サテュロスの祭典

神話から着想を得た創作小説を掲載します。

兎神伝〜紅兎二部〜(31)

2022-02-02 00:31:00 | 兎神伝〜紅兎〜追想編
兎神伝

紅兎〜追想編〜

(31)安眠

「愛ちゃん、愛ちゃん。ほら、起きて、風邪引くよ。」
案の定、愛は湯船の中で寝入ってしまった。
私は、愛を抱きかかえて上がり、寝台にのせて揺り起こそうとしたが、全く目覚める気配はなかった。
どんな夢を見てるのか、無邪気に笑っている。
『やはり、まだ子供なんだな…』
こうして見ると、愛が産んだ赤子と同じに見える。
『爺じに似て、美人さんになるわ。』
愛が、無邪気に言った言葉を思い出す。
だが…
揺り籠に眠る赤子と、無防備に裸を晒したまま眠りこける愛を見比べると、やはり、私には母親似に見える。
同じ寝顔なのだ。
愛の身体(からだ)を拭き、寝間着を着せてやりながら、二人の寝顔を交互に見比べると、次第に愛しさがこみ上げる。
愛に対する愛しさなのか…
赤子に対する愛しさなのか…
自分でもよくわからない。
ただ、どちらも絶対に手放したくない気持ちでいっぱいになる。どちらか一つでも失うなら、腕の一本も失った方が良い。
そう言えば、前にも同じ気持ちになった事がある。
百合が、赤子を産んだ時だ。
その時、百合はまだ十二歳にもなっていなかった。
赤子を抱く百合は、新しいお人形でも貰ったようなはしゃぎ方をしていた。まだ、床上げ前だと言うのに、赤子を抱いて駆け回らんばかりであった。
『ほーら、ちゃんと寝てないとダメでしょう。まだ、赤ちゃん産んで、身体(からだ)が元に戻ってないのよ。』
母にいくら窘められても、聴くものではなかった。
『だって、可愛んだもん。』
百合は、鼻に皺を寄せて笑いながら、赤子を抱きしめ頬擦りしていた。
『お兄ちゃん、この子、お兄ちゃんの子にしてあげる。だって、お兄ちゃんの白穂が、私の中にいっぱい出て来た時にできた子だもん。』
百合は、私に抱かせると、唐突に言った。
『お兄ちゃん、今日から、お父さんだぞー。』
そう言うと、百合はケラケラと笑いだした。
無論、誰の子かなどわからない。懐妊が発覚する寸前まで、総社(ふさつやしろ)の神職(みしき)達に、両手も穴と言う穴も、全て穂柱で塞がれ、弄ばれていたのだ。
ただ…
悪阻の嘔吐は、私の胸にした。神職(みしき)達に流し込まれた白穂を拭ういとまも与えられず、私に騎乗位をさせられている最中の出来事だった。
私は、複雑な気持ちを抱えながらも、日一日と百合の事も赤子の事も愛しくなり、このまま三人で遠く逃れたいと思った。誰も知らないところで、三人で暮らしたいと思った。
その思いを何気なく告げると…
『逃げても良いのよ。母さんも、朧衆も、貴方達を助けてあげる。逃してあげる。何としてでも…』
母は本気だった。
『母上…本当ですか?』
思わず、母の顔を見返す私に…
『本当だとも。この平蔵、必ずや、若様と百合殿お二人のお子を、お逃がせいたしますぞ。だから、大船に乗ったお気持ちで、お任せあれ。』
胸を叩いて言う、母への一途な思いから、母と共に、幼い頃から私を見守り続けてくれた、朧衆火盗組頭の平蔵も、本気で言ってくれた。
しかし、私が断念した。もし、そんな真似をすれば、母も旻朱(ミンシュ)山脈の朧山に暮らす朧衆の人々も皆殺しにされるだろう。天領(あめのかなめ)から密かに伝わり、朧山で守られてきたと言う正当なる旻朱道(みんしゅとう)、立顕旻朱道(りっけんみんしゅとう)の信仰も、跡形もなく消されてしまう。総社(ふさつやしろ)に屈服して手先となった霞衆が、神民道(ジミントウ)に忖度し、ねじ曲げられた旻神道(ミンシントウ)のみが、正当なる旻朱道(ミンシュトウ)として伝えられる事になるだろう。
何より…
もし、総社(ふさつやしろ)に捉えられれば、百合の産んだ赤子は、私達の見てる前で、生きながらに鱶の餌食にされ、百合は嬲り殺される。
私は、逃げる事を断念した。
百合の産んだ赤子は、百合から無理やり捥ぎ取るようにして里子に出された。
そして…
『お兄ちゃん!お兄ちゃん!お兄ちゃーん!』
百合もまた、私の名を泣き叫びながら、引き摺るように聖領(ひじりのかなめ)の神妣聖宮社(かぶろみひじりつみやしろ)に連れて行かれ、連日に渡って、これまで以上の陵辱を受け続けた。
神妣島(かぶろみしま)に駐留する占領軍兵士達にあてがわれた愛は、何人もの混血の赤子を産んだ。
皆、女の子だった。
大戦の記憶が新しい占領軍兵士達は、皇国(すめららぎのくに)の者を人間とはみなしていなかった。百合の事も、百合が産んだ赤子の事も…
占領軍兵士達は、百合の赤子の物心がつくと、百合の見てる目の前で裸にして弄んで見せた。
赤子達が大きくなり、乳房が膨らみかけると、占領軍兵士達は気に入った子を養女と言う名目で連れ去った。連れ去った後も、仲間達と弄び続け、皆、十二歳を待たずに父親の分からぬ子供を産んだと言う。
百合が、私の子にすると言った子は、何処の何者に貰われ、どのように暮らしているのか未だに分からない。
愛の産んだ赤子には、そんな目には合わせない。厳選した良家、幸福に育ててくれるであろう両親の手に引き渡す。
そして…
愛は渡さない…
この子は、聖領(ひじりのかなめ)になど送りはしない。
この手で守り抜くのだ…
赤兎の皮剥と兎弊は、社領(やしろのかなめ)の禊と言われている。
社領(やしろのかなめ)の罪・咎・穢を赤兎の身に纏う着物と一緒に剥ぎ取る事で、社領(やしろのかなめ)は産まれたままの姿に清められる。
しかし、社領(やしらのかなめ)は清められても、領民(かなめのたみ)一人一人の生まれ持つ罪業は残る。この罪業は、領内(かなめのうち)に暮らす男達の放つ白穂と共に、赤兎の参道に流され、御祭神が無垢なる赤子に変える事で完全に浄められると言われる。
故に、領民(かなめのたみ)達の罪業が、無垢なる赤子として浄められるまで、赤兎に着物を着せる事は、社領(やしろのかなめ)に罪・咎・穢を着せる事になり、神領(かむのかなめ)最大の禁忌とされている。
やがて、領民(かなめのたみ)の罪業を無垢なる赤子として浄めた赤兎は、聖なる青兎として聖領(ひじりのかなめ)に捧げられる。
捧げられた青兎は、神領(かむのかなめ)の子孫繁栄を齎す兎母神(ともみ)として祀られ、死ぬまで神饌共食祭の穂供(そなえ)を受ける事とされている。
しかし、実際は違う。
赤兎を皮剥し、兎幣する本当の目的は、禊ではなく報復である。
和邇雨一族に従わない者の幼い娘を、赤兎として嬲り者にする事でみせしめる事が、真の狙いである。
更に言えば、赤兎を兎幣する事であがる、莫大な利権が目当てでもある。
和邇雨一族の報復と利権の為に、赤兎にされた幼い少女は、言わば生贄であり、闘犬の噛ませ犬である。
七つか八つ…
幼過ぎる身体(からだ)で、連日絶え間なく穂供(そなえ)され続けた赤兎は、仔兎神(ことみ)を産んでも産まなくても、参道も御祭神もボロボロにされ、命を落とす者も少なくない。
命も絶え絶えに噛み付くされた噛ませ犬には、最早、噛ませ犬の価値もない。
十二歳を迎えた赤兎は、青兎として聖領(ひじりのかなめ)に捧げられると言うよりは、用済みに捨てられると言った方が良い。
神領(かむのかなめ)の主な財源は、兎神子(とみこ)達が産む仔兎神(ことみ)の利権と、領民(かなめのたみ)達の初穂料と玉串料、そして、密貿易である。
聖領(ひじりのかなめ)に用済みに捨てられた兎神子(とみこ)達の待ち受ける運命は、その密貿易相手である、海賊や闇の商人達の慰み者になる事であった。
そして、今は、慰み者にされる相手として、海賊達や闇の商人の他に、占領軍砦の兵士達に加わった。
占領軍砦に駐留する兵士達の数は日を重ねる毎に増え、当てがう青兎は、何人いても足りなかった。
一人の青兎が、一日に相手取る占領軍砦の兵士達は百人を下らないとも聞く。
これまで、散々弄ばれ、踏みにじられてきた愛に、そんな目になど決して遭わさない。
必ず私が守るのだ…
「爺じ…今夜も眠れないの?」
愛は、不意に起き上がると、目を擦りながら私を見つめた。
「いや…誰に邪魔される事なく、この子をみたくなってね。」
私は、赤子の眠る揺り籠に顔を覗き込ませながら言った。
「やはり、この子は、愛ちゃん似だ。寝顔を見比べたら、そっくりどころか、全く同じに見えたよ。」
「それって、私が赤ちゃんみたいだって事?」
「みたいじゃなくて、赤ちゃんそのものだよ。」
「まあ!ひどい!」
愛は、口を尖らせてむくれながら、私の側に来た。
赤子は、安心しきったように、スヤスヤ眠りこけている。
「私、幸せ…」
愛は、赤子を見つめながら、私に寄り掛かってきた。
「幸せ?」
「爺じと二人きりで二月過ごして、この子がお腹にできて、十月待って、この子が産まれてきた。
爺じ、私ね、産まれてから、この一年が一番幸せだった気がする。」
幸せ…
私には、その意味がよくわからない。
『親社(おやしろ)様、これが幸せよ。』
ふと…
友達だった狐の呑兵衛(どんべえ)が、子狐を連れて遊びに来た時、早苗が、私に子狐の一匹を抱かせて、満面の笑みを零した時の言葉が脳裏をよぎる。
『暖かいでしょう?これが、幸せなのよ。
それで…』
早苗は、その子狐を親に返すと、親狐は、愛しそうに子狐をペロペロと舐め始めた。
『これが、一番の幸せなのよ。』
幸せ…
その言葉を口ずさむ為だけに産まれてきたような早苗は、嬉しそうに狐の親子を眺め続けていた。
愛と二人きりで過ごした日々…
愛の笑顔だけを見て過ごした日々…
愛の温もりに包まれて過ごした日々…
毎日が暖かく、優しく、安らかだった日々…
そこに、赤子の笑い声と泣き声が加わって、もう何も必要ないと思われる程、満たされた気持ちになった。
幸せとは、こう言うものなのか…
問いかけても、幸福の二文字にいつも心満たされていた、あの小さな女の子は、もういない…
「このまま、ずっと時間が止まってほしいな…」
愛は、ポツリ呟くように言った。
「赤ちゃんと爺じと三人で、好きな絵を描いて、野原を駆け回って、料理こしらえて、笑ったり喧嘩したりしながら食卓を囲んで…
最後はこの子の寝顔を見て一日を終えるの…」
それができたら、どんなに良いだろう…
私も思う。
愛と赤子と三人きりで、誰も知らない静かな場所で、穏やかに楽しく暮らす…
毎日、愛に怒られ、振り回されながら、少しずつ、愛の産んだ赤子と共に、大人になって行く愛を見守りたい。
「ねえ、この子だけじゃなくて、もっともっと、赤ちゃん欲しいな。爺じの赤ちゃん、もっと産みたい。
駄目?」
「良いね。今回は女の子だったけど、男の子も欲しいな。家中、可愛い子供だらけになったら、さぞかし賑やかで楽しいだろう。
まあ…マサ君やリュウ君のように、ロクでもない悪戯する奴も現れて、手を焼くかも知れないけどね。」
「大丈夫。そこは、厳しく躾けるわ。あんな悪戯したら、お尻の皮がむけるくらい叩いてやるの。
だからさ、もっともっと、赤ちゃんつくろう。」
「今は駄目だ。」
「どうして?」
「赤ちゃんを作る以前に、君が子供だからだ。次の子供は、まず、君が大人になってからだ。」
「まあ、酷い!私、子供じゃないわ!大人よ!ほら、もうこんなに可愛い赤ちゃん、産めたわ。」
口を尖らせ、むくれかけた愛は、おし黙る私を見て…
「ごめんなさい…爺じ、この子をつくったのは、その…」
「君が、ちゃんと大人になったら、沢山の赤ちゃんつくろう。」
「うん。」
だが…
そんな日は永遠に訪れはしない事を、愛はもう知っている。
雪解けと同時に赤子は里子に出され、愛は聖領(ひじりのかなめ)に送られる運命を知っている。
「愛ちゃん、逃げよう。」
「えっ?」
愛は、思わず目を見開いて、私の顔を見つめた。
「私と愛ちゃんと赤ちゃんと…社(やしろ)の兎神子(とみこ)達みんなを連れて…」
一瞬、本気で思った。
百合と逃げたいと思った時、私は無力だった。逃げおおせる自信はなかった。
しかし、今は無力ではない。この手で斬り殺した数は、百人を遥かに超えている。いや、千人を下らないかも知れない。
更に、和幸、秀行、政樹、竜也の力も加われば…
「駄目よ、爺じ…」
愛は、寂しげに笑いながら言った。
「私達が逃げたら、お兄ちゃん達やお姉ちゃん達の家族はどうなるの?
みんな、社領(やしろのかなめ)で生きて行けなくなる。みんなの弟や妹達は、一番悲惨な社(やしろ)の兎神子(とみこ)にさせられるわ。それも、一番幼い妹達は、確実に赤兎にされて、見せしめに徹底的に苛めぬかれる。私の妹の舞ちゃんも、赤兎にされる。」
私も、言われてハッとなった。
私が逃げれば、まず、純一郎と進次郎が責任を問われて、失脚するだろう。そうなれば、太郎率いる神饌組の子供達が、一転して社領(やしろのかなめ)の苛めの対象になる。
拾里の百合達は…
隠里の里一達は…
朧衆達は…
父の事だ、私を操る価値を失った彼らを、あっさり皆殺しにするだろう。
「誰かを不幸にして、幸せになれる人なんて、誰もいないわ。」
「でも、君は…」
それでも、私は愛のこれからを思うと、やはり…
「聖領(ひじりのかなめ)に行けば、君は…」
「知ってるわ。私は、異国の兵士達の玩具にされる。勿論、行き先の社(やしろ)の人達、聖領(ひじりのかなめ)の領民(かなめのたみ)達にも、玩具にされる。もう、鱶見本社(ふかみのもとつやしろ)のお兄ちゃんやお姉ちゃん達も助けてくれない。神饌組も守ってくれない…」
「嫌だ!君をそんな目に合わせたくない!君をもう、誰にも傷つけさせたくない!君を普通の子供に戻したい!大事に守られ、育てられ、幸せに大人にしてやりたい!」
「爺じ…」
愛は、思わず胸に縋り付く私を、そっと抱きしめた。
「私は平気、大丈夫よ。これから、何処で何があっても、思い出がある。社(やしろ)のお兄ちゃんやお姉ちゃん達に遊んで貰った思い出、太郎君や神饌組達に守って貰った思い出…それから、此処で爺じと二人きりで過ごした思い出…」
私は、静かに隠砦の中を見回した。
『これから、この部屋全部、私と爺じだけのものになるのね。』
私に手を引かれて、此処に篭った最初の日、愛は部屋中見渡し、くるくる回りながら言った。
『この寝台も、箪笥や鏡も、お風呂も、全部、ぜーんぶ、私達だけで使って良いのね。』
『そうだよ。思い切り暴れても良いし、湯船で泳ぎ回っても良いんだよ。好きなだけ、遊べば良い。』
『凄いなー!凄い!凄い!』
愛は、何の為に此処に篭ったのか、忘れてしまったように、大はしゃぎしていた。
『でも、お兄ちゃんやお姉ちゃん達、太郎君達に悪いなー。みんな、当分、隠砦が使えなくなっちゃう。』
『その代わり、ここで企てられる悪戯も無くなって、喜ぶ奴も少なくないだろう。』
『それも、そうね。』
愛は、クスクス笑いながら、着物の帯を解こうとした。
『待って…』
私は、慌てて、愛の手を止めた。
