朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

真の愛は、思いを一つにしていきたくなるもの、なのだそうですから

2017-07-21 11:10:17 | 聖書から

祝福あれ。
主の御名によって来る人に。詩118:26

 神は、独り子を世にお遣わしになりました。
この方によって、私たちが生きるようになるためです。
ここに、神の愛が私たちの内に示されました。Ⅰヨハネ4:9

 Ⅱコリント12:1~10
 フィリピ書2:19~30(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句7/21;金)

イエスが、私たち、すべての人間のそむきの責任を負って十字架刑での処刑を受けられるため、最後のエルサレム入場をされたとき、ろばに、しかも、まだ人を乗せたことのないろばの子に乗って入場され、
多くの人たちが、「祝福あれ。主の御名によって来られる方に」と叫んだのだそうです(マタイ21:9、マルコ11:9)。

しかし、これを聞いて、律法に熱心な人たちが、イエスに、
「先生。お弟子たちをしかってください」と言ったのだそうですが、
イエスは、「もしこの人たちが黙れば、石が叫びます」と答えて(ルカ19:38~40)、
イエスご自身が、自分がそういう者、「主の御名によって来た人」であることを認めておられたのだそうです。

〔父である神〕は、永遠の初めからともにおられた〔独り子である神〕を人間の世にお遣わしになり、
この方を処刑することで私たちの処刑が終わったものとみなし、
新しく、もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者にお遣わし下さり、
この方によって受け入れる者の心に、ご自身が一人一人に思っておられる御思いを置き、
受け入れる者がご自身と思いを一つにしながら生きるようにしていてくださるのだそうです。

私たち一人一人を愛していてくださり、
私たち一人一人と思いを一つにし、心を一つにする関係になりたいのだそうですから。

 「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている(創世記3:5、22)私たちの「生まれた時からの私」という霊は、
自分が何かが出来たり、素晴らしい霊的な経験をしたりすると、
たちまち、自分を誇り、〔父である神〕との一つから外れ、それて行く者なのですね。

 自分が弱くされ、〔生まれた時からの私〕という私の霊はイエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて処刑されたものであることを思い出すとき、
〔聖である霊〕と呼ばれる方の働きは完全に現れてくださるのだそうです。

それで、私たちが弱いときにこそ、私たちは強くなれるのだそうです(Ⅱコリント12:1~10)。

 私たち、〔生まれた時からの私〕という霊は、自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことは求めていない者ですが(ピリピ2:20~21)、
「祝福あれ。主の御名によって来られる方に」とイエスをお迎えし、
イエスがお遣わし下さる〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして、
〔父である神〕、〔御子である神〕と同じ心にしていただけ、
新しく生きるようにしていただけるのだそうです。
今日も。
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親を失った悲しみ、苦しみを知っている方が

2017-07-20 07:39:52 | 聖書から
親を失った者は、
あなたにこそ憐れみを見いだします。ホセア書14:4

 最初の者にして、最後の者である方、
一度死んだが、また生きた方が次のように言われる。
「わたしは、あなたがたの苦難を知っている。」黙示録2:8~9

 使徒15:4~12
 フィリピ書2:12~18(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句7/20;木)

親を失った悲しみ。
イエスは、永遠の初めから、〔御子である神〕、〔ことばである神〕の立場にあって、
瞬間的にも〔父である神〕と離れたことのない、
〔父である神〕と完全に一つになっておられる方なのだそうです。

その方が、私たちの〔的はずれ〕の責任を負って処罰を受けるために、人となって人の世に来られ、
十字架刑での処刑を受けられ、
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ぶ瞬間を迎える、
反逆者として扱われ、〔父である神〕と切り離され、親を失う悲しみ、苦しみを経験してくださったのだそうです。

それで、「あなたがたの苦難を知っている、わたしも経験している」と言われるのですね。

 また、パウロを通して「思い煩い、願い事を神に知っていただきなさい」(ピリピ4:6)と言ってくださっていますが、
私たちが〔聖である霊〕と呼ばれる方に、〔御子イエス〕に、〔父である神〕に話した、告げたことを、神は、「知っているよ」、「聞いているよ」と言ってくださるのですね。
「わたしは知らなかった」と言われることはないのだそうです。

