朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

いつも、私たちと共にいてくださる方に

2018-08-09 21:54:24 | 聖書から
 見よ、
国々は革袋からこぼれる一滴のしずく、
天秤の上の塵と見なされた。イザヤ書40:15

 天地の権能を授かったイエスの言葉:
あなたがたは行って
全ての民を私の弟子とし、
父と子と聖霊の名で洗礼を授け、
命じておいた事を全て守るように教えなさい。
私は世の終わりまで
いつもあなたがたと共にいる。マタイ28:18~20

 哀歌5:1~22
 ヨハネ9:35~41(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/10;金)

 イザヤは言います。
「だれが、
天の神、主、
「『わたしはある(IAM)』という者」と名乗られる方の霊を推し量り、
主の顧問として教えたのか。
主はだれと相談して悟りを得られたのか。
だれが公正の道筋を主に教えて、知識を授け、
英知の道を知らせたのか。
見よ。国々は、
手おけの一しずく、
はかりの上のごみのように見なされる」(イザヤ書40:13~15新改訳)、と。

 イエスは、
十字架刑による処刑を受けられ、
死んで、墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人のうちより新しい霊のからだに復活して、
40日に渡って何度も弟子たち現れたのですが、
そのときに言われたのだそうです。
「わたしは天においても、地においても、
いっさいの権威が与えられています。
それゆえ、あなたがたは行って、
あらゆる国の人々を弟子としなさい。
そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、
彼らを教えなさい。
見よ。
わたしは世の終わりまで、
いつも、あなたがたとともにいます」、と。


 エレミヤは言います。
「しかし、主よ。
あなたはとこしえに御座に着き、
あなたの御座は代々に続きます。
なぜ、いつまでも、私たちを忘れておられるのですか。
私たちを長い間、捨てられるのですか。
主よ。あなたのみもとに帰らせてください。
私たちは帰りたいのです。
私たちの日を昔のように新しくしてください。
それとも、あなたはほんとうに私たちを退けてられるのですか。
きわみまで私たちを怒られるのですか」(哀歌5:19~22)、と。

 生まれつき目が見えなくて、
道ばたで物乞いをしていた男性。
イエスは、
「この人が盲目に生まれついたのは、
この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。
神のわざがこの人に現れるためです」と言われ、
地面につばきをして、そのつばきで泥を作り、
そして、その泥を盲人の目に塗って、
「シロアムの池に行って洗いなさい」と言われた。
そこで、彼は行って、洗うと見えるようになったのだそうです。

 ユダヤ人の指導者たちは、
イエスをキリストであると告白する者は、
会堂から追放すると決めていたのだそうです。

 イエスは、ユダヤ人の指導者たちが、そ
の見えるようになった盲人を追放したことを聞き、
彼を見つけ出して言われた。
「あなたは人の子を信じますか。」
その人は答えた。
「主よ。その方はどなたでしょうか。
私がその方を信じることができますように。」
イエスは彼に言われた。
「あなたはその方を見たのです。
あなたと話しているのがそれです。」
彼は言った。
「主よ。私は信じます。」
そして彼はイエスを拝した(ヨハネ9:35~38)。

 私たちは、この方に何と言いましょうか。
それとも、
「主よ。お話しください。
しもべは聞いております」と
お答えしましょうか。
今日。

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実行出来ない者を、なお、愛し、あわれみ

2018-08-09 09:33:15 | 聖書から
 主が命じられた道をひたすら歩みなさい。
そうすれば、
あなたたちが得る土地に長く生きる。申命記5:33

 イエスはファリサイ人に
「律法には何とあるか」と言われた。

 彼は答えた。
「心、精神、力、思いを尽くして、
主なる神を愛し、
隣人を愛しなさい。」

 イエスは言われた。
「正しい答えだ。
実行すれば命が得られる。」ルカ10:26~28

 ロマ書11:25~32
 ヨハネ9:24~34(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/9;木)

 主が命じられた道をひたすら歩む。
知っているだけではなく、
実行する。
自分の力で。

 そのような生き方を
「律法的生き方」と言うのだそうですね。

 けれども、
神が満足なさるレベルまで実行出来た人は
いないのだそうです(ロマ3:10~12)。

 天の神、主、
「『わたしはある(IAM)』という者」と名乗られる方は、
「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)と仰られて、

 「われわれ」、
〔父である神〕、
〔御子である神〕、
〔聖である霊〕と呼ばれる神が、
愛と尊敬において
自分の思いが成ることをではなく、
相手の思いが成ることを願い(ヨハネ6:38)、
自由意思で
自発的に
思いを同じくし、
心を一つにし、
行動を一つにし、
存在を一つにしていらっしゃる、

 その一つに、
愛と尊敬において、
自由意思で
自発的に加わる者が欲しいと願われて
私たち人間を造られたのだそうです。

 けれども、最初の人、アダムとエバは、
その、造られた場にとどますことを善してしないで、
「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになる道を選んだのだそうです。

 そして、このアダムとエバの子孫である私たち人間は、
この、創造の目的からずれた、
「的外れ」の性質を受け継いで生まれて来ているのだそうです。

 それで、
神のことばを守り、いい人間になることにおいても、
神と心を一つにしていく方向ではなく、
天の神、主と対立、対抗して、
神のようになり、神の上に立つ者になろうとするのだそうです。

 イエスが話された、
「宮に祈りに行ったパリサイ人」のように、
「神よ。
私はほかの人々のようにゆする者、
不正な者、
姦淫する者ではなく、
ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。
私は週に二度断食し、
自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております」(ルカ18:10~12新改訳)と
誇り高く、胸を張って、神に言うことができる者に。

 「イスラエルの人々は、
義の律法を追い求めながら、
その律法に到達しませんでした。
信仰によって追い求めることをしないで、
行いによるかのように追い求めたからです」(ロマ9:31~32)。


 けれども、神は御自分の民を退けてしまわれたのではありません。
イスラエル人の一部がかたくなになったのは、
私たち異邦人の完成が成るときまでであり、
イスラエルはみな救われるのだそうです。

 神の賜物と召命とは変わることがありません。
私たちが、かつては不従順であったが、
今は、彼らの不従順のゆえに、憐れみを受けているのと同様に、
彼らも、今は不従順になっていますが、
それは、私たちが受けたあわれみによって、
今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです(ロマ11:25~31)。

 そして、天の神、主は、
その豊かな憐れみによって、
主の御名を呼び求める者の、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている
〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスが受けてくださった十字架刑での処刑に合わせて、
処刑されたもの、死んだものとしてくださるのだそうです。


 そのうえで、受け入れる者に
もう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方の働きで、
心に、〔父である神〕の御思いを置き、書き付けてくださり、
受け入れる者がご自身と思いを同じくし、
心を一つにして、
〔父である神〕がしようと思われることをしていくようにしてくださるのだそうです。

 「盲目に生まれついた者の目をあけた者があるなどとは、
昔から聞いたこともありません。
もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、
何も出来ないはずです」(ヨハネ9:22~23)
と言われるような業を。
今日も。


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