『どうして?此処には、赤ちゃん作る為に篭ったんでしょう?脱がないと、赤ちゃん…』
愛は、不思議そうに、私の顔を見上げた。
『そんなに急がなくて良い。赤ちゃんは、闇雲にやればできると言うものでもない。万全の身体(からだ)でないと、ちゃんと作れない。』
『でも…』
『愛ちゃんの身体(からだ)は、かなり傷ついている。赤ちゃんをつくるところがね。少し休んで、傷を治す必要があるんだよ。』
と…
私は、不意に、愛が着ている着物に目を止めた。
背の高い愛には、小さ過ぎて、つんつるてんの着物であった。
『それより…
サナちゃんの着物、まだ着ていたんだね。
君には小さ過ぎる。君の身長に合う丈のを探すのは難しいけど…せめて、茜ちゃんかナッちゃんの着物を借りれば良いのに…』
『だって…この着物、サナ母さんが、命と引き換えに着せてくれた着物ですもの…』
『そっか…そうだったね…』
私が、しんみり俯くと、愛は慌てて…
『それに、茜姉ちゃんの着物、背丈はあっても、体型が…』
言いながら、クスクス笑いだした。
『成る程…背丈は、まあまあだけど、体型は君より子供か…』
『そう。本人とマサ兄ちゃんは、自慢の体型だと思っているみたいだけどね。』
私も思わず吹き出すと、二人で大笑いした。
『さあ、切り絵も随分描いたし…
此処は、気分を変えて、水彩画でも描いてみようか。油絵も良いかな…
此処での暮らしもまだまだ続く。沢山、画材、用意したんだぞ。』
半月程経った時、私が山のような画材を積み上げてみせると、愛は首を傾げた。
『どうした?やはり、切り絵が良いのか?私は、そろそろ飽きてきたかな。たまには、違う絵が描きたい。』
『ねえ…』
愛は、絵の具と色鉛筆を手に取って眺めながら言った。
『そろそろ、赤ちゃん…』
『よし…今日は絵を描くのは休んで、湯船で泳ぐか!火をつけず、水のまま泳いでみるかな。』
『私、赤ちゃん作らないと、親社(おやしろ)様が…その…』
『それ!水鉄砲!』
私は、愛の問いに答えず、湯船の水を手に汲んで、水鉄砲をやってみせた。
『どうだ、うまいもんだろう?』
『もう!人の話、聞いてるの!』
愛は、怒ったように言うと、徐に帯に手をかけようとした。
『待って!』
私は、慌てて、愛の手を止めた。
『愛ちゃん、そこに寝て。』
『こお?』
『うん。それから、大きく脚を開いてみて。』
愛が、言われるままに脚を拡げると、私はそっと神門(みと)のワレメを広げ、参道の中を見た。
『オシッコしたーい。』
愛が、惚けた声を上げて言う。
『しちゃってもいい?』
『バカッ。』
私が、軽く睨んでやると、愛はクスクス笑い出した。
参道の傷は、既に癒えていた。もう、やって出来ない事はないだろう。
だが…
『愛ちゃん、まだだ。もう少し、休んでおこう。』
愛は、上体を起こすと、キョトンと首を傾げた。
『もう、痛くないし、平気だよ。』
『まだだ…』
『でも…』
『まだだって言ったら、まだ何だ。』
『でも…』
『私は、宮司(みやつかさ)でもあるが、医師(くすし)でもあるんだ。この手で、何人も赤ちゃんを取り上げたんだぞ。』
『でも…』
『しょうがないな…医師(くすし)の言う事が聞けないって言う悪い子は…』
『わっ!いやん!やめて!』
私が、唐突にくすぐってやると、愛はケラケラと笑い声をたてた。
時は、緩やかに…
しかし、瞬く間に過ぎて行った。
私は、いつしか時の経つのを忘れていた。
二人で篭って過ごす日々は楽しかった。
毎日、好きな絵を二人で描くだけでなく、絵本を読んだり、お手玉やおはじき、手遊び…いろんな事をして遊んだ。
今にして思えば、よく飽きなかったな…とも、思う。
しかし、あの時は、何をしても、話しても、楽しく飽きなかったのだ。愛の笑顔を見て一日が始まり、愛の安らかな寝顔を見て、一日が終わる。
振り向けば、いつもそこにいて、他愛ない話に笑ったり、喧嘩したり…
一瞬、一瞬が愛しかった。
一瞬、一瞬が楽しかった。
『ねえ、赤ちゃんはいつつくるの?』
『まだだ…』
『でも…』
『そんなに、あんな事をしたいのか?』
私が言うと、愛は押し黙った。
『素直に言う。私は嫌だ…君に、あんな事はしたくない。させたくない。
君だけじゃない。此処にいる子達、みんなもね。
あれは、もう少し大きくなってから、本当に愛し合った者同士がする事何だ。』
『親社(おやしろ)様は、私の事、嫌い?愛してないの?』
愛は、少し潤んだ目をして、言った。
私は、静かに首を振り、答える代わりに、愛を抱きしめた。
そして、また、時が過ぎた。
愛は、ある時期から、気づき始めていた。
夜、私が殆ど眠っていない事を…
『親社(おやしろ)様、いつ目を覚ましても、起きてるね。寝ないの?』
愛は、首を傾げて尋ねた。
『愛ちゃんは、眠っている時、どんな夢を見るの?』
『夢?』
『そう、夢…』
『そうね…小さい時、お父さんやお母さん達、舞ちゃんと遊んだ夢かな…
親社(おやしろ)様と遊んだ夢や、アケ姉ちゃんや菜穂姉ちゃんと遊んだ夢もよく見るわ。
昨夜は、太郎君をひっぱたいた夢。』
言うなり、二人で吹き出し、ケラケラ笑い出した。
『良いね…私は、そう言う夢を殆ど見ない。』
『それじゃあ、どんな夢?』
愛に尋ね返されるなり、また、幼い頃の光景が、脳裏に蘇ってきた。
来る日も、来る日も、私の目の前で、総社(ふさつやしろ)の神職(みしき)達が百合を弄ぶ光景である。
百合は、苦悶に首を振り立てながら、呻き声を上げている。だが、苦痛を口にする事も、泣き叫ぶ事も許されていなかった。
そして…
参道を白穂と血に塗れさせ、漸く解放された百合を指差し、父は私に同じ事をするよう命じる。
私は、背くすべも知らず、言われるままに…
『親社(おやしろ)様…』
愛は、頭を抱えて呻き声を漏らす私をそっと抱きしめると、徐に唇を重ねてきた。
『愛ちゃん…』
『親社(おやしろ)様の悪い夢…私が食べてあげるの。』
愛は、にっこり笑うと、また、唇を重ねてきた。
甘い味がする…
私は思った。
愛とは、裏山の秘密の場所に出かけた時、よく唇を重ねていた。マセた愛が、愛し合ってる証だと言って、唇を重ねてきたのだ。そして、その日の唇が、どんな味をしていたか話し合っては、二人でよく笑いあった。
あの頃は、その日のお弁当の味がしていた。卵焼きであったり、昆布巻きであったり…
でも、この時は、ただ、甘い味がした。
何とも言えない甘い味。その味は、不思議と微睡みを誘い出した。
『親社(おやしろ)様…本当は、怖かったのね。ずっと、ずっと…』
『怖い?』
『そう、怖かったの。私、知っていたわ。私がされているのを目の当たりにしている時も、お兄ちゃんやお姉ちゃん達が、されているのを目の当たりにしている時も…
親社(おやしろ)様のあげる祝詞の声、いつも震えていたわ。』
愛は、言いながら、さりげなく、スルスルと私の寝間着を脱がせて行った。
『愛ちゃん、何を…』
『大丈夫、怖がらないで…』
私が思わず首を擡げると、愛はニコッと笑いながら、首筋から胸に向かって、ゆっくりと舌先でチロチロと舐め回し始めた。
指先は、私の乳首を転がすように揉み、やがて舌先が胸元までくると、その手を私の股間に持って行った。
『愛ちゃん…』
『親社(おやしろ)様、怖かったら、目を瞑って…』
言いながら、愛は穂柱を慣れた手つきで揉み扱き始めた。
『裏山に出かけた時、いっぱい、切り絵を描いた時、楽しかったね。
あの秘密の場所で、お弁当食べて、寝転がって、空を見上げて…』
『愛ちゃん…戻りたい…あの時に戻りたい…』
『戻してあげる。だから、目を瞑っていて…』
次第に、穂柱を揉み扱く小さな手の動きが早くなり、合わせて私の息遣いも早くなる。
愛が、両乳首を丹念に舐め回し始めると、瞼の裏側に、あの日々の光景が浮かんできた。
お弁当を食べたがる私をどんどん置いて、駆け回りながら、絵を描く場所を探し回る愛…
私が遅いと、目を吊るしあげる愛…
漸くお気に入りの場所を見つけると、熱心に切り絵を描き始める愛…
一枚描きあがると、得意げに見せてくる愛…
一緒に並んでお弁当を広げながら、自分のおかずを、私の弁当箱に入れてくれる愛…
小鳥やリスのように、私の手を引っ張って駆け回る愛…
手を伸ばせば届きそうなところに、思い出の光景が蘇ってきた。
『愛ちゃん…待って、私を置いて行かないで…』
私は、思い出の光景の中で、ケラケラ笑って走る愛に手を伸ばすと…
『大丈夫、私、ちゃんと此処にいる。親社(おやしろ)様を置いて何処にも行かないから、安心して。』
私の手が愛の頬に触れると、愛はその手を愛しそうに撫で回した後、それまで揉み扱いていたものに、ゆっくり口を近づけた。
『よせ…もうやめろ…』
顔を背けて言う私の意思とは裏腹に、愛の小さな舌先がチロチロくすぐりだすと、穂柱が反応する。
『大丈夫。お兄ちゃん、怖がらないで…』
今度は、在りし日、まだ幼かった百合の声と顔が蘇ってきた。
神職(みしき)達に見せつけられた行為…
父に強いられた行為…
いつまでも、脳裏に焼きつき離れず、頭を抱えて震える私を、百合は優しく抱きしめては、私の股間に顔を埋めて、穂柱を口に含んで舐め回し始めた。
『百合ちゃん…』
私が、その小さな肩に乗せた手をどうしたものか思いあぐねていると、百合は、穂柱を咥えたまま、私の顔を見上げて、鼻に皺を寄せて笑って見せた。
不思議な気がした。
百合にそうされたあの時も、愛にそうされたこの時も、次第に安らかな気持ちになっていった。
まるで、痛む傷口を、母に舐めてもらった時のような感覚であった。
次第に抗う気持ちが失せて行き、ただ、いつまでもそうされていたいような、心地よさだけが感じられた。
『穂柱、勃っているね。』
愛は、穂柱から口を離すと、扱く小さな手の中で更に聳り立つモノを見つめながら、クスクス笑い出した。
『する気がなくても、好きな子の身体を見て勃つのは、身体(からだ)がその子を本当に好きだって言ってるのよね。』
私が無言で小さく頷くと…
『親社(おやしろ)様の身体(からだ)が、やっと私の事を好きだって言ってくれたね。』
愛は、再び小さな口いっぱいに私の穂柱を頬張り、一層丹念に舐め始めた。
『ハァ…ハァ…ハァ…ハァ…』
次第に荒くなる呼吸と、激しく高鳴る鼓動…
『何故だ…何故…太郎君ではなく…私に…』
愛は、譫言のように呟く私の声を聞き流すように、穂柱の先端を撫でるような舐める舌先の動き早めてゆく。
『アッ…アッ…私は…アッ…アッ…君の為に…アッ…アッ…何も…アッ…アッ…しなかった…』
私は、穂柱の先から下腹部、下腹部から全身へと広がる温もりの感触に、次第に真っ白く意識を遠のかせてゆく。
『でも…アッ…アッ…太郎君は…アッ…アッ…君を…アッ…アッ…守り続けた…アッ…アッ…必死に…アッ…アッ…守り続けた…だのに…』
不意に、愛の舌先の動きが止まった。
『愛ちゃんも、好きなんだろう、太郎君の事が…
だのに、何故…』
漸く小さな口腔内と舌先の温もりから、穂柱から解放されると、呼吸と鼓動と落ち着かせながら、私は、天井を見上げる目を瞑った。
愛は答える代わりに…
『親社(おやしろ)様、こっちを見て。』
言うなり、私の手を取り、神門(みと)のワレメへと導いていった。
『私の身体(からだ)も、親社(おやしろ)様を好きだって言ってるよ。』
確かに…
まだ、萌芽の兆しもない神門(みと)のワレメに触れると、中はシットリと潤んでいた。
『私、親社(おやしろ)様が好き、大好き。初めて会った時から、ずっと…』
『愛ちゃん…』
私が震える声で何か言いかけると…
『親社(おやしろ)様の悪い夢、食べてあげる。私が全部、食べてあげる。』
愛は遮るように、私の頬を撫でて言いながら、唇を重ねてきた。
そして、私の下腹部を跨ぐと、ゆっくり腰をゆっくり沈め、舌先で膨張させた穂柱を参道の中へと導き挿れて行った。
『私もだよ。私も、愛ちゃんが大好きだ。だから、こんな事はもう…』
『親社様、一緒に行こう。』
『愛ちゃん…』
一瞬…
時が止まった。
愛はそれまで咥えていた穂柱の上に跨ると、未だ若草萌えるどころか、萌芽の兆しもない神門(みと)のワレメに挿れていった。
『アン…アン…アン…アーン…』
愛の甘えるような、可愛い声が、部屋の中で小さく響き渡ってゆく。
同時に…
私の下腹部から、極部にかけて、暖かなものが広がってゆくのを感じる。
次第に、微睡みが襲い、瞼に広がる光景が、思い出なのか、夢なのかわからなくなって行った。
やがて…
『アーンッ!』
愛の一際大きな声が発せられると同時に、参道の中で思い切り吸い上げられるのを感じた。
次の刹那…
穂柱から一気に白穂が放たれた。
同時に、愛の中にある穂柱は、何とも言えない暖かく優しい温もりと心地よさに包み込まれた。
その温もりと心地よさは、愛の御祭神に白穂を捧げ尽くすまで続いた。
『愛ちゃん、眠い…』
全て放ち終えると、私は次第に呼吸を緩めながら、呟くように言った。
『良いよ、ゆっくり眠って。』
愛はそう言うと、参道から穂柱を抜き取り、軽く扱きながら、先端をチロチロと舐め回し始めた。
その舌先のザラつきと暖かさ…
舐め回される先端のくすぐったさが、更に私に眠気を誘った。
私は、産まれて初めて、深い眠りについた。
母や百合と過ごした優しい夢…
愛と過ごした楽しい夢…
優しく楽しい夢ばかりを見ながら、安らかな眠りについた。
その日を境に、私と愛は、毎晩のように肌を重ねた。
愛と肌を重ね、愛の中に白穂を放ち、愛の暖かく優しい温もりに包まれると、やはり、私は深く安らかな眠りにつけた。
眠るのが、こんな心地よいものだと思わなかった。
「この子の父親が、親社(おやしろ)様でよかった。」
愛は、赤子を覗き込みながら、不意にそう言うと、私の方を向いて唇を重ねてきた。
「私もね、ずっと眠れなかったの。怖い夢ばかり見て、眠れなかったの。」
愛は、唇を離すと、悲しげな笑みを浮かべて言った。
「でも、爺じの白穂が、私の中に放たれた時、久し振りに、優しい夢を見て眠れたの。」
「痛く…なかったか?」
私が、今更聞くと…
「暖かかった…」
愛は、大きく首を振って応えた。
「あの暖かいものが、この子になったのね…」
「そうだね。」
言いながら、二人でまた、赤子を覗き込んだ。
スヤスヤ心地よさそうに眠る赤子…
どんな夢を見ているのだろう。
叶うものなら、ずっと、この子の寝顔を二人で見守りたい。
大きくなって、どんな夢を見たのか話せる日まで、見守り続けたい。
この子を手放したくない…
この子を産んだ母親も…
「一緒に寝よう。」
愛は、また、私の肩を抱いて言った。
「また、あれ、してあげようか?私、もう大丈夫だから…」
「いや、良い。』
私は、私の股間に伸ばそうとする小さな手を抑えると、大きく首を振り…
「今は、愛ちゃんが側にさえいてくれたら、眠れそうだよ。ただ、こうして一緒にさえいてくれたら…」
愛を胸に抱き、やがて、私の前から消えてゆく温もりを惜しむように、いつまでも頬擦りし続けた。

