朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

自分の「的外れ」の存在を認め、言い表していくなら

2018-08-24 22:41:08 | 聖書から
 あなたに背いたことを
私は知っています。
私の罪は
常に私の前に置かれています。詩51:5

 自分の罪を公に言い表すなら、
神は真実で正しい方ですから、
罪を赦し、
あらゆる不義から
私たちを清めてくださいます。Ⅰヨハネ1:9

 イザヤ書57:15~19
 Ⅰヨハネ3:19~24(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/25;土)

 私たちは、自分の実態、

天の神、主から、
「われわれのかたちとして、われわれに似せて」創世記1:26)、

 「あなた(父である神)がわたし(御子イエス)におられ、
わたし(御子イエス)があなた(父である神)にいるように、
彼らもわたしたちにおるように。
わたしたちが一つであるように、
彼らも(わたしたちと)一つであるように(ヨハネ17:21~22)、
と願われて造られていながら、

 その神とのひとつの場にとどまることをしないで、
もっと偉い者になろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」(創世記3:5、22)ようになって、
創造の目的からずれた、「的外れ」になっている実態を知るのですね。

 それを言い表していくとき、
その私たちの「的外れ」の責任を全部、イエスが負ってくださっていて、
イエスが受けてくださった十字架刑での処刑で、
私たちの「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊を処刑済み、
死んだものとしていてくださるのが分かるのだそうです。

 そのうえで、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来てくださって、
私たちの心に、
〔父である神〕の御思いを置いてくださるので、
私たちのうちに〔父である神〕の御思いがあるようになり、
受け入れる者は、〔父である神〕と一つ心になって、
不義でない、
あるべき、正しい在り方を生きるようにしてくださるのだそうです。

 イザヤ書に書かれてあるように。
いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、
その名を聖ととなえられる方が、
こう仰せられる。
「わたしは、高く聖なる所に住み、
心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
へりくだった人の霊を生かし、
砕かれた人の心を生かすためである。
わたしはいつまでも争わず、
いつも怒ってはいない。
わたしから出る霊と、
わたしが造ったたましいが衰え果てるから。
彼のむさぼりの罪のために、
わたしは怒って彼を打ち、顔を隠して怒った。
しかし、彼はなおそむいて、
自分の思う道を行った。
わたしは彼の道を見たが、彼をいやそう。
わたしは彼を導き、彼と、その悲しむ者たちとに、
慰めを報いよう。
わたしは唇の実を創造した者。
平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。
わたしは彼をいやそう」と主は仰せられる(イザヤ57:15~19新改訳)。

 〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
御子イエス・キリストの御名に信頼し、
互いに愛し合う(Ⅰヨハネ3:23)、
〔父である神〕の御思いを私たちの心に置いてくださるのだそうですから。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

汚れた服を脱がせ、新しい晴れ着を着せようと

2018-08-24 09:12:15 | 聖書から
 わたしはお前の罪を取り去った。
晴れ着を着せてもらいなさい。ゼカリヤ書3:4

 息子は言った。
「私は天とお父さんに対して罪を犯しました。
息子と呼ばれる資格はありません。」

 父親は僕たちに言った。
「急いで一番良い服をこの子に着せ、
手に指輪をはめてやり、
足に履物を履かせなさい。」ルカ15:21~22

 マタイ12:15~21
 Ⅰヨハネ3:11~18(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/24;金)

 サタンは、
天の神、主の御前で、
大祭司ヨシュアの式服が汚れているのを指摘するのですが、
天の神、主は言われたのだそうです。

 「彼の汚れた服を脱がせよ。
見よ。わたしは、あなたの不義を取り除いた。
あなたに礼服を着せよう」(新改訳)。

 
 イエスは話されたのですね。
自分の相続するはずの財産を、今、欲しいと父親に要求し、
その財産を金に換えて遠い国に旅立ってしまい、
放蕩して財産のすべてを使い尽くし、
食べるものもなく、落ちぶれて帰って来た息子を、

 父親は、遠くから見つけて、走り寄り、
彼を抱き、口づけして、僕たちに言いつけた。
「急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。
手に指輪をはめさせ、
足にくつをはかせなさい。
そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。
食べて祝おうではないか。」


 イエスは、
私たちの、「的外れ」で汚れた服を脱がせ、
新しい晴れ着を着せてくださるために、
預言者イザヤが言っている、
「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、
わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。

 わたしは彼の上にわたしの霊を置き、
彼は異邦人に公義を宣べ伝える。
争うこともなく、
叫ぶこともせず、
大路でその声を聞くこともない。
彼は痛んだ葦を折ることもなく、
くすぶる燈心を消すこともない、
公義を勝利に導くまでは。
異邦人は彼に望みをかける」
その方として、来られたのだそうです。

 それで、ユダヤ人の指導者、パリサイ人たちが
イエスを殺そうと相談しているとき、
これと対抗し争うのではなく、そこを立ち去られ、
また、病気をいやした人たちには、
ご自分のことを人々に知らせないようにと命じられたようです(マタイ12:15~21)。

 争うためにではなく、
彼らも含めた、私たちすべての人間のために、
ご自分のいのちをお捨てになり(Ⅰヨハネ3:16)、
悪魔から出た者である、
「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑されたもの、死んだものとして脱がせてくださるために。

そして、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣して、
この方によって、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを
私たちの心に置き、着せて、
受け入れる者が〔父である神〕と思いを同じくし、
心を一つにして生きる、
神から出た思いで生きる、
神から生まれた者として、
新しい服を着た者としてくださるために。


 〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
〔父である神〕から出た御思いによって、
私たちの心の中にも、
互いに愛し合う、
兄弟姉妹のために、いのちを捨てる思いも
来るようになるのだそうです。

 死からいのちに移っている者(Ⅰヨハネ3:11~16)。
新しい晴れ着、
〔父である神」の御思い、
イエスの義を着せていただいている者として。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)