朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

汚れた服を脱がせ、新しい晴れ着を着せようと

2018-08-24 09:12:15 | 聖書から
 わたしはお前の罪を取り去った。
晴れ着を着せてもらいなさい。ゼカリヤ書3:4

 息子は言った。
「私は天とお父さんに対して罪を犯しました。
息子と呼ばれる資格はありません。」

 父親は僕たちに言った。
「急いで一番良い服をこの子に着せ、
手に指輪をはめてやり、
足に履物を履かせなさい。」ルカ15:21~22

 マタイ12:15~21
 Ⅰヨハネ3:11~18(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/24;金)

 サタンは、
天の神、主の御前で、
大祭司ヨシュアの式服が汚れているのを指摘するのですが、
天の神、主は言われたのだそうです。

 「彼の汚れた服を脱がせよ。
見よ。わたしは、あなたの不義を取り除いた。
あなたに礼服を着せよう」(新改訳)。

 
 イエスは話されたのですね。
自分の相続するはずの財産を、今、欲しいと父親に要求し、
その財産を金に換えて遠い国に旅立ってしまい、
放蕩して財産のすべてを使い尽くし、
食べるものもなく、落ちぶれて帰って来た息子を、

 父親は、遠くから見つけて、走り寄り、
彼を抱き、口づけして、僕たちに言いつけた。
「急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。
手に指輪をはめさせ、
足にくつをはかせなさい。
そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。
食べて祝おうではないか。」


 イエスは、
私たちの、「的外れ」で汚れた服を脱がせ、
新しい晴れ着を着せてくださるために、
預言者イザヤが言っている、
「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、
わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。

 わたしは彼の上にわたしの霊を置き、
彼は異邦人に公義を宣べ伝える。
争うこともなく、
叫ぶこともせず、
大路でその声を聞くこともない。
彼は痛んだ葦を折ることもなく、
くすぶる燈心を消すこともない、
公義を勝利に導くまでは。
異邦人は彼に望みをかける」
その方として、来られたのだそうです。

 それで、ユダヤ人の指導者、パリサイ人たちが
イエスを殺そうと相談しているとき、
これと対抗し争うのではなく、そこを立ち去られ、
また、病気をいやした人たちには、
ご自分のことを人々に知らせないようにと命じられたようです(マタイ12:15~21)。

 争うためにではなく、
彼らも含めた、私たちすべての人間のために、
ご自分のいのちをお捨てになり(Ⅰヨハネ3:16)、
悪魔から出た者である、
「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑されたもの、死んだものとして脱がせてくださるために。

そして、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣して、
この方によって、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを
私たちの心に置き、着せて、
受け入れる者が〔父である神〕と思いを同じくし、
心を一つにして生きる、
神から出た思いで生きる、
神から生まれた者として、
新しい服を着た者としてくださるために。


 〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
〔父である神〕から出た御思いによって、
私たちの心の中にも、
互いに愛し合う、
兄弟姉妹のために、いのちを捨てる思いも
来るようになるのだそうです。

 死からいのちに移っている者(Ⅰヨハネ3:11~16)。
新しい晴れ着、
〔父である神」の御思い、
イエスの義を着せていただいている者として。
今日も。

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絶え入るばかりに慕い合って

2018-08-23 09:31:18 | 聖書から

 万軍の主よ、
あなたのいますところは、
どれほど愛されていることでしょう。詩84:2

 二人または三人が
わたしの名によって集まるところには、
わたしもその中にいるのである。マタイ18:20

 ヤコブ書5:13~16
 Ⅰヨハネ3:1~10(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/23;木)

 「万軍の主」と呼ばれ、
天使の軍勢の万軍に号令をかけられる方、
天の神、主、

 その方の御住まい、
その方がおられるところは、
なんと麗しく、愛し慕われていることでしょう」と
詩人はうたうのですね。

 そして、

イエスがサマリヤの女性に言われたように、
私たちは、
「この山(ゲリジム山)の神殿でも、
エルサレム神殿でもないところで、
真の礼拝者たちが
霊とまことによって〔父である神〕を礼拝する」、
その場所を神殿、神がいますところとして礼拝するのだそうです。

 二人か三人が
イエスの名によって集まるところ、
そこが神のいてくだり、
慕わしい、愛される場所としてくださるのだそうですから。

 そこは、
「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。
その人は祈りなさい。
喜んでいる人がいますか。
その人は賛美しなさい。
病気の人がいますか。
その人は教会の長老たちを招き、
イエスの御名によって、
オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。

 信仰による祈りは、病む人を回復させます。
主はその人を立たせてくださいます。
また、その人が罪を犯していたなら、
その罪は赦されます。

 ですから、あなたがたは、
互いに罪を言い表し、
互いのために祈りなさい。
いやされるためです。
義人の祈りは働くと、大きな力があります」(ヤコブ5:13~16新改訳)、
というところだそうですから。