兎神伝〜紅兎二部〜(30)

2022-02-02 00:30:00 | 兎神伝〜紅兎〜追想編
兎神伝

紅兎〜追想編〜

(30)秘密

赤子を揺り籠に寝かせると、愛はゆっくりと帯を解き始めた。
私は、愛の着物を脱ぎ、髪を解く手伝いをしながら、朱理を呼びに行きたくなった。
白無垢の着付けに、文金高島田の髪を結うのも難しければ、いざ脱がせ、髪を解くのも至難の技なのであった。
「イッ!痛い!」
私に髪を解かれながら、愛が悲鳴をあげること五回…
「クッ!苦しい!」
帯を解こうとして、余計締め上げて、愛を呻かせること、十回に及んだ。
「もう!爺じって、どうして、そう不器用なの!」
「それを言うなら、女の子の髪型も着物も、どうしてこう複雑なんだ!」
「複雑なんじゃなくて、細やかなの!爺じやタカ兄ちゃんみたいに、粗雑に出来てないのよ!女の子の身体(からだ)も心もね!」
「すまん…」
私が、手を止め、押し黙って俯くと…
「あ…ごめんなさい…私ったら…」
愛も、それまでの苛々ぶりが収まり、急にしおらしく肩を窄めて俯いた。
「ねえ…何か、本当に、一番最初に戻れたみたいね。」
愛は、チロッと私の方を見ると、ニコッと笑って言った。
「そうだね…
まだ、アケちゃんやユカちゃんにも見つからず、君が私の秘密の友達だった頃に戻ったみたいだ…」
言いながら、私も、鏡に映る愛に笑い返した。
何とか解く事の出来た愛の髪は、和幸並みに長く腰まであった。
サラサラと柔らかく滑らかな髪に櫛を入れて行くと、鏡には、それまで大人びて見えていた少女が、次第に人形のように幼くあどけない少女に変わって行く。
女の子とは、髪型一つでこうも変わるものなのかと感心する。
それまで、彼女を覆っていた、白無垢の着物も何とか脱げ、肌襦袢に裾除け姿になったのも、何処かあどけなく見せてるのかも知れない。
こうして、幼帰りした愛の姿を見ると、成る程、初めて出会った頃の事を思い出す。
『親社(おやしろ)様、早く早く!』
いつも、社(やしろ)の裏手から入ってきた愛が、社務所の窓越しから呼ばわる声が、耳の奥底から蘇ってくる。
『もう、何グズグズしてるのよ!日が暮れちゃう!』
『ごめん、ごめん。画材がなかなか見つからなくて…』
『そんなの私が貸してあげるから、早く行こうよー。』
私が、漸く風呂敷に包んだ画材を抱えて出てくると…
『わー!臭い!』
愛は、唐突に鼻をつまむ。
同時に、私が本当に出てくるのが遅れた理由を、愛は悟った。
『また、太郎とかって悪ガキにやられたのね!それに、政樹と竜也の奴!』
私は、頭を掻きながら、苦笑いして見せた。
そう…
あの日は、一週間も掛けて練り上げた、神饌組の悪戯で、見事に落とし穴に落とされたのだ。それも、いつの間にそんな労力を費やしたのか、手洗いや肥溜の糞尿をたっぷり埋め込んだ落とし穴に落とされたのである。
『今日と言う今日は許さないわ!親社(おやしろ)様を苛める悪い奴!私、とっちめてやる!』
『まあまあ、そう言うなって。あいつらなら、ユカちゃんに、もう百叩きの刑を食らって、真っ赤になった尻を撫でてるところだよ。』
私が、顔を真っ赤に袖を捲って息巻く愛に、笑って答えると…
『親社(おやしろ)様も、そんなんだから、あいつら付け上がるのよ!百叩きじゃ済まないわ!私が千叩きにしてやる!』
愛は、益々顔を赤くして、息を荒くした。
『おいおい…みんなには、今日は地鎮祭に出かけると言ってあるんだ。そんな真似されたら、バレちゃうよ。』
私が慌てて言うと…
『そっか…』
愛は、ニコッと笑って、小さな風呂敷包みを掲げて見せた。
『わあっ!今日もお弁当を作って来てくれたの?』
『うん!今日は、卵焼きだぞ!』
『それは、うまそうだ!』
私が思わず手を出すと…
『だーめ!お弁当は、絵を描いてから食べるの!』
愛は、風呂敷包みを、サッと後ろに隠した。
『そんな、一口だけ…一口だけ、食べさせてくれよ。』
私が、愛の後ろに回って言えば…
『ダメったら、ダメだってばー。』
愛は、クルクル回りながら走り出し…
裏山に向かって、新しい切り絵の題材散策の冒険が、その日も始まったのだ。
「ねえ…あの頃、何で私の事、みんなに内緒にしてたの?」
不意に、愛は不思議そうに首を傾げて、私に尋ねた。
「何でだろうな…愛ちゃんと過ごす時間を、誰にもとられたくなかったんだろうな…」
「でも、知られてからだって、私と爺じ、切り絵を書きに山に出かけたじゃない。邪魔されるどころか、ユカ姉ちゃん、お弁当まで作ってくれたわ。」
「それも、毎回、梅干しのおにぎりね。」
私が、話題を逸らすように言うと…
「そうそう!ユカ姉ちゃん特製の梅干し入り…あれの塩辛かった事!あと、何も入ってない塩むすびも作ってくれた時があるけど…あれも、塩辛かった!」
愛は、それこそ梅干しのような顔をしかめて見せて言った。
「ユカちゃんは、何でもいっぱいなのが良いと思いこんでるところがあるからね。」
「そう言えば…お汁粉を作ってくれた時は、逆に甘過ぎてびっくりしたわ!」
愛は言うと、私と二人で大笑いした。
「だけど、どうして?あの頃、どうして私の事を内緒にしていたの?」
「それは…」
私は答える代わりに、最後に愛の身体(からだ)を覆っていた肌襦袢と裾除け、腰巻を脱がせると…
「さあ、風呂に入ろう。」
愛の手をとって、浴室に誘った。
愛は、また、あどけない笑みを浮かべると、浴室に入り、湯船の前に置かれた風呂椅子に腰掛けた。
もう、同じ質問はしてこなかった。
秘密と言うなら…
あの頃、愛も秘密にしている事があった。
『ところで、愛ちゃんは何処の家の子なの?』
『さあ、何処の子かなあ。』
『お弁当作るの上手だし…料理屋さんの子かな?』
『内緒。』
裏山に出かける時、道すがら、幾ら尋ねても答えてくれなかったのだ。
愛が、河曽根上町十番地で、座布団屋を営む山田屋隆夫の娘である事を知ったのは、兎神子(とみこ)達と神饌組に存在を知られてだいぶ経ってからの事であった。
突き止めたのは、太郎であった。
好奇心から、神饌組を率いて愛をつけた際、愛が河曽根下町の兄妹が、河曽根組神漏(かわそねぐみみもろ)衆の子弟達に虐められているのを助けようとして、逆に酷い目に遭わされそうになっているのに出くわした。
太郎達は、大喧嘩して愛を助けた際、愛の素性を知ったのである。
『おまえ、兎神家(とがみのいえ)の子だったのか…道理で、学舎(まなびのいえ)にも来ないわけだ。』
『でも、もうすぐ、学舎(まなびのいえ)に行く事になるわ。』
『えっ?』
『だから…来年には、社(やしろ)でも学舎(まなびのいえ)でも、毎日、太郎君達と会う事になるの。』
『愛ちゃん…』
『今日は、助けてくれて、ありがとう。』
愛は、十八番の片目瞬きをすると、悲しげな笑みを残して、駆け出して行った。
そして…
翌日から、愛は社(やしろ)に顔を出さなくなり、太郎は境内の木陰で一人寂しく座り込んでいた。
『愛ちゃん、泣いてたよ…』
太郎は、愛の後をつけて行った時の顛末を話すと、そう言って、立てた膝に顔を突っ伏した。
『だったら、その涙、君が拭ってやれば良い。』
私が言うと、太郎は顔を上げて、真っ赤に泣き腫らした目を向けた。
『好きなんだろう、愛ちゃんの事が…』
太郎は、大きく頷いた。
『ならば、君が守ってやれば良い。この前は、勇敢だったぞ。見直したぞ。
さあ、迎えに行こう。』
私が言い、河曽根町に足を向けると、太郎は満面の笑みを浮かべて私について来た。
「私が、秘密にしていたのはね…」
私が、愛の背中を洗い始めると、愛は何処か寂しげな笑みを浮かべて、話し始めた。
「みんなといる時だけは、忘れていたかったの。私が、兎神家(とがみのいえ)の子である事も、もうすぐ赤兎になる事も、全部忘れてしまっていたかったの。」
愛の話を聞き、私も同じだと思った。
「私、みんなといる時だけは、普通の女の子でいたかったの。赤兎になる事、忘れたかったの。だから、内緒にしてた。」
私も、そうだった。
愛といる時だけは、自分が和邇雨一族の人間である事を忘れたかった。
幼い時から、来る日も来る日も、年端の行かぬ子達を弄んできた醜い手。
十三になってからは、暗面長(あめんおさ)として、隠密御史の朧衆を率いて、数多の人々を殺し続け血に塗れた身体(からだ)。
私は、ずっと、自分を汚い人間だと思い続けてきた。
鏡に映る自分の姿を見ては、羞恥や苦痛を訴える事も許されぬ幼い兎神子(とみこ)達を汚す自分。昨日まで、共に神学、伝承、祈祷を学び、祭祀を執り行ってきた仲間達を、この手で冷酷に殺戮する姿。汚した兎神子(とみこ)達の破瓜の血と、殺した人々の返り血にまみれた姿。
こんな自分など消えて仕舞えば良い。存在していた事も忘れてしまいたい。そう思い続け、遂に本当に自分の名を忘れて生きていた。
しかし…
愛は、生まれて初めてできた、社(やしろ)の外の友達であった。普通の領民(かなめのたみ)の子供…少なくとも、あの頃は、そう思っていた。
私は、普通の子供として過ごしたかった。普通の子供として、普通に近所の子供達と友達になりたかった。苦悶に呻く同じくらいの年頃の女の子達の身体(からだ)を弄り回し、汚し、子を産ませる。そんな子供時代など過ごしたくなかった。
愛と遊んでいると、その夢が叶ったような気がしたのだ。
『ほら、遅い!遅い!早く早く!どうして、親社(おやしろ)様は、そんなにノロイのよ!』
『愛ちゃん、もう疲れた!休もうよ!お弁当!お弁当!お腹すいたー!』
『もう!これだから、子供を連れて来るのは嫌なのよ!そんなに言うなら、もう連れてきてあげないわよ!』
私は、すばしこく山道を駆け上がる愛に急かされながら、いつしか子供に返ってしまったような気がしていた。
百合が、いつも全裸でいる事に疑問すら抱かず、母に連れられて、一緒に野山を駆け回った頃に戻ったような気がした。
『愛ちゃーん!もう歩けない!歩けないったら、歩けない!』
『もう!しょうがないわね!』
『わあ!お弁当、卵焼きに焼き鮭も入ってる!』
渋々、愛からすればまだ早い弁当を広げて貰った時、私は、愛よりも幼い子供に返っていた。
『親社(おやしろ)様、美味しい?』
『凄く美味しい。』
『それじゃあ、私のもあげるわ。』
『ありがとう!』
『その代わり、もう駄々を捏ねないで歩くのよ。』
マセた口調で言う愛に、卵焼きを口に入れて貰った時、私は、お姉ちゃんができたような気がして嬉しかったのだ。
私は、ずっと子供でいたかった。何もかも、現実を忘れて、愛といる時だけは、幼い子供でいたかったのだ。
だから、愛の事は、誰にも教えない自分だけの友達にしておきたかったのだ。
「爺じ!もう!何処洗ってるのよ、くすぐったい!」
愛は、突然、ケラケラ笑いだしながら、身をよじらせた。
「おいっ!コラッ!大人しくしてないと洗えないだろう!」
「だって、だって、そこ、くすぐったい!」
愛は、一層笑い転げながら、身をよじらせた。
「もう!そんなに言うなら、本当にくすぐってやるぞ!」
言いながら、私が脇の下や腰をくすぐってやると、愛はあらぬ所が丸見えになるのも構わず、手足をバタバタさせて、笑い出した。
と…
私は急に手を止めた。愛の神門(みと)が見えた時、急に忘れかけていた消せない現実の日々を思い出したのだ。
私の見ている前で、彼女を宝物みたいに思っていた兎神子(とみこ)達や、神饌組達の見ている目の前で、醜いものがソコを貫いた消せない現実の日々。
「爺じ、今度は、私が洗ってあげる。」
愛は、私の手から手ぬぐいを取り上げると、今まで座っていた風呂椅子に、私を座らせた。
愛もまた、私と遊んでいる時、在りし日の家族との日々に戻っていた。
父と二人の母、腹違いの妹と遊んでいた日々。
家族と遠足に出かけ、家族と野山を駆け回っていた日々。
あの頃、毎日は輝きに満ちていた。優しい両親と可愛い妹と、一緒に遊んだり、店の手伝いをしたり…
学舎(まなびのいえ)に行かない兎神家(とがみのいえ)の子供は、母親に必要な事は全て教わり習う。二人の母親に、代わり番こで、習い事をするのも、楽しくて仕方なかった。何より、先に習って覚えた事を、お姉ちゃんぶって、妹に教えるのがとても楽しくて仕方なかった。
それが…
赤兎となる事が決まって、一変してしまったのだ。
愛は、私の背中を洗いながら、私の股座の狭間から見えるものに目を留めると、思わず目を背けた。赤兎となってからの日々を思い出したからではない。
一日で、一番の楽しみだったはずの、父親との入浴が、恐怖となってしまった時の事を思い出したのだ。
直に握り、揉み扱き、咥えさせられた穂柱…
口腔内に放たれ、飲み込まされた生臭い白穂…
上手くできなければ、容赦なく怒鳴られ叩かれ、出来るまで、同じ事を繰り返しやらされた。
「おいおい!愛ちゃん、くすぐったい!くすぐったいってば!」
今度は、私がゲラゲラ笑いだすと。
「ほら、爺じ、大人しくして!もう!良い子にしてないと、洗ってあげないわよ!」
言いながら、それこそ、愛は本当にわざと最初から、私を擽った。
「だから、くすぐったい!くすぐったいって!」
「だから、大人しくして!大人しくするの!」
暫くの間、洗ってるのかふざけあってるのかわからない格闘を続けた後…
愛は、私の後ろから齧り付き…
「爺じの背中って、相変わらず、広いね。」
言いながら、私の背中に頬を乗せた。
「こうすると、お父さんの背中を思い出すな。」
「あの頃も、裏山から帰ってきて、二人でお風呂に入ると、よくそう言ってたね。」
「うん。」
愛は、私の背中に頬を乗せたまま頷いた。
『親社(おやしろ)様のお背中、とっても大きくて広いなー。お父さんの背中みたい。』
『愛ちゃん、そろそろ、湯船に入ろう。』
『ううん。もう少し…もう少しだけ、お願い。』
それまで、私を子供扱いしていた愛が、漸く立場を戻して、幼い子供に返る瞬間であった。
「ほら、愛ちゃん。段々、身体(からだ)が冷たくなってきてるよ。風邪引くよ。」
「じゃあ、抱っこしてくれる?」
「良いよ、おいで。」
私は、言いながら、愛を抱え上げて先に入れてやり、自分も後から中に入ると、愛を膝に抱いてやった。
「爺じの腕って、暖かい。お父さんみたいだー。」
愛は、言いながら、私の腕の中で丸くなり、胸に寄り掛かって、ニコニコ笑いだした。
私は、そっと抱きしめ、愛の頭や頬を撫でてやる。
さっきまで、愛の弟だった私が、一気に父親になる瞬間であった。
「爺じ、お父さんの腕ってね、とっても優しくて、暖かくて、気持ち良いの。」
言いながら、愛は私の胸に頬擦りした。
「それも、あの頃、よく話してくれたね。」
「うん。」
「お父さんに会いたいか?」
「うん。お母さん、結衣母さん、舞ちゃんにも会いたい。」
「それじゃあ、今度、会いに行こう。」
「うん。でも、その前に、また爺じと二人だけで裏山に行きたいな。」
「赤ちゃんも連れて行かずにか?」
「うん。だって…」
「そうだね…あの場所は、私達二人だけの…」
「そう、秘密だもん。」
愛は、私の胸に寄り掛かったまま、にっこり笑った。
見れば、両目の瞼が重くなり、今にも眠りそうである。
「愛ちゃん、そろそろ出ようか?」
「ううん…もう少し…」
「湯船の中で眠ってしまいそうだよ。」
「お願い、もう少しだけ…お願い。」
「仕方ないな…」
私が、頭を撫でながら言うと、愛は嬉しそうに甘えるような笑みを浮かべて、私の胸に顔を埋めて目を瞑った。
私もまた、目を瞑る。
恐らく、二人とも、瞼の裏側に、同じ景色が浮かんでいるのであろう。
そう…
裏山を歩き回り、漸く見つけた、絶景の場所。切り絵の題材。
二人だけの秘密の場所。
兎神子(とみこ)達や神饌組に、愛の存在を知られた後も、未だに皆には明かしていない、二人だけの場所。
できれば、桃や桜の咲く春先か、紅葉の美しい秋が望ましかったけど、雪深い冬景色も格別だろう。
しかも、人に知られぬ裏道にも関わらず、雪の中でも道程は緩やかで、歩きやすい。
「また、お弁当持って行こう。」
「うん。」
「久し振りに、愛ちゃんのだし巻き卵と昆布巻き、作ってくれる?」
「良いわよ。卵焼きと焼き鮭も作ってあげる。」
「それは、豪華だね。でも、食べきれるかな?」
「食べられるわよ。爺じ、食いしん坊なんですもの。」
話しながら、私と愛はクスクス笑って、頬擦りしあった。

