兎神伝
紅兎〜惜別編〜
(14)名前
成る程、菜穂が苦戦するわけだ…
和幸の作った箱車を組み立て直しながら思った。
明日は、出発。拾里に訪れる日が、再びあるかどうかわからない。
仮にあったとしても、今、ここで暮らしてる人々は、もう殆どいないだろう。
しかし…
小さな祭りの後、皆で設けてくれた送別の宴は楽しかった。
ご馳走の山に目を輝かせる希美の為、甲斐甲斐しく料理を取り分ける菜穂を囲んで、誰もが酒を酌み交わして笑っていた。
ちなみに、和幸は、最後まで一杯も呑む事が許されなかった。
誰かが側で呑み始めると、和幸もどさくさに紛れて一升瓶に手を伸ばしたが…
『駄目!』
菜穂が素早く横から奪い取り、鬼の形相で睨みつけた。
『そんなあ!お願い、ナッちゃん!一杯だけ!一杯だけ!』
『駄目ったら、駄目ーーーーっ!!!』
菜穂がどやしつけると…
『お酒を呑んではいけまちぇん!』
側で二人のやりとりを見ていた希美も、菜穂の顔を真似して、和幸を睨みつけた。
和幸が、菜穂と希美と同じ顔して睨まれて、すっかり肩を落とすと、周囲から爆笑の渦が巻き起こった。
『こりゃー、カズ坊も大変だー。』
『嫁の尻に敷かれる典型だわな。』
『まあ、精々、頑張れや。』
誰の目にも、惜別の涙はなかった。
また、日をおかずして会えるような、そんな明るさがあった。
そして、賑やかだった送別の宴は、誰からとなく順次席を立ち、静かに幕が閉じられた。
そして、和幸の作った箱車….
複雑に組み立てられた板をはずしたは良いが、背負子に組み直すのは、骨が折れそうだ。
やはり、和幸が起きるのを待つべきであったろうか…
しかし…
私は、どうしても、この手で組み直し、この背で、希美を背負ってやりたかったのだ。
ずっと、引き離される事を恐れ、和幸と菜穂にへばりついていた希美が、やっと私にだっこを求めて両手を差し出してきた。
満面の笑顔…
胸に抱いた時の小さな温もり…
愛が産んだ子を抱いた時とは、また違う感触…
不思議な愛しさ…
「おじいちゃん。」
振り向くと、百合が鼻にしわ寄せ笑いかけていた。
「誰がおじいちゃんだ?」
私が少し睨みつけてやると、百合はおどけたように、私の方に指を差す。
「相変わらず、不器用ね。」
百合は、私の隣に座ると、器用に箱車を組み立て直した。
「おいおい、余計な事するなよ。」
「何が余計な事よ。お兄ちゃんに任せたら、希美ちゃん落としちゃうわ。」
ついさっきまで、一枚の板を何処にはめ替えるのか右往左往していたのが嘘のように、箱車は瞬く間に背負子に変わって行く。
百合は小さな頃から、手先が器用で、母は何でも教え甲斐があると喜んでいた。
小さな頃…
母と並んで、切り絵をして遊んだ時を思い出す。
『お兄ちゃん、下手ね。』
百合は、よく、横から私の作りかけの作品を取り上げて、勝手に仕上げてしまったものだ。
切り絵だけではない。
一緒に料理を作った時…
薬草を振り分けたり、乾燥させたり、煮込んだり…
何をやらせても、一度で完璧に覚える百合は、全部私の作業を取り上げて、勝手に仕上げてしまうのだ。
しかし、あの頃…
いつも裸でいた百合の姿を思い出すと、胸がズキリと疼きだす。
「ほら、できた。」
百合は、私に完成品を得意げに披露すると、口を尖らせた顔を私の前に突き出し…
「そーんな顔しないの。希美ちゃんには、おじいちゃんが組み立てなおしたんだって、言ってあげるわ。」
ちょんと、私の鼻先を小突いて見せた。
『お母様に、おーこられた、おこられた…』
ふと、ケラケラ笑いながら言う百合の声が耳の奥底から響いて来る。
幼い頃…
百合は、初めて見た女の子だった。
いや…
女の子なら、周囲に白兎達がたくさんいたし、母に可愛がられていた彼女達は、私の事を弟のように可愛がってもくれていた。
ただ、女の子の身体(からだ)を目の当たりに見たのは、百合が初めてだったのだ。
『この子、百合ちゃん。今日から一緒に暮らす事になった、貴方の妹よ。仲良くしてあげてね。』
あの日、母に手を引かれてやってきた百合は、短いお下げを肩から垂らし、不安そうな眼差しを向けて、私の顔を覗かせていた。
『はい、母上。百合ちゃん、宜しくね。』
『はい、宜しくお願いします。お兄様。』
『お兄ちゃん…で、良いよ。ほら、お兄ちゃんって呼んでみて。』
私が、握手の手を差し出しながら言うと…
『はい、お兄ちゃん。』
百合は漸く安心したように、鼻に皺を寄せて笑いながら、握手の手を握り返してきた。
それにしても…
辛うじて身につける事を許された、短いお下げの飾り玉は、布切れ一枚身に帯びる事をを許されぬ百合の為に、母がつけてやったものだろうか…
赤兎とはよく言ったもので、後は何も着ていない赤裸な百合を見て…
『自分とは違うな…』
これが、率直な私の感想であった。
百合が赤兎と呼ばれる特殊な兎神子(とみこ)で、常に全裸でいる事、決して着物を着る事が許されない子である事は、共に暮らす事が決まった時に、母から聞かされていた。
しかし、実際目の当たりにし、共に暮らし始めると、何か不思議な違和感を覚えた。
自分も母も…
犬神人(いぬじにん)と呼ばれる身の回りの世話をする最下級の神職(みしき)達も…
他の兎神子達も…
汚物や塵の回収に訪れる、建物に入る事を許されぬ、河原者と呼ばれる賎民達ですら…
皆着物を着ている中で、一人だけ常に全裸で過ごす百合が、奇妙でもあれば、何か痛々しさも感じた。
特に、百合と暮らし始めて程なく真冬となった。
外は大雪に包まれても、何も着る事が許されぬどころか、蹲る事も、掛け物を掛ける事すら、身体(からだ)を隠すと言って許されぬ百合を見て、激しく胸が疼いた。
何も着る事は許されぬなら…
ある日、私はいつものように一緒に湯に入った後…
『お兄ちゃん、どうしたの?早く着物着ないと、風邪ひくよー。』
小首を傾げて顔を見上げてくる百合を、私は裸で立ち尽くしたまま、ジッと見つめた…
『さては、一人で着れないなー。仕方ないなー、私が着せてあげる。』
鼻に皺寄せ、戯けて笑いながら私の着物を拾いあげようとする百合を、意を決して抱きしめた。
『百合ちゃん、今夜は私も着物を着ないよ。』
『お兄…ちゃん…』
『此処で、こうやって寝よう。』
『うん。』
一瞬、戸惑いを見せた百合も、また鼻に皺を寄せて笑いながら頷いた。
何も着せてやる事も掛けてやる事もできないなら、自分も一緒に裸になって抱きしめてやる。
毎夜、母がそうやって、火元近くで一晩中、百合を抱いて暖めてやるのを見て、私もそうしようと決めたのである。
すると….
