サテュロスの祭典

神話から着想を得た創作小説を掲載します。

兎神伝〜紅兎〜(14)

2022-02-01 00:14:00 | 兎神伝〜紅兎〜惜別編
兎神伝

紅兎〜惜別編〜

(14)名前

成る程、菜穂が苦戦するわけだ…
和幸の作った箱車を組み立て直しながら思った。
明日は、出発。拾里に訪れる日が、再びあるかどうかわからない。
仮にあったとしても、今、ここで暮らしてる人々は、もう殆どいないだろう。
しかし…
小さな祭りの後、皆で設けてくれた送別の宴は楽しかった。
ご馳走の山に目を輝かせる希美の為、甲斐甲斐しく料理を取り分ける菜穂を囲んで、誰もが酒を酌み交わして笑っていた。
ちなみに、和幸は、最後まで一杯も呑む事が許されなかった。
誰かが側で呑み始めると、和幸もどさくさに紛れて一升瓶に手を伸ばしたが…
『駄目!』
菜穂が素早く横から奪い取り、鬼の形相で睨みつけた。
『そんなあ!お願い、ナッちゃん!一杯だけ!一杯だけ!』
『駄目ったら、駄目ーーーーっ!!!』
菜穂がどやしつけると…
『お酒を呑んではいけまちぇん!』
側で二人のやりとりを見ていた希美も、菜穂の顔を真似して、和幸を睨みつけた。
和幸が、菜穂と希美と同じ顔して睨まれて、すっかり肩を落とすと、周囲から爆笑の渦が巻き起こった。
『こりゃー、カズ坊も大変だー。』
『嫁の尻に敷かれる典型だわな。』
『まあ、精々、頑張れや。』
誰の目にも、惜別の涙はなかった。
また、日をおかずして会えるような、そんな明るさがあった。
そして、賑やかだった送別の宴は、誰からとなく順次席を立ち、静かに幕が閉じられた。
そして、和幸の作った箱車….
複雑に組み立てられた板をはずしたは良いが、背負子に組み直すのは、骨が折れそうだ。
やはり、和幸が起きるのを待つべきであったろうか…
しかし…
私は、どうしても、この手で組み直し、この背で、希美を背負ってやりたかったのだ。
ずっと、引き離される事を恐れ、和幸と菜穂にへばりついていた希美が、やっと私にだっこを求めて両手を差し出してきた。
満面の笑顔…
胸に抱いた時の小さな温もり…
愛が産んだ子を抱いた時とは、また違う感触…
不思議な愛しさ…
「おじいちゃん。」
振り向くと、百合が鼻にしわ寄せ笑いかけていた。
「誰がおじいちゃんだ?」
私が少し睨みつけてやると、百合はおどけたように、私の方に指を差す。
「相変わらず、不器用ね。」
百合は、私の隣に座ると、器用に箱車を組み立て直した。
「おいおい、余計な事するなよ。」
「何が余計な事よ。お兄ちゃんに任せたら、希美ちゃん落としちゃうわ。」
ついさっきまで、一枚の板を何処にはめ替えるのか右往左往していたのが嘘のように、箱車は瞬く間に背負子に変わって行く。
百合は小さな頃から、手先が器用で、母は何でも教え甲斐があると喜んでいた。
小さな頃…
母と並んで、切り絵をして遊んだ時を思い出す。
『お兄ちゃん、下手ね。』
百合は、よく、横から私の作りかけの作品を取り上げて、勝手に仕上げてしまったものだ。
切り絵だけではない。
一緒に料理を作った時…
薬草を振り分けたり、乾燥させたり、煮込んだり…
何をやらせても、一度で完璧に覚える百合は、全部私の作業を取り上げて、勝手に仕上げてしまうのだ。
しかし、あの頃…
いつも裸でいた百合の姿を思い出すと、胸がズキリと疼きだす。
「ほら、できた。」
百合は、私に完成品を得意げに披露すると、口を尖らせた顔を私の前に突き出し…
「そーんな顔しないの。希美ちゃんには、おじいちゃんが組み立てなおしたんだって、言ってあげるわ。」
ちょんと、私の鼻先を小突いて見せた。
『お母様に、おーこられた、おこられた…』
ふと、ケラケラ笑いながら言う百合の声が耳の奥底から響いて来る。
幼い頃…
百合は、初めて見た女の子だった。
いや…
女の子なら、周囲に白兎達がたくさんいたし、母に可愛がられていた彼女達は、私の事を弟のように可愛がってもくれていた。
ただ、女の子の身体(からだ)を目の当たりに見たのは、百合が初めてだったのだ。
『この子、百合ちゃん。今日から一緒に暮らす事になった、貴方の妹よ。仲良くしてあげてね。』
あの日、母に手を引かれてやってきた百合は、短いお下げを肩から垂らし、不安そうな眼差しを向けて、私の顔を覗かせていた。
『はい、母上。百合ちゃん、宜しくね。』
『はい、宜しくお願いします。お兄様。』
『お兄ちゃん…で、良いよ。ほら、お兄ちゃんって呼んでみて。』
私が、握手の手を差し出しながら言うと…
『はい、お兄ちゃん。』
百合は漸く安心したように、鼻に皺を寄せて笑いながら、握手の手を握り返してきた。
それにしても…
辛うじて身につける事を許された、短いお下げの飾り玉は、布切れ一枚身に帯びる事をを許されぬ百合の為に、母がつけてやったものだろうか…
赤兎とはよく言ったもので、後は何も着ていない赤裸な百合を見て…
『自分とは違うな…』
これが、率直な私の感想であった。
百合が赤兎と呼ばれる特殊な兎神子(とみこ)で、常に全裸でいる事、決して着物を着る事が許されない子である事は、共に暮らす事が決まった時に、母から聞かされていた。
しかし、実際目の当たりにし、共に暮らし始めると、何か不思議な違和感を覚えた。
自分も母も…
犬神人(いぬじにん)と呼ばれる身の回りの世話をする最下級の神職(みしき)達も…
他の兎神子達も…
汚物や塵の回収に訪れる、建物に入る事を許されぬ、河原者と呼ばれる賎民達ですら…
皆着物を着ている中で、一人だけ常に全裸で過ごす百合が、奇妙でもあれば、何か痛々しさも感じた。
特に、百合と暮らし始めて程なく真冬となった。
外は大雪に包まれても、何も着る事が許されぬどころか、蹲る事も、掛け物を掛ける事すら、身体(からだ)を隠すと言って許されぬ百合を見て、激しく胸が疼いた。
何も着る事は許されぬなら…
ある日、私はいつものように一緒に湯に入った後…
『お兄ちゃん、どうしたの?早く着物着ないと、風邪ひくよー。』
小首を傾げて顔を見上げてくる百合を、私は裸で立ち尽くしたまま、ジッと見つめた…
『さては、一人で着れないなー。仕方ないなー、私が着せてあげる。』
鼻に皺寄せ、戯けて笑いながら私の着物を拾いあげようとする百合を、意を決して抱きしめた。
『百合ちゃん、今夜は私も着物を着ないよ。』
『お兄…ちゃん…』
『此処で、こうやって寝よう。』
『うん。』
一瞬、戸惑いを見せた百合も、また鼻に皺を寄せて笑いながら頷いた。
何も着せてやる事も掛けてやる事もできないなら、自分も一緒に裸になって抱きしめてやる。
毎夜、母がそうやって、火元近くで一晩中、百合を抱いて暖めてやるのを見て、私もそうしようと決めたのである。
すると….
『お兄ちゃん、あったかーい。』
腕の中で、鼻に皺寄せクスクス笑う裸の百合を見た時、何とも言えぬ愛しさで胸がいっぱいになった。
同時に、直接肌から肌に伝わる異性の温もり…
何とも言えず、暖かで、柔らかで…
全身から漂う蜜にも似た甘い香り…
頭の中をくすぐり、眠気を誘うような、不可思議な感触に、くらくらしそうになった。
その時…
滅多に自分から訪れる事のない父が、突然目の前にやってきた。
私は、思わず背筋が凍るのを感じながら、一層、百合を強く抱きしめた。
腕の中の百合は、それ以上に蒼白となり、ブルブルと震えだした。
私と暮らす前から、父から田打を受けて、その恐ろしさを知っている。
そして…
雪が降る少し前、私が寒さに凍える百合に、半纏を掛けてやろうとするのを、父に見つかった。
父は、蒼白な顔をして激怒したかと思うや、着せた私ではなく、着せられた百合を激しく殴打したのである。
その時の恐怖を思い出し、百合は歯をカタカタ鳴らして震えて、私は腕の中の小さな宝物を守るべく、必死に抱きしめた。
すると、意外にも父は相好を崩し、私の頭をくしゃくしゃに撫でて来た。
『どうだ、直接肌で触れる女の感触は。良いもんだろう。』
私は、尚も百合を隠すように抱きしめながら、父を見上げると…
『ただ、そうやって抱いているのも良いがな…』
父は言うなり、私の腕から捥ぎ取るように百合を引き摺り出し、乱暴に私の前に座らせた。
『脚を拡げろ。』
父に頭を小突かれ命じられると、百合は震えながら、私の前で大きく脚を拡げた。
『さあ、顔を寄せてよく見ると良い。これが、女の身体(からだ)だ。』
私は、言われるままに、百合の股間に顔を近づけると、思わず生唾を呑み込んだ。
遠目には、毎日目にしていた、自分との形の違い…
しかし、目の当たりにして見ると…
この時、百合はまだ七つ…
股間を走る神門(みと)の縦線のワレメは、小指の先も入りそうにない程小さく、未熟であった。
それでも…
『ほーら、よーっく見てみろ。良い色してるだろう、見てるだけで、穂柱の先がゾクゾクするだろう。』
そう言って、父の指さきで押し拡げられる神門(みと)の奥は、まさしく生まれて初めて目にする女の参道であった。
薄紅色の亀裂の奥に隠された、白桃色の孔…
私は、何かに憑かれたように、百合の神門(みと)の奥に目を釘付けられると、父の言う通り、穂柱の先端が疼き出すのを感じた。
同時に、そこに触れてみたい、弄ってみたいと言う強い衝動に駆られた。
父は、そんな私の胸のうちを見透かすように…
『どうした、触っても良いんだぞ。百合はおまえに与えたモノだ。好きにしてかまわんのだぞ。』
そう言って、思わず父の顔を見上げる私に、また相好を崩して見せた。
私は、父の言葉に弾かれたように、衝動的に百合の神門(みと)に手を触れた。
表面はツルツルスベスベしているが、中はシットリと湿っていた。
百合は、既にこれから始まる事を察しているのか、硬く目を瞑ると、歯を食いしばり、顔を背けた。
私は、ややしばらく、指さきで、おっかなびっくり軽く小突いたり離したりを繰り返していたが…
『何してる、早く指を挿れてみたらどうだ。』
痺れを切らしたように父に言われ、意を決したように、指先を百合の小さな参道に挿れた。
刹那…
『ウゥッ!』
百合は、食いしばる歯の隙間から呻きを漏らし、顔を横に反らせた。
『百合ちゃん…』
私が、思わず躊躇して指を止めると…
『何してる、もっと挿れないか。』
父に急き立てられるように言われ、更に指先を挿れた。
『アァァーッ!』
百合は堪えきれなくなったように、父の腕の中で、身を退け反らせて、声を上げた。
『百合ちゃん!』
私もまた、百合のあげる声に恐れをなして指を引き抜くと…
『この馬鹿者が!』
父は声を張り上げて、思い切り百合を殴り飛ばした後…
『まあ、良いさ。今日はこのくらいにしておこう。』
私の頬を軽く叩きながら、そう言ってニィッと笑って見せた。
そして…
『こいつは、おまえに与えたモノだ。これからも好きな時に、好きなようにすると良い。触りたいところを触りたいだけ触れば良いし…
今みたいに指を挿れるもよし、何なら、小枝でも突っ込んで掻き回してみろ。面白いぞ。』
そう言い残すと、父はそのまま去って行った。
その日を境に、私は事ある毎に、百合を前に座らせると、身体(からだ)の隅々まで眺めまわし、触りまくった。
その頃は、まだ、それが性的な興味だと言う感覚はなかった。
ただ、自分と全く違う形をし、触れば不思議な感触のする、百合の身体(からだ)への好奇心から、そうしていた。
私がそうしたいと思う時、敢えて求める必要はなかった。
百合が本当は誰の子で、何処でどのように生まれて来たか知る者はいない。
ただ…
同じ赤兎でも、兎神家(とがみのいえ)に産まれたわけでもなければ、親の生活苦故に、初穂と玉串免除を目的に兎幣されたわけでもない。
親が重罪を犯した故に兎神家(とがみのいえ)に落とされ、その罪を購う為に皮剥された、穢畜(わいちく)の赤兎だと言う。
物心ついた時には、土牢に入れられ、全裸で鎖に繋がれ、父を初めとする神職(みしき)達の田打を受けていたと言う。
私が何となく百合の身体(からだ)を眺めまわし、触り始めると、百合は自ら前に座り、脚を拡げた。
顔は、田打を受ける時にはいつもそうしてるように、表情を固くして目を瞑っていた。
最初のうち、私はひたすら百合の身体(からだ)を撫で回し、神門(みと)を弄る時も、表面に触れるだけであった。
父の元で、最初に指を挿れた時、百合のあげる呻き声で、それがとても痛いのだとすぐに察し、決して同じ事はしまいと思っていた。
しかし、百合の身体(からだ)に触れる度に、穂柱の疼きは高まり、同時に挿れてみたいと言う衝動が強くなっていった。
私は、遂に衝動のままに神門(みと)に指を差し込んだ。
『ウゥッ!』
百合は、歯を食いしばり、必死に耐え始めた。
物心ついた時から、一言でも苦痛を訴えたり、泣いたりすれば、凄まじい仕置が待っていたからだ。
私は、最早、百合が呻きを噛み殺して耐えている事にも、目にいっぱい涙を溜めてる事にも気づかなくなっていた。
ただ、穂柱の疼きと衝動のままに、百合の参道の奥に指を差し込んでいた。
やがて、指先が何かコツコツしたものに当たり、それ以上奥まで入らなくなると、更なる衝動に駆られ、中で乱暴に掻き回した。
『アァァァァーーーッ!!!!』
百合は、遂に堪えきれなくなり、身を捩らせて声を上げた。
私は、最早、百合が泣き叫んでいる事すら、耳にも入らなければ、気づきもせず、夢中で掻き回していた。
『何してるの!』
不意に、母がやってきたかと思うと、いきなり私の手を叩き、頬を叩いた。
『百合ちゃん…』
驚き手を離す私は、この時になって初めて、百合が声をあげて泣いている事に気づいた。
同時に、激しい罪悪感と自身への嫌悪感に震えだした。
『何て事したの!百合ちゃん、可哀想でしょう!』
母は有無も言わさず、私の頬を何度も何度も叩き続けた。
いつも笑顔で、どんな悪戯しても笑って許してくれる優しい母が、激怒する顔を見たのも、この日が始めてだった。
その後、母は百合を撫で、優しく胸に抱いてやり…
『ごめんね。母様といる時は、我慢しなくても良いのよ。思い切り泣いて良いのよ。嫌な事は嫌だって言って良いのよ。本当にごめんね。』
百合と一緒に、声を上げて泣きながら言った。
それは、私がした事と言うよりは、いつも父達のしてる事に対してなのだと、随分経って初めて知った。
その後…
母に、罰として昼を抜かれ、境内の木陰でいじけて座っていると…
『お母様に、おーこられた、おこられたー。』
百合は突然、私の目の前にやってきて、鼻先を小突いて笑ったのだ。
『百合ちゃん…』
私が、何か言いかけると…
『はい、これ…』
経木に包んだお結を差し出してきた。
『私が結んだんだぞ。美味しいぞ。』
『うん!美味しい!』
私が、お結より先に漬物を一口頬張って言うと…
『だろ。ささ、漬物だけでなくて、お結も食べて。』
百合は、おどけたようにそう言って、クスクスと笑った。
そして、私が瞬く間に百合のお結を平らげると…
『お兄ちゃん、穂柱、まだムズムズしてる?』
『えっ?』
戸惑う私に、鼻に皺を寄せて笑い…
『良い事してあげるね。』
言うなり、素早く私の袴の前開きに手を忍ばせ、未だ膨張してる穂柱を引き出すと、慣れた手つきで揉み扱き出した。
『ゆ…百合ちゃん…』
『どだ、気持ち良いだろ?』
下半身から、次第に全身の力が抜けて行く私が、声にならぬ言葉を口にする代わりに、大きく頷いて見せると…
『もっと、気持ちよくしてあげるね。』
百合は言うなり、極限まで膨張して穂柱を、小さな口いっぱいに頬張り、中で先端をチロチロ舐め始めた。
『アァァッ…アァァッ…アァァッ…』
私は、疼く穂柱先端を擽る痺れるような感触に、次第に頭の中がふわふわと浮かび上がり、真っ白になって行くのを感じながら、いつしか喘ぎを漏らしていた。
百合は、そんな私を上目に見ながら、一層鼻に皺を寄せてニコニコ笑い、丹念に舐め回してゆく。
『ハァ…ハァ…ハァ…』
次第に上がる心拍数と、高鳴る鼓動…
へその辺りあらこみ上げてくる暖かな感触が、ゆっくりと穂柱に向かってこみ上げてゆき…
やがて…
『アァァッ!』
私が思い切り腰を浮かせ、声をあげると同時に、穂柱の先端から、百合の喉元に向けて解き放たれた。
「お兄ちゃん…」
百合は、不意に経木に包んだおにぎりを差し出した。
「私の結んだおにぎり、大好きなんでしょ。」
百合は、クスクス笑いながら言った。
おにぎりには、漬物も何品かついていた。それは、母の特性だった漬物だった。
「相変わらず、漬物から先に食べるのね。」
私が、経木を膝において食べ始めると、百合が言った。
「昔と何にも変わってないね。」
「百合ちゃん、母上の漬物の漬け方、まだ覚えていたんだね。」
私は、百合に答える代わりに言った。
「母様から教えて頂いた事、なーんでも覚えてるわよ。」
百合は、また、鼻に皺を寄せる。
「ほら。」
私が、おにぎりを胸につかえさせるのを見て、今度は、ドブロクの入った徳利を取り出した。
こちらも、母特製である。
「切り絵も、薬草や薬湯の調合も、怪我の治療も、赤ちゃんを取り上げるのも…」
百合は、母から教わった事を一つ一つ数え上げながら、ハタと思い出したように…
「そう言えば、赤ちゃんを取り上げるのだけは、お兄ちゃん、私より上手だったわね。
今でも?」
首を傾げる百合に、私は苦笑いする。
上手も何も…
今では、私の本職に近い。白兎達の産む赤子達は、皆、私が取り上げているのだ。
愛が産んだ私の子も、私が取り上げた。
早苗が、命と引き換えに産んだ子も…
「それと、もう一つ、覚えてるわ。それは、お兄ちゃんの…」
言いかけ、百合は急に口を噤んだ。
何を言いかけたかは、わかっている。
私の名であろう。
「ねえ、背負子も出来たことだし…
部屋で飲みなおさない?お兄ちゃんの好きだった、メザシと干しイカもあるわ。」
「いいね。」
私が頷くと、百合は呑み干された徳利を下げていった。
私は、百合の部屋の縁側に腰掛け、夜空を見上げる。
『僕は神職(みしき)になります…』
『あなたと共に戦いたい…』
もうすぐ、社領(やしろのかなめ)も山々も雪に閉ざされるだろう。
そして…
雪解けと同時に、多くの別れが待っている。
愛の産んだ子…
希美…
愛…
『美香ちゃんや希美ちゃん、トモちゃんやサナちゃん…
愛ちゃんのような子を、もう出したくありません。』
私と共に戦う…
和幸は、何か誤解してるに違いない。
『お惚けめさるな。貴方は今まで一人で戦ってこられた。』
私の戦い…
そんな立派なものではなかった。
いつか、兎神子(とみこ)達をこの手で守ってやりたくて会得した朧流居合術雫切り…
しかし、その腕を知られるや、父はむしろ真逆な事に利用した。
あの大戦後、領内(かなめのうち)にもわずかながら、人権と自由の思想が流れ込んできた。
四千年にも及ぶと言われる幽国神領(かくりのくにかむのかなめ)の歴史…
和邇雨一族の闇の歴史…
顕国天領(うつしのくにあめのかなめ)に朝廷が開闢されるより遥か昔から、皇国(すめらぎのくに)を動かし続けてきたその力を世界に及ぼすべく、占領軍を利用しようと画策した皮肉な結果だ。
和邇雨一族は、利用する相手、支配しようとする相手に、自分達が利用しよう、支配しようとしてる素振りを一切見せない。
いや…
実際、利用し支配したその後も、相手には、自分達の方が、彼らに利用され、支配されてるように見せかけるのだ。
占領軍に対してもそう…
悪しき軍国主義に従った前非を悔い、今は占領軍の国、洋上大鷲国(なだつかみのおおわしつくに)に伝わる民主主義なる教えを請うような素振りで近づき、惜しみない協力を提供してるように見せかけている。
占領軍は、喜んで和邇雨一族の支配階層の子弟に大鷲国に伝わる民主主義を吹き込んだ。
本当は、占領軍を研究して知り尽くし、逆に搦めとる為に、そうした筈だったのだ。
それが、まさか、多くの若き一族の子弟達が、その教えに感化されてしまったのは想定外であった。
そこに、更に想定外の事が起きた。
聖領(ひじりのかなめ)が、占領軍と結び、ある陰謀を企て始めるや、大鷲国と対立を深める国々が、多くの間者を神領(かむのかなめ)に送り込んだ。神領(かむのかなめ)の内情を探る為ではない。大鷲国に伝わる教えに感化された若者達と接触を図り、彼らに不穏な動きをけしかける為であった。
私に課された最初の使命は、その不穏な動きを起こそうとする者達の抹殺であった。
聖領(ひじりのかなめ)の陰謀が本格化し始めると、大鷲国の教えに感化された若者達ではなく、今度は父が不穏な動きを見せ始めた。
大鷲国では、この国の旧植民地における南北戦争の泥沼化に伴い、元首と元帥の対立がおきた。同時に、元帥が、聖領(ひじりのかなめ)と共に推し進めてきて陰謀を阻止するべく、元首側が間者を放ってきたのである。
元首側の間者は、父に接近した。兼ねてより、聖領(ひじりのかなめ)の支配権への野心を燃やしていた父に、謀反をけしかけたのである。
元首派勢力と手を結ぶ父と、元帥派と結ぶ聖領(ひじりのかなめ)との間に、水面下の対立が始まった。
私は、父の支配下にある朧(おぼろ)衆を率いて、聖領(ひじりのかなめ)が放つ童(わらべ)衆との闇の抗争に駆り出されるようになった。
私は、夜空に向かって、血塗られた手を掲げて見つめる。
この手で…
この手で…
「どれだけの人が、救われたのかな?」
いつの間にそこにいたのか、百合も、後ろから私の手を見上げて言った。
「私は、お兄ちゃんのこの手が好き。」
言いながら、盆に載せた銚子の酒を注ぐ。
「この手が、数え切れない人の命を救ったから…
自由を求める人達や、社(やしろ)の仕打ちに耐えきれず、逃げ出した兎神子(とみこ)達を、こっそり異国(ことつくに)に逃したのもこの手…」
「百合ちゃん、私は…」
「知ってるわ。爺社(おやしろ)様の命令で、お兄ちゃんに殺されたと言われる逃亡者達の多くは、異国(ことつくに)に逃がした事…
北の楽園に、逃がしてあげたのよね。」
「北の楽園…亮の奴、どうしてるだろう…」
北の楽園の噂が流れたのは、旧植民地における南北戦争も終わりに近づいた頃…
南北に別れた旧植民地北部が、そう呼ばれて、自由を求める若き一族達の間で憧れの的になった。
あの頃…
自由と人権の思想に目覚めた一族の若者達は、親の命じるままに弄ぶ兎神子(とみこ)達を、本気で愛する者達が増え始めた。
兎神子(とみこ)達も、彼らを慕うようになり、互いに愛し合う者が増えていった。
しかし、神領(かむのかなめ)で結ばれる事は決して許されるものではない。それは、死を意味した。兎神子(とみこ)の方が…で、ある。
見せしめに、一族の若者達の目の前で、恋する兎神子(とみこ)達を何十人もの荒くれ達に陵辱させたあと、残忍極まりない方法で嬲り殺しにした。
そんな時…
身分や階級による差別も区別も何もない国…
男女の差別や区別もない国…
皆が共に仲良く学び、働き、豊かになる国…
そこでは、当たり前に、一族と兎神子(とみこ)が結ばれる事が許される…
そんな、北の楽園の噂が広まっていたのである。
そして、北の楽園は、祖国を守り、大鷲国に奪われた南の分離国を解放するべく立ちあがろうとしているとも…
兎神子(とみこ)達は、その国で愛する人と結ばれ、誰にも取り上げられる事のない子を産み育てる事を夢見るようになった。
自由を愛する一族の若者達は、恋する兎神子(とみこ)と結ばれる為ではなく、そんな美しい国を守る為に自分達も戦いたいと言う熱い思いを抱き、その楽園に向かう事を切望するようになった。
果たして、その国が本当に楽園であったかどうかはわからない。
しかし、彼らがそんなに夢見る国なら、そうであって欲しいと私も思う。
どうせ、神領(かむのかなめ)にいる限り、なんら望みはない。命掛けで神領(かむのかなめ)を脱出したとしても、裏で一族と通じてる皇国(すめらぎのくに)にいる限り、死ぬまで追われ、いつかは殺される。
皇国内(すめらぎのくにのうち)の領外(かなめのそと)に出すわけには行かぬが、楽園に向かう手助けは、辛うじてできなくもなかった。
何故か、優秀な一族の若者達を、楽園が欲しがっていた。
厳密に言えば、楽園の後ろ盾である楽土の首相が欲しがっていたのだ。
確か、名を周恩来(ちゅうえんらい)と言っていた。
彼の送り込む間者達が、白兎と恋に落ちる一族の若者達に、北の楽園に行こうと勧誘していたのである。
そして、その間者の一人である、孫維世(すんうぇいし)なる女性が、親友の亮を介して、頻繁に私と接触するようになった。
当初は、百合を聖領(ひじりのかなめ)から救出して共に連れて行くと言って、私に来るよう誘う為…
私が、百合だけではなく、総宮社(ふさつみやしろ)の兎神子(とみこ)達全員を連れて行かねば行かぬ事を知ると、北の楽園に行きたがる若者達を引きぬかせる為であった。
『お前も一緒に行こう!共に楽園を守り築く為に戦おう!』
幼い頃からの友人だった、亮の熱い眼差しを思い出す。
『百合と一緒になりたいんだろう!だったら、聖宮社(ひじりつみやしろ)から奪い返して、一緒に楽園に行こう!力になるぞ!』
彼は、今、どうしてるのだろう…
耳の聞こえぬが故に、殺される運命の我が子を抱いた白兎を連れて、彼は楽園に向かって行った。
あの白兎と結婚できたのだろうか?
耳の聞こえないと言う赤子を、自分の子供に出来たのだろうか?
「暗面長(あめんおさ)として隠密御史を率いていた頃は、神領(かむのかなめ)の為と言うより、兎神子(とみこ)達を守る為に注連縄衆と戦ってきた…
鱶背本社(ふかせのもとつやしろ)…だったっけ?注連縄衆を取り締まる為に駐留していた頃は、神職(みしき)達との軋轢に耐えながら、社(やしろ)の兎神子(とみこ)達の扱いを少しでも良くしようとしてきた。