 私たちは、
〔父である神〕の愛を受け取って、
〔神の子〕としていただき、

 キリストが現れる、
イエスが再び来られるとき、
イエスのありのままの姿、
本来の姿、
〔御子である神〕の栄光に輝く姿を見ることになり、
そのイエスに似た者にしていただけるのだそうですから。

 悪魔から出たもの、
「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている
〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスの十字架刑での処刑に合わせてくださって、
処刑済みのもの、死んだもの、としてくださり、

 〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方によって、
受け入れる者の心に、
御自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを置いてくださり、
御自身と同じ思いを思う者、
一つ心の者にしてくださるのだそうですから。

 「わたし自身の望むことを求めず、
わたしを遣わした方のみこころを求める」(ヨハネ5:30)イエスに
似た者にもしてくださって、
互いに愛し、慕い合う心に(Ⅰヨハネ3:1~10)。
今日も。

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いつもあなたがたのために祈り

2018-08-21 22:15:58 | 聖書から
 主よ、
まことに憐れみ深いあなたは、
彼らを滅ぼし尽くそうとはなさらず、
見捨てようとはなさらなかった。ネヘミヤ記9:31

 私たちは、
いつもあなたがたのために祈り、
私たちのイエス・キリストの父である神に
感謝しています。コロサイ書1:3

 使徒9:31~35
 Ⅰヨハネ2:18~29(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/22;水)

 天の神、主、
「『わたしはある(IAM)』という者」と名乗られる方は、

情け深く、憐れみ深い神。

 「われわれのかたちとして、
われわれに似せて」(創世紀1:26)、

「〔父である神〕が〔御子である神・イエス〕におられ、
〔御子イエス〕が〔父である神〕におられるように、
私たちも
〔父である神〕、〔御子である神〕におるようになって、

 〔父である神〕、〔御子である神〕、〔聖である霊と呼ばれる神〕がひとつであるように、
私たちも、そのひとつにある(ヨハネ17:21~22)ように、
との願いで造られていながら、

 「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
天の神、主にそむき、うなじをこわくして、
聞き入れようとしない
その私たちを見捨てようとはなさらないのだそうです。

 イエスご自身が
私たちのために祈っていてくださり(ルカ22:32)、
〔聖である霊〕と呼ばれる方ご自身が、
言いようもない深いうめきによって、
私たちのために執り成していてくださるのだそうですから。

 そして、天の神、主は、
中風で8年間も床に着いていたアイネヤという人も、
深く憐れんでくださって、
ペテロを派遣し、いやしてくださる、
そういうこともしてくださるのですね(使徒9:32~34)。

 天の神、主は、
私たちを初めから聞いたことばのうちにとどまらせ、
イエス・キリストが再び来られるとき、
御前で恥じ入ることのないようにしてくださるのだそうです。

 神から出たもの、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる、
〔父である神〕の御思いによって生きている者として(Ⅰヨハネ2:24~29)。
今日も。

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ことばの内容が真実であることを、証明してくださるのだそうですから。事実をもって。

2018-08-20 21:59:18 | 聖書から
 私たちの神よ、
私たちを見捨てることも、
見放すこともなさらないでください。列王記上8:57

 弟子たちは出かけて行って、
至る所で宣教した。
主は彼らと共に働き、
彼らの語る言葉が真実であることを、
それに伴うしるしによって
はっきりとお示しになった。マルコ16:20

 マルコ3:1~10(11~12)
 Ⅰヨハネ2:12~17(通読箇所)
    (ローズンゲン日々の聖句8/1;火)

 ソロモン王が、
エルサレムに天の神、主の神殿を建て終り、
ダビデの町から、
主の契約の箱を担ぎ上って神殿の至聖所に安置したとき、
ソロモンは天の神、主に祈って言ったのだそうです。

 「私たちの神、主、
「『わたしはある(IAM)』という者」と名乗られる方は、
私たちの先祖とともにおられたように、
私たちとともにいて、
私たちを見放さず、
私たちを見捨てられませんように」(新改訳)、と。


 イエスは、

十字架刑での処刑を受け、
墓に葬られ、
三日目に死人のうちより新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で、弟子たちが見守る中、
上げられ、
雲に迎えられて見えなくなられたのだそうですが(使徒1:3~9)、
弟子たちに言い残されたのですね。

 「全世界に出て行き、
すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。
信じてバプテスマを受ける者は救われます。
しかし、信じない者は罪に定められます。

 信じる人々には次のようなしるしが伴います。
すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、
新しい言葉を語り、
蛇をもつかみ、
たとい毒を飲んでも決して害を受けず、
また、病人に手を置けばいやされます。」


 それで、弟子たちは出かけて行って、
いたるところで福音を宣べ伝えたのですが、
主は彼らとともに働き、
みことばに伴うしるしをもって、
彼らが語たることばが真実であることを
証明してくださったのだそうです。