『お兄ちゃん、あったかーい。』
腕の中で、鼻に皺寄せクスクス笑う裸の百合を見た時、何とも言えぬ愛しさで胸がいっぱいになった。
同時に、直接肌から肌に伝わる異性の温もり…
何とも言えず、暖かで、柔らかで…
全身から漂う蜜にも似た甘い香り…
頭の中をくすぐり、眠気を誘うような、不可思議な感触に、くらくらしそうになった。
その時…
滅多に自分から訪れる事のない父が、突然目の前にやってきた。
私は、思わず背筋が凍るのを感じながら、一層、百合を強く抱きしめた。
腕の中の百合は、それ以上に蒼白となり、ブルブルと震えだした。
私と暮らす前から、父から田打を受けて、その恐ろしさを知っている。
そして…
雪が降る少し前、私が寒さに凍える百合に、半纏を掛けてやろうとするのを、父に見つかった。
父は、蒼白な顔をして激怒したかと思うや、着せた私ではなく、着せられた百合を激しく殴打したのである。
その時の恐怖を思い出し、百合は歯をカタカタ鳴らして震えて、私は腕の中の小さな宝物を守るべく、必死に抱きしめた。
すると、意外にも父は相好を崩し、私の頭をくしゃくしゃに撫でて来た。
『どうだ、直接肌で触れる女の感触は。良いもんだろう。』
私は、尚も百合を隠すように抱きしめながら、父を見上げると…
『ただ、そうやって抱いているのも良いがな…』
父は言うなり、私の腕から捥ぎ取るように百合を引き摺り出し、乱暴に私の前に座らせた。
『脚を拡げろ。』
父に頭を小突かれ命じられると、百合は震えながら、私の前で大きく脚を拡げた。
『さあ、顔を寄せてよく見ると良い。これが、女の身体(からだ)だ。』
私は、言われるままに、百合の股間に顔を近づけると、思わず生唾を呑み込んだ。
遠目には、毎日目にしていた、自分との形の違い…
しかし、目の当たりにして見ると…
この時、百合はまだ七つ…
股間を走る神門(みと)の縦線のワレメは、小指の先も入りそうにない程小さく、未熟であった。
それでも…
『ほーら、よーっく見てみろ。良い色してるだろう、見てるだけで、穂柱の先がゾクゾクするだろう。』
そう言って、父の指さきで押し拡げられる神門(みと)の奥は、まさしく生まれて初めて目にする女の参道であった。
薄紅色の亀裂の奥に隠された、白桃色の孔…
私は、何かに憑かれたように、百合の神門(みと)の奥に目を釘付けられると、父の言う通り、穂柱の先端が疼き出すのを感じた。
同時に、そこに触れてみたい、弄ってみたいと言う強い衝動に駆られた。
父は、そんな私の胸のうちを見透かすように…
『どうした、触っても良いんだぞ。百合はおまえに与えたモノだ。好きにしてかまわんのだぞ。』
そう言って、思わず父の顔を見上げる私に、また相好を崩して見せた。
私は、父の言葉に弾かれたように、衝動的に百合の神門(みと)に手を触れた。
表面はツルツルスベスベしているが、中はシットリと湿っていた。
百合は、既にこれから始まる事を察しているのか、硬く目を瞑ると、歯を食いしばり、顔を背けた。
私は、ややしばらく、指さきで、おっかなびっくり軽く小突いたり離したりを繰り返していたが…
『何してる、早く指を挿れてみたらどうだ。』
痺れを切らしたように父に言われ、意を決したように、指先を百合の小さな参道に挿れた。
刹那…
『ウゥッ!』
百合は、食いしばる歯の隙間から呻きを漏らし、顔を横に反らせた。
『百合ちゃん…』
私が、思わず躊躇して指を止めると…
『何してる、もっと挿れないか。』
父に急き立てられるように言われ、更に指先を挿れた。
『アァァーッ!』
百合は堪えきれなくなったように、父の腕の中で、身を退け反らせて、声を上げた。
『百合ちゃん!』
私もまた、百合のあげる声に恐れをなして指を引き抜くと…
『この馬鹿者が!』
父は声を張り上げて、思い切り百合を殴り飛ばした後…
『まあ、良いさ。今日はこのくらいにしておこう。』
私の頬を軽く叩きながら、そう言ってニィッと笑って見せた。
そして…
『こいつは、おまえに与えたモノだ。これからも好きな時に、好きなようにすると良い。触りたいところを触りたいだけ触れば良いし…
今みたいに指を挿れるもよし、何なら、小枝でも突っ込んで掻き回してみろ。面白いぞ。』
そう言い残すと、父はそのまま去って行った。
その日を境に、私は事ある毎に、百合を前に座らせると、身体(からだ)の隅々まで眺めまわし、触りまくった。
その頃は、まだ、それが性的な興味だと言う感覚はなかった。
ただ、自分と全く違う形をし、触れば不思議な感触のする、百合の身体(からだ)への好奇心から、そうしていた。
私がそうしたいと思う時、敢えて求める必要はなかった。
百合が本当は誰の子で、何処でどのように生まれて来たか知る者はいない。
ただ…
同じ赤兎でも、兎神家(とがみのいえ)に産まれたわけでもなければ、親の生活苦故に、初穂と玉串免除を目的に兎幣されたわけでもない。
親が重罪を犯した故に兎神家(とがみのいえ)に落とされ、その罪を購う為に皮剥された、穢畜(わいちく)の赤兎だと言う。
物心ついた時には、土牢に入れられ、全裸で鎖に繋がれ、父を初めとする神職(みしき)達の田打を受けていたと言う。
私が何となく百合の身体(からだ)を眺めまわし、触り始めると、百合は自ら前に座り、脚を拡げた。
顔は、田打を受ける時にはいつもそうしてるように、表情を固くして目を瞑っていた。
最初のうち、私はひたすら百合の身体(からだ)を撫で回し、神門(みと)を弄る時も、表面に触れるだけであった。
父の元で、最初に指を挿れた時、百合のあげる呻き声で、それがとても痛いのだとすぐに察し、決して同じ事はしまいと思っていた。
しかし、百合の身体(からだ)に触れる度に、穂柱の疼きは高まり、同時に挿れてみたいと言う衝動が強くなっていった。
私は、遂に衝動のままに神門(みと)に指を差し込んだ。
『ウゥッ!』
百合は、歯を食いしばり、必死に耐え始めた。
物心ついた時から、一言でも苦痛を訴えたり、泣いたりすれば、凄まじい仕置が待っていたからだ。
私は、最早、百合が呻きを噛み殺して耐えている事にも、目にいっぱい涙を溜めてる事にも気づかなくなっていた。
