サテュロスの祭典

神話から着想を得た創作小説を掲載します。

兎神伝〜紅兎三部〜(16)

2022-02-03 00:16:00 | 兎神伝〜紅兎〜革命編其乃一
兎神伝

紅兎〜革命編其乃一〜

(16)紅王

『一二三四五六七八つ(ひふみしごろくななやっつ)…』
駿介は、滾る怒りを鎮め呼吸を整えながら、心の中で数え始めた。
『死ね!革命の生贄となれ!』
奥平は、撃鉄を引き、手甲銃の薬莢を入れ替えると、駿介に銃口を向けた。
『九つまでは静寂に構え…
十を数えて、風の狭間を切る!』
駿介は、閉じた目を見開くや、八相に構えていた剣を逆袈裟懸けに薙ぎ、鈍い金属音が響く。
奥平が引く寸前であった、手甲下部の引き金が切り裂かれた。
駿介は、返す太刀で手甲上部に振り下ろし、手甲銃そのものを切り裂いた。
更に、風を走る速さでつき入れる…
鈍い金属音…
間一髪、奥平は左腕に装着した細長い盾で躱すと、そのまま駿介を弾き飛ばして不敵に笑い…
『グフッ、グフッ、グフグフグフ…
風間疾風剣…おまえに飛び道具は効かなかったんだな。』
そう言うと、両手の拳を握りながら腰に引いた。
『スーッ…
ハァーーーーー!』
大きく深呼吸をしながら、握った拳をゆっくり開きながら、前に押し出し広げ…
また、拳を握り…
片足立ちをしながら、右拳を力強く腰に引いた…
駿介は、再び腰を低くして、八相に構えた。
次の刹那…
『アチョーーーーッ!!!!』
奥平は、凄まじい奇声をあげながら蹴りを連打…
駿介が、身を翻して躱すと…
『アタタタターーーーッ!!!!』
更に奇声を発して、猛烈な拳を連打してきた。
躱し切れずに吹き飛ばされながらも、駿介は辛うじて体制を整える。
すると、奥平はクルクル回りながら、手刀、拳、蹴りを続け様に放ち…
『アチョーーーーッ!!!!』
気合の声と共に飛び蹴りを浴びせてきた。
金属音…
分厚い脛当てに護られた蹴り足を、駿介は太刀で躱して弾き返しながら思い出した。
楽土拳術と皇国拳術を融合して編み出された鬼道拳術(きどうけんじゅつ)の一派…
鬼北派鬼道拳術(おきたはきどうけんじゅつ)、北神竜王拳…
瞬時に体制を立て直した奥平は、再び休む間もなく、拳と手刀を放ってきた。
駿介もまた、横一文字、逆袈裟懸け、袈裟懸け…
風を切る疾風の如き太刀を、薙ぎ放ち続けた。
駿介の太刀が、上空より振り翳された時…
鈍い金属音…
奥平は、左腕の長盾で駿介の太刀を受け止めた。
刹那…
『ハァーーーーッ!』
奥平は、気合の声とと共に突き出し広げた掌で、駿介を弾き飛ばした。
『ウゥゥッ…』
激しく地面に叩きつけられ、全身に走る激痛と呼吸困難に呻きをあげつつ、駿介は何とか起き上がろうとする。
奥平は、すかさず飛び蹴りを浴びせ、更に飛び蹴り…
転がる駿介に回し蹴り…
奥平がとどめの一撃に、高く飛び上がったその足で、駿介の腹部を狙った。
間一髪、辛うじて躱した駿介は、蹌踉めきながらも立ち上がり、再び八相の構えに入ろうとした。
すると…
『ウッ…』
駿介は、呻きをあげつつ、何が起きたのか理解できなかった。
激痛の走る腹部に手を当てると、べっとりとどす黒い血に塗られた。
『グフッ、グフッ、グフグフグフ…』
奥平は、左腕の長盾の仕込みを抜きざま、横薙ぎに駿介を切った血塗られた長太刀を下げ、不気味な笑い声をあげた。
駿介は、激痛と共に止まらぬ出血にふらつきながら、片膝をついて八相に構えた。
『グフグフグフ…』
奥平は、尚も不気味な笑い声をあげながら、下げた長太刀を構えようともせず、近づいてくる。
不意に…
左腕を逆袈裟懸けに薙いだかと思うや、弾かれたような凄まじい音を立て、駿介は数間後ろに跳ね飛ばされた。奥平は、左手甲下部より飛び出した鞭を、更に激しく連打し、駿介を叩きのめしにかかった。
奥平の右手甲に仕込まれた五連装の銃弾をもろに受けた飯伍は、血に塗れ、激痛と呼吸困難に陥りながらも、未だ何が起きたか分からずにいた。
悪夢…
まさに、悪夢の中にいるとしか思えなかった。
あり得ぬ神漏兵(みもろのつわもの)達の襲撃も、あり得ぬ奥平の裏切りも…
しかし…
ザクッ、ザクッ、ザクッ…
緑の立無し丸兜、緑の帷子の上に深緑の胸甲に手脚当て…
右肩に盾、左肩に棘付肩当…
江頭組神漏兵(えとうぐみみもろのつわもの)達が迫るにつれて、我に返ってきた。
『大助…』
最早、完全に意識を遠のかせている大助を小脇に抱えながら、本差しの太刀を構えた。
左手が塞がっている。
仮に塞がっていなくても、脇差も握り、二刀に構える力はもう残されてないだろう。
鈍い金属音…
飯伍は、何とか残りの力を振り絞って、江頭組神漏兵(えとうぐみみもろのうわもの)を一人切った。
再び金属音…
またも、辛うじて神漏兵(みもろのつわもの)の湾曲刀を弾き返した。
最早、こちらから切り込む力は残されていない。
もし、自分一人であったなら、潔く目を瞑り、死を受け入れたところであろう。
しかし、腕の中には大助がいる。
彼らに無い夢を与えてしまったのは自分であった。希望を持たせてしまったのは、自分であった。
その代償に、どれ程人の血で手を汚させてしまったであろう。
例え、もう終わる命であったとしても…
束の間であっても、一瞬であったとしても、自分が息をしている限り、失わせるわけに行かない命であった。
飯伍は、大助を抱える腕の力を強め、最後の力を振り絞って、正眼に構えた。
しかし、抜刀隊が後ろに引いたかと思うと、無情にも小銃隊が、一斉に銃口を向けてきた。
名も知らぬ小頭が、指揮棒代わりに湾曲刀を振り上げた。それが下される時、飯伍の命も大助の命も終わる時であろう。
『大助、すまなかった…』
飯伍は一言呟くと、大助をせめて最期の一瞬まで守り抜こうと庇うように、懐に抱きしめた。
江頭組の小頭は、冷徹に湾曲刀をふりおろそうとする。
その時…
『ウッ…』
江頭三番組小頭は、突然白目を向いて崩折れていった。
続けて、何が起きたか理解できず、振り向く二人の江頭組神漏兵(えとうぐみみもろのつわもの)も、何かを眉間に貫かれ、崩折れた。
『義隆…』
静かに振り向く飯伍は、思わず目を見開いて呟いた。
既に神漏兵(みもろのつわもの)達は倒れ、代わって、長煙管の仕込みを引っさげた義隆が、中村組朧衆五人と共に立っていた。
『おまえ、どうして此処へ…』
信じられぬものでも見つめるような飯伍に何も答えず、ただ、この地で起きた惨状を、悲しげに見つめると…
『行くぞ。』
一言言って、朧一人に大助を託し、飯伍を担ぎ連れて行こうとした。
『俺は良い、大助を頼む。俺は…』
飯伍が言いかけると…
『この事、和幸達に知らせろ。』
義隆は、ぼそっと言った。
『義隆…』
『子供達を巻き込んだのは、おまえ達だろう。その責任があるはずだ。』
飯伍は、最早何一つ言葉を返さず、サブとイチが銃弾に倒れた方をジッと見つめながら、義隆に担がれて行った。
駿介は、更なる鞭の一撃を食らい、弾き飛ばされた。
あれから、何発鞭を喰らい、長太刀で斬りつけられたか知れなかった。
最早、仰向けに倒れたまま、立ち上がる力も失せていた。
『グフッ、グフ、グフッ…』
奥平は、不気味な笑い声をたてながら、ゆっくりと駿介に近づくと…
『安心しろ。じきに、平次や和幸…名無しとか言う不能の宮司(みやつさ)も側に送ってやる。』
駿介の胸元めがけて、逆手に持つ長太刀を、思い切り突きつけようとした。
その時、鈍い金属音…
不意に横入りした太刀が、奥平の長太刀を抑えた。
『火盗組組頭平蔵だ!神妙に縛につけ!』
『火盗組…平蔵だと?』
奥平が胡乱そうに声の方を見上げると、黒漆の陣笠を被った男が、鋭い眼差しで見据えていた。
『同盟紅軍には、鬼道拳士(きどうけんし)の中でも、青い巨星と呼ばれる屈指の使い手が三人いると聞いた。おめえはその一人だな。』
『そう言うおまえは、長谷川の畔に居を構える鬼の平蔵…
隠密御史のお前達が動き出すとは…
名無しの不能宮司が、未だ暗面長(あめんおさ)だと言う噂は本当だったようだな。』
『最も…若君様に命じられたのは、おめえらの探索じゃねえ。叩けば何かしら埃の出る、諸社領(もろつやしろのかなめ)の神職(みしき)共だ。弱え者虐めする奴等を徹底的に洗い出し、何らかの罪状で始末する為にな。』
『我らが、網に掛かったのは、偶然と言うわけか…』
『革命を嫌悪されてはおられたが…罪なき者に手出ししない限り、目を瞑るつもりでおられた。どうせ、失敗に終わると見越しておられてな。
童衆は既に同盟紅軍の動きを察知し、天領(あめのかなめ)の根拠地、深間山荘は密かに制圧され、同盟紅軍は壊滅している。
おめえ達は、良いように泳がされていると見ておられたのだ。』
平蔵が言うと…
『グフ、グフ、グフ…』
奥平は、また不気味な笑い声をあげた。
『泳がされていた?馬鹿な…同盟紅軍を童に売り渡したのは我ら…藤子連合紅軍派だよ。闇の紅王(こうおう)様の御指示でな。』
『闇の紅王…周恩来(チョーエンライ)、それとも毛沢東(マオツートン)とか言う異国の王か?』
『グフッ!腰抜け周恩来(チョーエンライ)に、欲惚け毛沢東(マオツートン)が紅王様とは笑わせてくれる。
紅王様は、お前達の想像もつかぬお方だ。
周恩来(チョーエンライ)に毛沢東(マオツートン)など、所詮は俄か主義者の烏合の衆…用が済めば、遠からず内輪揉めして自滅するであろう役立たずだ。』
『その理屈で、弐十手と紅兎も裏切ったのか?』
『裏切る?奴等など最初から仲間だなどと思ってないわ。』
『汚ねえぞ!散々、甘い夢を与えておいて、利用して、挙句に皆殺しを図るとは許せねえ!』
叫ぶなり、平蔵は袈裟懸けに太刀を斬りおろした。
鈍い金属音…
奥平は、左腕の長盾で太刀を交わして弾き様、鞭を連打してきた。
数打掠められ、各所から血を滴らせながらも、平蔵は右に左に素早く躱しながら、太刀を脇に構えて踏み込みの機会を計り続けた。
『お頭!』
火盗組の若い忍が一人、助太刀に駆けつけた。
『忠吾!来るな!おまえのかなう相手ではない!』
