朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげながら

2023-03-25 23:35:14 | 聖書から
人の子は、
仕えられるためではなく仕えるために、
多くの人の身代金として
命を献げるために来た。
        マタイ20:28(3/26の週の聖句)


(神殿奉献の際のソロモンの言葉)
神は果たして
地上に住まわれるでしょうか。列王記上8:27


いまだかつて、神を見た者はいない。
父の懐にいる独り子である神、
この方が神を示されたのである。ヨハネ1:18



 ヘブル書5:(1~6)7~9(10)
 詩篇69:1~16(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/26;Ⅳ日曜)



   ―――― ☆ ――――

   

 イエスは、弟子たちに言われました。

「あなたがたも知っているとおり、
異邦人の支配者たちは人々に対して横柄にふるまい、
偉い人たちは人々の上に権力を振るっています。

あなたがたの間では、そうであってはなりません。
あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、
皆に仕える者になりなさい。
あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、
皆の僕(しもべ)になりなさい。

人の子(イエスご自身のこと)が、
仕えられるためではなく仕えるために、
また多くの人のための贖(あがな)いの代価として、
自分のいのちを与えるために来たのと、
同じようにしなさい」と。





 父、ダビデ王に代わって
イスラエルの王となったソロモンは、
父の遺言のとおりにエルサレム神殿を立て終えました。
その神殿奉献の時、神に祈って言いました。

「神は、はたして地の上に住まわれるでしょうか。
実に、天も、天の天も、
あなたをお入れすることはできません。
まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです」と。



しかし、その神、【御子である神】が、
天の栄光の座をあとにして人の世に来られました。

神の子として仕えられるためではなく、
人間に仕えるために、
多くの人の「的外れ」の責任を引き受け、
すべてのン人の身代わりとなって、
神に呪われた者となり、
十字架刑での処刑を受けるために来られて。



【父である神】を、その御愛を示し、実現するために。
大祭司として、動物の血ではなく、ご自分の血を献げて。
ヘブル書の筆者が記しているように。




 大祭司はみな、人々の中から選ばれ、
人々のために神に仕えるように、
すなわち、ささげ物といけにえを罪のために献げるように、
任命されています。



大祭司は自分自身も弱さを身にまとっているので、
無知で迷っている人々に優しく接することができます。

また、その弱さのゆえに、民のためだけではなく、
自分のためにも、罪のゆえに
ささげ物を献げなければなりません。



また、この栄誉は自分で得るのではなく、
アロンがそうであったように、神に召されて受けるのです。


同様にイエスも、大祭司となる栄誉を自分で得たのではなく、
「あなたはわたしの子、
わたしが今日、あなたを生んだ」と語りかけられた方が、
それをお与えになったのです。



別の箇所でも、
「あなたはメルキゼデクの例に倣い、
とこしえに祭司である」と言っておられるとおりです。



イエスは、肉体をもって生きている間、
自分を死から救い出すことができる方に向かって、
大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、
その敬虔のゆえに聞き入れられました。



イエスは御子であられるのに、
お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、
完全な者とされ、
ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、
メルキゼデクの例に倣い、
神によって大祭司と呼ばれました。」(ヘブル5:1~10)





 ダビデはうたいます。

神よ 私をお救いください。
水が喉にまで入って来ました。
私は深い泥沼に沈み
足がかりもありません。
私は大水の底に陥り
本流が私を押し流しています。
私は叫んで疲れ果て

喉は渇き
目も衰え果てました。
私の神を待ちわびて。


ゆえなく私を憎む者は
私の神の毛よりも多く
私を滅ぼそうとする者
私の敵 偽り者は強いのです。
私は 奪わなかった物さえ
返さなければならないのですか。


神よ あなたは私の愚かさをご存じです。
私の数々の罪過は あなたに隠されていません。
万軍の【神】 主よ あなたを待ち望む者たちが
私のために恥を見ないようにしてください。
イスラエルの神よ あなたを慕い求める者たちが
私のために卑しめられないようにしてください。
あなたのことで 私はそしりを受け
恥辱が私の顔をおおっているのです。
私は自分の兄弟から のけ者にされ
母の子らには よそ者となりました。
それは あなたの家を思う熱心が
私を食い尽くし
あなたを嘲る者の嘲りが
私に降りかかったからです。


