朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

栄光ある現れを待ち望む者に

2015-05-16 08:49:54 | 聖書から
主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい。
主がいかに偉大なことをあなたたちに示されたかを悟りなさい。サムエル記上12:24

 キリストが私たちのために御自身を献げられたのは、
私たちをあらゆる不法から贖い出し、
良い行いに熱心な民をご自分のものとしてきよめるためだったのです。テトス書2:14




 見えない神により頼むよりも、他の国々のように王が欲しいと迫る民に、預言者サムエルが答えた言葉なのですね。結果的にも、王を立てたイスラエルの民は、いよいよ神をないがしろにしていくわけですけれど、天の神、主と呼ばれる方との関係を大切にしていきなさいと勧めているのですね。。





 私たちも、見えない神により頼むよりも、自分の理性による判断に頼り、その判断による頼りがいのありそうな「見えるもの」により頼んで行く性質を内に持つ者です。





 そのような、自分をより強く、立派な者にして、天の神、主と呼ばれる方に対抗し、この方よりも自分を上にしようとする私たちを――その結果は平和ではなく、人間、お互い同士の対立、争いであり、滅びなのですが――贖(あがな)い出し、買い戻して、この方の愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和な御思いに心を合せていく者にし、私たち人間を御自分の宝の民とするために、イエスは御自身をささげられ、私たちに代わって十字架刑で処刑されて下さったのだそうです。





 それで、このイエスに信頼する者は、不敬虔とこの世の欲から離れ、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福された望み、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現れを待ち望む者にしていただけるのだそうです(テトス2:11~14)。聖である霊と呼ばれる方のお働きによって。
 それで、「聖霊に満たされなさい」と勧められているのでしょうか(エペソ5:18)。

 今日も。


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彼らも、子孫もとこしえに幸いを得るように!

2015-05-14 22:47:01 | 聖書から
主の言葉:
どうか、彼らが生きている限りわたしを畏れ、
わたしの戒めをことごとく守ることを心に持ち続け、
彼らも、子孫もとこしえに幸いを得るように。申命記5:29





 食べ物ではなく、
恵みによって心が強められるのはよいことです。ヘブル書13:9




                (ローズンゲン日々の聖句5/15;金)




 私たちの心が、天の神、主への愛と尊敬の心で満ちるとき、私たちは、この方の思っていらっしゃるとおりにしていきたいと思うようになるのだそうですね。それでイエスは、この方の思いが成ることを生涯の生き甲斐とし喜びとし、この方が思われるとおりに行動しておられたようです。
 天の神、主は、愛と憐れみ、正義と公正、思いやりに満ちた方なので、この方の御思いのように生きるなら、全ての人が幸せになるのだそうです。
 食べ物によっても私たちは、身体も心も強められますが、あの方から来る恵みをいただくとき、私たちの心はさらに強められるのだそうです。食べた物が消化されて身体を構成するもの、体の一部になって、からだと一つになるように、私たちも聖である霊と呼ばれる方によって、天の神、主と一つ思いにしていただけるのだそうですね。
 それで、私たちの心にも、励まし、愛の慰め、御霊の交わり、愛情とあわれみの思いが来て、一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにするようになるのだそうです。
 自己中心や虚栄からすることがなくなり、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思うようになり、自分のことだけではなく、他の人のこともかえりみる思いが来るのだそうです(フィリピ2:1~4)。
 あの方は、私たち人間がいよいよ御自身と一つになって(ヨハネ17:21)、幸いを得て欲しいと思っていらっしゃるようですね。聖である霊と呼ばれる方のお働きの中で。
今日も。


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あけぼのの光のように知恵が来るのだそうです。あの方の。

2015-05-14 06:53:27 | 聖書から
主は多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。イザヤ書2:4




これは我らの神の憐れれみの心による。
この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、...
暗闇と死の陰に坐している者たちを照らし、
我らの歩みを平和の道に導く。ルカ1::78~79





                     (ロースンケ゛ン日々の聖句5/14;木)






 人々が、天の神、主を無視し、自分の理性の判断に頼って行動していくとき、若い者たち、気まぐれ者が国を治めるようになり、おのおの、相しいたげ、若い者は年寄りに向かって高ぶり、身分の低い者は高貴な者に向かって高ぶるというようになるのだそうです(イザヤ3:4~5)。


 人の世はこのようでありますけれど、終わりの日には、シオンからみおしえが出、エルサレムから主の言葉が出て、多くの人々が「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えて下さる。私たちは、その小道を歩もう」(イザヤ2:2~3)という日が来て、暗闇と死の陰に座っているような状態の者のそれぞれの心に、あけぼのの光のように主の御思いが来て、平和が実現する日が来るのだそうですね。


 私たち、自分で善悪を知る者になっていて(創世記3:22)、国を動かすような大きなことだけではなく、日常の、どちらを選んでも結果は大して変わりのない些細なことにまで、自分の判断を相手に押し付け、相手を自分の思うとおりに従わせようとして対立しあう者になっています。