更に連打してくる鞭を躱しながら、平蔵が叫んだ。
躊躇する忠吾にも、鞭が襲いかかり、数間先に跳ね飛ばした。
呻きをあげながら立ち上がろうとする忠吾に、更なる一撃…
『忠吾行け!おまえは、黒兎達の救出に迎え!』
間一髪、忠吾の額を叩き割ろうとしていた鞭を横薙ぎに切り裂きながら、平蔵は叫んだ。
忠吾は、尚も後ろ髪引かれつつ、平蔵の断固たる眼差しに押され、抱き合うように倒れているサブとイチの側に駆け寄った。
平蔵が、束の間安堵の吐息を漏らした時…
『アチョーーーー!!!!』
奥平は、後ろ回転回し蹴りを浴びせてきた。
辛うじて躱す平蔵に、更に蹴り…
弾ける金属音…
平蔵の太刀が、奥平の脛当てに真っ二つに折られた。
上段より振りかぶる奥平の長太刀…
平蔵は、すかさず両脇より抜きはなった、二刀の小太刀で受け止めた。
下方より、奥平の蹴り…
平蔵は、受け止めた長太刀を弾きながら、腹部を狙う蹴りを交わした。
『アタタタターーーッ!!!!』
クルクルと孤を描き、飛び跳ね踊るような動きで、切ると言うより、叩きつけるように連打して、奥平は長太刀を斬りつけ突きつけてきた。
当初…
無駄に動かず、直線的に切り結ぶ闘いに慣らした平蔵は、絶え間なく機敏に飛び跳ね、曲線を描いて踊るような攻撃を仕掛けてくる奥平の動きについて行けなかった。
しかし、次第に目が慣れ、奥平の動きが見えてくると、腰を屈めて二刀中段に構えた。
やはり、無駄に動かず、クルクル動き回る奥平の目をジッと見据える。
振りかぶる長太刀…
横に受け流す…
逆袈裟に斬り上げてくる長太刀…
後方に下がり、前に受け流す…
正面から叩きつけてくる長盾を、腰を屈めて上に躱すや、二刀同時に斬り上げる…
奥平は、クルクルと弧を描いて機敏に後退して躱すと、再び蹴り…
平蔵は、今度はまともに太刀で受ける真似はせず、身を引き下げて躱し様、左手の太刀を斬り上げ、躱されると左の太刀を斬り下げた。
鈍い金属音…
奥平の長太刀が受け止めた。
続けて、平蔵が内側横薙ぎに斬りつけようとする小太刀を、奥平の左腕の長盾が抑える。
しばし、互いに押し合う形で静止して、睨み合った。
その時…
『リック!リック!ドームッ!リック!リック!ドームッ!』
『リック!リック!ドームッ!リック!リック!ドームッ!』
『リック!リック!ドームッ!リック!リック!ドームッ!』
突如、独特の喚声が響めき渡ったかと思うや…
ドムッ!ドムッ!ドムッ!
鈍い砲声が各地で発せられると同時に、凄まじい爆音が炸裂してきた。
満身創痍で、里一と息吹に抱えられていた右門は、蒼白になった。
目の前で、傷だらけの弐十手や目明達を担ぐ火盗組が、次々と爆裂音と共に吹き飛ばされて行った。
周囲の木々の狭間から、新手の軍勢…
十字型の黒い兜、紫の帷子の上に、黒い鎧と腕脚当てに身を固めた、昴田組神漏兵(すばるたくみみもろのつわもの)達が、再び砲銃を向けていた。
狙う先は、やはり、負傷者を担ぐ火盗組であった。
内数人は、伝六、千代、春を担ぐ火盗組に狙いを定めていた。
『離せっ!』
右門は叫ぶと、傷だらけの身体で、昴田組砲銃隊に向かって行こうとした。
里一と息吹は、がっしりと押さえつけた。
『離すんだ!伝六が!千代ちゃんと春ちゃんが!』
絲史郎と睨み合う主水は、顔色一つ変えず、太刀を握る手を挙げると、静かに振り下ろした。
刹那…
今、まさに砲銃を撃たんとした神漏兵(みもろのつわもの)達が、一斉に凄まじい断末魔の声と共に倒れた。
上空より舞い降りる無数の中村組が首筋を、いつの間に草叢に隠れ潜んでいた中村組も踊り出てきて腹部を突き刺し、神漏兵(みもろのつわもの)達を仕留めたのである。
絲史郎の背後に控えていた神漏兵(みもろのつわもの)達が、小銃を構えた。
主水は、振り下ろした太刀を、横一文字に振り薙いだ。
忽ち、地中に潜んでいた中村組達が飛び出すや、小銃隊の昴田組を刺し殺していった。
小銃隊の神漏兵(みもろのつわもの)達は、虚しく上空を撃ち上げながら、呻きを漏らして倒れていった。
主水は、太刀を頭上で大振りに回した。
すると、砲銃隊と小銃隊を始末した中村組達は、順に、上段、右脇、中段、左脇、下段、に構えて絲史郎を取り囲んだ。
砲銃隊の生き残りの一人が、指揮をとる主水に狙いを定めた。
いち早く気付いた息吹が走った。
ドムッ!
鈍い砲声…
息吹が、主水との間に立ち、鉄傘を広げると同時に、耳を劈く爆裂音が響き渡った。
灰色の煙が緩やかに引いて行く。
火盗組達と抱えられた負傷者達が息を呑んで立ち尽くす中…
『息吹!』
聾唖の息吹に聞こえぬと知りつつ、里一が叫んだ。
息吹は、広げた鉄傘を脇構えの格好で握りしめたまま、微動だにせず立っていた。
耳が聞こえぬ為、凄まじい爆裂音に動じてる様子もみられなかった。
昴田組の砲兵は、額に汗を垂らしつつ、続け様に二発撃ち放った。
息吹は、鉄傘をクルクル回しながら砲撃を跳ね返すと、先端から飛び出した矛先を向けて、砲兵にぶつかっていった。
砲兵は、砲銃を捨てて太刀を抜く間も無く、鉄傘の矛先を貫かれて絶命した。
別の砲兵と小銃兵が、一斉に息吹に銃口を向けた。
息吹は、鉄傘を回し、踊るような動きで砲弾や銃弾を躱して近づくと、鉄傘の矛先を貫き、柄から抜きはなった仕込みで斬りつけ、砲兵五人を斬り殺した。
周囲では、息吹に続いて、聾唖の燕組謐隊(つばくろぐみしずけたい)が、同じく踊るような動きで、鉄傘の開閉を繰り返しながら、残りの砲兵・小銃隊を屠っていった。
『何してる!火盗組、行けえっ!』
勇介は、叫びながら背中の琵琶を構えて弦を弾いた。
先端から、五連装の仕込み連弩の矢が放たれた。
神漏兵(みもろのつわもの)の抜刀隊が、纏めて五人倒れた。
勇介は、一度琵琶を振り上げると、また身構えて弦を鳴らして矢を放つ。
火盗組は、素早く救出隊と分かれた攻撃隊が反撃を開始、盲目の燕組昏隊(つばくろぐみくらきたい)は、救出隊を援護するべく仕込み杖を抜き放った。
里一は、右門を抱えながら仕込みを逆手に抜き放ち、続け様に五人の湾曲刀を振り翳す神漏兵(みろのつわもの)を切り倒した。
中村組の忍達は、主水の振り翳す太刀の動きに合わせ、絲史郎を囲む輪を狭め或いは広げながら、グルグルと旋回し続けていた。
絲史郎は、先程までのニヤケ顔は消え、鋭利に細めた目で辺りを見回しながら、正面左右交互に風車の如く湾曲刀を回し続ける手を一層早めていった。
突如、中村組の一人が上段より切り下げる。
弾くような金属音…
最初の切り込みが軽く交わされると、別の一人が下段から切り上げる。
一段と高らかに響く金属音…
絲史郎は、数人の太刀を軽く弾き返すと、突如、不意を突くように、切り込む忍とは全く別の忍数人に向けて突き入れ、斬り込んだ。
忍達は、間一髪のところで後退して躱すと、それまで綺麗に弧を描いて回っていた布陣を変え、蛇の如く蛇行しながら、やはり周囲を回り続けた。
絲史郎はまた、湾曲刀を風車の如く回し始めた。
再び激しい金属音…
やはり、中村組忍の一撃は、回転する湾曲刀に受け止められた。
しかし…
今度は、あっさり弾かれる事なく、太刀を重ねたまま、中村組忍も推し止まった。
一瞬…
絲史郎と中村組忍は、力押しに押しあった。
後方より別の忍が斬りつける。
絲史郎は、最初の忍を突き飛ばして、後方に切り返す。
金属音…
後方の忍は軽く交わされたが、これを機に、次々と中村組の忍達は、斬りかかっていった。
激しく打ち合う金属音が連打する。
中村組の忍達の攻撃は、悉く交わされたものの、先程までの風車の如き回転はなくなった。
主水は眼光鋭く煌めかせるや、振り下げたままの太刀先を裏返した。
周囲を取り巻く木々の梢の狭間を照らす陽光に、太刀先が眩しく反射する。
刹那…
それまで激しく攻勢を仕掛けていた中村組忍達は、素早く後退…
同時に、鈍い音を立てて、四方八方の梢の狭間より、絲史郎に向けて鎖が放たれた。
続けて、周囲を取り巻く忍達も鎖を投げ放った。
絲史郎は、再び正面左右…更に上空に向けて、湾曲刀を風車の如く旋回させると、鎖を悉く断ち切った。
梢の狭間に隠れていた忍達が一斉に舞い降り、逆手に握る忍刀を突き立てる。
周囲を取り囲む忍達も、前後二段に分かれて駆けてくる。
後方の忍達は、直前で前方の忍達を踏み台にして舞い上がり、太刀を上段より斬り降ろしながら…
前方は、一人ずつ交互に、右脇逆袈裟、左八相袈裟懸け、左脇逆袈裟、右八相袈裟懸けに斬りつけた。
張り詰めた時が止まった。
次の瞬間…
続け様に鳴り響く、耳をつんざくような金属音…
同時に、折れると言うより真っ二つに斬られた忍刀の破片が飛び散った。
静寂…
血塗られた湾曲刀を引っ提げる絲史郎の周囲で、二十人の中村組忍達は、悉く声もあげずに倒れた。
『チッ!』
中村組組頭の主水は、口元を痙攣らせて舌打ちすると、静かに抜刀して、腰を低く正眼に構えた。
また一人、棍棒の如く振り下ろした鉄傘で神漏兵(みもろのつわもの)を倒すと、息吹は中村組の急変を目に止めて、傘を開閉させながら、派手な踊りを踊り始めた。
聾唖の燕組謐隊(つばくろぐみしずけたい)の間で交わされる合図である。
『息吹!来るな!引けっ!』
相手が耳が聞こえないのも忘れ、主水が血相を変えて叫ぶ中…
謐隊達は、息吹の傘踊りを見届けると、一斉に主水の元へ駆けつけ、前後二段に分かれて絲史郎を囲んだ。
前段は、交互に立つ者と片膝つく者に分かれるや、一斉に広げた鉄傘を、竹蜻蛉の如く投げ放った。
凄まじい勢いで旋回する鉄傘が、四方上下より絲史郎を狙う。
絲史郎は、再び湾曲刀を風車の如く旋回させるや、十本の鉄傘を悉く真っ二つに切って落とした。
同時に、息吹をはじめとする、後方に下がっていた謐隊燕組達が駆け出すや、前方の仲間達を踏み台に飛び上がり、閉じた鉄傘を棍棒の如く振り翳した。
絲史郎は、また、湾曲刀を旋回させて、鉄傘を交わした。
またしても…
雷の如き砲弾と雨の如き銃弾を、あっさり跳ね返した鉄傘が、悉く真っ二つに斬られた。
息吹が指先で合図を送る。
後方組は袖の中から鎖を出して、上空、左、前方、右の順で旋回…