私が断食し わが身を泣き悲しむと
それが私への嘲りのもととなりました。

私が粗布を自分の衣とすると
私は彼らの物笑いの種となりました。
門に座る者たちは私のうわさ話をし
私は酔いどれの歌になりました。


しかし私は 【主】よ。あなたに祈ります。
神よ みこころの時に
あなたの豊かな恵みにより
御救いのまことをもって 私に答えてください。
私を泥沼から救い出し
沈まないようにしてください。
私を憎む者どもから 大水の底から
救い出し手ください。
本流が私を押し流さず
深い淵が私を呑み込まず
穴が私の上で口を閉じないようにしてください。


【主】よ 私に答えてください。
いつくしみ深い あなたの恵みのゆえに。
あなたのあわれみの豊さにしたがって
私に御顔を向けてください(詩篇69:1~16)と。


私たちも、この大祭司として来てくださったイエスによって、
その、献げてくださった血(いのち)によって
「的外れ」な私を処分していただき、
神の子として、

イエスのように、また、このダビデのように
【父である神】に叫び、訴えながら。

この新しい週も。



      ~~~~~~~~~~~~~~

 
(聖書のことばへの疑問やご意見、
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平和をつくるために、私たちも用いてくださって。あの方

2023-03-24 21:56:22 | 聖書から
忍耐の力は強さにまさる。
自制の力は
町を占領するにまさる。箴言16:32



平和を造る人々は、幸いである。
その人たちは
神の子と呼ばれる。マタイ5:9



 雅歌2:8~13
 ロマ書11:33~36(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/25;土)



   ―――― ☆ ――――



 忍耐の力、怒りを遅くする力は、勇士の力にまさり、
自制の力、自分の思いを治める力は、
町を攻め取り、占領する力にまさる、というのですね。



イエスは言われます。
「平和をつくる人たちは幸いです。
その人たちは神の子と呼ばれる」と。





 愛し合う者は互いに歌い交わすのですね。

私の愛する方の声がする。
ほら、あの方が来られる。
山を飛び越え、丘の上を跳ねて。

私の愛する方は、
かもしかや若い鹿のようです。



ほら、あの方は私たちの壁の向こうで
じっと立ち、窓からうかがい、
格子越しに見ています。


私の愛する方は、
私に語りかけて言われます。
「わが愛する者、私の美しい人よ。
さあ、立って出ておいで。
ご覧、冬は去り、
雨も過ぎて行ったから。
地には花が咲き乱れ、
刈り入れの季節がやって来て、
山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる。
いちじくの木は実をならせ、
ぶどうの木は花をつけて香りを放つ。
わが愛する者、私の美しい人よ。
さあ立って、出ておいで」(雅歌2:8~13)と。




 戦う力、町を攻めとる力よりも、忍耐の力、怒りを遠ざける力、自制の力、自分の思いを治める力の方が大事なのですね。
そして平和をつくる、相手を思いやる愛の力が。





使徒パウロは言います。

私たちすべての人間は
神に対して不従順になっているが、
神は、そのすべての人をあわれんで
私たちが神に立ち返る道を用意していてくださる、と。

そして言います。
「ああ、神の知恵と知識の富は、何と深いことでしょう。
神のさばきはなんと知り尽くしがたく、
神の道はなんと極めがたいことでしょう。

『だれが主の心を知っているのですか。
だれが主の助言者になったのですか。
だれがまず主に与え、
主から報いをうけるのですか。』

すべてのものが神から発し、
神によって成り、神に至るのです。
この神に、
栄光がとこしえにありますように。
アーメン」(ロマ11:32~36)



私たちも、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
この神から出ている御思いのとおりを、生きて。
今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~

 
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神からの語りかけに、心を開いて

2023-03-23 20:35:01 | 聖書から
(神である主の言葉)
わたしが繰り返し語り続けて来たのに、
あなたがたは
聞き従わなかった。エレミヤ書35:14



(イエスの言葉)
幸いなのは神の言葉を聞き、
それを守る人である。ルカ11:28



 ヨハネ16:16~23a
 ロマ書11:25~32(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/24;金)



   ―――― ☆ ――――



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は言っておられるのですね。
「わたしが繰り返し語り続けて来たのに、
あなたがたは聞き従わなかった」と。



私たち、神によって
「われわれのかたちとして、
われわれの似姿に」(創世記1:26)と願われて
造られた者なのですね。



その似姿、
【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神が、
愛し合っておられるゆえに、
自由意思で、自発的に、自分から進んで、
自分の思いが成ることではなく、
相手の思いが成るようにと願っておられる
(ヨハネ6:38、8:28、14:10、16:13~14)、
その思いを一つにする関係の中に加わる者として
私たちは造られているのだそうです。



