかも。切羽詰ったコンテンポラリー状況とも言えるか?
新しい文脈探りが、大変なのだ。
2008-07-07 16:23:10 up