今の社(やしろ)の親社(おやしろ)様になってからは、兎神子(とみこ)達の体を気遣い、美味しいものを食べさせたり、年頃の子達らしく遊ばせてあげたり…
それに、恋もさせた…
何より、ここの人達を、十年もの間守ろうとして来たわ。」
私は、何も答えず、盃の酒を一気に呑み干した。
「母様も、お兄ちゃんの手が大好きだった。私が望んだように、優しい子に育ってくれた、思いやりのある子に育ってくれた…
その名前に込めた願いの通りに…」
百合は言いかけ、酒を盃に注ぐ手を止めた。
「ごめんなさい…」
「良いんだよ。」
私は、自分で酒を注ぐと、また一気に呑み干した。
私の名…
何と言う名であったかとっくに忘れている。
初めて父に刺客を命じられたのは、十五の時…
相手は、親友だった男であった。
以来、私は名乗るのをやめた。自分を消したかったからだ。
いや…
その前から、私はずっと自分を消したいと思い続けていた。
初めて、百合の口に白穂を放って以来…
『お兄ちゃん、また、良い事してあげるね。』
百合は、私が疼き出すのを見ては、素早く袴の前開きから穂柱を引き出し、舐めてくれるようになった。
『どだ、気持ち良いだろう。』
『ああ、とっても気持ち良いよ。』
最初のうちこそ戸惑っていた私も、次第に百合にされる事になれもすれば、楽しみにもなり、ごく普通に笑って頷くようになった。
『それじゃあ、もっと気持ち良くしてあげるね。』
百合も、私の疼きを慰めるのが嬉しくもあれば、楽しいとでも言うように、鼻に皺を寄せてクスクス笑いながら、丹念に舐め回した。
『アァァ…百合ちゃん…出るよ…出る…出る…出る…アァァ…』
私は、毎日、何回百合の口の中に放った事だろう。
物心ついた頃。
まともな食事は一切与えられず、哺乳瓶代わりに穂柱を咥えさせられてきたと言う。
ミルクの代わりに飲まされ続けてきた白穂が、食事の代わりであったと言う。
百合は、私の放つ白穂を、一雫も吐きだす事なく飲み干した。
それどころか、尿道の中が空になるまで丹念に舐め、吸い尽くした。
その度に、百合の口腔内と舌先の温もりに安らかな心地よさを覚え、白穂を放ち尽くす度に、何か生まれ変わったように身も心もすっきりするものを感じた。
しかし、そんな百合との楽しい秘事も、やがて苦悶に満ちたものに変わる日が訪れた。
『クククク…おまえも、いつの間にか、男の悦びを知るようになっていたんだな。』
ある日、いつものように私が百合に穂柱を舐めて貰っているのを見つけると、父はそう言って、ニンマリと笑って見せた。
そして…
『口の中に放つだけでは、物足りまい。』
父は言うなり…
『さあ、来い!』
『嫌っ…嫌っ…嫌っ…』
『来るんだ!』
私や母と暮らす平和な日々の終わりを知り、忽ち啜り泣いて尻込みする百合の手を掴み、引き摺るように連れ出すと…
『もっと気持ち良い事を、たっぷり教えてやるぞ。』
私について来るよう促した。
その日から…
父に命じられるままに、百合をこの手で陵辱する日々が始まった。
田打と称して、姉のように可愛がってくれた白兎達を陵辱させられるようにもなった。
私は、この手で、百合や白兎達を凌辱する度に、自分もまた汚れてる事を感じ、存在そのものを消したいと望むようになっていった。
そして、十三の時…
一番可愛がってくれた白兎の夏美が産んだ子を、盲目を理由に、彼女の目の前で殺す事を命じられた。
この手で殺さねば、生きながらに、鱶に食わせると迫られた。
あの日から、私はもう、自分の生きる価値を感じなくなってしまったのだ。
「母様、泣いてらしたわ。」
「母上が?」
「忘れた?久し振りに此処に来た時…母様、お兄ちゃんの名を呼ぼうとしたのよ。でも、お兄ちゃん、露骨に拒絶したから、『おまえ…』って呼んだわ。でも、あの後、私があの子につけたのは、『おまえ』なんて名じゃないって、物凄く泣かれたのよ。」
そんな事もあった気がする。
確か…
拾里が正式に人体実験の場から、療養所となった日だった…
私の願いで、ここの医師(くすし)を務めてくれた母が、百合と共に必死に治療法を見出そうとしてきた、その疫病に自分が侵されてしまった。
その母を見舞った時だった気がする。
そして…
あれが、母と会った最後だった。
「ねえ…
やっぱり、孫って可愛い?」
百合は、不意に話題を変えて聞いてきた。
「孫って、誰だよ。」
私が、酒を吐き出して言うと、百合はまた、鼻に皺を寄せて笑った。
「勿論、希美ちゃんでしょう。おじいちゃん。」
「だから、よせって。私はおじいちゃんでもなければ、希美ちゃんは孫でもない。私はまだ、四十代だぞ。」
「それを言うなら、ナッちゃんはまだ十五でしょう。カズ君は二十歳になったばかりだしね。」
「それがどうした。二人が若くして親になったからって、何故、私がおじいちゃんになるんだよ。」
「だって…」
百合はまた、酒を注ぎながら言った。
「あの子達、自分の子供のように思ってるんでしょう。」
私は、杯を置き、つまみのメザシを噛みながら、押し黙った。
「見てれば、わかるわ。お兄ちゃんが、あの子達を見る目、あの子達が希美ちゃんを見る目と同じだもの。」
私の子達…
私は親…
馬鹿な…
親が息子や娘に、あんな真似をさせるものか…
「そろそろ、あの子達にも、お母さんが必要なんじゃない。」
私は、また、吐き出した。
「おいおい、何を藪から棒に…」
「そろそろ、お嫁さん貰えば良いのに…」
「嫁?」
「そう…将来、カズ君とナッちゃんを本当の夫婦にしてあげたいんでしょ?でも、その前に、お兄ちゃんがさ…」
「嫁など…」
言いかけ、また、愛と抱き合った日々を思い出す。
安らかだった日々…
深く眠れた日々…
愛の中に放つ度に、暖かなものが全身を包み込むのを感じた日々…
八年後…
二十歳になった愛を、もし妻にできたなら…
あの日々が、一生続く…
そして…
あの日々で産まれたような赤子達を何人ももうけて…
駄目だ…
嫁を貰って、どうしろと言うのだ…
できた子が男なら…
父が私にさせた事を、今度は、私が息子にさせろと言うのか…
「ねえ、お兄ちゃん…」
私は、みなまで言わせず、百合と唇を重ねた。
「お兄ちゃん…」
百合は、唇を解放されると、急に赤面して、肩を窄めた。
「私には、もう好きな人がいる。それは、百合ちゃんが一番よく知ってる筈だ。私は、その人以外、嫁にする気も、抱く気もない。」
私は言うなり、また、百合と唇を重ね、その唇を更に百合の頸に這わせていった。
百合を抱く手で、ゆっくり帯を解きかける。
「お兄ちゃん…私、病気なのよ…」
「それがどうした…」
「お兄ちゃんにも感染るわ…」
「かまうものか…」
「母様の調合してくださった薬で辛うじて進行を食い止めてるけど…いつ、鼻が落ち、顔が溶け崩れるかわからないのよ…」
「関係ない。君はそれでも美しい…」
「違う!お兄ちゃんが…」
「私なら、顔が溶け崩れる前に、心が熔け崩れてる。今更…」
言いながら、私は、着実に百合の着物を脱がせていった。
百合も、金縛りにでもかかったように、敢えて抵抗はしない。ただ、涙を溢れさせている。
病気に侵された体…
しかし、豊かな胸の膨らみが露わになった時、思わずむしゃぶりつく私は、美しいと思った。
「痛い…」
百合は、不意に、呟くように言った。
「すまん…乱暴するつもりはなかったのだが…」
「違う…」
私が済まなそうに手を止めると、百合はニッコリ笑って言った。
「違うの…私の参道、もう病気でボロボロなの。だから、穂供(そなえ)をされると凄く痛いの。」
「百合ちゃん…」
「それでも、どうしてもしたいなら良いよ。させてあげる。でも、私、もう昔みたいに我慢強くないの。大声出して、泣いちゃうかも。泣いても良い?」
私は、一つ吐息をつくと、脱がせた着物を着せてやり、百合から手を離した。
「お兄ちゃん、やっぱり優しいね。」
「百合ちゃんは、相変わらず狡いんだな。」
私が言うと、百合はクスクス笑いだし、私も一緒に笑いだした。
そして…
「ねえ、お兄ちゃん。穂柱、まだムズムズしてる?」
「えっ?」
私が思わず百合の顔を見返すより早く、百合は素早く袴の前開きに手を忍ばせると、案の定、膨張している穂柱を引き出した。
そして…
「良い事、してあげるね。」
百合は言うなり、慣れた手つきで揉み扱き出した。
なるほど…
そう言う事か…
「どだ、気持ち良いだろ?」
私は、あの時のように戸惑う事はなく、大きく頷いて見せると…
「もっと、気持ちよくしてあげるね。」
百合は言うなり、極限まで膨張して穂柱を、口いっぱいに頬張り、中で先端をチロチロ舐め始めた。
あれから…
百合はどれ程の男達に身体を開いてきた事だろう…
百合はどれ程の男達の穂柱を受け入れてきた事だろう…
まだ七つだった、あの頃。
既に、かなり仕込まれていたとは言え、百合の舌使いは何処かぎこちなさがあった。
それが、今は熟練しきっている。
「アァァッ…」
百合の口に穂柱が受け入れられた瞬間から、私は忽ち腰を浮かせて喘ぎを漏らしていた。
「アァァッ…アッ…アッ…アァァッ…」
今にもイキそうになっては緩められ、少し疼きがおさまりかけては丹念に舐め…
まるで、蛇の生殺しのように延々と穂柱の先端と茎を行き交う百合の舌先…
しかも、同時進行で、巧みに蠢く百合の指先は、優しく穂袋を撫でたり揉んだりを続けている。
それでいて…
「アァァッ…アァァッ…アァァッ…」
喘ぎ身悶えする私を、上目に見ながら、鼻に皺寄せて笑うその笑顔は、あの日々と同じ初々しさと、あどけなさがあった。
『おーこられた、おこられたー。お母様に、おこられたー。』
目を瞑れば、あの日の可愛い声と悪戯っ子のような笑顔が蘇って来る。
「百合ちゃん…百合ちゃん…ゆ…り…」
頭の中がふわふわと浮かび上がり、真っ白になってゆく感覚…
「ハァ…ハァ…ハァ…」
次第に上がる心拍数と、高鳴る鼓動…
へその辺りあらこみ上げてくる暖かな感触が、ゆっくりと穂柱に向かってこみ上げてゆき…
やがて…
「アァァッ!」
私が思い切り腰を浮かせ、声をあげると同時に、穂柱の先端から、百合の喉元に向けて解き放たれた。
夜もいよいよ更けてゆく。
私達は、一つの布団に肩を並べて横になった。
もう、百合を抱こうとは思わない。
ただ、こうして肌を寄せ合うだけで、安らかな気持ちになる。
愛に抱かれて眠りについた時のように…
きっと、今頃、和幸と菜穂も、同じ安らぎを味わっているのだろう。
これで、私と百合の間にも、希美のような子供の一人もいたならば…
愛との間にできたような赤子の一人でもいたならば…
『あの子達、自分の子供のように思ってるんでしょう?』
百合の言葉が蘇る。
同時に…
菜穂が、真ん中に寝ていてくれたら…
百合と二人で、子守唄の一つも歌ってやれたら…
きっと、どんなに安らぐかと思った。
しかし…
不意に、今度は、和幸が私達の真ん中に…
想像した瞬間…
「お兄ちゃん、何笑ってるの?」
百合が、吹き出す私の顔を覗き込む。
「いや、何でもないさ。何でもないんだよ…」
私は、百合の頭を撫で、天井を見上げながら、社(やしろ)で、和幸や菜穂達と過ごした日々を振り返る。
あの子達が、私の子達…
考えた事もなかった。
ただ…
いろんな事があった。
いろんな事があるうちに、本来の使命を忘れてしまっていた事もたしかであった。
『鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)に注連縄衆が?あり得ません…』
『だろうな…鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)と言えば鱶背本社領(ふかせのもとつやしろのかなめ)のすぐ隣…つい最近、お前達朧衆が虱潰しに洗い出し、注連縄衆を皆殺した社領(やしろのかなめ)の近辺に、奴らが潜んでいて気づかぬ筈がない。
あの日…
突然、私を呼び出した父は、いつもの酷薄な笑みを浮かべて言った。
『では…何故、鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)に注連縄衆が現れた…などと?』
『正確には、注連縄衆が…ではなく、異様な殺人事件が起きたのだ。』
『ならば、私ではなく、神漏(みもろ)達の管轄でしょう。鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)なら、確か…河曽根組の管轄。』
『その河曽根組がやられたのだ。
それも、宮司(みやつかさ)直属の精鋭十余名…悉くやられたのだ。あの、河曽根組組頭鋭太郎もな。』
『河曽根組の鋭太郎が…』
『そう…眞悟の稚児、鋭太郎がな…』
父は、些か侮蔑するように目を細めた。
『同時に、権禰宜(かりねぎ)二人が木に首を括り殺され、宮司(みやつかさ)と残りの禰宜と権禰宜(かりねぎ)が姿をくらました。まあ、殺されたのだろう。』
別に、同情の気持ちは湧かなかった。
男色で鳴らした眞悟宮司(しんごのみやつかさ)が、日頃、兎神子(とみこ)達に残忍な仕打ちをしてる事は知れ渡っていた。殊に、赤兎を苛めに苛めぬいた挙句、死に至らしめたと言う話は、記憶に新しい。
死んで当然…
そう言ってしまえば語弊があるが…
あのような人物が、宮司(みやつかさ)として優雅に暮らしながら、これまで、父の命令で殺めてきた人々が、何故死ななければならなかっなのかと言う思いは常にあった。
『童どもが、この件で動き出してる。』
父は、一層、目を細めて言った。
『童衆が?何故…』
『この件に絡んでか否かはわからんが…
二人、行方をくらませた。それも、義隆めを探っていた二人がな。』
私は、漸く事態が飲み込めた。
従兄弟の義隆は、東堂鱶原家(とうどうふかはらのいえ)の者でありながら、占領軍の持ち込んだ思想に傾斜していたのだ。殊に、兎弊の因習を強く批判し、赤兎の扱いは人権を踏み躙る行為だと、真っ向から反発していた。
それが災いし、赤兎に着物を着せると言う禁忌を犯し、東洋水山地に追放されたと言う。
その義隆を探っていた童衆が行方をくらませると言う事は…
『ところで…紅兎(べにうさぎ)の事を聞いた事はあるか?』
父は、不意に煙管で灰吹を叩きながら、話題を変えた。
『紅兎…兎神子(とみこ)を虐げ、領民(かなめのたみ)を搾取する神職(みしき)や神使(みさき)、神漏(みもろ)達を、闇から闇に葬り、義賊と噂される…』
私が言いかけると…
『そう、その紅兎だ。』
父は、新たに葉を替えた煙管を吸いながら、満足そうに頷いて見せた。
『しかし…実際に紅兎に殺害されたと言う者達は存在せず…
紅兎の正体どころか…存在の真偽すら不明とか…』
『確かに…奴らに殺害されたと言う者達の話は、わしも聞かん。
されど…』
父は、一瞬、次の言葉を慎重に選ぼうとでも言うように目を瞑り、ゆっくりと煙を吐き出した。
そして…
『されど?』
『妙に性格や物言い、顔つき目つきが変わったと噂される者達の噂は耳にしておる。』
『それと、紅兎とどう言う関係が?』
『そ奴らの物言いは、何故か皆、楽土訛りが見られるとか…
それと、周恩来(ちょうえんらい)…』
私が、その名を耳にするや目つきが変わるのを見ると、父はますます満足そうに大きく頷いて見せた。
『そう、おまえも良く知っている、あの周恩来(ちょうえんらい)が、紅兎の後ろで糸を引いていると…まあ、専らの噂だよ、噂…』
『まさか…今度の異様な殺人事件とやらも?』
『まあ、あり得ん話ではなかろう。何しろ、消されたのは、あの男好きの眞悟だ。』
父は、眞悟の名を口にする時だけ、何故か露骨な嫌悪を滲ませながら、また、煙管で灰吹を叩いた。
『して…
その紅兎と思しき下手人を割り出し、私に消せ…と?』
私もまた、何処か意図的に露骨な嫌悪を滲ませた眼差しを向けると、父は意にも介さぬとでも言うように、ニンマリ笑って、大きく首を振った。
『では、どうせよと?』
『まずは、下手人が紅兎がどうか確かめよ。
もし違っていれば、速やかに消せ。
もし、わしの見立て通り、紅兎なら…』
『紅兎なら?』
『おまえの配下にせよ。』
『私の配下に…』
『そうだ…
あの鋭太郎を瞬殺し、童衆二人を消した…
それだけでも、相当の手練れ…
その上、背後に周恩来が潜む、噂の紅兎ともなれば…
使えるとは思わんか?』
忽ち、私の胸に、更なる嫌悪感が湧く。
顕国天領(うつしのくにあめのかなめ)が、帝国と名乗る時代が訪れて以来…
和邇雨一族の利権の多くを、聖領(ひじりのかなめ)に奪われた。
軍部が新天地と楽土北部を拠点に植民地を広げると、楽土に闇の勢力を有する聖領(ひじりのかなめ)は、軍部と結んで巨万の富を得ると同時に、皇国(すめらぎのくに)における神領(かむのかなめ)の利権も掠め取った。
父は、兼ねてよりその利権の奪取奪還を狙っていた。
戦後…
帝国が崩壊するや、聖領(ひじりのかなめ)は占領軍の国…洋上大鷲国(なだつかみのおおわしつくに)の元帥と結び、その陰謀に加担するようになった。
これを苦々しく思っていた、大鷲国の元首は、聖領(ひじりのかなめ)と対立する父に目をつけた。
大鷲国の元首は、旧植民地における南北戦争の利権…及び、今後、東亜における大鷲国が介入するであろう全て紛争の利権を、聖領(ひじりのかなめ)ではなく、神領(かむのかなめ)の総宮社(ふさつみやしろ)に回す。この条件のもと、聖領(ひじりのかなめ)と元帥派の陰謀を駆逐するよう求めたのである。
ここに、兼ねてより燻っていた、聖領(ひじりのかなめ)と総宮社(ふさつみやしろ)の水面下の抗争が激化した。
その為に、どれほど、私の配下である朧衆が命を落としたか…
『いずれ、お前は神妣宏典(かぶろみあつのり)の奴を葬り、聖宮司(ひじりのみやつかさ)の座を奪う男だ。その時…配下にしておいて損はない。』
『して、朧衆のように、皆、使い捨てになさると…』
『いかんか?』
父は、実に不思議なものでも見るように私を見つめて、首を傾げた。
『まあ…
しかし、これほどの手練れの刺客…しかも、周恩来が糸引くともなれば、早々、使い捨てるには惜しいさ。聖領(ひじりのかなめ)の利権を奪った後は、大鷲国(おおわしつくに)に取り入るにしても、大鷲国(おおわしつくに)に対立する楽土や明星国と渡り合うにしても、飼っておいた方が良い。』
『飼う…のですね。』
『随分と絡むんだな…まあ、良い。
明日から、お前は、鱶見本社(ふかみのもとつやしろ)の宮司(みやつかさ)だ。』
『私が…宮司(みやつかさ)…』
私が思わず目を見張らせると…
『そう、宮司(みやつかさ)だ。権宮司(かりのみやつかさ)でもなければ、禰宜や権禰宜(かりねぎ)でもない。嫌か?』
私は何も答えず俯き、拳を握りしめた。
父は、そんな私を見下ろすようにして見つめながら…
『社(やしろ)の兎どもは、お前の好きにして良いぞ。』
ニィッと笑って言った。
『社(やしろ)の兎神子(とみこ)達を…』
私が思わず顔を上げて父に向けると…
『お前、兎達に子供らしい暮らしをささてやりたかったのだろう?』
父は、カラカラ笑いながら言った。
そして、私の側に寄り肩に手を乗せると…
『甘ーい菓子や、可愛い玩具を買ってやり、たくさん遊ばせてやるもよし。小遣いを持たせて、欲しいものを買わせてやるもよし。
今まで、前の宮司(みやつかさ)に苛めに苛め抜かれてきた兎達…たーんと、可愛がってやれば良い。』
耳元近く口を寄せて囁きかけた。
『但し…社領(やしろのかなめ)の連中にたっぷり抱かせて、うんと孕ませろ。その上でなら、お前の好きにして良いぞ。』
私は、思わず両手をグッと握りしめ、全身を戦慄かせた。
『行って、くれるだろうな?紅兎を探り出し、殺すんじゃーない。配下として、手塩にかけてやれば良いのだ。お前の朧衆のようにな。』
ふと、隣に目を向けると、百合は寝息をたてていた。
同時に…
隣の部屋からは、菜穂の甘えるような喘ぎが微かに漏れ聞こえてくる。
あと五年…
あと五年…
私が知らぬ顔をしてやれば、あの二人は晴れて夫婦になれる。拾里の看護人(みもりにん)にすれば、子を産んでも、兎神子(とみこ)にせずに済む。
『あなたと共に戦いたい。』
和幸の言葉が、また、脳裏を過ぎってゆく。
翌早朝…
「皆さん、本当にお世話になりました。短い間でしたが、本当に楽しかったです。」
出発に先立ち、菜穂はもう一度、見送る拾里の一人一人に頭を下げた。
「なんのなんの…こっちこそ、ナッちゃんが来てくれたおかげで、楽しかったよう。」
「それに、希美ちゃんも元気になったし…何より、優しいお父さんとお母さんができたしな。」
「希美ちゃんも、お父さんやお母さんと仲良く、良い子にするんだぞ。」
拾里の人々が口々に言うと、希美は、私の背負う背負子の中で、ニコニコ笑った。
「親社(おやしろ)様も、お気をつけて。」
「また、いつでも、遊びにいらして下さい。」
私は、何も言わず頷いた。
「カズ坊も、ナッちゃんと希美ちゃんに、優しくしてやるんだぞ。トモちゃんには、時々なんか叱りつけて泣かしとったけど…ナッちゃんや希美ちゃん泣かしたら、ダメだぞ。もし、泣かすような真似したら、このシゲ婆が、とっちめてやるでな。」
「はいはい、よくわかってますよ。」
和幸は、拳を振り上げるシゲに、頭を掻きながら頷くと…
「その心配はあるめーよ。カズ坊は今から尻に敷かれっぱなしだー。」
「大好きな酒も取り上げられてなー、昨夜も泣きっぱなしだー。」
誰かがそう言うと、皆は一斉に笑いだした。
やはり、惜別の涙はない。
もう二度と会えない侘しさもない。
ただ、束の間楽しかった日々の思い出と、今日と言う日、共に過ごせる喜びと笑いだけがある。
「希美ちゃん、元気でなー。」
「カズ君、ナッちゃん、いつまでも仲良くしろよー。」
「親社(おやしろ)様、いつもいつも、幸せを祈ってますよー。」
いつまでも、いつまでも、姿が見えん限り見送る人々の声…
もう二度と聞くことのない声なのに、私も何故か悲しみより、暖かいものばかりが胸に込み上げてくる。
「爺じ、爺じ…」
背中で、希美が私の首に抱きついて、嬉しそうに言う。
百合の奴だな…
希美に変な事を吹き込んだのは…
少し後ろでは、和幸と菜穂が、何か言い争いを始めていた。
「オシッコがついてたぞー、あー、臭い臭い。」
和幸が、大げさに手のにおいを嗅ぎながら言うと…
「ついてません!私、ちゃんと拭いたし、お風呂でも洗ったわ!」
「いいや、オシッコでびしょびしょだったぞ。」
「もう!カズ兄ちゃんの意地悪!シゲさんに言いつけるわよ!」
希美は、二人のやり取りを、心配そうに見つめ出した。
「大丈夫だよ、あれは、仲の良い証拠だ。さて、社(やしろ)についたら、爺じと何して遊ぼうかね。」
言いながら、自分でも爺じと言ってる事に気付き、『アッ…』と、口を開けると、希美がクスクス笑い出した。
和幸は和やかに幸せに暮らせるように…
菜穂は、実り豊かな菜や穂の中で、飢えを知らずに暮らせるように…
それぞれの親が、和幸、菜穂と名付けたと言う。
希美には、もともと名前に当てる字はなかったと言う。キミと言う名を、本当の親がつけたのか、誰がつけたのか、その名になにがしかの意味が込められていたか否かもわからない。気づいた時は、そう呼ばれていたと言う。
そのキミと言う名に、希美の字を当てたのは、百合であった。
希望に満ちた美しい人生を生きられるようにと…
そして、私は…
人に優しくあるように…
思いやりのある人に育つように…
母の強い願いが込められた名…
思い出せない…
どうしても、思い出せない…
私の名は…
私の名は…
いや…
思い出す事を拒絶してしまっている…
「わかった、わかった…オシッコで濡れてませんでした。ちゃんと、拭いて、お風呂でも洗って、綺麗でした。」
「宜しい!わかれば良いんです。わかれば。」
いつの間にか、和幸が折れて、菜穂と仲直りをしている。
「だから、社(やしろ)に戻ったら一杯だけ…」
「ダーメッ!お父さんには、絶対お酒は呑ませません!ねえ、希美ちゃん。」
菜穂が、私の背中の希美に言うと…
『お酒を呑んではいけまちぇん。』
希美は、また菜穂と同じ顔して和幸を睨みつけていた。
『あなたと共に戦いたい…』
『紅兎を割り出し、殺すんじゃーない。配下にして、手塩にかけてやれば良い。お前の朧衆のようにな…』
和幸と父の声が頭の中で交差する。
『私は、あの子に『おまえ』なんて名をつけてない…『おまえ』なんて名をつけた覚えないわ…』
和幸に、私のように自分の名を忘れさせたくない…
和幸の名を、私のように『おまえ』などと言う名になどしたくない…
やがて…
山道深く分け入ると、漸く拾里の人々の声が聞こえなくなった。
皆、それぞれの暮らしに戻ってゆくのだろう。
と…
「ねえ、親社(おやしろ)様。」
背負子の中は暖かい。
いつの間にか、スヤスヤ寝息を立てる希美の頬を撫でながら、菜穂は希美の寝顔によく似た無邪気な笑顔を、私に傾けた。
「親社(おやしろ)様のお母様って、素敵な名前でらしたのね。」
「私の母の名…」
菜穂に言われて、ハタとなった。
そう言えば…
忘れていたのは、自分の名だけではない…
母の名も忘れていたのだ。
「聡美(さとみ)様と仰るのね。その名の通り、何でも知ってらして、おできになって、とっても綺麗な方だった…
百合さんが、そう仰られてたわ。」
聡美…
私の母の名は聡美…
聡美…
聡美…
聡美…
「辛かったら、何もかも忘れてしまって構わないけど…
母様の名前だけは、忘れないで欲しい。本当に、優しくて、親社(おやしろ)様の事をいつも愛し、思ってらした方だったから…
百合さん、そう仰ってたわ。」
菜穂はそう言うと、また、和幸とべったり肩を寄せ合って、眠る希美の頬や鼻先を指先で撫でながら、クスクス笑い出していた。

兎神伝〜紅兎〜(13)

2022-02-01 00:13:00 | 兎神伝〜紅兎〜惜別編
兎神伝

紅兎〜惜別編〜

(13)紅兎

「お父さん。」
和幸が寝床に入ろうとすると、希美の隣りで寝ていた菜穂が、目を開け戯けたように声をかけた。
「何だ、起きてたのか。」
「うん。何か寝付けなくって…」
菜穂はまた、希美の寝顔を愛しげに眺めた。
「何か、夢みたい。この子、本当にもう何処にもやられないのよね。とられないのよね。ずっと、私達の子なのよね。」
「君の子にしては、大きすぎるけどね。もし、本当に君が産んだのだとすれば、五歳でこの子を産んだ事になるんだよ、お母さん。」
和幸も菜穂に負けずに戯けて言うと、菜穂は肩を窄めてクスクス笑いだした。
「お父さん、お母さん…」
希美は、寝言を口走ると、ニコニコ笑いだした。
「此処にいるわ。」
菜穂は、希美を起こさぬよう、そっと撫でてやった。
和幸は、そんな菜穂を見つめながら、過去に二度、菜穂が仔兎神(ことみ)を産んだ時の事を思い出した。
一度目は、稚兎(ちと)と呼ばれる見習い期間中、和幸との間に生まれた子。もう一人は、白兎となった後、神饌共食祭の穂供(そなえ)でできた、誰が父親なのか不明な子。
菜穂は、どちらにも同じように深い愛情を注いでいた。お腹の中にいる間と、生まれてから一月の間だったけど、精一杯、その子の母親を務めていた。
最初に生まれた子の時は、その子だけで良いから、どうしても自分で育てたいと哀願し、大泣きしていた。
二度目の時は、他所にやられる覚悟はもうできていた。もう、自分で育てたいとはいわなくなった。
しかし…
『お願い…名前をつけさせて。私の側にいる間だけで良いの。私の側にいる間だけ、この子を呼ぶ名をつけさせて…お願い。』
そして、やはり叶えられぬまま天領(あめのかなめ)にやられ…
『ごめんね…お母さん、何にもあげられなくて…名前すらあげられなくて、ごめんね…ごめんね…』
別れの日、天領(あめのかなめ)にやられる寸前まで、そう言って、シクシク泣き続けていた。
そして…
今でも、突然目を覚まし、隣りで寝てるはずの子を探し、いないと知って一人泣き噦る時がある。
でも…
もう、この子には名前もあれば、目を覚ましてそこにいないと言う事もないのだ。
「もう寝よう、お母さん。明日は早いよ。」
和幸が言うと…
「はーい。」
菜穂は、素直に返事して…
「また、目を覚ましたら、いっぱいお話ししようね。いっぱい遊ぼうね。」
菜穂は、囁きかけるように希美に言うと、すぐに寝入ってしまった。
和幸は、二人の寝顔を見比べる。
十五歳の母親と、十歳の娘…
気づけば二十歳を過ぎていた自分には、二人とも同じくらい幼く見える。
『僕も、もう歳なんですね…』
つい先日、そう話したら、シゲ婆にゲラゲラ笑われて…
『ワシにゃあ、そう言うカズ坊も、同じくらい幼く見えるよ。』
と、言われ、二人で大笑いした。
笑った…
そう…
和幸は、ふと此処に来て、自分が声を上げて笑っていた事を思い出した。
智子の死の悲しみばかりが思い出されていたけれど…
改めて思い返せば、智子と過ごした数ヶ月…
菜穂と過ごした一月…
どれだけ、自分は笑っただろうと思い返した。
それまで、自分は心の底から笑った事などなかったではないか…
特に、あの夜以来…
和幸は、菜穂が寝入ったのを見届けると、自分も浅い眠りに入った。
久し振りに夢を見る。
深夜の鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)…
煌々と月影照らす道筋に、人の気配はない。
皆、寝静まっている。
社領(やしろのかなめ)の中心地に建つ一軒の古屋敷。義隆医師(よしたかのくすし)の住居である。
しかし、今は住む者はなく、門は斜め十字に竹を打ち付けられている。
神領(かむのかなめ)内では、赤兎が着物を身にに纏う事は最大の禁忌とされているが、赤兎に着物を身につけさせる事も同様にみなされている。無論、禁忌はあくまでも慣習としての禁忌であって、法令ではないので、罰則規定があるわけではない。それでも、破れば、例え宮司(みやつかさ)と雖も、厳しい批判の対象となり、いかなる咎めを受けてもおかしくはない。
義隆医師(よしたかのくすし)は、その禁忌を破った。智子の切なる願いにより、美香に法被を一枚着せてやった。その事が露見して、追放処分を受けたのである。
義隆医師(よしたかのくすし)の屋敷の前に、二人の男が現れ立ち止まった。
義隆医師(よしたかのくすし)の元看護人(みもりにん)の克己と誠である。
『御師様も馬鹿な真似をされたものだ。我等が、童(わらべ)衆とも気づかず、赤兎などにつまらぬ同情を寄せるとはな。』
誠が、家を見上げながら言うと…
『まあ、よかったとは思わぬか、誠。これで我等も手間が省けたと言うもの。兼ねてより、御師様が、同盟紅軍に通じていた事は、河童(かわつみ)衆の頭痛の種だったからな。』
克己がボヤくように言った。
すると…
『貴殿ら、属領(つくのかなめ)…失礼、神領(かむのかなめ)の河童衆だけの問題ではないわ。』
誠は尚も義隆の家を見上げたまま、吐き捨てるように言った。
『我が聖領(ひじりのかなめ)の海童衆(わだつみしゅう)にとっても頭痛の種であったわ。
一つ間違えれば、漸く山童朧(やまつみのおぼろ)衆の責任になすりつけて解決した、占領軍砦を巡る全面戦争の危機が、また蒸し返しになるところであったからな。』
『それにしても、御師様は、総宮司(ふさつみやつかさ)を輩出する東堂鱶原家(とうどうふかはらのいえ)の血筋…なまじ、そのようなお方なだけに厄介であった。
だが…
つまらぬ禁忌破りで自滅してくれたなら、物怪の幸い…こちらは、ただ、密告すれば済むだけの話だからな。』
『後で、御師様の処分が問題になったとしても…
まあ、鱶見本社(ふかみのもとつやしろ)の男色宮司(だんしょくみやつかさ)の首を一つ飛ばせば済む話…』
『何はともあれ、未だ聖宮社(ひじりつみやしろ)の翁社(おやしろ)様の下らぬ野望のせいで、占領軍砦の問題は残っておるが…
まずは、根国(ねのくに)を二分する全面戦争は当面回避された。』
『まったく…
占領軍砦の問題と言い、同盟紅軍の革命工作と言い…
皇国(すめらぎのくに)や異国(ことつくに)の思惑で分断されるのは、旧植民地だけで十分と言うものよ。』
その時、一陣の風が侘しい物音を立てて吹き抜けて行く。
『克己、あれは?』
克己が振り向くと、遥か前方より、長身な男が一人、裾先が足元までくる真紅の女物の長羽織を靡かせ近づいてきた。
身の丈六尺五寸…
肩まで垂らした縮れがかった髪…
紅い兎の仮面の穴から見える眼差しは、虚無感漂い、いかなる感情も感じさせない。
『克己…』
言いかける誠に、克己は手で制止する。
秀行は、ゆっくりと息を吐きながら、懐に手を忍ばせる。
克己もまた、懐に手を忍ばせた。
双方、近づくにつれ、緊張が走る。
すれ違う刹那….
枝垂れ桜の飾りをつけた簪を握る秀行の腕と、匕首を握る克己の腕が交差した。
『克己!』
誠もまた、匕首を抜いて駆けつけようとした刹那…
ビュッ!
風を切る音と共に、横から飛び蹴りが間を割る。
新手の男は、蹴りを交わされると、素早く八角形の匕首を抜き、柄先を鞘に嵌めて、手槍に組み換え身構えた。
彼もまた、紅い兎の仮面を被っていた。
政樹は、肩で息をしながら、相手の動きをジッと見据える。
『物盗り?』
誠もまた、匕首を構えて紅い兎の仮面をつけた少年を見据える。
紅い兎の仮面をつけた少年は、こちらまで聞こえてきそうな程激しく鼓動を高鳴らせ、八角形の手槍を握る手を汗でぐっしょり濡らしていた。
まだ、殺しに手を染めるようになって日が浅く、この瞬間に慣れていないようだ。
比べ、長年修羅の世界に身を置き、数知れぬ殺戮に手を染め続けてきた誠は、呼吸を乱す事なく冷徹な眼差しで紅い兎の仮面をつけた少年の隙を伺っていた。
『歳の頃は十四か十五…俺の殺した数が、百人目に達した頃の年齢だな…
それでまだ、このように息を乱すとは、未熟な…』
誠は、見た目の表情こそ仮面のように動かさぬが、心の中でほくそ笑みながら呟いた。
双方睨み合う一瞬の静寂…
『一思いに片付けよう…
捕らえて吐かせる程の餓鬼でも無さそうだ…』
そう心に決めるや、誠が先に前に出て、音もなく駆け出した。
誠の匕首の切っ先が、政樹の心臓を狙う。
刹那…
『馬鹿な…!』
今度は、誠が額に脂汗を流した。
軽く手槍で匕首を受け止める政樹から、鼓動の高鳴りも呼吸の乱れも消え、真っ直ぐ誠の目に向けられた眼差しに焦燥の色はかけらもない。
『鼓動の高鳴りも呼吸の乱れも、誘いだったと言うのか…』
更に額を濡らす誠の脇を狙って、政樹は蹴りを入れ、間を置かず誠の首筋狙って手槍を振り翳す。
すかさず交わす誠の匕首…
闇夜に鈍い金属音が鳴り響く。
それまで、何一つ感情を示さなかった秀行は、互いの腕を交差させた克己と目を合わせると、忽ちその目を憎悪に燃やしてにじり寄って行った。
克己もまた、押し返すように、秀行ににじり寄ってゆく。
『貴様…何奴?』
『紅…兎(べに…うさぎ)…』
『紅兎だと?』
『美香ちゃんが…死んだ…お前達の…密告の…せいで…』
秀行は、克己の問いに答える代わりに、絞り出すような声で言った。
『美香…?ああ、例の赤兎か。白穂臭い赤兎が一匹、だから何だと言うのだ。』
二人は、互いの眉間を狙いながら、交差する腕に更に力を入れて、にじり合った。
『白穂…臭い…赤兎…だと…』
秀行は、憎悪に燃える瞳を更に爛々とさせ…
『美香ちゃんは…僕達の…妹だ!』
叫ぶなり、後方に身を引き、紅い兎の仮面をとって投げつけた。
『妹…おまえ、黒兎か!』
仮面の下から現れた、逆三角形に角ばった頬の顔…
眉間から左頬に掛けての鋭い切り傷は、なまじ美しい容貌をしているだけに、一層凄みを感じさせる。
秀行は、再び切りつけてくる克己の頬を狙って、回し蹴りを放った。
見事に決まると、更に蹴り…
秀行は、体制を整える隙も与えず、克己の背後を取って、その延髄に握る簪を突き刺した。
『ウッ…』
克己は、鈍い呻きを漏らして息絶えた。
背後では、政樹の手槍と誠の匕首がぶつかり合う鈍い音が、鳴り響き続ける。
蒼白く燃える埋み火が消え、再び眼差しに虚無感漂わす秀行の足元に、克己が音も無く崩折れた。
『克巳!』
一瞬の動揺を見せる誠…
政樹は、その隙を逃さず、誠の腹を蹴り上げ、蹲るのと同時に、その眉間に手槍を突き刺した。
『マサ兄…』
克己の骸を虚しげに見下ろしていた秀行は、政樹に声をかけられると、静かに顔を上げる。
漸く仮面を外した政樹は、それまでの冷徹だった眼差しを憂いに滲ませ、秀行の顔を真っ直ぐ見つめた。
秀行は、相変わらず虚しげな面差しで頷くと、一面靡く枝垂桜の刺繍が施された真紅の女物の長羽織の背を向けて歩き出した。
山深き山林の道のり…
仄かに差し込む月影が、セツブンソウの花を妖しく写し出している。
見上げれば、小枝に蕾…
梅の時期が過ぎ、桜の開花を間近に控えていた。
『おうおう、だいぶ蕾が膨らんでおるな。』
鱶見本社(ふかみつもとやしろ)の権禰宜(かりねぎ)の一人、通が別の蕾を思い出して、ニヤニヤ笑う。
『鱶背本社(ふかせつもとやしろ)の蕾の味は、格別であったのう。よく躾けられておるわ。』
もう一人の権禰宜(かりねぎ)、聡も同様にニヤけて見せた。
『肌の艶と言い、柔らかさと言い…何より、あの舌遣いと参道の締め付けがたまらんたまらん…
白兎は、ああでなくてはな。』
通は、しばしの滞在期間中、鱶背本社(ふかせつもとやしろ)でもてなしを受けた時の余韻を思い出しながら、股間を抑える。
『それに、何と言っても、拔(ぬい)の味が堪らぬわ。』
聡は股間を抑える代わりに、溢れ出る涎の止まらぬ口を拭いながら言った。
『下層分家出自とは言え、やはり、和邇雨一族の娘は、立ち居振る舞い…何より、持って生まれた品格が、卑しい兎神家(とがみのいえ)の娘とまるで違う。
うちの社(やしろ)にも、兎神子(とみこ)だけでなくて、拔巫女(ぬいみこ)を置いて貰えんかの。和邇雨の娘をな…』
『それと、もう少し白兎の扱いを考えて貰いたいもんだ。ただ、痛めつければ良いものでもあるまいに…
総宮社(ふさつみやしろ)の爺社(おやしろ)様の御子息様が、隠密御史(おんみつぎょし)の暗面長(あめんおさ)として、注連縄衆取り締まりで駐留された際、兎神子(とみこ)の扱いの御指南されたと言うが…』
『うちにもきて貰えんかの。痛めつけて楽しむのは赤兎だけで結構。白兎まで、あんな傷だらけにされては、穂柱も勃つどころか萎えてしまうわ…』
『まあ、うちの親社(おやしろ)様は、男好みですから…
それに、あの暗面長(あめんおさ)…兎や拔には優しい分、神職(みしき)にやたら厳しかったと言うではありませぬか。
赤兎を鱶背の神職(みしき)達や神漏(みもろ)共が少しでも痛めつけようとされるのをご覧になられると激怒され、半殺しの目に合わせられたとか…』
『くわばら、くわばら…そんなお方がうちに来られては、命がいくつあっても足りませぬな。』
『そう言う事です。それに…うちは、親社(おやしろ)様があんなであられる分、好き放題に嬲ってもお構いなしの楽しみがあるってもんでしょう。』
『それも、そうですな。』
二人の権禰宜(かりねぎ)は、そんな話を延々と続けながら、クククク…と、笑い声をあげた。
『それにしても…親社(おやしろ)様がお帰りになられた後、二日も余分に持て成しを受けるとはな…』
『まあ…鱶背社領(ふかせつもとやしろ)で密かに栽培されてる大麻と仔兎神(ことみ)の密輸の道筋をつけたのは、殆ど我等ですからな。』
『確かに…
もののついでに、新たな交易も幾つか取り決め…
これも、役得、役得…
あとは…
聖領(ひじりのかなめ)や総宮社(ふさつみやしろ)の連中とどう渡り合うか…』
『おっと!そう言う意味でも、あの堅物の暗面長(あめんおさ)に目をつけられては、むしろ厄介と言うもの…』
『何、その心配はありますまい。爺社(おやしろ)様の御子息様が相手されておられたのは注連縄衆…異国(ことつくに)でも、北天の明星国。我らが相手するのは、北の楽園と南の分離国…要するに、南北に割れた旧植民地ですからな。』
『確かに…それに、聖領(ひじりのかなめ)と何やら問題を起こして、爺社(おやしろ)様の御子息様、責任を問われて、近く暗面長(あめんおさ)を解かれるとも聞きますしな』
『まあ、難しい事は追々考えておくとして…
まずは、兎共に仔兔神(ことみ)をたくさん産ませねばな…
早苗の奴、今年も早速産んでくれたし…朱理の奴もそろそろ孕んで欲しいところだな…』
『それと…白兎をもう少し増やすか…わしは、菜穂と言う子に目をつけとるところじゃが…もっとな。』
『美香の後釜となる赤兎もな。赤兎がおらぬでは、幾ら密貿易や新たな交易を取り決めても…
関の玉串や市の初穂が半減以下に引き下がる。』
『何はともあれ…親社(おやしろ)様にも、もう少し考えて頂かんと…男色、大いに結構じゃが…我等はとにかく、兎共を抱かせてナンボ、孕ませてナンボ…ですからな。そうそう、美香みたいに死なされては叶わんよ。』
『だが…あの足を焼いてやった時の美香は堪りませなんだぞ。特に、指の間を焼きながらやった時の締め付けは最高でしたわ。』
聡が、その時の事を思い出し、股間を抑えながら言うと、二人はまた、クククククと笑い声を上げた。
その時…
『権禰宜(かりねぎ)様…』
警護を務める神漏兵(みもろのつわもの)の一人が、二人に静止の合図を送った。
『何だ。』
『どうした?』
神漏兵(みもろのつわもの)達は、無言で腰の湾曲刀を抜き、権禰宜(かりねぎ)二人を守るべく周りを囲んだ。
静寂…
皆、周囲に警戒しながら、緊張が走る。
ビュッ!
ビュッ!
ビュッ!
風を切る鈍い音。
不意に、何処からとなく放たれた釣り糸が、三人の神漏兵(みもろのつわもの)の首に巻きつき、釣り針が肉を抉る。
『ググッ…』
『ウゥッ…』
『ウグッ…』
呻く神漏兵(みもろのつわもの)達の首に巻きつけられた糸は、強力な力に引っ張られると、肉を抉る針は瞬時に首回りを一周させて引き裂いた。
三人の神漏兵(みもろのつわもの)達は、噴水のような血飛沫をあげると、その場に膝をついて倒れた。
同時に、木々の狭間から、一人の浅黒い男が、握る三本の釣り糸を投げ捨てながら、踊り出てきた。
『おまえ…』
『何奴!』
二人の権禰宜(かりねぎ)は、紅い兎の仮面をつけた男の姿を見るなり、声を上げた。
『紅兎(べにうさぎ)だよ。てめえらを地獄に落としに来たぜ。』
貴之が言うや…
『切れ!切り捨ていい!』
隊長の号令一下、神漏兵(みもろのつわもの)達は、一斉貴之に斬りかかっていった。
貴之は、背中の釣竿を取って左袈裟懸けに、左足を大きく前に出して腰低く構えると…
『チェストーーーーッ!』
気合の声を発すると同時に、叩きつけるように釣竿を振りかざした。
『ウグッ!』
『ウワッ!』
鞭のようにしなる鉄製の釣竿は、神漏兵(みもろのつわもの)達の交わす湾曲刀を真っ二つに折り、そのまま肉を切り裂き、骨を砕き、スイカの如く眉間を割った。
『残るは一人…』
貴之は、最後に残された神漏(みもろ)隊長を睨み据えると、再び左袈裟懸けに、左足を大きく前に出して腰低く構えると…
『チェストーーーーッ!!!!』
気合の如く釣竿を振りかざした。
しかし、最後の神漏隊長(みもろのくみおさ)はもろに湾曲刀で受け止めようとはせず、横薙ぎに交わすと、上段より振りかざすと見せて、下段より突き入れてきた。
ガシッ!
間一髪、貴之は喉元を狙って突き入れてきた湾曲刀を釣竿で受け止めた。
『振沈一刀流(ふるちんいっとうりゅう)か!』
貴之が、凄まじいばかりの殺気を放ち、狼の如く鋭い双眸を憎悪と怒りに滾らせ睨み据えて言うと…
『そう言うお前は、朧流剣術一刀斬鉄剣(おぼろりゅうけんじゅついっとうざんてつけん)…見事な腕、褒めてやろう!だが、此処までだ!』
神漏隊長(みもろのくみおさ)はそう言い、口元を微かにほころばせ、そのまま力押しに貴之の喉元を貫こうと進み出た。
一歩…
二歩…
三歩…
貴之は徐々に後退りし、釣竿で湾曲刀を受け止める手の力も抜けてゆく。
激しい憎悪に燃えていた貴之の眼差しも、次第に焦燥の色に変わってゆく。
湾曲刀の切っ先は、いよいよ貴之の喉笛すれすれまで近づき、あと一押しで貫けるかに思われた。
『死ねっ!こわっぱ!』
神漏隊長(みもろのくみおさ)は、思い切り口元を釣り上げ、残忍にほくそ笑むと、力を湾曲刀を握る手に渾身の力を込めた。
すると、貴之は急に目から焦燥の色を消し、口元を微かに綻ばせてニッと笑った。
同時に、貴之の左手は握る釣竿の柄を捻り、カチカチカチッと音を鳴らす。
えっ…
一瞬の困惑を見せる神漏隊長(みもろのくみおさ)は、貴之の顔から手元に目を映すと、湾曲刀を握る手の力を微かに緩めた。
次の刹那…
貴之は釣竿の仕込みを抜き放つや、素早く逆手に持ち返え、神漏隊長(みもろのくみおさ)の首筋から心臓目掛けて一直線に貫いた。
全ては一瞬の出来事であり、神漏隊長(みもろのくみおさ)は何が起きたのか理解できぬと言うように、目を向いて、前のめりに倒れた。
『俺のは剣術じゃねえ、忍術(しのびじゅつ)だ。よく覚えておけよ、バーカ。』
貴之は、神漏隊長(みもろのくみおさ)の亡骸を蹴飛ばして言うと、ゆっくり仮面を外して、二人の権禰宜(かりねぎ)達に顔を向けた。
『貴之…』
貴之は、再び憎悪と怒りに顔を引き攣り歪ませ、前にも増して凄まじい殺気を放ちながら、ゆっくりと権禰宜(かりねぎ)達の方に向かって行った。
『た…貴之…よせ…辞めろ…』
『来るな…バカ…辞めるんだ…』
瞬く間に護衛達を殺され、二人の権禰宜(かりねぎ)はガタガタ震えながら後退りする。
貴之は、背中から更にもう一本釣竿を取った。
両手に握られた二本の釣竿…
柄に仕掛けられた留め金を外しながら力強く振り降ろすと、先端から飛び出たオモリ付きの釣り糸が、近くの太い枝越しに投げ放たれた。
『ウグッ!』
『ググッ!』
糸は、権禰宜(かりねぎ)達の首に巻きついた。
『ウゥゥゥゥッ!』
権禰宜(かりねぎ)達は、糸を外そうと踠き出す。
しかし、しっかり巻きつき肉に食い込んだ糸は、外すどころか、指を引っ掛ける事すら出来なかった。
貴之は、ゆっくりと後退しながら、力一杯糸を引く。
糸は、ジワジワと権禰宜(かりねぎ)達を締め上げながら、木の枝に吊るされて言った。
『安心しろ、その糸に針はついてねえ。』
貴之は、権禰宜(かりねぎ)達を締め上げる二本の糸を、近くの大木に縛り付けると、残忍な笑みを浮かべて口を開いた。
『ゆっくり死んで逝け。』
釣り糸は、権禰宜(かりねぎ)達が踠く度に、更に深く締め付け、肉に食い込んでいった。
締め上げる権禰宜(かりねぎ)達の首からは、ダラダラと鮮血が溢れ落ちる。
『グゥッ!』
『ウググッ!』
権禰宜(かりねぎ)達は、声帯を締め上げられ、苦痛を訴える声も出せず、ただ呻き声を漏らす。
『痛いか?苦しいか?
フッ…それを言う声も出せねえか…』
次第に全身の穴が開き、権禰宜(かりねぎ)達は、踠きながら汚物を垂れ流す。
『美香ちゃんの痛みや苦しみ、存分に味わうが良い。
あ…そうそう。』
貴之は、思い出したように、権禰宜(かりねぎ)達の草履と足袋を脱がせると、足の裏と指の間に、丹念に油を塗りつけた。
『震える美香ちゃんの足、焼火箸で暖めてくれてありがとうな。おまえらの足もたんと暖めてやらあ。』
禰宜達は、意図を察すると、激しく首を振り立て、身をよじってい踠きだす。
その動きで更に首を締め付けられ、糸の食い込む首筋から、多量の血が流れ出した。
貴之は、そんな権禰宜(かりねぎ)達二人の足の下に枯れ草や枯れ枝を集め、トロ火をつけて、チロチロと炙りだした。
『ウグゥーッ!ウグゥーッ!ウグゥーッ!』
『ウゥゥゥゥーッ!!!』
貴之は、二人の呻き声に背を向けると、その場を去ろうとした。
その時…
『タカ兄ちゃん、好き。』
耳の奥底から、美香の声が聞こえてきた。
『タカ兄ちゃん、怖い顔してるけど、優しいから好き。大好き…』
貴之は、思わず胸裾を掴んで、その場に蹲る。
『ウグゥーッ!ウグゥーッ!ウグゥーッ!』
『ウゥゥゥゥーッ!!!』
後ろからは、真っ赤に焼けただれた足の裏を、更にトロ火に炙られ、二人の禰宜達が凄まじい呻きをあげるのが聞こえてきた。
『美香ちゃん、俺、優しくねえよ…優しくなんかねえよ…』
貴之は、空に向かって、絞り出すような声で呟くと、鼻を鳴らしだした。
深夜…
兔喪(とも)岬の岸壁を打ち付ける波は、今日も荒れていた。
遥か下方を覗き見れば、灯台の明かりが、鱶の群れを朧に映し出す。
遥か神話の時代…
荒ぶる波の中、鰐鮫の背を渡って兎達がやってきたと言う伝承は、この光景から誕生したのだろうか?
『確か、この辺りでしたな…美香の奴が投げ込まれたのは…何とも、薄気味悪い光景ですな。』
『全く…風の音、妙に子供の泣き声に聴こえませぬか?』
鱶見本社(ふかみのもとつやしろ)の禰宜、羽求凛(わぐり)と呼洲義(こすぎ)は、断崖から荒波の海を見降ろすと、眉を潜め、顔を背けた。
『そう言えば…昔から、この辺りには、海に投げ捨てられた兎どもの怨霊が夜な夜な現れては、通り掛る者を海に引き込むと言いますな。』
鱶見本社(ふかみのもとつやしろ)の権禰宜(かりねぎ)、尚樹(なおき)が言うと…
『嫌な事は言いっこなしですよ、縁起でもない。』
鱶見本社(ふかみのもとつやしろ)の権禰宜(かりねぎ)、信彦(のぶひこ)が眉を顰めた。
『まあまあ…我等は神職(みしき)でもある訳ですし、怨霊如きにどうこうされる事もありますまい。
それに…
美香の奴にしても、ここ数年、総宮社(ふさつみやしろ)でも問題にされるほど、赤兎や白兎を死なせまくったのは、うちのバカ宮司(みやつかさ)なわけで…我々が恨まれる筋合いじゃあ、あるまいよ。』
羽求凛は、別の事にうんざりしたように言うと、大きくため息をついた。
『全く…いびり殺した兎を投げ捨てた場所で酒盛りとは…どう言う趣味をされてるのか…』
『それも、お気に入りの若い祝彦(はふりひこ)達や護衛の神漏兵(みもろのつわもの)共を相手にな…』
呼洲義も、嫌悪感を露骨に現し、首を振る。
『これこれ、滅多な事を…親社(おやしろ)様に聞かれたらどうされる…』
尚樹は、顔色を変えて、おどおどと辺りを見回した。
『聞かれやせんて…』
信彦は、言いながら、右掌を広げて見つめた。
『親社(おやしろ)様は、今頃、お気に入りの河曽根組頭…鋭太郎とお励み中で、それどころではあるまいて。』
『それにしても、通殿と聡殿は、今頃、鱶背本社(ふかせのもとつやしろ)でさぞや良い思いをされてるのでしょうな…』
『あの社(やしろ)の白兎は、手入れも田打も行き届いていて、実に具合が良いと評判じゃからのう。』
『それに、うちにはおらん、美しい拔(ぬい)達もたくさん揃えとると言うしの…』
『最も、うちのバカ宮司とは旧知の中なだけあって、あちらの大祝(おおほり)もかなり残忍な男…数年前までは、兎も拔も酷いもんじゃったと聞きますがの。
この辺りで暴れておった、注連縄衆の取り締まりで駐留しておった、隠密御史の暗面長(あめんおさ)…何て言いましたかの…』
『ああ…名前を忘れたから、名無しとか人食った呼ばれ方しておる、爺社(おやしろ)様の御子息様…』
『そうそう、そのお方が、兎や拔達の扱い方まで厳しく御指南され、すっかり生まれ変わったとか…』
『なるほどの…』
『でもって…
鱶背本社(ふかせのもとつやしろ)の白兎ども…今年も、早三匹も仔兎神(ことみ)を産んだと言うが…
来月辺り、通殿と聡殿の白穂で、もう何匹か孕むやも知れんな。』
『実に羨ましい…』
更に、激しく岸壁を打ち付ける荒波の音。
水面を走る風の声…
確かに子供の泣き声に聞こえなくもない…
信彦は、魅入られたように、右掌の指先に目線を移すと、恍惚とした笑みを浮かべた。
あの日…
美香の腫れ上がった参道に、赤いものを塗りたくり、中を掻き回した時の指先の感触を思い出し、全身に鳥肌が立った。
信彦に男の穂柱はない。五年前、口でやらせようとした秀行に、食い千切られたからだ。
しかし、穂袋は残され精力はある。
その精力は、穂供(そなえ)で参道に穂柱を迎え入れられる事ではなく、別の事で発散する事を覚えた。
それは、弱き者を、愛する人が見てる目の前でいたぶり嬲る事である。
それを初めて知ったのは、秀行に穂柱を食い千切られた時。傷の痛みに悶え苦しむ彼の前で、秀行は拷問にも等しい仕置を受けていた。
その時、秀行を庇う白兎がいた。当時、十八であった、咲良(さくら)と言う名の少女であった。
秀行が、額から左頬にかけて切り裂かれ、更に顔を切り裂かれようとすると、咲良は胸に抱いて庇い、自分を代わりに仕置してくれと哀願した。
すると、元来男色で、女子に残酷な眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、舌舐めずりしながら、咲良の着物を剥ぎ取るや、あの赤いものをたっぷり掬った木の棒で、参道を抉り掻き回しだしたのである。
凄まじい声で泣き叫ぶ咲良と、やるなら自分をやれと、咲良以上の声を上げて絶叫する秀行…
二人の姿を見た時、信彦は、全身が痺れる程の快楽を覚え、穂柱を食い千切られた痛みも忘れるほどであった。
しかし、何より快楽の極みに達したのは、参道を抉る木の棒が中で折れて突き刺さり、咲良が苦しみ死んで逝くのを目の前にした時であった。
その瞬間、穂柱を食い千切られた傷痕から、大量の白穂が放たれたのである。
また、激しい暴風と共に、荒波が激しく岸壁を打つ…
やり過ぎて死なせたのは宮司(みやつかさ)が悪い…
『わしは悪くないぞ…わしが悪いんじゃない…宮司様じゃぞ…やらせた親社(おやしろ)様が悪いんじゃぞ…』
ブツブツ一人呟けば呟くほど…
暴風と荒波の音が、美香の泣き叫ぶ声に聞こえてくる。
信彦は、ジッと指先を見つめながら、また、ニマッと笑うと、穂柱の傷痕から溢れ出る白穂に、袴をぐっしょりと濡らした。
『おや、誰か来ますぞ?』
『こんな時刻に、いったい誰じゃ?』
『紅い兎の仮面?』
『まさか…隠密御史…』
『いやいや…隠密御史達でしたら、紅い兎ではなく、赤い狐の仮面に、緑の狸を模した居合刀…』
『では、こんな夜更けに誰?』
『やはり、あの名無しの…』
『おいおい、やめてくだされよ!いくら、ワシが名無しの暗面長の話を持ち出したからって、縁起でもない事を言うでない!
それに、名無しの暗面長(あめんおさ)は、聖領(ひじりのかなめ)と騒ぎを起こして罷免されたはず。隠密御史も解散されたと聞きましたぞ!』
『それでは、一体…』
禰宜と権禰宜(かりねぎ)達は、互いに顔を見合わせ蒼白になった。
よもや、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)の密貿易が総宮社(ふさつみやしろ)に気づかれたのではあるまいか…
もし、そうだとすれば…
『誰だっ!』
羽求凛が叫ぶや…
『私めにございます。』
男は、ゆっくりと紅い兎の仮面を外して、妖艶な笑みを浮かべた。
『何だ、和幸か…』
羽求凛は、言いながら、訝しそうに目を細めた。
隠密御史でない事は確かと知り、ホッとはしたが…
『鋭太郎だけでは飽き足らず、和幸まで呼び出されたか…』
呼洲義は、また、嫌悪感を露わに吐き捨てるように言った。
『これは、これは、禰宜様に権禰宜(かりねぎ)様方…』
和幸は、権禰宜(かりねぎ)達の侮蔑に満ちた眼差しなど意に解する様子もなく、妖艶な微笑を湛えて平伏した。
『こんな夜更け、親社(おやしろ)様に呼び出されたか?』
『いえ、別の者に呼ばれ、罷り越しました。』
『何、別の者?』
呼洲義が怪訝そうに目を細めた刹那…
和幸は、腰に差す二本の鉄扇を抜き放つや、先端から飛び出す短刀の刃で、呼洲義の膝と太腿を切り裂いた。
『ギャーッ!』
呼洲義は、凄まじい絶叫をあげると、自らの血の海に転げまわった。
『和幸っ!』
『おまえ、何を!』
頬と胸を返り血で真っ赤に染める和幸は、それまでの媚びるような微笑を一変させ、冷徹な一瞥を投げかけると…
『僕を呼び出したのは、美香にございます。』
言うが早いか、鉄扇を広げ、神楽舞を舞いながら、くるくる、禰宜と権禰宜(かりねぎ)達の間をすり抜けて行く。
同時に…
『ウワーーーッ!』
『ギャーーーッ!』
『ウワーーーッ!』
残る禰宜と権禰宜(かりねぎ)達も、手足の筋を切り裂かれ、一斉に転げまわった。
和幸は、羽求凛と呼洲義、続けて尚樹を掴みあげると、次々と、断崖から突き落としていった。
『和幸っ!何をする!やめろ!やめてくれーっ!』
禰宜と権禰宜(かりねぎ)達の悲痛な叫びが、鱶の群れが待つ荒波の中に消えて行く。
一人残された信彦は、目の前で起きた一瞬の出来事に、恐怖の余り声も出ず、カタカタ震えながら失禁した。
和幸は、まだ息のある禰宜と権禰宜(かりねぎ)達に鱶達が殺到するのを眉一つ動かさず見届けると、ゆっくり信彦の方へ近づいた。
『やめろ…やめろ…頼む…やめてくれ…』
漸く声を絞りだす信彦は、恥も外聞もなく泣き噦った。
和幸は、そんな声など耳に入らぬかのように、信彦の筋を切り裂かれて動かぬ右手首をとり、その指先を見つめた。
脳裏には、あの日、この指が、腫れ上がった美香の参道に赤いものを塗り込み、掻き回す光景が過ってゆく。
同時に…
『美香ちゃん、カズの事が好きだったんだぜ。』
『俺の腕の中で、ずっと、カズの名を呼んでいたよ。カズに抱かれてると思いこんで、ずっと笑っていたよ。』
『美香ちゃん、カズとお揃いの法被が着たかったんだ。お揃いの法被着て、カズとトモちゃんと三人だけのお祭りして、盆踊り踊りたかったんだ。』
後ろ向く貴之が、鼻を鳴らして言った言葉の数々が、耳の奥底に響いてきた。
和幸は、全く表情を変えぬまま、右手に強く握り締める鉄扇を振り上げ、カミソリのような折り目を、信彦の右手に叩きつけた。
『ギャーーーーーーッ!!!』
凄まじい絶叫と共に、信彦の右手上半分の肉片が飛び散ってゆく。
『助けて…助けて…頼む…やめてくれ…もう…もう…』
和幸は、子供のように泣き噦る信彦を、ズルズル引きずってゆくと、絶壁まで連れ行き、鱶の群れが、先に落とされた権禰宜達を食い散らかす光景を見せつけた。
『信彦様、美香が海の底で、寒さに震えております。』
『やめてくれ…お願いだ…もう、もう、やめてくれ…助けてくれ…』
『生前の事、少しは哀れと思召すなら、羽織の一枚もかけてやって下さい。海の底でまで丸裸とは、余りにも不憫でなりません。』
和幸は、淡々と言い負えると、信彦を鱶の群れが待ち構える荒海へ突き落とした。
岬の頂き…
灯台の下…
宴もたけなわ、周囲を巫女装束の若い祝彦(ほりひこ)や錦装束に帷子姿の神漏兵(みもろのつわもの)達に周囲を守られながら、人目も憚らず、眞悟宮司は、鋭太郎と裸で抱き合っていた。
『おお、うい奴じゃ、うい奴じゃ…』
『ああ…親社(おやしろ)様、そこよ…そこ…ああ、親社(おやしろ)様…もっと、もっと…』
贅肉まみれの老いた眞悟宮司(しんごのみやつかさ)の愛撫に、筋骨隆々たる鋭太郎は、まるで女のような嬌声と喘ぎを漏らして答えている。
いつ果てるともなく、延々と絡み合う一組の男二人を、朧な灯台の明かりが、妖しくてらし出している。
『アァァッー!』
『オォォッー!』
今宵、これで何度目とも知れぬ絶頂に、二人は同時に声を上げた。
『良いわあ、親社(おやしろ)様、本当に良いわあ。』
確かに美貌ではある。しかし、その引き締まった肉体と言い、ガラガラのダミ声と言い、凡そ艶っぽさとは掛け離れた鋭太郎が、必死にしなをつかって、女っぽく振る舞うのは、和幸への対抗意識であろうか。
そんな、鋭太郎に…
『おうおう…お前は、本当にうい奴じゃのう。わしは、お前が一番可愛いぞ。』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、舐めるように…ではなく、文字通り所構わず舐め回して、これ以上伸びぬほどに、目尻と鼻の下を伸ばしきっていた。
『そんな事言って…どうせ同じ事、和幸の奴にも仰られてるのでしょう。この憎たらしい奴。』
『何を言う。和幸など、まだまだ、ネンネのヒヨコじゃわい。わしは、今一番熟れきってるお前の方がずーっとカワユイぞ。』
『まあ、嬉しいわあ。それじゃあ、例の花柄のべべ、買ってくださる?』
『おお、良いとも、良いとも…お前のためなら、べべでも、櫛でも簪でも、なーんでも欲しいものを買うてやるぞ。』
『わあい、親社(おやしろ)様好きだわ。大好きだわ。』
鋼のような体躯とダミ声…
傍目には凡そ似つかわしいとは思われぬが、当人は最大限艶っぽいと信じて疑わぬしなをつくり、鋭太郎が甘えるように絡みつくと、眞悟宮司(しんごのみつかさ)は、さも愛しげに撫で回した。
不意に…
『シッ!』
鋭太郎は、突如、それまでの女っぽさを一変させ、厳しく張り詰めた表情をして、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)の唇に人差し指を当てた。鷹の如く鋭く光る眼差しは、遠く闇の彼方を見据えている。
周囲を警護する神漏兵(みもろのつわもの)達の間にも、既に緊張が走り、湾曲刀の柄を握り身構えた。
『何奴!出て参れ!』
鋭太郎が、甲高いダミ声で叫ぶと…
『おおっ!和幸ではないか!』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、忽ち目尻を下げて、下心たっぷりな笑みを満面に浮かべる。
闇の中から姿をあらわす和幸もまた、妖艶な笑みを湛えて、深々と平伏した。
鋭太郎は、相変わらず訝しそうに眉をしかめ、神漏兵(みもろのつわもの)達も警戒を解こうとはしない。
誰も、和幸を呼びにやってはいない。眞悟宮司(しんごのみやつかさ)が、ここにいる事を告げ知らせてすらいない。
だのに、何故…
しかし、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は全く意に解する様子もなく…
『わしが愛しくて、ここまで来たか。よしよし、うい奴じゃ、うい奴じゃ。ささ、こっちに来て酌などいたせ。』
和幸は、頭をあげると、やはり、いつも変わらぬ妖艶な笑みを零して、ゆっくり近づいてきた。
その時…
『血の臭い…』
鋭太郎は、一層眼差し鋭く光らせると、ボソリ呟いた。
『血の臭いじゃと?』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、眉をしかめて、鋭太郎を見つめた。
和幸は、既に顔や手に浴びた返り血は洗い流している。血まみれの水干も日袴も綺麗に着替えられている。
されど、幾たびも修羅場を潜ってきた神漏兵(みもろのつわもの)達の鼻はごまかせない。
鋭太郎が湾曲刀を抜き放つと、神漏兵(みもろのつわもの)達も一斉に抜きはなった。
和幸の顔から、妖艶な笑みが消えた。
神漏兵(みもろのつわもの)達は、二人一組になり、左右交互に位置をかえながら、ジリジリと間合いをつめてくる。
和幸は、冷たい眼差しを左右に動かしながら、腰に差す二本の鉄扇にゆっくりと手を伸ばした。
頃合いを見て…
二人の神漏兵(みもろのつわもの)達が、湾曲刀を振りあげ、左右から向かってくる。
一人は前方から、一人は後方から、横一文字に切りつける。
和幸は、静かに鉄扇を抜いて空高く飛び上がり、クルクルとコマのように回りながら着地…
同時に、切りつけてきた二人の神漏兵(みもろのつわもの)が、首筋を切り裂かれ、噴水のように鮮血を吹き上げながら、断末魔もあげず崩折れた。
更に、二人の神漏兵(みもろのつわもの)が湾曲刀を振り上げ、向かってくる。
和幸は、構えもせずに、そのまま神楽舞の如き優雅な動作をしながら、スルスルと神漏兵(みもろろのつわもの)達を横切った。
ヒラヒラと、蝶のように揺らめく鉄扇が、月影に照らされ白銀の煌めきを放つ。
掠める一陣の疾風…
神漏兵(みもろのつわもの)達は、瞬く間もなく首筋を切り裂かれ、次々と声もなく倒れた。
鋭太郎は、沈着冷静を装いながらも、その眼差しは憎悪に燃えている。
四人の配下達を瞬時に葬られた事への激怒か…
日頃、自分以上に宮司(みやつかさ)の寵を受けてる事への嫉妬か…
和幸は、両手の鉄扇を閉じると腰を屈めて飛燕の如き構えをとって目を閉じた。
双方、暫しの間、一歩も踏み出す事なく、立ち止まる。
静寂…
和幸が刮目し、冷たい視線を向けると、両手に構える閉じた鉄扇の先から、短刀の刃が飛び出した。
鋭太郎が駆け出す。
和幸も飛燕の形を崩さず駆け出す。
両者、正面に激突する寸前…
鋭太郎は、正眼に構える湾曲刀を素早く左脇に変え、真横一文字に薙いだ。
間一髪…
和幸は、空高く舞い上がって交わし、鋭太郎の頭上を一回転して飛び越しながら、両手の鉄扇を逆手に持ち替えた。
刹那…
『クブッ…』
鋭太郎は、どす黒い血を吐き目を剥いた。
背後に立つ和幸は、眉一つ動かさずに、鋭太郎の両肩に突き刺した鉄扇先の刃を、心臓と肺を目掛けて更に深く突き刺した。
鋭太郎は、後ろを振り向き、これ以上ないほど憎悪に満ちた視線を向けながら、そのまま、前のめりに倒れ絶命した。
『ハハハ…和幸、見事じゃったぞ…いやいや、実に見事じゃった…』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、振り向く和幸に、ヘラヘラ笑いながら言った。
和幸は、無表情のまま、血塗られた鉄扇を握りしめて、近づいてくる。
『和幸、おまえは本当に美しいのう。うい奴じゃ、わしは、お前が一番カワユイぞ。』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、ヘラヘラ笑いながら、後退りしてゆく。
『どうした?何そんな怖い顔しとる?まさか…まさか、鋭太郎の事を怒ってるのではあるまいな?』
和幸は、何も答えず、冷たい眼差しだけを真っ直ぐに向けている。
『遊びじゃよ、遊び…こんな…そう、こんな、変声期をとっくに迎え、美しさのかけらも失うた奴なぞ、誰が本気になるものか。お前がいない物寂しさから、ほんのお遊びに抱いてやっただけじゃよ。』
言いながら、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、次第に脂汗を流し出し、更に更に後ずさった。
後ろは絶壁に向かってる事に、まだ気づいていない。
和幸は、やはり無言無表情で、ゆっくりと近づいていた。
『なあ、和幸よ…わしとお前は、いつも睦み合ってきたじゃないか。本当に、上手くいってたじゃないか。おまえが欲しいものは、何でも買うてやったじゃろう?おい、どうした?何故答えん…何故、いつものように笑うてはくれんのじゃ…』
和幸は、答える代わりに、ゆっくりと鉄扇を開く。
先端は、たった今葬り去った神漏兵(みもろのつわもの)達の血にベットリ濡れていた。
『おい…嘘だろう?まさか…まさか、それで、ワシを殺ろうなんて思わないよな?
どうした、そんかものを出さんでも、欲しいものは何でも買うてやるぞ?べべか?簪か?そうそう、鼈甲の櫛なんてどうじゃ?おまえによう似合いそうじゃ…
それとも、口紅か?おまえのカワユイ唇によう似合う口紅、買うてやるぞ…』
『欲しいものなら、既に所望致しました。』
漸く口を開くなり、和幸は、身を屈めて、素早く扇子を一振りした。
『ギャーーーッ!』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、両足の脛を深々と切り裂かれ、尻餅をついた。
『まさか…まさか、痛いとか仰らないですよね。』
和幸は、鉄扇を閉じると、先端から短刀を飛び出させ、今度は、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)の太腿を突き刺した。
『ギャーーッ!よせっ!やめろっ!やめてくれっ!』
悲鳴をあげる眞悟宮司(しんごのみやつかさ)の太腿を突き刺す鉄扇の短刀を、縦横上下に切り裂き、更にグリグリと抉り出した。
『どうされましたか?気持ち良いのでしょう?もっとやって欲しいのでしょう?美香ちゃんを弄ぶ時、よってたかって、男達に玩具にさせた時、そう言えと仰られたではありませんか?』
『頼む!ワシが悪かった!許してくれ!もうやめてくれ!』
『美香ちゃんが、そう言って泣き叫んだ時、一度でもやめて差し上げましたか?いいや、やめなかった…やめないどころ、酷い仕置をされ、こう、仰られたではありませんか?』
言うなり、和幸は、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)の手を踏みつけ、掌に鉄扇の短刀を深々と突き刺した。
『痛いと言うのは、こう言う事…だとね…
美香ちゃんだけでは、ありませんよ。ユカ姉さん、トモちゃん、ユキちゃん、アッちゃん、サナちゃん、茜ちゃん…アケちゃん…
そして…
そして…
貴方の仕打ちに耐えきれず死んで逝った兎神子(とみこ)達…』
言いながら、更に、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)の指を一本一本切り落としていった。
『やめてくれ!頼む!もうやめてくれ!やめてくれーーー!』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、まるで幼子そのもののように泣き噦り哀願し、許しを乞うた。
『あの子達が、初めてあなたに面白半分に田打された時、みんな幾つでしたか?』
和幸は、今度は、左手の掌を突き刺し、抉りながら言う。
『トモちゃんに至っては、まだ、四つでしたよ。四つの子を、ご自身で弄ぶだけだなく、実の父親にも陵辱させた。
皆の痛み…こんなものではありませんでしたよ。』
『許してくれ…何が欲しいんだ?おまえ、何が欲しのだ?何でも手に入れてやる!何でも買うてやる!』
『本当ですか?』
『本当だ!本当に何でも欲しいものを買うてやる!』
『かたじけのう存じます。』
それまで無表情だった和幸は、漸くいつもの妖艶な微笑を浮かべて、深々と頭を下げた。
『僕が欲しいものは、ただ一つ…
美香ちゃんの命…』
『何じゃと?』
『これまで、不幸な事故とやらで死なせてしまわれた、兎神子(とみこ)達を全てとは申しません。
ヒデがこの世で初めて愛し、今も心を寄せてる咲良姉さんの事も、もう諦めましょう。
ただ…
皆の宝物だった、美香ちゃんの笑顔を所望致しとう存じます。』
和幸は、いっそう、妖艶な笑みを満面に湛えると、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)を地面に押し倒して、漸く辿りついた絶壁の下を覗かせた。
はるか下方には、鱶の群れを、月影と灯台の明かりが照らし出していた。
『和幸、何をする気だ…よせ…やめるんだ…』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、和幸の意図を察するとカタカタ震えだし、失禁をした。
『美香ちゃんが、一人寂しがっています。僕達のところに、連れ戻して下さい。僕に下さるはずのべべを、あの子に着せてやって下さい。
僕は、あの子の笑顔が欲しゅうございます。』
『和幸、よせ…よせ…やめるんだ…よせ…』
首を振り立て泣き叫ぶ眞悟宮司(しんごのみやつかさ)の唇に、和幸はいつもそうするように、濃厚な接吻をした。
『あの子を連れ戻し、あの子の笑顔を見せて下さるなら、また、喜んで伽の相手をさせて頂きましょう。』
和幸は、これ以上ないほどに妖艶な笑みを満面に浮かべると、両手両足を血まみれにした眞悟宮司(しんごのみやつかさ)を高々と持ち上げて、鱶の群れが待つ荒海へと投げ落とした。
尚も激しさを増す荒波と風の音…
遥か下方にて、未だ息のある眞悟宮司(しんごのみやつかさ)に、鱶達が殺到する。
しかし、もう、和幸の耳には、鱶達に食い散らかされる者の叫びは聞こえない。
ただ…
思い起こせば、いつも憧れに満ちた目線を送る、美香の顔を思い出す。
あの祭りの日も…
改めて思い起こせば、法被と浴衣を着て並ぶ自分と智子に、崇拝にも似た眼差しを送っていた。
『そんな、憧れるようなものでもなかったのに…』
和幸は思う。
あれは、祭りの後に行われる、皮贄の儀式に引き出される姿であった。
産土鱶見家(うぶすなふかみのいえ)の者達が取り囲む中…
和幸は、智子の着物を一枚一枚脱がせた後、皆の前で穂供(そなえ)をさせられたのである。
その後、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、和幸に見せつけるように、大勢の男達に、智子を玩具にさせた。
智子が玩具にされる目の前で、和幸は眞悟宮司(しんごのみやつかさ)に抱かれた。
その時、余りに激しく玩具にされた智子は、御祭神が破けて出血が止まらなくなり、受けた治療で、遠の昔に子供を産めなくなってる事も発覚した。
智子の、和幸の子供を産む夢が潰えた瞬間であった。
美香が、恋焦がれ、憧れ抜くような事など何もなかったのだ。
『終わったな…』
何処からともなく、貴之が姿を現し、断崖の彼方を眺めやる。
『美香ちゃん…お前が大好きだった、カズ兄ちゃんが、仇をとってくれたぞ。』
『言うな…』
和幸は、背中を向けたまま、静かに言う。
『あの子は、そんな事を喜ばない。もし、ここにいたら…可哀想だからやめて欲しいと、あいつらの為に泣いて哀願した事だろう。』
『そうだな…
優しい子だったからな…
自分は何も着せて貰えねえのに、寒いだろうって…寒くて可哀想だって…俺にいつも襟巻きを…』
貴之は、鼻を鳴らして言葉を詰まらせた。
『タカ、わかってるな…』
和幸は、まだ鼻を鳴らし続ける貴之に、無表情な顔を向けると…
『今回の件…僕一人でやった。事が露見したら、僕一人でやった事として通すんだぞ。』
念を押すように、貴之の肩に手を乗せた。
『それは、ちと違うぜ…』
貴之は目を擦りながら、口元をニヤケさせて言う。
『俺とカズの二人で…だろう?』
『タカ…』
『それ以上、何も言うなよ。もし、おまえ一人で全部被ろうなんて真似をしたら…俺は、社領(やしろのかなめ)中、俺もやったと叫び回るからな。そうしたら、ヒデとマサの奴はどうすると思う?』
『わかった…なら、僕とタカ二人でやった事にしよう。何が何でも、ヒデとマサを庇いぬこう。』
『決まりだ。』
貴之はニヤケて言いながら、また、荒海に顔を覗かせた。
『俺、死んだら…美香ちゃんの奴、また会ってくれるかな?タカ兄ちゃん、大好きって言ってくれるかな?
こんな事をやらかしちまった俺でもよ…』
言いながら、また、鼻を鳴らし出す。
『当たり前じゃないか。』
和幸は、漸く無表情だった顔に笑みをうかべると、また、貴之の肩に手をのせた。
『あの子は、そう言う子じゃないか。』
「カズ兄ちゃん…」
和幸は、菜穂の声に、目を開けた。
「ナッちゃん…」
「どうしたの?何か、凄く苦しそうだったわよ。こんなに汗かいて…」
「僕、何か寝言を?」
和幸は、答える代わりに、怪訝に表情を曇らせて問い返した。
「ううん、何にも…」
と…
菜穂は急におかしそうな笑みを満面に浮かべた。
「あー、さては、怖い夢を見てたでしょう?」
「怖い夢…」
「そう、怖い夢。希美ちゃんも、怖い夢を見ると、いつもそんな風なのよ。お父さんにソックリさんなのね。それで…」
菜穂は言うなり、掛け布団を捲り上げる。
「よしよし、オネショはしてないな…偉い偉い。」
「おいおい、何馬鹿な事を言ってるんだ。」
「だって、希美ちゃんは決まって、怖い夢見るとオネショするんですもの。」
菜穂は、クスクス笑い出した。
「なら、母さん似だろう。
僕に初めて抱かれた頃の事、覚えてるか?神門(みと)を触って、濡れてるかと思いきや、いつも、オシッコをちゃんと拭けてないだけだったからな。」
今度は、和幸がクスクス笑い出した。
「何よー!」
菜穂は、和幸を布団に押し倒した。
「あれ、オシッコじゃなかったわよ!」
「いいや、オシッコだったぞ。そうと知らずに触った手の臭かった事、臭かった事…」
「酷い!そんな事言うなら…」
菜穂は、押し倒した和幸の胸に顔を押し付けて抱きついた。
「今夜は、もう、寝かせてあげない。」
「おいおい…希美ちゃんが起きるぞ…」
「じゃあ、起こさないように、カズ兄ちゃんも静かにね…」
「何を言うんだか…いつも、最中に大声あげるの、ナッちゃんじゃないか。」
「失礼ね!私、大声なんか、あげた事ないわ。」
「そうか?」
「そうよ。」
「それじゃあ、試してみるか?」
「うん。」
「一回でも大声だしたら…社(やしろ)に着くまで、ナッちゃんが、希美ちゃんをおんぶするんだからな。」
「良いわよ。その代わり、声出さなかったら、カズ兄ちゃんが、希美ちゃんをおんぶするのよ。」
「決まりだ!あ、それと…」
「なーに?」
「僕がかったら、たらふく酒を…」
「駄目!」
菜穂はみなまで言わせず、和幸を睨みつけた。
「お酒は、絶対、駄目!」
「そんな…毎晩、寝る前に一杯だけ…」
「そう言って、いつも一升瓶を何本も空けてヘベレケになるって、みんな言ってたわよ!」
「そんな事、もうしません!絶対、しません!お酒は嗜む程度に呑ませて頂きます!だから…」
「駄目ったら駄目!酔っ払って失踪して、希美ちゃんホカして、みんなを心配させて…何寝惚けた事言ってるの!」
「どうしても駄目?」
「ダメッ!」
「こんなに頼んでも?」
「ダーメッ!」
「仕方ないな…大事な旦那様の言う事をきけない子は、懲らしめてやらないと…」
和幸は言うなり…
「それっ!」
徐に菜穂を押し倒し、寝巻きを剥ぎ取り出した。
「もう!お父さん!お父さんってば!そんな乱暴しちゃ嫌だ!」
菜穂は言いつつ、クスクスと笑いだした。
「よーしっ!それじゃあ、お父さんも!それっ!」
やがて、寝巻きをむしり取るように全裸にされた菜穂は、負けじと和幸を押し倒して、自分がされたように寝巻きを剥ぎ取りだした。
「わっ!やったな!」
今度は、智子に褌を解かれながら、和幸がクスクスと笑いだした。
しかし…
「アン…アン…アン…」
菜穂が、また少し膨らみを帯びた、腕を逆さにしたような胸の膨らみを愛撫され、胸の突起を吸われて甘えるような声を出し始めると…
和幸は、たった今見た夢を思い出し、物寂しい眼差しで何処か遠くをみつめだした。

兎神伝〜紅兎〜(12)

2022-02-01 00:12:00 | 兎神伝〜紅兎〜惜別編
兎神伝

紅兎〜惜別編〜

(12)笑顔

岩戸屋敷に戻ると、希美は、最高に上機嫌になった。
法被の他にも、シゲが用意してくれたお揃いの浴衣を着て、お揃いの団扇をもち、すっかりお祭り気分であった。
「来年、お父さん、お母さん、お祭り行く。」
希美は、誰かれ構わず、何度も何度も同じ話を繰り返した。
「お神輿担ぐお父さん、お母さんと掛け声かける。一緒に踊る。」
「そいつは、楽しみだ。」
「希美ちゃん、可愛いよ。お人形さんみたいだよ。」
「早く、お祭りの日がこないかねー。」
岩戸屋敷の住人達も、希美が同じ事を言う度に、初めてその話を聞くような顔をして、同じ答えを言った。
無論…
その日は永遠に訪れない事を、皆知っている。
祭りの日に此処に戻るどころか、鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)につけば、程なく起き上がる事も出来なくなり、雪解けを待つ事なくこの世を去るだろう。
しかし、希美も明るければ、希美に応じる人々にも悲壮感はなく、本気で祭りを楽しみに話していた。
「希美ちゃんが浴衣着て踊る姿、さぞや可愛いだろうに。」
誰かがいうと…
「チャチャラカ、チャンチャン、チャカラカチャン…」
希美はニコニコ笑いながら歌い出し、少し踊り出すと、苦しそうに胸を押さえた。
「ほらほら、無理しちゃダメでしょ。」
菜穂が慌てて駆け寄って、背中をさする。
希美は振り向いて、ニコニコ笑った。
「慌てるこたあない。来年のお祭りまでたっぷり時間がある。それまで、しっかり体良くして、元気になれば良いさ。」
住人の一人が言うと、周囲の皆も、いかにもと頷いて見せる。
と…
「ほーら、できたわよ。」
百合は、一枚の切り絵を、希美に差し出した。
「わあ!素敵!」
声をあげたのは、菜穂であった。
「百合さんも切り絵上手なのですね。」
そこには、岩戸屋敷に戻ると同時に撮った写真と同じ、希美を真ん中に、和幸と菜穂の三人が、色違いでお揃いの法被を着て並ぶ姿が描かれていた。
「私、切り絵は愛ちゃんの専売特許だと思ってたわ。」
「お兄ちゃんも上手なのよ。ねえ、お兄ちゃん。」
百合は、私の方を見て、明るく笑う。
「そうなのですか?」
菜穂も、驚いたように、百合と一緒に私の方を見る。
「さあ、私はうまいと言えるかどうか…」
言いながら、私は様々な事を思い出した。
愛との出会いも、切り絵だった。
当初、毎日、私と切り絵をしに通っているのを、朱理が見つけ…
『わあ、可愛いでごじゃるーーー!!!名前、何て言うでごじゃるかーーーー?』
『愛って言います。』
『名前も可愛いでごじゃる。ねえ、お姉ちゃんと遊ばないでごじゃるか?お姉ちゃん、着物縫ったり、編み物するの得意なんでごじゃるよ。新しく縫った羽織り、着せてあげるでごじゃる。』
『わあ、ありがとう!』
『早く!早く!こっち、こっち…』
そう言って、私から、愛を取り上げてしまったのだ。
その後…
『親社(おやしろ)様!あーんなに可愛い子、独り占めなんて狡いでごじゃるわ!次から、私にも貸すでごじゃるよ。』
愛が帰ると、私に思い切り膨れっ面した朱理の顔を思い出す。
四年も前の事…
今となっては、遠い昔に思われる。
そして…
私と百合を両隣に座らせ、様々な花に彩られた春や、紅葉に彩られた秋の境内を切り絵に描いた美しい人…
私と百合に切り絵を教えてくれた美しい人…
その時…
笛の音色に太鼓の音…
いち早く聞きつけ、希美が満面の笑みを零すと、誰かが部屋の障子を開けた。
「わあ!」
「まあ!」
外の景色を見て、希美と菜穂が、同時に声をあげる。
拾里の人々が、庭先で小ぶりな手作りの神輿を担いでいたのだ。
先頭には、和幸が生白い諸肌を脱いで担いでいた。
「わっしょい、わっしょい、わっしょい…」
希美が団扇を振ってはしゃぎ出すと、岩戸屋敷の住人達も、一斉に掛け声を上げ始めた。
「えっ?これ、どうしたの?」
菜穂が途方にくれていると…
「流石に、社(やしろ)に置かれた本物の神輿は持って来れないからね。拾里のみんなが拵えたのよ。最も、発起人はカズ君とトモちゃんだけどね。」
百合が、鼻に皺寄せ笑って言った。
「まあ!」
事は、智子が生きている頃に始まったと言う。
余命幾ばくもない希美に、もう一度、お祭りを見せてあげたい気持ちからそうしたのだと言う。
最も…
来年の夏祭りまで、生きていられないのは希美だけではない。
彼ら彼女らにも、もう一度、祭りを見せてやりたい気持ちもあったのだが…
しかし、同じ余命幾ばくもない人々も、希美を喜ばせたい一心で協力したと言う。
本当は、一番乗り気だったのは、智子だったと言う。
『美香ちゃんに、もう一度、夏祭り見せてあげたいな。』
『もし、美香ちゃんがもう一度夏祭り見る事が出来たら、トモちゃんも幸せになってくれる?』
『えっ?』
『トモちゃんも幸せになる…そう約束してくれるなら、美香ちゃんに夏祭り見せてあげるよ。約束してくれる?』
智子は、やはり、その問いには答えず、唇を噛んで俯いた。
『ごめん。つまらない事を聞いてしまったね。良いよ、見せてあげよう。美香ちゃんが、夏祭り見て喜ぶ姿を、トモちゃんに見せてあげるよ。』
『本当?』
『約束するよ。』
和幸は、神輿を担ぎながら、様々な思いが去来した。
果たして、自分は何をしてやれたのだろう…
智子にも、美香にも…
美香が、自分に思いを寄せていた事など知らなかった…
智子に懐いていたのは知っていたが…
しかし、まさか、智子と自分と二人に憧れの思いを寄せていたとは知らなかった。
自分と一緒に、こっそり三人だけのお祭りをするのを数ヶ月も前から楽しみにしていたとも知らなかった。
何より…
『カズ、もう我慢できねえ!やろう!親社(おやしろ)共をやっちまおう!』
雪の降りしきる中。
木に繋がれている美香の姿を見兼ね、貴之は仕込みの釣竿を掴んで言った。
『お許し下さい!お許し下さい!』
その時また、許しを乞い、悲痛に泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
寒さに縮こまる美香が、身体を隠したと言い掛かりをつけられ、鞭で打たれ始めたのである。
『抑えつけろ。』
不意に、眞悟宮司が鞭打つ手を止めて命じると、神漏兵(みもろのつわもの)達は美香をうつ伏せに寝かせ、手足を押さえつけた。
『お許し下さい…もう…もう…身体(からだ)を隠しません…胸も参道も、いつも開きます…もう…もう…』
息も絶え絶えに許しを乞う美香を見下ろし、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、憐憫を抱くどころか、ますます興に入るような笑みを浮かべた。
『そうか、そんなに寒いのか。可哀想になあ。』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、蹲み込んで美香の顔を覗き込みながら言うと、側に控えた鋭太郎の持つ大椀の粗塩を一握り掴み、傷だらけの美香の背中に塗り付けた。
『キャーーーーーーーーーーッ!!!!!』
『どうだ、暖まったろう。背中がホカホカしてきただろう。今から、もっともっと暖めてやるぞ。』
凄まじい悲鳴を上げる美香に、残忍な笑みを溢して言う眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、権禰宜(かりねぎ)の通と聡に、何やら顎で合図を送った。
すると、権禰宜(かりねぎ)の通と聡もまた残忍な笑みを浮かべながら、側に控える神漏兵(みもろのつわもの)が抱える火鉢から、真っ赤に焼けた焼け火箸をとり、美香の足の裏や指・指の間に焼火箸を押し付けた。
『ヒィッ!ヒィッ!アァァァァーーーッ!!!!』
美香が必死に暴れ踠いて泣き叫ぶと、聡は徐に袴と褌を脱ぎ、極限まで膨張した穂柱を剥き出した。
そして…
『うわっ!これはたまらん!これは、もう堪らんぞ!』
尚も足の裏や指の先を焼け火箸で焼かれ、泣き叫び続ける美香を四つ足にさせると、後ろから参道を貫いた。
聡が瞬く間に白穂を放つと、合間を置かずに通が袴と褌を脱いで、美香の参道を貫く。
周囲では、股間を膨らませた祝彦(はふりひこ)達や神漏兵(みもろのつわもの)達も、舌舐めずりをして眺めている。
『カズ兄!俺も、もう我慢できねえ!俺達、美香ちゃん達を守る為に、備えてきたんじゃねえのか?』
更なる絶叫をあげる美香に、顔を背ける政樹も八角形の手槍を握りしめて言った。
『待て…今、我らが動けば、全員やられる!我等だけではない、紅兎が壊滅する!革命計画が水泡に帰す!』
聡が存分に白穂を放つと、祝彦(はふりひこ)達や神漏兵(みもろのつわもの)達も、交代で足の裏を焼かれる美香の参道を貫き始める中。
和幸は、物静かな眼差しに青い炎を光らせて見つめながら、皆を制止した。
『紅兎が壊滅だ?革命が水泡だ?美香ちゃんを見殺しにして、何が紅兎だ!何が革命だ!』
噛み付く貴之の肩を、秀行が抑える。
『カズの…言う事に…一理…ある…』
『何だと、ヒデ!』
身の丈六尺五寸…彼らの中で最も長身な秀行は、懐から簪を取り出し握りしめた。
『僕が…一人で…やる…』
言うなり、足元まである紅い女物の羽織を風に靡かせ、静かに眞悟宮司(しんごのみやつかさ)に向かおうとした。
『僕らはまだ動くわけにいかない…それがわからないのか!』
和幸は言うなり、閉じた鉄扇の切っ先を、秀行の首筋に突きつけた。
『カズ…何の…真似だ?』
秀行は、動じた様子も見せず、縮れた長髪を靡かせ、静かに振り向き睨め付けた。
額から左頬にかけての鋭い傷跡が、なまじ美しい顔立ちなだけに、鋭い眼光に一層凄みを帯びさせる。
『一人でも動けば、我らの革命は潰える。それでも行くなら、君を…切る。』
『カズ、テメエ!』
『タカ、君も同じだ。どうしてもやると言うなら、ここで切る。』
野獣の如く、怒りに目を光らせる貴之の首筋にも、もう一本の鉄扇の切っ先を突きつけ、和幸は静かに言った。
永遠に続くとも思われた仕置から、美香が漸く解放されると、貴之と政樹は美香の側に駆け寄った。
『美香ちゃん、寒かったろう、痛かったろう、可哀想にな…』
言うなり、貴之は上着を脱ぎ捨てると、自分の肌で美香を暖めてやった。
『ひでえ事をしやがる…』
政樹は、焼けただれた美香の足を、そこらの雪で冷やしながら…
『ユカ姉、ユキ姉、薬!それと、暖かい食い物…出来るだけ、消化の良いものをな!』
少し離れた場所で、震え泣き噦りながら様子を見守っていた由香里と雪絵に指示をだした。
一方、秀行は無言で、和幸の後を追って行った。
和幸は、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)の先回りして、部屋の縁側の庭先に正座し、深々と頭を下げて待っていた。
『おう、おう、和幸ではないか。そこで何をしておる。』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)が目尻を下げて言うと…
『親社(おやしろ)様に、お願いの儀あって、参りました。』
『お願いだと?また、新しい扇子でも欲しくなったか?それとも、羽織か?匂い袋か?口紅か?さては、べべでも欲しくなったか?何でも買うてやる。言ってみろ。』
『恐れ多ございます。』
和幸は、軽くしなをつくり、媚びるともねだるともつかぬ不可思議な流し目をむけた。
慎吾宮司(しんごのみやつかさ)の腕の中では、和幸に負けず劣らぬ美貌の持ち主である、神漏(みもろ)衆河曽根組組頭の鋭太郎が、憎悪に満ちた眼差しを向け返した。
『本当に、私めの欲しいものを、なんでも下さりましょうや…』
和幸は、嫉妬に狂う鋭太郎の視線などものともせず、一層悩ましいシナをこしらえて言った。
『いつも言うておるではないか、おまえの欲しいものは、何でも買うてやるとな。』
眞悟宮司はますます目尻を下げて言った。
『では、少々、おねだりさせて頂きとうございまする。美香を、この辺で解き放って頂きとうございます。』
『たわけ!美香は、赤兎の重大な禁忌を犯したのだ!この程度の仕置で済まされると思っているのか!』
機嫌を損ねたように眉をしかめる眞悟宮司(しんごのみやつかさ)より先に、鋭太郎がどやしつけた。
和幸は、無言で深々と平伏する。
『えーい!この痴れ者め!親社(おやしろ)様の寵愛を良い事に調子に乗りおって!下がりゃれ!下がりゃぬか!』
一層声を荒げる鋭太郎は、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)に寵を奪われた恨み辛みもあって、腰に差す鞘身の刀で激しく打ち据え、蹴飛ばした。
『鋭太郎、やめよ。』
しばし、傍観していた眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、鋭太郎の手を止めると、細めた眼差しを、声一つ上げず暴行に耐えていた和幸に向けた。
『おまえ、あんなネンネに浮気心を起こしたのではあるまいな?』
『まさか…』
和幸は、口から流れ落ちる血を拭いもせず、薄ら笑いを浮かべて言った。
『あれは、智子を繋ぎ止める為の餌…』
すると、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は益々眉をしかめてみせる。
『やはり、おまえは智子とできてたんだな。智子…許せぬ話だ…』
『これは、これは…親社(おやしろ)様が私めの為にヤキモチを…光栄の極みに存じまする。』
和幸が言いながら妖艶な笑みを傾けると、鋭太郎がまた殺意に満ちた視線を向けた。
『違うのか?』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、傍で嫉妬に狂う鋭太郎に満足そうな笑みを浮かべながら、冷たく細めた目線で和幸を睨め付けた。
『お戯れを…』
和幸は、更に妖艶な眼差しを向け返す。
『私めが、どなた様を一番にお慕いしてるかは…貴方様が一番ご存知のはず。』
『そうであった、そうであった。』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、和幸の言葉にとも、傍で血の気が失せる程拳を握り震わせ歯ぎしりする鋭太郎にとも知らず、忽ち恵比須顔になった。
『智子は、私めの大事な玩具…されど、面倒な事に、玩具には玩具の思いがございまして…
あの智子、生意気にも、親社(おやしろ)様が私めに賜りますような思いを、あのガキに寄せておりまして…』
『成る程のう…』
『あのガキを失くしてしまうと、私めの玩具が、玩具の役割を果たさなくなりまする。』
和幸は、目が全く笑ってない笑顔を浮かべながら、更に更に深々と地面に額を擦り付けた。
『何だ、おまえ、玩具をなくすのが怖かったのか、うい奴だ。なら、心配しないでも、新しい玩具なら、いくらでも買うてやるぞ。智子の代わりなど、いくらでも徴収できる。やはり、少女が良いか?それとも、少年がよいか?遠慮なく言うてみろ。』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は言いながら、傍で憎悪に歪めていた顔面を蒼白にする鋭太郎をチラ見すると、面白そうににやけた。
『ありがたきお言葉…しかし、玩具は、肌の相性、身体(からだ)の相性がございまして…
智子に代わる玩具は、なかなか…』
『なるほどのう…』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、今度は、舐めるような眼差しでまざまざと和幸を見つめると…
『あの玩具が、そんなに惜しいか?』
『はい、惜しゅうございます。』
和幸は、また、媚びるような上目遣いと微笑を浮かべて言うと、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)も下心をむき出しにしたニヤケ笑いを浮かべた。
『うい奴…そんなに、あの玩具が惜しいと言うなら、ワシもおまえの願いを叶えてやらぬでもないぞ。ワシはワシで、美香ほどいびり甲斐のある赤兎はなかなか見つからんでな。』
『ハッ、有難き事にございます。では…』
『いや、待て待て、そう急くでない。』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、益々、顔をニヤケさせ…
『赤兎は、いかなる事があっても、身体(からだ)を隠してはならん、何も身に纏ってはならんと言うのは、神領(かむのかなめ)最大の禁忌でな…そうであったのう、鋭太郎?』
不意に鋭太郎に話を振った。
『どうした、鋭太郎?何を拗ねてあるのだ?』
鋭太郎は何も答えず、燃える嫉妬を必死にこらえながら、歯ぎしりをし、全身を震わせ続けた。
『そうやって、機嫌を損ねるお前も、なかなかにうい奴よのう。ほれ、ワシにその綺麗な顔を見せてみい。』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は言いながら、半ば強引に鋭太郎の顔を自分に向けさせると、思い切りその唇を吸ってやった。
鋭太郎は、漸く蒼白になった面差しに血がのぼった。
『のう、鋭太郎や。何も着てはならぬ掟を破った者を、簡単に許してやるわけには参らなよのう。』
『御意…』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)に頸を唇で愛撫され、胸元に手を入れられると、鋭太郎は和幸にも負けず劣らず妖艶な笑みを満面に浮かべて言った。
『今後の示しも尽きませぬ…禁忌を破った赤兎は、徹底的に痛めるつけねばなりませぬ。』
『よう言うた、よう言うた…お前は本当にうい奴じゃ。』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)が言いながら、片手で胸元を、もう片手で股間を弄ってやると、最早、和幸など目に入らぬと言うように、鋭太郎はダミ声で喘ぎ出した。
和幸は、目の前の情事を無表情で見つめながら、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)の次の言葉を待ち続ける。
やがて…
『和幸や…鋭太郎も申す通り、赤兎が布切れ一枚でも身に纏うのは、重大な禁忌なのじゃぞ。世が世なら、手足を切り落とされ、見世物小屋に売られ、生涯慰みものにされてもおかしくはなかったのじゃぞ。
それでも、解き放って欲しいか?』
『はい…』
『そこまで言うからには、それ相応の事をしてくれような。』
『はい…親社(おやしろ)様のお望みのままに…』
和幸は、深々と頭を下げた。
『そうか、そうか、何でもするんじゃな。』
『はい。』
『それならば…』
眞悟宮司(しんごのみつかさ)は、目を細めて、マジマジと和幸を見つめ…
『相変わらず、美しいのう。雪の中で見るおまえは、一段と美しい。して、おまえは男なのか?女なのか?』
『前にも申しましたように、親社(おやしろ)様のお望みのまま…』
『それではわからぬ…脱げ。』
和幸は、答える代わりに、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)を見上げる。
『聞こえなんだか?ワシは、床の中ではなく、ここでおまえが男か女か確かめたくなった。脱げ…脱いで、お家芸の神楽舞を踊って見せよ。』
『それで、美香の事を…』
『口説い!』
と…
それまで、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)の腕の中で悶え喘いでいた鋭太郎が、眞悟宮司が答えるより先に、念を押そうとする和幸を打ち消して、怒鳴り声を張り上げた。
『親社(おやしろ)様の所望じゃ!さっさと脱いで舞え!』
和幸は、お前には聞いていない…とでも言うように、鋭く光る眼差しを鋭太郎に向けた。
『何だ、和幸?不服なのか?不服なら構わんのだぞ。明日はこの手で、美香の足だけではなく、手もたっぷり暖めてやろうぞ。』
鋭太郎が冷たく見下ろして言うと、和幸はグッと拳を握り、微かに表情を動かした。
『そうだ…熱く熱した鉄串を、手足の指一本一本、爪の間にさしてやると言うのはどうじゃ?』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)が言うと…
『それは面白うございますな。』
鋭太郎は満面の笑みで答えた。
『禁忌破りの赤兎がどんな声出して泣くかのう。』
『それと、不心得者の智子の奴がどんな声を張り上げるか楽しみにございまする。』
和幸は、二人が声を上げて笑い出すと、相変わらず表情は変えぬものの、両拳を一層強く握りしめた。
『どうした?』
しばし笑い続けた鋭太郎は、再び和幸を睨め付け…
『さっさと脱いで、踊らんか!』
見た目の女のような風貌とはまるでそぐわないダミ声を張り上げ、和幸を怒鳴りつけた。
『ハッ…』
和幸は尚も拳を震わせたまま、深々と頭を下げると、颯爽と立ち上がり、腰紐を解き始めた。
『美香ちゃん、暖かいお粥と汁物を持ってきてあげたわよ。』
由香里と雪絵は、どうやって手に入れたのか、湯気の立つ椀を二つ持って駆けつけると、美香に声を掛けた。
『ほら、美香ちゃん、うまそうだぞ。たくさん食え、暖まるぞ。』
貴之も、着物を脱ぎ捨て、肌で暖めるように美香を抱きしめたまま、椀に粥をよそってすすめた。
もう自分で食べる力をなくしていた美香は、貴之に木匙で口に粥を入れて貰うと、ニコッと笑った。
『うまいか?うまいか?』
貴之が尋ねると、美香は力なく頷き…
『トモ母さん…トモ母さん…』
と、智子の閉じ込められた蔵に手を伸ばした。
『美香ちゃん、お母さん、ここにいるわ!ここにいるわよ!』
智子は、相変わらず、ガンガン拳で固く錠で閉ざされた扉を叩きつけながら叫んだ。拳も叩きつけられた扉も、血塗れになっている。
すると、美香は智子の方に向かってニッコリ笑い…
『お粥…お母さんにもあげて…トモ母さんも…寒いから…』
力なく言った。
『要らないよ…私、要らないよ…』
智子は、力なくその場に座り込むと、声を上げて泣き出し…
『美香ちゃん…あんたって子は…』
由香里と雪絵も、シクシクと啜り泣きだした。
『これは、これは…此奴が、噂に名高い和幸ですか。』
隣の鱶背本社領(ふかせのもとつやしろのかなめ)から招かれてやってきた伸一大祝(のぶかずのおおほり)が、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)の傍で豪快に酒を煽りながら、眉と目を同時に細めて言った。
『ワシが、この手で手塩にかけて、ここまで育ててやりました。噂に違わぬ美貌でしょう。』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)もまた、一献飲み干しながら、自慢げに言った。
和幸は既に二日舞い続けている。
雪の中で、生白い肌を晒しての神楽舞は、その妖艶さを一層際立たせていた。
『和幸は、幾つだと言われましたかな?』
『はい、先月、十五になり申した。』
『なるほど…ちょうど、男が男に、女が女になり切ろうとする境目…
その年齢が、一層、男女定かならぬ此奴の容貌を際立たせているわけですな…
それにしても、美しい。こうして、着物を脱いでなければ、とても、男か女か見分けつきませぬな。
和幸は、そんな二人の会話を耳にしながら、ここにいても次第に弱り果てて行くのがわかる美香の事が、気が気でなかった。
早く解放してやらねば…
その焦りは、ずっと、別の場所から和幸の様子を見続けている秀行も同じであった。
何をしているのだ…
こんなところで踊ってる場合か…
しかし、側から見て、和幸からも秀行からも、その焦りは感じられない。
むしろ、弱り行く美香を前にして、冷酷に思えるほど、沈着そのものに見えた。
和幸は、一心不乱に舞い続けた。
吹雪く風に乗せて、流れるような線の細い手の動き…
真綿に染められた地を滑る足…
その一振り一振りに、美香の命がかかっている。
雪の中で、全裸の肌を晒してる事も、刺すような寒さも忘れ果て、傍目には物静かな表情を一つも崩さず、ひたすら舞い続けていた。
『して…
床の中の此奴の舞も、格別なのでしょうなあ。』
睦夫大祝(むつおのおおほり)は、一段と細めた眼差しを和幸に傾けた。
『それはもう…此奴の肌の温もりは、女よりも柔らかく、生暖こうございますよ。』
『それを、親社(おやしろ)様は毎晩堪能しておられると…羨ましい。』
『味見してみますか?』
『宜しいので?』
『その代わり、例の件は…』
『それはもう…』
『本当に、大祝(おおほり)如きのおまえの一存で?』
『ご懸念には及びませぬ。我が親社(おやしろ)は、あの一件以来、腑抜けも同然。』
『懸想した実の娘に子を産ませた挙句、死なせて…とか言う、あれじゃな。』
『今は、その娘に産ませた孫娘に夢中…今や、我が社(やしろ)の者は皆、露骨な嫌悪を剥き出しにしておりまするよ。同時に…我が親社(おやしろ)の身内で固められた神主(みぬし)衆の権威も失墜し…今や、祭事(まつりごと)は、それがしの一手に…』
『かつては、路上の岩石一つ取り除けるにも、宮司(みやつかさ)の意向を伺わねば、一族諸共首が飛ぶと言われた、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)殿がの…』
『まあ…これで、戸塚鱶背家(とづかふかせのいえ)も、終わりでしょうな…』
『そう言うお前とて…戸塚鱶背家(とづかふかせのいえ)の者…どころか、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)殿の御嫡子…』
『あれが父?ご冗談を…我が父は、天伏流の御師匠(おしのたくみ)…天伏酉雄(てんぷくとりお)様、ただ、御一人…
それより…』
『うむ、では…』
言うなり、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、パンパンと手を叩いて、和幸に静止を促した。
和幸は、舞うのをやめると、その場に正座し、深々と頭をさげた。
『和幸、こっちへ来い。』
和幸は、無言で頭を下げ続ける。
『何をしておる。今夜は、このお方の伽をするのじゃ。』
和幸は、なお、無言で頭を下げ続けた。
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、苛立ちながら指先で膳をトントン叩いてみせる。
和幸は、やはり動こうとはしない。
『わかった!ようわかった!このお方の伽を見事しておおせたら、明日、美香は解き放ってやろう!』
『ハッ!忝うございまする!では…』
和幸は、漸く、もう一度深々と頭をさげると、ゆっくり立ち上がり、鱶背本社(ふかせのもとつやしろ)の陸男大祝(むつおのおおほり)の元へ侍りに向かった。
しかし…
伽を終え、漸く美香の元に駆けつけると…
『カズ、てめえ!何処で何してやがった!』
貴之は、いきなり和幸の胸ぐらを掴んで、揺さぶり怒鳴りつけた。
側では、既に事切れている美香に、由香里と雪絵が取り縋って泣き、蔵からは、声も枯れんばかりに、智子が泣き叫んでいた。
数ヶ月後…
『俺、やるぞ。』
鱶背本社領(ふかせのもとつやしろのかなめ)に所用あって出かけた宮司(みやつかさ)と禰宜や権禰宜達が、明朝の出立と、夜前には帰省を告げられた日。
貴之は、紅い兎の面を取って被りながら言った。
和幸は、正座したまま、目も口も開こうとしない。
『切りたかったら切れ。別に抵抗する気もねえ。どうせ、これがうまくいってもいかなくても、俺の命はねえだろうからな。』
和幸は、尚、黙している。
貴之が立ち上がると、秀行も紅い兎の仮面を被って立ち、政樹も続いた。
三人とも、決意は変わらぬようだ。
『カズ、お前は残って生き延びろ。精々、その女じみた面で媚びへつらいながら、周恩来(ちゅうえんらい)とやらの檄でも楽土軍とやらの援軍でも待って、革命とやらを実現させれば良いさ。』
貴之は、背中を見せたまま、和幸に言う。
『だが、これだけは覚えておけ。
美香ちゃんは、お前が好きだったんだぞ。俺に抱かれてる間も、お前の名前ばかり口走っていた。最後は、お前に抱かれてると思って、ニコニコ笑っていやがった。』
和幸は、漸く、目を見開いて、貴之を見つめる。
『あいつは…ずっと、お前に憧れていたんだ。あの小さな胸には、お前への思いがいっぱいつまってたんだ。』
貴之は、縁側に立ち、空をみあげながら、鼻を鳴らしていた。
『あいつ、トモちゃんと二人で法被着て、何してたと思う?おまえと、お揃いの法被着て、トモちゃんを交えて三人だけのお祭りする為に、盆踊りの練習してたんだ。
上手に踊れるようになったら、三人だけのお祭りをして、一緒に踊って…
一言、おまえに好きだと言いたかったんだよ。それだけを楽しみに…あいつは…』
和幸は、目を見開きはしたが、表情は動かない。
傍目には、冷酷に見えるほど、沈着そのものであった。
しかし…
拳は、次第に変色するほど、強く握りしめられていた。
『じゃあな、カズ。悔しいが、俺もおめえが好きだったぜ。』
貴之は、最後にそう言うと、ふり向かぬまま、秀行と政樹を引き連れて出て行こうとした。
すると…
『待て…』
和幸は、スッと立ちあがり、皆と同じ紅い兎の仮面を被った。
『僕も行こう。』
ドンドンチャカチャカ…
ドンチャカチャカ…
ドンドンチャカチャカ…
ドンチャカチャカ…
岩戸屋敷の庭先には、いつしか、拾里中の住民が集まり、小さな祭りに夢中になっていた。
誰が何処でどうこしらえたのかわからない料理が、酒と共に、皆に振舞われている。
「わっしょい、わっしょい…」
「わっしょい、わっしょい…」
菜穂と、菜穂に抱かれたキミが、団扇を仰ぎながら、和幸に掛け声かけてはしゃいでいた。
「トモちゃん!美香ちゃん!」
和幸は、思わずあげそうになる声を飲み込んだ。
あの夜…
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)と鱶背本社ふかせのもとつやしろ)の陸男大祝(むつおのおおほり)二人に抱かれた時の温もりが蘇る。
あの夜だけではない…
美香に犬の首輪と鎖を繋いで、村中引きずり回して喜んでいた眞悟宮司(しんごのみやつかさ)…
何か理由をつけては、兎神子(とみこ)達に拷問のような仕置を繰り返していた、禰宜や権禰宜達、祝彦(ほりひこ)達…
自分は、そんな男達に、しな垂れかかり、媚を売って唇を吸わせ、嬌声をあげながら、抱かれ続けていたのだ。
やがて、神輿担ぎが終わると…
「チャチャラカ、チャンチャン、チャカラカチャン…」
希美が、満面の笑顔で、口ずさみ出した。
これまた、誰が楽器を持ち出し、奏で始めたのか、盆踊りの曲が流れ始めてきた。
同時に、皆、一斉に踊り出す。
それにしても…
皆、何と言う明るさなのか…
今、ここではしゃいでいる連中のうち、どれだけ、来年の祭りまで生きてるのだろう。
来年の祭りは見られたとしても、おそらく、五年も経てば、殆ど生きてはいまい。
それは…
「さあ、希美ちゃんも踊ろうか。」
「うん。」
「さあ、ナッちゃんも。」
明るく、二人に促しながら、希美を箱車に乗せてやる百合も同じであった。
百合も、今は元気に見せているが、あと五年は生きられないと言われている。
だのに、この明るさは、何なのだ…
「ほら、お父さん。」
百合は、和幸の背中をパンと叩いて、箱車のとってを握らせた。
「何、ボサッとしてるの?ナッちゃんと希美ちゃん、お待ち兼ねよ。」
「お父さん、チャチャラカ、チャンチャン、チャカラカチャン…チャチャラカ、チャンチャン、チャカラカチャン…踊ろう。」
希美は、箱車の中で、両手いっぱい動かして、もう踊り出している。
「ほらほら、そんなに激しく動いたら、また胸が苦しくなるわ。」
言いながら、和幸に擦り寄る菜穂も、すっかり踊る気になっていた。
「百合さん…」
百合は、大きく頷き、もう一度、パンパンと和幸の背中を叩いた。
和幸は、希美の箱車を押すと、菜穂と共に踊りの輪に入っていった。
私は、智子と過ごした小屋に別れを告げた時から、ずっと何か思い悩んでいた風の和幸が、漸く楽しげに踊り出すのを見て、ホッと一息ついた。
すると…
「お兄ちゃん。」
今度は、百合が私の方に笑顔と両手を差し向けた。
相変わらず、足を引きずっている。
「踊ろう。」
「私がか?」
「そうよ。」
ふと見ると、菜穂が、私の方をジッと見つめている。
「駄目?」
私が尚も躊躇っていると、遠くから、菜穂が眉を寄せて見せた。
「よし、踊ろう。」
私が、漸く百合の手を取ると、百合と菜穂が同時に満面の笑みになった。
即席の祭りは、夜遅くまで続き…
その夜は、拾里に暮らす全ての人達が、岩戸屋敷で寝泊まりする事になった。
一つには、早朝出発する、私達を皆で見送る為でもあった。
いつもは、和幸と菜穂と三人揃うまで寝ないと頑張る希美が、逸早く寝入ってしまった。
昼間、箱車に乗ってではあるが、ずっと踊り続けていたので、疲れてしまったのであろう。
あるいは、山のように出された夢のようなご馳走を、片端から平らげ、満腹仕切ったのもあるかも知れない。
しかし、何より…
明日、和幸と菜穂と一緒に行けると言う安心感が、安らかな眠りにつかせたのだろう。
「ここの人達は、何故、こんなに明るくいられるのでしょう?」
私が、庭先に佇んでいると、和幸が側にきて尋ねた。
「さあ、何故だろうな?」
「皆、もうすぐこの世を去る事など意にも介してない気がします。あるいは、わかってないか、理解してないのか…」
「みんな、わかってるし、理解してるわよ。」
不意に、後ろからやってきて、百合が明るく言った。
「おそらく、希美ちゃんも、何処かでわかってるんじゃないかな?」
「希美ちゃんも?」
和幸は、睫毛の長い切れ長の目を、憂に滲ませながら、百合の方に傾けた。
「だから、今日と言う一日一日は、宝物なのよ。それに…
カズ君もそうだったんじゃない?これまで、色んな事の連続だった人生だから、漸く辿りついた安らかな日々は、掛け替えのないものだったんじゃない?例え、それが今日一日で終わってしまうとしてもね。」
「希美ちゃん…あと、どれだけ生きられるのか…果たして、三月持つのか…
あの笑顔…無邪気な笑顔…終わらせたくない。」
和幸が大きな溜息と共に呟くと…
「一日だって良いじゃない。一瞬だって良いじゃない。一日あれば、一日誰かを幸せにできる。一瞬あれば、一瞬誰かを笑顔にできる。私は、そう思って生きているわ。
希美ちゃんの笑顔、素敵でしょう?トモちゃんの笑顔も素敵だったわ。見てるだけで、幸せになれたし、笑顔になれたわ。」
百合は、そう言って、満面の笑みを浮かべた。
それはかつて…
『ねえ、トモちゃん。ここにいる人達はね、誰からも必要とされず、山中に捨てられた人達なの。愛する家族とも無理やり引きなされ、何十年もここに閉じ込められて、一人寂しく死んでゆく人達なの。
私と一緒に、この人達の世話をして貰えないかな?』
『私が…ですか?』
『そう、トモちゃんに手伝って欲しいのよ。』
『でも…
私、あと、どれくらい生きられるかわからないわ。明日、死んでしまうかも知れないわ。』
『別に、一日だって良いじゃない。一瞬だけでも良いじゃない。一日あれば、一日誰かを幸せにできる。一瞬生きれば、一瞬だけ誰かを笑顔にできる。
私の事、手伝ってくれるわね。』
なかなか、此処に来ようとしなかった智子に、漸く決心させた時と、同じ百合の言葉であった。
「一日でも…ですか。
そうですね。確かに、一日だけでも、希美ちゃんと暮らせるなら、幸せかも知れません。
ただ…」
「ただ?」
「僕に何ができるのでしょう…父親になるのは嬉しいのですが…あの子に何をしてあげれば…」
言いながら、和幸はまた、あの時の事を思い出した。
『何やってたのか、聞いてるんだよ!この馬鹿野郎!美香ちゃんが…美香ちゃんが…
それを、てめえはまた、呑気にあのクソ親社(おやしろ)に抱かれてやがったのか!女の真似しやがって!』
胸ぐらを掴んで、喚き散らしてきた貴之の顔…
傍に横たわる冷たくなった美香の躯…
おそらく、一生消える事はないだろう…
「何もする必要ないわよ、お父さん。」
百合は、ポンと和幸の肩に腕を回して言った。
「ただ、ずっと側にいてあげなさいな。カズ君も笑顔になってね。」
和幸は、何も答えず、大きく一つ息を吐いて空を見上げる。
未だ止む気配のない雪の空。
今日よりもずっと寒かった雪の中、全裸で縛り付けれ凍え死にした時すら、絶やさなかった、美香の笑顔が、また脳裏をかすめていった。

