わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。マタイ25:40(今週の聖句)
主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉により頼んではならない。お前たちの道と行いを正しなさい。エレミヤ書7:4~5
律法は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされます。ガラテヤ書5:14
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(ローズンゲン日々の聖句9/14;日)
宗教的儀式やささげものを熱心にすることはできます。いかにも信仰深そうに神殿に行き、熱心にささげものをささげ、主の神殿があるから敵に打ち破られることはないと信仰深く行動していた人々に、あの方は言われたのだそうです。それではなく、あなたがたの行いとわざとを改め、公義を行い、在留異国人、みなしご、やもめをしいたげず、罪のない者の血をこの所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くことをしないようにと。
そして、隣にいる人を自分自身のように愛して欲しいと。
これを自分の力でやっていこうとする試み。モーセ以来、イスラエル800年ほどの歩みを通して、外側はいかにも信仰深そうに振舞えても、心は、あの方の心から遠く離れていて、今、まさに、バビロン軍を用いて、その頼りにしている神殿を破壊し、民は捕囚として連れ去るしかないところにまで至っているのですね。
この大いなる実験の結果を見ながら、私たち、なお、自分の力で立とうとするのか。イスラエルの人々にもできなかった、また、律法については落ち度のない者と自分で言い得たあのパウロでさえ、私ははずれた者の最たる者と言うしかなかった道を、私たちは行こうとするのか。
だから、パウロは言うのですね。「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません」と。
御霊と呼ばれる方をお迎えし、この方によって、心に父である方の御思いが心に来るようにしていただき、その思いについて行くところに現れて来るものは、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制などなのだそうですね。
自分は、イエスの十字架刑で処刑された者と受け取って、御霊と呼ばれる方に導いていただき、進んでい行きたいですね。今日も。
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