朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

ことばの内容が真実であることを、証明してくださるのだそうですから。事実をもって。

2018-08-20 21:59:18 | 聖書から
 私たちの神よ、
私たちを見捨てることも、
見放すこともなさらないでください。列王記上8:57

 弟子たちは出かけて行って、
至る所で宣教した。
主は彼らと共に働き、
彼らの語る言葉が真実であることを、
それに伴うしるしによって
はっきりとお示しになった。マルコ16:20

 マルコ3:1~10(11~12)
 Ⅰヨハネ2:12~17(通読箇所)
    (ローズンゲン日々の聖句8/1;火)

 ソロモン王が、
エルサレムに天の神、主の神殿を建て終り、
ダビデの町から、
主の契約の箱を担ぎ上って神殿の至聖所に安置したとき、
ソロモンは天の神、主に祈って言ったのだそうです。

 「私たちの神、主、
「『わたしはある(IAM)』という者」と名乗られる方は、
私たちの先祖とともにおられたように、
私たちとともにいて、
私たちを見放さず、
私たちを見捨てられませんように」(新改訳)、と。


 イエスは、

十字架刑での処刑を受け、
墓に葬られ、
三日目に死人のうちより新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で、弟子たちが見守る中、
上げられ、
雲に迎えられて見えなくなられたのだそうですが(使徒1:3~9)、
弟子たちに言い残されたのですね。

 「全世界に出て行き、
すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。
信じてバプテスマを受ける者は救われます。
しかし、信じない者は罪に定められます。

 信じる人々には次のようなしるしが伴います。
すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、
新しい言葉を語り、
蛇をもつかみ、
たとい毒を飲んでも決して害を受けず、
また、病人に手を置けばいやされます。」


 それで、弟子たちは出かけて行って、
いたるところで福音を宣べ伝えたのですが、
主は彼らとともに働き、
みことばに伴うしるしをもって、
彼らが語たることばが真実であることを
証明してくださったのだそうです。

 イエスが、会堂で、片手のなえた人に、

「手を伸ばしなさい」と言うと、
彼は手を伸ばすことができ、
その手は元どおりになった(マルコ3:1~5)のだそうです。

 〔父である神〕は、
みことばに伴う事実によって、
その言葉がご自身の意思であることを
証明してくださるのだそうですから。


 〔父である神〕は、
私たちが、
イエスの御名によって、罪が赦されていること、
聖書のことばを通して、
初めからいる方、
この天地の造られる前からおられる方、
「御父」を知ったこと、

 そして、私たちにうちにおられる「強い方」、
「神のみことば」が内にとどまっていて、
悪い者、サタンに打ち勝っていること、

 世、
世にあるもの、
肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、
この世から出たもので、
御父から出たものではないことを知り、
御父を愛する愛を心に置いてくださる(Ⅰヨハネ2:12~17)、

そのことばの事実を現してくださるのだそうですから。
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって。
見捨てることも、見放すこともなさらないで。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

喜びがあふれて

2018-08-20 11:03:14 | 聖書から
 主は
彼らに喜びを与えられた。エズラ記6:22

 信者たちは
毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、
家ごとに集まってパンを裂き、
喜びと真心をもって
一緒に食事をした。使徒2:46

 マタイ9:27~34   
 Ⅰヨハネ2:7~11(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/20;月)

 70年にわたるバビロンの捕囚から帰還した人々は、
エルサレムの神殿を建て直す工事を、
アッシリア、バビロンに代わったペルシャの王
ダリヨスの治世の第6年(BC515年)、
アダルの月(イスラエル歴の12月、太陽暦では2~3月)3日に完成し、
奉献式を行なったのだそうです。

 そして、翌月、第一の月の14日に
過ぎ越しのいけにえをほふり、
そして、それに続く7日間の種を入れないパンの祭りを行なったのだそうです。
天の神、主が、彼らに喜びを与えられて。

 それからおよそ540年ほど後の過ぎ越しの祭りのとき、
イエスは、このエルサレムの城壁の外で
十字架刑での処刑を受けられ、
その血をささげてくださったのだそうです。

 そして、たぶん、このイエスが処刑された年は、
通常の安息日(金曜日の日没から土曜日の日没まで)と、
種なしパンの祭り
(この期間中、食事を作り事以外のどんな仕事もしてはならない)の
第一日が重なった「大いなる日」であったようです(ヨハネ19:31)。

 イエスは、
処刑され、
安息日が始まろうとするので、
急いで、近くにあった、
アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に納められたのですが、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って弟子たちに何度も現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で、弟子たちが見守る中、
上げられ雲に迎えられ見えなくなられたのだそうです。

 「エルサレムから離れないで、
わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
もう間もなく、
あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです」と言い残して。


 そして、10日後の「五旬節(ペンテコステ)」、
モーセを通し、
イスラエルの民に律法が示され、
旧い契約が結ばれた記念の祭りの日に、

 〔聖である霊〕と呼ばれる方が
弟子たちのところに来られて、
弟子たちは、
この方が心に置いてくださる〔父である神〕の御思いのとおりに、
他のことばで話し出し、
新しい契約(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)が実現したのだそうです。

 そして、ペテロたちが、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
御思いのままに語っていったとき、
心刺され、
イエスを救い主、キリストとして信じ受け入れた人たちが、
男だけで3千人ほど起こり、
また、毎日、仲間に加わる人が起こり、

 彼らは毎日、心を一つにして宮に集まり、
家々で集まってパンを裂き、
食事をともにし、
神を賛美していたのだそうです。
喜びと真心をもって。


 イエスが、道を通って行かれると、
ふたりの盲人が大声で
「ダビデの子よ。
私たちをあわれんでください」と叫びながらついて来て、
家の中にまでやって来たのだそうです。

 イエスが、
「わたしにそんなことができると信じるのか」と言われると、
彼らは
「そうです。主よ」と答えたので、
イエスは、彼らの目にさわって、
「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。
すると、彼らの目があいた。

 イエスは彼らをきびしく戒めて、
「決してだれにも知られないように気をつけなさい」と言われたのですが、
彼らは出て行って、
イエスのことをその地方全体に言い広めたのだそうです。
喜びがあまりにも大きかったので(マタイ9:27~31)。


 私たちも、
わたしたちのうちから出て来る「兄弟を憎む」思いは、
〔父である神〕、
〔御子である神〕イエス、
〔聖である霊〕と呼ばれる神の
御前に差し出し、
見ていただき、知っていただき、
明るい、光の中の出来事にしていただきながら、

 〔聖である霊〕と呼ばれる神が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思い、
「兄弟を愛する」思いに満たされて行くのだそうです(Ⅰヨハネ2:7~11)。
喜びの中で。

今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)