朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

死を越えて、とこしえまでも導いて下さる方

2016-03-21 07:09:14 | 聖書から
この神は世々かぎりなく私たちの神、

  死を越えて、私たちを導いて行かれる。詩編48:15




だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにし、

  自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。ヘブル書12:12~13 




         (ローズンゲン日々の聖句3/21;月)




 天の神、主。

この方こそ真の神、死の向こうも、とこしえに導いて下さる方。




 その方が言われるのですね。

「わが子よ。

主の懲らしめを軽んじてはいけない。

主はその愛する者を懲らしめ、

受け入れるすべての子に、

むちを加えられるからである。」




 訓練されるのだそうです。本当の子としてくださっていて。

霊の父は、私たちの益のため、私たちを御自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめられるのだそうです。

そのときは、悲しく思われるとしても、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせ、

すべての人との平和を追い求め、聖められることを追い求めさせていただけるのだそうです。

聖くなければ、誰も主を見ることができないのだそうですから。




誰も神の恵みから落ちる者がないよう、

また、苦い根が芽を出して、悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることがないようにし、


いっさいの重荷とまとわりつく罪とをかなぐり捨てながら、

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないようにしてくださるのだそうですね。

シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会を目指して。

「聖である霊」と呼ばれる方は、今日も。



イメージ 1








[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]







<ahref="http://www.blogmura.com/point/00697809.html" ><imgsrc="http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif"alt="PVアクセスランキング にほんブログ村"/>







[269RANKのランキングサイト]





"哲学・思想 ブログランキングへ"

死を越えて、とこしえまでも導いて下さる方

2016-03-21 07:09:14 | 聖書から
この神は世々かぎりなく私たちの神、

  死を越えて、私たちを導いて行かれる。詩編48:15




だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにし、

  自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。ヘブル書12:12~13 




         (ローズンゲン日々の聖句3/21;月)




 天の神、主。

この方こそ真の神、死の向こうも、とこしえに導いて下さる方。




 その方が言われるのですね。

「わが子よ。

主の懲らしめを軽んじてはいけない。

主はその愛する者を懲らしめ、

受け入れるすべての子に、

むちを加えられるからである。」




 訓練されるのだそうです。本当の子としてくださっていて。

霊の父は、私たちの益のため、私たちを御自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめられるのだそうです。

そのときは、悲しく思われるとしても、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせ、

すべての人との平和を追い求め、聖められることを追い求めさせていただけるのだそうです。

聖くなければ、誰も主を見ることができないのだそうですから。




誰も神の恵みから落ちる者がないよう、

また、苦い根が芽を出して、悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることがないようにし、


いっさいの重荷とまとわりつく罪とをかなぐり捨てながら、

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないようにしてくださるのだそうですね。

シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会を目指して。

「聖である霊」と呼ばれる方は、今日も。



イメージ 1








[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]







<ahref="http://www.blogmura.com/point/00697809.html" ><imgsrc="http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif"alt="PVアクセスランキング にほんブログ村"/>







[269RANKのランキングサイト]





"哲学・思想 ブログランキングへ"

愛と慈しみが現れたのだそうです

2016-03-20 07:51:17 | 聖書から
人の子も上げられねばならない。

それは、信じる者が皆、

  永遠の命を得るためである。ヨハネ3:14〜15(3/20の週の聖句)




背きの罪は私たちと共にあり、

  私たちは自分の咎を知っている。

 主に対して偽り背き、

   私たちの神から離れ去った。イザヤ書59:12〜13




しかし、私たちの救い主である神の慈しみと、

  人間に対する愛とが現れたときに、

 神は、私たちが行った義の業によってではなく、

   ご自分のあわれみによって、

     私たちを救ってくださいました。テトス書3:4~5




        (ローズンゲン日々の聖句3/20;日)




 私たち人間を愛し、憐れんで下さっている方が、私たち人間の側に期待しても、ご自分と思いを一つにしようとはしない者であることを、この人間の歴史の中で実証されたうえで、ご自分のほうで義を用意して、これを受け取る者に着せてくださるという、救いの道を、この人間の歴史の中で用意されたのだそうです。




 天の神、主は、ご自分と思いを一つにし、行動を共にし、存在を一つにする者、いつも一緒にいてお互いを喜び合う存在を、と望んで、私たち人間を創造してくださったのだそうです(創世記1:26)。




 けれども、私たち人間は、天の神、主とひとつであることよりも、もっと素晴らしくなりたいと思うようになり、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になろうとする生き方を選び取ったんだのだそうです(創世記3:22)。




