ありのままを伝えることがメディアの基本姿勢。
司会者やコメンテーターの発言は、なんであれ民衆の思考を誘導する。
なんだか自分の言っていることが正しいと言い切っている人もいる。
自分や自分を取り巻く人々が一番正しい、というのには違和感を感じます。
少数意見にも、言い分があり、多数による方向性の強要にたいして、
自分なりの意見を持って、向き合っていく姿勢が必要ですね。
こんな話はこれくらいにして、身の回りのこと。
家族、友達、仲間、地域住民などの間でも、
やはり何かしらの行き違い、考え方の違いがあります。
大人なんだから、妥協あり、説得あり、取り下げありで、
状況により上手に使い分けて行くのが知恵でしょうか?
また、無用な諍いを避け、お付き合い、気遣いを大事にしていれば、
自ずと生活環境は質の良いものとなっていきます。
最近、一人、また一人と先輩諸氏が亡くなっていきます。
みんな最後は一緒なんだから、それまでの現世を分かち合って生きないと。
生きてる間だけ、見つめ合い、言葉を交わし、手に触れ、抱き合うことができます。
生きてる間だけ、喜びも悲しみも痛みも辛さも感じられるのだから、
生きている証として、飄々と受け止めていこうと思うことこそ
小さな悟りなのではないでしょうか?
とはいえ、いろんな煩悩に苦しめられているわが身を思うと…(笑)
「煩悩、煩悩、飛んで行けっ!!!」
司会者やコメンテーターの発言は、なんであれ民衆の思考を誘導する。
なんだか自分の言っていることが正しいと言い切っている人もいる。
自分や自分を取り巻く人々が一番正しい、というのには違和感を感じます。
少数意見にも、言い分があり、多数による方向性の強要にたいして、
自分なりの意見を持って、向き合っていく姿勢が必要ですね。
こんな話はこれくらいにして、身の回りのこと。
家族、友達、仲間、地域住民などの間でも、
やはり何かしらの行き違い、考え方の違いがあります。
大人なんだから、妥協あり、説得あり、取り下げありで、
状況により上手に使い分けて行くのが知恵でしょうか?
また、無用な諍いを避け、お付き合い、気遣いを大事にしていれば、
自ずと生活環境は質の良いものとなっていきます。
最近、一人、また一人と先輩諸氏が亡くなっていきます。
みんな最後は一緒なんだから、それまでの現世を分かち合って生きないと。
生きてる間だけ、見つめ合い、言葉を交わし、手に触れ、抱き合うことができます。
生きてる間だけ、喜びも悲しみも痛みも辛さも感じられるのだから、
生きている証として、飄々と受け止めていこうと思うことこそ
小さな悟りなのではないでしょうか?
とはいえ、いろんな煩悩に苦しめられているわが身を思うと…(笑)
「煩悩、煩悩、飛んで行けっ!!!」