今や後方に回った前方組は、後ろ腰に差す二振りの小太刀を逆手に抜いて、前方組の後方をグルグル回り出した。
『息吹!引けっ!引かんかーっ!』
主水は叫びながら駆け出すと、目の前の謐隊燕組の背中を踏み台に一回転して飛びこして、絲史郎に斬りかかった。
忽ち、太刀を打ち合わせる鈍い金属音が連打した。
『息吹、引けっ!引けっ!引くんだーっ!』
絲史郎と激しく切り結びながら、必死に叫ぶ主水の声も、無論、聾唖の息吹達には聞こえない。
仮に、聞こえたとしても、引こうとはしないであろう。
息吹率いる謐隊燕組は、一層戦意を高めながらジリジリと間合いを詰め、主水を助太刀する隙を伺っていた。
『勇介!息吹達を引かせろ!』
既に連弩の矢が尽き、鋼鉄の琵琶と鞭の如き鉄製の撥を二刀に振り翳して戦う勇介は、主水の声に振り向いた。
『息吹!』
勇介は、また一人、神漏兵(みもろのつわもの)に琵琶を叩きつけて倒すと、新たに迫る神漏兵(みもろのつわもの)達を蹴散らしながら、駆け出した。
『里一!』
仕込みを折られた里一に神漏兵(みもろのつわもの)達が殺到するや、右門は叫び声をあげて、胸に抱く様に庇った。
『右門様!』
『伝六を…千代ちゃんを…春ちゃんを…頼む…』
『しっかりしておくんなせえ!右門様!右門様!』
『俺のせいだ…俺のせいで…伝六…すまなかった…』
そう呟くと、次第に霞む眼差しで空を見上げながら、里一の胸ぐらを掴む右門の血塗れの手の力が次第に弱まっていった。
『息吹!』
勇介は、漸く息吹の側に近づくと、今にも頭上で旋回させる鎖を投げ放とうと構える腕に、琵琶の弦糸を投げ放った。
息吹は、腕に弦糸が巻き付くと、横目に勇介の姿を捉えた。
絲史郎は、この些細な変事に気づきつつも、主水の猛攻に身動きがとれずにいた。
勇介は、決して長くは続かぬこの隙を見て、糸を離した左手の指先を動かし、合図を送る。
息吹は、合図に促されるままに、別の方角に目を留め蒼白になった。
仕込みを折られ、血塗れの右門を背負って離さぬ里一に、神漏兵(みもろのつわもの)達が殺到していた。
『ここは俺に任せろ!息吹、行けーっ!』
勇介は、聞こえないのを百も承知で叫びながら、声を枯らして叫ぶと、琵琶を握る右手を大振りに回し、真っ直ぐ里一のいる方角に向けて振り下ろした。
息吹は大きく頷くと、頭上に旋回させていた鎖を、奇妙な形に振り回し始めた。
謐隊燕組達は、一斉に息吹の示す方角を見て、里一の窮地を知る。
息吹が、次の合図を送ると、一斉に里一の方を目指して駆け出した。
漸く主水を突き飛ばした絲史郎は、謐隊燕組の一人に斬りつけようとする。
鈍い金属音…
『何て野郎だ…』
勇介は、湾曲刀を受け止めた鋼鉄の琵琶が真っ二つになるのを見て、思わず声を漏らした。
絲史郎は、続け様に一振り、勇介の頭上に湾曲刀を振り翳した。
すかさず、勇介は真剣白刃取りに受け止めた。
絲史郎は構わず、力任せに湾曲刀を押し付けて行く。
凄まじいはかりの怪力である。
『グググッ…』
声を漏らしながら、辛うじて両掌に捉える湾曲刀の刃は、ジリジリと勇介の眉間を狙っていた。
『勇介!』
主水は、立ち上がって体制を立て直すや、右脇に太刀を構え、駆けつけ様に斬りつけた。
絲史郎は、斬り殺すのを諦め、勇介を横薙ぎに吹き飛ばすと、返す湾曲刀で主水の太刀を斬り返す。
弾くような金属音音…
続けて肉を切り裂く鈍い音…
『不覚…』
真っ二つにされた太刀諸共斬られた主水は、片膝を地につけた。
胸元が、ドス黒く地に染まっている。
『主水!』
声をあげて駆け寄ろうとする勇介に…
『来るな!』
主水は、最後の力を振り絞って叫んだ。
『行けっ!俺に構わず、おまえの役目を遂行しろ!』
勇介は、倒れる主水に大きく頷くと、その場を逆方向に駆け出した。
『黒い三連星…噂には聞いていたが…』
下段、中段、上段…
縦一列に並び、常に三位一体で斬りつけてくる、昴田組神漏兵(すばるたぐみみもろのつわもの)達の猛攻に、義隆は額に汗を流して声を漏らした。
『リック!リック!ドームッ!』
『リック!リック!ドームッ!』
『リック!リック!ドームッ!』
また一人、下段から斬り上げる湾曲刀を躱し、中段に薙ぐ神漏兵(みもろのつわもの)の首を長煙管で叩き折ると、返す手で煙管の仕込みを突き入れ、義隆は上段に構える三人目の神漏兵(みもろのつわもの)の眉間を貫いた。
『義隆…大助を連れて逃げてくれ…』
再び湾曲刀を振り翳す最初の神漏兵(みもろのつわもの)を斬りながら、背後に守られていた飯伍が、肩で息をしながら言った。
見渡せば…
『リック!リック!ドームッ!』
『リック!リック!ドームッ!』
『リック!リック!ドームッ!』
新手の三位一体が、湧き出るように、次々と義隆達に迫っていた。
『平蔵!行ってくれ!』
最後の力を振り絞って立ち上がった駿介は、平蔵を後ろに庇い、奥平の振り翳す長太刀を諸に受けながら叫んだ。
『駿介!』
平蔵は、取り囲まれる義隆と駿介を交互に見比べながら、声を上げた。
『頼む…行ってくれ…全ては、それがしの責任にござる…』
駿介は、再び太刀を八相に構えると、奥平を鋭く睨みつけた。
『駿介…』
平蔵が躊躇する合間に、義隆は長煙管を真っ二つに斬られていた。
『頼む…平蔵、頼む…』
全身血塗れの駿介の何処に残っているのかと思われる力を振り絞り、奥平にジリジリとにじり寄って行きながら言った。
『奥平…此奴だけは、それがしが倒す…それがしが倒さねばならぬのだ…』
それだけ言うと…
『一二三四五六七八つ(ひふみしごろくななやっつ)…』
最早、何か覚悟を決めたように目を瞑り、数を数え始めた。
奥平は、その気迫に押されるように後退りし始めた。
平蔵は、大きく頷くと、その場を駆け出した。
義隆は、斬られた長煙管を捨てると、懐から短刀を抜いて身構えた。
新たな神漏兵(みもろのつわもの)三人が、あの黒い三連星と呼ばれる三位一体の攻撃を仕掛けてきた。
一人目躱し、二人目斬り、三人目刺し殺して、最初の一人を斬る…
すると、また、新手の三人…
『リック!リック!ドームッ!』
『リック!リック!ドームッ!』
『リック!リック!ドームッ!』
倒しても倒しても、際限なく現れる神漏兵(みもろのつわもの)達に、義隆が疲れるより早く、短刀が刃毀れし始めた。
『リック!リック!ドームッ!』
奇声と同時に振り翳される湾曲刀を躱すと、遂に短刀も真っ二つに折れた。
最早、これまで…
義隆が覚悟を決めた時…
突然、一陣の閃光が空を切るのを見た刹那、バタバタとまとめて三人の神漏兵(みもろのつわもの)達が倒れた。
『平蔵!駿介は?』
平蔵は、義隆の問いにムッツリ答えぬまま、更に三人の神漏兵(みもろのつわもの)達を斬り、次の三人と切り結んだ。
『駿介は!駿介はどうした!』
尚も叫ぶ義隆に…
『行くぞ!』
とだけ言い、平蔵は二刀に構えていたうちの一振りの小太刀を義隆に渡した。
義隆は、小太刀を逆手に持ち替え、一人の神漏兵(みもろのつわもの)の首筋を突き刺しながら、全てを悟り、それ以上何も言わなかった。
その時…
金属のぶつかり合う凄まじい音が鳴り響いてきた。
振り向くと、勇介が、両手に握る鉄扇で絲史郎の猛攻を必死に防いでいた。
『平蔵!義隆!逃げろ!こいつは化け物だ!』
かつて、和幸に教えた朧流神楽乱舞殺で、絲史郎に応戦し続けながら、勇介は叫んだ。
『義隆、行けっ!』
『平蔵!』
『良いから、行くんだ!行って、此処で見た事を、若君様にお伝えしろ!』
平蔵は断固として言い放つと、絲史郎に斬りかかって行った。
『平蔵!何してる!逃げろ!おまえでも、こいつは無理だ!あの主水がやられやがった!』
勇介が、両手の鉄扇を広げ、神楽舞を舞う如き動きで絲史郎に斬りつけながら声を上げると…
『わかっておるわ!』
鉄扇を真っ二つに斬り、返す刃で勇介の眉間を狙う絲史郎の湾曲刀を小太刀に受けながら、平蔵が言った。
『だから、おまえはもう行け!』
『何だと!』
『勇介!おまえの役目は、若君様をお守りする事!若君様のなさろうとされてる事を支える事!行って、役目を全うせよ!』
『平蔵!』
叫ぶ勇介の前で、絲史郎の突きつける湾曲刀が、平蔵の腹部を貫いた。
『勇介、行けえー!行かんかーーーー!!!!』
平蔵は叫びながら、湾曲刀を引き抜こうとする絲史郎の腕をグイッと掴んだ。
『勇介!早く行け!行くんだーーーー!!!!』
勇介は、漸く意を決したように大きく頷くと、その場を駆け去って行った。
『九つまでは静寂に構え…
十を数えて、風の狭間を斬る!』
駿介の渾身の一撃は、逆袈裟懸けに奥平の濃紺の胸甲を見事に切り裂いた。
しかし、それまでであった。
同時に、クルクルと反転しながら、真一文字に横薙ぎした奥平の長太刀に腹部を斬られ、駿介はそのまま正面に音を立てて倒れ込んだ。
『終わったようだな。』
血塗られた湾曲刀を引っさげ、やってきた絲史郎は、地に伏す駿介を胡乱そうに見つめて言った。
『いや、まだだ…最後の総仕上げが待っている。その前に…』
奥平が、勇介と義隆が去って行った方角を見つめながら言いかけると…
『ご安心召されよ。敢えて、残りの者達は逃すよう命じてある。鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)へな…』
絲史郎は、面白くもなさそうに答えて言った。
『グフッ、グフッ、グフグフグフグフ…』
奥平は、また、不気味に声を上げて笑い出した。
『これで、あの名無しの役立たずな宮司(みやつかさ)…暗面長(あめおさ)もやって来るだろう。
事を成し遂げる前に、奴だけは始末しろ…闇の紅王(こうおう)様の厳命だからな。』
と…
『闇の…紅王…』
足元から、呻くような声…
『闇の…紅王とは何者だ…』
薄れ行く意識の中、駿介は奥平の足元を掴み、霞む眼差しで見上げながら言った。
『フッ…おまえには関係のない話だ。』
奥平は、駿介を軽く蹴飛ばして離すと、最早興味も失せたように、とどめも刺さず、絲史郎を連れ立って去って行った。

兎神伝〜紅兎三部〜(15)

2022-02-03 00:15:00 | 兎神伝〜紅兎〜革命編其乃一
兎神伝

紅兎〜革命編其乃一〜

(15)強敵

『ドブ引けっ!引くんだ!』
吉本組神漏兵(よしもとぐみみもろのつわもの)達の放つ、丸盾機関銃の凄まじい銃声が唸りを上げていた。
短槍隊弐十手の仲間達がバタバタと倒れて行く中、忠弥は、巧みに銃弾の雨を掻い潜り、短槍をクルクル回して神漏兵(みもろのうわもの)達を倒しながら、呼ばわり続けた。
『次郎吉!次郎吉!次郎吉!』
尚も涙の止まらぬドブに、忠弥の声は届かなかった。
只々、幼い時から片時も離れた事のない親友の面影だけを追いながら、新たな敵に向かっていった。
現れたかと思えば、再び草叢に消え、消えたかと思えば、また姿を現して、十手を首筋に翳す…
神出鬼没…
それでいて、全く計画性も計算もなく仕掛けてくるドブの攻撃に、神漏兵(みもろのつわもの)達は戸惑い翻弄されていた。
江藤組組頭の淳は焦りを感じはじめた。
相手は一人…
しかも、まだ十五の少年…
子供だと言う侮りがあった。
いつも、欲情する男相手に、女のように尻の裏参道を抉らせ穂柱を咥える男娼だと言う侮蔑もあった。
紅兎を屠るなど、ちょっと気荒い猛獣を狩るより容易いと思っていた。
そう…
紅兎の殲滅など、戦いなどとは思っていない。
不穏分子の鎮圧とすら思っていない。
社(やしろ)の娼婦共を兎とはよく言ったものだ…
これは狩り…
そう、兎狩り…
狩りを存分に楽しんだら、彼らが革命とやらで解放するとかほざいていた白兎どもを存分に弄んでやろう。
彼らの首を飾る目の前で、彼らの血に濡れた手で、白兎達を存分に甚振ってやるのだ…
襲撃を開始した時、江頭組の神漏兵(みもろのつわもの)達は皆、既に頭の中は終わった後の饗宴に飛んでいて、股間を膨らませていた。
それが…
『何処だ…あのガキは何処に消えた…』
また二人、突如正面から姿を現すドブに眉間を貫かれて倒される中…
淳の焦りは恐怖に変わり、額に汗を流し始めた。
『何処だ…何処に消えた…』
刹那…
浅黒い腕が、淳の首筋に回された。
『ウッ!』
淳は低い呻きを漏らす。
しかし、次の声をあげる事なくその場に頽れた。
血塗られた二振りの十手を握り立ち尽くすドブは、淳の亡骸を見下ろし、肩で呼吸をしていた。
目の前では、吉本組組頭の隆明が、長太刀を振りかざして、次々に短槍隊弐十手達を切り倒していた。
ドブは奇声をあげ、吉本組神漏兵(よしもとぐみみもろのつわもの)二人に向かって飛び蹴りと回し蹴りを食らわせ、同時に眉間に十手を突き刺すと、まっすぐ隆明に向かって行った。
隆明は、向かい来る弐十手を斬り伏せながら、鋭い横目にドブを捉えた。
同時に…
轟く銃声と共に、隆明の左腕の丸盾機関銃が火を吹いた。
『せ…仙っ!』
ドブは、最後に脳裏を掠めた女の名を叫びながら、全身から血飛沫をあげて、数間先まで吹き飛ばされた。
『ドブッ!』
粛々と迫る隆明は、まだ息のあるドブにとどめの一撃をさすべく長太刀を振り上げた。
刹那…
凄まじい金属音…
忠弥の短槍が長太刀を交わした。
隆明は、すかさず左腕の丸盾機関銃を向けると、更にもう一振り翳す忠弥の槍が、丸盾機関銃を真っ二つに割いた。
連打する忠弥の短槍と、交わす隆明の長太刀…
二人の間に、激しい金属音が鳴り響く。
肉を裂く鈍い音…
『グッ…』
忠弥が、深々と貫く胸板から短槍を引き抜くと、隆明は長太刀を振り上げた格好のまま、真正面に倒れた。
忠弥は肩で息をし、呼吸を整えながら正面を見据えた。
組頭を失った吉本組は、素早く江頭組と合流するや、江頭組副頭新平の指揮下で態勢を立て直していた。
左腕の丸盾機関銃を構える吉本組神漏兵(よしもとぐみみもろのつわもの)達を前面に出し、後方より江頭組神漏兵(えとうぐみみもろのつわもの)達が小銃を構える格好で、馬蹄型に囲みを縮め迫ってきた。
短槍隊弐十手達は、長盾で銃弾の雨を交わしながら、神漏兵(みもろのつわもの)達の中に突撃…
後方部隊は、主に神漏兵(みもろのつわもの)達後方に潜む小銃を構える江頭組神漏兵(えとうぐみみもろのつわもの)達めがけて短槍を投げつけ、前方隊は、神漏兵(みもろのつわもの)達前方に立つ吉本組神漏兵(よしもとぐみみもろのうわもの)達の丸盾機関銃を直接短槍を叩き或いは切って破壊し、白兵戦を挑んでいった。
見渡せば…
味方の数は両手の指で数え切る程にまで減ったが、敵の数も、吉本組凡そ五十、江頭組凡そ五十、合わせて凡そ百いたのが、残り半数を遥かに削っていた。
『ドブ…生きているか?生きていてくれ…』
忠弥は、心の中で必死に願いながら、神漏兵(みもろのつわもの)五人の足を薙ぎ払い、突き殺した。
少し先では、江頭組組頭の新平が、残り少ない弐十手達を、次々と切り倒している。
『弐十手衆、短槍組組頭忠弥!江頭組副組頭新平、覚悟!』
『丸橋の忠弥か!お前達の目論見は既に露見した!他の地に集結する仲間達にも既に討伐の手が向かっている!最早逃れられぬものと覚悟せい!』
『ほざくな!』
忠弥は、更に抜刀して向かってくる神漏兵(みもろのつわもの)五人を薙ぎ、突き、切り倒すと、クルクル短槍を回しながら、新平に向かって行った。
また二人、神漏兵(みもろのつわもの)が忠弥に切りつける。
忠弥は、背中の短槍を左手に握ると、左右二本の槍を突き入れ、二人同時に貫いた。
新平は、忠弥の両手がふさがる一瞬の隙を見逃さず、湾曲刀を振り翳した。
忠弥はすかさず両手の槍を手放し、腰の十手を二振り抜いた。
鈍い金属音…
忠弥は、左の十手で湾曲刀を交わすや、右の十手を突き入れた。
新平の動きが制止する。その目は、未だ何が起きたのか理解せぬまま、真っ直ぐ前を見つめている。
忠弥が、眉間から十手を引き抜くと、恐らく死んだ事すら気付いていないであろう新平の骸が、音を立てて前に倒れた。
周囲は、既に静寂に包まれていた。
神漏兵(みもろのつわもの)達の姿は既になく、短槍組弐十手の同心達三人だけが立ち尽くしていた。
『何故だ…何故、此処に神漏(みもろ)衆が現れたのだ…』
『軽信さんが抑えていてくれたのではないか…』
辛うじて生き残った弐十手達は、愕然と立ち尽くしながら、辺りの惨状を見渡していた。
『とにかく、目明達の安否を確認だ。彼らだけでも…子供達だけでも逃さねば…』
忠弥は、そう言うと…
『ドブ…ドブ…』
まだ、息があるかも知れぬドブの姿を探し求め始め。
すると…
『忠弥さん…』
『あ…あれは…』
忽ち蒼白な顔をして、二人の弐十手が指差す方角には、更に新手の神漏兵(みもろのつわもの)達が、小銃を向けて囲んでいた。
十文字型の黒い兜、紫の帷子の上に黒い鎧を着込む神漏兵(みもろのつわもの)達が動く気配はない。
ただ、先頭に立つ小太りした小男だけが、凄まじい勢いで、湾曲刀を正面左右交互にグルグル回しながら、粛々と前に進み出てきていた。
『昴田組(すばるたくみ)組頭…』
『絲史郎(いとしろう)…』
『とんでもない奴が現れやがった…』
三人の弐十手は、脂汗を流しながら、唇を震わせて言った。
『天伏流(てんぷくりゅう)…駒多凪網(こまたなもう)…』
『伝説の剣客、天伏酉雄(てんぷくとりお)が編み出したと言う必殺剣…』
次第に後退りし始める弐十手達の中…
『それでも、私は進まねばならん!』
忠弥は短槍を握り直すと、キッと歯を食いしばり…
『本の少しの間でも、僅かの間でも、目明達を逃す時を稼がねば…
未来は、あの子達のものだ…
我等は、奪われた子供達の未来を取り戻す為に立ち上がったのだ…
一人でも二人でも…
あの子達を逃さねば、我等の革命の意味がない…』
言い終えると同時に、クルクルと短槍を回しながら、凄まじい気合の声と共に向かって行った。
絲史郎は、ニッと不敵な笑みを浮かべながら、相変わらず粛々と前に進んでくる。
やがて、二人がぶつかったと思う刹那…
短槍を突き入れた忠弥は、そのまま血飛沫をあげ、声もあげずに正面に倒れこんだ。
『忠弥さん!』
残りの弐十手達も、声を上げるや、覚悟を決めたように凄まじい気合の声と共に、絲史郎に踊り掛かって行った。
また二人、右近に向かって行った神漏兵(みもろのつわもの)達は、自らが斬られた事も分からぬまま倒れ息絶えた。
辺りには、既に十数人の神漏兵(みもろのつわもの)達が、目を開けたまま横たわっている。その眼差しは、何が起きたのかすら理解してないようであった。
鶏冠(とさか)のような後立をつけた藍色の兜、藍色の帷子の上に深緑の鎧と藍色の腕脚当て…
『ゲルクク!ゲルクク!ゲルゲル、ククク!ゲルゲル、ククク!ゲルクク!ゲルクク!ゲルゲル、ククク!』
独特の奇声を発する西部組神漏兵(にしべぐみみもろのつわもの)達は、双頭刃の薙刀をクルクル回しながら、右門を遠巻きに取り囲んでいた。
太刀を翳すと言うより、煌く風が薙いだと思うや、次々と血飛沫をあげて倒れる仲間達の姿を前に、皆、蒼白な額に汗を滴らせていた。
比べ、逆手二刀を、鷹が翼を広げる如く構える右門は、眉一つ動かさず周囲を見据えていた。
未だ一合も交わさぬ刃に毀れ一つ見られない。
それどころか、既に十数人の血を吸った筈なのに、血糊一つ見られず、研ぎたてのように煌めいていた。
『えーい!何してる!相手は一人!切れ!切り捨てい!』
組頭の邁の怒声に押され、左右上下より振り翳される両頭薙刀…
清流の如く受け流し、飛び立つ鷹の如く風に走らす右門の逆手二刀の前に、神漏兵(みもろのつわもの)二人は声もあげずに倒れた。
右門は、その勢いをかって、未だ踏み出しに躊躇後退りする神漏兵(みもろのつわもの)四人に、鷹の如く向かって行くと、すれ違い様に相手は次々と倒れた。
漸く踏み込みの構えを整えた神漏兵(みもろのつわもの)は、薙刀の柄ごと切り倒された。
続けて斬り掛かった神漏兵(みもろのつわもの)二人は、首筋を真一文字に斬られて血飛沫をあげた。
初めて打ち鳴らされる、刃を交える金属音二つ…
両頭の刃共綺麗に斬られた神漏兵(みもろのつわもの)は、縦一文字に斬り降ろされる刃に眉間を割られた。
そしてまた…
一陣の風が、断末魔もあげさせずに神漏兵(みもろのつわもの)を斬り倒す。
右門は、空を舞う羽毛の如き身のこなしで、振り下ろされる薙刀の刃を交わすと、鋭い眼差しを邁に向けた。
邁は身構えながらも、一層蒼白になった額に汗を滴らせながら後退りした。
その時、一発の銃声…
凄まじい絶叫と血飛沫をあげ、春が数間先まで吹き飛ばされると、グシャリと嫌な音をさせた。
『痛い!痛いよーーー!!!痛い痛い!痛ーい!!!!』
春は、撃ち抜かれた肩より、変な形に捻れた脚の痛みに身を捩って泣き叫んだ。
『春ちゃん!』
右門と伝六と千代が同時に声を上げるや、更に数発の銃声…
駆け寄ろうとする伝六と千代も、血飛沫をあげて、春の間近に倒れた。
『伝六!千代ちゃん!』
恐らく、忍びに生まれ、忍びの生き方に徹し続けてきた右門にとって、生まれて初めてであろう狼狽の声をあげた。
この隙を、邁は逃す事はなかった。
『ウッ…』
後ろから肩を斬られ、微かな呻きと共に振り向く右門は、更に斬りつける邁の薙刀の切っ先に、胸元を掠められた。
『痛い!痛い!痛いよーーーー!!!痛い痛い!!!痛いよーーーー!!!』
赤兎であった時…
股関節が軋む程、股裂のように脚を押し広げられても…
小指の先も入りそうにない所に、太長いモノを無理矢理捻り込み激しく貫かれても…
岩の如き巨漢にのしかかられ、押し潰されそうになっても…
春は泣いた事がなかった。苦痛を叫ぶ事もなかった。
良くて百や二百で終わらぬ鞭打ち…
背中を焼き鏝で焼かれ、足の裏を焼火箸で刺される事も珍しくなく…
酷ければ、鞭打たれて赤向けになった所に、焼き鏝を当られ、焼け火箸で刺される時もあった。
後で待ち受ける死ぬ程の仕置への恐怖が、いつしか涙も苦痛の声も枯れ果てさせていた。
その春が、文字通り、火をつけられたように悶え泣き叫んだ。
『春ちゃん!』
今や春の泣き声しか聞こえない、片膝をつく右門を、二人の神漏兵(みもろのつわもの)が後ろから薙刀で斬りつけてきた。
『ウッ!』
呻きをあげ、よろけながら振り向く右門に、邁と二人の神漏兵(みもろのつわもの)が殺到しようとした。
その時…
音もなく飛んできた、琵琶の弦糸が三人の神漏兵(みもろのつわもの)達の首に巻きつき引いた。
『ウッ…!』
『ウゥゥッ!』
『ウワーッ!』
首に巻き付く弦糸を引き寄せられ、呻きを上げる神漏兵(みもろのつわもの)達の後ろから…
『だから、革命から手を引けと言ったんだ!』
声と同時に姿を現したのは、背中に琵琶を背負った勇介であった。
勇介は、弦糸をもう一引きして指で鳴らすと、三人の神漏兵(みもろのつわもの)達は息絶えた。
『子供達の命を無駄に捨てさせやがって!この始末、どうつける!』
右門には、しかし、勇介の声は聞こえず、春の泣き叫ぶ声ばかりが響いてきた。
『痛いよーーーー!!!痛い!痛い!痛ーい!』
春は、千代と伝六が側に倒れてるのもわからぬままに、ひたすら悲痛な叫び声をあげ続けた。
そこへ、幼い苦しみを終わらせようとでも言うように、新手の神漏兵(みもろのつわもの)達が小銃を向けて姿を現した。
『アッ…!』
『春ちゃん!』
勇介と右門が思わず声をあげた時…
頭上から、風を切る音と共に雨の如く降り注ぐ十字手裏剣が、神漏兵(みもろのつわもの)達の眉間を割り、首筋を貫いた。
同時に、木々の枝の狭間から、紫装束の忍達が羽毛の如く舞い降り、残りの神漏兵(みもろのつわもの)達と切り結び始めた。
『右門!無事か!』
五人の神漏兵(みもろのつわもの)達をまとめて斬り殺した一人の忍が、頭巾を外して駆け寄ってきた。
『おまえは、中村組組頭主水!』
『朧衆が何故!』
右門と勇介が思わず叫ぶと…
『隠里の奥方様のご命令だ!里一と息吹の暴走を止めよとな。』
主水は、更に二人切り倒しながら言うと…
何処からともなく、鉄傘が弧を描いて飛んでくるや、三人に殺到しようとした神漏兵(みもろのつわもの)達の首を切り裂き、持ち主の手元に戻って行った。
『息吹!』
『里一!』
思わず声を上げる、勇介と右門の目線の先で…
一人は、編笠を被り、引き回し河童を靡かせ、楊枝を咥えて杖の仕込みを逆手に振り翳し、一人は戻った鉄傘を閉じた先端から飛び出す槍先を突き入れ、神漏兵(みもろのつわもの)達と切り結び始めていた。
二人に、五人の神漏兵(みもろのつわもの)達が小銃を構えると…
息吹は広げた鉄傘を向け、クルクル回して銃弾を交わしながら突っ込んで行った。
『ご無事でござんしたか!』
里一は、湾曲刀を振り翳す二人の神漏兵(みもろのつわもの)をわけなく逆手に切り倒しながら、右門の方へ駆けつけた。
『俺は良い!あの子達を…春ちゃん達を…』
右門が、自身の血に濡れた手で、里一の胸ぐらを掴むと…
『ご安心なせえ。火盗組もきておりやすぜ。』
里一は見えぬ目を右門に向けて言った。
『火盗組…』
右門が振り返ると…
『敵の掃討は中村組に任せろ!我らは負傷者の救出に専念するのだ!』
『少しでも息のある者は、残らず連れ帰れ!一人でも多く救出せよ!』
火盗組筆頭小頭忠介と小頭甚造の声が響きわたり、火盗組朧衆の忍達数名は、伝六、千代、春達を運び、残りの者達は、まだ息のある者を探索し始めていた。
『さあ、右門さんもめえりやしょう。』
里一の肩に担がれ、右門は漸くホッと一息ついたとき…
『アッ…』
『あれは…!』
中村組朧の忍数名が彼方に目を留めるや、愕然と指をさした。
『昴田組組頭…』
『絲史郎…』
勇介と右門が目を見合わせると…
『相手が悪い…此処は、我等中村組が引き受ける!残りは引けーっ!』
中村組組頭の主水が声を張り上げた。

兎神伝〜紅兎三部〜(14)

2022-02-03 00:14:00 | 兎神伝〜紅兎〜革命編其乃一
兎神伝

紅兎〜革命編其乃一〜

(14)襲撃

『ドブ、今、何隠しやがった?』
次郎吉は、ドブが何やら急ぎ懐にしまい込んだのを見逃さなかった。
『な…何も隠してねえよ。』
ドブは、慌てて懐を抱きかかえると…
『そう言えば、おめえこそ、今袖口から何か取り出そうとしてやがったな。』
そう言って、ニッと笑って見せた。
『えっ?何も取り出そうと何か…』
今度は、次郎吉が慌てて惚けようとすると…
『良いから、良いから、おいらにも見せろって…』
ドブは、すかさず次郎吉に飛びつき、袖口から取り出そうとしたものを横取りにかかった。
しばし、二人でもみ合ううちに…
『おーっと、簪!』
最初に声をあげたのは、次郎吉であった。
揉み合う隙をみて、ドブの懐からスリとったのだ。
『おいおい、これ、誰にやるつもりだったのよ。』
次郎吉がにやけて言うと…
『そーゆーおめえこそ。』
と、今度はドブが、次郎吉の袖口から掠めとった櫛をちらつさせて見せた。
『まさか、仙にやろうってんじゃあ、ねえだろうな?』
『そう言うおめえこそ。』
二人は、互いにジーッと見つめあった後…
クククク…
と、笑い出し…
『あのオタフク顔に、簪と櫛…』
『さぞや、見ものだろうな?』
遂に、大爆笑した。
『でもなあ…こうして、長い事離れてみると、妙に懐かしいと言うか、寂しいと言うか…』
ドブは、ゴロンと寝転がると、簪を空にかざして呟いた。
『惚れてるのか?』
次郎吉も隣に寝そべって言った。
『どうなんだろうなー。ただ、あいつに追い回されてる時は、正直閉口してたけどよ。今は、町に出ると、何処からとなく顔を出すあいつに、無性に会いてえ。』
『俺もなあ…十も歳上のくせして、お兄ちゃん、お兄ちゃんとまとわりつくあいつが、妙に可愛い時があってな。』
『俺達だけでなくて、腹すかせてる社(やしろ)の兎神子(ことみ)達に、よーっく食い物持ってきてくれたなー。』
『赤兎の結衣ちゃん…あいつによく懐いてたな。ボロ切れみてえになって、使い物にならなくなった結衣ちゃん…赤子を産んだ事にされて、聖領(ひじりのかなめ)に送られる時、あいつ、娘が連れて行かれるみたいに泣いて、何処までも追っかけてたっけ…』
『なあ、どうする?』
『どうするって?』
『仙、兎神子(とみこ)を解かれたら、一緒に暮らそうとか、言ってたじゃねえか。』
『あれか…悪くねえかも知れねえな。』
『毎朝、あのオタフク顔を見る事ができりゃあよ、笑いに事かくことはねえな。』
二人でまた、ククククと笑った時…
『要するに、二人とも、あいつが好きなんだな。』
芋汁をよそりに来た、弐十手の新三郎が、上から二人の顔を除き込んで言った。
『先生!』
『おっ!うまそう、うまそう。』
二人は飛び起きるや、新三郎が運んできた芋汁に飛びついた。
『仙はな…昔、一つ上の兄と、一つ年下の弟がいたんだ。仲の良い兄妹でな。
それが、十五の時にな…町中で、神漏兵(みもろのつわもの)の子弟達によってたかって虐められている白兎を助けようとしてな、逆に殺されかけたんだ。それを、助けに入った、兄と弟が、まとめて殺されてしまった。
あの時の兄と今の次郎吉、あの時の弟と今のドブが丁度同い年だったんだよ。兄の方の顔は、何処か次郎吉に似てたしな。』
新三郎が言うと…
『なーるへそ…』
と、ドブが口を尖らせた。
次郎吉は何も言わず、ただ、遠い彼方に、凡そ美人とは言い難い仙の面影を追いかけた。
『革命が終わったら、一緒に暮らしてやれ。両親も早く亡くし、ずっと寂しかったんだ。』
新三郎がしみじみ言った、その時…
一発の銃声…
『先生!』
『先生!』
新三郎は、声もあげず、血飛沫をあげて倒れた。
更に、十数発の銃声が響きわたり、何事が起きたか理解できずにいる周囲の弐十手と目明達が、断末魔の声を上げて、バタバタと倒れた。
『神漏(みもろ)衆…』
『何故…』
愕然とする間もなく、小銃を構えた無数の神漏兵(みもろこつわもの)達が森の陰から周囲を取り囲むように姿を現し、次々と小銃を撃ち放ってきた。
忽ち、銃声と断末魔が交差する、阿鼻叫喚の世界が広がっていった。
『先生!先生!』
『野郎!』
ドブが、両手にニ振りの十手を構えた時…
『あぶねえ!』
ドブを懐に庇った次郎吉が、数発の銃弾を受けて倒れた。
『次郎吉…』
『ド…ブ…これを…これを…仙に…』
次郎吉は、ドブの腕の中で、櫛を差し出しながら言った。
『馬鹿野郎!てめえで渡せ!』
『一緒に…暮らし…たかった…兄貴に…なって…やりたかったと…』
次郎吉はそれだけ言うと、ニッと笑って首をうなだれた。
緑の帷子の上に深緑の胸甲、右肩に楯、左肩に棘付きの肩当て、緑の鉄兜…
神漏(みもろ)衆江頭組の兵(つわもの)達が、更に小銃を構えて粛々と迫ってくる。
『チクショウ!』
ドブは叫ぶなり、草叢に伏せ、転がりながら、巧みに神漏兵(みもろのつわもの)の一人に近づき、その首筋にニ振りの十手を突き刺した。
『ウッ…』
神漏兵(みもろのつわもの)が低い呻きを漏らして倒れるや、ドブは更に右に十手を振り翳し、左に突きを入れて、まとめて二人の神漏兵(みもろのつわもの)を屠った。
三人の神漏兵(みもろのつわもの)達が、ドブに銃口を向ける。
すると…
漸く我を取り戻した目明達が、いつの間に身を潜めたのか、草叢の陰から踊り出て、神漏兵(みもろのつわもの)達の背後から飛びつき、首筋に十手を突き刺して行った。
『目明達、引け!引けっ!』
白い鉢巻と襷をかけた弐十手達が、短槍を数本背負い、一本掲げながら駆けつけるや、一斉に神漏兵(みもろのつわもの)達に向かって投げつけた。
五人の神漏兵(みもろのつわもの)達が倒れ、更に五人の神漏兵(みもろのつわもの)達に小銃を構える間も与えず、新たな短槍が投げつけられた。
神漏兵(みもろのつわもの)達は、小銃を担ぎ、抜刀して短槍部隊に踊り掛かって行った。
すると…
『ドブ!引くんだ!引けっ!引けっ!』
長い髪を一本に結わいた弐十手が、短槍をクルクル回して、神漏兵(みもろのつわもの)達を次々と突き倒しながら、声を上げてきた。
『忠弥さん!次郎吉がやられた!次郎吉が…』
涙声で叫び返しながら、格闘を続けるドブに、数人の神漏兵(みもろのつわもの)達が、湾曲刀を振り翳す。
ドブは、右に左に十手で躱すと、一人に飛び蹴り、更に一人に回し蹴りを浴びせた。
『良いから引けっ!引くんだ!』
忠弥は、更に短槍をクルクル回しながら、ドブの方に駆け寄ろうとする。しかし、荒れ狂う乱戦の中、思うように前に進む事はできなかった。
『ドブッ!ドブッ!』
その時、新手の一段を引き連れた神漏(みもろ)衆が、長太刀を抜き、左腕に嵌めた十連装の機関銃を仕込んだ丸盾を構えて迫ってきた。
『まずい!吉本組だ!率いるのは、隆明!』
藤色の菱形冑、藤色の帷子の上に青紫の胸甲と肩当てを装着した一団…
先頭に立つ、赤布を首に巻いた吉本組組頭の隆明は、指揮棒代わりに、長太刀を振りかざした。
やがて、凄まじい銃声と共に、丸盾機関銃が一斉に火を吹いた。
『あー、さっぱりした。』
河原近くの小屋で、漸くオシメを替え終えて貰った千代は、ニコニコ笑って言った。
隣では、樽いっぱいに汲まれた湯で、春が右門に神門(みと)を洗って貰い、気持ち良さそうに笑っている。
右門は、尿まみれになっていた、春の神門(みと)を洗いながら、また胸が疼きだす。
七つの時から、絶え間なく穂供(そなえ)された春の神門(みと)と内側の参道は、凡そ十歳のものではなかった。
どれほど貫かれればそうなるかと思えるほど黒ずみ、何度も無理やり捻り込まれ、パックリ裂けた神門(みと)付け根の傷跡が、痛々しかった。
参道内側のヒダや肉壁は変色して黒ずんでいる。
ガタガタの股関節は、気をつけて触れなければすぐに外れ、悪くすれば折れてしまうであろう。
連日連夜、股裂きにも近い荒っぽさで押し広げられ、重たい大人達の身体にのしかかられ、何度も外れたり折れたりを繰り返してきた。
しかも、ろくな手当もされないまま、更に男達の玩具にされ続けてきた。
もう二度と、股関節は治らず、次に脚の何処かを折れば、二度と歩く事は出来ないと言う。
しかし、それにも増して酷く痛めつけられてるのは…
『アッ…』
春は、声を上げるなり、涙ぐんだ。
『ごめんなさい…』
『良いんだよ、良いんだよ。』
右門は、洗ってる最中に、また粗相をしてしまった春に、優しく笑いかけて、もう一度洗い直してやった。
絶え間なく、大人の穂柱を捻り込まれ続けただけでなく、指や異物を入れられ、掻き回されてきた。参道の筋力は失われ、緩みっぱなしであった。最早、尿意すら感じ無くなっていたのだ。
多少は尿意を感じ、数回に一度は、まだ自分で用を足せる千春は、シクシク泣きじゃくる春を見て涙ぐんで小屋を出た。
『伝六兄ちゃん…』
小屋の外では、伝六が二人の汚れたオシメを洗っていた。
千代は、忽ち羞恥に苛まれて拳を握り、唇を噛み締める。
ついさっきまで、いつか、この人のお嫁に行くのだと言う話に花を咲かせていたのが、今はとても痛く感じる。
『千代ちゃん…』
伝六は、呼び掛けようとした声を、すぐに飲み込んだ。千代が、自分のオシメを洗われているのを見て、薄っすら浮かべる涙に目を止めたからであった。
千代は、小屋の裏側に回ると、一人シクシク泣き出した。
お嫁になんか行けない。とても、伝六と一緒になどなれない。一生、伝六に自分のオシメを洗わせるなんて、とてもできやしない…
その時…
『千代ちゃん…』
不意に、呼び掛けられて振り向くと、伝六がニッコリ笑って、小さな花を千春の髪にさしてやった。
『これ…』
『あそこの河原で咲いてたんだ。千代ちゃんに似合うと思ってね。』
『伝六兄ちゃん…』
伝六は隣に座ると、千代の肩を抱いた。
『おいら達、こんな所に暮らしたいな。河原近くに小さな家建てて、魚を釣ったり、山菜を摘みに行ったりして過ごすんだ。小さな畑も欲しいな。』
『私…伝六さんのお嫁さんには…』
『今日みたいにさ。』
伝六は、千代が何か言いかけるのを遮るように言葉を続けた。
『美味しい弁当、毎日作ってくれよな。』
『良いの?私なんかがお嫁さんで、本当に良いの?』
涙ぐむ千代を、伝六は答える代わりに優しく抱きしめた。
『あーらら、お熱い事。』
漸く新しいオシメをつけて貰った春は、漏らして泣いていたのも忘れたように、小屋を出るなり、二人を見てニーッと笑った。
『コラッ!このオマセさんが!』
千代が拳を上げて言うと、春はクスクス笑って、千代の隣に座った。
『こんな所に家を建ててかあ…良いなー。私も一緒に暮らして良い?』
春が首を傾げて言うと…
『勿論だよ!』
伝六は力強く言った。
『それから…』
春は、ちょうど中から出てきた右門の腕にしがみつくつと…
『右門さんも!だって、私、右門さんのお嫁さんになるんだもん!』
『勿論だよ。』
伝六は、また、大きく頷いた。
『でも、そうなると、小さいお家じゃだめね。だって、私、右門さんの赤ちゃんいっぱい産むんだもん。それと、お姉ちゃんは、伝六兄ちゃんの赤ちゃん、産むんでしょ。だったら、お屋敷みたいなお家にしないとね。』
『まあ!この子ったら!』
千代が笑い出すと、伝六と春も笑いだした。
ただ、右門だけは、何処か寂しげな眼差しを傾けていた。
子供…
千代も春もまだ知らない。
二人とも、大人になっても子供を産めないのだ。
特に、春は、完全に御祭神が潰れてしまい、そもそも女の兆しすら訪れないだろう…
『伝六、ちょっと…』
右門は、二人から少し離れた場所に伝六を呼ぶと…
『何ですって!』
伝六は、右門に言われた言葉に目を丸くした。
『おいらに、此処へ残れってんですか!』
『おまえだけじゃない。辰三も残すつもりだ。』
右門がうっそり言うと、伝六は大きく首を振った。
『冗談じゃありませんぜ!おいら、右門さんについて行きますよ!死ぬも生きるも、右門さんと一緒だ!』
『そうか…それじゃあ、おまえは三人の女の子を、戦場に連れて行こうってんだな。』
『それは…』
『それとも何か?三人を此処に置き去りにする気か?』
『でも…』
『まあ、聞け。此処は、軽信さんの力で、神領(かむのかなめ)の者は誰も近づけない事になっている。今後、負傷した者、敗退した場合、此処に引き上げ、体勢を立て直す。その時、御前達に皆の世話を頼みたい。』
『まさか、その為に…おいらとタツを此処に残す為に、千代ちゃん、春ちゃん、花ちゃんを此処に連れてきたんですかい?』
伝六の問いに…
『頼むぞ。』
右門は、一言そう言って、伝六の肩を叩いてニッと笑った。
その時…
『何だ、あの音は!』
伝六は、思わず立ち上がり、声を上げた。
遠くから銃声の音…
同時に、阿鼻叫喚の声が響いてきた。
突如、右門は厳しく眼差しを光らせるや…
『伝六!千代ちゃんと春ちゃんを連れて逃げろ!』
叫ぶなり、両脇に差した二振りの刀を、逆手に抜いて、突如抜刀して襲いかかる二人の神漏兵(みもろのつわもの)を斬り殺した。
『右門さん!』
声を上げる伝六は、更に次々と姿を現わす神漏兵(みもろのつわもの)達を見出すや、千代と春の元に駆け寄り背に庇い、二振りの十手を構えた。
『一二三四五六七八つ(ひふみしごろくななやっつ)…』
乱戦が次第に広がりゆくなか…
駿介は、腰を低め、刀を八相に構えながら、呼吸を整え数を数えた。
『九つまでは、息を潜め…』
側では、サブが二振りの十手を振り翳し、イチは居合刀を逆手に抜いて、背中合わせに戦っていた。
飯伍は、大助を背中に庇いながら、二振りの刀を十文字に交差させながら、周囲を囲む神漏兵(みもろのつわもの)達に身構えていた。
『十を数えて、風の狭間を切る!』
駿介は、突如見開く眼光を鋭く光らせるや、小銃を傾ける神漏兵(みもろのつわもの)十人を、引き金を引く間も与えず、まとめて斬り殺した。
『霞流風間疾風剣(かすみりゅうかざましっぷうけん)!』
『風間(かざま)の駿介(しゅんすけ)か!』
神漏兵(みもろのつわもの)達の間にどよめきが湧いた。
飯伍は、駿介の登場に動揺する一瞬の隙ついて、忽ち五人の神漏兵(みもろのつわもの)達を切り、大助は、小刀手裏剣を投げ放ち、更に五人の神漏兵(みもろのつわもの)達の眉間を割った。
駿介は、更に風の如き太刀さばきで、小銃を構えようとする神漏兵(みもろのつわもの)達に切り込み、引き金を引く間を与えず、次々と斬り殺していった。
と…
少し離れた所から、別の銃声…
『花ちゃん!』
辰三は、抱きつくように庇う花が、銃弾に血飛沫をあげると、叫び声をあげた。
『辰三…兄ちゃん…』
花は、辰三の腕に抱き上げられると、その頬に手を伸ばした。
『やっと…守って…あげられた…辰三…兄ちゃんを…やっと…やっと…』
『おい!しっかりしろ!花ちゃん!花ちゃん!』
辰三は、花を強く強く抱きしめると…
『おのれ!』
小銃を撃ち放った神漏兵(みもろのつわもの)達に、怒りとも悲しみともつかぬ声を上げて、踊り掛かって行った。
同時に、凄まじい銃声と共に、神漏兵(みもろのつわもの)達の構える小銃が一斉に火を吹いた。
『タツ!』
血飛沫をあげて吹き飛ぶ辰三を目にし、思わず声を上げる駿介の腕にも、銃弾が掠めた。
『ウッ!』
一瞬声を上げ、しゃがみ込んだ駿介は、再び眼光を光らせ、新手の小銃部隊に切り込んで行った。
『イチ!しっかりしろ、イチ!』
サブは、無数の湾曲刀に斬られ、血塗れに倒れるイチを腕に抱き上げ、声を上げた。
『兄貴…俺、目明に…同心に…』
『ああ!おめえは立派な目明、十手持ちの同心だよ!』
サブが言うと、イチは胸に拳を当てて…
『同心…』
一声漏らして、ニッコリ笑って首をうな垂れた。
『イチッ!イチッ!』
イチを抱きしめ、泣きじゃくるサブに、更なる銃弾の雨が降り注いだ。
『ザブッ!』
声を上げる飯伍の傍で、大助が神漏兵(みもろのつわもの)二人に斬られて倒れた。
『大助!』
飯伍は、大助を小脇に抱えながら、ジリジリとにじり寄る神漏兵(みもろのつわもの)の抜刀隊に身構えた。
『これは、一体どう言う事だ!何故、此処に神漏(みもろ)達が来る!軽信さんが、抑えていてくれてるんじゃないのか!』
すると…
『グフッ、グフッ、グフッ、グフグフグフ…』
何処からともなく、不気味な笑い声が聞こえてきた。
『簡単な話だ。我々…いや、毛沢東(マオツートン)主席は、親楽土派和邇雨一族と結ばれた。それだけの事だよ。』
声の主は、そう言うなり、また薄気味の悪い笑い声をたてながら、のっそりと姿を現した。
青い帷子の上に濃紺の胸甲、両肩に青い棘付き肩当て、青い槍状頭立付き冑…
『馬…馬鹿な…』
飯伍は、目庇の陰から覗かす顔を見るなり、愕然となった。
奥平剛三は、人の良さそうな顔と打って変わって、酷薄な笑みを浮かべながら、右手甲に仕込まれた五連装銃を向けてきた。
『何故…何故…』
尚も戸惑いの色を隠せぬ飯伍は、情け容赦なく咆哮する銃弾の前に、血飛沫をあながら吹き飛んだ。
『奥平さん…貴方が何故、ジャイアント派に…』
駿介もまた、八相に身構えたまま、信じられぬ風に口走ると…
『ジャイアント派?最初から、野火多(のびた)派もジャイアント派もない。和邇雨一族に顔が効く軽信を欺く方便よ。』
奥平はまた、グフグフと不気味に笑いながら言った。
『我等同盟紅軍は、生温い周恩来(チョーエンライ)など遠の昔に見限った。毛沢東(マオツートン)主席と共に、東亜武装革命を実現させる。』
『信じていたんだぞ…我等は貴方を…おまえを…心底、信じ心酔していた…それを…それを…』
駿介が、怒りとも絶望ともつかぬ全身の震えが止まらぬ中…
『悪いな、革命には多少の犠牲は必要なのだ。』
奥平は言いながら、手甲銃の撃鉄を引いた。
『一二三四五六七八つ(ひふみしごろくななやっつ)…』
駿介は、滾る怒りを鎮め呼吸を整えながら、心の中で数え始めた。

兎神伝〜紅兎三部〜(13)