兎神伝〜紅兎二部〜(29)

2022-02-02 00:29:00 | 兎神伝〜紅兎〜追想編
兎神伝

紅兎〜追想編〜

(29)隠砦

「ここが、私達、裸の兄弟姉妹の隠砦よ。」
愛は、参籠所の前に立つと、胸に抱く赤子に言った。
扉を開けると、そこは仕切無しに寝室と浴室に別れた、大部屋が広がっていた。
寝室には、都合十台の寝台が並べられ、うち四台は分娩台を象っており、四隅には手足を縛り付ける皮帯が備え付けられている。
広い温泉の湯船を囲む浴室には、普通の風呂椅子が二十程置かれた他、凹字形の風呂椅子が片隅に幾つか置かれ、浴槽の傍には、木製の寝台が置かれている。
ここは、稚兎(おさなうさぎ)と呼ばれる見習い兎神子(とみこ)達に、田打と呼ばれる穂供(そなえ)の仕込みを施す為の場所。
故に、通称、田打部屋とよばれている。
しかし、いつの頃からか、兎神子(とみこ)達と悪ガキ達が文字通り裸の付き合いをする遊び場と化し、更には隠砦と化していた。
そうしてしまったのは、政樹と竜也である。
二人が、太郎率いる領民(かなめのたみ)の悪ガキ達を抱き込んで神饌組を結成すると、その隠砦にしてしまったのだ。
神饌組とは、元々は、彼らに言わせれば義賊の組織であった。まあ、何てことはない。神饌所に納めてある供物を盗み出しては、下町に暮らす貧しい子供達に食わせてやると言うものであった。
しかし、この悪さが発覚すると、由香里が激怒した。かつて、年下の兎神子(とみこ)達に食わせる為、厨房に盗みに入った由香里だが、実は弱い者苛めと並んで、盗みが大嫌いだった。
由香里は、政樹と竜也を思い切りぶん殴った後、二人に棒っきれを手渡すと、自分の両手を差し出し、百回ずつ叩かせた。そして、由香里を母親のように慕う二人に、両手の皮が擦り切れ血塗れになる程叩かせた後、今度は出刃庖丁を握らせて、こう言った。
『次は、一回盗みに入る度に、姉ちゃんの指を一本づつ切って貰うからね。両手両足の指が無くなっても、まだ盗みをするなら、手首や腕を切り落として貰うよ。本当に、そうして貰うからね。良いわね。』
以来、二度と神饌組が、神饌泥棒をする事はなくなった。
その代わり、あらん限りの知恵を振り絞って、悪戯の限りを尽くすようになった。最も、彼らに言わせれば、これは悪戯ではない。天に変わって悪を懲らす、天誅なのだそうな。
その天誅の作戦を立てる場所として、参籠所が使われる事となった。勿論、その矛先は、全て私であった。
鱶見本社(ふかみのもとつやしろ)の宮司(みやつかさ)に奉職して約五年…
此処で練りに練られた悪戯の作戦は数知れない。そうして、最後には、神饌組を名乗る悪ガキ共は、我が社(やしろ)の正義の味方三人の裁きを受ける事になった。鬼より怖い、由香里や亜美に袋叩きにされ、社(やしろ)の女王であり女神であった愛の、『そんな事するなら、もう遊ばない!』と言う一言に一蹴されて一件落着となったのである。
「隠砦か…本来、兎神子(とみこ)達に穂供(そなえ)を仕込む場所を、見事に悪さを企むとんでもない場所にしてくれたよな、神饌組どもに…
例祭中、あいつらに頭から朱穆をぶっかけられた時…子供とは、こんなにも邪悪なものなのかと思い知らされたよ。」
私が大きく溜息を吐くと…
「あの頃、爺じは悪の首魁だとか言って、正義の名の下にいろんな事をやられてたものね。私、太郎君達に、爺じが毎日虐められてるの見て、可哀想になっちゃった。
それで、最後には我慢しきれなくなって、太郎君の事、引っ叩いちゃった。」
愛は言いながら、十八番の片目瞬きをして見せた。
「おかげで、助かったよ。愛ちゃんの一発が効いて、太郎君、悪戯を辞めたばかりか、親社(おやしろ)様の敵は俺の敵だとか言って、仲間達に、固く悪戯を禁止してくれるようになったしね。
最も…
愛ちゃんに言いつけられて、ユカちゃんに百叩きの刑を食らった、マサ君とリュウ君の悪さは、まだまだ続いたのだが…」
私が言うと、愛はクスクスと笑い出した。
「でも、私だけの秘密の友達だった愛ちゃんが、みんなに知られる事にもなってしまった…」
「うん。まず、ユカ姉ちゃんとアケ姉ちゃんにね。
ユカ姉ちゃんには、マサ兄ちゃんとリュウ兄ちゃんの悪さを知らせてくれたご褒美だと言って、特別なご馳走を作って貰ったわ。」
「勿論、素麺!」
「そう!素麺!あの時は、ユカ姉ちゃん、あそこまで、何か特別な事がある度に素麺ばっかし作ると思ってなかったから、凄く美味しいなあって、感激したわ。」
「私は、あの頃既に、素麺見ただけで、こっちの顔が長くなりそうだったけどね。」
「まあ、酷い!私、今でも、ユカ姉ちゃんの素麺、大好きだわ。本当よ。」
愛は、そう言って口を尖らせ、頬を膨らませた。
「おいおい…あの時、ただでさえ、素麺こそこの世の最高の料理と信じ込むユカちゃんに、愛ちゃんがあらん限りの言葉で褒めそやすから、漸く、鍋物と言う新しい料理も作り始めてくれたと思っていたのに、またまた、連日素麺責めに合わされたんだぞ。」
「それと、アケ姉ちゃん…」
「こんな可愛い子、独り占めなんて、狡いでごじゃる。私にも貸すでごじゃる。」
私が、指先で鼻の下を擦りながら、朱理の口を真似て言うと、愛は大爆笑した。
「それで、私、早速、着せ替え人形にさせられたっけ…
次から次へと、お姫様みたいな着物を持ち出されて、驚いたの何の…
しかも、あれ、全部アケ姉ちゃんが縫った着物だって言うんですものね。
着付けも上手ければ、髪結いも上手くて…」
「自分は、いつも髪はボサボサ、着てるものは、スス汚れたつんつるてんの一張羅の着物だけだと言うのにね。
こっちが、幾ら新しい着物を買ってやろう、着せてやろうとしても…
『この着物は、社(やしろ)に来るとき、お母さんに着せて貰った着物でごじゃる。これが一番のお気に入りでごじゃる、他の着物は着ないでごじゃる』
とか、言ってね。」
私が、髪をボサボサに搔きむしり、着てるものをヨレヨレにして、鼻の下を指先で擦りながら、また、朱理の口真似をすると、愛は前にも増して笑いこけた。
「ユカ姉ちゃんの手料理を食べて、アケ姉ちゃんの着物を着て…
あとは、裸の付き合いをしたら、もう兄弟姉妹(きょうだい)だとか言って、連れてこられたのが、此処だったわ。」
愛は、浴室の方を見渡して、しみじみと言った。
「連れてきたのは、例によってタカ君だったね。」
「そう。あの時、もうだいぶお腹が大きくなっていた、サナ母さんをお風呂に連れて行くついでに、私の手を引っ張って、此処に連れてきてくれたわ。
マサ兄ちゃんと茜姉ちゃん、リュウ兄ちゃんとユキ姉ちゃん、太郎君率いる神饌組達は、もう先に来ていて…
一生懸命、私に一緒に入ろうと誘うタカ兄ちゃんを見て、クスクス笑ってたわ。そうしたら…」
「アッちゃんが、顔を真っ赤にして入ってきたんだろう?
『コラーーーッ!タカ兄ちゃん、また、町の女の子引っ張りこんで、何やってんだーーーーー!!!この悪魔!ケダモノーーーーッ!人で無しーーーっ!!!!』ってね。」
私は、今度は、目を釣り上げ、薪を振り回す格好をして、亜美のモノマネをして、また、愛を笑わせた。
「爺じって、本当、みんなのモノマネ上手ね。私も、知らないところで、真似されてるのかしら。」
「しているよ。こんな風にね。」
「もう!」
愛は、私がぎこちない片目瞬きをしながら、肩を窄めて笑って見せると、口を尖らせ、頬を膨らせた。
「でも、その後、愛ちゃんがとった行動が、今でも語り草になってるな。
大概…
人をからかうのが大好きなタカ君の奴、町の女の子が、真っ赤にして顔を伏せたり、後ろ向きに蹲ったりするのを見て面白がっては、アッちゃんに袋叩きにされていたもんだが…
何と愛ちゃん、見事な脱ぎっぷりで素っ裸になったかと思うと、みんなと一緒に風呂に飛び込んで、遊び回ったからね。
後で聞いて、私も呆気にとられたよ。」
「まあね…
あーしないと、申し訳なさそうに私の事を心配してくれた亜美姉ちゃん、死ぬ程、タカ兄ちゃんを叩きのめしそうだったからね。
でも…
あの後、タカ兄ちゃんなんか、助けてやらなきゃ良かったって思ったわ。」
「愛ちゃん、タカ君と太郎君には、とてつもなく冷たかったもんね。見ていて、気の毒になったよ。
二人の方は、愛ちゃんの見事な脱ぎっぷりに感服して、女王様か女神様のように崇めていたのにさ。」
「だって…
タカ兄ちゃんは、アケ姉ちゃんに意地悪ばっか言うし、太郎君は爺じを虐めてばかりいるんだもん。私、意地悪する男の人って、大嫌いなの。」
愛は、言いながら、プイッとそっぽを向いた。
「まあ、そう言うなって…あれが、あいつらなりの優しさだったり、正義感だったのだからさ…」
「そうね…
あの後、太郎君には随分と守って貰ったし…
タカ兄ちゃんは…」
言いかけ、愛は口を噤んだ。
『アケちゃん、意地悪ばっか言って、ごめんな。俺、アケちゃんが好きだ、大好きだ。初めて、社(やしろ)に来た時から好きだったんだ。いつか、嫁さんになって欲しかった。でも、アケちゃん、カズの奴にばっか目を向けてさ、すっげぇ、悔しかったんだ。
チビの奴には、内緒だぜ。あいつ、泣き虫だからよ、常世で泣かれたら、毎日大雨にならあ。』
最後に、朱理に告げた、貴之の悲しそうな笑顔を思い出したのだ。
この言葉を残して去り、貴之は二度と社(やしろ)に戻ってくる事はなかった。
「愛ちゃん…」
「ううん…タカ兄ちゃん、常世で、サナ母さんに会えたのかな?」
「ああ、会えているよきっと。もう、小うるさいアッちゃんも側にいないし、誰憚る事無くサナちゃんを抱けて…今頃、常世でたくさん子供を作ってるかも知れないよ。」
「うん。」
愛は潤んだ目を指先で拭いながら、満面の笑みを浮かべた。
「服の脱ぎっぷりに感服心酔したって言えば…
タカ君と太郎君だけではなかったね…」
私が、話題を変えるように言うと…
「そうなの?」
愛は、驚いたように目を剥いた。
「そうだよ。まず、神饌組どもが、崇拝するようになったんだよ。コイツは凄えってね。だから、次の日から、みんな、暫くの間、愛ちゃんを、姉御って呼ぶようになったろう?愛ちゃんが、『愛って呼んで!愛って呼んでくれなかったら、返事しない!』て言うまでさ。」
「でも、あれって…太郎君が、その…」
「勿論、君にほの字だったのもあるさ。でも、それ以上に…
実は、男の子でも、初めて人前で裸になるのは勇気がいるってのに、女の子の君が、見事な脱ぎっぷりで裸になったのを見て、みんな、崇拝の気持ちを抱くようになったんだよ。」
「そうなんだ…」
愛は、四年の月日を経て明かされる秘密に、まだ信じられぬと言う風に、目を丸くしていた。
「それだけじゃないぞ…
君が、みんなと素っ裸で風呂に入り始めて、一月もしないうちに、町の女の子達も、素っ裸になって、神饌組達と一緒風呂に入り、暴れ回るようになったろ?」
「うん。」
「それまで、町の女の子達が風呂に入る時は、男子絶対禁制だったんだよ。
男の子達が入る時は、白兎達も堂々と入っていたのにだよ。
そこは容赦ないユキちゃんや、自分の胸の大きさや幼児体形棚上げの茜ちゃん、誰それの穂柱は小さいだの、稲毛が薄いの少ないのと言って、男の誇りをボロ切れにしたりもしてた。だのに、町の女の子達が入る時は、タカ君やマサ君が、ちょっと覗いただけで、ユカちゃんやアッちゃんに半殺しの目に遭わされるから、こんなの不公平だと、不満の声が続出だったんだ。
でも、愛ちゃんが、素っ裸で新撰組達と楽しそうに遊びだしてから、町の女の子達も一緒に風呂に入り始めるようになった。いつしか、男の子達だけだった神饌組に、ここに来る女の子達全員が加わるようにもなって、みんな大の仲良しにもなったんだよ。
松田屋の長吉郎君とお美津ちゃんみたいな、連れ合いもたくさんできたしね。」
「そうだったんだ…」
愛は、まだ、信じられないと言う風に、しみじみと言った。
しかし、事実、そうであった。
愛が、見事な脱ぎっぷりで、男の子達に裸で混ざるまで…
浴室と寝室に仕切りはないが、町の悪ガキと女の子達の間には、大きな仕切りがあった。
厳密に言えば、女の子達の周りには大きな仕切りがあって、男の子達が近寄れなかったのだ。
なので、男の子達が隠砦にしてる時は、その秘密は、白兎を通して女の子達に筒抜けであったが、女の子達が隠砦にしてる時は、友達仲間であるはずの黒兎や悪ガキ達に対しても隠砦であった。その為、女の子達の秘密会議によって、黒兎達と悪ガキ達の悪戯の陰謀が、どれほど未然に鎮圧されたかわからない。
それが、愛が素っ裸で男の子達に混じる事で、女の子達も、素っ裸で男の子達と混じるようになり、ここは、町の男の子女の子関係なく、全ての子供達が共有する隠砦になったのである。
