12月14日は、元禄15年(1702年)大石内蔵助以下四十七人の赤穂浪士が江戸の吉良上野介の屋敷に討ち入り、主君浅野内匠頭の遺恨をはらした日です。300年前の江戸での出来事です。この日を期して、福岡の禅寺「興宗寺」で供養が行われました。わが家から徒歩15分の所にあるお寺です。何故福岡でこのような祭典が行われるのでしょうか? 少しばかり長くなりますが、この福岡義士会の説明を一部引用します。【(前略)昭和10年(1935年)ここ福岡市の篤志家木原善太郎が、青少年の健全育成と日本精神作興のため私財を投じ東京泉岳寺と同宗である興宗禅寺境内に赤穂四十七義士の墳墓を模して、配列から地形、玉垣まで泉岳寺のものと同形式の墓を建立されたもので、全国的に他に類のない貴重な史跡です。福岡義士会はこれを機に結成され、毎年十二月十四日に祭典を実施して、義士達の遺徳を顕彰し冥福を祈ることにしました(後略)】ということです。このところ新型コロナの影響で一時中止されていましたが、昨日は四年ぶりの開催となり多くの参拝者が訪れました。私も何度か東京泉岳寺のお墓にお参りしたことがありますが、全く同じレイアウトに驚きました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます