サテュロスの祭典
被害者
ヌード写真を芸術か猥褻かと言う議論であるなら、僕はいくらでもされて良いと思います。
いや、その議論無くして、芸術・美術の進歩発展はないでしょう。
しかし、少女ヌードの事が話題となる時、モデルとなった少女をさして、ポルノ被害者と呼び、可哀想だと言う言い方には、僕は強い抵抗を感じます。
これは、僕のコレクション趣味をめぐって、ある方とぶつかった時にもよく言われた事なのですが…
年端もゆかない子を裸にするなんて可哀想…
と、言われる度にに、強い抵抗を覚えたものです。
年端もいかない子を、性的嗜好の対象として描くなど、猥褻極まりない。
これなら、そう言う意見もあってよいと思います。
その人は、そう思う。だから、少女ヌードは嫌いだ、けしからん。意見として十分成り立つし、いや、僕は美しいと思うよと返す事もできるかと思います。
しかし、被害者だから可哀想とは何事であろう…
被害者、可哀想と言うのは、あくまでも、そのモデルとなられた方が、本人の意思とは別に、無理やりやらされた場合をさすと僕は思います。
例えば、あるモデルの少女は、親が金欲しさに娘を引きずって写真家のところへ連れてゆき、泣いて嫌がる娘を無理やり服を剥ぎ取ってモデルに売り込んだ…
だから、『その子』が可哀想だと言うのなら、僕もその通りだと思います。
実際、僕の好きな写真家のモデルとなった少女の中にも、そう言う子がいたと言う話を、当の写真家のインタビューで読んだ事があります。
写真家も、正直その親に強い嫌悪感を抱き、その子をモデルにするのを断ろうと思ったと言います。
しかし、ここで断れば、その母親が、その子を何処に売り込もうとするか、連れて行こうとするか容易に察しがついたので、敢えてモデルにした。
結果、最初は泣いて嫌がっていた少女も、何度も写真家のモデルを務めるうちに、次第に信頼関係が結ばれ、最後は実の母親より、写真家を信頼するようになって、大人になった後も、就職を始め、諸々の世話をしたと話していました。
そう言う話、同時販売されていたロリコン雑誌で、幾つも聞いていました。
力武靖さんのインタビューにも、そう言う話があった気がします。
モデルを求めて東南アジアの国々に出向いたのはよいが、自分の娘を使ってくれと、金目当てな親が、五万と押し寄せた。
それで連れてこられる娘達の殆どは、凡そモデルにふさわしいと思えるような子達ではなかったが、もし断れば、その子の行き先は売春宿。だから、敢えてモデルにしたが、案の定、写真集の売れ行きは悪く、赤字が重なったと…
それで、何とか写真集を売らないと、モデルになった子達にモデル料を払えず、悲惨な運命から守れないので、なりふり構わず写真集を売り込んだとも…
そう言う子達に対して、可哀想…
これは、わかります。
僕もその通りだと思います。
ただ、この場合、それはポルノ被害者ではなく、子供を金儲けの道具にしか考えない、親の被害者と言うべきではないでしょうか。
しかし、これも先に挙げた、僕のコレクション趣味でぶつかった方の話ですが…
何の番組でか、ある写真家の美術ヌードモデルを務めた少女のインタビューの話をしました。
まあ…
その方の話から、だいたいその写真家は誰で、どのモデルかも想像はついたのですが…
本当は嫌だった。無理やりモデルをやらされて辛かったと泣きながら話していた話を、その方も泣きながら、だから少女をヌードにするなって絶対ダメだと、とつとつと話すの聞いて、正直、ゲンナリしました。
ちなみに…
従軍慰安婦などでっちあげだの、嘘つきだのと、これまた全部そうだと言うのも乱暴な気がしますが…
その報道の影響を受けてか、今でこそ、その方は、慰安婦の話を出しただけで露骨に嫌な顔をし、あんなデタラメな話で、いつまでもゆすりたかりをする某国はけしからんと言いますが…
慰安婦問題が始まった当初、本当か嘘かはわかりませんが、十二歳で慰安婦にされたと言う証言を聞いたとき、その方は涙をボロボロ溢して、その少女の話をし、だから、慰安婦を集めた日本軍はけしからん、日本軍は悪いやつだったと、散々、旧日本軍をボロカスに言っていたものです。
話がそれましたが…
確かに、そう言う可哀想…