ただ、穂柱の疼きと衝動のままに、百合の参道の奥に指を差し込んでいた。
やがて、指先が何かコツコツしたものに当たり、それ以上奥まで入らなくなると、更なる衝動に駆られ、中で乱暴に掻き回した。
『アァァァァーーーッ!!!!』
百合は、遂に堪えきれなくなり、身を捩らせて声を上げた。
私は、最早、百合が泣き叫んでいる事すら、耳にも入らなければ、気づきもせず、夢中で掻き回していた。
『何してるの!』
不意に、母がやってきたかと思うと、いきなり私の手を叩き、頬を叩いた。
『百合ちゃん…』
驚き手を離す私は、この時になって初めて、百合が声をあげて泣いている事に気づいた。
同時に、激しい罪悪感と自身への嫌悪感に震えだした。
『何て事したの!百合ちゃん、可哀想でしょう!』
母は有無も言わさず、私の頬を何度も何度も叩き続けた。
いつも笑顔で、どんな悪戯しても笑って許してくれる優しい母が、激怒する顔を見たのも、この日が始めてだった。
その後、母は百合を撫で、優しく胸に抱いてやり…
『ごめんね。母様といる時は、我慢しなくても良いのよ。思い切り泣いて良いのよ。嫌な事は嫌だって言って良いのよ。本当にごめんね。』
百合と一緒に、声を上げて泣きながら言った。
それは、私がした事と言うよりは、いつも父達のしてる事に対してなのだと、随分経って初めて知った。
その後…
母に、罰として昼を抜かれ、境内の木陰でいじけて座っていると…
『お母様に、おーこられた、おこられたー。』
百合は突然、私の目の前にやってきて、鼻先を小突いて笑ったのだ。
『百合ちゃん…』
私が、何か言いかけると…
『はい、これ…』
経木に包んだお結を差し出してきた。
『私が結んだんだぞ。美味しいぞ。』
『うん!美味しい!』
私が、お結より先に漬物を一口頬張って言うと…
『だろ。ささ、漬物だけでなくて、お結も食べて。』
百合は、おどけたようにそう言って、クスクスと笑った。
そして、私が瞬く間に百合のお結を平らげると…
『お兄ちゃん、穂柱、まだムズムズしてる?』
『えっ?』
戸惑う私に、鼻に皺を寄せて笑い…
『良い事してあげるね。』
言うなり、素早く私の袴の前開きに手を忍ばせ、未だ膨張してる穂柱を引き出すと、慣れた手つきで揉み扱き出した。
『ゆ…百合ちゃん…』
『どだ、気持ち良いだろ?』
下半身から、次第に全身の力が抜けて行く私が、声にならぬ言葉を口にする代わりに、大きく頷いて見せると…
『もっと、気持ちよくしてあげるね。』
百合は言うなり、極限まで膨張して穂柱を、小さな口いっぱいに頬張り、中で先端をチロチロ舐め始めた。
『アァァッ…アァァッ…アァァッ…』
私は、疼く穂柱先端を擽る痺れるような感触に、次第に頭の中がふわふわと浮かび上がり、真っ白になって行くのを感じながら、いつしか喘ぎを漏らしていた。
百合は、そんな私を上目に見ながら、一層鼻に皺を寄せてニコニコ笑い、丹念に舐め回してゆく。
『ハァ…ハァ…ハァ…』
次第に上がる心拍数と、高鳴る鼓動…
へその辺りあらこみ上げてくる暖かな感触が、ゆっくりと穂柱に向かってこみ上げてゆき…
やがて…
『アァァッ!』
私が思い切り腰を浮かせ、声をあげると同時に、穂柱の先端から、百合の喉元に向けて解き放たれた。
「お兄ちゃん…」
百合は、不意に経木に包んだおにぎりを差し出した。
「私の結んだおにぎり、大好きなんでしょ。」
百合は、クスクス笑いながら言った。
おにぎりには、漬物も何品かついていた。それは、母の特性だった漬物だった。
「相変わらず、漬物から先に食べるのね。」
私が、経木を膝において食べ始めると、百合が言った。
「昔と何にも変わってないね。」
「百合ちゃん、母上の漬物の漬け方、まだ覚えていたんだね。」
私は、百合に答える代わりに言った。
「母様から教えて頂いた事、なーんでも覚えてるわよ。」
百合は、また、鼻に皺を寄せる。
「ほら。」
私が、おにぎりを胸につかえさせるのを見て、今度は、ドブロクの入った徳利を取り出した。
こちらも、母特製である。
「切り絵も、薬草や薬湯の調合も、怪我の治療も、赤ちゃんを取り上げるのも…」
百合は、母から教わった事を一つ一つ数え上げながら、ハタと思い出したように…
「そう言えば、赤ちゃんを取り上げるのだけは、お兄ちゃん、私より上手だったわね。
今でも?」
首を傾げる百合に、私は苦笑いする。
上手も何も…
今では、私の本職に近い。白兎達の産む赤子達は、皆、私が取り上げているのだ。
愛が産んだ私の子も、私が取り上げた。
早苗が、命と引き換えに産んだ子も…
「それと、もう一つ、覚えてるわ。それは、お兄ちゃんの…」
言いかけ、百合は急に口を噤んだ。
何を言いかけたかは、わかっている。
私の名であろう。
「ねえ、背負子も出来たことだし…
部屋で飲みなおさない?お兄ちゃんの好きだった、メザシと干しイカもあるわ。」
「いいね。」
私が頷くと、百合は呑み干された徳利を下げていった。
私は、百合の部屋の縁側に腰掛け、夜空を見上げる。
『僕は神職(みしき)になります…』
『あなたと共に戦いたい…』
もうすぐ、社領(やしろのかなめ)も山々も雪に閉ざされるだろう。
そして…
雪解けと同時に、多くの別れが待っている。
愛の産んだ子…
希美…
愛…
『美香ちゃんや希美ちゃん、トモちゃんやサナちゃん…
愛ちゃんのような子を、もう出したくありません。』
私と共に戦う…
和幸は、何か誤解してるに違いない。
『お惚けめさるな。貴方は今まで一人で戦ってこられた。』
私の戦い…
そんな立派なものではなかった。
いつか、兎神子(とみこ)達をこの手で守ってやりたくて会得した朧流居合術雫切り…
しかし、その腕を知られるや、父はむしろ真逆な事に利用した。
あの大戦後、領内(かなめのうち)にもわずかながら、人権と自由の思想が流れ込んできた。
四千年にも及ぶと言われる幽国神領(かくりのくにかむのかなめ)の歴史…
和邇雨一族の闇の歴史…
顕国天領(うつしのくにあめのかなめ)に朝廷が開闢されるより遥か昔から、皇国(すめらぎのくに)を動かし続けてきたその力を世界に及ぼすべく、占領軍を利用しようと画策した皮肉な結果だ。
