いつも最高 in Fukuoka

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小倉日明にNHK小倉放送局があった頃のお話

2019年06月23日 | 日記・エッセイ・コラム

NHK小倉放送局は昭和6年(1931)に開局されました。場所は当時の小倉市日明の小高い丘の上。以来35年間、この場所でラジオ放送が続けられました。昭和38年(1963)北九州放送局に名称を変更、昭和41年(1966)に小倉の中心地に移転しました。小倉放送局は昭和27年(1957)に放送児童劇団を編成。私はその第1期生として、この劇団に応募し入団しました。私のスタッフは翌年の第2期生として入団。お互い、高校を卒業するまでこの劇団で放送に携わりました。主としてラジオ第二放送の「学校放送」として圏内の小中学校向けの番組。30分の放送劇や物語の朗読です。当時は録音技術が普及しておらず、ほとんどが生放送です。失敗はおろか休むこともできません。退団するまでおよそ50本の番組に出演しました。その後、この劇団の推移は不明ですが、今は存在していません。その小倉放送局の日明当時の所在地が分かり、スタッフ共々その跡地に行ってきました。もちろんその片鱗はありませんが、今は緑が丘公園になっていてその近傍には立派なマンションが建っています。当時は毎週土曜日の午後にこの局内で練習。演技、発声、発音、アクセントなど結構厳しい指導でした。本番近くになると一週間ほど毎日夜に練習。1期生の劇団員は小学生から高校生まで15名。当時の集合写真が私のアルバム帳から見つかりました。放送局のスタジオでの記念写真です。子供最前列の右端が不肖私(小学5年生)。将来、アナウンサーか舞台俳優を夢見た私。故あって全く別の分野に進みましたが、この当時の体験、特に厳しく指導を受けた発声、発音は間もなく傘寿を迎えようとしている今でも役に立っているように思います。個人的な65年前頃の思い出です。

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2 コメント

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Unknown (支笏 湖次郎)
2019-06-24 11:02:45
やはり下地があったのですね。何か私なんかと違うものを感じておりましたが、児童劇団でしたか。アナウンサーか俳優の道を選ばれていたら、今頃はサンセイさん扮する水戸黄門がテレビ活躍、私が夢中で観ていることでしょう。
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Unknown (サンセイ)
2019-06-25 21:45:25
支笏様、やはり今まで歩いてきた道は間違いなかったようです。俳優になっていれば、「男はつらいよ」の柴又帝釈天の小坊主くらい役でオファーもなく、支笏様とも接点がなく辛い日々だったでしょう。
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