いや、それ以前に、少女達への強い愛着から、僕などロリコン雑誌で、金儲けに娘を無理やりヌードモデルに売り込む親達の記事を読んだ時は激怒したものであるし、それを記す雑誌の口調も、読者の反応も、あらかた、僕と同じだったのではないか?と、僕は思います。
ただ、これをもって、モデル少女は、全て被害者で可哀想…と、言うのも乱暴ではないでしょうか。
あの時、一体どれだけの少女ヌード写真集が出された事でしょう。
また、『ロマンス』と言う少女ヌード写真集だったでしょうか…
写真集を撮影する前に、モデルを公募したところ、三人のモデル公募に、一万人越しの少女達が応募してきたと言います。
その時、まず厳選な書類選考で落としに落とした末、それでもまだ膨大な候補者が残り、何度もオーディションをして、漸く三人のモデルを決めたと聞きます。
この数千人の応募者の少女達、全てが親に無理やり応募させられたと言うのは、かなり無理があるかと思います。
また、これは、少女ヌードではなく、大人のAV女優でが…
ある番組で彼女を取り上げた時、彼女にAV女優をしてる事について質問した時、自分はこの仕事を気に入っている、スタッフ達も良い人達で、みんなに支えられて頑張っていると言う答えが返ってきました。すると、番組レギュラー達は、よってたかった、そんな筈はない、こんな仕事をさせられて、嬉しい筈はない、本当は辛いんだろう、本当の事を話せと迫るのを見て、僕は非常に不愉快な思いをしました。
そう言う、こちらのこうである筈だ、こうであるに違いない、と、一方的な決めつけではなく、ただ、率直にその方達がどう思っているのか、当時モデルを務めていた少女達全員に確かめて、全員が無理やりやらされたと答えて、初めて、あの子達は被害者で可哀想でしたと言う事になるのではないでしょうか。
しかし、僕のコレクション趣味でぶつかった方ににしても、その方がみたワイドショーにしても、たまさか名乗りでて、涙ながらに嫌でしたと答えたのを見て、全部そうだと言うのは、むしろ、子供達はみんなこうだと言う、大人達の決めつけではないでしょうか?いや、子供達はこうでなければならないと言う押し付けにも聞こえます。
そこで、僕はその方に、先に話した写真集の撮影前、三人のモデルを公募したさい、一万人超えの応募があり、選抜に何ヶ月もかかった話をし、この応募してきた少女達全てを可哀想は違くないか?と、話しました。
その際、その方は露骨な嫌悪感を示したので、僕は逆に、その方に対して嫌悪感を覚えました。
僕が、その方に対して抱いた嫌悪感は、二つ。まず、自分から応募したと言う少女に対する露骨な嫌悪感の態度。ちょっと待って欲しい。少女達は無理やりやらされて、可哀想だから、少女ヌードはけしからんのではないのでしょうか?だったら、本人の希望で応募するのはOKであり、本人もヌードモデルと言う仕事に思い入れを込めて望むなら、OKではないのでしょうか?だのに、自分から応募する少女達に、そんな顔をするのなら、可哀想だから…ではなく、猥褻だからけしからんと言う論調に即刻変えて貰いたいと言うのが一つ。もう一つは、その話、何処で聞いたかと言うのに対し、イレブンPMと言う番組で、写真集撮影を取材した人の話だと答えたところ、『ふん!何だ、そんな番組の言う事か…』ならば、あてにならんと言う態度を示した事です。
これも、ちょっと待てと言う話かと思います。
ある番組、ある新聞社、あるテレビ局の言う事だから、全部あてにならんと言ってしまうなら、僕からすれば、ならばテレビも新聞も見るなという話になります。
どの新聞社にも、テレビ局にも、独自の色があり、反対側から見れば、どれも如何わしいものになるのは、政治論争で、片や朝日新聞は左翼だ、片や産経新聞は右翼だと、盛大にやりあわれてる皆様であれば、よくわかるかと思います。
また、その時、その方には忘れていて話さなかったが、ブーム前世の頃、ある写真家のところには、親に隠れてモデルを希望した少女がいて、その事を知らずに撮影したところ、後で親が知ってトラブルになった事がある話もきいています。
また…
規制法ができた最近の話になりますが…
児童ポルノの取り締まりで、非常に困難な問題に直面したケースに、こんながあります。
中学生や高校生の少女達が、自分で自分のヌード撮影をして、SNS投稿するケースが続出した事です。
