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★ 1971年 日本グランプリ 決勝 【富士スピードウェイ】 1971.5.3
富士スピードウェイには、自宅からだと、小田急線で成城学園から新松田まで急行で行き、
御殿場線に乗り換えて駿河小山まで行き、バスで目的地まで行くという経路だったと思う。
バスで行く人は殆どなく、車で行くケースが大半だったはず。バスもレースが開催されても
決勝を終えるともう駿河小山までいくバスもなく、歩いて帰ったことが何度かある。
確か10Km位だっかか。下り坂だからそう辛くなかったが、1時半以上くらい掛かったはず。
中学時代で無茶をしたものだと今更思う。
さて、本題。1970年位から、鉄道模型から少しレースカーに興味が移り、雑誌オートスポーツを
読むようになり、1971年3月に開催された「東京レーシングカーショー」へ出向き、益々実戦を
観たいと思い続け、朋友と1971年5月3日に開催されたJAF-GPを観戦に行ったのです。
色々と撮影はできず、ここで紹介できるのは比較的まともに写っているものです。
TOP画像は、メインイベントのフォーミラーカー・レースのスタート直後の30度バング直後の
S次カーブを抜けた辺りです。1位に三菱コルトF2000に乗る永松、2位に同じく益子、3位は黄色の
MILDRENを駆けるマックス・スチュワート。
生沢のロータス69がいるはずなのだが、この画像では分からない。
終盤、永松の独走となる。
マックス・スチュワートはメインストレートでリタイア。その現場を撮影。
当時は、大らかでコースのガードレール越しまで行けたのです。
【タグ】1971年 日本グランプリ 決勝 富士スピードウェイ FISCO
三菱 コルト F2000 永松 益子 MILDREN マックス・スチュワート ロータス69 生沢
オリンパス ペン ハーフサイズ 一眼レフ FT
コースまでそういう経路だったのですね.
もしかして,御殿場線は非電化だったのでしょうか?
茶色の電車だったと思います。
72系じゃないかな。
そういうのを撮っていないのは、、
まずかったですね。
小田急は撮っているんですが、、
r29bエンジン懐かしく思い出す
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