「隠砦…
楽しかったな、あの頃…」
愛は、自分が特に深く考えてした事でない事でそうなったと言う自覚は未だ薄いまま、懐かしむように言った。
男子禁制の、女の子だけの隠砦となる事がなくなってから、何故か、まず、男の子達が、悪さを企む場所にする事がなくなった。女の子達の目を盗んで悪さをしようと思うより、女の子達から尊敬される事をして、気を引きたくなったのだ。
女の子達も、男の子達の悪さを暴いてとっちめようと言う気もなくなった。
むしろ…
元々、みんな好きな男の子はいて、仲良しになりたいと思っていた。
そして…
そう言うのを見る目は、朱理と菜穂が人一倍長けていて、火をつけて煽り立てるのは、雪絵と茜が長けていた。
この隠砦で、沢山の恋が芽生え、たくさんの連れ合いが誕生した。その恋と連れ合いの誕生が花を添えて、沢山の楽しい計画が次々と生まれた。
何故か、愛は、その楽しい計画の中心にいつも立っていた。
朱理と菜穂が見抜き、雪絵と茜が火をつけ煽り立てた数々の恋を、執り持つのは、愛が長けていた。それも…何処かみんなを親目線で見てる、由香里、和幸、早苗を、上手に巻き込んで、素直になれない男女を、巧みにくっつけたのである。
恋を実らせる中心に立つ子は、自然と、遊びの中心にも立つ。
幼い男女にとって、恋の女神は、全知全能の神に匹敵する。
愛は、いつしか、みんなの女王となり、女神となっていた。
しかし、そんな自覚なのど、今も昔も何もない愛には、ただ、あの頃の思い出は、眩しく美しかった。
一日中、みんなと真っ黒になって遊んで、此処でみんなと身体を洗い合いながら、次の遊びの計画を立てて、次の日も真っ黒になって遊ぶ…
小半刻が永遠のように濃厚でもあれば、一日が一瞬のように短くもあり…
明日が眠るより早く訪れるかと思えば、一年後は永遠の未来のようにも感じて…
みんなとふざけあったり、笑いあったり、喧嘩したり…
二度と、あの時には戻れないのに…目を瞑れば、手の届きそうなところに、思い出が浮かぶ…
「思い出って、何て綺麗で、優しくて…」
愛は、目を瞑り、あの日々を思い浮かべながらそこまで呟くと、不意に口を閉ざした。
「どうしたの?」
愛は、何も答えず、グッと唇を噛み締めていた。
「愛ちゃん?」
「ううん…何でもない。」
愛は、漸く何かを吹っ切るように首を振り立てると、何処か寂しそうな笑みを浮かべた。
「ただ、思い出って、残酷だなって思ってさ。」
「残酷?」
「目を瞑れば、手が届きそうな所にあって、足を踏み入れれば、また、あの時に戻れる気がする。
でも、あの時は、もう二度と帰ってはこないわ。
私は、もう戻れないもの…
あの時と、変わりすぎてしまったもの…」
そう、呟く愛の脳裏には、楽しかった時を一瞬で終わらせてしまった時の光景が、蘇ってきた。
『さあ、お前達、よーっく見てるんだぞ!』
皮剥の儀式を終え半月程経った頃…
河曽根上町の男達は、愛を大道に引っ張り出し、愛の友達である自分の子供達にむかって呼ばわるや…
『おらっ、そこに座んな!』
男の一人が、愛を乱暴に小突いて、その場に座らせた。
『どうだ、おまえといつも遊んでる子達が、いっぱい来てるだろう?』
別の男がそう言うと、愛に辺りを見回すよう促した。
そこには、愛を引き連れて来た男達の息子や娘達である、いつも遊んでいた友達が、母親に手を引かれて集まっていた。
『みんなに見えるよう、脚を大きく広げるんだ。』
『ほら!さっさとやらんか!』
愛は、男達に言われるままに、脚を大きく広げると、剥き出しにされた神門(みと)のワレメを、いつも一緒に遊んでいた友達に晒した。
『さあ、指先で神門(みと)を開いて見せな。』
『そうそう…それから、もう片方の手の指先で、そこを弄るんだよ。』
『よしよし、その調子だ。もっと指を、参道に入れて!もっと掻き回して!』
『どうだ?気持ち良いか?気持ち良いんだろう?』
『あん?聞こえねえぞ!気持ち良いなら気持ち良いって、もっとデカイ声で言いな!ほら、おまえの友達にも聞こえるようによ、もっとデカイ声で言えよ!ほら、みんなの方を向いて!』
男達は、愛に参道を弄らせながら口々に言うと、今度は…
『おい、おまえ達、もっと近づいて見てみろ。』
『どうだ?毎日、男達に可愛がられてる参道の中は、こんな風になってるんだぞ。』
『イヤらしい色してんだろう。びしょびしょに濡らしてよ。』
『ヒダなんか、まだ、こんなに小せぇ癖に、ヒクヒクさせてるぜ。男達に、早く入れてくれ、早く入れてくれってよ。』
周囲に集まる、愛の友達である子供達に向かって、口々に言いながら、ゲラゲラ笑い飛ばした。
そして…
『どうだ、愛。友達の見てる前でするのは最高だろう。』
『いつぞやは、河曽根組の若様達が、随分と世話になったからな。今日は、たっぷり礼をしねえとな。』
『さあて…まだ、まだ、そんなんじゃあ、物足りねえよな。』
『今から、最高に気持ち良くしてやるからな。』
男達は、唐突に愛を羽交い締めにし、これ以上拡がらない程、脚を広げさせると、愛の参道に指を突っ込んで掻き回し始めた。
『キャーーーーーーーーーーッ!!!!』
愛は、思わず凄まじい悲鳴をあげた。
『イッ!イッ!イッ!キャーーーーー!!!』
男達は、容赦なく、交代で愛の参道に指先や、様々な器具を突っ込み、掻き回し続けた。
『アァァーッ!』
愛は、激しく首を振り立て、身を捩り、腰を浮かせて、耳をつんざくような悲鳴をあげ続けた。
周囲に集まる子供達は、いつも遊びの中心にいて、女王様か女神様のように思っていた友達の悲痛な声に耳を塞ぎ、泣きながら目を背けた。
『真由っ!何、そっぽ向いてるの!ちゃんと見るのよ!』
周囲に集まる女のうち、特に愛と仲の良かった綾の母親は、耳を抑えて蹲って泣く娘の手を耳から引き剥がすと、無理やり、愛の方に目を向けさせた。
『イヤッ!イヤッ!イヤッ!キャーーーーー!!!』
愛は、更に激しく首を振り立てながら、悲痛な絶叫をあげ続けていた。
しかし、それはまだ始まりに過ぎなかった。
『そろそろ、出来上がってきたな。』
男の一人は、ニンマリ笑って言うと、愛の参道から指を引き抜き、褌を脱ぎ出した。
そして、裂けよとばかりに拡げられた股間にのし掛かると…
『ギャーーーーー!!!!』
愛は、また、凄まじい絶叫をあげた。
それを合図に、他の男達も褌を降ろすと、愛のまだ膨らまぬ胸にむしゃぶりつき、男達の穂柱を、両手に一本ずつ握らせ、尻の裏参道と口腔に乱暴に捩じ込んだ。
男達の妻である女達は、この光景を取り囲んで見物しながら…
『ほら、ほら、父ちゃんしっかりおやり!』
『その程度でへばる父ちゃんじゃないだろう!』
『もっと腰振って!腰振って!いつも、あたしの腰を抜かさせる父ちゃん、何処行った!』
口々に囃し立てながら…
『さあ、綾、よく見ておくんだよ!あれが、愛って淫乱娘の正体だよ。』
『うわーっ、嫌らしい。まだガキんちょの癖に、一度にあんなにされて、よがっちゃってさあ。』
『ほらほら、また、あんなに腰を浮かせちゃって…声なんかだしちゃって…』
『もう、穴と言う穴も、両手も白穂まみれじゃないか。こっちまで臭ってくる。臭いわー、あー臭い臭い!』
『あんな娘が、うちの娘に気安く話したり触ってだなんて、鳥肌立つわ。』
『良いかい!あいつは、便所と同じなんだからね。あいつの身体は、頭の上から足の先まで、汚らしい便所なんだよ。もう、親しく口なんか聞くんじゃないよ。』
『そうだよ。あいつに接する時は、便所として接するんだよ。』
自分の子供達に向かって、忌々しいもの言いで、訥々と話して聞かせたのである。
愛は、いつ果てるとも知れぬ、引き裂かれるような激痛と、口腔内に生臭いものが流し込まれる最中…
何かが、音を立てて崩れ堕ちてゆくのを感じた。
上町領民(かみつまちかなめのたみ)の親達が、子供達が社(やしろ)の兎神子(とみこ)達や自分と遊ぶのを、露骨に嫌っているのは、今に始まった事でなかった。
子供達に近づくと、汚い虫でも寄り付くように、追っ払われるのは、年中であった。
毎朝、父親に素っ裸で庭先に出された愛に、やれ脚を広げて見せろ、参道を指で広げろ、弄って見せろと、囃子たてる男達に、汚い手で娘に触るなと同じ口で怒鳴り飛ばされ、突き飛ばされ殴りつけられもした。
しかし…
『愛ちゃん、ごめんね。』
『痛かった?』
突き飛ばされた愛が立ち上がり、尻に着いた土を払いのけてると、親達が去ったのを見計らって出てくる上町の子供達に…
『大丈夫、平気よ。』
笑顔で答える愛も…
『愛ちゃん、遊ぼう。』
やはり、笑顔と一緒に手を差し出す上町の子供達も…
『やあ!みんな、良く来たね。待っていたよ!』
愛と町の子供達を出迎える兎神子(とみこ)達も、意に介する者はいなかった。
いや…
むしろ、上町領民(かみつまちかなめのたみ)の大人達に露骨に嫌がられ、禁じられる程、皆で遊ぶ楽しさが倍増したのだ。
何かただ一緒に遊ぶだけで、物凄い冒険をしたような気持ちになれて、楽しかったのである。
「でも、全部壊れちゃった…」
愛は、また、寂しそうに笑って見せながら言った。
「壊れた?」
「うん。壊れちゃった。
赤兎になって、いつも一緒に遊んでいた友達の見てる前で、毎日、あんな事をされ続けて…
全部、壊れちゃった…何もかもが壊れちゃった…
二度と、あの日に戻れない…
だのに、目を瞑れば、みんなで楽しかった時の思い出が、今だに何も変わる事なく浮かんでくる…」
「それは、愛ちゃんが何も変わらなかったからだよ。」
「変わらなかった?」
首を傾げて、ジッと見つめる愛に、私は大きく頷いて見せた。
「愛ちゃんは、何があっても、皆に対する気持ち、変わらなかったろう?」
愛は、答える代わりに、また、ジッと浴室の方を見つめた。
『ア…アウッ!』
事が終わり、男達が去った後、愛は何度も立ち上がろうとしては、呻き声をあげて崩折れた。
股間を抑える手には、生臭いものと一緒に、血がべっとり着いている。
身体(からだ)に走る引き裂くような激痛と、口腔内に広がる悪臭とに、死ぬような思いであった。
いや…
一層、死んでしまった方が楽になれる気もした。
すると…
『太郎君!』
何処からとなくやってきた太郎が、愛に背中を差し出した。
『乗れよ。』
『あの…でも、私…汚いから…』
『汚くねえ。乗れ。』
愛は、有無を言わさぬ太郎に促されるまま、その背におぶられた。
見れば、太郎も顔中、身体(からだ)中、痣と擦り傷だらけであった。
愛を弄ぼうとする男達に掴みかかり、袋叩きにされたのだ。
そこへ、以前、太郎率いる神饌組に叩きのされた、河曽根組の子弟達…春秋組の不良どもが姿を現した。
彼らは、既に大人達に叩き伏せられ、伸びている太郎を更に散々に踏蹴した後、これ見よがしに、太郎の前で愛を弄んで溜飲を下げて行った。
『太郎君、ごめんね。私の為に…』
『私の為に何だってんだ?おめえ何か関係ねえ。俺は、あのクソ親父達にムカつくから喧嘩して負けた。それだけだ。』
『でも…あの…私、臭いでしょう?嫌だったら、もう、降ろして良いよ。』
『臭くねえ。それより、俺の背中で寝て良いぞ。ちゃんと連れて帰ってやっから。』
太郎が、相変わらずのぶっきら棒で言った時…
『何だ、おめえ達。』
睨みつける太郎の前に、男達に弄ばれる愛を遠巻きにしていた子供達が、俯いて集まっていた。
『今更、何しに来やがったんだ?』
子供達は、答える代わりに、目にいっぱい涙を溜めていた。
『おい!黙っていちゃー、わからねえよ!目の前で、ダチが酷ぇ目にあってるってのに、おめえら、側で何してた?
綾、おめえは、上町のクソガキ達に苛められてるところを、愛ちゃんにいつも助けて貰ってたよな!春秋組のロクデナシ達に言い寄られ、取り巻きのクソガキ達に、手足を押さえつけられて、着物脱がされそうになった時も、愛ちゃんに助けて貰ってたよな!
愛ちゃんがいなかったら、今頃、おめえが、毎日素っ裸にひん剥かれて、春秋組のロクデナシ達に、町中引き摺り回されてたんだよな!
秋!美玖!おめえ達も、そうだったよな!
金八!新八!仙八!寛八!
おまえ達も、上町でいっつも虐められて、使いっ走りさせられて…
新八!おめえなんか、一日、愛ちゃんと出会うのが遅かったら、妹の瑞稀を差し出すところだったんだよな!男の癖になさけねえ!
だのに、その愛ちゃんが、あんな目に遭わされてるってのに、ただ見ていたおめえ達、今更、どのツラ下げて来たのかって、聞いてんだよ、オラッ!』
子供達は、やはり何も答えず、ただただ、咽び泣きだした。
『邪魔だ、どけ…退けって言ってんのが、聞こえねーのかよ!てめえら何か、もう、神饌組でもなけりゃ、仲間でも友達でもねえ!失せろ!』