和邇雨一族は、利用する相手、支配しようとする相手に、自分達が利用しよう、支配しようとしてる素振りを一切見せない。
いや…
実際、利用し支配したその後も、相手には、自分達の方が、彼らに利用され、支配されてるように見せかけるのだ。
占領軍に対してもそう…
悪しき軍国主義に従った前非を悔い、今は占領軍の国、洋上大鷲国(なだつかみのおおわしつくに)に伝わる民主主義なる教えを請うような素振りで近づき、惜しみない協力を提供してるように見せかけている。
占領軍は、喜んで和邇雨一族の支配階層の子弟に大鷲国に伝わる民主主義を吹き込んだ。
本当は、占領軍を研究して知り尽くし、逆に搦めとる為に、そうした筈だったのだ。
それが、まさか、多くの若き一族の子弟達が、その教えに感化されてしまったのは想定外であった。
そこに、更に想定外の事が起きた。
聖領(ひじりのかなめ)が、占領軍と結び、ある陰謀を企て始めるや、大鷲国と対立を深める国々が、多くの間者を神領(かむのかなめ)に送り込んだ。神領(かむのかなめ)の内情を探る為ではない。大鷲国に伝わる教えに感化された若者達と接触を図り、彼らに不穏な動きをけしかける為であった。
私に課された最初の使命は、その不穏な動きを起こそうとする者達の抹殺であった。
聖領(ひじりのかなめ)の陰謀が本格化し始めると、大鷲国の教えに感化された若者達ではなく、今度は父が不穏な動きを見せ始めた。
大鷲国では、この国の旧植民地における南北戦争の泥沼化に伴い、元首と元帥の対立がおきた。同時に、元帥が、聖領(ひじりのかなめ)と共に推し進めてきて陰謀を阻止するべく、元首側が間者を放ってきたのである。
元首側の間者は、父に接近した。兼ねてより、聖領(ひじりのかなめ)の支配権への野心を燃やしていた父に、謀反をけしかけたのである。
元首派勢力と手を結ぶ父と、元帥派と結ぶ聖領(ひじりのかなめ)との間に、水面下の対立が始まった。
私は、父の支配下にある朧(おぼろ)衆を率いて、聖領(ひじりのかなめ)が放つ童(わらべ)衆との闇の抗争に駆り出されるようになった。
私は、夜空に向かって、血塗られた手を掲げて見つめる。
この手で…
この手で…
「どれだけの人が、救われたのかな?」
いつの間にそこにいたのか、百合も、後ろから私の手を見上げて言った。
「私は、お兄ちゃんのこの手が好き。」
言いながら、盆に載せた銚子の酒を注ぐ。
「この手が、数え切れない人の命を救ったから…
自由を求める人達や、社(やしろ)の仕打ちに耐えきれず、逃げ出した兎神子(とみこ)達を、こっそり異国(ことつくに)に逃したのもこの手…」
「百合ちゃん、私は…」
「知ってるわ。爺社(おやしろ)様の命令で、お兄ちゃんに殺されたと言われる逃亡者達の多くは、異国(ことつくに)に逃がした事…
北の楽園に、逃がしてあげたのよね。」
「北の楽園…亮の奴、どうしてるだろう…」
北の楽園の噂が流れたのは、旧植民地における南北戦争も終わりに近づいた頃…
南北に別れた旧植民地北部が、そう呼ばれて、自由を求める若き一族達の間で憧れの的になった。
あの頃…
自由と人権の思想に目覚めた一族の若者達は、親の命じるままに弄ぶ兎神子(とみこ)達を、本気で愛する者達が増え始めた。
兎神子(とみこ)達も、彼らを慕うようになり、互いに愛し合う者が増えていった。
しかし、神領(かむのかなめ)で結ばれる事は決して許されるものではない。それは、死を意味した。兎神子(とみこ)の方が…で、ある。
見せしめに、一族の若者達の目の前で、恋する兎神子(とみこ)達を何十人もの荒くれ達に陵辱させたあと、残忍極まりない方法で嬲り殺しにした。
そんな時…
身分や階級による差別も区別も何もない国…
男女の差別や区別もない国…
皆が共に仲良く学び、働き、豊かになる国…
そこでは、当たり前に、一族と兎神子(とみこ)が結ばれる事が許される…
そんな、北の楽園の噂が広まっていたのである。
そして、北の楽園は、祖国を守り、大鷲国に奪われた南の分離国を解放するべく立ちあがろうとしているとも…
兎神子(とみこ)達は、その国で愛する人と結ばれ、誰にも取り上げられる事のない子を産み育てる事を夢見るようになった。
自由を愛する一族の若者達は、恋する兎神子(とみこ)と結ばれる為ではなく、そんな美しい国を守る為に自分達も戦いたいと言う熱い思いを抱き、その楽園に向かう事を切望するようになった。
果たして、その国が本当に楽園であったかどうかはわからない。
しかし、彼らがそんなに夢見る国なら、そうであって欲しいと私も思う。
どうせ、神領(かむのかなめ)にいる限り、なんら望みはない。命掛けで神領(かむのかなめ)を脱出したとしても、裏で一族と通じてる皇国(すめらぎのくに)にいる限り、死ぬまで追われ、いつかは殺される。
皇国内(すめらぎのくにのうち)の領外(かなめのそと)に出すわけには行かぬが、楽園に向かう手助けは、辛うじてできなくもなかった。
何故か、優秀な一族の若者達を、楽園が欲しがっていた。
厳密に言えば、楽園の後ろ盾である楽土の首相が欲しがっていたのだ。
確か、名を周恩来(ちゅうえんらい)と言っていた。
彼の送り込む間者達が、白兎と恋に落ちる一族の若者達に、北の楽園に行こうと勧誘していたのである。
そして、その間者の一人である、孫維世(すんうぇいし)なる女性が、親友の亮を介して、頻繁に私と接触するようになった。
当初は、百合を聖領(ひじりのかなめ)から救出して共に連れて行くと言って、私に来るよう誘う為…
私が、百合だけではなく、総宮社(ふさつみやしろ)の兎神子(とみこ)達全員を連れて行かねば行かぬ事を知ると、北の楽園に行きたがる若者達を引きぬかせる為であった。
『お前も一緒に行こう!共に楽園を守り築く為に戦おう!』
幼い頃からの友人だった、亮の熱い眼差しを思い出す。
『百合と一緒になりたいんだろう!だったら、聖宮社(ひじりつみやしろ)から奪い返して、一緒に楽園に行こう!力になるぞ!』
彼は、今、どうしてるのだろう…
耳の聞こえぬが故に、殺される運命の我が子を抱いた白兎を連れて、彼は楽園に向かって行った。
あの白兎と結婚できたのだろうか?
耳の聞こえないと言う赤子を、自分の子供に出来たのだろうか?