2022-02-03 00:13:00 | 兎神伝〜紅兎〜革命編其乃一
兎神伝

紅兎〜革命編其乃一〜

(13)銃声

『わあ、うまそうだなー。俺にはねえのか?』
銘々、木陰や切り株、岩石に腰掛け、ガツガツ頬張るおむすびを見て、辰三が言った。
『ある訳ねーだろう。』
ドブが言うと…
『そうそう、おめえには、他に作ってくれる人がいるじゃねえーか。』
次郎吉が、花の顔を見ながら、にやけて言った。
『おいっ!』
辰三が拳を振り上げる傍で、花は忽ち顔を赤くした。
『それを言うなら、ドブと次郎吉も、本当ならこのむすび、食う資格ねえな。』
今度は、半七がにやけて言うと…
『そうそう、お二人には、仙さんって素敵な次郎吉の妹がいるんだからな。』
『やめてくれ!あんな、オタフク!』
『仙は俺より十以上も歳上だぜ!』
ドブと次郎吉が吐き出して言うと、忽ち辺りから爆笑が渦巻いた。
『女は顔や若さで決めるものでは、ござらんぞー。』
辰三と同じ、木々の間から駿介が姿を現し…
『女は、ここが大事だ、ここがな。』
ぽんぽんと胸を叩いて言うと…
『そうだ、そうだ!』
『ドブと次郎吉には、仙さんがお似合いだー!』
『ドブ、仙さんを大事になー!』
『次郎吉、妹を可愛がってやれよー!』
そんな掛け声が飛び交いながら、一段と大きな爆笑が渦巻き、辰三を冷やかした威勢良さが消え、ドブと次郎吉は小さく肩を窄めた。
『さあ!どんどん食え!沢山食って、精をつけろよ!』
遠くから、新三郎が芋汁と漬物を腕と器に盛りながら声をあげたかと思うと…
『あ!タツ兄ちゃんに、花姉ちゃん!』
春が、千代と二人で結んだ、竹皮のむすびを持って来ようとした。
すると…
『春ちゃん!』
一同、声をあげて駆け寄る間も無く、春が前のめりに倒れ込んだ。
『春ちゃん!大丈夫か!』
辰三が血相を変えて駆け寄り、抱き起すと…
『えへへ…はい、タツ兄ちゃんと花姉ちゃんにも、おむすびどうぞ。』
春は、なんとか落とす事も潰す事も防いだむすびを差し出した。
『ありがとう、春ちゃん。』
後から駆け寄ってきた花がむすびを受け取った。
『さあ、乗れ!無理して歩くな!』
辰三は、春の前にしゃがみ込んで背中を差し出すと、春が、大きく首を振った。
『どうした、遠慮するな。』
春が、もう一度首を振ると…
『私達は、誰にも頼らずに生きて行くの。』
側で、杖をつき、ヨチヨチ歩きながら、むすびを配っていた千代が言った。
『千代ちゃん…』
千代は、ニコッと笑いながら、今やすっかり姉妹同然になっている春を助けて立たせた。
『ねえ、春ちゃん。どんなに大変でも、自分の足で立って歩いて、自分の手で持って食べる。これが自由なんだもんね。』
『うん。』
千代に言われ、春も大きく頷いて、満面の笑みを浮かべた。
『でも、無理は駄目だぞ。』
と…
先程から、二人を心配して見つめていた伝六が、さりげなく春が持ち忘れた杖を差し出した。
『自由に生きたいなら、自分のあるがままを知り、受け入れる。自分を大切にする。右門さんに、そう教わったろ。』
『伝六兄ちゃん…』
『今度、足を折ったら、二度と歩けない…ちゃんと杖を使わないと…
それと…』
今度は、千代に目線で合図を送り…
『そろそろ…
右門さんが、向こうで待っているよ。』
伝六が言うと、千代は『アッ…』と、自身の股間に目を移した。
気づけば、だいぶ前から取り替えてないものが、かなり湿っている。このままでは、着物まで濡らし、臭い出すだろう。
『春ちゃん…』
千代が目で合図を送ると…
『アッ…』
春も何かを思い出したように大きく頷いた。
伝六は、周囲に気づかれぬよう、さりげなく二人を、少し離れた木陰で待つ右門の方へ連れて行った。
辰三はまた、胸の疼きを覚えた。
二人が何故、右門と共に姿を消したか知っている。
七歳の時から、絶え間なく大勢の男達に穂供(そなえ)をされ続けた元赤兎の二人は、辛うじて残された裏参道の筋力を除き、股間の筋力を殆ど失っていた。実質垂れ流し状態であり、死ぬまでオシメを外せない。
辰三は二人の後姿を見て、すぐに漏らしては、それも理由に酷い仕置を受けている、赤兎のキミを思い出したのだ。
『タツ、あれが人を支えると言う事だ。』
『えっ?』
『闇雲に何でも助けてやる事が、人を支える事ではござらんぞ。
拾里を作りたいなら、伝六をよく見習っておけ。』
駿介が辰三の肩に手を置いて言うと、辰三は大きく頷いた。
『本当に、これでよいのでござろうか…』
駿介が隣に腰掛け、むすびを頬張り出すと、飯伍が唐突に言った。
『何が…で、ござるか?』
『いや、あの子達でござる。それがしは、大きな間違いを犯してしまったのでござるまいか?』
飯伍の目線の先では、サブの盲目の弟イチが、兄から貰った二振りの十手を撫で回してはしゃいでいた。
『兄貴、良いのか?本当に、俺も貰って良いのか?』
『あたりめえじゃねえか!おめえがこっそり持ち込んでくれた食い物で、俺も社(やしろ)のみんなもどれ程救われた知れねーんだ!おめえがいなかったら、餓死した子が何人いたかわからねえ!二人で一体、互いに寄り添い支え合うのが、一心の志。おめえは立派な十手持ちだ!』
『違うよ!俺は、兄貴に恩返ししただけだ!兄貴が進んで黒兎になってくれたお陰で、めくらの俺が、領内(かなめのうち)で暮らし続ける事が許された!その恩返しをしただけだよ!』
『馬鹿言うな!おめえは、俺の可愛い弟だ。兄が弟を守るのは当たり前じゃねえか!
おまえは、これからもずっと大事な弟、これからは同じ心を抱く俺達の同心だ!』
サブは、そう叫ぶなり、十手を抱きしめて泣く弟のイチを抱きしめて、共に泣きじゃくっていた。
『そうか…あいつにも十手をくれてやったか!貴様、良い事をしたではござらんか!俺も、イチも同心に加えてやろうと思っていたところだ!』
『それが、大きな間違いではなかろうかと思っておるのでござる。あの子達は、まだ十六と十四でござるぞ。』
ふと、近くの岩石に腰掛け、読書に耽っていた大助が、心配そうに飯伍の顔を見上げた。
『何でもない、読み続けているが良い。』
飯伍は、穏やかに言うと、大助は十三の少年らしく、無邪気な笑みを浮かべた。
『馬鹿な!子供にだって、自由に生きる権利がござろう!自由を勝ち取る為に戦う権利がござろう!』
駿介が思わず声を上げて言うと…
『それがしはただ、恨みを晴らしたかった…それだけでござる。』
飯伍は悲痛な声を漏らした。
『兎神子(とみこ)達の惨状を占領軍に直訴し黙殺された。そればかりか、その事を総社(ふかつやしろ)に告げ知らされ、一族諸共皆殺しにされた。唯一人、それがしだけは、忠高様に救われた。その為に、忠高様は自害に追い詰められ、ご子息忠相様は左遷された。
それがしは、父と一族…恩人の忠高様の仇を討ちたかっただけでござる…』
『それが、圧政に苦しむ領民(かなめのたみ)達を救う大義に変わった。良い事ではござらんか。
あの子達も同じではござらんか!男として女を助けたい!守りたい!
一人を救いたい気持ちが、やがて、多くの人を救いたい気持ちにつながる!一心共和…弍十手の心とは、そう言うものだ。これこそ、社解道(しゃかいとう)の教えではござらんか!』
『だが…これは、大人達の理屈にござる。大人の理屈や問題に、子供達を巻き込むのは間違いではござらんか?』
『この世に、人の上下もなければ、違いもござらん!男も女も、大人も子供も、皆同じでござる!
十手持ちに、大人も子供もござらん!だから、それがしは、あの子達にも十手を渡した!目明組と名付けた!』
駿介が、一層声を荒げた時…
何処からともなく、凄まじい銃声が鳴り響いた。
『おいっ!』
『何だ、あれは!』
二人が互いに顔を見合わせるや、辺りから夥しい銃声と、阿鼻叫喚の叫び声が響きわたってきた。

兎神伝〜紅兎三部〜(12)