 イエスが、会堂で、片手のなえた人に、

「手を伸ばしなさい」と言うと、
彼は手を伸ばすことができ、
その手は元どおりになった(マルコ3:1~5)のだそうです。

 〔父である神〕は、
みことばに伴う事実によって、
その言葉がご自身の意思であることを
証明してくださるのだそうですから。


 〔父である神〕は、
私たちが、
イエスの御名によって、罪が赦されていること、
聖書のことばを通して、
初めからいる方、
この天地の造られる前からおられる方、
「御父」を知ったこと、

 そして、私たちにうちにおられる「強い方」、
「神のみことば」が内にとどまっていて、
悪い者、サタンに打ち勝っていること、

 世、
世にあるもの、
肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、
この世から出たもので、
御父から出たものではないことを知り、
御父を愛する愛を心に置いてくださる(Ⅰヨハネ2:12~17)、

そのことばの事実を現してくださるのだそうですから。
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって。
見捨てることも、見放すこともなさらないで。
今日も。

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喜びがあふれて

2018-08-20 11:03:14 | 聖書から
 主は
彼らに喜びを与えられた。エズラ記6:22

 信者たちは
毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、
家ごとに集まってパンを裂き、
喜びと真心をもって
一緒に食事をした。使徒2:46

 マタイ9:27~34   
 Ⅰヨハネ2:7~11(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/20;月)

 70年にわたるバビロンの捕囚から帰還した人々は、
エルサレムの神殿を建て直す工事を、
アッシリア、バビロンに代わったペルシャの王
ダリヨスの治世の第6年(BC515年)、
アダルの月(イスラエル歴の12月、太陽暦では2~3月)3日に完成し、
奉献式を行なったのだそうです。

 そして、翌月、第一の月の14日に
過ぎ越しのいけにえをほふり、
そして、それに続く7日間の種を入れないパンの祭りを行なったのだそうです。
天の神、主が、彼らに喜びを与えられて。

 それからおよそ540年ほど後の過ぎ越しの祭りのとき、
イエスは、このエルサレムの城壁の外で
十字架刑での処刑を受けられ、
その血をささげてくださったのだそうです。

 そして、たぶん、このイエスが処刑された年は、
通常の安息日(金曜日の日没から土曜日の日没まで)と、
種なしパンの祭り
(この期間中、食事を作り事以外のどんな仕事もしてはならない)の
第一日が重なった「大いなる日」であったようです(ヨハネ19:31)。

 イエスは、
処刑され、
安息日が始まろうとするので、
急いで、近くにあった、
アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に納められたのですが、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って弟子たちに何度も現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で、弟子たちが見守る中、
上げられ雲に迎えられ見えなくなられたのだそうです。

 「エルサレムから離れないで、
わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
もう間もなく、
あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです」と言い残して。


 そして、10日後の「五旬節(ペンテコステ)」、
モーセを通し、
イスラエルの民に律法が示され、
旧い契約が結ばれた記念の祭りの日に、

 〔聖である霊〕と呼ばれる方が
弟子たちのところに来られて、
弟子たちは、
この方が心に置いてくださる〔父である神〕の御思いのとおりに、
他のことばで話し出し、
新しい契約(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)が実現したのだそうです。

 そして、ペテロたちが、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
御思いのままに語っていったとき、
心刺され、
イエスを救い主、キリストとして信じ受け入れた人たちが、
男だけで3千人ほど起こり、
また、毎日、仲間に加わる人が起こり、

 彼らは毎日、心を一つにして宮に集まり、
家々で集まってパンを裂き、
食事をともにし、
神を賛美していたのだそうです。
喜びと真心をもって。


 イエスが、道を通って行かれると、
ふたりの盲人が大声で
「ダビデの子よ。
私たちをあわれんでください」と叫びながらついて来て、
家の中にまでやって来たのだそうです。

 イエスが、
「わたしにそんなことができると信じるのか」と言われると、
彼らは
「そうです。主よ」と答えたので、
イエスは、彼らの目にさわって、
「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。
すると、彼らの目があいた。

 イエスは彼らをきびしく戒めて、
「決してだれにも知られないように気をつけなさい」と言われたのですが、
彼らは出て行って、
イエスのことをその地方全体に言い広めたのだそうです。
喜びがあまりにも大きかったので(マタイ9:27~31)。


 私たちも、
わたしたちのうちから出て来る「兄弟を憎む」思いは、
〔父である神〕、
〔御子である神〕イエス、
〔聖である霊〕と呼ばれる神の
御前に差し出し、
見ていただき、知っていただき、
明るい、光の中の出来事にしていただきながら、

 〔聖である霊〕と呼ばれる神が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思い、
「兄弟を愛する」思いに満たされて行くのだそうです(Ⅰヨハネ2:7~11)。
喜びの中で。

今日も。

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