この問題をとりあげる時、取締る側も、また、この問題をFacebookなどで取り上げて話題にされてる方々も、非常に頭を抱えてるのを見て、僕は爆笑しました。
彼ら、ヌードモデルを務める少女達を、十把一絡げに被害者、可哀想などと決めつけで話すから、悩むのです。僕からすれば、悩む事など何もない、簡単な話かと思います。未成年のヌードは、いかがわしく、猥褻だからけしからんと言って取り締まれば良いのです。その理屈で言えば、自分のヌードを撮影した少女であろうと、自分の娘なり他人の娘なりを裸にして撮影したものであろうと、如何わしいものを世に出してけしからんと言って、取り締まれば済む話だと思います。
ヌードモデルをさせられて可哀想。裸を撮影させられたなんて可哀想…
僕からすれば、みんなそうだと決めてかかられる、当時モデルを務めた少女達こそ可哀想だと思います。
何故なら…
まず、子供の意思と言うものを全く軽く見られている点。
子供は、大人が思う以上に、良くも悪くも自分の意思と言うものを持っている。自分はこうしたい、ああしたいと言う思いを強く抱いている。それを、子供達にこんな事を決められるわけがない。こんな事を自分から望むわけがない。これは、全部、大人の決めた事だ。そう決めてかかると言うのは、何と子供達の自己決定、自己意思の否定した考えでしょうか?
僕からすれば、『ロマンス』のモデルに応募した一万人もの少女達を含め、本人の強い意思なのかも知れないのに、それを全面否定して、全て強制されたと断定してしまう事は、泣いて嫌がる少女の意思を全面否定して引きずって写真家の元に連れてゆき、無理やり裸にしてモデルにさせようとした親と、余り変わらないと思います。
こう話すと、いや、子供達が全員強制されたと決めつけて同情するのは子供の将来と人権を思っての事であり、子供を無理やり裸にした親は金目当なのだから、大きな違いがある。と、反論されそうな気がすします。
しかし、僕は思う。
将来を思って?いや、ヌードモデルをした事が、将来暗い影を落とさせてるのは、そう言って騒がれる方々ではないでしょうか?もし、今はやりのjpopアイドルやkpopアイドルのように、子供の頃、ヌードモデルでヒットを飛ばした事が、大きなステータスとなる社会であるなら、暗い影を落とすどころか、輝かしい未来を約束する事になるでしょう。モデルとなった子達の未来を暗くするのは、ヌードは可哀想、被害者だ決めてかかられている方々のような気がします。
むしろ、本音では、僕とぶつかった方と同じく、無理やりやらされて可哀想…ではなく、猥褻だからけしからんと思われてる方々が、子供達はこうでなければならんと言う思いを押し付け殊更同情するのも、金が欲しいと言う思いを押し付け子供を無理やり裸にするのも、全く同じに僕には見えてなりません。
次に、ヌードにさせられて、可哀想だと言われる事こそ、子供達が可哀想と思う理由。
それは、どう言う背景で、ヌードモデルになったのか…
一人一人の事を全て把握などしていません。
成る程、親に無理やりさせられて、可哀想な子供達も大勢いたのかも知れません。
しかし、僕が知る、モデルを務めたお嬢さん達の二人は、大変な金持ちのご令嬢で、年間、どれだけ海外で過ごしていたか、自国で過ごすのと他国で過ごすのとどちらが多かったかわからない、いわばエリートのお嬢さんでした。
そして、撮影された写真家とは、個人的な友人であり、写真美術への造詣が深く、あくまでも美術写真のモデルとして、娘の撮影を許可してるし、娘の方も親と同じ気持ちで、実に楽しい雰囲気の中で撮影したと聞いています。
だから、全員そうだと、ヌードモデルは全員無理やりやらされて可哀想などと言われる方々のような事は、口が裂けても言いません。わからないのですから…
ただ、一つ言える事は、どう言う背景でモデルを務めたかはわかりかねますが…
当人達は、ポルノ被害を受けたのではなく、ヌード写真のモデルと言う立派な仕事を務めたのです。当時は、それが美術芸術ともてはやされ、写真年鑑に掲載されたり、毎日新聞社から毎日グラフィック特集号として、丸々写真集として発売されたものもあります。
当人達は、素晴らしい写真のモデルを務めていたはずなのです。
それを、別の時代になり、あれはポルノ被害でした、可哀想ですと言われるくらい、残酷な事はないのではないでしょうか?