 そのような私たちにも、旧約聖書で預言されていたとおりに、「イエスが十字架刑で処刑されるという苦しみを受けて下さり、三日目に死人の中からよみがえり、イエスの名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる人々に宣べ伝えられる(使徒24:46~47)」ようになった今、そのイエスの名によって、約束の「聖である霊と呼ばれる方」が来て下さり(使徒1:4~5)、私たちの心に「天の父」と呼ばれる方の思いを書き付けて下さるという預言、「父の約束」が実現するのだそうです(エレミヤ31:33、エゼキエル36:26~27)。


 足もとの小道を、この方の御思いをお聞きしながら歩ませていただけるのだそうですね。
今日も。



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救いを、地の果てにまで届けるものにと。

2015-05-13 01:26:58 | 聖書から

主の言葉:
わたしはあなたを国々の光とし、
わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。イザヤ49:6
 イエスの言葉:
あなたがたは、エルサレムばかりでなく、
ユダヤとサマリヤの全土、
また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。使徒1:8
        (ローズンゲン日々の聖句5/13;水)
 イザヤをとおしてこうおっしゃられた方は、
イスラエルの先祖、アブラハムを呼び出されたときおっしゃられたのだそうです。
「あなたは、あなたの生まれ故郷、父の家を出て、
わたしが示す地に行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、
あなたを祝福し、あなたの名を大いなる者としよう。
あなたの名は祝福となる。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
あなたをのろう者をわたしはのろう。
地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:1~3)。

「地のすべての国々は、あなたの子孫によって祝福される。」(創世記26:4)と。
 この約束のとおりにアブラハム、イサクの子孫(単数)である
イエスによってもたらされた、
すべての国々への祝福を、
すべての国々へ、地の果てにまで伝えるようにと、
イエスは弟子たちを召されたのだそうです。
 これらの人たちの証言によって
イエスによる救いが私たちにまで伝えられ、
さらに、私たちも私たちのイエス体験を証言し、
祝福を届けてていく者としていただけるのだそうです。
すべての国々の人に。
今日も。
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神がいるなら、なぜ、こんなことが起こるのか。

2015-05-12 07:36:20 | 聖書から
ギデオンの言葉:神が私たちと共においでになるのなら、
なぜこのことが私たちにふりかかったのですか。士師記6:13




私たちは今は(金属をみがいて作った)鏡におぼろに映ったものを見ている。
だがその時には、顔と顔とを合わせて見ることになる。





私は今は一部しか知らなくとも、
その時には、はっきり知られているように
はっきり知ることになる。Ⅰコリント13:12





                (ローズンゲン日々の聖句5/12;火)




 私たちが、「天の神、主と心を一つにする者になる」とはいっても、それは私たちがこの方と等しくなるということではなく、部分的なことなのですね。
天の神、主のお心を海の水にたとえると、私たちが一つにしていただいている部分は小さな杯いっぱいの水のようなものでしょうか。




私たちの知るところは、預言にしても知識の言葉にしても、おぼろげであり、ほんの一部分にすぎないわけですけれど、それは、天の神、主が、啓示しようと思われる分、用いようと思われる分に応じてのことなのでしょう.




でも、やがて、御前に出て、顔と顔を合わせて礼拝し、この方がはっきり知って下さっているように、私たちもこの方のことをはっきり知ることができる、その時が来るとおっしゃって下さっているようですね。




 ギデオンは、神が共においでになるなら、なぜ、このような隣国から侵入され、略奪されるような国難が起こるのか、それは、神がいらっしゃらないからではないかと思ったようですけれど、神は、そのような苦難を通して民が御自分に立ち返ることを望まれ、御自分の栄光の御業を私たちに見せて下さるようですね。




 ちょうど、イエスが生まれつきの盲人について、「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです」とおっしゃられて、その盲人をいやされ、見えるようにして下さったように(ヨハネ9:1~12)。

 あるいは、パウロが捕えられ、投獄されていることによって、それが「キリストのゆえに」であることがローマ皇帝の親衛隊全員とローマにいるそのほかのすべての人にも明らかになり、イエスを信じる者たちが確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神の言葉を語るようになったように(フィリピ1:12~18)




 私たち自身の前にも、私たち自身が原因で起こること、なぜこんなことが起こるのかと理不尽に思えるようなことなど、いろいろな困難や苦難が起こりますが、天の神、主は、それらのことも用いて御自身の栄光を現して下さり、御自身が私たちと共にいて下さることを私たちに体験させて下さるために用いられるようですね。




 天にの神、主は、調子良く行っていると、すぐ、自分が神であるかのように思い、神がいなくても自分でやっていけるかのように思い上がる私たちに、私たちの知るところ、見るところは、おぼろげであり、一部分であることを分からせ、いよいよ、天の神、主の御思いを求め、体験し、知って行く者にしようとしていて下さるようですね。
今日も。


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