「暗面長(あめんおさ)として隠密御史を率いていた頃は、神領(かむのかなめ)の為と言うより、兎神子(とみこ)達を守る為に注連縄衆と戦ってきた…
鱶背本社(ふかせのもとつやしろ)…だったっけ?注連縄衆を取り締まる為に駐留していた頃は、神職(みしき)達との軋轢に耐えながら、社(やしろ)の兎神子(とみこ)達の扱いを少しでも良くしようとしてきた。
今の社(やしろ)の親社(おやしろ)様になってからは、兎神子(とみこ)達の体を気遣い、美味しいものを食べさせたり、年頃の子達らしく遊ばせてあげたり…
それに、恋もさせた…
何より、ここの人達を、十年もの間守ろうとして来たわ。」
私は、何も答えず、盃の酒を一気に呑み干した。
「母様も、お兄ちゃんの手が大好きだった。私が望んだように、優しい子に育ってくれた、思いやりのある子に育ってくれた…
その名前に込めた願いの通りに…」
百合は言いかけ、酒を盃に注ぐ手を止めた。
「ごめんなさい…」
「良いんだよ。」
私は、自分で酒を注ぐと、また一気に呑み干した。
私の名…
何と言う名であったかとっくに忘れている。
初めて父に刺客を命じられたのは、十五の時…
相手は、親友だった男であった。
以来、私は名乗るのをやめた。自分を消したかったからだ。
いや…
その前から、私はずっと自分を消したいと思い続けていた。
初めて、百合の口に白穂を放って以来…
『お兄ちゃん、また、良い事してあげるね。』
百合は、私が疼き出すのを見ては、素早く袴の前開きから穂柱を引き出し、舐めてくれるようになった。
『どだ、気持ち良いだろう。』
『ああ、とっても気持ち良いよ。』
最初のうちこそ戸惑っていた私も、次第に百合にされる事になれもすれば、楽しみにもなり、ごく普通に笑って頷くようになった。
『それじゃあ、もっと気持ち良くしてあげるね。』
百合も、私の疼きを慰めるのが嬉しくもあれば、楽しいとでも言うように、鼻に皺を寄せてクスクス笑いながら、丹念に舐め回した。
『アァァ…百合ちゃん…出るよ…出る…出る…出る…アァァ…』
私は、毎日、何回百合の口の中に放った事だろう。
物心ついた頃。
まともな食事は一切与えられず、哺乳瓶代わりに穂柱を咥えさせられてきたと言う。
ミルクの代わりに飲まされ続けてきた白穂が、食事の代わりであったと言う。
百合は、私の放つ白穂を、一雫も吐きだす事なく飲み干した。
それどころか、尿道の中が空になるまで丹念に舐め、吸い尽くした。
その度に、百合の口腔内と舌先の温もりに安らかな心地よさを覚え、白穂を放ち尽くす度に、何か生まれ変わったように身も心もすっきりするものを感じた。
しかし、そんな百合との楽しい秘事も、やがて苦悶に満ちたものに変わる日が訪れた。
『クククク…おまえも、いつの間にか、男の悦びを知るようになっていたんだな。』
ある日、いつものように私が百合に穂柱を舐めて貰っているのを見つけると、父はそう言って、ニンマリと笑って見せた。
そして…
『口の中に放つだけでは、物足りまい。』
父は言うなり…
『さあ、来い!』
『嫌っ…嫌っ…嫌っ…』
『来るんだ!』
私や母と暮らす平和な日々の終わりを知り、忽ち啜り泣いて尻込みする百合の手を掴み、引き摺るように連れ出すと…
『もっと気持ち良い事を、たっぷり教えてやるぞ。』
私について来るよう促した。
その日から…
父に命じられるままに、百合をこの手で陵辱する日々が始まった。
田打と称して、姉のように可愛がってくれた白兎達を陵辱させられるようにもなった。
私は、この手で、百合や白兎達を凌辱する度に、自分もまた汚れてる事を感じ、存在そのものを消したいと望むようになっていった。
そして、十三の時…
一番可愛がってくれた白兎の夏美が産んだ子を、盲目を理由に、彼女の目の前で殺す事を命じられた。
この手で殺さねば、生きながらに、鱶に食わせると迫られた。
あの日から、私はもう、自分の生きる価値を感じなくなってしまったのだ。
「母様、泣いてらしたわ。」
「母上が?」
「忘れた?久し振りに此処に来た時…母様、お兄ちゃんの名を呼ぼうとしたのよ。でも、お兄ちゃん、露骨に拒絶したから、『おまえ…』って呼んだわ。でも、あの後、私があの子につけたのは、『おまえ』なんて名じゃないって、物凄く泣かれたのよ。」
そんな事もあった気がする。
確か…
拾里が正式に人体実験の場から、療養所となった日だった…
私の願いで、ここの医師(くすし)を務めてくれた母が、百合と共に必死に治療法を見出そうとしてきた、その疫病に自分が侵されてしまった。
その母を見舞った時だった気がする。
そして…
あれが、母と会った最後だった。
「ねえ…
やっぱり、孫って可愛い?」
百合は、不意に話題を変えて聞いてきた。
「孫って、誰だよ。」
私が、酒を吐き出して言うと、百合はまた、鼻に皺を寄せて笑った。
「勿論、希美ちゃんでしょう。おじいちゃん。」
「だから、よせって。私はおじいちゃんでもなければ、希美ちゃんは孫でもない。私はまだ、四十代だぞ。」
「それを言うなら、ナッちゃんはまだ十五でしょう。カズ君は二十歳になったばかりだしね。」
「それがどうした。二人が若くして親になったからって、何故、私がおじいちゃんになるんだよ。」
「だって…」
百合はまた、酒を注ぎながら言った。
「あの子達、自分の子供のように思ってるんでしょう。」
私は、杯を置き、つまみのメザシを噛みながら、押し黙った。
「見てれば、わかるわ。お兄ちゃんが、あの子達を見る目、あの子達が希美ちゃんを見る目と同じだもの。」
私の子達…
私は親…
馬鹿な…
親が息子や娘に、あんな真似をさせるものか…
「そろそろ、あの子達にも、お母さんが必要なんじゃない。」
私は、また、吐き出した。
「おいおい、何を藪から棒に…」
「そろそろ、お嫁さん貰えば良いのに…」
「嫁?」
「そう…将来、カズ君とナッちゃんを本当の夫婦にしてあげたいんでしょ?でも、その前に、お兄ちゃんがさ…」
「嫁など…」
言いかけ、また、愛と抱き合った日々を思い出す。
安らかだった日々…
深く眠れた日々…
愛の中に放つ度に、暖かなものが全身を包み込むのを感じた日々…
八年後…
二十歳になった愛を、もし妻にできたなら…
あの日々が、一生続く…
そして…
あの日々で産まれたような赤子達を何人ももうけて…
駄目だ…
嫁を貰って、どうしろと言うのだ…
できた子が男なら…
父が私にさせた事を、今度は、私が息子にさせろと言うのか…
「ねえ、お兄ちゃん…」
私は、みなまで言わせず、百合と唇を重ねた。