私たちは、アダムの子孫として、
その神の創造の目的の中にとどまることをしないで、
「神の一人のようになり、善悪を知る者」として
生まれて来ています。
思いを一つにする関係ではなく、
一人で、神のように全能、全知、永遠不変な者になり、
自分一人の理性の判断で
善悪を決めていく者になろう(創世記3:22)と。



それゆえに、「わたしに帰っておいで。
愛し合い、
わたしと思いを一つにして生きる生き方をしようよ」との
呼びかけを無視し、
自分だけの善悪の判断で生きていく生き方から
離れようとしない、と、神は嘆いておられるのですね。



それでイエスは言われます。
「幸いなのは、神のことば、神の語りかけを聞き取り、
それにとどまり続ける者だ」と。





 ヨハネが書き記しているところによると、
イエスは、明日には
自分が十字架刑での処刑を受けることを見据えた、
最後の晩餐の席で弟子たちに言われました。



しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなりますが、
またしばらくすると、わたしを見ます。」


そこで、弟子たちのある者たちは互いに言った。
「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、
またしばらくすると、わたしを見る』
また、『わたしは父のもとに行くからだ』と言われるのは、
どういうことなのだろうか。」



こうして、彼らは
「しばらくすると、と言われるのは何のことだろう。
何を話しておられるのか私たちには分からなし」と言った。



イエスは、彼らが何かを尋ねたがっているのに気づいて、
彼らに言われた。
「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、
またしばらくすると、わたしを見る』と、
わたしが言ったことについて、
互いに話し合っているのですか。



まことに、まことに、あなたがたに言います。
あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜びます。
あなたがたは悲しみます。
しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。


女が子を産むとき、苦しみます。
自分の時が来たからです。
しかし、子を産んでしまうと、
一人の人が世に生まれた喜びのために、
その激しい痛みをもう覚えてはいません。



あなたがたも今は悲しんでいます。
しかし、わたしは(復活して)再びあなたがたに会います。
そして、あなたがたの心は喜びに満たされます。
その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。
(復活したわたしと会う)その日には、
あなたがたはわたしに何も尋ねません。」(ヨハネ16:16~23a)





 私たちも、神を無視し、神に対立、対抗して、
自分だけの善悪の判断で生きる今までの生き方をしている、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊は、
イエスが私たちの身代わりとなって受けてくださった
十字架刑での処刑に合体していただいて、
死んだ者としてくださっていることを受け取り、
認めていきましょう。



そして、神の呼びかけに応じていきましょう。
死んで墓に納められ、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に帰られた
イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が、
【父である神】の私に関する御思いを
私の心に置いてくださるのですから。



その、心に来た御思いを、
神の御前に差し出し、確認しながら、
神と思いを一つにいて生きるのですね。



【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神がなさっているように、
愛において、思いを一つにしながら。

今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~

 
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暴風を叱りつけ、波に「黙れ、静まれ」と言われると、風も波も従う方が

2023-03-22 23:29:35 | 聖書から
大海のどよめき、波のどよめき、
そして諸国の民の騒ぎを
鎮める方。詩篇65:8



(ザカリアの言葉)
イスラエルの神は、
私たちを敵の手から救われることを
誓われたので、
私たちは恐れなく、
生涯主に仕えることができる。ルカ1:73~75

 Ⅱコリント4:11~18
 ロマ書11:17~24(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/ 23;木)

   ―――― ☆ ――――



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
海のどよめき、大波のどよめき、
もろもろの国民の騒ぎを鎮められる方なのですね。

それで、イエスは、ガリラヤ湖の嵐で、
舟が沈みそうになったとき、
風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われると風はやみ、
すっかり凪(なぎ)になったのですね。(マルコ4:35~41)


また、この方、イスラエルの神は、
私たちを敵の手から救われ、
私たちが生涯、恐れることなく、
主に仕えることができるようにしてくださる方なのですね。





 使徒パウロは書き送っています。
私たち生きている者は、
イエスのために絶えず死に渡されています。
それはまた、イエスのいのちが
私たちの死ぬべき肉体において現れるためです。

こうして、死は私たちのうちに働き、
いのちはあなたがたのうちに働いているのです。
「私は信じています。それゆえ語ります」
と書かれているとおり、
それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、
信じているゆえに語ります。

主イエスをよみがえらせた方が、
私たちをもイエスとともによみがえらせ、
あなたがたと一緒に
御前に立たせてくださることを知っているからです。

すべてのことは、あなたがたのためであり、
恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、
神の栄光が現れるようになるためなのです。