 親を失った悲しみ、苦しみを経験された方は、「神のひとりのようになろう。善悪を知る者になろう」としてさまよい出た私たちが、自分の力で、モーセをとおして示された〔律法〕を守り、神のもとに帰ることができないことをよくご存じなのだそうです。

 それで、私たち異邦人に、「割礼を受けて、自分の力で、モーセの律法と守るように」とは言われないで、ご自身の恵みによって救い(使徒15:4~12)、
ご自身が派遣される〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、〔相続権を持つ神の子〕にしてくださり(ロマ8:15、Ⅰヨハネ3:1)、
〔父である神〕との親子の、親しい交わりに回復してくださり、
〔父である神〕に自分の思いのすべてをお話しして知っていただき、
〔父である神〕の御思いを心に置いていただいて(エゼキエル36:25~28)、
思いを一つにしていく者にしてくださるのだそうです。

「アバ、父よ」と呼びかけて(ロマ8:15、マタイ6:9)。
今日も。
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わたしはあなたをいやす主である

2017-07-19 08:28:49 | 聖書から
わたしはあなたをいやす主である。出エジプト15:26

 キリストのお受けになった傷によって、
あなたがたはいやされました。Ⅰペテロ2:24

 エゼキエル書2:3~8a
 フィリピ書2:5~11(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句7/19;水) 

 やまいは、私たちが、天の神、主の創造の目的からズレ、
〔的外れ〕になっているところから来ているのだそうです。

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、
その私たちを「われわれのかたちとして、われわれに似せた者」に回復し、
ズレを正して、本来のあるべき位置に戻し、
〔的はずれ〕を〔的に当たっている〕状態にしてくださって、
やまいをいやしてくださるのだそうです。

 そのためには、〔御子〕である方、神の御姿である方が、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのだそうです。
人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われ、
私たちの〔的はずれ〕の責任をご自身に引き受けてくださったのだそうです(ピリピ2:6~8新改訳)。

 私たち、神に反逆する者であり、神の語りかけに対して聞く耳を持たない者ですが、
天の神、主は、「彼らが聞いても、聞かなくても、『神である主はこう仰せられる』と言え」(エゼキエル2:4~5)と、ご自身の御思いを伝える者を遣わし続けておられるのだそうです。
今日も。
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小さい事に忠実な者に、まことの富を任せて

2017-07-18 10:06:54 | 聖書から
その契約を守る人にとって、
主の道はすべて、慈しみとまこと。詩25:10

 ごく小さな事に忠実な者は、
大きなことにも忠実である。
 ごく小さな事に不忠実な者は、
大きな事にも不忠実である。ルカ16:10

 ロマ書9:14~23(24~26)
 フィリピ書1:27~2:4(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句7/18;火)

 私たちは、この世に足場を置かず、天の御国を目指している者なのだからと、つい、この世のことを軽視しがちです。
けれども、イエスは言われるのですね。
この世のことが小さいことであったとしても、
その、小さな事に忠実でない者に、天の御国でも、どうして大きな事が任せられるでしょうと。


 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、
人を大量生産の製品のように、平均的に、同じに造ったのではなく、
手造りの製品のように、それぞれ、個性的に、ご計画に従って異なって、造られているのだそうです。

 それで、ある人は尊いことに、重要な立場に置かれ、 
ある人はつまらないと思われる場に置かれることもあるのだそうです。
そして、その、つまらない、小さいと思える場所で、ご自身とどれだけ思いを一つにしてやっているかを見ておられるようです。

 出した働きの結果の大小よりも、キリストの福音にふさわしい生き方をしているか(ピリピ1:27)、
「イエスを通して来てくださる〔聖である霊〕によって、〔父である神〕とどれだけ思いを一つにして生きているかを問題にしておられる方のようです。