兎神伝〜紅兎〜(11)

2022-02-01 00:11:00 | 兎神伝〜紅兎〜惜別編
兎神伝

紅兎〜惜別編〜

(11)法被

智子と束の間過ごした小屋。
中断されたムシロ折り機は、そのままになっている。
「トモちゃん…さようなら…」
和幸は、溜まった埃を払いのけながら呟いた。
明日はいよいよ、岩屋谷を去る。
次にここを訪れる事があるとすれば、不治の病に倒れた時だろう。
十年後…
二十年後…
三十年後…
その時には、ここで共に過ごした人々は誰もいなくなり、和幸と智子の事は忘れ去られている事だろう。
当然…
智子と二人で暮らしたこの小屋はなくなり、全く知らない誰かが暮らしている事だろう。
「本当に、神職(みしき)になるつもりか?」
私が、もう一度念を押すように尋ねると…
「決意は変わりません。」
和幸は静かに頷いた。
「私は、君には、ここの看護人(みもりにん)になって貰いたいと思っている。ここで、ナッちゃんが兎神子(とみこ)を解かれるのを待てば良い。トモちゃんとの思い出あるこの小屋で、ナッちゃんと一緒になれば良い。トモちゃんも、それを喜んでくれるだろう。」
「それで、僕達の間に産まれた子供が年頃を迎えたら、兎神子(とみこ)にさせられるのですか?二十歳まで、来る日も来る日も社領(やしろのかなめ)の男達の慰み物になるのですか?」
「ならない。看護人(みもりにん)となった者の子は、兎神子(とみこ)の選抜から外す…それが…」
かつて、百合の命を救ってくれた、重病患者を最後の実験台にする条件だった…
「ならば、ヒデは?マサは?リュウは?ユカ姉さん、ユキちゃん、アッちゃん、茜ちゃん、アケちゃん…これから、親社(おやしろ)様の兎神子(とみこ)となる子達は?みんな、看護人(みもりにん)になれるのですか?」
「するつもりだ。これから、第二、第三、第四の拾里を建設する。少なくとも、私の兎神子(とみこ)達には、その子達まで兎神子(とみこ)にさせないつもりだ。」
「では、愛ちゃんは?あの子は、看護人(みもりにん)になれるのですか?親社(おやしろ)様と結婚して、誰にも奪われない子供を産んで、幸せになれるのですか?」
そのつもりだ…
愛を聖領(ひじりのかなめ)などに送りはしない…
愛を聖領(ひじりのかなめ)になど送るものか…
私は、喉の奥まで出かけた言葉を呑み込み、胸に詰まらせた。
「愛ちゃんの後、親社(おやしろ)様の元にやってくる赤兎達は、どうなのですか?みんな、看護人(みもりにん)になって、好きな人と結婚して、いつか幸せになれるのですか?」
私は、赤兎の兎幣も皮剥も二度と行わない…
鱶見本社領(ふかみのもとつやしろ)の赤兎は、愛が最後だ…
物言いは静かだが、何処かまくしたてるような和幸の言葉に、絞り出すように答えかける私の言葉は、やはり声となって出てはこない。
「それでも、親社(おやしろ)様の兎神子(とみこ)達はまだ良い。美味いものを腹一杯食べさせて貰え、暖かい着物を着せて貰って、悪質な領民(かなめのたみ)達の乱暴から守って貰える。
でも、親社(おやしろ)様のものではない兎神子(とみこ)達はどうなるのですか?
希美ちゃんを捨てた社(やしろ)の兎神子(とみこ)達は、どうなるのですか?
僕達が幸せになれても、他の誰かが苦しみ続けるなら、同じ事ではありませんか。」
だから、私は…
鱶見社領(ふかみつやしろのかなめ)から二度と赤兎を出しはしない…
鱶見社領(ふかみつやしろのかなめ)の赤兎は、愛で最後となるのだ…
「誰かが幸福を掴む傍らで、誰かが踏みにじられ続ける限り、誰も本当の幸せにはなれません。
神領(かむのかなめ)が今のままである限り、それは変わりません。
誰かが何かを変えなければ、何も変わりません。
何も変わらなければ、誰も…」
変えるとも…
変えて見せるとも…
康弘連(やすひろのむらじ)を倒し…
父を降し…
必要と有れば…
聖領(ひじりのかなめ)とも…
最初は、鱶見社領(ふかみつやしろのかなめ)で赤兎の兎幣と皮剥を廃止する。
そうすれば、多くの摂社(せっつやしろ)・末社(すえつやしろ)の守旧勢力が反旗を翻してくるだろう。
一方で…
末端では、私に味方する勢力も広がっている。
私は、彼らと共に守旧派勢力を迎え撃ち、戦いの火蓋を切って落とす。
そして…
少しずつ他領(よそつかなめ)の志を共にする神職(みしき)達と手を結び…
いつの日にか、神領(かむのやしろ)全土に…
しかし、その長く苛烈な戦いに、和幸を加えるつもりはない。
「誰も掴む事の出来なかった幸せを、誰かが最初に掴む事自体、何かを変える第一歩とは思わんか?」
私は、脳裏を過ぎり、喉元まで出かかる数多の言葉を呑み込むと、大きく吐息を一つついて和幸に言った。
「幸せを、最初に掴む事?」
「そうだ。この小屋の中で、束の間、智子と手にした細やかな幸せ…
その幸せを、一つ、また一つと掴み取って行く事が、何かを変える小さな一歩となる。」
私がもう一度言うと、和幸は、小屋の中一帯を、グルリ見回した。
『カズ兄ちゃん、トモ姉ちゃんと仲良くねー。』
満面笑顔で、元気よく和幸に手を振り見送る愛は、あの日も全裸であった。
『トモ姉ちゃんに優しくしてあげてね。』
そう言って、和幸に智子の手を握らせた菜穂は、二人目の子供を仔兎神(ことみ)として取り上げられ、何日も号泣した直後であった。
他の仲間達も、未だ兎神子(とみこ)として、祭祀にかこつけ、男達の慰み者となる日々の中、和幸と智子の幸せを祝したのだ。
皆が、心から祝福した和幸の幸福の結晶が、小さな小屋の中いっぱいに溢れかえっている。
二人で抱き合い、暖めあった布団…
二人で囲んで、雑炊を啜った囲炉裏…
二人で編んだ雨合羽や藁靴に雪靴…
二人で着物を縫った、裁縫道具…
壁には、色違いでお揃いの法被が、三着掛けられている。
『ねえ?これ、美香ちゃんに似合うかしら。』
秋…
収穫祭を前に縫い上げると、智子は、完成品を大きく広げてみせた。
『可愛く出来たじゃないか。よく似合うと思うよ。』
『本当は、浴衣も縫ってあげたかったわ。でも、今からじゃあ…』
『浴衣なら、シゲさんが用意してくれるって言ってたから、良いじゃないか。』
『何言ってるの。娘の浴衣は、母親が縫ってあげるものよ。人様から借りるなんて…』
『来年…夏の盆踊りまでには、縫ってあげれば良いじゃないか。』
『そうね…』
『僕達、もうすぐ人の親になるんだね。』
和幸が言うと、智子は満面の笑みで法被を抱きしめた。
『美香ちゃん、もう裸でいなくて良いのね。もう寒い思いしなくて良いのね。浴衣に法被だけじゃないわ。お母さん、可愛いおべべをたくさん縫ってあげないと…』
智子は、六年も前に逝った美香と希美を完全に混同してしまっていた。その希美も、あと数ヶ月で逝ってしまう事をすっかり忘れてしまっていた。
只々、希美がもうすぐ自分達の娘になる事に、幸せいっぱいだったのだ。
和幸もまた、そんな智子の姿を見て、束の間の幸せを噛み締めていた。
『ねえ、カズちゃんは何をこしらえているの?』
ふと…
智子は、和幸が何やら木材を組み立てているのに目を留めて尋ねた。
『これか?これは…内緒だ。』
『まあ、狡い!私はちゃんと教えてあげたのに!ねえ、教えて、何をこしらえてるの?それ、美香ちゃんの何でしょう?教えて、教えてー。』
『そうだな…どーしよーっかな…』
和幸は、木材の一つを取り上げ、ジーッと眺めやりながら、勿体ぶって言う。
『ねえ、教えてってばあ…』
智子は、和幸の肩に腕を回して揺すりながら…
『ねえ、お父さん。』
と、小首を傾げて顔を除き込んだ。
『うーん…』
和幸は更に勿体ぶった後…
『やっぱり内緒だ、お母さん。』
チョンと智子の鼻を小突いた。
『もう…お父さんったら…』
『お祭りの日には、ちゃんと完成させて、教えてあげるよ。それまでの楽しみだ。』
いかにも不満そうな流し目が、残念そうに和幸を睨め付ける。
そんな智子に…
『お祭り、待ち遠しいね。お祭りの日に、あの子をうちに迎えるんだからね。親子三人、仲良く暮らそうね…お母さん。』
和幸が言うと、智子はまた満面の笑みを零して、和幸の胸に顔を埋めた。
しかし、結局、和幸が何をこしらえていたのか、智子は見る事ができなかった。
あの日から程なく、智子の容体は急変…
半月足らずで逝ってしまったのだ。
ガラガラガラ…
小屋の玄関先。
木製車輪の音が止まる。
「お父さん。」
仔馬の形した箱車を押した菜穂が、外から戯けたように、呼びかける。
箱車の中から、おかっぱの希美が手を振っていた。
和幸は笑みを浮かべ、頷き応じる。
「お父さんに、良いもの作って貰ったね。」
箱車を覆う傘にふれながら私が言うと、希美は、掛け布団に包まり、ニコニコ笑って頷いた。
「上手く出来てるな。こうすると…」
言いながら、私が手押しの部分を軽く引くと…
「キャッ!」
いきなり、背もたれが倒れ、希美が声をあげた。
「希美ちゃん、大丈夫!」
慌てる菜穂に、希美はニコッと応じた。
「もう、親社(おやしろ)様!」
菜穂は、軽く眉を寄せて私を睨んだ。
かつて、大人しく淑やかで、いつも和幸の後ろに隠れていた菜穂が、最近妙に気が強くなっている。
「いや、すまんすまん。」
私が軽く頭を掻くと…
「希美ちゃん、身体(からだ)弱いんだからね!ちゃんと労ってくれないと…」
菜穂は、更に私を睨み付けて言った。
女は、子供が出来ると、こうも変わるものなのだろうか…
いや、そうではない…
菜穂が変わった一番の原因は…
「お祭り、もう終わってしまったけどね。これを希美ちゃんに…」
和幸は三着のうち、薄紅色の法被を希美に差し出した。
「わあ、可愛い!ねえ、着てみよう。」
私に剥れていた菜穂は、忽ち機嫌をなおして、ニコッと笑って頷く希美に、早速着せてやった。
希美は、嬉しそうに、着せてもらった法被の袖に頬ずりした。
「お祭り、行く。お神輿担ぐ。」
「希美ちゃんは担げないわよ。女の子じゃない。」
菜穂は、可笑しそうにクスクス笑った。
「お神輿はね、男の子しか担げないのよ。」
「担ぐ…」
希美は、両手で法被の裾を掴んで、ベソをかきだした。
「その代わり、お父さんが一番大きなお神輿を担いで見せてくれるわよ。お母さんと一緒に、わっしょい、わっしょいって、掛け声かけてあげようね。」
「うん。」
希美は、また、ニコニコ笑った。
「その母さんにもだ。」
和幸は、菜穂にも、智子が着るはずだった赤い法被を差し出した。
「わあ!嬉しい!」
菜穂が法被を着ると…
「来年…夏のお祭りまでには、また、戻ってこられるよ。父さんも母さんも、必要な手続きを全て済ませて、晴れて、社(やしろ)から放免される。そうしたら、三人でお祭りに来よう。」
和幸も法被を着ながら、希美に言った。
「うん。」
希美は、嬉しそうに頷いた。
「お祭り、楽しみだね。早く来年の夏になると良いね。」
「うん。」
「僕の担ぐ御神輿を見て、盆踊りを踊って、ご馳走いっぱい食べるんだよ。」
「うん。」
「本当…待ち遠しいわね。」
益々、上機嫌に笑う希美の頬を撫でた後…
「でもね…」
何を思ったのか、突然、菜穂は和幸を睨みつけた。
「お酒は駄目よ!絶対、駄目だからね!」
釘を刺すように言った。
「そんな…祭に酒は…」
「いいえ!絶対、駄目ったら、駄目ーーーー!」
思わず尻込みする和幸に、菜穂は一層凄んで言った。
そう…
昨夜、岩戸屋敷でちょっとした酒宴が行われた。
シゲ婆、八十歳の誕生日だったのである。
幼い頃…
顔が崩れる皮膚病を患い、人生の殆どを捨てられた山奥で暮らし続けたのである。
拾里が建設され、岩戸屋敷が建てられると、此処に引き取られ、世話をされるよりは、皆の世話をし続けて生活をしていた。
重い性病を患い、やはりいつ顔が崩れるかわからない不安を抱えて生きる百合の、良き相談相手でもあれば、心強い協力者でもあった。
百合は、感謝していた。恩を返したいといつも思っていた。
八十の誕生日…
重い病気を抱えながら、良く生きてくれたと、心から祝うと同時に、これからは労ってやりたいと思ってた。
言わば、シゲ婆の引退式も兼ねていたのだ。
ところが…
『ワシもまだ八十の小娘じゃ。人生は、これからが本番じゃよ。これからも、うんと働かせて貰うよー。』
壇上にあげられ、挨拶をした時の第一声は、それであった。
唖然とする百合を他所に、周囲からは拍手と大歓声が上がった。
住人達も、百合からは引退式と聞かされ、頼りにしていたシゲ婆に、もう看てもらえないと思うと、不安と寂しさでいっぱいであった。
それが、これからが本番だと言われ、皆、喜ぶやら感激するやら…
更には…
『それにのう。この歳にして、ワシは男に想いを告げられたんじゃよ。』
『へぇー、マサ爺にかい?それとも、トキ爺にかい?』
『バカ言っちゃーいけないよ!わしゃ、あんなジジイまっぴらじゃー』
『何だと、失敬な!ワシだって、こんなババアに誰が惚れるかよ!』
忽ち広がる笑いの渦。
『想いを告げてくれたのは、カズ坊じゃよ。結婚して欲しいんじゃと。』
『まあ!』
思わず菜穂が声を上げ…
『カズ兄ちゃんったら、トモ姉ちゃん、アケ姉ちゃん、私でまだ飽き足らず、気が多いんだから。』
クスクス笑うと、周囲からまた、大爆笑の渦が広がった。
『ワシは、決心したよ!ナッちゃんさえ許してくれたら、ワシもカズちゃんの女になるよ。のう、ナッちゃんや、ワシもカズ坊の女にして貰って、良いかのう。』
シゲ婆が、崩れ去った顔いっぱいに笑顔を浮かべて言うと…
『良いわよ。シゲ婆さんだったら、大歓迎よ。みんなで楽しく暮らしましょ。ねえ、お父さん…』
菜穂が振り向いた刹那…
『まあ、まあ、カズ君ったら…』
百合が、慌てて和幸の元に駆け寄った。
側では…
『お父さん、ネンネ。ネンネ。』
希美が、いつの間にか大鼾をかいて大の字に寝てる和幸に、着ていた半纏を掛けてやっていた。
見れば、空にした一升瓶を抱え…
『シャーケ、シャーケ、オイヒーナー…』
と、寝言を口走っていた。
『まあ!カズ兄ちゃんったら、どうしちゃったの…』
呆気にとられて見つめる菜穂に…
『あー、ナッちゃんは知らなかったんだね。カズ君、此処ではとんでもない酒呑みなんだよ。』
『そうそう。弱いくせに、いつも大酒食らっちゃあ、その場で大の字になって、この通りさ…』
『風邪引いては大変と、トモちゃんをいつも心配させてたなー。』
誰かがそう言うと、皆一斉に笑い出した。
『カズ君、ほら、カズ君ってば…此処で寝たら駄目でしょう。起きて起きて…』
百合が必死に和幸を揺すり起こそうとすると…
『お父さん、おっき、おっき…』
希美も真似して和幸を揺すりだした。
この光景を前に、それまで上機嫌だった菜穂が、見る間に蒼白になった。
そして…
『でも、まあ…寝ちまっただけ、良いさね。』
『そうそう…酒呑んで外に出た日にゃ…山林に迷い込んで何日も帰れなくなって…』
『トモちゃんが亡くなった時もな…悲しいのはわかるけど…あんな、浴びる程酒呑んで、外に出ちまうから…』
『とうとう、あの失踪事件さね…百合さんは心配するわ、希美ちゃんはお父さんいないって大泣きするわ…』
そこまで聞き終えると、人の顔がここまで青白くなるものかと思われる程菜穂の血の気が引いて行き…
『みんなに散々心配かけておいて…そう言う事…だったのね…』
青白い炎の如く、両目をランランと燃え上がらせた。
そして、スーッと立ち上がると…
『おじさん、おばさん…バケツ十杯、お水汲んで来て…』
擦れるような声で、言い放ったのである。
「なあ、頼むよ、ナッちゃん…一杯だけ、一杯だけ、お酒…良いだろう?お祭りの日にさ…」
「ダーメッ!駄目ったら、駄目ーーーーっ!」
希美は、凄まじい菜穂の鬼の形相と、肩を落とす和幸のしょぼくれた顔を交互に見上げながら、次第に鼻を鳴らし始めた。今にも、ベソをかき出しそうである。
「大丈夫だよ、希美ちゃん。」
私は、苦笑いしながら希美の頭を撫でると…
「はい、ここまで、ここまで…」
手を叩きながら、眉をしかめて雷を落としそうな菜穂と、拗ねた顔する和幸の間に入った。
そう…
昨夜、シゲ婆誕生祝いの席で起きた事件…
それが、大人しく淑やかだった菜穂が、子供ができて強くなり、和幸の酒癖の悪さを知って怖くなった瞬間なのであった。
「さあさあ、谷のみんなにも、法被姿の希美ちゃんを見て貰おう。」
「うん。」
菜穂は、漸く笑顔を戻して希美の頭を撫でると、箱車を押し、谷の畦道を歩き始めた。
しかし、和幸を見る時の目つきは、まだまだ怖い…
雪は本格的に積もり始め、谷は銀白に染まりかけていた。
外に出て、雪掻きなどしてる人は、元気な人に限られ、後は殆ど小屋の中で家内作業に勤しんでいる。
「ねえ、ナッちゃん…」
和幸が声を掛けようとすると…
「フン!私、酔っ払いって嫌いなの!」
菜穂は一言そう言って、希美の箱車を押してぐんぐん先を行ってしまった。
和幸は、弱り果てた顔して一つため息をついた後…
『トモちゃん、見てるか?美香ちゃん、法被をあんなに喜んでいるよ。君がずっと…』
和幸は、懐から一枚の写真を取り出し、憂の眼差しで見つめた。
「カズ君…本当は、酔ってなどいなかったんじゃないか?
私の赴任前…眞悟宮司(しんごのみやつかさ)に浴びる程呑まされ続けても、君は酔うどころか顔色一つ変えなかってと聞いているぞ。」
私が声を掛けると、無言で振り向く和幸は、目を逸らせた。
「君が失踪している間、神妣島(かぶろみしま)の占領軍砦から放たれたシーアイエーと言う間者が数人、行方不明になった…と、朧衆から報せを受けた。
酔った振りして、岩戸屋敷を抜け出し…一体、何をやっていたのだ。」
和幸は、尚も無言で目を逸らし続けた。
「まあ、良いさ…」
今度は、私が和幸の顔から、遙か前方に目を移した。
「しかし、よく出来てるな、あの箱車…」
私は、菜穂が再び中に乗る希美と話し、クスクス笑いながら押す手押し車を見やりながら、思わず嘆息した。
「あれ、背負子にもなるんだったな。」
「はい。背もたれをまっすぐ倒し、車輪を外して背負い縄を取り付けると、背負子になります。板の取り外しや付け足しで多少の大きさ調節が可能で…赤ん坊から、トモちゃんやサナちゃんくらいの背丈の者まで背負う事が可能です。」
「成る程…それを、ナッちゃんは、わざわざあんなにバラバラにして、途方にくれていたわけか。」
「しかも、デタラメに組み立ててくれたから、なおすの大変でしたよ。」
言いながら、この前、天安川の河原で途方にくれていた菜穂を思い出し、私と和幸は笑いだした。
「あれ以外にも、随分作ったそうじゃないか。曲がった手、指の欠けた者が使う匙、欠けた足を補助する靴、寝たきりの者を風呂に入れる椅子と風呂桶…
岩戸屋敷でも評判だったぞ。」
「いえ…鍛治作業を要するものは、マサの奴がいないと大変でした。細かい部品、細工モノは、ヒデの奴がいないと…」
「で、調理中、勝手に材料ちょろまかして菓子を作るのは、茜ちゃん…調理中のユキちゃんにいちゃつきながら、摘み喰いするのは、リュウ君と…」
「親社(おやしろ)様…」
和幸は、苦笑いした。
「みんな…ここに来たら、ここの者達がどれだけ助かるだろうな。」
私が言うと、和幸は押し黙った。
また、写真を見つめる。
それは、智子がいつも見つめては、笑顔を消していた写真…
何か嬉しい事や楽しい事が起きかけては、それを眺めて、浮かびかけた笑顔を消していた写真…
智子は、そうやって、いつも自分に笑う事、喜ぶ事、何より幸せになる事を禁じていた。
「君も、美香ちゃんを引き摺って生きるつもりなのか?」
「引き摺るのではなく、忘れないつもりです。生きてる間、全く気にかけてやれなかったから…」
「良い心がけだ。今からでも遅くはない。これから、美香ちゃんを気にかけてやれば良い。出会う人、一人一人を美香ちゃんだと思ってな。」
和幸は、また、写真を見つめた。
法被を一枚だけ羽織り、後は何も身につけていない少女が、巫女装束の上に色違いでお揃いの法被を着た智子と、満面の笑顔で映るあの写真である。
裸の少女の名は美香…
私が、鱶見社領(ふかみのやしろのかなめ)に赴任する一年程前に逝ったと言う赤兎である。
赤兎は、下着一枚着る事を禁じられてるだけでなく、身体(からだ)を隠す事も堅く禁じられていた。
寒さを凌ぐ為に、布団を掛ける事も、縮こまったり、踞ったりする事すらも禁じられてる。
それを破れば…
百合は、未だに足を引き摺っている。
私の母が、いつも寒さに震える百合を可哀想がり、布団を掛けてやった事が理由であった。
見つけた神職(みしき)は、布団にくるまる百合を見て、激しく怒り仕置きした。
殴る蹴るは当たり前。その上、右足の裏を焼き鏝で焼いたのである。
美香は、優しい子であったと言う。
自分は、下着一枚着る事が出来ないのに、手袋や襟巻きを編んでは、寒くないようにと、黒兎や白兎達にあげていたと言う。
和幸と智子も、よく貰っていた。
それも、いつも青と赤…色違いでお揃いの襟巻や手袋を貰っていた。
かつて…
和幸と智子は、今の和幸と菜穂の仲以上であったと言う。
オシドリ夫婦と言うより、金魚の糞と言う方が相応しい程、いつも二人は引っ付いて歩いていたと言う。
和幸は男が見ても美しく、智子は女が見ても愛らしい顔立ちをしていた。その上、二人とも何でもでき、何でも知り、誰にでも優しく面倒見がよかった。そんな二人は、理想の恋人として、兎神子(とみこ)達の憧れの的であったと言う。
美香もまた、二人にとても憧れていたと言う。
単に寒くないようにと言う気配りとは別に、二人を着飾りたくて、他の兎神子(とみこ)達とは別に、お揃いのものを贈っていたのである。
智子は、そんな美香をとても可愛がっていた。
自分はいつも裸でいなくてはいけないのに、他の兎神子(とみこ)達が寒くないよう気遣う美香に胸を痛めてもいた。
それで、他の年下の兎神子(とみこ)達を気にかける以上に、美香を気にかけ、よく面倒も見れば、他の赤兎の例に漏れず、苛めに苛め抜かれていた美香を、よく庇ってやってもいたのである。
美香は、憧れの智子に目をかけられてると知り、夢見るような思いになった。七歳のうちから、日がな一日、男達の玩具にされる苦痛も消し飛ぶほど、毎日が薔薇色に輝いて見えるようになった。前にも増して明るくなり、誰に会っても笑みを絶やさなくなったとも言う。
智子は、そんな美香が、可愛くもあれば、哀れで仕方なくもあった。来る日も来る日も、田打と称しては、宮司(みやつかさ)と禰宜達や権禰宜達に弄ばれ、首に縄をかけられ、全裸で外を引き摺り回されては、行き交う好き者の男達に玩具にされ…
なのに、ただ、自分に可愛がられてる事だけを喜んで、いつも笑顔を絶やさない美香を見るのが、愛しくもあれば、辛くもあったのだ。
そして…
いつか、仔兎神(ことみ)を産めば、聖領(ひじりのかなめ)に送られ、更に過酷な日々が待ち構えている。
智子は、自分にできる事があれば、何でもしてあげたいと思った。ほんの束の間、自分のした事で、美香を笑顔に、幸福にしてやれるなら、何もいらないと思った。
夏。
港で行われる海渡祭りの日。
和幸と智子は、お揃いの法被と浴衣を着て、集まる領民達の間を練り歩く花形になっていた。
そんな二人を、傍で酔っ払い達に玩具にされながら、美香はうっとりと見つめていたと言う。
『トモ姉ちゃん、法被凄く似合ってた。素敵だった。』
お祭りが終わった後…
美香は、智子に会うと、いつまでも、その時のことを思い出して、話し続けた。
そして…
『私も、法被、着てみたいな…』
何気なく言って、ニコッと笑った。
『カズ兄ちゃんとお揃いの法被着て、一緒に踊りたいな…トモ姉ちゃんみたいに、みんなの見てる前で、一緒に踊りたい…』
『カズ兄ちゃんって…美香ちゃん、ひょっとして?』
智子が聞き返すと、美香は思わず頬を赤くした。
『そうだったの、知らなかったわ…全然、気づかなかった。だったら、言ってくれればよかったのに…』
『だって…トモ姉ちゃんは、カズ兄ちゃんと…』
美香は、ますます顔を赤くして俯いた。
『そんな事、気にしなくても良いの。私に任せて。』
一月後。
『わあ!』
学舎(まなびのいえ)の帰り道。
『美香ちゃん、ちょっとうちに寄って行きなさい。』
医師(くすし)の義隆に呼び止められ、恐る恐るついて行く美香は、義隆の自宅に着くなり思わず声を上げた。
寸法の丁度合う法被が、壁にかけられていたからだ。それも、あの日の和幸と智子が着ていたものと、色違いのお揃いであった。
『あの、これ…』
美香が言いかけると…
『着て良いのよ。』
不意に、部屋に入ってきた智子が、法被をとって、美香に差し出した。
『え…でも…』
美香は不安そうに義隆の方を向くと、それまで気難しい顔をしていた義隆は、豊かに蓄えた顎髭を撫で、煙管を吹かしながら、幾分相好を崩して大きく頷いた。
美香は、両腕に乗せられた法被を、涙目で見つめた。
あの日、ずっと着たくてたまらなかった法被がそこにある。
社領(やしろのかなめ)の子供達が、社(やしろ)の兎神子(とみこ)達が、みんな着ていた法被がある。
それも、和幸と智子が着ていたのと、色違いでお揃いの法被であった。
薄紅色の可愛い法被…
ずっと着たかった法被…
しかし、それまで、ほんの少しでも何か身に纏えば、忽ち凄惨な仕置を受けた記憶が、着る事を躊躇させた。
『どうしたの?ほら、着よう。』
智子もあの日と同じ法被を着ながら、もう一度美香に促した。
『大丈夫、義隆御師様(よしたかのおしさま)は、私達の味方よ。親社(おやしろ)様に言いつけたりなさらないわ。ねえ、御師様(おしさま)。』
義隆医師は、更に相好を崩し…
