(ブロガー諸兄姉へ。私に残された時間はあまりないようなので、焦っています。このブログももうなりふり構わず更新しようと思います。古いものも動員しますので、長ったらしい文など読みづらいと思われましたら、どんどん無視してください。こがらより)
先日 「萬葉堂」 という古本屋を漁っていたら 『小學國語讀本卷二』 (小学校尋常科一年生の後期に与えられたのと同じ本) を見つけた。裏表紙に 「一年 中井道」 と達筆な毛筆で署名されていて少しも汚れていないので、大事に使われたらしい。
その最初のページに 「山の上」 というあの詩があった。これを目にして、すっかり忘れていたあの時間が帰って来るような思いをした。
ムカフ ノ 山 ニ ノボッタラ、
山 ノ ムカフ ハ、村 ダッタ。
タンボ ノ ツヅク 村 ダッタ。
ツヅク タンボ ノ ソノ サキ ハ、
ヒロイ、 ヒロイ ウミ ダッタ。
青イ、青イ ウミ ダッタ。
小サイ シラホ ガ 二ツ 三ツ、
青イ ウミ ニ ウイテ ヰタ。
トホク ノ ハウ ニ ウイテ ヰタ。
旧かなづかいのままここに載せてみた。この詩をどんな思いで朗読したのであったか、このあたりに私の、〈詩〉 というものと関わり合う原点があったようである。この詩のリズムは、今も捨てがたいものがある。この詩は、私の里の 「勢見ヶ森 (せみがもり)」 というところにある小高い丘を思い出させる。そこに到る道が本の挿絵の道と似ていたのである。私は子供の頃よくここに登った。だが、ここからは海は見えなかった。見えるのはどこまでも連なる山ばかりであった。
この本のそちこちにある素朴な色刷りの挿し絵も、みな素朴で、なつかしさを誘うのである。日が暮れて山の上にかかるまんまるい月の絵もある。そのころの私の里はこの絵のように澄み切っていて、静かだった。青と墨二色の絵の背景は、ススキ、茅葺きの農家と、松の木ぐらいである。この単純な風景が、一年生の私をして 《自然》 に目を向けさせて行ったのだと思う。
トホク ノ ハウ ニ ウイテ ヰタ。
旧かなづかいのままここに載せてみた。この詩をどんな思いで朗読したのであったか、このあたりに私の、〈詩〉 というものと関わり合う原点があったようである。この詩のリズムは、今も捨てがたいものがある。この詩は、私の里の 「勢見ヶ森 (せみがもり)」 というところにある小高い丘を思い出させる。そこに到る道が本の挿絵の道と似ていたのである。私は子供の頃よくここに登った。だが、ここからは海は見えなかった。見えるのはどこまでも連なる山ばかりであった。
この本のそちこちにある素朴な色刷りの挿し絵も、みな素朴で、なつかしさを誘うのである。日が暮れて山の上にかかるまんまるい月の絵もある。そのころの私の里はこの絵のように澄み切っていて、静かだった。青と墨二色の絵の背景は、ススキ、茅葺きの農家と、松の木ぐらいである。この単純な風景が、一年生の私をして 《自然》 に目を向けさせて行ったのだと思う。
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真新しい黒い洋服に左の胸のところに白いハンカチをピンでとめ、母の手に引かれて近くの大谷尋常高等小学校に入学した日、最初の先生が千坂先生だった。女の優しい先生ということが幸運だった。お蔭で私は、その後のどの先生にも好意を抱きその教えを受け入れることができたのである。
やはり真新しい教科書にノート、鉛筆と消しゴムと肥後守 (ナイフ) と、それらを入れるセルロイドのケースやランドセルの匂いも、机の上に立てた国語教科書の両はじを両手で持って最初のページを朗読した時の新鮮な感動も、鮮明に甦る。
そして私は毎日学校に通うということが楽しく、雨の日などでも唐傘をさし、それに当たる雨がピアノのような音をさせるのを聞きながら、ゴム長靴を履いて登校するというそれ自体が面白かった。ゴム長靴を履いて来る子はかなり恵まれていて、そうでない子ははだしで登校していた。
やはり真新しい教科書にノート、鉛筆と消しゴムと肥後守 (ナイフ) と、それらを入れるセルロイドのケースやランドセルの匂いも、机の上に立てた国語教科書の両はじを両手で持って最初のページを朗読した時の新鮮な感動も、鮮明に甦る。
そして私は毎日学校に通うということが楽しく、雨の日などでも唐傘をさし、それに当たる雨がピアノのような音をさせるのを聞きながら、ゴム長靴を履いて登校するというそれ自体が面白かった。ゴム長靴を履いて来る子はかなり恵まれていて、そうでない子ははだしで登校していた。
いじわるな子もいて団体生活の辛さを知らされるようなこともありながら、やはり毎日が充実していたのであり、更に私は、少しずつ国語力や算数の知識を身につけて行き、先生のオルガンの伴奏で 「春が来た、春が来た」 と幼い声を張り上げていた。
秋の運動会で、背中に夏の名残りのような陽光の暖かさを感じながら、ラウドスピーカーからのレコードの行進曲 「くろがねの力」 でみんなと歩調を合わせて行進させられたりもした。
秋の運動会で、背中に夏の名残りのような陽光の暖かさを感じながら、ラウドスピーカーからのレコードの行進曲 「くろがねの力」 でみんなと歩調を合わせて行進させられたりもした。
(2001・春)
目頭が熱くなってしまった。
コメントありがとうございます。
私の拙文をそのように読んで頂き、もったいないです。