「お兄ちゃん…」
百合は、唇を解放されると、急に赤面して、肩を窄めた。
「私には、もう好きな人がいる。それは、百合ちゃんが一番よく知ってる筈だ。私は、その人以外、嫁にする気も、抱く気もない。」
私は言うなり、また、百合と唇を重ね、その唇を更に百合の頸に這わせていった。
百合を抱く手で、ゆっくり帯を解きかける。
「お兄ちゃん…私、病気なのよ…」
「それがどうした…」
「お兄ちゃんにも感染るわ…」
「かまうものか…」
「母様の調合してくださった薬で辛うじて進行を食い止めてるけど…いつ、鼻が落ち、顔が溶け崩れるかわからないのよ…」
「関係ない。君はそれでも美しい…」
「違う!お兄ちゃんが…」
「私なら、顔が溶け崩れる前に、心が熔け崩れてる。今更…」
言いながら、私は、着実に百合の着物を脱がせていった。
百合も、金縛りにでもかかったように、敢えて抵抗はしない。ただ、涙を溢れさせている。
病気に侵された体…
しかし、豊かな胸の膨らみが露わになった時、思わずむしゃぶりつく私は、美しいと思った。
「痛い…」
百合は、不意に、呟くように言った。
「すまん…乱暴するつもりはなかったのだが…」
「違う…」
私が済まなそうに手を止めると、百合はニッコリ笑って言った。
「違うの…私の参道、もう病気でボロボロなの。だから、穂供(そなえ)をされると凄く痛いの。」
「百合ちゃん…」
「それでも、どうしてもしたいなら良いよ。させてあげる。でも、私、もう昔みたいに我慢強くないの。大声出して、泣いちゃうかも。泣いても良い?」
私は、一つ吐息をつくと、脱がせた着物を着せてやり、百合から手を離した。
「お兄ちゃん、やっぱり優しいね。」
「百合ちゃんは、相変わらず狡いんだな。」
私が言うと、百合はクスクス笑いだし、私も一緒に笑いだした。
そして…
「ねえ、お兄ちゃん。穂柱、まだムズムズしてる?」
「えっ?」
私が思わず百合の顔を見返すより早く、百合は素早く袴の前開きに手を忍ばせると、案の定、膨張している穂柱を引き出した。
そして…
「良い事、してあげるね。」
百合は言うなり、慣れた手つきで揉み扱き出した。
なるほど…
そう言う事か…
「どだ、気持ち良いだろ?」
私は、あの時のように戸惑う事はなく、大きく頷いて見せると…
「もっと、気持ちよくしてあげるね。」
百合は言うなり、極限まで膨張して穂柱を、口いっぱいに頬張り、中で先端をチロチロ舐め始めた。
あれから…
百合はどれ程の男達に身体を開いてきた事だろう…
百合はどれ程の男達の穂柱を受け入れてきた事だろう…
まだ七つだった、あの頃。
既に、かなり仕込まれていたとは言え、百合の舌使いは何処かぎこちなさがあった。
それが、今は熟練しきっている。
「アァァッ…」
百合の口に穂柱が受け入れられた瞬間から、私は忽ち腰を浮かせて喘ぎを漏らしていた。
「アァァッ…アッ…アッ…アァァッ…」
今にもイキそうになっては緩められ、少し疼きがおさまりかけては丹念に舐め…
まるで、蛇の生殺しのように延々と穂柱の先端と茎を行き交う百合の舌先…
しかも、同時進行で、巧みに蠢く百合の指先は、優しく穂袋を撫でたり揉んだりを続けている。
それでいて…
「アァァッ…アァァッ…アァァッ…」
喘ぎ身悶えする私を、上目に見ながら、鼻に皺寄せて笑うその笑顔は、あの日々と同じ初々しさと、あどけなさがあった。
『おーこられた、おこられたー。お母様に、おこられたー。』
目を瞑れば、あの日の可愛い声と悪戯っ子のような笑顔が蘇って来る。
「百合ちゃん…百合ちゃん…ゆ…り…」
頭の中がふわふわと浮かび上がり、真っ白になってゆく感覚…
「ハァ…ハァ…ハァ…」
次第に上がる心拍数と、高鳴る鼓動…
へその辺りあらこみ上げてくる暖かな感触が、ゆっくりと穂柱に向かってこみ上げてゆき…
やがて…
「アァァッ!」
私が思い切り腰を浮かせ、声をあげると同時に、穂柱の先端から、百合の喉元に向けて解き放たれた。
夜もいよいよ更けてゆく。
私達は、一つの布団に肩を並べて横になった。
もう、百合を抱こうとは思わない。
ただ、こうして肌を寄せ合うだけで、安らかな気持ちになる。
愛に抱かれて眠りについた時のように…
きっと、今頃、和幸と菜穂も、同じ安らぎを味わっているのだろう。
これで、私と百合の間にも、希美のような子供の一人もいたならば…
愛との間にできたような赤子の一人でもいたならば…
『あの子達、自分の子供のように思ってるんでしょう?』
百合の言葉が蘇る。
同時に…
菜穂が、真ん中に寝ていてくれたら…
百合と二人で、子守唄の一つも歌ってやれたら…
きっと、どんなに安らぐかと思った。
しかし…
不意に、今度は、和幸が私達の真ん中に…
想像した瞬間…
「お兄ちゃん、何笑ってるの?」
百合が、吹き出す私の顔を覗き込む。
「いや、何でもないさ。何でもないんだよ…」
私は、百合の頭を撫で、天井を見上げながら、社(やしろ)で、和幸や菜穂達と過ごした日々を振り返る。
あの子達が、私の子達…
考えた事もなかった。
ただ…
いろんな事があった。
いろんな事があるうちに、本来の使命を忘れてしまっていた事もたしかであった。
『鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)に注連縄衆が?あり得ません…』
『だろうな…鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)と言えば鱶背本社領(ふかせのもとつやしろのかなめ)のすぐ隣…つい最近、お前達朧衆が虱潰しに洗い出し、注連縄衆を皆殺した社領(やしろのかなめ)の近辺に、奴らが潜んでいて気づかぬ筈がない。
あの日…
突然、私を呼び出した父は、いつもの酷薄な笑みを浮かべて言った。
『では…何故、鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)に注連縄衆が現れた…などと?』
『正確には、注連縄衆が…ではなく、異様な殺人事件が起きたのだ。』
『ならば、私ではなく、神漏(みもろ)達の管轄でしょう。鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)なら、確か…河曽根組の管轄。』
『その河曽根組がやられたのだ。
それも、宮司(みやつかさ)直属の精鋭十余名…悉くやられたのだ。あの、河曽根組組頭鋭太郎もな。』
『河曽根組の鋭太郎が…』
『そう…眞悟の稚児、鋭太郎がな…』