『ここには、私と看護人(みまもりにん)しかおらん。誰も見てない。心配はいらん。』
言いながら、念の為、部屋の障子も閉めた。
『それに…』
智子は、敢えて、大きく前開きに着せてやり…
『こうやって着れば、身体(からだ)を隠す事にはならないわ。ほら…』
美香を縦鏡の前に立たせてやった。
「わあ…」
それまで、涙目だった美香が、忽ち笑顔になった。
『トモ姉ちゃんとお揃いだ。』
『美香ちゃん、可愛い。とっても可愛い。』
智子が言うと、美香は嬉しそうに法被の袖裾に頬ずりした。
しかし、それが法被の裾で胸を隠してる事を知ると、美香はまた怯え出した。
『美香ちゃん、今日は大丈夫なのよ。身体(からだ)を隠しても、誰にも怒られないし、ぶたれないわよ。』
智子が言うと、美香はまた笑顔になった。
美香は、鏡の前でクルクル回りながら、法被姿の自分に見惚れ続けた。
智子は、そんな美香を見つめながら、しゃくり上げ、袖裾で目を覆う。
義隆医師(よしたかのくすし)が、肩を抱いてやると…
『美香ちゃん、法被だけであんなに喜ぶなんて…浴衣着せてあげたい…浴衣着せてあげたいよ…』
智子は、義隆医師(よしたかのくすし)の胸に顔を埋めた。
『トモ姉ちゃん、どうしたの?』
振り向けば、智子がシクシク泣いてる事に気付き、美香は心配そうに首を傾げて顔を除き込んだ。
『そうだ…二人で写真撮らないか?』
智子が答える代わりに、義隆医師(よしたかのくすし)が、煙管を吹かしながら言うと…
『うん。』
美香は、また、嬉しそうに大きく頷いた。
その日から、月に一度、当時の宮司(みやつかさ)の目を盗んでは、智子は美香を連れ出して、義隆医師(よしたかのくすし)の家を訪ねた。
最初は、単にお揃いの法被を着て写真を撮るだけだったが、そのうち、盆踊りの練習を始めた。
『上手に踊れるようになったら、カズちゃんを此処に連れてこようね。それで、美香ちゃんとカズちゃんの二人だけで踊って、写真を撮るの。』
『えー、良いの?だって、本当はカズ兄ちゃんの事を、トモ姉ちゃんが好きなんでしょう?本当に、そんな事して良いの?』
『その代わり、ちゃんと踊れるように練習するのよ。ちゃんと踊れるようになったら、カズちゃんと踊るだけじゃない。カズちゃんに、好きだって言っても良いわ。カズちゃんが、そうしても良いよって、言ったら、お嫁さんになってもかまわなくてよ。』
『わあ!本当?』
『本当に、本当。だから、もう一度、練習しよう。』
『うん。』
そして…
既に夏は遠く、実りの秋が過ぎ、長い冬が訪れた。
社領(やしろのかなめ)の町村は真綿の絨毯に敷き詰められ、海は凍てつく銀色に染められた頃…
『美香ちゃん、上手に踊れるようになったじゃない。』
『本当?本当に上手に踊れてる?』
『ええ、もう完璧だわ。カズちゃんと踊ってもちっとも可笑しくないわ。』
『そうかな…カズ兄ちゃん、何踊らせても凄く上手だからな…まだ、一緒に踊るの恥ずかしいな…』
『そんな事ない、そんな事ない。ねえ、御師様(おしさま)。』
当初、何処か厳つく近寄り難く思えていた義隆医師(よしたかのくすし)も、今や、二人が来ると好々爺のような眼差しになる。
その日も、煙管を吹かしながら、目を細めて頷いた。
『さあ、次は、カズ兄ちゃんと二人だけで、踊ろうね。それで、上手に踊れるところを見てもらって…好きだって、言うのよ。』
智子が言うと、美香は顔を真っ赤にして俯いた。
『なーに、恥ずかしがってるの?将来、お嫁さんにして貰うんでしょう?』
美香は、人差し指を突きあわせてモジモジしながら、益々顔を赤くした。
そして、漸く顔を上げると…
『私、カズ兄ちゃんのお嫁さんにならなくて良いの。お嫁さんには、トモ姉ちゃんがなって。』
『どうしたの、急に?美香ちゃん、カズちゃんにお嫁さんにして貰う為に頑張ったんじゃないの?』
『ううん…だって、私、カズ兄ちゃんも好きだけど、トモ姉ちゃんも大好きだもん。だから、私、カズ兄ちゃんのお嫁さんにならない。お嫁さんには、トモ姉ちゃんがなって。』
『美香ちゃん…』
『その代わり、私、カズ兄ちゃんとトモ姉ちゃんの娘になる。』
『えーーー!どうして、また…妹じゃなくて、娘なの?』
『だって…私のお父さんとお母さん、私が赤兎にされてじきに死んでしまって、寂しかったから…ずっと、お父さんとお母さん、欲しかったから…だから…』
『そうだったの…』
『ねえ、私のお母さんになってくれる?』
『そうね…五歳しか違わないのに、親子って言うのも…でも、良いわ。お母さんになってあげる。』
『わあ!ありがとう!』
美香は、思わず智子に抱きついた。
『それじゃあ、今度、私とカズ兄ちゃんの二人じゃなくて、トモ姉ちゃんと三人で踊ろう。それで、三人でお揃いの法被着た写真撮るの。
ねえ、お母さん。』
『そうね、三人で踊って、三人で写真撮りましょうね。』
智子が、美香の頬を撫でて言うと、二人は満面の笑みを交わし合った。
その日から、美香は、一月後を楽しみに、毎日心ときめかせて過ごしていた。
智子と顔を合わせては、二人だけの秘密の日…次は、大事な一人を仲間に加える事を思って、特別の笑顔を交わし合っていた。
美香の毎日は、何も変わらなかった。
当時の社(やしろ)を預かる者達は、宮司(みやつかさ)である眞悟をはじめ、禰宜や権禰宜(かりねぎ)、祝彦(ほりひこ)達、皆残酷この上ない人物であった。事ある毎に、何か理由を見つけては、兎神子(とみこ)達を痛めつけて喜ぶような男達であった。
特に、どんな陵辱をされても、羞恥や苦痛を訴える事を許されない美香を、面白半分にいたぶり苛めぬいて喜んでいた。
こんな小さな子に、よく飽きもせずと思われる程、暇さえあれば陵辱を加えていた。昼間から他に仕事がないのかと思われる程、社(やしろ)の神職(みしき)や警護の神漏(みもろ)兵達だけでなく、神使(みさき)達を呼び寄せ、慰みものにしていた。犬を連れ歩くように、首に綱を巻きつけ、四つ足で領内(かなめのうち)中歩き回らせては、行先々で、好き者の男達を掻き集め、滅茶滅茶に弄ばせたりもしていた。
美香が、何か理由をつけては暴行され、泣き叫ぶのを見聞きしない日は、一日たりともなかった。
それでも、毎日ボロボロになりながら、美香は笑顔を絶やす事がなかった。
あと一月過ぎれば…
あと半月過ぎれば…
あと一週間過ぎれば…
和幸とお揃いの法被着て、一緒に踊れる…
智子と和幸…
三人だけのお祭りを楽しめる…
いつも、お内裏様とお雛様のように憧れている、和幸と智子が揃って踊るのを目の当たりにできる…
何より…
その二人と一緒に自分も踊れるのだ…
しかし…
『カズちゃん、美香ちゃんがね、大事なお話をしたがってるの。』
『美香ちゃんが、僕に?』
『そう。とっても楽しくて良い話…聞いてくれる?』
いよいよ、その日を前日に控えた日…
智子が、なかなか恥ずかしがって言い出せない美香に、和幸と話す機会を設けようとした時の事…
『キャーーーーーーー!!!!』
凄まじい絶叫が聞こえてきた。
『美香ちゃん!』
智子は、血相を変えて駆け出した。
今日もまた、何か適当な言い掛かりをつけられ、いたぶられているのだろう。
『お許し下さい!お許し下さい!キャーーーーーーー!!!!!!』
智子がかけつけると、美香は、社(やしろ)を護衛する四人の神漏兵(みもろのつわもの)達に手足を押さえつけられ、息も絶え絶えになるほど、竹刀で打ち据えられていた。打ち据えているのは、和幸に負けず劣らず美しい顔立ちをした、神漏(みもろ)衆河曽根組組頭の鋭太郎であった。
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)お気に入りの稚児でもある鋭太郎は、これまた眞悟宮司(しんごのみやつかさ)に負けず劣らず残忍な男であった。美香が泣き叫べば泣き叫ぶ程、残忍な笑みを浮かべて、更に滅茶滅茶に打ち据えていた。
と…
権禰宜(かりねぎ)の信彦は、鋭太郎に打ち据えられる美香を見ると、身悶えするように体をモゾモゾさせ、おもむろに手近にある大きな壺をとった。右手をその中に突っ込むと、人差し指いっぱいに、真っ赤なドロッとしたものを掬い上げた。
『ヒヒッ…ヒヒヒヒヒッ…』
信彦は、頬を痙攣らせ、薄気味悪い笑い声をあげると、美香の神門(みと)に掬い上げたものを塗りつけた。
『キャーーーーーーー!!!!!』
美香は、文字通り火がついたような叫び声をあげた。
それは、練り山葵に一味唐辛子と粗塩をたっぷり混ぜ合わせたものであった。
それを、連日の陵辱で裂けてしまった、神門(みと)の傷口に塗りたくったのである。
『キャーーーーーーー!!!!!』
美香が身を捩って、凄まじい声を上げて泣き叫ぶと、信彦は忽ち袴の股間をぐっしょり濡らした。
信彦には、穂柱がない。昔、黒兎の秀行に口でやらせようとした時、噛み千切られたのである。
しかし、穂袋はあり、精力もある。
なまじ、穂袋も精力も残しながら、穂柱を失った事が、元々残忍な性癖を持つ彼の性格を更に歪ませた。
通常の穂供(そなえ)で白穂を放てなくなった彼は、女の参道を痛めつける事で、切り取られた穂柱の傷痕から、大量の白穂を放つようになったのである。
『美香、もう一度聞くよ。これは、何なのかな?』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、一枚の写真を美香に突き出して、嬲るように問い糾していた。
興に入る…まさに、そんな感じであった。
そうする事が、何よりも楽しく嬉しいと言う面持ちで、ニヤけていた。
『お許しください….お許し下さい…お願いします…お願いします…』
美香は、写真を見て全身を震わせながら、ひたすら許しを乞い続けた。
想像を絶する神門(みと)や参道の激痛より、その写真を突きつけられた事への恐怖心に震えおののき青ざめていた。
『許して下さいじゃあ、わからないな。ワシは、これは何なのかって聞いてるんだよ。』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、ますますニヤけながら、信彦に顎をしゃくりあげた。
信彦も、ニィッと笑うと、壺から赤いものをたっぷり掬い上げた指を、今度は参道の中に捻じ込み、乱暴に掻き回し始めた。
『キャーーーーーーーッ!!!!』
美香は絶叫すると、また、信彦の股間が失禁したように濡れ出す。
『やめてっ!』
智子は、信彦の腕に取り縋って哀願した。
『美香ちゃん、悪くありません!私です!私が悪いのです!私が!私が!』
『コラッ!離せ!邪魔するな!』
信彦が智子を思い切り蹴飛ばすと、別の権禰宜(かりねぎ)の羽求凛(わぐり)と呼洲義(こすぎ)が、うつ伏せに取り押さえた。
『お願いします!美香ちゃんを許してあげて下さい!私なんです!私が悪いんです!』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、今度は智子に満面ニヤけて見せて言った。
『それじゃあ、お前が、この写真の説明をしてくれると言うのかな?』
智子に突きつける写真には、お揃いの法被を着て満面の笑みをこぼす、美香と智子の姿が写されていた。
『アァァァーーー!!!!』
また、美香が悲痛な声をあげた。
信彦が、一度引き抜いた指に、また、たっぷりと赤いものを掬って、再度美香の参道に捻り込み、前にも増して乱暴に掻き回したのだ。
『痛い!痛い!痛い!トモ姉ちゃん、助けて!助けて!キャーーーーーーー!!!!』
『やめて!お願い、もう辞めて!』
智子は、激しく踠きながら、哀願した。
『美香ちゃん、許してあげて下さい!仕置きするなら、私を!私を、お願いします!』
『お前も、美香と同じで分からん奴だな。ワシは、この写真の説明をしろと言ってるんだよ。
赤兎の美香が、何で、こんなもん着てるんだ?』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は一層ニヤけて言いながら、また、顎をしゃくりあげた。
すると、側に控えていた禰宜の通(かよう)と聡(さとし)が、ニィッと笑って立ち上り、各々竹刀を持った。
『おい、仰向けに寝かせろ。』
通が命じると、神漏兵(みもろのつわもの)達は、無表情で美香を仰向けに抑えつけた。
『美香や、最近、お乳が少し膨らんで、固くなってきたな。』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は言うなり蹲み込むと、三角形に小さく膨らんだ美香の乳房を思い切り抓り上げた。
『ヒィィーーーーーーッ!!!!』
美香が、乳房の痼りを捻り上げられる激痛に悲鳴をあげると、眞悟宮司(しんがこみやつかさ)がニィッと笑い…
『やれ!』
顎をしゃするのを合図に、通と聡は、美香の仄かに膨らみかけた胸を目掛けて、交互に打ち据え出した。
忽ち、美香は、耳を劈くような声で絶叫した。
『美香ちゃん…』
側で押さえつけられる智子も泣き出した。
『ほら、泣いてないで説明しろ。お前だって、知ってるだろう?赤兎は、最初の子を孕むまで、布切れ一枚身に纏う事を許されてない事くらいな。だのに、何で、こんなもん着てるのかを説明しろと言ってるんだ。こんな簡単な事、何故言えん。』
『私が着せました…』
智子は、しゃくりあげながら言った。
『何だって?』
『私が着せてあげました…お祭りの日、美香ちゃんだけ、浴衣も法被も着せて貰えなくて、可哀想だったから…』
『つまり、美香は赤兎の分際で、人が着てる浴衣や法被を羨ましがった、着たがっていた。そう言う訳なんだな。』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は意地悪く言うと、禰宜の一人から竹刀をもぎ取り、滅茶滅茶に美香の胸を打ち据えたあと、思い切り突き入れた。
また、美香の絶叫がこだまする。
『違います!私が着せてあげたかったのです!美香ちゃん…美香ちゃん…これまで一度も人が着てるものを羨ましがった事も、自分が着たがった事もありません!それどころか…』
智子は、激しく嗚咽し、声を詰まらせながら言った。
『この子、自分は何も着せて貰えないのに、私達の為にいつも手袋や襟巻きを編んでくれました…自分はいつも震えて暮らしてるのに、私達が寒くないようにって…だから…』
『それで、お前が着せてやったと…でも、着たのは、美香だな。赤兎の禁忌を破ったのは、美香だな。』
眞悟は憎々しげに言いながら、今度は思い切り美香の胸の膨らみを踏みつけた。
『お願いです…もう、許してあげて下さい…禁忌を破ったのは私です。私が美香ちゃんに着せたんです…あんまり…あんまり、可哀想だから…
それに…美香ちゃん、身体(からだ)を隠してません…法被を羽織っただけで、身体(からだ)の何処も隠してません…』
『成る程、確かに…』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、もう一度写真を眺め直し…
『確かに、悪い了見の姉さんに法被を着せられても、此処はちゃんと丸出しにしてるな。』
言いながら、信彦がもつ壺から、たっぷり赤いものを指で掬い上げ、参道に捻じ込み掻き回し出した。
『キャーーーーーーー!!!』
『よしよし、その点は良い心がけだ。偉い偉い…とっても偉いぞ。』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、散々参道を掻き回した指を引き抜くと、漸く気が済んだと言うように…
『離してやれ…』
美香を押さえつける神漏兵(みもろのつわもの)達と、智子を押さえつける権禰宜(かりねぎ)達に顎をしゃくった。
『美香ちゃん!』
『トモ姉ちゃん!』
美香は、漸く解放されると、駆け寄る智子に飛びつこうとした。
刹那…
『痛っ!』
美香は、赤いものを捻じ込まれ、掻き回された参道に激痛が走り、股間を抑えて蹲った。
すると…
『おまえ、何そこを隠してるんだ?』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、目を細くして美香を睨みつけるや、その小さな身体を思い切り蹴飛ばした。
『美香ちゃん!』
智子は、美香の側へ駆けよろうとするより早く、また、俯せに押さえつけられた。
『あれだけ仕置されても、まだ、自分の立場をわきまえられないようだな…』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、半間先まで転がり、倒れこむ美香の側に寄ると、股間をグリグリと踏みつけ、乳首を竹刀の先で小突き回した。
最早、悲鳴をあげる力もない美香は、呻き声を漏らした。
『連れて行け。』
眞悟宮司が顎をしゃくると、神漏兵(みもろのつわもの)達は、引き摺るように美香を連れて行った。
『お願い…もう、やめて…仕置するなら私にして…私が、禁忌を破ったの…私が、美香ちゃんに法被を着せたの…私が悪い事したの…だから、私、どんな仕置も受けます…だから、だから…』
『そうだ、おまえが悪いんだ。』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、足元に取りすがって哀願する智子に、ニンマリ笑って言った。
『おまえが、浅はかな気持ちでした事が、どんな結果を招いたか、その目でじっくり見ておくと良いさ。
それと、もののついでに教えてやろう。あのヤブ医者(くすし)の義隆だけどな…医師(くすし)の地位を剥奪されて、東洋水山中に追放されたぞ。』
『そんな…御師様(おしさま)が…』
『おまえが、つまらん事をあいつに頼み込んだ結果だ…おまえが、あのヤブ医者(くすし)の人生を奪ったんだ。』
『御師様(おしさま)まで、私のせいで…私のせいで…』
蒼白になって、その場に滝崩れる智子を後ろにし…
『さあて、おまえのせいで、美香がどんな目に合うかじっくり見ながら、自分のしでかした事をじっくり考えるが良いさ。』
ゲラゲラ笑いながら、美香を引きずり連れ去った神漏兵(みもろのつわもの)達の後を追って行った。
大雪の中。
境内に聳える大木の一つに、美香は全裸で何日も縛りつけられた。
その間、絶え間なく氷の貼る井戸の冷水を浴びせられ、気を失いかけると、神漏兵(みもろのつまもの)達は、容赦なく竹刀で打ち据えた。
『おうおう、可哀想に…智子のせいで、こんなに凍えちまって…よしよし、今、思い切り暖めてやるからな。』
禰宜や権禰宜、祝彦達は、そう言っては、息も絶え絶えの美香を陵辱した。
兎神子(とみこ)達の身体目当てに訪れる領民(かなめのたみ)達も、同じような言葉を口にしては、美香を弄んだ。
誰一人、大雪の中、大木に縛り付けられて震える美香に同情する者はいなかった。
そんな光景を目の当たりにした蔵の中に、智子は閉じ込められていた。
『お願いします!私が、代わります!私が代わりますから、美香ちゃんを、中に入れてあげて下さい!お願いします!お願いします!』
智子は、次第に弱り行く美香を目の前に、激しく蔵の戸を打ち据えながら、泣き叫んで哀願し続けた。
『寒いよう…トモ姉ちゃん…寒いよう…』
当初…
美香は、朧に霞む蔵の中の智子の方を向いて、凍え震え続けた。
どんなに寒くても、身体(からだ)を抱いて、蹲る事も許されなかった。
ほんの少しでも、身体(からだ)を抱いて蹲ろうとすれば…
『おまえ、何、身体(からだ)を隠してるんだ?赤兎はどんな時も身体を隠してはいかん事、まだわからんのか?』
神職(みしき)や神漏兵(みもろのつわもの)達は、激しく美香を打ち据えた。
ある時に至っては…
通と聡が火鉢を抱えてやってきたかと思うと…
『そうか、そうか、そんなに寒いのか、可哀想にな。それじゃあ、たっぷり暖めてやろうな。』
言うなり、中で真っ赤に焼けた焼火ばしを取り出し、美香の足の指や指の間、足の裏に押し当てたり、突き刺したりした。
しかし、そのうち、そうされても泣き叫ぶ力すら失っていった。
もう、自分がどこで何されてるのかもわからなくなっていった。
そうなると…
『トモ姉ちゃん…三人で…盆踊り…写真…』
美香は、もう寒さを訴える事もなくなり、譫言のように呟いて、智子にニコニコ笑いかけるようになった。
そうして、何日目の事だろう…
『トモ姉ちゃん…好き…大好き…私の…お…母さん…』
最後にそう呟くと、もう一度、満面の笑みを零しながら静かにその場に崩折れた。
『美香ちゃん!嫌よ!嫌!嫌!美香ちゃん、起きて!目を開けて!法被着せてあげるから!浴衣も、可愛いおべべもいっぱい着せてあげるから!だから、目を開けて!目を開けてよー!』
しかし、狂ったように泣き叫ぶ智子の前で、美香は二度と目を開ける事も、動く事もなかった。
『どうだ、友達を殺した気分は。』
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、漸く蔵から出されると、いつまでも美香の亡骸を抱きしめ泣き噦る智子に、嘲笑うように言った。
『美香も可哀想になあ、智子の浅はかさのせいで、こんなに冷たくなっちまって…
智子、美香の顔をよーっく見ておけよ。こいつは、おまえが殺したんだぞ、おまえがな。』
智子は、何も答えず、ただただ、美香の亡骸を抱きしめ、泣き続けた。
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、そんな智子に追い打ちをかけるように、冷たく言い放った。
『おまえが殺した責任だ。美香の死体を片付けてこい。』
そして、美香の亡骸を裸のまま、智子に背負子で担がせ、兎神子(とみこ)の亡骸を葬る兎喪岬(ともみさき)まで運ばせた。
『美香ちゃん、ごめんね…私のせいで…私のせいで。』
智子は、道すがら、背中の美香に何度も何度も謝り続けながら、歩き続けた。
やがて、長い長い道のりの末、漸く兎喪岬(ともみさき)に辿り着くと…
『おろせっ!』
神漏(みもろ)衆河曽根組組頭の鋭太郎が、智子に命じた。
智子は立ち止まると、背負子の背負縄を握りしめ、身を固くした。
『何してる!早くおろせ!』
鋭太郎は、更に声を荒げて命じた。
智子は、応じる代わりに、眼下の断崖を見下ろした。
益々激しく吹雪く風…
凍てつく海は、激しく波を岸壁に打ち付けていた。
智子は、泣く泣く美香の亡骸を降ろすと、羽織りを脱ぎ、美香の亡骸に着せてやろうとした。
『何やってんだ!』
鋭太郎は、智子を激しく蹴って突き放すと、美香に着せられた羽織りを、乱暴に剥ぎ取った。
『嫌っ!』
智子は、激しく泣き叫ぶと、美香の亡骸に取り縋った。
『嫌っ!嫌っ!美香ちゃんに何か着せてあげて!お願い!何か着せてあげて!』
『何、馬鹿な事を言ってるんだ!赤兎は、死んでも何も着る事は許されない!おまえ、知ってるだろう!離せ!離すんだ!』
鋭太郎が怒鳴りつけると、神漏兵(みもろのつわもの)達は、寄ってたかって智子を殴り蹴飛ばして、美香の亡骸から引き離そうとした。
『嫌よ!嫌っ!嫌っ!美香ちゃんに何か着せてあげて!こんなに寒いのに、裸で海に捨てる何て可哀想よ!可哀想よ!』
しかし、神漏兵(みもろのつわもの)達は、智子を激しく殴り蹴り続けながら、ズルズルと美香の亡骸を崖っぷちまで引き摺って行った。
『お願いします!美香ちゃんに何か着せてあげて下さい!お願いします!お願いします!美香ちゃん、可哀想!裸のまま捨てないで…捨てないで…』
やがて…
更に激しく岸壁を打ち付ける波…
肌を刺すように吹雪く風…
『えぇぃっ!離せって言ってるだろうが!!!』
尚も美香の亡骸に縋りつこうとする智子が、鋭太郎に無理やり引き離され、蹴飛ばされ、激しく打ち据えられる傍…
美香の小さな亡骸は、神漏兵(みもろのつわもの)達に投げ捨てられると、音もなく、渦巻く潮に掻き消されていった。
『なーに、寒かないさ。』
『この辺りは、鱶が多いんだ。あっと言う間に食われて、温い胃袋の中に行けるだろうさ。』
代わる代わる智子の肩を叩き、神漏兵(みもろのつわもの)達はゲラゲラ笑いながら去ってゆく中。
『美香ちゃん、ごめんね…ごめんね…美香ちゃん、ごめんね…』
智子は、美香が投げ捨てられた崖縁に座り込み、両手が擦り切れる程地面を叩きつけながら、いつまで慟哭し続けた。
「目の前の美香ちゃんを、一人ずつ幸せにしてやれ。」
私は、いつまでも写真を見つめて立ち尽くす和幸の肩に手を乗せて言った。
「目の前の美香ちゃんを幸せにしながら、自分も幸せを掴め。誰かが掴めなかった幸せを誰かに掴ませ、自分も幸せを掴む。その積み重ねが、何かをほんの少し変えて行く。私はそう思うよ。」
和幸は、何も言葉を発する事なく、ただ、憂いに満ちた切れ長の眼差しを私に向けた。
「何より、トモちゃんと美香ちゃんが、君の幸せを喜ぶだろう。後三月…希美ちゃんの若い父親をしながら、じっくり考えると良い。」
振り向けば…
菜穂は、相変わらず希美と楽しそうに話しながら、箱車を押して、畦道を歩いている。
どんな話をしてるのだろう…
希美は、箱車の中で、始終クスクスと笑い続けていた。
「ナッちゃん、希美ちゃん。」
和幸が二人を追いながら呼びかけると、菜穂は足を止め、希美と二人で、和幸の方を振り向いた。
「ここを出る前に、写真を撮らないか?」
「写真?」
「そう、写真だよ。お揃いの法被着て、ここの思い出に写真を撮ろう。」
和幸が、菜穂と希美を両腕に抱いて言うと…
「わあ!素敵!」
菜穂は、手を叩いて喜んだ。
「ねえ、希美ちゃん。お父さんとお母さんと三人で、お写真撮りましょうね。」
菜穂が言うと…
「うん。」
希美も、満面の笑顔で頷いた。