ですから、私たちは落胆しません。
たとえ私たちの外なる人は衰えても、
内なる人は日々新たにされています。

私たちの一時の軽い患難は、
それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、
私たちにもたらすのです。

私たちは見えるものにではなく、
見えないものに目を留めます。
見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠に続くからです(Ⅱコリント4:11~18)、と。





 大海のどよめき、波のどよめき、
諸国の民の騒ぎを鎮められる方、
私たちを敵対する者から守り、
恐れなく、神に仕えることができるようにしてくださる方は、
私たちの肉、〔生まれたときからの私〕から出て来る思い、
その働きを鎮めてくださるのですね。

神の創造の目的から「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊は、
イエスの十字架刑での死に合わせてくださって、
「死んだ者」とされていることを
よく理解できるようにし、認めさせててくださるのですから。

そして、死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して
来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】が、今、
私たちひとり一人に思っておられる御思いを
私たちのうちに置き、書き記して、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるように
してくださるのですから。

外なる人は衰えていくほどに、
この内なる人は日々新たにされて行って、
恐れなく、神に仕えるようにしてくださって。

今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~

 
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迷い出た羊のような私を、捜し求めてくださって

2023-03-21 23:45:04 | 聖書から
わたしは失われたものを捜し求め、
散らされたものを連れ戻し、
傷ついたものを包み、
病めるものを力づける。エゼキエル書34:16



羊飼いは家に帰り、
友だちや近所の人を呼び集めて、
「見失った羊を見つけましたから、
一緒に喜んでください」
と言うであろう。ルカ15:6



 ヨハネ6:30~35(36)
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   ―――― ☆ ――――



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
エゼキエルを通してこのように言われる方なのですね。



それでイエスも、言われます。
「あなたがたのうちのだれかが羊を百匹持っていて、
そのうちの一匹をなくしたら、その人は99匹を野に残して、
いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。

見つけたら、喜んで肩に担ぎ、家に戻って、
友だちや近所の人を呼び集め、
『一緒に喜んでください。
いなくなった羊を見つけましたから』と言うでしょう。

あなたがたに言います。
それと同じように、一人の罪人が
悔い改める(神に向かって方向転換する)なら、
悔い改めを必要としない99人の正しい人のためよりも、
大きな喜びが天にあるのです」(ルカ15:4~7)と



 またイエスは、
少年が持っていた大麦の五つのパンと二匹の魚を元に、
男だけで5千人はいた人々を満腹させられました。

イエスを追いかけて来たその人たちに、
イエスは言われました。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。
あなたがたがわたしを捜しているのは、
(イエスが神の子、キリストである)しるしを
見たからではなく、
パンを食べて満腹したからです。


なくなってしまう食べ物のためではなく、
いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る
食べ物のために働きなさい。
それは人の子(イエスご自身のこと)が与える食べ物です。
この人の子に、神である父が証印を押されたのです。」

すると、彼らはイエスに言った。
「神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか。」
イエスは答えられた。
「神が遣わされた者をあなたがたが信じること、
それが神のわざです。」

それで、彼らはイエスに言った。
「それでは、私たちが見て、あなたを信じられるように、
どんなしるしを行われるのですか。
何をしてくださいますか。
私たちの先祖は、荒野でマナを食べました。
『神は彼らに、食べ物として天からのパンを与えられた』
と書いてあるとおりです。



それで、イエスは彼らに言われた。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。
モーセがあなたがたに
天からのパンを与えたのではありません。
わたしの父が、あなたがたに天からのまことのパンを
与えてくださるのです。
神のパンは、天から下って来て、
世に命を与えるものなのです。」



そこで、彼らはイエスに言った。
「主よ、そのパンをいつも私たちにお与えください。」
イエスは言われた。
「わたしがいのちのパンです。
わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、
わたしを信じる者はどんなときにも、
決して渇くことがありません。

しかし、あなたがたに言ったように、
あなたがたは、わたしを見たのに信じません。
       」(ヨハネ6:30~36)




 この人たちと同じように、私たちも、
イエスが神の子、キリストであるしるしを見ても
信じようとしない者です。


そのような私たちを大事に思い、
探し求めてくださって、
見つけると大喜びしてくださる方なのですね。



そして、いのちのパンとして私たちに来てくださるイエス。
食べたパンが、私たちのからだの内にあって、
私たちのからだを造り上げていくように、
イエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方が、
私たちの心に
【父である神】の御思いを置いてくださるので、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようになり、
私たちも、【父である神】と思いを一つにして
生きるようにしてくださるのですから。

今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~

 
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