父は、些か侮蔑するように目を細めた。
『同時に、権禰宜(かりねぎ)二人が木に首を括り殺され、宮司(みやつかさ)と残りの禰宜と権禰宜(かりねぎ)が姿をくらました。まあ、殺されたのだろう。』
別に、同情の気持ちは湧かなかった。
男色で鳴らした眞悟宮司(しんごのみやつかさ)が、日頃、兎神子(とみこ)達に残忍な仕打ちをしてる事は知れ渡っていた。殊に、赤兎を苛めに苛めぬいた挙句、死に至らしめたと言う話は、記憶に新しい。
死んで当然…
そう言ってしまえば語弊があるが…
あのような人物が、宮司(みやつかさ)として優雅に暮らしながら、これまで、父の命令で殺めてきた人々が、何故死ななければならなかっなのかと言う思いは常にあった。
『童どもが、この件で動き出してる。』
父は、一層、目を細めて言った。
『童衆が?何故…』
『この件に絡んでか否かはわからんが…
二人、行方をくらませた。それも、義隆めを探っていた二人がな。』
私は、漸く事態が飲み込めた。
従兄弟の義隆は、東堂鱶原家(とうどうふかはらのいえ)の者でありながら、占領軍の持ち込んだ思想に傾斜していたのだ。殊に、兎弊の因習を強く批判し、赤兎の扱いは人権を踏み躙る行為だと、真っ向から反発していた。
それが災いし、赤兎に着物を着せると言う禁忌を犯し、東洋水山地に追放されたと言う。
その義隆を探っていた童衆が行方をくらませると言う事は…
『ところで…紅兎(べにうさぎ)の事を聞いた事はあるか?』
父は、不意に煙管で灰吹を叩きながら、話題を変えた。
『紅兎…兎神子(とみこ)を虐げ、領民(かなめのたみ)を搾取する神職(みしき)や神使(みさき)、神漏(みもろ)達を、闇から闇に葬り、義賊と噂される…』
私が言いかけると…
『そう、その紅兎だ。』
父は、新たに葉を替えた煙管を吸いながら、満足そうに頷いて見せた。
『しかし…実際に紅兎に殺害されたと言う者達は存在せず…
紅兎の正体どころか…存在の真偽すら不明とか…』
『確かに…奴らに殺害されたと言う者達の話は、わしも聞かん。
されど…』
父は、一瞬、次の言葉を慎重に選ぼうとでも言うように目を瞑り、ゆっくりと煙を吐き出した。
そして…
『されど?』
『妙に性格や物言い、顔つき目つきが変わったと噂される者達の噂は耳にしておる。』
『それと、紅兎とどう言う関係が?』
『そ奴らの物言いは、何故か皆、楽土訛りが見られるとか…
それと、周恩来(ちょうえんらい)…』
私が、その名を耳にするや目つきが変わるのを見ると、父はますます満足そうに大きく頷いて見せた。
『そう、おまえも良く知っている、あの周恩来(ちょうえんらい)が、紅兎の後ろで糸を引いていると…まあ、専らの噂だよ、噂…』
『まさか…今度の異様な殺人事件とやらも?』
『まあ、あり得ん話ではなかろう。何しろ、消されたのは、あの男好きの眞悟だ。』
父は、眞悟の名を口にする時だけ、何故か露骨な嫌悪を滲ませながら、また、煙管で灰吹を叩いた。
『して…
その紅兎と思しき下手人を割り出し、私に消せ…と?』
私もまた、何処か意図的に露骨な嫌悪を滲ませた眼差しを向けると、父は意にも介さぬとでも言うように、ニンマリ笑って、大きく首を振った。
『では、どうせよと?』
『まずは、下手人が紅兎がどうか確かめよ。
もし違っていれば、速やかに消せ。
もし、わしの見立て通り、紅兎なら…』
『紅兎なら?』
『おまえの配下にせよ。』
『私の配下に…』
『そうだ…
あの鋭太郎を瞬殺し、童衆二人を消した…
それだけでも、相当の手練れ…
その上、背後に周恩来が潜む、噂の紅兎ともなれば…
使えるとは思わんか?』
忽ち、私の胸に、更なる嫌悪感が湧く。
顕国天領(うつしのくにあめのかなめ)が、帝国と名乗る時代が訪れて以来…
和邇雨一族の利権の多くを、聖領(ひじりのかなめ)に奪われた。
軍部が新天地と楽土北部を拠点に植民地を広げると、楽土に闇の勢力を有する聖領(ひじりのかなめ)は、軍部と結んで巨万の富を得ると同時に、皇国(すめらぎのくに)における神領(かむのかなめ)の利権も掠め取った。
父は、兼ねてよりその利権の奪取奪還を狙っていた。
戦後…
帝国が崩壊するや、聖領(ひじりのかなめ)は占領軍の国…洋上大鷲国(なだつかみのおおわしつくに)の元帥と結び、その陰謀に加担するようになった。
これを苦々しく思っていた、大鷲国の元首は、聖領(ひじりのかなめ)と対立する父に目をつけた。
大鷲国の元首は、旧植民地における南北戦争の利権…及び、今後、東亜における大鷲国が介入するであろう全て紛争の利権を、聖領(ひじりのかなめ)ではなく、神領(かむのかなめ)の総宮社(ふさつみやしろ)に回す。この条件のもと、聖領(ひじりのかなめ)と元帥派の陰謀を駆逐するよう求めたのである。
ここに、兼ねてより燻っていた、聖領(ひじりのかなめ)と総宮社(ふさつみやしろ)の水面下の抗争が激化した。
その為に、どれほど、私の配下である朧衆が命を落としたか…
『いずれ、お前は神妣宏典(かぶろみあつのり)の奴を葬り、聖宮司(ひじりのみやつかさ)の座を奪う男だ。その時…配下にしておいて損はない。』
『して、朧衆のように、皆、使い捨てになさると…』
『いかんか?』
父は、実に不思議なものでも見るように私を見つめて、首を傾げた。
『まあ…
しかし、これほどの手練れの刺客…しかも、周恩来が糸引くともなれば、早々、使い捨てるには惜しいさ。聖領(ひじりのかなめ)の利権を奪った後は、大鷲国(おおわしつくに)に取り入るにしても、大鷲国(おおわしつくに)に対立する楽土や明星国と渡り合うにしても、飼っておいた方が良い。』
『飼う…のですね。』
『随分と絡むんだな…まあ、良い。
明日から、お前は、鱶見本社(ふかみのもとつやしろ)の宮司(みやつかさ)だ。』
『私が…宮司(みやつかさ)…』
私が思わず目を見張らせると…
『そう、宮司(みやつかさ)だ。権宮司(かりのみやつかさ)でもなければ、禰宜や権禰宜(かりねぎ)でもない。嫌か?』
私は何も答えず俯き、拳を握りしめた。
父は、そんな私を見下ろすようにして見つめながら…
『社(やしろ)の兎どもは、お前の好きにして良いぞ。』
ニィッと笑って言った。
『社(やしろ)の兎神子(とみこ)達を…』
私が思わず顔を上げて父に向けると…
『お前、兎達に子供らしい暮らしをささてやりたかったのだろう?』
父は、カラカラ笑いながら言った。
そして、私の側に寄り肩に手を乗せると…
『甘ーい菓子や、可愛い玩具を買ってやり、たくさん遊ばせてやるもよし。小遣いを持たせて、欲しいものを買わせてやるもよし。