太郎が怒鳴り飛ばすと、子供達は、とうとう堪えきれず、その場に崩折れて泣き出した。
すると…
『失せろよ、コラッ!』
尚も皆を怒鳴り付け、蹴飛ばそうとする太郎に…
『やめて!』
愛は、太郎の背中に齧り付き…
『お願いだから、やめて!みんなを責めないで…責めないでよ…お願いだから…お願いだから…』
ワッと声をあげて泣き出した。
『愛ちゃん、ごめん!ごめんね!』
『愛ちゃん、ごめんなさい!ごめんなさい!』
『愛ちゃん、すまねー!』
『愛ちゃん、ごめんよー!』
それまで、何一つ言葉を発せないでいた子供達も、漸く一斉に謝ると、太郎におぶられた愛の周りに集まり、声をあげて泣き出した。
『みんな、謝らないで。私、大丈夫だから、気にしてないから。
それより、私、こんなに汚れちゃった。臭くなっちゃった。側にいて、いやじゃない?』
愛が言うと、皆、泣きながら、一斉に首を振った。
『これからも、一緒に遊んでくれる?』
愛が、更に言うと、皆、大きく頷いた。
『それじゃあ、今から、一緒に遊ぼう。』
愛は、もう一度、皆を見渡すと、十八番の片目瞬きをして、ニッコリ笑って見せた。
「君が何も変わらなかったら、みんなも何も変わらなかった…
違うか?」
私が言うと、愛は、また目を瞑り今度は、学舎(まなじのいえ)での事を思い出した。
赤兎を学舎(まなびのいえ)に通わせるのは、赤兎に勉強させる為ではない。
一つには、通学を口実に、裸で街中を歩かせ、行き交う男達の玩具にする為であり…
もう一つには、学舎(まなびのいえ)で、子供達に穂供(そなえ)を教える為の学品(まなびのしな)にする為である。
そもそも…
神領(かむのかなめ)において、学舎(まなびのいえ)とは、勉学を教える為の場所ではなかった。
勿論、読み書きも教えるが、神領(かむのかなめ)であまり学問は重要視されてはいない。
重要視されているのは、神領(かむのかなめ)に伝わる神民道(ジミントウ)の信仰であり、神民道(じみんとう)の神職(みしき)を世襲して勤める和邇雨一族への、忠誠・服従・献身である。
神領(かむのかなめ)において、租税や年貢と言う概念はない。
領民(かなめのたみ)が、自発的に収める、玉串料や初穂料が、神領(かむのかなめ)の財源となっていた。
学舎(まなびのいえ)で、主に教える事は、神領(かむのかなめ)で信仰されている神民道(じみんとう)の伝承・祈祷・教義であり、何にも増して、玉串料と初穂料を競って納める事の美徳であった。
そして、神民道(じみんとう)への信仰と和邇雨一族への忠誠・服従・献身と並んで重要視されている事は、兎神子(とみこ)に穂供をして孕ませる事と、自身の家庭で沢山子を作り血を残す事であった。
赤兎は、その穂供(そなえ)を実地で教える教材であった。
そもそも…
兎神子(とみこ)はの兎幣は、和邇雨一族が、この国を裏で操る道具である仔兎神を産ませる為であったが…
赤兎を囲うのは、仔兎神(ことみ)を産ませる為ではなかった。
一応、玉串も制限も無しに行われる赤兎への穂供(そなえ)も、仔兎神(ことみ)を産ませる事を前提とされていた。しかし、幼過ぎる少女への無制限な穂供(そなえ)で、子供が出来る事はあまりない。むしろ、御祭神がボロボロになって、子供を産めなくなる事が殆どであった。
赤兎を囲う目的は、神領(かむのかなめ)の子供達に、幼いうちから種付に関心を抱かせる事、長じて、兎神子の穂供(そなえ)に挙って参加するよう仕向ける為であった。
言わば、闘犬における、噛ませ犬のようなものである。
『さあ、よく見ろ。これが、女の中身だ。』
愛は、学舎(まなびのいえ)に着くなり、長方形に並べられた机の上に脚を広げた格好で寝かされると、学間(まなびのま)の子供達に見えるよう、神門(みと)のワレメを指先で開かされた。
『この包皮をめくって出てくるのが神核(みかく)、この外側のヒダが大神門(おおみと)、内側の小神門(こみと)だ…』
教導師(みちのし)は、大袈裟に声を上げて解説しながら、その部位を一々乱暴に摘み上げた。
『ウゥッ!』
愛が、首を振り立てて呻き声をあげると…
『どうした?感じるのか?』
教導師(みちのし)は、ニンマリ笑いながら、包皮を捲り上げ、一番敏感な所を更に乱暴に抓りあげた。
しかし…
この時、教導師(みちのし)は、今までと何か勝手が違う様子に戸惑いを覚えた。
『イギィー!』
愛が、苦痛に顔を歪め、身を捩って呻き出すと、今までの子供達であれば、興味津々に目を輝かせるところであった。中には、今すぐにでも手を出したい、弄り回したいと、身を乗り出して、舌舐めずりをしてる者までいた。
だが…
今回は、皆、教導師(みちのし)のしている事を見て、怒ったように押し黙り、俯いているのである。
『でもって、本当なら、ここに膜があって、これを参道膜と言うのがあるのだが…』
教導師(みちのし)は、尚も乱暴に最も敏感な所を抓りあげ、指先で中を掻き回しながら言うと、激しく腰を上下させて苦痛に耐える愛の顔を見上げて、またニンマリ笑った。
本来であるなら、ここは一番のウケ狙いのところなのだ。
『愛には、膜がないぞ!そうだ、あるわけがない!何たって、愛は、もう、此処に…』
教導師(みちのし)は、そろそろ、含み笑いの一つも聞こえ、やりたくてたまらない子供の誰かが、勝手に挙手して何か言い出す事を期待していたのだが…
誰も反応せず、むしろ、それまで怒ったような顔をして俯いていた子供達は、一斉に憎悪に満ちた眼差しを、教導師(みちのし)に向けていた。
『おい…お前達、どうした?何だ、その目は?』
すると、不意に、教導師(みちのし)の子である金八が、いきなり椅子の上に立ち上がるなり…
『へーん!こーのバカチンがー!』
一声あげたかと思うと、いきなり褌脱いで、穂柱をブルンブル振って見せた。
『おいら、こんなアホくさい学(まなび)何ぞやらなくたって、こんなのとっくに知ってるぜ!
何たって、毎晩、おいらの頭の上で、バカチンな声張り上げて、父ちゃんが母ちゃんとやってんのを、嫌って程見せつけられてるからなー!』
忽ち、それまで張り詰めていた、学間(まなびのま)に、爆笑の渦が巻き起こった。
『おい!金八!何言い出すんだ!』
教導師(みちのし)が慌てて制止するのも構わず、金八は続けた。
『みんな、知ってっか?うちの父ちゃんはよう、毎晩、こんな格好して、大股おっぴろげた母ちゃんの上に乗っかってな、こんな風に、バーカチンな声張り上げて、腰振り踊りをやらかすのよ。』
金八が言いながら、毎晩、目の前で繰り広げられている、両親の房事を、身振り手振りで真似始めると、学間(まなびのま)は更に大爆笑に包まれた。
『えーい!やめだ、やめだ!こんな、くだらねー学(まなび)、受けてられっか!』
不意に、誰かが言い出すと…
『俺もやーめた!』
『私もやめた!』
『私も!』
『俺も!』
学間(まなびのま)の子供達は、次々に、学品(まなびのしな)を放り出し…
『愛ちゃん、行こう。こっちで、みんなと遊ぼう。』
女の子の一人、綾が愛の手を引っ張って行った。
『おいっ!お前達!』
教導師(みちのし)は、教鞭を音を立てて思い切り振ると、顔を真っ赤に激昂して声を上げた。
『この学(まなび)、何の学(まなび)かわかってるんだろうな!』
『知らねえや、こーの、バーカチンがー!』
金八は、プイッとそっぽを向いて、吐き捨てるように答えた。
『うちでも、散々、親父とお袋に見せられて、辟易してるんだ!此処に来てまで、こんな学(まなび)、知りたくもねえや!』
別の男の子、新八が続く。
『良いか!これは、神領(かむのかなめ)で最も神聖な神事、穂供(そなえ)の学(まなび)何だぞ!これを拒むと言う事はだな、爺祖大神を拒む事でもあるんだぞ!』
『だから、何でぇ!』
益々激昂する教導師(みちのし)に、学間(まなびのま)の男子達はひるまなかった。
『良いか!この学(まなび)を拒む奴がどうなるか、思い知らせ…』
教導師(みちのし)が、言い終わるのも待たず…
『こうなるんだろ!』
と、此処で漸く前に進み出て来た太郎は、一気に着物を脱ぎ捨てると、生まれたままの姿になった。
『太郎…おまえ…』
出鼻を挫かれた教導師(みちのし)が、怒りに全身を震わせると…
『俺達、みんな、裸の付き合いの兄弟だ!』
続けて、太郎の子分である長吉郎が、脱ぎっぷり良く素っ裸になった。
『私も、愛ちゃんとは、裸の姉妹よ!』
愛が取り持って、今や、長吉郎とは公認の恋人同士となり、十歳にして、いつか嫁になるのだと誓いを立てた美津が、全裸になって、長吉郎にかじりついた。
そうなると、後が早い。
『俺も神饌組だ!』
『私も神饌組の仲間よ!』
『俺も兄弟だ!』
『私も姉妹よ!』
次々と皆裸になり、気づけば、学間(まなびのま)の中で着物を着てるのは、教導師(みちのし)だけとなった。
『悪いな、先生よ。ここで、裸の兄弟姉妹(きょうだい)、神饌組じゃねえのは、先生だけだぜ。俺達の仲間でも味方でもねえ先生何て要らねえや、こっから出てってくんな。』
『貴様…』
教導師(みちのし)が、益々いきりたち、教鞭を振り上げて、太郎を打ちのめそうとした時…
『悪いが君、此処の学徒(まなびのともがら)に手を出すのは辞めてくれたまえ。』
いつから此処に来て見ていたのか、不意に純一郎が入ってくるなり、教導師(みちのし)を制止した。
『これは、親社代(おやしろだい)様…』
『さあ、出てってくれたまえ。』
純一郎は、呆気にとられる教導師(みちのし)に、顎をしゃくって言った。
『あの…出て行くって…』
『君は、本日たった今をもって、教導師(みちのし)を罷免だ。今日からは、萬屋小吉の息子、錦之助が教導師(みちのし)を務める事になった。』
純一郎が言い終わるよりも早く。
『よおっ!』
進次郎の親友である、呉服屋を営む萬屋小吉の息子、錦之助が中に入って来た。
『あー!錦兄貴!』
『錦兄貴じゃねえか!』
『錦兄ちゃん!』
『錦兄ちゃんだー!』
忽ち、学間(まなびのま)内は、歓声で溢れかえった。
『おいおい、錦兄貴に錦兄ちゃんはねえだろう?今日から、おめえらの先公だぜ。』
今度は学間(まなびのま)が爆笑の渦に包まれた。
『それよりよ、これで、おいらも兄弟姉妹(きょうだい)に加えてくれんだろうな。』
錦之助は言いながら、これまた脱ぎっぷり良く素っ裸になり、両腕から背中一面に施された、羽ばたく雲雀の刺青を剥き出しにして見せた。
『勿論だよ、錦兄貴!』
太郎が声を上げると…
『だから、先生だ!このバカ!』
錦之助が、思い切り太郎にゲンコツをくれて、また、爆笑が巻き起こった。
『さあ、みんな!素っ裸になったついでだ!このまま、川に泳ぎに行くぞ!』
錦之助が、声を張り上げて言うと…
『オーッ!』
『ガッテンでー!』
『そうこなくっちゃー!』
学間(まなびのま)の子供達は、皆拍手喝采して喜び、突然決まった信任の教導師(みちのし)の後に続いたのである。
「錦之助君の突然の教導師(みちのし)奉職…それも、この隠砦で練りに練られた陰謀だったな。」
私が言うと、愛はまた、初めて知った真実に目をまん丸くして見せた。
「そうだったの!」
「うん。君にも内緒で、太郎君達、神饌組が企てた陰謀だったんだよ。ここで、ジュンの奴も素っ裸にひん剥いて巻き込んでな。」
言いながら、私は、兎神子(とみこ)達だけでなく、神饌組の子供達全員の前で、一緒に裸にさせられた時の、純一郎の顔を思い出して吹き出した。勿論、情け容赦ない雪絵と、自分の胸の大きさや幼児体形棚上げの茜が、穂柱が萎んでるの情けないのと言って、純一郎の男の誇りをボロ雑巾にしていたのは言うまでもない。
「愛ちゃん、神饌組も隠砦も、何も変わりはしなかったのだよ。
ただ…
みんなで、遊び騒ぐ為の神饌組は、君を守る為の神饌組に、みんなで遊ぶ計画を練る隠砦は、君を守る作戦を立てる為の隠砦に変わったんだ。
どうしてか、わかるか?」
愛は、尚も驚きを隠せない顔をしながら、大きく首を振った。
「あの日…太郎君に背負われた君が、取り巻く神饌組の子供達に対して、何一つ変わらなかったからだよ。
君が変わらなかったから、みんなも変わらなかった。この隠砦だって、変わらなかったんだ。」
「爺じ…」
「思い出は、一つも残酷じゃないさ。あの日の思い出は、手の届かないところになど行ってはいない。今も、ここにあるんだよ。
あの時と何一つ変わらない。
思い出は、今でも、この隠砦に、ちゃんとあって、手を伸ばせば、今だって手が届くし、触れるんだよ。」
言いながら、私は愛の肩に手を乗せ、かつて愛達が全裸で大暴れした浴室を、ゆっくりと見渡した。