2022-02-03 00:12:00 | 兎神伝〜紅兎〜革命編其乃一
兎神伝

紅兎〜革命編其乃一〜

(12)一心

革命決行は、明日に控えていた。
辰三は、温泉に浸りながら、星空を見上げていた。
同じ空を、仲間達も見ているのであろうか?
鱶背一之摂社(ふかせいちのせっつやしろ)西壁からの侵入が、自分達と平次達に課せられていた。
まず、弐十手衆が、東・西・北境外で騒ぎを起こし、目明組が内部に侵入して撹乱。
この混乱に乗じて、奥平剛三と軽信房江率いる同盟紅軍の革命戦士と神領(かむのかなめ)に潜伏する楽土兵達が、真正面の鳥居より襲撃を仕掛ける。
最後の仕上げとして、和幸達が、仲間達にも明かさぬ場所から参集殿に侵入。一気に、鱶背本社(ふかせのもとつやしろ)の神職(みしき)達と聖領神職(ひじりのかなめのみしき)達を皆殺しにする。
これを合図に、既に楽土の間者達がすり替わった神職(みしき)達がそれぞれの社領(やしろのかなめ)で反乱を起こし、鱶背社領(ふせつやしろのかなめ)を制圧。
更に、神領(かむのかなめ)各地の摺り替った神職(みしき)達が、弐十手、紅兎、密かに革命を支持する領民(かなめのたみ)達を率いて武装蜂起。
やがて、燎原の火の如く広がる、神領(かむのかなめ)の反乱に呼応し、聖領(ひじりのかなめ)が鎮圧の兵を出撃させるのを待って、聖領(ひじりのかなめ)の弐十手、紅兎、革命支持の領民(かなめのたみ)達が武装蜂起。楽土に援軍を求める形で、既に待機している解放軍を侵入させる手筈となっていた。
聖領(ひじりのかなめ)と神領(かむのかなめ)は、周恩来(チョーエンライ)首相の手で解放され、第二の北の楽園…共和国となる。そして、聖領(ひじりのかなめ)と神領(かむのかなめ)は、皇国(すめらぎのくに)の革命の拠点となり、本土である天領(あめのかなめ)を洋上帝国と未だ根強く支配する旧帝国残党から解放する。
ほんの昨日まで、その日を夢見ては、胸が高鳴り心踊ったものなのだが…
いざ、その日が間近に現実になろうとすると、得体の知れない不安感に囚われる。
これまで、自分は、革命成就の日を夢見て、ひたすら駆け続けてきた。
辰三には、異名がある。
一つは、刻限に細かく、忠実に守るところから、時刻の辰。
しかし、刻限に細かいところから、慎重な男かと思いきや、遮二無二に走り出し、考えるより先に行動してしまうところから、すっ飛びの辰三とも呼ばれている。
正直、革命を成功させる事しか考えてこなかった。革命を成功させる事のみを考え、今、自分に課せられた使命…奥平剛三と軽信房江に的として示された相手をひたすら殺し続けてきた。その相手を何故殺すのか、何の為に殺さねばならぬかすら考えた事がなかった。
ただ…
目の前で、大人達の玩具にされ、大人達の意に沿わねば、正視に耐えぬ拷問じみた仕置きを受ける白兎と赤兎達を救う事…
苛めが子供を強くする、仕置きが子供を鍛え抜くと言う神妣聖宮社(かぶろみのひじりつみやしろ)の宏典聖宮司(あつのりのひじりのみやつかさ)の思想の元、兎神子(とみこ)達は何か口実を見つけては、徹底的に虐め抜かれていた。全裸でいなくてはならない赤兎に、わざと騙して着物を着せては、拷問にも等しい仕置をしていた。田打の時、兎神子(とみこ)達に、噛んでもいない穂柱を噛んだと言っては、死ぬすれすれの暴行を加えていた。
自分が仕置される事は、余り気に留めた事はない。ただ、目の前で、姉のように可愛がってくれ、弟や妹のように懐いてくれる、仲間の白兎と黒兎達や、赤兎達がそうされるのを見るのが耐えきれなかった。
皆を、この地獄から解放してやりたい。
その一念しかなかった。
しかし…
いざ、夢にまで見たその日が目と鼻の先までくると、その後、自分はどうすれば良いのか分からず、得も言われぬ不安に駆られるのであった。
全てが終わったら、自分は何をすれば良いのだろう。
思い悩みながら瞼を閉じる。
浮かび上がるのは、いつも決まっていた。
常に全裸でいる事を強いられ、絶え間なく陵辱される幼い赤兎の姿であった。
キミ…
前の赤兎が聖領(ひじりのかなめ)に送られ、新たに赤兎にされた子…
七つになるのに、三歳児で成長が止まり、まともに話もできない子だ。
その子は、今も犬のように首を縄で繋がれ、領内(かなめのうち)中を引き摺り回されている。行く先々で、面白半分に玩具にされている。
神職(みしき)達は、何かと言っては、キミの背中や足の裏を焼き鏝で焼いて面白がっている。
前の赤兎は、股関節と腰骨を破壊され、箱車に運ばれて、聖領(ひじりのかなめ)に送られた。
極端に幼いうちから、絶え間なく穂供(そなえ)される赤兎の殆どは、聖領(ひじりのかなめ)に送られる時は、まともな身体(からだ)ではなくなっている。
迂闊な庇い方をすれば、自分ではなく、赤兎が酷い目にあわされる。
辰三は、何もしてやれない、助けてやれない、そんな赤兎を目の当たりにしては、いつも歯軋りをしていた。
キミは、今もきっと…
耳の奥底から、悲痛な鳴き声が聞こえてくる。
声が枯れ、もう悲鳴も上がらない…
言葉がわからないから、禁じられるまでもなく苦痛を口にする事も出来ない…
ただ、胸を裂くような声をあげ、啜り哭く事しか出来ない…
あんな声を聞き、あんな姿を見るくらいなら、自分が千回でも八つ裂きにされ、火に炙られた方が良い…
あの子の苦しみをほんの少しでも代わってやれるなら、どんな凄惨な仕置を受けても良い…
辰三はいつもそう思っていた。
辰三は、キミの事を思い出した時、思わず『アッ…』と、声をあげた。
革命成就の後、する事が見つかった。
神領(かむのかなめ)には、数多の赤兎達がいる。殆ど皆、十二の歳を待たずして、まともな身体(からだ)でななくなっていると言う。身体(からだ)が無事でも、頭をやられていると言う。
あの子達の世話をしよう。これまで、不幸だった分、あの子達を幸福にしてあげたい。
赤子のようになってしまったなら、死ぬまで赤子のままで良い。今まで虐め抜かれていたぶん、死ぬまで赤子のように甘やかしてあげよう。
歩けないなら、背負って、行きたいところに何処までも連れて行ってあげよう。
オシメを外せない子は、自分が死ぬまで替え続けてあげよう。
大も小も、幾らでも漏らせば良い…
漏らす度に、死ぬ程の仕置をされる事は二度とない…
自分が全部世話してあげれば良いのだ…
革命が終わっても、する事は幾らでもあるではないか…
革命が終わった先にこそ、自分のするべき事はあるではないか…
そして、いつか大人になったなら…
あの子と…
大好きなあの子と…
『タツ兄ちゃん。』
不意に、今思い描きかけていた声…
『花ちゃん!どうして、ここへ!』
振り向く辰三に、一つ歳下の少女はニコッと笑いながら着物を脱ぎ…
『駿介さんに連れてきて貰ったの。』
言うなり、飛沫を上げて湯に飛び込んだ。
『社(やしろ)で待っているように行ったじゃないか!』
思わず辰三が声を荒げると…
『タツ兄ちゃんは、今も、私におじさん達の玩具にされていて欲しいの?』
花は、思わず目を潤ませ、辰三の顔を見上げた。
『いや、それは…』
『私が、一度に何人ものおじさん達に弄ばれる方が良かったの?』
『そう言う事じゃなくて…』
『タツ兄ちゃんがそんな…酷い…酷い…』
辰三が思わず言葉を詰まらせると、花は両手を目に当てて、ベソをかいて見せた。
『ごめん…ごめんよ、俺がいない間、辛い思いしてたんだね…本当にごめん…』
辰三が、いよいよどうして良いか分からず、困り果てると、花はクックックッと喉を鳴らして笑い出した。
『花ちゃん、おまえ…』
今度は、呆れたように辰三が目を丸くすると…
『私、お兄ちゃんを守りに来たの!私も戦う!』
言いながら、花は辰三の胸に飛びついた。
『守る、戦うって…』
花は、一頻り辰三の胸に頬をすり寄せると、背後に回り…
『タツ兄ちゃんの背中、傷だらけ…』
言いながら、辰三の背中一面の傷跡を数え始めた。
『この鞭で打たれた跡も、この火傷の跡も、この切り傷、この刺し傷、この引っ掻き傷…全部、全部、私達を庇う為に受けた傷…』
花は、いつしか、今度は本当に声を涙に滲ませていた。
『タツ兄ちゃん、いつだって、私達を守ってくれた。私達が酷い目にあいそうになると、いつだって、代わりに仕置を受けてくれた。その為に、どれ程酷い目にあってきたか…』
『そんな…花ちゃんだって…』
『私、いつも泣いてるだけ。何もできなかった…焼き鏝で背中焼かれても、焼け火ばしで引っ掻かれても、声一つあげず私達を庇ってくれるタツ兄ちゃんに、何もしてあげられなかった…』
『良いんだよ、俺は男だから。花ちゃんは、いつだって優しいじゃないか。赤ん坊みたいなキミちゃんに、自分の食べ物殆どあげて…領内(かなめのうち)中引き摺り回され、傷だらけの白穂塗れになって帰ってくると、優しく手当して、身体(からだ)を洗ってあげて、膝に抱いてあげて…そんな花ちゃん見て、俺は…』
『好きよ、タツ兄ちゃん…私、タツ兄ちゃんが好き。』
花は、後ろから辰三に抱きつき、背中に頬ずりしながら言った。
『今度は、私がタツ兄ちゃんを守るの。いつも、みんなを守ってくれたタツ兄ちゃんを守るの。だって、もう十四になるんだもん。子供じゃないもん。』
『花ちゃん…』
花は、振り向く辰三に目を瞑って上を向き、唇を差し出した。
辰三は、優しく花を抱きしめると、その唇を吸った。
『結婚しよう…』
辰三は唐突に行った。
『えっ?』
驚き首を傾げる花に、辰三は優しく笑いかけた。
『ただ、一緒に暮らしてくれれば良い。君の身体(かりだ)が傷ついているのはわかってる。男と女になるのは、その傷が治ってからで良い。それまで、俺の側にいてくれれば良い。』
『タツ兄ちゃん…』
『君の傷が治るまで、ちゃんと大人の身体になるまで…キミちゃんのお父さんとお母さんになってやろう。』
そう言うと、辰三は、花がやってくる直前に思いついた事を話して聞かせた。
『まあ、素敵!』
花は、忽ち顔を輝かせた後…
『でも…それなら、赤兎達だけだなくて、不具を理由に産んだ子を殺されて、気が触れてしまった子達、絶え間ない穂供(そなえ)で身体(からだ)を壊してしまった子達…ううん、何も兎神子(とみこ)だけじゃない。お金がなくて診て貰えない領民(かなめのたみ)の人達、重病や不具を理由に山に捨てられた人達…この世の恵まれない人達、みんなを引き取ってあげようよ。』
辰三の胸に顔を埋めて言った。
『やっぱり、花ちゃんは優しいな。』
辰三もまた、前にも増して顔を輝かせて言った。
『毎日、領内(かなめのうち)の男達にあんな目に遭わされて…それでも、領内(かなめのうち)の人達の事まで思いやるなんて…』
『領内(かなめのうち)の人達だって、酷い事をするより、優しい人達の方が多いわ。こっそり、お父さんの死に目に合わせてくれたのも…病気のお母さんの面倒を見てくれたり、たまに会わせてくれたのも、領内(かやめのうち)の人達。連日の穂供(そなえ)で、立ち上がるのも辛くなった私達を…特にキミちゃんを、高い玉串払って、社(やしろ)から出して、家に泊めて休ませてくれたのも、領内(かなめのうち)の人達…あの人達も幸せにしてあげたい。』
『その通りだ!俺達の革命だって、何も兎神子(とみこ)だけ良い目見たくてやってるんじゃない!みんなの幸せの為なんだ!
そうだ!いっそう、俺達で、鱶背に拾里を作らないか?』
『拾里って…あの、百合先生とか言う元赤兎の?』
『そうだよ。鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)の山中に、名無しさんが開いた療養の里だよ。俺達は、鱶背に同じ里を作ろう。』
『素敵!素敵だわ!』
二人は、また見つめ合い、近い未来の夢に目を輝かせながら、強く強く唇を重ねて抱き合った。
不意に…
『アッ…』
花が声を上げると、頬を赤く身を固めた。
『えっ?』
辰三が振り向くと…
『すまん!』
いつの間に来ていたのか、駿介が思わず後ろを向いた。
『それがし、覗く気はござらなんだ。少々、身体(からだ)が冷え込んでな、湯に浸かろうと思ったのだ。』
花は、硬直したまま立ち尽くし、唇を噛み締めた。目は、涙ぐんでいた。
兎神子(とみこ)とは言え、年頃の少女らしい羞恥心はある。仄かに膨らむ胸を腕で隠したかった。しかし、できなかった。
白兎は、赤兎のように、日がな一日、全裸でいなくてはならないと言う事はない。それでも、肌を晒す時、隠す事を禁じられている事に変わりはなかった。もし、男の前で晒される身体(からだ)を隠せば、手酷い仕置を受け続けてきた。その記憶が染み付いて、どうしても身体(からだ)を隠す事ができなかった。
『何してるんだ、タツ。』
駿介は、大木の後ろに立ち、背を向けたまま優しく言った。
『早く、花ちゃんの身体(からだ)を隠してやらんか。』
辰三は、はたと気づいて、急ぎ近くにあった長尺手ぬぐいで、花の身体を覆ってやった。
『それで良い。それでこそ、男でござるよ。』
駿介は背を向けたまま、満足そうに大きく頷いて見せた。
『女が身体(からだ)を隠せずにいるなら、おまえが行って隠してやれ。泣いていたら、おまえが行って慰めてやれ。苦しい目にあってるなら、おまえが行って助けてやれ。危険を前にする女は、命がけで守ってやれ。女を甚振り弄ぶ奴は男ではござらん。女を優しく守ってやってこそ、男でござるよ。』
『駿介先生!』
辰三は、忽ち目を輝かせながら、長尺手拭いに包んだ花を抱きしめた。
『花ちゃんは、本当にタツに惚れてござるな。』
今度は、花が、耳たぶまで顔を赤くした。
『女は、当たり前のように男に守られていろ。守られてばかりいる事に、何ら負い目を感じる事はない。当然のような顔して守られていろ。事実、当然だから。
その分、タツを優しく支えてやれ。いつも、甘やかしてやれ。男は、いつまでも幼子のように、女に甘える。しょうのない程に甘える。全部、受け入れてやれ。
互いに優しく守り支え合う、それが、真の男女…人のあり方でござるよ。』
湯を出て、二人が着物を身につけると…
『似合うぞ!本当に似合うてござるぞ!』
漸く振り向く駿介が大きく頷いて、花を益々赤面させた。
『タツ、弐十手の意味を覚えているか?』
『はい!一心の志です!』
『そうだ!寸分違わぬニ振りの十手は、天と地、右と左、男と女、相手と自分…二つにして一体なるものを表してる。どちらがより大事でもなければ、尊いわけでもない。どちらが欠けても成り立たず、両者が手を携えあって、共に成り立つのでござるよ。
共に和して成り立つ国…共和国。我らが目指すのは、互いに寄り添う共和国だ。
皆が共に助け合い、豊かになり、幸福になる国…
共和国の基本の心こそ、一心の志にござる。
一心の志は、男女互いに睦合うところから始まる。この世の平和と豊かさは、小さな家庭から始まる。家庭には、女の存在、母親の存在が必要だ。
花ちゃん、だから、それがしは、そなたを連れてきたのでござるよ。』
『でも、駿介先生…俺達はこれから…』
辰三が、急に顔を曇らせ、何か言いかけると…
『何度言わせる気だ。だから、おまえが守ってやれ。自分の女一人守れぬ男に、どうして革命を実現できる?共和国を築ける?人々を救える?
革命をどうこう考える前に、まず、おまえの女を命がけで守ってやれ。それができて初めて、おまえは本物の男になれるでござるよ。』
駿介は、そう言って大きく頷きながら…
『何より、死ぬなよ。』
最後に、強く念を押すと、辰三の頭をクシャクシャに撫で回して見せた。