これ、自分がヌードモデルではなく、子役だったらと想像してみましょう。
例えば、『おしん』なるドラマの主演子役を務めたとします。
しかし、時代がかつてのような軍国主義社会となり、あのドラマは政府批判をする極悪極まりないドラマだと断定されたとします。
その際、そんな醜悪なドラマに出演させられて、可哀想だなどと言われたらどんな気がするでしょう。おしん役をさせられたのは、国家反逆ドラマ被害だと言われたら、どんな気がするでしょう。
そう話すと、子役達は皆、自分の意思で勤めてると、そう言い返されるでしょうか?
ならば、ちょっと待て…です。
自分の事を自分で決められる能力は、子供にはない…だから、ヌードモデルは被害者なのではないのでしょうか?
子供は、なんでも親の意思に従わざるを得ない存在なのではないでしょうか?
だったら、日本が軍国主義社会となり、『おしん』が国家反逆ドラマと断定された時、おしん役を務めるか務めないか、それが良いか悪いか決める能力などなく、親や大人達の意向で無理やりやらされたと言われても、成り立ってしまうのではないでしょうか?
これは、あくまでも僕の主観です。
これを読まれた方々には、それぞれの思いがあり、それを否定しようとも思わず、別にその方々と盛大に議論し合う気もありません。
ただ、あくまでも、僕はこう考えている。
今や、少女ヌードは虐待以外の何者でもない、これを持つ事も、素晴らしいと言う事も、そもそも、それを見て感動する事自体が犯罪であり病気とみなされる社会です。
そんな社会にあって、こう言う考え方をする者もいるとだけ捉えて、僕の話を聞いてもらえれば幸いに思います。
そして、最後に…
ヌードモデルを務められたお嬢さん達は、今の世にあって、ある意味、被害者だとは、僕も思います。
日本では規制が施行された後…
ウクライナで、LSと言う少女ヌードの掲載サイトが登場しました。
モデルを務めた少女は、合計千人に登ると言われますが、その少女達の中には、後にプロのモデルとなられ、今でも活躍されている方がいると聞きます。
また、ブルック・シールズさんは、子役当初、全く売れなかったのが、プリティベビーと言う十三歳の少女娼婦を、オールヌードで演じられたのがきっかけで、後に大女優となりました。
日本でも、ヌードモデルからアイドルになった少女がいます。
しかし、少女ヌードは犯罪とされ、モデル少女は性的虐待の被害者だと言うレッテルを貼られる事で、そう言うチャンスは全て摘み取られてしまった。
もしかしたら、ヌードモデルをきっかけに数多のチャンスがあったかも知れない。
特に、力武さんのモデルを務められた少女達は、貧困生活を一転させて、華々しい道を切り開けたかも知れない。
そう言うチャンスを奪われてしまったと言う意味で、ある意味、僕は被害者だと思います。