兎神伝〜紅兎二部〜(28)

2022-02-02 00:28:00 | 兎神伝〜紅兎〜追想編
兎神伝

紅兎〜追想編〜

(28)謝礼

「里一君、こんな夜中に呼び出して、いったいどんな素晴らしいネタをくれると言うんだね。」
夕餉の賑わいが嘘のように静まり返った食堂に、一人椅子に腰掛ける里一を見出すと、純一郎は皮肉な笑みを浮かべて言った。
「私はねえ、眠たいのだよ。今日は一日、愛ちゃんの赤子の面倒を見させられたからねー。」
里一は、答える代わりに、口元を綻ばせると、書簡・書類の束を、純一郎の前に投げ出した。
「何だね、これは…」
純一郎は、その中の一つに目を通すなり眉を顰めた。
「総宮社(ふさつみやしろ)の爺社(おやしろ)様は、そんな前から、既に楽土と結んでいたと言うわけでござんすよ。そう…同盟紅軍首魁、軽信房枝と奥平剛三を通じてね…
ここ数年に渡る、神領(かむのかなめ)内における楽土の間者達の暗躍には、ほぼ全て…」
「だが、最初に密約を結んだと言う、この頃と言えば…」
「そう…あっし等、燕組が、親父さん率いる隠密御史と共に、聖領(ひじりのかなめ)の翁社(おやしろ)様を襲撃し、壊滅したのと同じ時でござんす。それも、占領軍本国と結ぼうと画策された、総宮社(ふさつみやしろ)の爺社(おやしろ)様の裏切りにあいやしてね…」
里一は、一瞬、眉をしかめて見せたが、すぐにいつもの飄々とした表情に戻った。
「いやはや…
御総社(ふさつみやしろ)の爺社(おやしろ)様も、大したお方だねえ。片や、楽土や明星国の間者どもを片端から炙り出して皆殺し、占領軍本国と組む為に、御自分で聖領(ひじりのかなめ)の翁社(おやしろ)様を襲撃させた、隠密御史や燕組を生贄に差し出しながら…
占領軍と聖領(ひじりのかなめ)とで進めてる機密計画どころか、神領(かむのかなめ)そのものを楽土に叩き売ろうってんだからねえ。
だが、こんなものを私に渡して、どうしろと言うのだね…
扱い方一つ間違えれば、とんでもない火傷をするぞ。」
純一郎もまた、書簡・書類の束を顔色一つ変えずに眺めまわしながら、淡々と言った。
「ご随意に…
あっしからすれば、上の連中が、占領軍と組もうと、楽土と連もうと、どうでも良いこって…
まして、核弾頭とか言う、大筒を使わずに飛ばせる爆弾何ぞ、関わりのねえ事でござんすよ。
さっきも言いやしたように、これは、ご褒美でござんすよ。この四年、親父さんに肩入れして下さり、最後まで愛さんを赤兎にしねえよう、夢にまで見た大連の座まで、お譲りあそばされやした、親社代(おやしろだい)様へのね。」
「そんなに、大事な事だったのかね…たかが幼い子一人、裸にさせるさせない、社領(やしろのかなめ)の好き者達に玩具にさせるさせない何て事がね…
皮剥に赤兎の穂供(そなえ)など、神領(かむのかなめ)では、酒呑むのと同じくらい、何処でも当たり前にされてる事ではないか。」
「可笑しいでござんすか?」
「不思議なのだよ。神領(かむのかなめ)の連中からすれば、酒を呑む程度でしかない、皮剥と赤兎の兎弊を取りやめさせる為に、何百回殺されてもおかしくない危険な橋を渡ろうとする君がね。」
「それを仰られるなら…
親社代(おやしろだい)様とて、たかが幼い子を裸にするとかしねえとか、好き者の玩具にするとかしねえとかの為に、目と鼻の先まで手の届きそうな、大連の座をお譲りあそばされたではござんせんか。」
「それはだね…
本来、兎神子(とみこ)の穂供(そなえ)とは、皇国(すめらぎのくに)の血脈を断たぬ為、爺祖大神様より仰せつかった神聖な祭祀…
兎神子(とみこ)達は、尊い神子(みこ)達なのだよ。
それを、皮剥に赤兎の兎弊などと言う邪習の為、穂供(そなえ)はただの売春行為に成り下がり、兎神子(とみこ)達は、娼婦・男娼の如く卑しい存在に見做されるようになった。
曲がりなりにも、神民道(じみんとう)神職(みしき)和邇雨一族の端くれに産まれたものとして、我慢ならないのだよ。
しかし、君は違う…
上の連中の陰謀にも無関心なら、神領(かむのかなめ)の尊い伝統祭祀も嘲笑しておる。だのにだね…」
「産声をあげた瞬間から、生きる事を否定された、あっしの気持ちなんぞ、親社代(おやしろだい)様にはわかりなさるめえ。
あっしも、伊吹の奴も、燕組の連中皆も、親父さんがいて下さらなかったら、産まれてきた事そのものを否定され、殺されていたんですござんすよ。
親父さんが喜んで下さる事でしたら、どんな小さな事の為にでも、このタマ、いつでも喜んで投げ出しやすぜ。」
里一の言葉を聞いてるのか聞いてないのか、純一郎は、書簡・書類に深く目を通すにつれ、次第に深刻な表情になってきた。
「それにしても、君、とんでも無いネタを掴んでくれたものだねえ。
特に、この誓詞血判状と名簿だよ。神領(かむのかなめ)の神職(みしき)や神漏(みもろ)、神使(みさき)に、これ程楽土の内通者や、間者達のなりすましが紛れてるとは…
確かに使い方によっては…私は、鱶見社領(ふかみつやしろのかなめ)どころか、神領(かむのかなめ)そのものすら動かせるようになるだろう。しいては、皇国(すめらぎのくに)を闇から動かせる力も得られる。
だが、その為に、君に死んで貰う事にしたら、どうするつもりだね…」
「ご随意に…
どうせ、親父さんがいて下さらなければ、この世に産まれてすら来なかった事にされていたんでござんす。」
「成る程…だか、君に死んで貰った後、私が今後赤兎を出さなくする為に動く保証はあるのかね?
いや、あの時は、河泉産土宮司(かわいずみのうぶすなつみやつかさ)でしかなかったから、神民道(じみんとう)に帰依する信仰心と正義感から、愛ちゃんの皮剥を阻止しようとしたが…いざ、最高権力が目の前にちらつけば、誰よりも積極的に皮剥を行おうとするかもしれんよ。爺じの奴にも死んで貰い、ここの兎神子(とみこ)達は、前の宮司(みやつかさ)以上に食い物にするかも知れん。」
「その時は、この僕が、親社代(おやしろだい)様を殺す。それだけの話ですよ。」
不意に、別の声が、二人の会話に割って入った。
「やあ、カズ君ではないか。」
純一郎は、満面の笑みを浮かべると、何処から持って来たのか、酒瓶を掲げて見せた。
「酔いは、すっかり冷めたようだね。どうだ、飲みなおさんか?コイツは、占領軍本国の酒で、バーボンとか言うんだよ。」
和幸は、何も答えず、冷たい光を帯びた眼差しを純一郎に向けた。
「なるほど…やはり、最初から酔ってなかったんだね。」
純一郎は、皮肉な笑みを浮かべると、差し出した酒瓶から、盃に注ぎ、グイッと飲み干して見せた。
「コイツは、うまい!うーん、感動した!」
和幸は、純一郎の言葉を聞き流し…
「拾里に、シーアイエーとか言う占領軍砦の間者がやたらと出没したのも、そう言う事…と、思っても良いのかな、里一さん。」
里一は、しばし沈黙した後…
「拾里…カズさん、貴方、その占領軍砦の間者、全て消しやしたね。」
「奴らに余計な事をかぎまわられては、長い時間かけて待ち続けた革命の日がご和算になるからね。
でも、今にして思えば、つまらん事をしたと思ってる。僕がやらなくても、貴方ががやってくれたでしょうからね。」
「そう…余計な真似…いや、あっしとしては、残念な真似をしてくれやした。菜穂さんを抱く手、希美さんを抱く手、血で汚して欲しくはなかったでござんすからね。」
そう言うと、咥えた楊枝を、ピュッと近くの壁に向けて吹き飛ばした。
「撤退か…」
和幸は、壁に突き刺さる楊枝を見つめて呟いた。
「お引きなせえ。今ならまだ間に合いやすよ。」
里一は、静かに嗜めるように言った。
「そうは、行かないさ。今度こそ、革命の日がやってくるんだ。
親社代(おやしろだい)様も、ここは一つ、腹を決めて頂けませんか?我等…」
「君達、紅兎と結び、革命とやらに加担する事をかね?」
純一郎は、和幸の言葉が終わらぬうちに言った。
「僕ならば、親社代(おやしろだい)様に革命の中心に立って頂く事も可能ですよ。」
「周恩来(チョーエンライ)…かね?」
「そう…父さんの力をもってすれば、親社代(おやしろだい)様を革命の中心に据えるだけでなく、この地が北の楽園同様の楽園に生まれ変わった暁には、指導者の一人に加わる事も夢ではありません。」
「それは、どうでござんしょう…」
不意に、里一が口を挟むように言った。
「酷な事を言うようですがね、その、周恩来(チョーエンライ)とやらは、もう、和幸さんを息子とは思ってはござんせんでしょう。」
和幸は、冷たい光を帯びた鋭い眼差しで、里一を睨め付けた。
「和幸さん、はっきり言いやすよ。おめえさんと、周恩来(チョーエンライ)との関係は、前の親社(おやしろ)様方…眞悟様方を、おめえさん方が始末されてしめえやした時、もう、終わってるのでござんすよ。」
「何故、そんな事がわかる?」
「現に三年程前…あなた方は殺されかけたではありませんか。」