 それで、私たちは、天の神、主の、創造の目的から大きく外れた者となっているのだそうですが、私たち自身が自分がそう言う者であるという現実をを知っているのですね。




 天の神、主は、そうなってしまっている私たち人間を、なお、見捨てないで、ご自身の側で回復の道を用意されたのだそうです。




 永遠の初めから共におられ、この宇宙の創造、人間の創造を共にされた「御子である神」、「神のことば」と呼ばれる方を、男の血筋を受け継がない女の子孫として(創世記3:15、ルカ1:26~38)、人間の世に生れさせ、この方を私たち人間の身代わりとして、反逆者として十字架刑で天と地の間に高く掲げて処刑されたのですね。




 そのうえで、受け入れる者に、もう一人の救い主、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣して、この方の働きで、受け入れる者の心に、その一人一人に関わるご自身の御思いを書き付けて、ご自身が思っていらっしゃる同じ思いを思う者、思いを一つにし、心を一つにし、行動を一つにし、存在を一つにする者にしてくださるのだそうです。

この、天の神、主との一つの中を生きることが、創造の目的にそった生き方であり、「義」なのでしょうか。




 「永遠の命とは、彼らが唯一の眞の神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストとを知ることです」とイエスは言われましたが(ヨハネ17:3)、受け入れる者は「聖である霊」と呼ばれる方によって、日々、体験的に知っていくことになるのだそうです。

この新しい週も。


イメージ 1








[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]









<ahref="http://www.blogmura.com/point/00697809.html" ><imgsrc="http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif"alt="PVアクセスランキング にほんブログ村"/>









[269RANKのランキングサイト]






"哲学・思想 ブログランキングへ"

記事のタイトルを入力してください(必須)

2016-03-19 05:33:25 | 聖書から
恐れるな、

  もはや恥を受けることはないから。イザヤ書54:4




キリスト者として苦しみを受けるのなら、

  決して恥じてはなりません。

 むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、

   神をあがめなさい。Ⅰペテロ4:16




        (ローズンゲン日々の聖句3/19;土)




 もしキリストの名のために非難を受けるなら、それは幸いなことなのだそうです。

栄光の御霊、神の御霊と呼ばれる方がその人の上にとどまってくださるのだそうですから。




 人殺し、盗人、悪を行う者、みだりに他人に干渉する者として苦しみを受ける場合があります。

しかし、キリストにある者として苦しみを受けるのなら、恥じる必要はないのだそうです。

かえって、キリストにある者とされていることで神をあがめていていいのだそうです。

キリストの名のために受ける苦しみは、やがて栄光に変わるのだそうですから。




 神の御心に従ってなお苦しみに合うときは、真実であられる創造者に自分の魂をお任せして、善を行っていけばいいのだそうです。

神の力強い御手の下にへりくだっているなら、神が、ちょうど良い時に、高くしてくださるのだそうですから。




 神が私たちのことを心配してくださっているので、思いわずらいを、いっさい神にゆだねていけば、あらゆる恵みに満ちた神、受け入れる者をキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださる神ご自身が、受け入れる者をしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださるのだそうですから(Ⅰペテロ4:13~5:10より)。

今日も。


イメージ 1











[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]









<ahref="http://www.blogmura.com/point/00697809.html" ><imgsrc="http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif"alt="PVアクセスランキング にほんブログ村"/>









[269RANKのランキングサイト]









"哲学・思想 ブログランキングへ"

30倍、60倍、100倍の結果が現れるのだそうですね。あの方の言葉は。

2016-03-17 22:38:05 | 聖書から
雨も雪も、

  一度天から降れば、空しく天に戻らず、

   大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、

    種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。

 そのように、わたしの口から出る言葉も、

    空しくはわたしのもとに戻らない。イザヤ55:10〜11



良い土地に蒔かれた種とは、 

  御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、

   豊かに実を結ぶのである。マルコ4:20



         (ローズンゲン日々の聖句3/18;金)



  天の神、主のお言葉は、その言葉のとおりに成る言葉なのですね。

ただ、人間に対しては、愛し合う関係を望んでおられるので、自動的に、あるいは強制的になさるのではなく、

自由意思で、自発的に受け入れることを望んでおられ、私たち人間の側が受け入れた分だけを実行なさるのだそうです。

使徒パウロが、弟子のピレモンに手紙で書いているように、天の神、主も、私たちにおっしゃっておられるのでしょうね。

「私は、あなたのなすべきことを、キリストにあって少しもはばからず命じることができるのですが、こういうわけですから、むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。

~~~

あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。

それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、自発的でなければいけないからです。」(ピレモン8~9、14)と。



 それで、同じ種であっても、落ちた土地によって育ち方が違うように、天の神、主の御言葉も、これを聞く人間の側の受け入れる度合いによって結果が大きく変わってくることになるのだそうです。



 御言葉を、そのことばのとおりに受け入れ、受け取る心の人には、30倍、60倍、百倍の結果が現れるのだそうです。

だから、どのように聞くかが大切なことなのですね。

今日も。










[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]









PVアクセスランキング にほんブログ村









[269RANKのランキングサイト]









"哲学・思想 ブログランキングへ"