今まで、前の宮司(みやつかさ)に苛めに苛め抜かれてきた兎達…たーんと、可愛がってやれば良い。』
耳元近く口を寄せて囁きかけた。
『但し…社領(やしろのかなめ)の連中にたっぷり抱かせて、うんと孕ませろ。その上でなら、お前の好きにして良いぞ。』
私は、思わず両手をグッと握りしめ、全身を戦慄かせた。
『行って、くれるだろうな?紅兎を探り出し、殺すんじゃーない。配下として、手塩にかけてやれば良いのだ。お前の朧衆のようにな。』
ふと、隣に目を向けると、百合は寝息をたてていた。
同時に…
隣の部屋からは、菜穂の甘えるような喘ぎが微かに漏れ聞こえてくる。
あと五年…
あと五年…
私が知らぬ顔をしてやれば、あの二人は晴れて夫婦になれる。拾里の看護人(みもりにん)にすれば、子を産んでも、兎神子(とみこ)にせずに済む。
『あなたと共に戦いたい。』
和幸の言葉が、また、脳裏を過ぎってゆく。
翌早朝…
「皆さん、本当にお世話になりました。短い間でしたが、本当に楽しかったです。」
出発に先立ち、菜穂はもう一度、見送る拾里の一人一人に頭を下げた。
「なんのなんの…こっちこそ、ナッちゃんが来てくれたおかげで、楽しかったよう。」
「それに、希美ちゃんも元気になったし…何より、優しいお父さんとお母さんができたしな。」
「希美ちゃんも、お父さんやお母さんと仲良く、良い子にするんだぞ。」
拾里の人々が口々に言うと、希美は、私の背負う背負子の中で、ニコニコ笑った。
「親社(おやしろ)様も、お気をつけて。」
「また、いつでも、遊びにいらして下さい。」
私は、何も言わず頷いた。
「カズ坊も、ナッちゃんと希美ちゃんに、優しくしてやるんだぞ。トモちゃんには、時々なんか叱りつけて泣かしとったけど…ナッちゃんや希美ちゃん泣かしたら、ダメだぞ。もし、泣かすような真似したら、このシゲ婆が、とっちめてやるでな。」
「はいはい、よくわかってますよ。」
和幸は、拳を振り上げるシゲに、頭を掻きながら頷くと…
「その心配はあるめーよ。カズ坊は今から尻に敷かれっぱなしだー。」
「大好きな酒も取り上げられてなー、昨夜も泣きっぱなしだー。」
誰かがそう言うと、皆は一斉に笑いだした。
やはり、惜別の涙はない。
もう二度と会えない侘しさもない。
ただ、束の間楽しかった日々の思い出と、今日と言う日、共に過ごせる喜びと笑いだけがある。
「希美ちゃん、元気でなー。」
「カズ君、ナッちゃん、いつまでも仲良くしろよー。」
「親社(おやしろ)様、いつもいつも、幸せを祈ってますよー。」
いつまでも、いつまでも、姿が見えん限り見送る人々の声…
もう二度と聞くことのない声なのに、私も何故か悲しみより、暖かいものばかりが胸に込み上げてくる。
「爺じ、爺じ…」
背中で、希美が私の首に抱きついて、嬉しそうに言う。
百合の奴だな…
希美に変な事を吹き込んだのは…
少し後ろでは、和幸と菜穂が、何か言い争いを始めていた。
「オシッコがついてたぞー、あー、臭い臭い。」
和幸が、大げさに手のにおいを嗅ぎながら言うと…
「ついてません!私、ちゃんと拭いたし、お風呂でも洗ったわ!」
「いいや、オシッコでびしょびしょだったぞ。」
「もう!カズ兄ちゃんの意地悪!シゲさんに言いつけるわよ!」
希美は、二人のやり取りを、心配そうに見つめ出した。
「大丈夫だよ、あれは、仲の良い証拠だ。さて、社(やしろ)についたら、爺じと何して遊ぼうかね。」
言いながら、自分でも爺じと言ってる事に気付き、『アッ…』と、口を開けると、希美がクスクス笑い出した。
和幸は和やかに幸せに暮らせるように…
菜穂は、実り豊かな菜や穂の中で、飢えを知らずに暮らせるように…
それぞれの親が、和幸、菜穂と名付けたと言う。
希美には、もともと名前に当てる字はなかったと言う。キミと言う名を、本当の親がつけたのか、誰がつけたのか、その名になにがしかの意味が込められていたか否かもわからない。気づいた時は、そう呼ばれていたと言う。
そのキミと言う名に、希美の字を当てたのは、百合であった。
希望に満ちた美しい人生を生きられるようにと…
そして、私は…
人に優しくあるように…
思いやりのある人に育つように…
母の強い願いが込められた名…
思い出せない…
どうしても、思い出せない…
私の名は…
私の名は…
いや…
思い出す事を拒絶してしまっている…
「わかった、わかった…オシッコで濡れてませんでした。ちゃんと、拭いて、お風呂でも洗って、綺麗でした。」
「宜しい!わかれば良いんです。わかれば。」
いつの間にか、和幸が折れて、菜穂と仲直りをしている。
「だから、社(やしろ)に戻ったら一杯だけ…」
「ダーメッ!お父さんには、絶対お酒は呑ませません!ねえ、希美ちゃん。」
菜穂が、私の背中の希美に言うと…
『お酒を呑んではいけまちぇん。』
希美は、また菜穂と同じ顔して和幸を睨みつけていた。
『あなたと共に戦いたい…』
『紅兎を割り出し、殺すんじゃーない。配下にして、手塩にかけてやれば良い。お前の朧衆のようにな…』
和幸と父の声が頭の中で交差する。
『私は、あの子に『おまえ』なんて名をつけてない…『おまえ』なんて名をつけた覚えないわ…』
和幸に、私のように自分の名を忘れさせたくない…
和幸の名を、私のように『おまえ』などと言う名になどしたくない…
やがて…
山道深く分け入ると、漸く拾里の人々の声が聞こえなくなった。
皆、それぞれの暮らしに戻ってゆくのだろう。
と…
「ねえ、親社(おやしろ)様。」
背負子の中は暖かい。
いつの間にか、スヤスヤ寝息を立てる希美の頬を撫でながら、菜穂は希美の寝顔によく似た無邪気な笑顔を、私に傾けた。
「親社(おやしろ)様のお母様って、素敵な名前でらしたのね。」
「私の母の名…」
菜穂に言われて、ハタとなった。
そう言えば…
忘れていたのは、自分の名だけではない…
母の名も忘れていたのだ。
「聡美(さとみ)様と仰るのね。その名の通り、何でも知ってらして、おできになって、とっても綺麗な方だった…
百合さんが、そう仰られてたわ。」
聡美…
私の母の名は聡美…
聡美…
聡美…
聡美…
「辛かったら、何もかも忘れてしまって構わないけど…
母様の名前だけは、忘れないで欲しい。本当に、優しくて、親社(おやしろ)様の事をいつも愛し、思ってらした方だったから…
百合さん、そう仰ってたわ。」
菜穂はそう言うと、また、和幸とべったり肩を寄せ合って、眠る希美の頬や鼻先を指先で撫でながら、クスクス笑い出していた。