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『禅林句集』1.照顧脚下 脚下を照顧せよ  きゃっかをしょうこせよ

2022年07月03日 | 禅林句集

禅宗では、出家したばかりの若い僧侶は「雲水(うんすい)」と呼ばれ、「禅堂」と呼ばれる禅の修行場で集団生活を通して仏教、禅の修行をします。その禅堂の玄関によく掛かっているのが「照顧脚下」というこの言葉です。玄関では履き物を脱ぐので、「照顧脚下」は字句通り、「足下を見なさい」、「履き物をそろえなさい」という意味になります。

「照顧脚下」は、14世紀から15世紀の日本の禅僧孤峰覚明(こほうかくみょう)禅師、亡くなってから送られた名前諡(おくりな)三光国師(さんこうこくし)の言葉とされますが、西暦500年前後に達磨(だるま)大師という禅僧が、遠い西の国インドから中国に禅を伝えた古い歴史と、実は深い関係があります。

達磨大師が伝えた禅宗がさらに日本に入ってきたのは、その数百年後の13世紀、鎌倉時代でした。禅宗は、当時の新興仏教、鎌倉仏教の一つとして、日本で広く盛んになりました。そんな頃、ある僧が、三光国師に、達磨大師が遠いインドからはるばる禅を伝えた意味を尋ねました。この問いは「祖師西来意(そしせいらいい)」として、禅僧の間でしばしば課題になる深い内容です。しかし、三光国師は、「照顧脚下(足下を見なさい)」という、非常に身近な言葉で返しました。尋ねた僧はきっとびっくりしたことでしょう。

「求めるものは、インドや中国といった遠い所、達磨大師が生きた遠い昔でなく、今、ここ、私たちがいる足下にある。私たちは、今まさに、仏道、仏の教えの中にいる。」と、今の自分自身こそが答えだとおっしゃったわけですから。

三光国師の「照顧脚下」は、達磨大師という偉大な人物の遠い昔を、今の自分が生きる現実に直結させました。私には、そこに三光国師の偉大さがあるように思われてなりません。

仏道と言うと難しく聞こえますが、過去を現代につないで「今、ここ」を見つめ直した「照顧脚下」、「足下を見よ」は、仏道修行以外にも通じるように思われませんか。誰にだって自分の足下があり、しかしその足下は、過去と切り離されたものでは決してないでしょう。

ところで、この「照顧脚下」の出典は同国師による『徹心録』とされていますが、現存する『徹心録』はどうやら1冊しか存在しない貴重な書のようです。佐藤秀孝氏による下記研究論文によると、論文発表時の平成8年度には所在不明だったとありましたが、龍谷大学図書館の蔵書を検索すると、2017年に配架になり現在は存在することがわかります。しかし、素人には手の届かない書物のようで残念です。国師から「照顧脚下」と返答された僧が、その後どうしたかが、もし『徹心録』に記されているとしたら、知りたいではありませんか。

それにしても、これほど有名な言葉の出典が、仏教に関わる文献のデータベース「SAT大正新脩大藏經」にもなく(注)、国立国会図書館にも存在せず、一般には手の届かない大学図書館に唯一存在するとは大きな驚きでした。しかし、この事実は、禅が書の内にあるものでなく、今に生きて存在することを如実に表す好例かとも思います。

 

参考文献等

『訓註禅林句集(改訂版)』柴山全慶輯 書林其中堂 

『分類総覧禅語の味わい方』西部文浄著 淡交社

「孤峰覚明と瑩山紹瑾 -瑩山門下としての覚明の活動を踏まえて-佐藤 秀孝 」

               印度學佛教學研究44 巻 (1995-1996) 2 号

 データベース - 龍谷大学図書館

 注・データベース SAT大正新脩大藏經テキストデータベース2018版 (SAT 2018)で「照顧脚下」を検索すると、『續傳燈録巻第29』「若借路須照顧脚下」の1例がヒットするが、三光国師の言の方が意味深いように思う。

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『禅林句集』0

2022年07月03日 | 禅林句集

禅宗寺院には『禅林句集』という書物がきっとある。掛け軸や色紙に書かれることが多い含蓄ある文言の集大成である。

禅宗には「公案(こうあん)」と呼ばれる問答による課題があるせいか、意味深い言葉が多く存在し、茶道の掛け軸に用いられたりもする。過去の偉大な禅僧の言が大半だが、生き方、暮らし方、ものの見方の真髄を表す詩文も含む。うんうん言いながらもついつい読み進めたくなる、素晴らしい文化遺産である。

禅宗では「和尚さま」と呼ばれる僧侶、最も位の高い「老師さま」と呼ばれる方々の中には解説の書物を書いておられる方もおみえである。法話などの形式で、インターネットなどで拝見、拝聴できるものも見つかる。しかし、私のような禅にゆかりがなかった人間にはちょっと難しいと感じる解説もけっこうある。禅の言葉の数々が元々から難しいだけでなく、解説の中にも専門用語が見られるせいで難しいと感じるような気がした。

何だかずいぶん魅力的なものが目の前にあるのに、もったいないと思った。

知る限り、禅宗の僧侶の皆さんはとてもお優しい。また、私のようなちっぽけな人間は一瞬でそれと見透かしてくださる。これが、実にありがたい。私は自分を立派に見せる必要もなく、へりくだる必要もなく、はしたなかろうと地のまま、ありのまま在る。

そんな気持ちで、私は、自分で『禅林句集』を読もうと思った。

手に取ったのは、『訓註禅林句集(改訂版)』柴山全慶輯(書林其中堂)である。(いくつか参考にした文献等は、その度に記した。)

お付き合いいただければ幸いである。

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自己紹介

2022年07月03日 | 自己紹介

禅宗寺院には禅に関する書や書物が身近にある。難解でわからないが、わからないなりに興味深い。静寂を見つけ、折りふし紐解く。

卑院は龍安寺の境内にある観光寺院ゆえ、庫裏は実のところ、静寂から遙かほど遠い。訪れるお客さまに湯豆腐、精進料理をお出ししているからだ。お客さま方には、庭に臨む広い書院の座布団にお座り願って小さな池に注ぐ水音と鹿威しの響きを耳にお召し上がりいただく。

「ここは、放っておいてくれるからいい」とおっしゃる方がみえる。

庭は、龍安寺石庭の枯山水とは全く趣を異にする、苔生す緑豊かな庭園である。春には桜が、雪柳が、藤が、夏は青もみじが夏に赤いもみじと共に、秋は言わずもがなの紅葉が彩りを添える。うっすら雪が積もる冬の日もある。繁忙期はざわつくが、閑散期の書院はそこはかとなく時を過ごしていただける広々とした空間である。向こうには龍安寺の鏡容池が見える。

龍安寺は大きな山を背負っている。雨が降れば山から幾筋ものせせらぎが音を立てる。西源院の池はその水を引いている。水は、とどまらない。さらさらと大きな鏡容池に流れ出る。そして、さらに水門から川へ、ついには海へと至る。

すべてが龍安寺の山に始まる長い時の流れである。

なかなか面白いと思う。

私は、この寺院とご縁ができた寺庭である。在家出身で、禅の修行も禅が何であるかも知らない。それでも、寺という空間を知り特有の書物を知り言葉を知り、雑感を述べたくなった。

1年に数回程度の更新になるだろうが、続けていけたらと思う。

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