 天の神、主は、私たちと、愛の関係、慈しみ、恵みとまことの関係をもちたい方のようですから。
今日も。
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私たちの救いと、栄えとは神にかかっているのだそうですから

2017-07-16 22:39:41 | 聖書から
あなたがたは恵みにより、信仰によって救われました。
このことは、神の賜物です。エフェソ書2:8 (7/16の週の聖句)

 私の救いと栄とは神にかかっている。詩62:8

 イエスはペテロに言われた。
「わたしはあなたのために、
信仰がなくならないように祈った」ルカ22:32

 ルカ5:1~11
 詩1(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/16;Ⅲ日)

 私たちの救いは、私たちの側の何かから始まったことではなく、
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方から出ているのだそうです。

 「わたしはあるという者」と名乗られる方は、
「さあ、人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」と仰られて(創世紀1:26)、
最初の人アダムとエバを造られたのだそうですが、
アダムとエバは、その造られた、天の神、主と思いを一つにして生きる場に留まることをせず、
もっと素晴らしい者になろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になる道を選んだのだそうです。
それで、アダムとエバの子孫である私たち人間は、すべて、
この「神のひとりのようになり、善悪を知る者」として生まれてきているのだそうです。

 この、創造の目的から〔的外れ〕になり、ズレてしまっている私たちを、
天の神、主は、廃棄処分にせず、なお、大切に思っていてくださって、
最初の創造の目的、「われわれのかたち、われわれに似せた者」に回復しようと計画してくださるのだそうです。

 天の神、主は、まず、
「みんなは悪くても、一番いいものから人類を造り直せばよくなりますよ」という、私たち人間の側の言い分に対して、
当時、一番正しい生き方をしていたノアを選び、
このノアの家族から新しい人類を生まれさせられました。
が、その結果が今の世界です。

 次いで、天の神、主は、私たちの、
「私たちだって、その気になりさえすれば、あなたが仰る通りの正しい生活ができますよ。
私は、ちゃんと自分の力で正しく生きていけます。
救い主など必要ありません」という言い分に対して、
ひとりの人アブラハムを選び、この人から一つの民族、イスラエル民族を生まれさせて、
この民族にご自身の思いを律法という形で文章で示し、
民は「主の仰せられたことはみな行います」と答えて(出エジプト19:8、24:3、7)、神の民となる契約を結ばれたのですが、
そのイスラエルの歴史においても、
人々は、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」として、
自分の理性の判断による、自分が善いと思う道を行くばかりで、
何度、預言者を派遣して立ち返るよう呼び掛けても、
「われわれのかたち、われわれに似せた」者にはならなかったのですね。

 そして、これ以上放置できない時点になり、ついに、アッシリアを用い、バビロンを用いてイスラエルを打たれるそのとき、新しい契約の約束を与えられたのだそうです。

天の神、主、自らが人間のこの〔的はずれ〕の責任を負い、人々をきよめたうえで、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣して、この方によって受け入れる者の心にご自身の御思いを書き付け、
受け入れる者がご自身と思いを一つにし、心を一つにしながら生きるようにする(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)という。


 そして、ご計画の時が満ちて、〔御子である神〕が、「女の子孫」として(創世記3:15)、人の世に来られ(ヨハネ1:14)、
自ら十字架刑での処刑を受けられ、そして、約束の〔聖である霊〕と呼ばれる方が、待ち望んでいたイエスの弟子たちに来られて、弟子たちは、この方が心に置かれる御思いのとおりを話す者にしていただいたのだそうです(使徒2:1~4)。

 そして、この約束は、イエスの十字架刑での処刑によるそむきの罪の赦しを受け取るすべての人に与えられており(使徒2:37~39)、
受け入れる者は〔父である神〕と思いを一つにして生きることができるのだそうです。

このように、この救いの出来事は最初から最後まで、天の神、主から出ていることであって、
神にかかっていること、神からの賜物、プレゼントなのだそうです。

 私たちが、これを受け入れ、受け取り、思いを一つにして生きる、
それはイエスご自身が願い、祈っていること、なのだそうですから。
この新しい週も。
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