里一が言うと、和幸は一瞬、怒りとも憎悪とも…或いは底しれぬ哀しみともつかぬ表情に顔を歪ませたが…
「あれは、毛沢東(マオツートン)に鞍替えした、奥平剛三が勝手にした事だ。
父さんとは全く関係ない…」
そう言うと、再び物静かな表情に戻り、鋭く光る眼差しを純一郎に向けた。
「まあ…あれだね…まずは、愛ちゃんを聖領(ひじりのかなめ)に引き渡さない算段からつけるかね。」
純一郎は、それまでの話を何も聞いてなかった、していなかったとでも言うように、バーボンの杯を傾け、書類・書簡に目を通しながら言った。
和幸は訝しげに首を傾げ、里一は表情を動かす事なく、見えぬ目を純一郎に向けた。
「こんな大それたご褒美を貰ったのなら、私としても謝礼をせねばなるまい。君達が今、一番望んでいるのは、愛ちゃんを引き渡さぬ事だろう?」
「御意…」
里一は静かに頷き…
「それと、愛ちゃんの子です。三年も辛酸を舐めた末に、あの子を産んだのですから、そのくらいの褒賞があっても良いでしょう。」
和幸は、一層、鋭く目を光らせて言った。
「それはできぬ相談だよ、和幸君。仔兎神(ことみ)の天降りは神民道(じみんとう)の神聖な神事。取りやめるわけには行かん。
だが…
神民道(じみんとう)をあるべき姿に正す為、汚らわしき皮剥と赤兎の兎弊は無くさねばならん。その第一歩として、まずは、愛ちゃんを聖領(ひじりのかなめ)へは、絶対に引き渡さん。
里一君、君から貰ったご褒美をどう使うかは、その後、検討したいと思うのだが…」
「よい、ご決断かと思います…」
里一は、何か言いかける和幸を制するように、大きく頷いて言った。
そして…
「親社代(おやしろだい)様…」
尚も口を開こうとする和幸の肩を掴んだ。
「和幸さん、おめえさんだって、内心もうわかっているでござんしょう?
もう、楽土も同盟紅軍も、紅兎など眼中にはござんせんことをね。
お引きなせえ…
おめえさんを、本当に必要としてなさる者達の為に、お生きなせえ。」
「引くものか…」
和幸は、静かに里一の手を払いのけると、鋭い一瞥をくれた。
「僕は、何としても革命を勝利に導き、父さんに会う。ナッちゃんと希美ちゃんを連れて、父さんと暮らす。希美ちゃんの病気を、楽土の医者に看せ、治して貰う。引けるものか…」
「もう一度、言いやすぜ。周恩来(チョーエンライ)は、おめえさんを息子なんぞと思っちゃござんせんよ。思っていたら、再三、同盟紅軍の軽信房江に助けを求めていたおめえさんを無視して、美香さんを見殺しには致しますめえ。」
里一の言葉に、和幸は更に鋭い一瞥を傾け何か言いかけたが、大きく息を吐くと、口を閉ざし、その場を去って行った。

兎神伝〜紅兎二部〜(27)

2022-02-02 00:27:00 | 兎神伝〜紅兎〜追想編
兎神伝

紅兎〜追想編〜

(27)黄河

和幸は、青霧島を刀掛けに置くと、また、菜穂と希美の寝顔を見つめた。
既に酔いは冷めている…
いや、厳密には、最初から酔ってなどいなかったのだ。
『頂きまちゅ、言えたよ…』
『ハーシ、ハーシ、美味ちいね…』
『我慢、我慢、お利口ね…』
『天麩羅貰った、天麩羅貰った…』
希美が、寝言を呟きながら、クスクス笑っている。
最近、以前のように夜泣きをする事も、オネショをする事もなくなった。
毎晩、どんな夢を見ているのか、いつも笑っている。
そんな希美を、菜穂が愛しそうに抱いて眠っている。
菜穂もまた、腕の中から赤ん坊が消える夢に飛び起きる事がなくなった。いつ目覚めても、必ずそこには子供の温もりと笑顔があり、決して消える事がなくなったからだ。
愛しい妻に、可愛い娘…
『お父さん!怒るなんて酷いじゃない!希美ちゃん、ちゃんといただきますも言えるようになったし、お箸で食べられるようにもなったのよ!』
『もう!何度言えばわかるのよ!希美ちゃん、身体(からだ)は十歳でも、中身はまだ三歳の子と同じなのよ!』
希美を叱る度に、食ってかかる菜穂の顔が過ぎる。
厳しい父に優しい母…
幼い頃…
こんなありふれた家族の光景に、どれ程憧れた事だろう。
特に、深い愛情に裏付けられた、厳格な父親の存在…
父が欲しかった…
ずっとずっと、父親が欲しかった。
『革命の日…』
窓を開け、遥か西の彼方を見つめて、呟いた。
和幸に故郷も故国もない。
故郷と呼ぶには、神領(かむのかなめ)は余りにも過酷であり、神領(かむのかなめ)の存在を黙認する皇国(すめらぎのくに)は、故国と呼ぶには余りにも冷酷であった。
もし、そう呼べるものがあるとすれば…
生まれて初めて、父親の温もりを教えてくれた、あの人の国…
『父さん…貴方の国にも、雪は降るのでしょうか?冷たい風が吹くのでしょうか?』
瞼に見える父の祖国に、雪もなければ冷たい風もない。
いつも朗らかな日が差し、人は皆、笑顔で田畑を耕し、漁に出かけている。
その笑顔の人々に貧富の差も身分の差も、男女の差もない…
皆、平等に働き、平等に富を享受し、平等に楽しみ歌っている。
そして、母なる黄河の大爆流…
穏やかな、それでいて何処か威厳に満ちたあの人が、豪快に笑いかけながら、自分の肩を抱いて、共に見つめている。
彼に会ったのは、まだ、一度しかない。
しかし、領外(かなめのそと)の者の潜入を一切認めない神領(かむのかなめ)に、ただ自分に会う為だけに命がけでやって来たと言う彼に、会った瞬間から、この人こそ自分の父親だと強く感じた。
『最後に一度だけ、私を父と呼んでくれないか…』
別れ際に爽快な笑みを傾けて、彼は和幸に言った。
『私には子がない。幸い、血が繋がらなくとも娘となってくれた子はいる。だが、息子を持つのが、私の生涯の夢だったのだ。』
和幸は、大きく頷き…
『父…父…父…さ…』
いざ、口にしようとすると、なかなか出てこない。
長らく夢見続けた父…
その父が、目と鼻の先にいる。
だのに、肝心の言葉が出てこないのだ。
『父…さん…』
ようやっと口に出てきた時、あの人は満面の笑みを浮かべて…
『もっと、大きな声で…大きな声で…』
『お父さん!』
和幸が声を張り上げると、あの人は思い切り抱きしめてきた。
想像していたより遥かに力強く、暖かかった。
何より、深い匂いがした。
『必ず、また来るからな。その時は、解放軍と共にやってくる。共に革命を実現させ、北の楽園にも匹敵する…いや、それ以上に美しい国を、この地に築こう。』
『はい!』
あの人と和幸は、互いに、大きく頷きあって、道を左右に別れようとした時…
『父さん…』
和幸は、もう一度振り返って、あの人を呼んだ。
『どうした、和幸。やはり、私と来てくれる気になったか?』
あの人も、もう一度振り返って、顔を輝かせた。
『いえ…』
和幸は、一瞬口ごもった後…
『革命の日が訪れたら…一緒に食事をして頂けませんか?』
『食事か。』
『はい!父さんと一緒に食事がしたい!』
『良いだろう。』
あの人は、更に顔を輝かせて言った。
『和幸、知ってるか?楽土にはな、黄河と言う大河があるんだぞ。』
『黄河?』
『海のように巨大な大河だ。地上に生きる全ての人類は、黄河の辺りで誕生した。黄河に育まれて豊かな文明を築きあげたのだ。
その黄河の辺りに小さな家を建て、小さな畑を耕し、その畑で出来たもので、料理をするんだ。
うまいぞ!楽土にはな、皇国(すめらぎのくに)では想像もつかない美味いものがたくさんあるんだ。腹一杯、二人で食おう!』
『はい!父さん!』
しかし、あの人は来なかった…
あと一歩で『革命の日』が訪れると思った日に、彼は来ず…
多くの仲間達が…
『何かの間違いが起きたのですよね…父さんは僕を裏切らない…
この次は…
この次こそは…
必ず、楽土の解放軍を率いて、迎えに来てくれるんだ…
兎神子(とみこ)達皆を解放し、この地を北の楽園以上の楽園にして下さるんだ…
ユカ姉さんと里一さんは晴れて夫婦になれる。アッちゃんはヒデと、茜ちゃんはマサと、みんな幸せに暮らせる。
愛ちゃんも聖領(ひじりのかなめ)に渡さずに済む。愛ちゃんが産んだ子も、見ず知らずの人に渡さずに済む。
何より…』
和幸は、スッと寝床に戻ると、菜穂と希美の頭を交互に撫でてやった。
二人ともよく眠っている。
『父さん…あの日、夢にまで見た父さんが出来て最高に嬉しかった僕が、今は父親になったのですよ。
父さんに見せたい…
僕の妻と娘を…
抱いて欲しい、父さんの孫娘を…
僕の父さん…
僕の妻…
僕の娘…
僕の家族…
みんなで暮らすんだ…
黄河の辺りで、小さな畑を耕しながら、みんなで暮らすんだ。』
心の中で呟きながら、希美と菜穂の頭を交互に何度も撫で回す和幸の脳裏に、また、同じ光景が過って行った。
息を呑むほど激しい大爆流…
全人類を生み出したと言う、凄まじいまでの大爆流…
母なる黄河の流れに圧倒される和幸達家族三人を、たった一度だけ会い、父と呼んだあの人の豪快な笑顔…
いつまでも消える事なく、過ぎり続けた。