兎神伝〜紅兎〜(10)

2022-02-01 00:10:00 | 兎神伝〜紅兎〜惜別編
兎神伝

紅兎〜惜別編

(10)幻舞

凍てつく天安川の川面に薄氷が張り、風に舞う雪が、河原を銀灰に染める。
明け方…
刺すような風に頬を炙られ、腰まで伸ばした射干玉(ぬばたま)の髪は、荒々しく靡き狂う。
雪に煤ける程生白い肌に、繊細な体躯…
何より、美しい細面な容貌は…
一目見に、彼が男だと、誰が信じられよう。
和幸は、両手に一本ずつ握りしめる鉄扇を広げると、ヒラヒラと空を仰ぎながら、右膝を折って前に突き出し、左片足立ちになる。
次第次第に吹雪く風が激しさを増す中…
一差し舞い始めた。
胡蝶の如くはためく天色の水干の袖…
湖上に浮かぶ水鳥の如く地を滑る瑠璃紺の長袴…
幽玄か…
妖艶か…
善悪正邪定まらぬ、夢幻の美…
もし、そこに誰かが立ち会っていれば、時を忘れて魅入られた事だろう。
あるいは…
この吹雪く白い闇の中…
厳寒を忘却させ、人を凍死させる、雪女の息吹にも似た、魔性の踊りとも言えるかも知れない。
しかし…
立ち会う者も見惚れる者もない…
孤高の闇を、一人流離う木の葉のように、無言の舞は延々と続いた。
脳裏を掠めては消え…
消えては新たに脳裏を過ぎる諸々の光景…
喜びの瞬間と悲しみの光景が交差して過り…
和幸の心を乱す。
早苗を兎の箱車に乗せて駆け回る貴之と亜美…
喧嘩しながらも、早苗を挟んで友情を育んだ二人…
仇敵同士の友情も、早苗の死で終わりを告げた…
貴之は海の藻屑と消え、亜美は心を閉ざした…
凄惨な一生の中…
たった一度だけ見せた、美香の至福の笑顔…
その隣に、同じ至福の笑顔で立つ智子の笑顔…
しかし…
あの笑顔も、美香の凄惨な死で終わりを告げた…
智子は、死ぬまで自分を許さずに逝った…
拾里にきて、里人達と触れ合い…
希美との出会いに漸く救いを見出した時…
病に追いつかれてしまった…
次に脳裏を過るのは…
自分との間に産まれた子を抱く菜穂の笑顔…
田打の末にできた子だが…
本当の愛を育んで産まれてきた子…
その子を奪われた時の菜穂の涙…
未だに癒えぬ心の傷…
漸く、その穴を埋てくれた希美も程なく逝く…
目を瞑れば…
やがて訪れる死の別れなど忘れているかのように…
一日中、遊び笑う菜穂と希美の姿が過っては消える。
愛はどうしているのだろう…
美香と同じ凄惨な日々の末…
ずっと思いを馳せていた人との間に子を産んだ…
僅か十二歳の身で…
その子ももうすぐ奪われ…
愛自身も、更なる地獄に投げ込まれる。
漸く訪れた幸せとは…
どうして…
こんなにもはかなく脆く消えてゆくのだろうか…
消したくない…
消えて欲しくない…
一つ一つの笑顔…
掛け替えのない幸せ…
もう誰も…
誰の笑顔も幸福も奪われたくない…
憂に満ちた切れ長の眼差しは、ヒラヒラと空を仰ぐ鉄扇先の彼方、尚も新たに過ぎる何かを見つめていた。
そして…
静寂…
再び、右膝を折り高く掲げ、片足立ち…
鉄扇を閉じながら、両手をゆっくり広げて行く。
飛燕の如き構え…
静かに呼吸を整え、掲げた足をゆっくりおろしながら、眼を閉じる。
静寂…
漸く脳裏に過ぎる全ての追想を絶った時…
また一つ、新たな光景が脳裏を掠めた。
『心を乱しているな…』
私は、延々と舞い続ける和幸を見つめながら思った。
何に心乱しているか、言わずともわかる。
三年前…
紅兎なる暗殺集団に与して決起し潰え、一度は消えかけた炎の埋み火が、再び燻りだしたのだろう。
智子の死…
やがて訪れる希美の死…
希美の死と共に終わりを告げる菜穂との幸せ…
そして…
愛と愛が産んだ赤子の待ち受ける過酷な定め…
どんなに沈着冷静な彼でも、それらを直視して受け止めるには若すぎる。
彼は、まだ、二十歳なのだ…
吹雪如きで覚ますには、若き血の滾りは熱過ぎる。
目を瞑れば、あの日の光景が脳裏を過ぎる。
兎喪岬にて襲撃を受けた翌日…
鳥居を潜る私と、和幸は何食わぬ顔で挨拶を交わし、通りすぎようとした。
『前の宮司(みやつかさ)と禰宜達を消したのは、君達達だね。』
私が、さりげなく耳元に囁きかけると、和幸は、胸元に手を忍ばせた。
ガシッ!
私は、鞘に収まる刀で、横薙ぎに振りかざされた、閉じた鉄扇を受け止めた。
眉一つ動かさず、私を見据える和幸に殺気はない。
『河曽根家(かわそねのいえ)の神漏兵(みもろのつわもの)達が、君達に眼をつけている。』
言い終える間もなく、横薙ぎに一回転しながら、双方後方に飛び退る。
素早く広げられる鉄扇…
鞘走る胴狸…
鈍い金属音と同時に、二枚の鉄扇が、空高く弾き飛ばされた。
『やはり、貴方の方が、我らより数段上…』
私が素早く鞘に収めた胴狸の柄を下方に向けて構えると同時に、腰を落として両の手刀を構える和幸が言った。
『何の…敢えて尋常ならざる殺気を放ち、もう一人の気配を断ち、頃合いを見るや、自ら仮面を切らせて合図を送る…見事だ。』
私が、口元微かに笑って言うと、和幸もニィッと笑った。
『貴之君、出ておいで。』
私が振り返ると、相変わらず凄まじい殺気を放ち、憎悪に満ちた眼差しを向けて、浅黒い肌をした少年が、釣竿を構えて姿を現した。
『君が、何を相手取りたいかはわからぬが、殺気が強すぎる。それでは、とても勝負にならないぞ。』
尚も、尋常ならざる殺気と憎悪にギラつかせた眼差しを向ける、浅黒い少年は…
『今回の件…注連縄衆の仕業と言う事で、話をつけてある。まずは、殺気を消す事を覚えて出直して来い。いつでも相手してやろう。』
私が言うと、軽く舌打ちして、去って行った。
『若いな…』
私が吐息を一つついて言うと…
『そう、僕達は若過ぎます。』
和幸が、背中から答えて言った。
『だから、貴方が必要です。』
『必要?』
振り向くと、和幸の涼しげな眼差しが、真っ直ぐ私の目を見つめた。
『僕達を率いて頂けませんか?』
『何の為に?』
『皆を救う為に…』
『私が何者か知った上で、言ってるのか?』
『自分では、そのつもりです。』
『私は、白穂を放てるようになってから、お前達の仲間達を凌辱し続けてきた男だぞ。それも、まだまともに穂柱を受け入れきれぬ程、幼く小さな赤兎の参道を引き裂いてな。
貴之君に嬲り殺されて当然の男だ。』
『心の中で、血の涙を流しながら…』
『いや…笑い、楽しみ、常世の快楽にひたりながらだ。君も一度試すと良い。泣く事も争う事も許されぬ、常時素っ裸にされた七つか八つの赤兎の参道を引き裂き貫く快楽を知ったら…もう二度と、まともに女を抱けなくなるぞ。』
私が微かに口元を綻ばせて言うと…
『悲しい方ですね、貴方は…』
和幸はそう言って、更に涼しげな目線をまっすぐ私の目に向けた。
『それ程まで、貴方は苦しみを帯びて生きてこられた。ご自身を貶めねば済まない程に。愛する赤兎と呼ばれた妹を目の前で痛めつけ、殺されていった私に、そんな話しを聞かせて、嬲り殺されねばならぬと思う程に。貴方は傷ついて生きてこられた。』
『傷ついて生きてきた覚えはない。楽しんで生きてきたのだ。だから…お前達の仲間とも言える連中を、この手で残酷に殺し続ける事もできた。』
『注連縄衆…ですか?』
『そう…人民を帝政から解放して誕生した、史上初の共産平等の国…北天の明星国と手を結びし、天領(あめのかなめ)の逆徒(さかきやから)。彼の国と同じ理想を皇国(すめらぎのくに)にも実現しようとしてる連中だ。』
『ならば、奴らは我らの仲間ではありません。むしろ敵です。奴らは、皇国(すめらぎのくに)圧政の支柱だと言って、社(やしろ)を襲撃しては、白兎や赤兎を片端から殺戮しました。貴方がやらなければ、僕がやったでしょう。』
『それだけではないぞ。私は、かつて北の楽園や中原の楽土に逃れようとする者達を…』
『どうでも良い話しです。』
和幸は、みなまで言わせず、私の話しを遮った。
『僕は、若すぎる僕達を、貴方に率いて頂きたい。それだけです。
勿論、ただで…とは、申しません。必ず、埋め合わせをさせて頂くつもりです。』
『埋め合わせ…だと?』
『全て、事が成就した暁には…僕の手で、貴方を殺して差し上げますよ。』
『私を、殺す?』
『殺して欲しいのでしょう?貴方がこれまで、その手で弄んだ、兎神子(とみこ)達の仲間の手で。その望み、僕が叶えて差し上げましょう。』
そう言って、いつまでも私の目を見つめ続ける眼差しは、涼しげでありながら、奥底には激しく熱い炎の埋み火がメラメラと燃え立っていた。
私は大きく息を吐き、再び目を見開くと、あの日の追想は消えた。
和幸は、十分に呼吸を整えると、静かに眼を見開き、ゆっくり立ち上がりながら、再び両手に握る鉄扇を開いて、胸元で交差させた。
「新しい、舞か。見事だ。」
私が声をかけると、返事の代わりに切れ長の目線を送ってきた。
「もう一差し、舞うてくれぬか?」
「この舞は、一度目にすれば死を招く。それでもよろしければ…」
「望むところ…」
和幸はまた眼を瞑り、呼吸を整えると、両手の鉄扇をヒラヒラ揺らめかせながら、広げては閉じ、閉じては広げて、ゆっくりと後方に下がって行った。
激しく吹雪く風…
朧に霞む青白い闇のなかで、この世ならざる美しい和幸の舞が夢幻の光彩を放つ。
私の足は、吸い寄せられるように、無意識に動き出した。
魅入られまい…
本能が危険を知らせて、鉄扇の先端から、眼を背けさせる。
しかし…
和幸の舞が放つ魔性の煌めきが、己の意思とは別に、目を惹きつけた。
一歩…
また一歩…
和幸が、胡蝶が舞う如く、鉄扇と水干の袖をヒラヒラさせ、両手を広げては窄め、窄めては広げ続けるのに合わせて、吸い寄せられて行く。
睡魔が襲い、微睡む意識が遠のいてゆく…
心地よい…
宙に浮かび、羽毛に包まれるような心地がする…
次第に、引き寄せられていると言う感覚すら忘れ去らせる。
成る程…
これが、最近編み出した技…
神楽幻舞殺…
私は、一瞬、無我の境地に入り、舞の幻惑を交わそうと思った。
しかし、やめた…
このまま、和幸の新しい幻舞を受けてみたくなった。
恐らく、その先にあるのは、速やかなる死…
脳裏には、また愛の笑顔が過ぎった。
赤兎となる前…
天真爛漫でお天馬だった愛と、山道を駆け抜けた日々を思い出す。
あの日は二度と戻っては来ない。
皮剥の日…
愛の父…
山田屋隆夫(やまだやのたかお)が、無造作に帯を解き、肩の襟を掴んで乱暴に着物を引き下ろすと、肌襦袢に裾除け姿の愛が、篝の炎に映し出された。
周囲に群れ集う、鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)の産土神職家(うぶすなみしきのいえ)の者達は、一斉に生唾を呑み込み、舌舐めずりをする。
産土神職家(うぶすなみしきのいえ)と言えば、社領(やしろのかなめ)の宗家筋である。祭祀を司る神祇官(みかみのつかさ)の神職(みしき)とは別に、両官(ふたつのつかさ)と呼ばれる、行政を司る神政官(みまつりのつかさ)の神使(みさき)や、軍事を司る神軍官(みくさのつかさ)の神漏(みもろ)の官人(つかさびと)を輩出する家柄である。
しかし…
そこに居並ぶ者達の面差しに、およそ、高貴な家系に生まれた者の品格はない。
皆、猥雑な笑みを浮かべながら、ジッと、実の娘の身体(からだ)を最後に覆う、肌襦袢の紐に手を伸ばす、山田屋隆夫に、下卑た眼差しを向けていた。
声を発する者は誰もいない。
しかし、モゾモゾ蠢く股間の膨らみは、娘の腰紐を力強く握りしめたまま、涙ぐんで固まる山田屋隆夫に何を訴えているかを雄弁に語っている。
『愛…すまない…』
山田屋隆夫は、絞り出すような一声を発すると…
愛が振り向き、大きく頷くのを合図に、思い切り腰紐を引っ張り、肌襦袢と裾除け…
更に腰巻まで、一気に引き剥がし、実の幼い娘の白無垢な姿を、曝け出した。
『オーーーーッ!!!』
忽ち周囲に鳴り響く、大きな響めきが、それまでの沈黙を一気に打ち破った。
冷たい風に炙られ、バチバチと音を立てて勢いずく篝火の炎が、愛の身体を隅々まで映し出す。
愛は、年頃の少女にしては、背が高かった。
面差しも何処か大人びていて、九歳でありながら十二歳くらいに見えた。
逆に、背が小さく幼い面差しをした智子や早苗と並ぶと、愛の方がお姉さんに見える。
しかし…
それは、あくまでも着物を着ていればの話である。
全てを剥ぎ取られ、産まれたままの姿を曝け出されて見れば、まだ殆ど幼児の体型を残したままである。
少年とさほど変わらぬ肩の作り…
丸みのない細い腰…
まだ萌芽の兆しも見られぬ小さな神門(みと)のワレメ…
ただ…
逆三角形に膨らみ始めた小さな胸が、仄かな女らしさの兆しを表していた。
更に吹き付け、肩まで伸ばす髪を旗の如く靡かせる冷たい風と、刺すよう向けられる群衆の視線…
それでも、羞恥に駆られて手で身体(からだ)を覆う事も、寒さに縮こまる事も許されぬ幼い少女は、ただ、硬く瞑った目に涙を滲ませ、引き結ん唇を噛み締めた顔を背かせ、窄めた肩と握りしめた拳を震わせている。
凡そ、心ある者であるなら、この光景を目の前に抱くのは、痛々しさと激しい胸の渦きだけであろう。
だが…
周囲を取り囲む群衆の中に、心ある者の姿は一人もない。
更なる欲情を剥き出しに、舌舐めずりをする彼らが疼かせるのは胸ではなく、股間の方であった。
最前列の者達は、最早待ちきれぬとばかりに、怒張しきった穂柱を揉みながら、ジリジリと進み出て来ようとする。
愛は、とっくに覚悟を決めていた。
二年も前から、この日に備え、因果を含められてきた。
因果を含められるだけでなく、実の父の手で、厳しい田打も受け続けてきた。
しかし…
いざ、何十人もの男達が、欲望を剥き出しに迫りくると、愛は思わず身体(からだ)を震わせながら尻込みをした。
目から大粒の滴を溢れさせ、鼻を摩り出している。
『許してくれ…』
山田屋隆夫は、もう一度、絞り出すような声をあげると、無意識に嫌々をしながら後退りする娘の両腕を羽交い締めにし、両脚を広げさせた。
すると…
最前列に参列する、産土宮司(うぶすなのみやつかさ)首座、神漏(みもろ)衆総帥、河曽根鱶見家(かわそねふかみのいえ)筆頭、河曽根棟梁康弘連鱶見本神軍大将陸郎人和邇雨本神祇中伯円高(かわそねのむねはりのやすひろのむらじふかみのもとつみくさのおおいかみりくろうとうわにさめのもとつみかみのなかつかみまるたか)が、前に進み出た。
縦一直線に禿げ上がり、縞模様状に両脇の髪を伸ばし揃えた頭頂部を撫でながら、康弘連(やすひろのむらじ)は愛の股間に顔を近づけた。
『広げろ。』
康弘連(やすひろのむらじ)に命ぜられるまま、山田屋隆夫はむせび泣きながら、指先で縦一本線の小さな神門(みと)のワレメを押し広げた。
『良い色してるじゃないか。』
康弘連(やすひろのむらじ)は言うと、舌舐めずりしながら、神門(みと)のワレメに指を差し込んだ。
『イッ…イギッ…イギギギ…』
愛は、歯を食い縛って顔を背け、身を捩った。
山田屋隆夫が、泣きながら更に強く愛の身体(からだ)を押さえつける。
康弘連(やすひろのむらじ)は、中に入れた指先を乱暴に掻き回し出した。
『アーーーーーッ!!!!!』
愛の絶叫がこだまする。
しかし、小さな参道を掻き回され、泣き叫ぶ幼い少女に、憐憫を抱く者は一人もいない。
むしろ、皆、疼く股間を揉みながら、舌なめずりして、次に起こる事に期待を膨らませている。
康弘連(やすひろのむらじ)の両脇では、次男の美唯二郎(びいじろう)と三男の椎三郎(しいさぶろう)が、早く順番を回せと言うように、膨らむ股間を蠢かせながら、父親のする事を見守っていた。
康弘連(やすひろのむらじ)は、存分に小さな参道を掻き回すと、神門(みと)先端部にある神核(みかく)の包皮を捲りあげ、直に抓り上げた。
『アッ!アッ!アッ!アーーーーーーッ!!!』
愛は、一段と凄まじい声をあげて、絶叫する。
『どうだ?気持ち良いか?気持ち良いだろう?』
康弘連(やすひろのむらじ)は、泣き叫ぶ愛の顔を覗き込み、ニンマリ笑って言うと、神核(みかく)を抓りあげる指先に一層力を込め、再び参道を掻き回し始めた。
『アァァーッ!!!アァァーッ!!!アァァーッ!!!』
『ほれ、どうした?何故黙ってる?気持ち良いんだろう?気持ち良いなら、気持ち良いって言ってみろ。ほれ、ほれ、ほれ…』
『アァァァァーーーーーーーッ』
愛が、激しく首を振り立て、身を捩り、泣き叫べば泣き叫ぶほど、康弘連(やすひろのむらじ)は興にいったように、何度も何度も神核(みかく)を抓りあげ、参道を掻き回すのに熱をあげていった。
『よしよし、こんなもんで良いだろう。』
康弘連(やすひろのむらじ)は、漸く気が澄んだと言うように、抓りあげる神核(みかく)と、掻き回す参道から手を話すと、舌舐めずりしながら、またニンマリと笑って見せた。
愛は、未だ泣きながら手足を押さえつける父の腕の中で、肩で息をしながら啜り泣いている。
最初の貫通をまたず、参道膜が破けたのであろう。
神門(みと)の裂け目からは、血が溢れ出している。
しかし、それはまだ、始まりに過ぎなかった。
康弘連(やすひろのむらじ)は、徐に袴と褌を脱ぎ捨て、先端をヌルヌルと湿らせそそり勃たせた穂柱を剥き出すと、愛の小さな神門(みと)に近づけ、一気に参道を貫いた。
『イッ!イッ!イッ!イタイッ!イタイッ!イターーーーーィッ!!!!』
再び、愛の凄まじい絶叫が、辺り一面にこだました。
あの時…
私は、河渕鱶見家(かわぶちのふかみのいえ)筆頭、河渕棟梁恵三連鱶見本神軍少将和邇雨本神祇少伯沸知梵(かわぶちのむねはりのよしみつのむらじふかみのもとつみくさのすないみかみわにさめのもとつみかみのすないかみふっちほん)に、当面赤兎を兎幣しない事と、愛を白兎として兎幣する事の支持表明を条件に、鱶見社領(ふかみつやしろのかなめ)の大連(おおむらじ)として承認した。
親友であり、長年改革の志を高く抱いてきた、河泉鱶見家(かわいずみふかのいえ)筆頭純一郎に、権宮司(かりのみやつかさ)の官職(つかさしき)と引き換えに身を引かせる形でである。
しかし…
恵三大連(よしみつのおおむらじ)は、約束を反故にした。
総宮社(ふさつみやしろ)の総宮司(ふさつみやつかさ)である私の父に根回しをして圧力を掛けさせ、愛の皮剥を強行させたのである。
その背後に、康弘連(やすひろのむらじ)の横槍があった。
康弘連(やすひろのむらじ)は、昔、商人の売り上げにかける新たな玉串料の徴収に反対表明する事を公約して、大連(おおむらじ)の座につく支持を、中小商工の座頭(ざがしら)衆から取り付けた事がある。
しかし、その公約は、大連(おおむらじ)の座を温める間もなく反故にして、程なく退かされる事になった。
それでも、本社領(もとつやしろのかなめ)の連(むらじ)にして、産土宮司(うぶすなみやつかさ)の首座である彼は、未だその権力は、全社領(すべてのやしろのかなめ)において絶大的なものがある。
本社宮司(もとつやしろのみやつかさ)である私や、本社権宮司(もとつやしろのかりのみやつかさ)である純一郎よりも、社領(やしろのかなめ)における実権は、康弘連(やすひろのむらじ)の方が上であった。
その康弘連(やすひろのむらじ)が、恵三連(よしみつのむらじ)に、愛を予定通り白兎ではなく赤兎に兎幣するよう迫ったのである。
一つには、売り上げにかける玉串に最も反対した居見世座頭(いみせのざがしら)・林屋木久蔵(はやしやのきくぞう)への、執念深い復讐心があった。
林屋木久蔵は、兎神家(とがみのいえ)の庇護者であり、愛の父親である山田屋隆夫の親友でもあった。愛の事も、実の娘と同じくらい可愛がっていた事から、赤兎の兎幣廃止を強く願っていたのである。
その林屋木久蔵の前で、愛が領内(かなめのうち)中の男達に弄ばれる姿を見せつけてやる事で溜飲を下げる事を、康弘連(やすひろのむらじ)は密かな楽しみにしていたのである。
もう一つには、売り上げに掛ける玉串料の三割を、五割に引き上げる目論みがあった。
それに対する大商工座頭衆の支持を取り付ける為には、莫大な利権が絡む皮贄と赤兎の兎弊を強行する必要があったのである。
『おまえの娘、良い味してるじゃないか。木久蔵の奴が、可愛がるわけだな。』
康弘連(やすひろのむらじ)は、娘以上に泣き噦る愛の父、山田屋隆夫の耳元に囁き掛けると…
『間接玉串の件では、随分と木久蔵の奴に煮湯を飲まされたからな。その礼に、今夜は明けるまで、皆でたっぷり可愛いがってやるからな。』
周囲には、二人の息子達をはじめ、何十人もの参列者が舌舐めずりして順番を待つ中…
更に激しく腰を動かし、血塗れになった愛の参道を抉り続けた。
そして、三年…
愛は来る日も来る日も、全裸の身体(からだ)に群がり来る男達の玩具にされた。
なす術のない私に、一度は心を開いてくれた貴之が、再び憎悪を抱くようになった。
和幸は、かつていつも私に傾けてくれた優しげな笑顔を見せなくなった。
その間…
早苗と智子が命を縮めた。
本当なら、二人共、とっくに拾里に来ている筈であった。
しかし、いつも全裸でいる愛が、数多の男達に凌辱される姿を前に、拾里行きを拒み続けた。
早苗は、せめて愛に着物を着せてやって欲しいと言い…
智子は、既に傷だらけのボロボロになった愛を、一緒に連れてゆくのだと言って、拒み続けた。
結局、そのせいで二人は死んだ。
全ては私のせいなのだ…
会いたい…
聖領(ひじりのかなめ)に送られる前に…
もう一度、愛と過ごしたい…
愛に子を産ませる為、二人きりで篭った日々を思いだす。
愛に抱かれ、愛に誘われ、愛と一つになった日々…
愛の腕の中で、産まれて初めて深い眠りについた日々…
もう一度、あの日々を…
しかし…
私は守ってやれなかった…
誰も守ってやれなかった…
聖領(ひじりのかなめ)行きも…
私に阻止する力があるだろうか…
戦いは決意した…
しかし…
社領(やしろのかなめ)における康弘連(やすひろのむらじ)の権勢を前に…
何より…
総宮司(ふさつみやつかさ)である父…
鱶腹大神祇伯慎太郎(ふかはらのおおいみかみのかみしんたろう)の前に…
私に何ができるだろう…
無力だ…
無力だ…
無力だ…
此処で、和幸に斬られれてしまえば、どんなに楽だろう…
私の足は、更に更に、吸い寄せられながら、左手を静かに腰の胴狸に触れさせる。
広げた右手をゆるゆると、下方に向けられた柄へと導く。
和幸は、立ち止まる。
同時に、左右の鉄扇で交互に円を描くような動きを見せた。
高鳴る鼓動…
突如、金縛りにあったように、私の身体は動かなくなった。
『痛いよー!痛い!痛い痛い!痛ーい!!!』
『助けて!助けて!助けて!』
『お父さーん!お母さーん!親社(おやしろ)様!カズ兄ちゃーん!!!』
『痛いよー!痛いよー!助けてよー!!!』
康弘連(やすひろのむらじ)の後、彼の息子の美唯二郎に参道を抉られる最中…
激しく身を捩らせて、泣き叫び続ける愛の悲痛な声…
『やかましい!これでも咥えとけ!』
もう一人の息子の椎三郎は、無情にも、愛の口に穂柱を捻り込む。
『ウグゥーッ!ウグゥーッ!ウグググゥーッ!!!』
愛は、息を詰まらせ呻きながら、更に激しく首を振り立てた。
脳裏には…
あの日の惨状と重なるようにして、もう一つの真逆な光景が浮かんでくる。
『親社(おやしろ)様、遅いよー!!!早く!早く!』
『愛ちゃん、もう休もうよー!お腹すいたよー!お弁当にしようよー!』
『まだ、駄目ーッ!そんな事言うなら、次はもう連れてきてあげない!』
『もう、走れない!お弁当!』
『しょうがないわね!これだから、子供を連れてくるのは嫌なのよ!』
山の中…
愛と二人出かけて、何処までも駆けて行った日々…
あの日には戻れない…
もう…
ならば、せめて…
左右共に円を描ききった刹那…
パチン!
パチン!
和幸は、音を立てて、左右の鉄扇を交互に閉じた。
金縛りが解ける…
同時に、私は栓を切られたように、鞘走る白刃の煌めきを、和幸に放った。
キーンッ!
鈍い金属音…
和幸は、閉じた左手の鉄扇で刀を交わすと同時に、右手の鉄扇を開いて素早く振り翳す。
「何故やらん…」
開かれた鉄扇の切っ先が、私の首筋の薄皮一枚掠めて止められていた。
細長い鮮血が、頸を伝う。
「僕はあなたが嫌いです。」
和幸は、答える代わりに、ポツリと言った。
「わかっている。」
「あなたは、偽善者だ。その偽善の仮面の下で、どれ程、多くの人を傷つけ泣かせてきたか…」
「その通りだ。」
「トモちゃん、サナちゃん、アケちゃん、アッちゃん、タカ…
そして、愛ちゃん…
みんな、あなたに汚され、踏みにじられ、傷つけられた…
僕は、あなたを一生許さない。」
「当然だ…」
私が目を瞑って言うと、和幸は、首筋に突きつけられた鉄扇を閉じた。
「そうやって…」
和幸は、吐息交じりに首を振る。
「交わせる鉄扇を交わしもせず、何一つ反論もなさらず…そんな貴方は、もっと嫌いです。大嫌いですよ。」
私は、静かに目を開き、和幸の方を向く。
「やはり、神職(みしき)になりたいのか?新たな修羅の道を歩む為に…」
「僕では、神職(みしき)になれませんか?」
「なれないどころか…
君は、和邇雨一族に伝わる神書、古文書、伝承、祈祷書、合わせて一万五千冊、神領(かむのかなめ)律令三百七十巻、諸社領(もろつやしろのかなめ)律令六万二千巻、全てを諳んじる上、神主(みぬし)並みの解釈ができる。
和邇雨一族に生まれていれば、間違いなく、神代(みしろ)…いや、神主(みぬし)にすらなり得るだろう。」
「僕は、貴方の元で、神職(みしき)となります。」
和幸は、憂いを帯びた切れ長の眼差しを向けて言った。
「正気か。神職(みしき)は、兎神子(とみこ)を妻にできん。ナッちゃんをどうする気だ。」
「勿論、妻に…その為に、貴方と共に戦うのです。紅兎として…」
「馬鹿な事を…私は、誰とも何とも戦う気はない。
今までだってそうだった…
愛ちゃんが、皆の前で素っ裸にされ、一晩中汚され続けた皮剥の夜も…
その後、絶え間なく汚され続ける愛ちゃんを目の前にしても…
サナちゃんのたった一つの願いであった、着物を着せてやる事すらせず、指を咥えて見てるだけだった。」
「お惚けめさるな。
貴方はこれまで、一人で戦ってこられた。
最初は、百合さんを聖領(ひじりのかなめ)から連れ出し、妻にする為…
次は、山中に捨てられた百合さんを探す為…
次は、百合さんを救ってくれた、拾里の人々を救うため…
次は、岩屋谷を人体実験の場から、療養所に変えるため…
次は、その為に地位と権力を手にするべく、汚し傷つけて来た兎神子(とみこ)達を救うため…
愛ちゃんの事だって…
最後まで、親社代(おやしろだい)様と共に、康弘連(やすひろのむらじ)達と戦い続けて来られた…」
「別に戦ってきたわけではない。ただ、百合ちゃんを抱き、愛ちゃんに抱かれたかった…それだけだ。」
「僕も同じです。ただ、ナッちゃんを抱きたい。
本当は、トモちゃんを抱きたかった。仔兔神(とみこ)を造らせる為に犯すのではなく、愛する気持ちから、心静かに抱きたかった。でも、できなかった。
今ならできると思えた時…
もう、トモちゃんは抱ける身体(からだ)ではなくなっていた。
だから、ナッちゃんは…」
「あと五年待てば、あの子も二十歳…晴れて兎神子(とみこ)を解かれて、一緒になれる。それでは駄目なのか?」
「その間、何人の男達とやり、何人の仔兎神(ことみ)を産む事になるのですか?
その時、あの子の身体(からだ)はもう…
仮に、まともな身体(からだ)で自由になれたとして、所詮は兎神家(とがみのいえ)と言うのは消えず、生まれてくる子は、次の兎神子(とみこ)の候補…
僕は、ナッちゃんを一日も早く、本当の自由にしてやりたい。本当の幸福にしてやりたい。兎神子(とみこ)にさせられる心配のない子供達を産ませてやりたい。
その為には…」
「和邇雨一族を潰す…」
和幸が言うより先に、私は呟き、大きな溜息を一つついた。
「和邇雨一族の闇は深いぞ。
ただの、遠島の僻地を支配する、山のボス猿とか思っていたら大間違いだ。
迂闊に手を出せば、命がない。」
「元より、承知です。」
口元に薄笑いを浮かべて言う和幸の眼差しの決意は、硬かった。
「そうか…」
私は、また一つ、溜息をつく。
「ただで…とは、申しません。」
和幸は、口元の薄笑いを残したまま、言葉を続けた。
「もし共に戦って下さり、和邇雨一族を倒せた暁には、それなりの埋め合わせをさせて頂きます。」
「私を殺してくれると言う、あれか…」
「はい。親社(おやしろ)様の一番の願い…それは、ご自身の手で汚し、傷つけてこられた兎神子(とみこ)の手で殺される事。
僕が、必ず殺して差し上げましょう。」
「成る程な。」
私が軽く口元を綻ばせて言うと、和幸も大きく頷いて、ニィッと笑った。